ちいさな出来事

ひょろひょろと背が高くて分厚い眼鏡をかけている。
頭はナンバーワンカットで少し骨盤をつきだすようにして立っている。

金曜日の午後、広い店内にたくさんあるテーブルがどこも埋まっているところへ、ふらふらふらとはいってきたと思ったら、テーブルのひとつに寄っていってそこに座っていたふたりのおばちゃんに話しかけている。
おばちゃんは、「聞き間違えたんんじゃないよね?」という様子で、ちょっとびっくりした感じで聞き返しています。
一瞬、考えていたが、どうぞ、と言っておる。
ひょろひょろさんは、椅子を少しテーブルから遠くひきだして、正面のライブ演奏に正対して、というのはおばちゃんたちに横顔を向けて腰掛けてしまった。

シャンパンと(チーズと絡めて煎った)ポップコーンの相性が良いというのは、どーゆーことなんだ、とさっきから悩んでいたわしは、悩むのをやめてその風変わりなひとに見入ってしまった。
モニに、「変わったひとだのい」という。
モニもびっくりしてます。

店内に入ったら、テーブルの案内係を待つ、というのはジョーシキです。
案内係のおじちゃんもしくはおばちゃんあるいはおねーさまが気が付いてくれるまで、じっと待つ。
一応、礼儀をわきまえているつもりなら、「すみませえーん」ちゅうような間抜けな声を出して注意をひくのもよろしくない。
ただひたすら黙って待ちます。
そーすると、案内のひとが寄ってきてテーブルにつれていってくれる。
わしのように、「このテーブルじゃ嫌だ」とかぬかすとんでもない客がいないとはゆわれないが、ふつーはおとなしく着席する。

…と、ここまで書いてくだらないことを思い出したので書きとめておくと、日本にいたとき友達に話しても信じてもらえなかったことがひとつあって、有名シェフがやっているようなレストランでは、最上等のテーブルが店内にない、場合がある。
欧州でもアメリカでも同じです。
「あっ、ブッシュ様ですね。お待ちしてました。いつも、ごひいきにしていただいてありがとうございます」
とゆって、案内のねーちんにつれられて店の奥にはいってゆくとそこには秘密の小部屋があって、リフトになっているその小部屋は急速に地下にもぐって、砂漠で死んだ兵士の怨霊や真っ青な顔に血走った目のサダム・フセインが待っていて…ウソです。
もちろん、ウソ、ごめん。
そうではなくて、キッチンのなかに特別にしつらえたテーブルがあるのね。
シェフと話しながら、直截、こーゆーソースとか、ダメ?とお願いしたりしながら料理をつくってもらえる。
流行っておる。

閑話休題。

ひょろひょろした人は極めて異常な行動をとりながら、しかし悠然と椅子に腰掛けている。
次の瞬間、わしが「えっ?」と思ったのは、ウエイトレスがふつーの様子でやってきて、ふつーに注文をとって、ふつーに白ワインを運んできたことでした。
うーむ、と考え込む、たわし。
モニも、不思議そうな顔で見ています。

演奏が終わり、大きな拍手が起きると、ひょろひょろな人とテーブルを共有していたふたりのおばちゃんは帰ることにしたよーだ。
勘定書(ビル)のことをアメリカ方言ではチェックというが、チェック・プリーズでやってきたおにーちゃんに、耳打ちするように何事かやや熱心に説明しているのは、このひょろひょろした人は自分達のテーブルに座っているが、わたしたちの知らない人です、だからこの人のワインを勘定書に含めてもらっては困る、と説明しているのであると思われる。

おばちゃんたちが立ち去ると、次にはもっと不思議なことが起こったのであって、テーブルの案内のねーちゃんが、若い女の二人連れをテーブルに案内してきてしまった。
ここに至って、わしはぶっくらこいちまって声もでない、というか、この謎を解くには魔界の謎解きオタクを召喚せねばならないぞ、と考えた。

しかも、若いねーちゃんふたりづれの気立てがいかにも良さそうなひとは、ひょろひょろのひとに挨拶して、握手しておる。しかしながら、知り合い同士でないことは明瞭で、わしは、うーむ、うーむ、うーむ、と考えた。
全然、状況がわかりひんやん。

