風をつかむ


増殖炉型原子力発電所もんじゅのバカバカしいほどの危なさについては、20年前でもデザインの余りのひどさがW先生を慕って、その頃核融合研究の最先端校のひとつであった名古屋大学に世界中から集まってきていた外国人研究者たちと元トーダイの義理叔父たちが酒を飲むときの肴の笑い話になっていたというから、余程まえから知れ渡っていたのである。
ずっとあと、それから約16年後になって、他文化を征服すべく、乾隆帝、あるいは謎の怪人ナゾーに倣って起草した偉大な十全遠征計画の一貫として日本に愛馬「ラバーダッキーIX世」とやってきたわしは、まだ「もんじゅ」が動いている、というか動かないで壊れている、というかの状態であることを知って死ぬほどびっくりしました。
日本という国家が自分の国民を守るために行う祭祀的ロシアンルーレットの一種なのだろうと考えて納得しましたが、5年間11回に及んだ断続的な滞在のあいだ、もんじゅは爆発しないのに経済を始め、何もかもあんまりうまくいってないのを観察して、国家的呪術においては後期平成朝よりも平安朝のほうが発達していたよーだ、という感想をもった。

そうこうしているうちに浜岡という所にある原子力発電所が地震断層の畔に立っているのを発見して、国家的ブラックジョークなのだろうか、と思ったりしたこともあったが、もともとダサイ技術にしか過ぎない遅滞化核分裂技術になど何の興味もない上に、わしからみるといくら興味があるといっても外国の事にしかすぎないという無意識的な気持もあったのでしょう、朝ご飯のチョコレートトースト用に正しいチョコレートの購入やレース用自転車の修理や島宇宙をつなぐ関数理論やモニの身体が立てる正体が判らないが何だか気が遠くなるようないい匂いや、そういうことどもが入り乱れて乱雑に進行している日常のなかの、どうでもいいやな未決箱に放り込まれたままになってしまった。

ところがオークランドのラミュエラというところにある家のテレビがあるほうのラウンジでモニとふたりで並んでカウチに腰掛けてテレビを見ていたら50インチの画面いっぱいに、なんだか伸びやかで健全な感じがする、したがって神様の冷酷さをそのまま映像化したような感じがする津波の映像を見て、青ざめてしまったのは前にこのブログにも書いた。
厄災は「もんじゅ」でも浜岡でもない方角から、しかしもっとべっとりと絡みついてくるようなやりきれないやり方でやってきたのでした。

日本では、ひとの噂も七十五日というが、それは真に本当であって、ここまでずっと眺めていると事故後すぐに日本政府が「フクシマの原発で大厄災が起きてしまった。これは人類が経験したことがない事態になるのがもう判っているが、青森から東京に至広範囲の人間を退避させるだけのオカネが、もうこの国にはないのです。政府は、あなたがたを助けてあげられない。だから、どうか、みなさんが各自の判断との能力で、西の地方にいる親戚を頼って、あるいはお友達に依頼して逃げて下さい。自分の一身を救済してください」と言えば発揮できたかも知れない日本人の国民としての跳躍力も、バネが壊れたように失われてしまった。
政府としては最も恐れていた国民が大パニックを起こして世界に国としての恥をさらすという事態は免れた。
結局、原子力の輸出でこれからも稼いでいかねばならない合衆国やフランスやロシア(イタリアの友人すべりひゆがフクシマ事故の後のサルコジの第一声が「この事故がフランスがいま契約締結をめざすイタリアへの4基の原発売却に悪い影響を与えないように全力をつくす」だったことを一生わすれない、といって怒っていたのを憶えている)を始めとする原子力村の構成員たちは日本政府と日本を起点とする核汚染に目をつむるかわりに日本政府が情報を統制しながら「粛々と」すすめてゆく、国民の被曝耐性に信頼した日本の汚染列島化にお墨付きを与えたかのように見えます。
これを政治というものに照らしてみると、歴史的に国家がいかに個人に対して非情な要求をしても黙々と受け入れてきた日本人というものの性質をうまく利用した日本という国の天才的な(国家としての)天才的な知恵であるということが出来る。

タイミングをうしなって、75日も経ってしまえば、あるいは日本人ではなくても人間には決断に至る魂の跳躍力などもちようがないのかもしれません。
日本のひとびとはひとりひとり分断されて、途方にくれながら、あるときは幼い子供のために逃げたがっている母親に冷笑を向けてみせ、西へ転勤願いを出した同僚の机の脚を蹴り上げて、何事もなかったかのように、自分の心に言い聞かせようとしている。
ときどき、わしは、原子力事故後の日本人は、まるで自分が死んでしまったことを信じられないでいる霊魂のようだ、と思う事がある。
自分の身に文字通り致命的なことが起きてしまったことが信じられなくて、まだ現実を認められずに地上を彷徨う魂魄のようだ。

