Daily Archives: May 11, 2011

「自由」を見にいく

スタテン島行きのフェリーに乗りに行った。 別に用事があったからではありません。 スタテン島へのフェリーは自由の女神像のすぐ傍を通ってゆく。 むかしマンハッタンに居だしたばかりの頃は、このフェリーによく乗りに来た。 片道30分のフェリーはタダです。 一円もかからない。 ビンボというのもバカバカしいくらいビンボだった初期セーガクわしは、大西洋を越える航空券代で持ち金をあらかた使い尽くすと、時間が余ってもてあましたあげくhip flask(フラスコ?)に安いバーボンを詰め込んでジーンズのお尻のズボンにいれて、このフェリーに乗り込んで朝から海を見ながらちびちびやったものだった。 ポケットに手を突っ込んでくしゃくしゃの1ドル札が何枚かあると、それで(アメリカン)マフィンを買って食べた。 オーボンパンの気取ったマフィンちゃうねん。 もっとでっかくてもっと甘くて荒っぽい、トラック運転手なんかが大好きなマフィンにバターをいっぱい塗って、バーボンを飲みながら、食べる。 舷側のベンチに座ってぼんやり見ていると、いつのまにか頭巾を被っていないマリアンヌが松明をもって世界を照らすために立ち上がっておるのが見えてくるのです。 なんだか愚かな人間たちのために乾杯してくれているように見えるのね。 だから、わしもフラスコを掲げて乾杯の返礼をした。 「人間の愚かさのために、乾杯」 あれから7年、わしはモニと結婚して、なんだかまともなことになってしまった。 ときどき、こんなはずではなかった、 いまごろは妹やかーちゃんにも見放されて、ピカデリー通りの地下道で薄汚れたなんだかどす黒いような赤ら顔で、コンクリートをみつめながら酒臭い息を吐いているはずであったのに、と思う事がある。 むかしから神様にむかって悪態ばかり吐いているのに、まるで神様が意固地になって破滅させまいとしているかのよーである。 友人どもに言われなくても、わしが一見まともな人間のような顔をして道を歩いているのは、ひたすら、他人に話しても到底信じてもらえるわけにゆかない強力な運の力であって、他には何も理由がない。 (あんなもんにそんなまともなものがあるわけはないが)神様に人格があるとすれば、 余程の偏屈じじいなのであると思われる。 アパートを出て、7thAve をおりていって、イタリア料理屋が外に出しているテーブルに腰掛けてモニとふたりでパスタの朝食を食べた。デカンタのNero d’Avolaは5月のマンハッタンの(飛行機雲でいくつにも区切られた)抜けるような青空の下で、あっというまになくなってしまう。 わしの、ややパンチェッタが多すぎるカルボナーラもおいしかったが、ちょっと味見をさせてもらったモニのボンゴレはもっとおいしい。 見事なアルデンテです。 なんだか、ふたりで幸せになってしまった。 良い天気とおいしい食べ物の組み合わせは人間をとても幸福にする。 ソーホーを抜けて、トライベカに辿り着いたところで、タパスバーでまた広々としたスペースにテーブルを並べている店をみつけたので、洋梨のサングリアとテンプラニーニョを頼んで、アフリカンアメリカンのねーちゃんと3人で世間話をして遊んだ。 ウオール街の裏通りを歩きながら、「テロ日和りだなあ。わしがムスリムの狂信者であったら、こういう日を西洋人へ怒りの鉄槌をくだす日として選ぶであろう」と呟いて、モニに怒られました。 マリアンヌも松明をろうそくにもちかえて、わしのお尻に鑞を垂らしてお仕置きをしようと考えるかも知らん。 スタテン島へ行くフェリーはファイナンシャルディストリクトを抜けた少し先のど派手なターミナルから出ている。 わしが朝からデースイしてフェリーのベンチで寝転がって寝ていた頃はまだ、煤けた、うらびれたビルだったのを憶えているが、いつのまにかモダンにカッコヨクなってしまった。 現代的でかっこよいものの常としてなんとなくケーハクだが、そのくらいは我慢しなければなりません。 なにしろ、タダだからな。 遠くに自由の女神が逆光のなかに立っている。 小さくて寂しげです。 これが観光船ならば、皆、息をのんで女神像を見つめるところだが、スタテンフェリーは通勤船なので、わしの目の前では(一年生なのでしょう)NYUのでかいにーちゃんが床にバカでかい本を落っことしたまま、涎を流しながら眠っておる。 その隣では、アフリカンアメリカンのねーちゃんが、緊張した面持ちで経営学の本を読んでいます。 … Continue reading

Posted in アメリカ, gamayauber | 3 Comments