トゥルルッ、 トゥルルッ、トゥルッタッタ!

週末の夜のリンカーンセンターは嫌いではない。
着飾ったひとびともいれば、ジーンズにTシャツのひともいるアメリカらしい雑多な身なりのひとびとが、午後8時少し前になると、ゆっくりとリンカーンセンターのほうへ動いてゆきます。
あるひとはニューヨークフィルのコンサートへ、あるいはオペラ(多分、今日はリゴレットだと思う)の会場へ笑いさざめきながら消えてゆく。
アメリカンバレーシアターは、ドンキホーテをやっているのだと思うが、モニとわしの今日のお目当てはブレヒトの戯曲をもとにしたバレーを中心にすえて変わった試みをしている「ニューヨーク・シティ・バレー」

わしはニューヨークやシドニーにいるときも、欧州にいるときと同じようにオペラやバレーにはよく出かける。
ブログに書いて「陶酔した」なんちてもイモいだけなので書かないが。
簡単にいえば、昼間のまだ太陽が高いうちからイーストビレッジやサリーヒルズで酒を飲んで遊んでいるのではないときには、劇場の椅子に腰掛けて、身なりのよい年寄りたちに囲まれながら、まるでお行儀がよい人のように、周りの気取ったクソ会話に我慢しながら、開演を待っている。
不思議なくらい気息があって、ひとびとがなんだか話すのがくたびれた、とでもいう風情になったころ、オーケストラボックスから「ぷおおおおー、ぱおおおー」という「あの音」が聞こえ始めて、あの素晴らしい一瞬の沈黙がある。
緞帳があがる。
メヌエット。

ラベルのLe tombeau de Couperin
http://www.youtube.com/watch?v=j9qxygpFTos

は、わしの好きなチューンであって、もうそれでわしはすっかり嬉しくなってしまう。
今夜のオーケストラは、ちょっと音が重いが、まあ、やむをえないとゆわねばならない。

8人づつ組んだダンサーたちが、軽々とスピンし、跳躍し、びっくりするようなしなやかな曲線を身体で描いて見せて、バレーの夜独特の軽い、うっとりするような興奮のなかに連れて行ってくれる。

いちど幕が下りて、すぐにあがると、ピアニストとバイオリン(おっ、Delmoniだ!)が舞台の端で演奏をはじめるところです。
ピアノの脇に、男と女のダンサーが鍵盤を覗き込みながらたっている。
演奏が始まると、うっとりした様子で聴き入っている。
まるで音楽が好きな一対の天使が地上に舞い降りて人間の音楽に耳を傾けている、とでもいうようである。

途中で、顔をみあわせて「踊ろう」とうなづきあって、まるで大きな翼を広げた天使たちが舞い飛ぶように踊り始める。
もう、その頃になると、劇場は息を潜めて、呼吸するのも苦しいような気の詰めよう。
Delmoniおっちゃんの、ブルドッグみたいに垂れ下がったほっぺたがバイオリンを弾くにつれてプルプルするのも眼にはいらなくなります(^^)

そこからあとは観客にとっても一場の夢の世界であって、ブレヒトが書いて、(わしの記憶が間違っていなければ)W.H.Audenが英語に訳した
The Seven Deadly Sins
の古めかしくはあるがブレヒトらしいテーマの物語に笑ったり、しんみりしたりしている。

最後はワルツだった。
森のなかの群舞に始まって、さまざまな時代のウイーンの舞踏会のワルツをみせてゆく。
ワルツは、(きっと、ボールルームダンシングに夢中な、じゅん爺などはよく知っているに違いないが)、かっこよく踊るのが最も難しいステップです。
躍動感のないワルツくらい世の中でダサイものはない。
えー、あんなん簡単じゃん、というひとは、それは舞踏会というものに行かないひとであるに違いない。
もっとも勇気が必要なダンスです。

(あたりまえだが)プロのダンサーたちのワルツは、すごい。
どう言えばいいか判らないが、「流線型」のステップと身のこなしで、拍でゆえばいもいはずのワルツのリズムが、ブレーキーなリズムに軽く勝っている。

クラブで若い衆の輪のまんなかで踊るダンスガキと、たとえば19世紀のウィーンの腐れ貴族とでは遊びというものに賭ける根性も時間も桁が4つ異なるので、当然とゆえば当然。

歴史をいきつもどりつする、どのワルツの光景にもその優美に観客は息をのんでいたが、とりわけハプスブルクの夜会を模した衣装には、おおきなどよめきが洩れていた。
みなが、その豪華と優美にうちのめされたような声にならない声をだしてうめいてさえいる。
隣のおばちゃんたちふたりが、「やはり欧州は素晴らしいわ!」と、よくわからない感嘆の声(^^)をもらしていたが、そりゃそーですよ、おばちゃん、これがヨーロッパの最後の狂い咲きだったんだからな。

今年は、マンハッタンではロシアンボールもどこにも行かない。
わしはもうツバメのシッポ服には、あんまり興味がない。
タックスも食傷である。
次に興味があらわれるのは、多分、およそ(クソジジイになる)50歳頃、すなわち、20年余のあとになるであろうと思われる。
ああいうものをちゃんとやろうと緊張するにはトシなのよ。
遠い未来に再びあれに馴染むときは気軽にほいほいとやれる亀仙人の境地を待たねばならない。
それまでも必要なとき、年に二回くらいはやるであろうが、義務行動だのい。
閲兵式のようなものである。
給料でないけど。

リンカーンセンターから出て、セントラルパークを夾んで反対側にあるモニのアパートまで、小さな月に照らされたタイムワーナービルを見上げながら歩いて帰った。
13歳くらいの女の子がふたり、付き添いの大人もなしに、わしらのすぐ前、最前列のいちばんよいところでバレーを観ていたので、わしは、あれは誰ぞオーケストラのひとかなにかの娘だろーか、というと、「わたしもニューヨークにいるときは、よく同じアパートの子と見に行ったぞ」とモニがいうので、そーですか、と考えました。
きみたちの親はしつけというものを、どう心得ておるのだ、と思ったが大陸欧州人に意見するなどは狐石に説教するよりも甲斐がないことなので、文句をゆわずにワルツをくちずさみながら、帰った。

モニのアパートの玄関番のにーちゃんの前で、ワルツでダンサーたちがみせた素晴らしいスピンをいっぱつ決めて、大受けに受けました。

(次の日、ひねった足の拇が痛くて死んだ)

画像は、わしのイタリア料理屋における「標準的食後の甘いもん」
リモンチェロにカントチーニ・コン・ヴィン・サント。
食べるたびに「イタリア人は賢い」としみじみ思います

This entry was posted in アメリカ, gamayauber. Bookmark the permalink.

コメントをここに書いてね書いてね

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s