破滅と再生への道_1


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中国の経済発展が都市型からなかなか面になってゆかないのは、もともと経済発展のモデルとして研究したのがシンガポールであることに理由が求められるだろう。
では、そのシンガポールの経済発展モデルはどこであったかというと、日本だったのは、日本の人もよく知っていると思います。
リー・クアン・ユーは、「公共」という概念の適用範囲が他の文明圏に較べて著しく小さい中華系人に西洋型の民主主義が有効であると考えた事はなかった。
しかし、表面だけでも自由主義国家らしい顔をもたなければ、地図を眺めればすぐに判る、ムスリムと共産主義に囲まれた国家を運営しているわけがなかった。
そういう切羽つまった苦衷から生まれたのが、有名な「ルック・イースト政策」、
もともと尖鋭な反日世論の国であったシンガポールを強引に日本型社会にもっていった力ずくの「日本を見習え」政策でした。

日本の社会は、1945年には食えなかった、という切実なひもじさの記憶の上に出来ている。闇マーケットの食料を犯罪であることを知りながら調達するのでなければ飢え死にするしかない生活を、日本人は4年間にわたって経験する。
実際の飢餓状態は国内においては1944年から生じていたので、都合5年間にわたって日本中の国民のほとんどが餓死の危険と隣り合わせで生きていた。

日本の戦後社会の途方もない現実主義は、要するに「現実を直視しなければ死ぬしかないのだ」という飢餓の教訓をもって、どういう種類の主張を述べるひとも、自分の口にする観念や政治的な主張が一種の「絵空事」である、という問わず語らずの認識に立って「議論」をする、という日本特有の風変わりな習慣をうみだした。

現実には、植民地を失った結果の大量の本国帰還者という「余計な食い扶持の支払い」までも抱えて、決定的な食料の不足に直面した国民をくわせてゆくのは明治以来の日本国の伝統にしたがって官僚の仕事ということになっていた。
そして官僚たちが急場の最良策と信じて採用したのが戦時中に戦争を維持するために若手の官僚たちが必死に知恵を集めて書き残した一連の国家社会主義的な政策だったと思います。
実際、これら国家社会主義、というのは要するに全体主義だが、国家社会主義の経済官僚のチャンピオンであった岸信介は戦後、最も重要な時期に首相をつとめることになる。
日本で信ぜられているのと違ってドイツも似たようなものだが、日本においては戦後の経済めぼしい再建者は大半が国家社会主義者です。

リー・クアン・ユーは、この「表層が民主主義で実際は国家社会主義」という日本の二重構造がうまく機能していることに目をみはった。
これこそが、自分たちの国がめざすべき豊かさにたどり着く道だと確信した。
シンガポールもまた生き残るためには、必死で「繁栄を急がなければ」ならなかった、からです。
すさまじい貧困は、シンガポールというまだ赤ん坊の国を絞め殺しかけていた。

シンガポールは、いまでも英帝国の制度や気分を色濃く残しているが、リー・クアン・ユーは英帝国のような社会は、長年の収奪で蓄積した国富と長い長いあいだ、「ディシプリン」で形成された層が極めて厚い「公共」がなければ成り立たないのを熟知していた。
だから、おもいきって、政治経済的な鵺である日本社会というモデルを採用したのでした。

西洋とはまったく異なる観点から形成されたいわば新しい文明である「日本=シンガポール」型の文明は、鄧小平の中国経済官僚たちによってひろく研究され、いまの中国経済の爆発的な発展と、悪い面ではその畸形に貢献している。
そこには、たくさんの日本人やシンガポール人でなければ見えてこない真理や知恵、あるいは問題があるので、わしはブログとツイッタを媒介にして、日本のひとと話し合いたいと思って、

「シンガポール_流線型の独裁」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/09/1512/

という、記事を皮切りにこの話題を5つに分けたブログ記事として書こうとしたが、あるひとが自分の後ろをぞろぞろついて歩く集団と一緒に、記事を誤読した結果である「人種差別主義者」め、とゆってなぐりこんできたので、アホらしくなってやめてしまった。
いまでも考えると、日本語も読めないのかバカめ、と思って頭にくるが、このあいだ、義理叔父にゆわれてひさしぶりにこのひとのツイッタを観たら、叔父のいうとおり、それこそ「田舎じみた」ひつこさで「東北大震災一円ツイッタ募金」を退屈にも繰り返し書いていて「えらいやん」と思ってしまったのでここで名前を述べる気がしない。
経緯を知らなくて、これからでも知りたい、というもの好きなひとはこのブログの2010年11月9日の記事にさかのぼって、そこから5つくらいに分かれている、このひとの根拠のない悪態とそれを実見していたひとびとのコメントによって見物できます。

日本のひととインターネット上で話す機会は、そうやって失われてしまったので、わしはこの問題を専らシンガポール人や中国人(なかんずく香港人)たちと話し合った。
このひとたちの西洋型民主主義への不信がどういうところに根があって、では、どんな社会の体制なら人間が物質と精神の両面の飢餓を経験しないで生きてゆけると思っているか、たくさんのアイデアがあって、おもしろかった。
そろそろ西洋人も退場の時間だよねえええ、と思ったりしました。

日本の経済のこの20年の退潮が、ようするにその二重構造を放置してしまった結果、垂直割りにしかシナプスがない社会になって、その結果ITがパラダイムシフトとしては機能せず、危機感を自ら麻痺させることによって難局を切り抜けようとする19世紀的な反応を示すということについて、香港人とシンガポール人が自分達の経験に照らしてうまく核心をついた説明を日本の状況に与えるのは観ていて、すげー、と思わせるところがあった。

