日本語インターネットという洞窟


ひさしぶりに、英語の資料をつくるのに、わしに対する巧妙な悪口が書いてあるあちこちのサイトを覗こうと思って、「はてな」の「あのんど」とかいうページに自分についての知恵の限りをつくして書かれた悪口を読んで、悲しくなってしまった。

わしのことを心理の技芸をつくしたやりかたで貶めようとしている文章を読んだから「悲しい」のではありません。前には、同じページやAPEMANというひとのわしに対する勇み立った攻撃ぶりを見て、実は腹を抱えて笑っていた。
ゆっては悪いと思うから、黙っていただけで、冗談も皮肉も通じない、子供のようにナイーブな、そのくせ意地だけは徹底的に悪い、バカの見本のようなひとびとだとおかしがって、英語友達にはよく紹介していた。
彼らの幼稚な頭では、なぜわしが腹を抱えて笑っていたかは判らないだろうが、2chのスレッドとあわせて、わしの数少ない日本語世界の娯楽だったのです。

悲しくなったのは、ここに見られる日本人の「信じたくないものは皆ウソだということにする」「自分が認めたくない事実が事実であるとうすうす気が付いていても、それをウソだと他人をいいくるめるために異常なほどの知恵をつくす」「相手を傷つける技術に芸術的なくらい長けている」という特徴が、財務において、これからでは到底解決など及びも付かないところまで日本という国の負債を悪化させ、挙げ句の果ては、自分達の預金をすっかり国債として国に供出した結果となり、フクシマの原発がぶっとんでもなお、ゴジラでも長期的には死にかねないゆっくりだが膨大な放射線物質を浴びながら、「きみの無知ゆえに、このくらいの放射線で大騒ぎするのだ」と言い募る、いまの世界中が唖然として、「もうこれ以上は傷ましくて見ていられない」と考えるほどの無知と衆愚の原動力だからです。

このブログを削除したときに、そんなふうに傲慢を極めていれば日本の社会は人為的で巨大な災厄によって早晩ほろびるだろう、とゆったときには、あちこちで、「預言者かよ、おまえは」「ばかばかしい」
と笑声が上がったものだったが、案外はやくそれも現実になってしまった。
皮肉ではなくて、あの頃悪意の限りをつくして、わしを陥れるために共同作業していたひとたちが、今回の大災厄を生き延びたのを祈っています。
あんなドブネズミのような人生を送ったまま死んでしまったのでは、いくらなんでも人間の一生として寂しすぎる。

佐藤亜紀、
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/12/1593/
という小説家のひとが話しかけてきたとき、このひとが小説家であることさえ、わしは知らなかった。もう何の話だったか忘れたが、このひとが突然話しかけてきて、アイコンが、わしのむかしからの分からず屋の友達ブブリキに似ていたので、興味をもった。
ツイートのなかにひとつ「私は虐殺される側の人間だ」というのがあって、これは、おもしろいぞ、と思ったのでした。
神様と語彙の関係などについては、まるで小学生みたいなことを言ってくるので閉口だったが、このひとと日本語で議論すれば、おもしろいことが出来るかも知れない、と考えたのでした。

しかし、それも「シンガポール流線型の独裁」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/09/1512/
というわしが書いたブログを誤読したこのひとが
「人種差別主義者」という、わしが育った世界では決定的な侮蔑の言葉を使ってツイッタを使って、フォロワー(こっちは、ただのバカとしかいいようがないイナゴの半分も知能がないようなひとびとであった)たちと一緒にいっせいに攻撃してきたことによって、失望と軽蔑しか残らないことになった。

そのときに考えたことだが、というか日本人の友達がゆってきたことだが、結局、(日本語インターネットでこのひとと同様の不毛な他人攻撃に終始しているひとびとと同じく)この佐藤亜紀というひとも2chの巨大で姿が見えない悪意と戦ったあげく、一種のPTSDのなかにあって、本人が気が付かないだけで、2chやはてな部落の救いがたい非生産性を再生産しているだけなのではないか、ということでした。

