I see a tiny light

リンカーンセンターまでオペラとバレーのチケットを取りにいった。
帰りにはパークアヴェニューのフランス料理屋によって食事しました。
ブルーマッスルのシャンパンソースとホタテのリゾット添えを食べた。
ソースにもいろいろ能書きがあって説明してくれたがモニとオペラの話に夢中になっていたので忘れてしまった。
モニはアンコウのステーキ。

隣のテーブルにやってきた(50代くらいの)男女6人組がずっと話したそうにしているので、きっとお話ししてくるであろうな、と思っていたら、モニとわしがシャブリを空にしたタイミングを狙って話しかけてきた。
合衆国の人達は相変わらずひとなつこいというか子供のようである、というか、ちょっと面白そうな人をみかけると話しかけたくて仕方がない。

自分達はシアトルからドライブしてやってきたのだ。
ボストンの大学に息子がいるので明日はチェルシーのハイラインを散歩するのです。
フランスの人ですか?
一度プロバンスに行ってみたい、娘と一緒に。

とても楽しい人達で、看護婦だったふたりは病院で働いていたころの昔話をする。
一気に死や生の話までするのは、少し酔っ払っているからでしょう。

フロリダのキーウエストはやめたほうがいい、すげー退屈だから。
原発事故前に日本に旅行できたあなた方はとてもラッキーでした。
わたしたちも一度行きたかったのに、あの事故ですっかり計画を諦めなければならなくなってしまった。
美しい東北地方が死の世界になったというのはほんとうだと思いますか?

1時間くらいも話していたろうか。
「話ができてとても楽しかった」
「よいご旅行を」といいあって別れた。

レストランを少し歩いたところで、モニがにこにこ笑いながら
「ガメは、やっぱり英国人だなあああ」という。
アクセントがきつすぎましたか?自分では中和したつもりだったが、というと
モニがクビをふっておる。

そういうことではない。
あのシアトル人たちは住所と名前を交換したがっていたのがガメには判らないのか?
とゆわれて、ぶっくらしてしまった。
あれだけ楽しい話をすれば当然です。
住所を交換して、シアトルに来たときは家に寄ってくださいね。
ニュージーランドに行くことがあったら寄ってもいいでしょうか?
とあのひとたちは言いたかったのに、ガメは全然きがつきもしない。

そーだったのか、とわしは気がつきます。
連合王国人は、ああいうときにいくら仲がよくなっても名前や住所を交換したりはしない。
モニは合衆国暮らしが長いので、アメリカ人たちが「この人は良い人だが冷たい人なのかなああ。それとも自分達など退屈な人間だと思われたのだろうか」という気持ちが痛いほどわかったという。

わしには、わかんねー。
妹がいつも言うように鈍感なだけかもしれないが、それよりも 習慣として知らない人と急に仲良くなったりしないからな。

「悪いことをしたと思いますか?」と訊くと、そんなことはないと思う、とモニは言う。
でも、ほんとうはああいう態度はいかんのか。

知らなかった。

なんだか女同士のカップルがやたらに多くて、女同士でディープキスをあちこちでしているやや変わったバーで、マルガリータを飲みながら、モニとふたりで日本にいたときのことを話した。
1944年、あの釈迦堂というところのすぐ近くにニシワキという詩人は住んでいて、
「学問もやれず絵もかけず」という寂しい詩を書いたのだ、というとモニはそれだけでもう涙ぐんでおる。
くだらない話をしなければよかった。

日本の話は、どれもこれもモニには悲しすぎるよーだ。
「どうして、あの人達はそれほどの悲惨をくぐらなければならないのか?」とよく訊かれた。
なぜ自分を幸福にしようと思わないのか?

