グラシア暮らし、なんちて



エール・フランスのJFKラウンジのことでごんす。
北大路魯山人のヨーロッパ紀行には実際に欧州をまわってみると世人が言うのとは異なってイギリスの料理が欧州最高であって、日本料理もイギリスの「食の豊かさと深さ」には到底およばない、そこへいくとフランス料理は名前倒れであって、結局世界中の半可通が文明的に浅いフランス料理屋をもてはやした結果虚名ができただけである、と書いてあって、喝破82号をしているのを読んで、な、なんという正しいタニシ親父(注)であろう、とカンドーしてニコニコしていたら、モニに「どうしたんだ、ガメ」とゆわれた。
このひとは、ほら、義理叔父が好きな陶器をつくったりもした日本で初めてのグルメおじさんなんだけど、「やはりフランス料理が世界一で、その味覚の深さにはなんぴともおよばない」と書いてあるみたい、と正直に伝えると、モニが、あたりまえではないか、という顔をして小さく頷いている。
わしはサラダ棚からギッテきたオリーブのペーストとバタとチョコレートペーストとクリームをパンにてんこ盛りにして、むふふふと思いながら食べておる。
と、時はあたかも搭乗時刻10分前、安宅の関は富樫で保つ、わしのiPhone4がぶぶっと鳴って、バルセロナを仕切っているLからメールが到着したと思い給え。
「Urgently」という題は英語として間違っていると思うひともいるだろうが、Lはロシア人だから、これでいーのだ。
前にも書いたようにjosicoはんも近所を歩いてみたというグラシアの丘の上にあるわしのカッチョイイテラスのあるアパートは因業家貸しからなかなか脱却できないわしの吝嗇によって他人に貸してある。
それでモニとわしはバルセロナにいるときは親から継承したホテルやアパートをいっぱい経営しているカタロニア人友達の「すねかじりB」のアパートに泊まることにしているが、そのBがアホちゃいまんねんぶりを発揮して、モニとわしの予約をころっと忘れて、他のカップルと契約してもうたので、どうすればいいだろう、とゆってきたというのであった。
チョコレートクリームを最近また伸ばしておるひげにいっぱいくっつけて、事態の深刻さに真剣な表情をつくるわし。
モニに画面を見せると、モニは「やっぱりBはバカだな」と感心している。

そーゆーわけで、モニとわしはBが所有しているアパートのなかでも最も高級なアパートにただで2週間逗留することになったのです。
「そーゆーわけで」て、なにも訳かいてないやん、と思ったきみ、きみは、ほら、正しいんだけどさ、詮索好きすぎてお友達が出来ない人ておるやん。
あれでしょう。

そんなつまらない経緯、「ふーん、じゃあ奥さんに、あれも、これとかも、あんなんだってばらしちゃいおーかなあー」な、深刻で息詰まるBとの交渉を書いても退屈なだけであると思う。
むかしとった杵柄も、習い憶えたカツアゲの技も、遠い日の記憶になったのお。

夜には懐かしいDiagonalの裏通りを歩いて、この世界のものであるとは絶対に誰にも信じられない4年もののハモン・イベリコとパンコントマテとリオハでモニとふたりでこの世界にやってきたことを歓びあった。
カタロニア人達は、相変わらずぶっきらぼうで親切で、誉められると、身も世もないほど歓んで、ああまたこの天国にも地獄にもいちばん近い町に帰ってきたのだ、と思う。
帰りには雷鳴が鳴り響いて稲妻が空を引き裂く土砂降り天気になったのでタクシーで帰ったが、アパートまで2ブロックというところでモニが「ここで降りて濡れて帰ろう」というので訝しがる気のいいタクシーのおじちゃんに告げて、ずぶ濡れになりながら、ふたりできゃあきゃあ嬉しがって笑いながら帰ってきました。

正面玄関まで辿り着いた。
滝のような雨のなかでモニとわしは抱き合ってキスした。
ずっとずっと抱き合っていて、キスが長いので有名なスペイン人たちを軽く凌駕して圧倒してもうた。

うー、やった。
この町に戻ってきた。

いえい。

エールフランスの添乗員たちはいつも徹底的に親切だが、今回のひとたちも良かった。
食事に出てきたブリーを食べるのにジャムが欲しいんだけど、というと、朝ご飯用のがあるかもしれないから見てくる、という。ちょっと歩いていきかけてから、戻ってきて何のジャムがいいいんだ?と訊くので「アプリコット」というと、「ええええー、ブリーにアプリコットですか。チェリー、とかのほうがええんちゃうの?」という。
「アプリコットがええの」ときっぱりと述べるわし。
釈然としない顔で台所に消えたが、戻ってくると、「よいかね、きみ、今日はきみはすごくラッキーだぜ。ほれ、アプリコット」という。

