破滅と再生への道_2

むかしクライストチャーチのカシノでピットマネージャーに向かって大声で怒鳴っている韓国の人を見たことがある。
「おれの国では、負けたカネは全部返ってくるんだよ」という。
「だから、おれも当然ここでもかえってくると思って大金を賭けたんじゃないか」
「だから、負けたぶん全部かえせよ。このカシノのどこに『負けた金は返ってきません』て表示があるんだよ。知らなかったんだから、かえせよ」
えらい勢いで怒鳴り散らしておる。
女のピットマネージャーは、黙って、この人をまじまじと見ていたが、
「賭博というのはね、この国では負けたオカネは戻らないんです」と一言だけいうと、相手をするのをやめてしまった。

そのうちに韓国のひとのほうは、ほーらみろ、説明がつかないものだから黙ってしまったではないか。ふざけるな。おれの金をかえせ、とますます大騒ぎをはじめる。
驚いたことには、他の数人の韓国人も一緒になって騒ぎはじめておる。

セキュリティを呼ぶかなああー、と思ってわしは眺めていたが、どうやらピットマネージャーはセキュリティを呼ぶほどでもない、と思ったらしい。
大騒ぎしている韓国人たちをほうったらかしにして、本来の自分の仕事に戻ってしまった。
韓国人たちは仕舞にはおきまりの「人種差別主義者め」とまで悪態をつきだしたが、ほんとうは自分たちが言っていることが大嘘だと判っているからでしょう、
そのうちに引き上げてしまった。

わしはクレジットカードでチップを買うときに、「ああいうのって、よくいるのか?」とピットマネージャーに訊いてみると、うんざりしたような顔で
「年中よ」というので笑ってしまった。
しかし、「賭博に負けたら、そのオカネは戻ってきません、というサインはどこにもないではないか、というのはなかなかいいな。わしも払うのを拒否できるのい」というと、
「勝ったときに現金を払う、という表示もないぞ、ガメ」とゆってウインクしておった。

年金の話にギャンブルの話なんて持ち出すなんて不謹慎だ、というひとがいるに決まっているが、いま国に向かって年金をどうしても払え、ダメなら払い込んだカネだけでも返せ、と言い募っている人は、わしにはあのときの韓国の人と同じに見えます。
前にも書いたが、年金というのは一国が国民に対して提示したビジネスモデルにそって徴収したカネであって、そのビジネスモデルが破綻すれば年金はおろか元金も払いもどせないのは当たり前である。
それを当たり前だと思えない人というのは、この世の中には「お上」というものがあって、お上にはおもいきり不平をぶちこけば、しぶしぶ打ち出の小槌をふってオカネがどこからともなく降ってくるのだと思っているもののよーである。

あまったれるんじゃねーよ、と思う。
だって自分たちで是認してきた制度やん。
その自分達が認証したビジネスモデルが崩壊すればかけきんが戻らないのは当然である。
それが破綻しても払えとゆわれても「お上」はもうオカネがないのよ。
ない袖は振れぬ、と日本語ではいう。
いまの日本政府は袖無しなんです。
余分な鼻毛だけが伸びている。
間寛平みたいな国なんですのい。

年金制度を考えたひとというのは、人間の寿命は65歳くらいだべ、と思っていた。
その社会の人間の寿命が65歳くらいの場合、年金を払い始める20歳のひとびとの余命は50年から55年くらい、すなわち75歳になればくたばるものだと前提されていたはずです。
年金保険庁のかさにかかったような楽しげな無駄遣いは、たしかに読めば読むほど凄まじいが、しかし、あれがなくても、多分、いまの年金制度のモデルは全然ダメである。
ニュージーランド、という国は日本とそっくりな年金制度をもっていたが、「払うの無理だから」という理由でやめてしまった。
90年代を通じて、どんどんどんどん、えらいスピードで年金制度を縮小した。
当然、おおさわぎになったが、「払えないものは払えないのさ」という歴代首相のがんばり(というか居直り)で世界でも極めてすぐれた、といわれていた年金制度はほぼ消滅してしまった。
いまは、税金の歳入のなかから、年に条件によって100万円から140万円くらいが年金として支払われる。
他にも任意で加入できる年金があるが、政府が「あれは将来ほんとうに払えるかどうか判らないから、あんまり奨められない」とゆったりする。
国として投資しても、日本同様、失敗することが多かったからです。
役人は株屋に勝てないのだとゆわれている。

