夏になった


タピエス・ミュージアムのなかにある図書室に用事があったのででかけた。
グラシアからは、当然のことながら「パッサージュ・ド・グラシア」という文字通りの道を降りて行きます。
途中、一部、脇道に入ったが、それはヴィシ・カタランやカバを飲むためであるにすぎない。
グラシアから昼間バルセロナに降りてくることは滅多にないが、出てきてみると今年は日本の観光客が、というか日本の団塊世代が仰山いてはるので驚きました。
いつものごとく白い上っ張りを着て、いつものごとく上機嫌な、わしがバルセロナにくればいっぺんは立ち寄るバールのおじちゃんに「日本のひとが、いっぱいいるなあ」というと「中国は儲かってるからな」という。
会話があまりに微妙なので、そのあとの接ぎ穂もなく、一瞬で終わってしまった。

カメラを首からぶらさげて、ベストを着ている、というニッポンニッポンした格好の団塊おじちゃんやおばちゃんたちはタピエス美術館にもちゃんといて、大声で話し出したので館内のひとびとはぶっくらこいて見返っていたが、そのうちすぐ静かになって、無口になってバシバシ絵の写真を撮りだしたので、なにがなし、心配な感じで見ていたわしも安心しました。
こういうところで「心配」な感じになるところが、わしと日本のややこしいわだかまりをあらわしておるよーだ。

タピエスというじーちゃんは、無茶苦茶かっこいいじーちゃんであって、たしか86歳くらいだと思うが、禅っぽい画家であるよりも、そのへんのゴミをひょいと拾い上げて、たちまち一定のイメージを喚起する造形をつくりあげる名人であるよりも、モニとわしにとっては、
あくまで「かっこいいじーちゃん」の印象が強いひとです。
白いカンバスの周りを指を鳴らしながら歩き回る有名な癖も、若いときから片方が高くて片方が低い特徴のある眉も、ひたすらかっちょいいうらやましいジジイであると思う。

うらやまジジイの館を出て、モニとふたりで、なんだか暑いのお、と言いながらグラシアの「革命広場」でカバを飲みながら、ふと広場の片隅の薬局の温度計を見たら32.5度であった。
見なければよかった。
ヘンなものを見てしまったので、ますます暑くなってしまった。

ワインを両腕いっぱいに抱えた北欧人と行き会ったので、あついのお、という話をしたり、見る度にだんだんでっかくなってくるレストラン主人のおばちゃんと、やはり道で出会って、このあいだもらったインド・スパニッシュ音楽のCDのお礼を述べたり、暑いので、少し歩いてはへろへろになって、テーブルに座ってカバを飲んで休んでモニに笑われたり、グラシアの道は、なかなか進まない。

まるで南極点に向かうスコット探検隊のよーだ、と莫迦なことを考えました。

Niraj Chag

を聴く度に日本のことを思い出すのはなぜだろう。
きっと、あのひとの声の「やさしい」ところが、日本の何かに似ているのに違いない。
「日本人は『やさしさ』をブームにすることによって、自分達の文化のなかにあったやさしさを殺してしまったんだよ」と義理叔父はゆっていたが、そういうこともあるのだろうか。

わしが行ってみたころの日本はすでに、悪い方で言えば、なんだかぎくしゃくした、プライドばかり高いような国になっていて、第一、日本のひと同士お互いに見栄が邪魔になってくたびれはててしまっているような奇妙な社会だった。
そういうことから自由だったのは、このあいだも書いた中学高校も「ゆーめい校」を出たトーダイおじさんたちくらいのもので、日本では「学歴」というものはひとがいうよりも重いものに思われた。

なんだか、ベンキョーで人生が決まる国なんてやだな。
いっそ、50メートルのかけっこで人生が決まるほうがよいような気がする。

ウインストン・チャーチルというひとは日本で言えば赤尾敏がいちばん似ていそうな右翼キチガイ親父のようなひとであったが、しかし、赤尾先生と断然異なるのは演説が途方もなく上手であったことだった。
特に誰が見ても勝つわけねーじゃん、なナチス・ドイツとの孤独な戦争のあいだじゅう、イギリス人たちは、「もうダメだべ」と思いながらそれでも暖炉の横の背の高いラジオのそばに家族で集まって、あの眠そうな、酔っ払ってるみたいな、ものうげな声の演説を聴く度に「まだ、もしかしたらやれるかもしれない」と自分で自分をだますのにかろうじて成功して、明日もなんとかすっぺ、とつぶやきながら寝床に向かったものだった。

このチャーチルというひとは、ベンキョーが全然できないひとで、同級生の背後からそっと忍び寄ってプールに突き落としたりするのは得意だったが、ほぼ犬でも入れたオックスフォードやケンブリッジというような友達がみな進む学校へはどうしても合格できなくて、3年くらい「浪人」していたはずである。
浪人、といっっても、この当時の連合王国の入学試験は、「はい、お手」「ロール・オーバー」
はい、よく出来ましたねー、合格です、
というような程度のものであったから、勉強ができなかったのではなくて、勉強がものすごくできなかったのであると思われる。
弁護の余地がないくらい勉強が出来ないのが判明したので、両親は情実だけで合否が決まる士官学校に入学させて放射線の基準値を超えたお茶を濁すことにしたが、
学校のほうでは、一応、ラテン語だけはなんとか判るようにしておいてね、ということであった。