わしはマンハッタンからやってきた地中海沿岸の小さな町で、なつかしい顔がたくさん暮らしている日本の事を考えている。
インターネットだけで知っている友達も含めて、わしのメーラーの受信箱には、自分達の苦しい気持を述べた長いメールがたくさんはいっている。
わしは、それを何度も何度も読んでみる。
もうどれのメールであっても暗誦できそうです。

遠くから見ているといろいろなことがわかる。
眼前にいまどうしても消さなければならない大火があるのに、それが不可能であるのが判ってきたために、みながそもそも火事が起きた原因について侃々諤々の論争を始めてしまっている。まだ最も危険が差し迫った家が燃えさかっているのに、隣の町にも同じような火事を起こしそうな家がある、いや、あの家は遙かに安全な家が、と罵りあいが始まっている。
ところが目にも見えず、においもなく、音すら聞こえない、人間が発明した火のなかで最も悪質で危険な火は、そうやって議論しているひとびとの上に黒々と横たわっている梁をもう焼きつくそうといしている。
焼け落ちようとしている家のなかでは一億という数を超えるひとびとが悪意と全体を部分に優先させようとしている強い意志、人間を制度の部分とみなそうとする強力な思想的な力によって農家は消費者から、雇用者は被雇用者から、というように限りなく分断されてしまっている。

義理叔父から長い手紙が来て、かーちゃんシスターの、子供たちをひきつれて合衆国に帰ったアメリカ人の知り合いが、東北の町に住む日本人の夫と二ヶ月に及ぶ長い接点がひとつもない言い争いのあとで、とうとう離婚することに決まったそうでした。
わしは、他にもさまざまな局面で日本社会に住むひとりひとりの生活を破壊してゆくフクシマ事故の様相を報告する義理叔父の手紙を繰り返し読みながら、唇をかみしめてみるが、どんなに考えても、個人のレベルですら、「フクシマへの無関心」を決めこうとしているように見えるこの世界で出来ることに実効性を認められない。

こうやって誰にも聞こえない日本語を書き連ねて、暗然とした気持になるくらいのことしか、ほんとうに自分にやれていることはないのではないか、と思ってしまうのです。

寄付も、働きかけも、なんだか風のなかで腕をむなしくぐるぐるまわしている人のようだ。
そう考えると、やりきれない気がしてしまうのです。

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2 Responses to 風をつかむ

  1. とら says:

    ガメさんのブログにコメントするのは2年?ぶり2回目だす。

    >とうとう離婚することに決まった
    他人事でないです(^^;)
    「接点がひとつもない」、わかるなあ、きっとあちこちで「どうしてこの人と『家族』でいられたんだろう」って愕然としてる人がたくさんいると思います。それでもそういう絶望はたいしたことない、ってふりして暮らしてかなきゃならない人がほとんどだろうけど。

    不謹慎だけど、原発がコケたんじゃなくて全部吹っ飛んで有無を言わさず強制避難、だったら家族がひとつになってこれからの生き方を考えられていたかもしれないですね。

    低放射線(今のとこは)長期被曝について考えようとすると、家にいるもう一人の人が突然為政者人格に切り替わって、「そんなこと言ってる奴がいるから復興が遅れるんだ」ですもん。なんでしょ、天下を論じるのが好きな人が多いって、どこの国でも同じなんですかね?無駄に高揚感のみを与える歴史小説がもてはやされすぎたせいなんじゃ(^^;)

    あ~ごめんなさい、あまりにも自分の身に起きていることに近すぎて、支離滅裂になっちゃいました。

    ガメさんをスペインで照らしている太陽はここの太陽と同じなのかな。
    梅雨入りしたけどお天気が続いていて、おひさまを見上げてはそんなこと考えてます。

    • モニに、いま帰ってきて見つけたとらさんの「また鼻血がとまらない。今日も救急かな。気味が悪いのはこないだ行ったときに、何人かの人が同じ状態で運ばれてきていたということ。」というツイートの話をして、ふたりで、
      顔をみあわせていたところでした。

      >、原発がコケたんじゃなくて全部吹っ飛んで有無を言わさず強制避難、だったら家族がひとつになってこれからの生き方を考えられていたかもしれない

      ほんとうに! まるで人間の精神に悪意をもって挑戦しているような壊れ方だもの。

      >天下を論じるのが好きな人が多いって、どこの国でも同じなんですかね?

      インドやパキスタンとかも含めてアジア人のひとが特に好きみたいな印象があります。
      自分達の好きなジェラート屋のレパートリーが少ないから、政治の話くらいしか出来ないのではないか、とわしは
      むかしから疑っているの。

      ゲージツや政治の話をしたがるやつはたいてーバカだ、という考えもないもののよーだ。

      >ガメさんをスペインで照らしている太陽はここの太陽と同じなのかな。

      さっき、このアパートに近い広場のバーでモニととらさんのコメントのこの部分を話していた。
      モニも、わしも、声がつまって会話にならなくなってしまいました。

      寂しいのお。

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