そのかわり、というわけではないがニュージーランドでは老人ホームが世界一、といわれるほど発達していて、収入も財産もなければタダです。
居心地もいーそーだ。
食べることと万が一の病気は面倒みるからね、というスタイルなのだな。
だから100万円と140万円はおおざっぱに言えば小遣いである。
これは国民でなくてもビザがあるひとになら誰に対しても同じです。
ただし、それを狙って日本や韓国や中国の人がかなりたくさん来るのでだいぶん前から問題になっている。
もう少しすると、そういうのは閉め出すべ、ということになると思います。
多分、永住権があるかパスポートがニュージーランドであるかどちらかでなければダメ、というほうに遠からず変わるであろう。

わしは日本にいるときに年金役人のひとびとと何回か話してみたが、誰ひとりとして本気で年金制度を続けられると思っているひとはいなかった。
じゃ、やめちゃえばいいのに。
そんなことをしたらたいへんです。
という会話になるのがいつものことであった。
やれない年金をやれるふりをしていつまでも続けているほうがもっと大変だと思うが、
日本ではそういう理屈にはならないのだそーでした。

で、結局、どうなっているのかというと、いま年金を積み立てている20代や30代のひとたちのカネが戻ってくる可能性は殆どゼロである。
いま生まれたてのひとびとが年金を払う頃は、2億円積み立ててうまくすれば7000万円くらい戻ってくるのだそうである。

日本のいま40代から50代くらいのひとと話していると、その上の「わしが良ければそれでいいんじゃ、ボケ」の世代ともまた少しニュアンスが違って、「ぼくは何にも責任をとらないけれど、会社や政府にはオカネ払ってもらわなくちゃ」というひとが多くてぶっくらこいてしまう。
年金の話でもオオマジメな顔で「国には最低でも支払ったカネは返してもらう」とか言うので、吹き出すのをこらえるのに必死にならなければいけない。
「国」って、どこにあんだよ。
あんたらが皆でこさえたんやったんちゃうの?
あんた、日本の国民なんちゃうんか、
と思う。
普段は自分の国だ自分の国だとゆっておきながら、こういうときだけ「お上」が生じてしまうなんて、なんて便利な理屈でしょう。
是非、ニュージーランドにも輸入したいものである。

あちこちでいろいろな人が述べているから、ここでくだくだしくは述べないが、年金制度には一縷の脈もないであろう、とわしは考えます。
団塊といま40代後半くらいまでの人間たちが国の残り少ない富を強奪して国の将来を破滅に導くか、自分達の承認したビジネスモデルが破綻しているのを認めて、年金制度を自発的に放棄するか(実は日本の年金はいちど放棄すると二度ともらえない、すなわち、自分が画家なら画家で、いまの見通しでは絵を売ってくえるからいいや、と思って年金を放棄すると、あとで絵が売れなくなってしまったときでも『食えなくなったから、やっぱり年金ください』とゆっても絶対ビタ一文でないという重大な運用上の欠陥があります。あんなん、そのせいでもらいたくない心根のしっかりしたオカネモチのひとが大量にもらっているのだから、さっさと条文をあらためればいいのに、と思う)

前にも書いたようにせいぜいハイパーインフレで10万円が千円の価値しかない世の中をつくっておいて、「ほーら、ちゃんと10万円、払ったでしょう? お年寄りのみなさん、約束を守る政府の国に生まれてよかったですねええええ。『年金を払えないなんて誰が言った!!』なんちて、ははは」とかゆわれるのがオチである。