わしは旅行に出た先で、親切なひとびとと話して暖かい気持になるのが好きです。
前にこのブログで同じ事を書いたら、「そんなのはくだらん」「そんな偽善的なふれあいでよろこぶあなたはバカだと思う」というひとがいっぱいきて驚いたが、わし、あんさんらのような「賢いみなさん」の気持はわかりまひんねん。

たとえばエールフランスの国内線のセキュリティの細かさは狂気の沙汰であって、わしは常時コンピュータを4つにiPadとキンドルをもって歩いているので、当然ケーブル類もたくさんあるが、セキュリティ人たちが右往左往して、ゲートのこっちと向こうをいったりきたりしている。
「すみません、もう一回、お願いします」というので、都合3回もわしもゲートをいったりきたり。

そのうちに、あー、めんどくさい、と思ったのでしょう。
インド系のおやじ係員が「だから、コンピュータ関連品はみなトレイに出してくれ、と言ったじゃないか」という。
わしが、それは、ちょっと失礼だろう、と考えたので。
「コンピュータ本体、とはきみは言ったが、関連品、なんて聞いてないぞ。ふざけた口を利くとそれ相応の反応にあうと思うが、それだけの覚悟を決めてきみは、そういう尊大な事を言うのだな」という。
小さい声のフランス語で「すみません」とかなんとかゆっておる。
「謝りたいときには、わしらの世界ではもっと明瞭に謝るほうがいいとされておる」
「わたしが間違っていた。お詫びします」
「たいへん、結構」とは、こういうときはゆわない決まりになっておる。

小役人のバカタレ親父は罰が悪そうな顔をして出口のところでモニが「ありがとう」というのに「どうも、たいへんありがとうございました」と答えるだけでせいいっぱいのようでした。

そういうことは旅行をしていればたくさんある。
だからとゆって、そんなこと書いても、つまらんやん。
失礼なことをされればきみは失礼であるから謝れ、といい。
エラソーなバカタレにはきみはエラソーなだけでほんとうに偉いわけではないのだと、親切に教えてあげるのでなくてははならないが、それを友人に報告することには意味がない。
くだらねっす。

まして、たかが役人気取りの空港係員に意地悪されたくらいで、「人種差別」だとか言い出すのは頭が、おのが尊大さのために狂っているのだと思います。
なんだかインターネット世界にそーゆーひと、いっぱいいるみたいだけど。
カッコワルイからね。
そんな理屈をもってはいけません。
致命的だからな。

やべー、ガメに怒られちまうべ、とおもって抜き足差し足でやってきたBは、意外にもわしが「誰でも失敗はするのだべし」とゆって、にこにこしているので、すっかり安堵して油断のカツアゲでとんかつになってしまったが、それでも気を取り直して、昼ご飯一緒に食べにいくべ、という。
しつこいようだがjosicoはんも毎日歩いたというブエナビスタ通りのレストランで、3人で食事しました。
ニューヨークの料理は随分おいしくなったなあー、と思っていたが、いざ出かけてみると、iza!のヘンな日本語で書かれた記事、やっぱりグラシアのレストランのほうが全然おいしいやん。

おっ、この鶏料理はうめえー、と緊張したり、ああああー、わしもう溶けちゃうし、とカフェコンレチェと一緒に食べる甘いもんに降参したりする昼ご飯のクライマックスが終わったところでBが「日本の災害のニュースを見たか?」という。
Bがそんなことを言い出したのはBの所に出入りして一緒に働いているウクライナ人のなかにもふたりチェルノブイリの事故で命からがら逃げてきた人間がいるからでしょう。
そのひとりの(ほんとうのイニシャルは違うが)Gは、子供のとき、事実を噂として聞いただけでいきなり仕事も親戚のしがらみも投げ出して「明日は遠くに行くのよ」と言い出した母親を、その頃は「おかあさんが気が狂った」としか思えなかった、という。
チェルノブイリから50キロの町で住んでいるひとびとが動揺しているという噂を聞きつけた政府が「大丈夫だから」とゆっても、Gの母親は父親を説得して、ただひたすら西に向かって逃げた。
「でもさあ、私がいま生きているのって、そのおかげだし」とGがいうので、
「でも、あんまりたくさんは死ななかったんちゃうの?」と無邪気に公式記録を信じていた当時のわしがきょとんとして訊くと、きゃっはっは、と笑って、ガメは甘いのおー、という。
えっ?
みんな死んでしまったのよ、ガメ。原発事故とは関係がない病気でね。
若い人も年をとった人も。
フクシマを見て、お母さん、「日本のひとたちが政府の言うことを信じなければいいけど」と言っていた。
あいつらは、ほんとうに必要なことになるとウソばかりなんだから。
どの国でも同じよ。
アメリカでもフランスでもロシアでも!