日本の知識人に特徴的な空疎な観念に満ちた言葉使いや、一場のスタントでしかない発言というような、徹底的に無責任な言論習慣も、どこに原因があるか、彼らには「自分のことのように」判る、というのが印象的であった。

ハクジンはみな人種差別主義者だ、アメリカも悪い、イギリスは最悪だ、イタリア?、イタリアだってさ、けっけっけ、と親のすねをかじるガキどもの気楽さで、「正しいこと」に熱中しているあいだに、日本は、またゆっくりと、その出発点である破滅にもどりつつある。
財務的には、先延ばしに先延ばしを重ねて、というのは言葉をかえれば破滅の様相を更に深刻なものとすることをものともせずに若い世代に問題を丸投げにすることにすれば、あと10年くらいは官僚が知恵をつくして糊塗すればなんとかもつか、というところだと思いますが、ひとつだけこの5年間ではっきりしたことは「財務的な破綻がさけられなくなった」ことです。
どうやってもダメ、というところまでずるずると問題を引き延ばしてきてしまった。
引き延ばしのストレスで、財務体質はずたずたになり、疲労困憊して、回復する余地などどこかにいってしまった。
最近、海外の日本経済への論調が変わって、「頼むからその調子で引き延ばして問題を先延ばしにしてくれ」と言い出すひとが出てきたのは、どうせ国としての破滅が避けられないなら、日本のような巨大経済にいきなり轟沈させられたらかなわんので、準備の時間をくれ、ということです。
そうでないと世界中道連れにされてしまう。

このブログの前のほうにさかのぼってゆくと増殖型原子炉の「もんじゅ」を動かしていることがいかに危険で、また、資源政策的にゆってバカっぽいことか書いてあるはずです。
あれは、ときどき止めないとぶっとぶ危険があるのを知っていて、役人のメンツだけで動かしている原子炉の典型だからです。
むかしむかし日本の原子力発電に詳しい友人に訊いたときの解説では日本の原発では、この「もんじゅ」が最悪で、次が設計思想が古すぎて風呂でゆえば五右衛門風呂なみの福島原発、作ってから真下にでっかい断層があって、おまけに万事につけてパンクチュアルというわけにはいかない地震学者達がおずおず切り出したところによると、もうすぐその断層で地震がある、ということなので、まるでガスコンロの上でTNTスープ(しかも放射性)をつくっているようなものだと判った浜岡原発、このみっつが日本の「三馬鹿原発」ということであった。
でも、「津波」という直截の引き金は、わしにも驚きでした。
そもそも津波というものがあれほど恐ろしいものだとは、わしには判っていなかった。

https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/03/13/1885/

さきに述べたわしのブログとツイッタに集団で怒鳴り込んできたひとが、しつこくしつこく一円ツイッタを繰り返しているのに習って、わしも嫌われても何回も浜岡を止めれ、と書こうと思っているが、浜岡がぶっとぶと、「フクシマは、この事態への神様の警告だったのだ」ということになると思います。
東京と名古屋は死の世界になるのだと保証されている。
フクシマに対する最も危険な「本音の反応」は、「こんなことは千年にいっかいしかあるわけねーんだから、なんとかごまかして切り抜けちまうべ」という反応だと思われる。
フクシマ自体、日本の政府が述べているような余裕がある事態だとは、まったく思っていない、どころか、あまりに安っぽいインチキぶりにぶっくらこいてしまう、とわしは思っていますが、スケアモンガリング、と英語では言うな、そういう行動に走るひとも出てきたりで、いずれにしろ、日本語で議論することに意味がない、と感じるので、ここでは書いてもしようがない。
書いておきたいのは、浜岡の原発を止めなければ、仮に地震学者が述べている事態が本当に起きたとするとそこがもう日本にとっては真正の「終わり」になってしまうので、たとえ、「どーせ、そんな地震起きやしないぜ。地震屋なんてバカなんだから」と思っても、止めるのが「文明」というものだと言うことのほうです。
第一、あんな中途半端な技術、それだけのリスクを冒す価値があるわけがない。

簡単にいうと日本は「破滅しなければ再生できない」ところまで来てしまったので、ヘンな言い方をすると「うまく破滅して、うまく再生する」ことに集中するほうがよくなってしまった。
では、どういう破滅は受け入れられて、どういう破滅は真に破滅の連鎖につながってゆくか、ということを書いてみたいが、友達とヘアドレッサーに出かけていたモニさんが、もうすぐ帰ってくるそうなので、その前に部屋を片付けておかねばならない。
もうちょっとしたら、また書きます。

でわ

(画像はイーストビレッジ名物のグラフィテイ・ゲージツだし)

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One Response to 破滅と再生への道_1

  1. SD says:

     シンガポールや中国のひとびとと話をしたというくだりで、自分が英語をこうして勉強している理由をまた一つ思い出したところです。
     単純に話せる人が増えるというのは、自分のものをみる角度を大きく広げてくれるから、というのが、当初のモチベーションでした。
     ちょっと上達してくると、どんどん目標や自分に課する最低基準が高くなってゆきますが、それとともにこんな大事なことを忘れてしまっては片手落ちだと思いました。

     一般論としての年上世代の「やる気のなさ」については私も大いに憤慨するところですが、はたして我々若者世代も、いまの集中力をちゃんと保てるだろうか、と心配になります。まだまだ「甘え」とか「社会では通用しない」というような抑制的な考え方は強力で、また一部のひとびとにとっては魅力的な考え方かもしれません。
     私自身の未来も含めて、私にはまだ見えていない希望材料があるのだとも思うのですが。

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