一方で、国民年金と抱き合わせになっている国民健康保険制度のほうは、実は世界的にみてもうまく機能している制度である。
きみが医者である場合、「えっ、うっそおおおお。そんなわけないじゃん」と言うであろうが、ほんとなのよ。
いつだったか(日本にいる頃)合衆国に帰化している、という女の人が日本の保険制度は合衆国に較べてひどすぎる、こんな制度ではわたしは日本に帰りたくても帰れない、と投書していて、しかも、もっとぶったまげたことには、その投書をわざわざ何千とある投書から選んで投書欄に載せた記者がいたわけで、あわあわしてしまったことがある。
なにゆーてんねん。
合衆国なんて保険らしいもんないやん。
個人破産の理由のトップが医療費であるのをきみは知らんのか、と考えて無責任なこのクソババア(失礼しました)と新聞記者に対して怒りました。

あるいは、連合王国では医療費はタダです、というひともいるであろう。
ほんまですねん。すごいだろう。
きみが心臓冠動脈が閉塞寸前で、く、苦しい、む、胸が苦しい、でも国民保険制度でただだからダイジョーブだ、と呟きながら、保険がカバーしている病院に必死にたどり着いたとする。
そーすると、やさしいおねーさんさんが受付にいて、はい、ダイジョーブですよお、ええーと来年の9月くらいになれば手術の順番がまわってきますから、それまで我慢してくださいね。お大事にいいい、とにっこり笑って言うであろう。
ははは、心臓手術なんて予約から一年待ちなんてザラだぜ。
スペイン語読みなら予約待ちもサラなり。
一年、保てるものなら、もってみい。
きみは、受付で予約票を握りしめて、絶望のあまり、ばったり息絶えてしまうに違いない。

日本では、診療の個人負担が2割になった、とゆって怒っている人にあったりしたが、そんなもんは8割負担でもいーのだ、とわしは思う。
2割しか負担させないから待合室で将棋を指すのを楽しみに「受診」にくる不逞老人が生じる。
生活保護患者を一定数引き受けることを事実上義務化している通達と同じくらいばかげている。
日本の国民保険制度のもっとも優れている点は、医療費の支払いに「天井」をもうけていることで、一定金額以上は支払わなくてもいいのです。
腎臓透析が必要な人などは、殆どこれがために生き延びていられているようなものである。

住宅公社がつくりすぎてゴーストタウン化している住宅などはどんどん老人ホームにしたらどうか、という。
よくわかんねーけど、日本の場合、そーゆー手もあるのか、と思う。
住むところをタダにして、食べ物を(高齢者用の総菜サービスを利用するっちゅうゆうような方法で)タダにすれば、あとは国民保険を死守するだけでも、かなりの社会保障は達成できるのではなかろーか。
そんなカネがかかることが出来るのか、と思ったきみ、きみはオカネが事がちょっとも判っておらぬ。
そもそも成り立たないビジネスモデルに従ってカネを払ってゆく、というオカネの世界ではもっとも恐ろしい行動に較べたら、そんな出費、桁が違いますねん。

若い世代の日本の人と話してみると、そういう事情をよく勉強して知っていて、「年金と保険がくっついているのが問題なんです」というひとにたくさんあった。
保険はいいが、年金を払いたくない。
あれを分離してくれれば保険は払いたいんだけど。

そのとおーりだよねえ、と聞くたびに思ったものでした。

日本の財務的危機は、このブログで何度も書いたように、もう解消できる時点を通過してしまった。
そのなかでも最大の「病気」のひとつは年金です。
実は元金など、事実上もう消滅している。
それなのに不正直に不正直を重ねて、未だにまだ破綻していないかのように装っている無責任ぶりは、反体制のポーズをつくってこねあげる、批判だけは達者で、自分がどこに立って批判しているかすらおぼつかない超無責任世代がつくりあげた政府にはお似合いでもオカネというものは正直なので、先延ばしにしたぶんだけ残忍なやり方で復讐されてしまう。
それは判っていても、自分の世代でなくて、次の世代で思う存分復讐してね、というのが40代から50代のひとが依拠している理屈であって、その無茶苦茶な理屈を呑み込んでしまうか、そんなバカな理屈があるか、とゆって立ち上がるかが、いま30代や20代の人がまだこの先「国」と呼びうる日本に住んでいけるかどうか、の岐れめであるようです。