日本語インターネット世界は英語インターネット世界と決定的に異なっている、というよりも、社会のなかで働いているベクトルの向きがまるで逆である、と思う。

英語世界では子供は「何もすることがないなら、せめて他人が楽しい気持ちになるようにしなさい」といわれて育つ。
あるいは、日本人である義理叔父は、遙かなむかし、荒廃しきって「道をあるくなんてとんでもない」とゆわれていたころのマンハッタンで、タクシーに乗って、交差点で止まっていたら、乞食のおっちゃんが近づいてきて窓をたたく。

タクシーの運転手が窓を開けたのが、まず驚きだったそうです。
なんで、そんなことする必要があるんだ、と腹が立った。
あぶないじゃないか。

開けた窓から乞食がクビを突っ込んで、「おい、カネを寄越せよ」という。
運転手が1ドル札を渡すと、「たった1ドルかよ。おまえ、正気かよ」と乞食が悪態をついた。
運転手は、うんざりしたような顔で、「おれもカネがねーんだよ」といって、タクシーを走らせて去った。

義理叔父は、タクシーの運転手が、明らかに、しかもごく自然に乞食を自分と同じ人間と認めていて、どこかしら暖かい感じがする仲間意識のようなものまでもっていてどんな人間でも乞食に落ちる、ということはありうるのだ、と思っている、しかも乞食には他人にカネを要求する権利があると認めている、ということを見て取って、「日本の民主主義は、ほんものになりうるのだろうか」と、それからしばらく考えて苦しんだ、という。

うまく言えないが、インターネットというのは、いかにも仲間なんだから、おれがもっているものはもっていってもいいんだよ、という英語国民が少なくとも理想としてはもっている気分に根ざした文化であって、日本のひとのような「自分はあなたよりもすぐれている」ことが大事な文化とはあいいれないような気がします。

議論も、おのおのが開発したツールやスクリプトの交換も、学会というシステムも、「きみもぼくも同じ人間でしょう」という気分においては同じであって、政治家だから偉い、学者だから、作家だから偉い、ということは起こりえない。たとえば画家というものについて言えば、「画家」というものが社会的なステータスではなくて、そのひとがある絵に対する敬意だけが画家のステータスたりうる。

もちろん英語の世界にも、バカはいる、どころか日本語インターネットの百倍くらいは簡単にいる。
しかし、決定的に違うのは、彼らは自分達が価値のないことをやっていて、誤っていることをまで知っていることであると思う。
学校のイジメということでゆっても、アメリカの高校のイジメはすさまじいなどという生易しいものではないが、イジメる側は、「自分達が邪な側である」というのを常に知っている。
イジメる側の数が増えるにつれて、自分達が正義だと錯覚して、終いには、学校側まで「あなたのお子さんがおかしいのではありませんか」と言い出す、日本特有の救いのないイジメとは性質が180度異なるのです。

ニフティくらいまでしか遡れなかったが、「フォーラム」と呼ばれたもののログを見る限り、「PC通信」の頃の日本のオンライン世界は意外とまともです。
「良心」という編集機能が働いていて、利用者の数が少ないことからくる正当な「仲間意識」もあったようだ。

同じ傾向は原始的なHTMLで記述された、初期のサイト開設時代も続くようだ。
日本語だけで綴られたサイトに大きく「世界へ発信」と書いてあるのは、なんとなく微笑まされてしまうが、それも「かわいい」感じがするだけで、嫌な感じではない。

そうした黎明期の事情がいっぺんするのは「2チャンネル」からで、ここで形成されたものは、ニフティ通信以前の、どころか、慶安時代の農村の理屈の幽霊が復活したような悪意に満ちて、相手にどれだけダメージを与えられるか悪意のわざを競うだけの、極端に非生産的な世界だった。

いまみてみると、こういう「世界でも類例をみない」(ははは)特殊で不毛な「言論」世界が形成されたのは、日本の社会が実は一種の軍隊であって、ちょうど戦争中の内務班が夜の闇に乗じて兵営を徘徊しては徹底的な(日本語の意味での)リンチをくわえて回ったのとおなじで、「セミ」「うぐいすわたり」じみた、自分達が気に入らない相手を集団で痛めつけるだけのために詭弁とすら意識されなくなった詭弁の「定石」が出来てしまったからでした。
そこで日本では「インターネットの言論」は完全に死んでしまった。
インターネットはただのリンチの道具になりさがってしまった。

