膠着語の週末


メトロポリタンミュージアムは金曜日の午後がいちばん良い。
午後5時頃になると、教師に引率された高校生の集団や観光客達も潮がひくようにいなくなって、おおきな美術館の建物のそこここに「静かな場所」が生まれます。

美術館は夜の9時まで開いているので、モニとわしは、グランドホールの上にあるバーでプロセコを飲みながらのんびりする。
ここはワインも意外なくらい良いリストがあります。
何よりも室内楽カルテットの奏者がうまいのがよい。
テーブルや椅子が安物なのが残念だが、給仕のひとびともよく気がつく陽気なひとたちが多くて、明や清の素晴らしい大皿に囲まれたこの回廊を取り巻いたバーにいると、なにがなし明るい気持ちになる。

プロセコを飲んで、オリーブをつまみながらワインを4杯お代わりして、すっかり良い気持ちになってから美術館を少しだけ散歩した。
いつもはメトロポリタンミュージアムに来るのに「お目当て」などないが、今日は、見たいものがあってきた。
去年自殺したアレキサンダー・マックイーン
http://www.afpbb.com/article/entertainment/fashion/2694247/5305966
の特別展示があったからで、これを観ないですませるわけにはいかなかった。

モニとわしのように、あの素晴らしいデザインの才能を惜しむ人がたくさんいたのでしょう。もう人が少なくなった館内であるのに長い行列が出来ていたが、内緒な理由によって、モニとわしは脇からいれてもらいます。
日本の大鎧の「おどし」にヒントを得たドレスや有名な革のコレクションにもみとれてしまうが、赤いサテンのドレスが並んでいるコーナーでは、わしとモニにしか判らない特殊な理由によって涙が出てきてしまった。

モニとわしは、たくさんの人が流れてゆくなかで、壁際に立って、彼のつくった美しい造形をしばらく観ていた。
死んだ天才デザイナーとの別れを惜しみました。

ほんとうはアップタウンのモニのアパートで週末をすごすはずだったが、モニがビレッジに行こう、というのでタクシーを止めてビレッジに行った。
モニが「ビレッジに行こう」とゆったのは、むろん、わしの気持ちを見て取ってのことです。
タクシーの運転手はアフリカ人で、86丁目からバンクストリートに向かう間中、自分は合衆国についたばかりで、自分にとって、この国の自由がいかに素晴らしいか話してくれる。
わしは、この国の人間でないのよ、と言おうと思ったが、なんだかそれも余計なことのように思われて、ああ、それはよかったですね、という程度の曖昧な返事に終始する。
降りてから、あの運転手はきっと、生まれたときから自由に恵まれた、自由の価値がわからない愚か者のアメリカ人め、と思ったことだろう、と考えました。

ロングフェローの有名な詩に因んで名前を付けられたレストランで、わしはカルボナーラを食べ、うさぎのパテでパンをかじりながら、ラムのローストを食べた。
このレストランに来る度に、この国をつくっている精神のことをおもいだす。
モニが「ガメは、このレストランにいるときはアクセントが少し違うよーだ」と揶揄かっておる。
自分ではそのつもりはないが、ありえないことではない。
若い国で「戦の詩」の伝統をもったのは合衆国くらいのものかもしれません。
それがこの国の誇りの根幹をなし、どんなときでも低く流れる基調底音をつくって、何人が命を失っても銃の保持を絶対にやめない、「アメリカ」というものをつくって、
ヒラリー・クリントンの口を借りて
「You can’t defeat us」
というローマ人のような言葉を吐かせるのに違いない。

One if by land, two if by sea;
And I on the opposite shore will be,
Ready to ride and spread the alarm
Through every Middlesex, village and farm,
For the country folk to be up and to arm.