画像は日曜日午後のイーストビレッジの公園。
日だまりでのんびり寛いでいると「サンドイッチいらんかね」のおっちゃんが回ってきます。
でっかいツナメルトサンドイッチがただである。
しみじみ合衆国だなあー、と思います。
これほど長いあいだ、これほど豊かだった国が歴史上にでもあるだろうか。

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3 Responses to 破滅と再生への道_2

  1. SD says:

     その点、「新卒一括採用」というやり方で、一定の年齢になった人間を社会に組み込んでゆく手法は、彼らがこうした年金の構造に気づいていてもいなくても、その詐欺構造に巻き込むのに一定の役割を果たしているのだろうな、と思いました。
     今は不景気なので「22歳までに職を見つける」こと自体が難しくて、年金など含めて、社会でこの年齢から働き始めると自身が差し引きどれだけ損得をするのか、じっくり計算する暇さえないのではないかと思います。
    「日本語という独房」(だったかな)というガメさんのこの前の表現は言いえて妙だと思いました。感心するだけではなくて、悔しい思いもあるのは、まあ自分が当事者世代だからなのでしょうが。

  2. SDどん、

    >シンガポールや中国のひとびとと話をしたというくだりで、自分が英語をこうして勉強している理由をまた一つ思い出したところです。

    好でも好まなくても英語がふつーに話せて聞けて読めて書けなければ、どもならん世界になってしまった。SDどんが大陸欧州に生まれてもいまは日本で生まれるのと言語的事情は同じですのや。
    逆にアフリカ人もシンガポール人も中国人も韓国人もインド人も中東人も英語で話すので、世界は簡単になりつつあるともゆえる。

    でも、

    >自分のものをみる角度を大きく広げてくれる

    のは自分の思考の底を垂直に見下ろすことからしか生まれない。
    と思うが、たくさんの人の考えを知るのはよいに決まっておるのい。

    >ちょっと上達してくると、どんどん目標や自分に課する最低基準が高くなってゆきます

    その言語で考えられるようになるのなんてすぐよね。わしが先生は一年かかるようでは、その言葉はものにならんから違う言葉に変えた方がよい、ゆーてたな。

    >はたして我々若者世代も、いまの集中力をちゃんと保てるだろうか、と心配になります。まだまだ「甘え」とか「社会では通用しない」というような抑制的な考え方は強力で、また一部のひとびとにとっては魅力的な考え方かもしれません。

    どんなに「甘ったれ根性」でも、いま40代や50代のひとびとよりも甘ったれた考えにはなれないからダイジョーブだ。

    >今は不景気なので「22歳までに職を見つける」こと自体が難しくて

    さっさと他の国の会社で就職すればええがな。

    世界中うろうろして歩けば、「ははは、これわしじゃないと出来ひんやん」という仕事が見つかる可能性も高いであろう。

  3. SD says:

    >自分の思考の底を垂直に見下ろすことからしか生まれない。
     最近、ぼーっとして意識を弛緩させる時間を持つことの重要性を感じています。
     何か目標に向けて張りつめている時間が長いと、かえって自分が何をしたいのかを考える余裕がなくなってしまいますね。

    >どんなに「甘ったれ根性」でも、いま40代や50代のひとびとよりも甘ったれた考えにはなれないからダイジョーブだ。
     はは、手厳しい。でも考えてみれば、カローシのような異常な社会現象や、年金やといった問題は、ことの重大さのわりに改善の可能性を顧みられた形跡がなくて、「何をやってるねん」といつも思います。

    >世界中うろうろして歩けば、「ははは、これわしじゃないと出来ひんやん」という仕事が見つかる可能性も高いであろう。
     絶望はたまにしますが、しかし自分の体を使って実験したいことが残っているうちは、世界をぐるぐるしてみようと思っています。

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