その結果、社会ごと議論の機能を失って盲目になった日本人たちは、絵に描いたような「衆愚」に陥ってしまった。
一方では、日本という仮想軍隊の「将校」たちであるwe-know-bestたちが、「どうせバカにしか過ぎない衆愚」の国民をひきずりまわした、そのひきずりまわしかたは、今度のフクシマを些細に見ていくだけで、単簡に理解される。
兵隊は常に人間ではありえない。
兵隊というのは「全体の部分」になりさがった個人の総称であって、彼らは「かつて人間であったなんらかの道具」にしかすぎないのだから、こういう顛末は当たり前なのです。

わしは、日本語と他の言語にわけてコンピュータを使っている。
いまこの瞬間に最も優れているハードウエアとソフトウエアはヲタクのわしから見てAppleなので、
両方ともAppleです。

Appleなら、言語なんかどーでもいいじゃん、という人がいるに決まっていて、それはほんとうだが、わしには日本語だけ別のコンピュータにしておきたい理由がある。

インターネット世界の性質が日本語だけいかにも特殊で「異世界」だからです。

わしは、本来縦書きの悲しみや嘲りや微笑や罵りのなかを、今日も泳いでゆく。
しかし、その世界には正直に言えば、どんな日差しも感じられなくて、
「まるで暗い洞窟のなかを泳ぎ回るサンショウウオみたいだ」と思う。

日本語という言語そのものが、この異形で狭小なインターネット世界のせいで、閉塞してしまっていて、息をするのもたいへんな感じがしているのです。

画像は、こねーだの日曜日のパレードの「山車」の上のねーちゃん。
むかし「沢尻エリカ」というひとを調べていてたどりついた「ジュリアナ」となんも違いひんやん、と思いました。ニッカーズはいてるだけマシか。

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4 Responses to 日本語インターネットという洞窟

  1. わしなべ says:

    はじめまして。私も、現在生活している世界では決定的な侮蔑の言葉を用い、ブロック後に現在に至るまでツイッタで事実無根の虚像を繰り返されているひとりです。
    大庭さんは幸せに生きてらっしゃるから、もうこの件については電脳公衆でお話にならない方がいいと思います。・・・と、DMを何度も試みましたができなかったのでコメントを残しました。ご寛恕のほど。
    欧州でのヴァカンス、楽しんでくださいね。

    • わしなべさま、

      >私も、現在生活している世界では決定的な侮蔑の言葉を用い、ブロック後に現在に至るまでツイッタで事実無根の虚像を繰り返されているひとりです。

      わははははは。あのひと他のひとともやっているのか。
      ヘンな奴。
      くやしがると、あることないこと言うもんなあああ。
      わしなべどのはマジメそうなので、さぞかし傷つかれたのでしょうな。

      でも、わしは、彼女が「私は虐殺される側の人間だ」というひと言を書いたということによって、
      ああいう「突撃おばさん」(おばさん、とかゆってはいけないか)がいてもいいや、と思ってます。
      わしのような箸をもつにもトレーニングが必要なひ弱でいたいけなおぼっちゃまにいつまでも集団でイジメ突撃されては困るが、その日がくれば、
      日本にもうすぐやってくるだろう「独裁」に突撃してくれると信じてます。
      しなかったら…また、そのとき考えるわ。

      >、DMを何度も試みましたができなかったのでコメントを残しました。ご寛恕のほど。

      DMって、フォローしてないとできねーんじゃなかったっけ。
      わかんねーけど。

      >欧州でのヴァカンス、楽しんでくださいね

      一応、家の用事なんですけど。
      (ウソ)
      (いやいや、ほんとう)
      (やっぱり、うそ)

  2. わしなべ says:

    ううううん。
    もしお時間がありましたら空メールください。
    お手数かけて申し訳ありません。

    • わしなべさま、

      >もしお時間がありましたら空メールください。

      すんまへんが、メールアカウントはよく知っているひとにしか教えてませんねん。(ごめんね)

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