自由のために

日本にいたときに書いたブログ記事
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/20/hurdy-gurdy-man/

を読むと、去年はまだ何ヶ月か日本にいて、どら焼きが不味かったことをしみじみ考えたり、ラーメンという食べ物はやっぱりおいしくない、と思っていたりしたのが、なんとなく絵空事のように思われる。
日本に「5年間11回の大遠征」をしたのは、実は、わしの12代くらい前の架空な国の十全老人であって、わしはその老成皇帝の記憶をたどっているだけなのではあるまいか。

わしは、あの後、南半球根拠地のオークランドに引き揚げ、クライストチャーチの地震で右往左往し、何度も何度も北と南を航空機で往復した。
終いにはヘリコプターでぶんぶん飛び回ることになった。

日本語ツイッタを通じて日本の報道人はなんで邪魔ばかりするのだ、というと
「災害はたかだかショーなのだから、くだらないことを言うな」という人や、はては
あんとに庵というひとの友達が、「どこに邪魔をしているやつが中国人や韓国人でないという証拠がある」と言ってきたりしていたのだった。
こういうくだらない人間達がやってくる元はいつも同じ人間たちのグループであって、げんなりするが、日本では無責任に言葉を弄ぶのがもっとも面白い遊びということになっているようなので、それも仕方がないのかもしれない。
あれで、本人たちは「善意のひと」のつもりなのでもある。

そうこうしているうちに、テレビには、到底現実とは思えない光景が映ることになった。
https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/03/13/1885/

あの、やすやすと広大な地域を破壊しながらすすむ水の映像と、カウチに腰掛けて、あっというまに蒼白な顔になって、涙をいっぱいに目にためていたモニの姿が忘れられない。

すぐに連合王国と合衆国の友達から「あそこにはGEのおんぼろ原子炉があるはずだ」というメールがやってきた。
ほんとうのことを言ってしまえば核分裂ベースの原子力というクソ古くさい技術を頭からケーベツしていて、日頃興味も関心も殆どなかったわしには、事態の重大性がちゃんとは判っていなかった。

しかし、わしに判っていなくても、津波の映像が流れたその日に核融合屋のPが書いてきたとおり、「100%確実に」メルトダウンは起こり、「社会からからみついて離れない姿がみえない死の影のような汚染」は起こっていたので、わしはいまでもそのことをほんとうには気持ちのうえで認められないでいる。
W先生がいた頃には日本にいたこともあるPは、「日本人たちの借り物然とした –それゆえ傲慢でもある– 劣悪な技術思想では、この先事態がコントロール出来るわけがない」とも書いてきたが、日本が大好きである(いいとしこいて、ドラゴンボールが座右の書ですから)くせに、日本の原子力技術を「世界サイテー」と大学でも公言してはばからなかったPは、しかし、もんじゅ、浜岡、フクシマ、とあれだけ言ったではないか、という悔しさのほうが先に立つのでしょう。
もっと加勢してやればよかった。

わしは日本の用事は終わったことにして、「日本」ごと後ろに置き去りにしてきてしまった。ひどい言い方をすればケースボックスはもう棚にしまわれていて
その箱の横には「既決」と殴り書きしてあるのです。

つながりと言えば、このブログには本人の希望により一度も登場しない従兄弟とせっかくおぼえた日本語を忘れたくないというケチなりに一心な考えで細々と続けているこのブログだけである。
それも、いままで、2ch住人の襲来で二回、それよりも遙かに大規模であった「はてな世界住民」の大襲来で二回、だっけ?あとよくおぼえてない理由で何回もアカウント削除したり閉鎖したりして記事がどっかいってしまったり、画像がふっとんでしまったり、ついでにいまだにときどき来る「死ね」(IPみたら福島の人やん。自分の健康を心配したほうがええんちゃうか)「日本語をつかうな」(あんたより日本語が上手でわるかった)というコメント、というようなことを考えると、いつまで続くかわからない。
従兄弟がすすめるように、一部大学世界だけに限る、とかに変更するべきなのかもしれません。

それでも日本語は維持できるやん。

日本語のギアがはいって、膠着語特有の、どこまでいっても事象と事象のつながりがねばりついてとれない頭が動き始めると、「日本はこれから、どうなるのだろう?」と考えて不安になる。
考えてみれば「不安」になる理由は何もないわけで、滑稽なことです。
この「不安」は、きっと日本語の語彙の奥に沈殿している日本人たちの祖先のつぶやきであるわけで、思えば、わしは日本語にギアをいれるたびに、ここまで営々と「日本」という国を築いてきた死人(しびと)の声を聴いていることになる。