Bに、津波が起きたときにはモニとふたりでオークランドの家にいたこと、「のびやかな」という表現を使いたくなるくらい易々と町を破壊する水を見て、怖かったこと、を話した。
Bは、日本人は意外なひとびとであったな、とひとりごちておる。
もうちょっと技術的に落ち着いた性格の民族だとおもっていた。

Bが大陸欧州の知識人ぽい意見をぽいぽいと呟いているあいだじゅう、
わしはテーブルの反対側で、日本語インターネットを通じて最近できた友達からもらった長いメールのことを考えていた。

それはこんなふうに始まるのだ
「歩く範囲であじさいが咲いているのを見かけるようになりました。
赤ちゃんや妊婦さんを見かけると胸が締まるような気持ちになります。
編隊のように並んで押されてくるベビーカーや、
それに収まっているぷくぷくつやつやした赤ちゃん、
人に連れられてちょこちょこ歩く小型犬、
一戸建ての庭で土をいじっている小学校低学年くらいの子ども、
雑貨屋に並べてあるピクニックや運動会用のシート。
それらを見てこんな気分になる日が来ようとは思っていませんでした。
スーパーの牛肉コーナーには半額シールが貼られた
「福島産」表示のパックがいくつかあったし、
正気って一体何なのか分からなくなります」

そしてきみには到底見せるわけにはいかない、切ない物語を通過して、こんなふうに終わる。
「最寄り駅の近くまで来て人込みを目にするたび、
何もかも全部嘘なんじゃないかというような気がします。
一応見ている英語のヘッドラインでは、
E. coliと中東情勢の話題がすっかり優勢になった印象です。
だけど本屋では原発や放射能や危機管理の本が本当に山積みなんです。
先週末の夜中には久々に緊急地震速報が鳴って、私たちは仰天し
テレビやネットで原発情報が出るのを緊張しながら待ち続けました。
この非現実的なくらい悲惨な事態の根や種が、私たちの文化に
ずっと存在し続けていたものなら、あの輝かしい遺産の数々は
いったい何だったのか?と思うこともあります。
分かりません。考えてもしょうがないような気もします。
とりあえず明日のごはんやおやつについて考える方が楽しいです。」

わしは、空港のラウンジに早めに着いたので、日本語でも覗いてみるべ、と思って誤って(あるいは、うっかり)この手紙を読んで、大泣きに泣いてしまってモニに「かっこわるい」と笑われてしまった。

唐突だし、質問の体さえ為していないが、文明とはいったいなんだろうか。
もうただの古くさくて機能しない、骨董品の概念に堕してしまったのだろうか。

いつか神様と和解したら、手紙を書いて、訊いてみたいものだと思いました。

(注:日本が日本に誇る食通、海原雄山のモデル北大路魯山人はタニシの寄生虫で死んだのだとゆわれておる)

This entry was posted in カタロニア. Bookmark the permalink.

2 Responses to グラシア暮らし、なんちて

  1. あめつち says:

    ガメさんこんにちは。
    そうでしたか、今は其処に?
    久々に覗いたらNYではなかったw

    “「よいかね、きみ、今日はきみはすごくラッキーだぜ。ほれ、アプリコット」という。”

    これこれ!
    子供の頃おつかいに出されて、商店のおじさんがお釣りを渡す時に、「はい、20万円」とニッコリ笑うような懐かしさ。
    旅先では特に、「君はついてるな」と気分上げてくれる言葉は幸福感に満たされて私も好きです。

    ここを開いていきなりのハモーンにまたやられました。
    写真見てるだけなのに生唾が…

  2. あめつちどん、

    >久々に覗いたらNYではなかったw

    なんか、いつでも、どこかにいっちゃって、ふらふらしてるのよねえ。
    なんなんでしょう。

    >ここを開いていきなりのハモーンにまたやられました。

    この店、おいしいのよ。
    脂肪が舌の上でするすると溶けて、妙味、という言葉を思い出します。

コメントをここに書いてね書いてね

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s