ところが、おそるべし、若いウインストンはラテン語をいくらにらんでもひとことも判らないので、白紙のままの答案を前にして、ついには居眠りをしてしまいます。
「そのときの、憐れみに満ちた試験官の顔を私は一生忘れない」と彼は書いておる。
合格、したんだけどね。
大西洋の向こうのダン・クエールみたい、というか、ブッシュみたい、というか。

長じては彼は右翼政治家になった。
第一次世界大戦前後にあっては、世界一好戦的なおっさんとして有名だった。
あんなもんを海軍大臣にしちって、とゆわれた。
国が滅びてまうやん。

ところがナチスが攻めてくるということになって、連合王国の国民は、ほぼ一致してウインストン・チャーチルを首相に選びます。
「あれしか、おらん」ということになった。
キチガイにはキチガイを、とゆってみたいところだが、そうではない。
こーゆー非常のときはオベンキョーが出来るやつはあかんねん、と国民が熟知していた、というべきである。

見込みのない戦争の、その最も希望がない苛烈な局面で、チャーチルは頼まれもせんのに健気に耐乏生活を続ける国民の精神的支えとなりながら、美食に耽り、朝っぱらからバスタブにつかってシャンパンを開けながら、戦争についての報告書類を読んで処理していった。
このどうしようもないキチガイおやじが、連合王国最大の戦力であったことを知らないナチスドイツの将校はひとりもいなかったでしょう。

やっぱりベンキョーで人生が決まる国は滅びるよな。
いっそ、ホットドッグの早食い競争で決めたらどうか。

バルセロナは、もう夏になった。
ほんまの夏はもっと暑いんだけどね。
33度とか、わしには、もう夏でんがな。
夏の太陽の母上が照りつけて、カバを飲んでもバカを食べても、暑くてやっておれんので、やはり来週には移動したい。
義理叔父は日本語で話しているときには「あのひともエルファなのよ」と不明なことを言うことがあるが、これは従兄弟とわしと義理叔父にのみ通じる隠語であって、スペイン語ではEl Faroだがカタロニア語ではEl Farという。
灯台のことね。
だから東大というダジャレなんです。
バカみてえ。

「緑の道」を歩いて、散歩に出よう。
テラスからものうげに通りを眺めている禿頭のおっちゃんや、洗濯物の向こうから手をふっているおばちゃんや、サッカーのボールを蹴り損なって犬にぶつけて、追いかけられてびっくりして泣きながら走っている子供、「ここに座ってもいい?」というなりモニとわしが座っているテーブルの椅子に返事も待たずに腰掛けて、猛然とタバコを吸いながらけたたましい声で話しだした途端、モニに「向こうへ行きなさい!」と怒られて、慌てて立ち上がって、つまづいてこけているふたりづれの女の大学生。

ボーイフレンドと抱き合ってキスしたまま動かない主人の横でじっと座って主人を見上げながらひたすら耐えている犬さん、
そういうことどもがいつも渦巻いている広場で、のんびり休もう。
狭い舗道を犬さんのウンチを避けながら歩いて、手をつないで、ときどきキスもする。
あの陽光がきらめいている午後の町にでていこう。

大好きなひとと手をつないで

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One Response to 夏になった

  1. あめつち says:

    ガメさんこんにちは。
    もう10年以上前、始めての一人旅がスペインで、
    何故ゆえにかは色々理由はあったけど、
    ともかく1週間だけ行きました。
    目的はセビリアにあったので、マドリードに着きそこから徐々に南下の予定が、日本を発ってからの悪天候などで、着いたのはバルセロナでした。
    予定外に戸惑ったけど、せっかくだからガウディさんとグエルさんの所に行き、後はランブラス通りも時間が潰せるぞと教えてもらい、(時間はなかったのだけど)キョロキョロてくてくした懐かしい思い出が。

    スペインは若い女子衆は元気ありますね?(笑)
    その気候の様で眩しかった。

    ともかく、東京暮らしに慣れた自分には、
    スペイン語も分からず、不便と共にかけがえのない旅でした。楽しかったし、また行きたい。

    私達は日々電気を垂れ流してる。
    外国に出てみて、なんてすごい(ある意味)国だろうと感じました。停電はない、24h営業は飲み屋にとどまらず…夜中に昼間の生活が普通に出来るのだから。

    ヨーロッパでは次々と原発廃止が決まって行く中、
    ここ日本にも両論あって対立してますが、
    我が国においてはまずその前に、この垂れ流し生活について一人一人が考えてみないと、原発いい、悪いなんてお話にならないなと私は思ってます。
    先人のしてきた後始末、ケジメも同様に。

    お二人共 体調に気をつけてくださいね。
    また移動するかもみたいな箇所を読み、足跡残しました。ではまた!スタコラサッサ…

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