それから17thを歩いて家に帰った。
Grace PotterのTiny Light(*)を鼻歌にうたっていたらモニに「ガメはほんとうに単純だな」とゆって笑われてしまった。
菅直人が浜岡原発を停止することにしたことを考えていたのを見抜かれたいたもののようである(^^)

高村光太郎の
「僕の前に道はない僕の後ろに道は出来る」
という詩句とは到底いえないような「生」な詩句は、決して本人が信じ込んでいたような自負の言葉などではなくて、「自分が行きたいと思ったほうに歩こうと思ったらこの日本には自分の前には道はなかった」
ここから、何とか目的地の方角に向かって歩いてゆけば自分の後ろに道がつくのが振り返ってみえるようになるだろうか、
という現実の叙述と希望の表明にしかすぎない。

近代化と西洋化が同義でしかありえなかった高村光太郎の頃に戻って日本の事を考えてみるのはやはり良い事であると思う。

日本の歴史を辿ってゆくと1945年に戦争に完敗したことが、それまでの「西洋化でない近代化」への日本人の苦闘に免罪符を与えてしまっているからである。
そこでなんだかなしくずしに近代化が西洋化で良い事になってしまったのは、「それ以外に選択肢がもうないから」といういわば投げやりな理由に依っていた。
そんなことで良いわけがないだろう、と深刻に思い詰めていたのは
林房雄や小林秀男、吉田健一というような一握りの「文士」たちにしか過ぎなかった。

特に吉田健一は注意して読んでいると、言っていることとは裏腹に「知ったかぶりの日本人は英国文学を読んで面白がるが本当には判っている訳がない」というところまで思い詰めていたのが判ります。
一方の詩の世界では、西脇順三郎という人がマージョリーとの結婚生活を諦めるように、吉田健一が一生苦しんだ疑問を諦めの目で見ていた。

最近では水村美苗というひとがそうだが、こういうひとたちは「日本語を母国語にしている人間が見てたしかに理解しているはずの「西洋」とは何なのか、という実は重大な疑問を誰にも理解されることなしに書き残している。

わしは、このことをもっと考えることが日本について考える良い角度を与えてくれると信じている。
この3人ともが、他の日本人では望むべくもない言語能力を身につけていた(る)人であることに興味もある。

いまどき文学なんて流行らねーよ、という意見もあるが、散文文学なんちゅうものは多くの人が述べているようにそれ自体は芸術ではありえないが、しかし、その社会の「感情」ではあると思う。

少なくとも(経済への理解力がある人間ならば)、その国の経済を勉強するよりも、文学を知ることのほうが、その国の経済に対して理解力をもてるであろう。

日本語は、こうやって書いていて楽しい。
書いていて楽しいのは、その言語が出来ない証拠である、とわしの日本語の先生はよくゆって笑っておったが、それは確かにそうであるにしても、書いていて楽しいものは仕方ないやん。

書きながら、こんな不思議な言語があるものだろうか、と思います。
この言語をつくったひとたちは、多分、沈黙を尊ぶ人だったに違いないのであって、その証拠には「間」というものが文章にもつ比重が大きすぎる。
雄弁にものを表現する語彙が貧弱でありすぎる。

どうゆえばよいかは本当には判らないが、まるで沈黙を目指している言語で、この言語が行き着く先には、あの有名な言葉、
「Lasciate ogne speranza, voi ch’intrate’ 」
と書いてあるのかもしれません。

まるで絶望を表現するためだけにあるような言語というものがあるのだ。
こんな不思議な言語をもった文明を、わしは見失うわけにはいかない。

何度も、やめちまうべ、と思ったが無理だのい。

(注)

What will come of us today
What we need we cannot say
Its been a long long time since Ive been so afraid
As we all fall down its hard to see a brighter day but

I see a tiny light like a flashbulb sparkle in the night
I see a tiny light telling everyone to hold on tight

What will come of all our pride
This house of stone has crumbled from the inside
Its been a long long war now the battle is drawing near
Closer and closer till it whispers in my ear

I see a tiny light like a flashbulb sparkle in the night
I see a tiny light telling everyone to hold on tight

Bring me back the streets of gold
Give me something warm to hold
Give me love and only love and we will see it shining from above

I see a tiny light like a flashbulb sparkle in the night
I see a tiny light telling everyone to hold on tight
I see a tiny light like a flashbulb sparkle in the night
I see a tiny light telling everyone to hold on tight

I see a tiny light but its not going to shine without a fight

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