いま日本で起こっている事態は日本の人が考えているのとは異なってチェルノブルとは根本的に異質な事態と思う。
急激で小規模な爆発が高空に吹き上げられたチェルノブルに対してフクシマは、遙かにゆっくり、しかし、遙かに大規模で大量の放射性物資が水と地表に流れ出してゆくと思われる。
日本は一個の巨大な「人間の身体がどこまで放射性物質の蓄積に耐えられるか」ということを調べるための実験場と化してしまった。
まだ誰にもわかっていない低放射線長期被曝を見守って疫学者、放射線研究者や原子力学者は興味津々である様子を隠せないようだ。

被曝について、ただひとつだけ人類が確かな資料ともっている高放射線被曝についての資料が言うまでもなくナガサキとヒロシマの被爆者を長期にわたって観察した結果蓄積されたものであることを考えると、なんだか、やりきれない気がします。

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2 Responses to 膠着語の週末

  1. 愚かな日本人 says:

    こんにちは。
    最近、このブログを知りまして、拝見させていただいています。

    >2ch住人の襲来で二回、それよりも遙かに大規模であった「はてな世界住民」の大襲来で二回、だっけ?

    それはご苦労様でした(というのは、目下の方への言葉遣いですかね・・・)。いや、お疲れ様でした。耐えられない場合には、従兄弟さんがおっしゃるように、IP規制した方が良いかもしれませんね。(まあ、私も見れなくなりますから、その点は残念ですが)

    日本人でも炎上する訳ですから、ガメさんのように真実の一面を直接的な書き方でされてしまうと、なかなか標準的な器の日本人ではキャパシティを超えてしまうのではないかと思います。まあ、それを許容できない日本人が狭量なのだ、と言えばそうなのですが。

    個人的に思うのは、絶対的な神と一対一で向かい合うことを言語という最もありふれた道具に組み込み、無意識的に自立した個が問われてしまう構造の欧米では、「考える(知性を持っている)」ということが当たり前なのかも知れませんが、日本人の場合は、たゆたって生きている人がほとんどですから、なるべくしてなっているという事です。ちょっと気の利く人はすでに退路を確保してると思いますし。

    もっとも、第2次世界大戦で、日本の正義はアメリカの正義に負けました。その結果、日本の正義は空想上の産物になりました(憲法9条にせよ、TVや漫画にせよ、です)。世の中を真剣に考える正義、地に足の付いた正義は日本からほとんど消えました。日本人は自分の正当性は許してもらえませんでしたので、精神の拠り所をフィクションに求め、それを信仰しましたが、それゆえ経済は成功しました。しかし、IT革命と大震災が起こり、すでに空洞化していた日本のフィクション構造は文字通り絵空事であることが明らかになりました。・・・というのは私の説ですが。

    ただ、IT革命と大震災で日本人の個々の欺瞞性と正義の見直しは進んでいると思います。このブログに襲来した2ちゃんねらやはてなーも、「正義」を欲しているのだと思います。正直なところ、西洋の方も欺瞞性の見直しが甘いかな、と思うところがありますが、まあ、まだ世界はあなたたちのものだし、必要があれば見直すでしょうし、人の心配をする前に日本人である私は己の心配をすべきでしょうね(笑)

    結局の所、万物は流転し、盛者は必衰するのが自然であり、自ら然りと言っている以上、逆らえない気がします。個人的には、あまり日本語はロジカルでないので信用してませんが、そこに含まれる漢字の意味はあの中国人が作ったので信頼してます(笑)

    • 愚かな日本人さま

      >盛者は必衰するのが自然であり

      西洋人が盛者だったのは1919年までですがな。なにゆーてまんねん。
      わしらはあらゆる人種民族の知恵をあわせるべ、と思っていまのマルチカルチュラル社会に賭けておる。

      賢いひとのようであるのに、おくれてるんちゃうか、と思います。
      でもオモロイコメントであった。
      さんきゅ

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