ひょろひょろ人は、白ワインを盛大にこかして、グラスが床にたたきつけられて割れたが、彼は顔色ひとつ変えない。
わしは、「あっ」と思う。

次ぎのセッションが始まった演奏の途中で、急にすっくと立ち上がって演奏しているひとびとのすぐそばまで行って仁王立ちになって見ていたが、テーブルに戻ってくるのに、違うテーブルのところへ行ってしまって、わずかにパニくっている。

そのうちに他のテーブルがあいたところで、ウエイトレスが若いねーちゃんのふたりづれのところへ来て、あいたテーブルを指さしながら、あそこに移りますか?と訊いているが、しばらくふたりで話し合っていたねーちゃんたちは、動かないで、そのテーブルにいることにしたよーでした。
わしは、見ていて、ちょっと涙ぐみそうになった。

ひょろひょろ人が来たときのように、また、静かに、だが唐突に席を立って帰ってしまうと、テーブルの上においてあるひょろひょろ人がおいていった勘定をウエイトレスがとりにきた。

実は、このウエイトレスは顔見知りのひとです。
グラスでワインを頼むと、ほんとうはテイスティンググラスに4分の1くらいのはずなのに、なみなみなみと八分目くらいまで注いでくれる親切な人である(^^)
目があったので
「なんだったのか、わからん」という。
ああ、あのひと、とそれが特徴の見るからに人柄が良さそうな明るい目で笑いながら教えてくれます。
「メディケーション、のひとなのよ。毎週、この時間にやってくる」
メディケーションのひと、というのは「治療が必要なひと」という意味です。

わしは念のために「ただの好奇心で訊いただけで、わしらが鬱陶しいと思った、とか、不愉快な思いをした、というわけではないからな」という。
わかってます、とゆって笑っています。

前に話した、義理叔父が遭遇した乞食のおっちゃんとタクシーの運転手にも、ちょっと似たところがあるがアメリカのひとたちは不思議なひとびとであると思う。
欧州ならば、国柄によってやり方が異なってもマネージャーがやってきて、「困ります」と言ってさっさと追っ払ってしまうか、そもそも存在していないように振る舞うか、どちらかです。
ニュージーランドやオーストラリアなら、見るからに憤慨したウエイトレスのねーちんがやってきて、失礼な客に抗議するだろう。
ひょろひょろな人が治療が必要な人か無茶苦茶失礼なだけのひとか、気がつきもしないであろうと思われる。
うまくは言えないが、これほど異なるものをこれほど静かに落ち着いて平常のなかで扱うには、普通に考えるよりも遙かに社会全体の巨大な精神的な健全さと「常識」が必要なことは、わしにすら容易に理解できる。

出来事自体は、ちいさなちいさな出来事だが、こういう小さな出来事のひとつひとつにでくわして、わしはアメリカ合衆国という国が、いまでも、その基底にどれほど健全なところを残しているか、おおげさに言えばカンドーすることがよくあります。
オサマ・ビン・ラディンをぶち殺して、夜更けのトライベッカで狂喜乱舞する群衆は世界中に報道されても、こういうことはニュース番組のヘッドラインにならないので、外国人たちはアメリカ人の、しぶといほどの健全さに気が付かないだけである。

このブログをむかしから読んでいるひとはよく知っているように、わしはもともとはアメリカ人が大嫌いだが、少なくとも敬意だけは、マンハッタンにいるたびに増大してくるもののようです。

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3 Responses to ちいさな出来事

  1. nenagara says:

    何てことない当たり前の出来事、なんでしょうかね。うらやましい。

    • ネナガラどん、

      >何てことない当たり前の出来事、なんでしょうかね。うらやましい。

      ほんまだすな。
      わしも、うらやましい。
      欧州的な冷たさが微塵もない社会だからな。

  2. ブブリキさんま、

    >参考になる。

    元参考人に参考にされてもうた。

    でも、「参考になる」て、アメリカでは他人のテーブルになにげなく座っておれば他人に勘定を払わされる、ということでしょうか。
    (わしも、それはたびたび考える)

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