ふりかえってみると


このブログを書き始めてからもう5年になる。
ということは、残り2つのブログも5年、あと2つのブログも3年になるということであって、いくら文章を書くのが速い(なにしろ何語で書くのでも何も考えないで書いておるからな)とはいっても我ながらご苦労さんなことである。その他に、(これが文章量としては最も多い)非公開フォーラムをひとつ抱えていて、モニと24時間一緒にいるといっても隙さえあれば、というのはモニが眠っているあいだや絵を描いているときにiPadをちらと盗み見し、PCを開けて、こそこそとブログを書く。

素面のあいだは、自分で考えてもあんまし自信がない言語と向き合っていて、酔っ払ってくるとだんだんなんとかなっていそうなほうの言語に移動する。
この手順を怠るとたとえばモスクワのにーちゃんに「頼むから、恋文みたいな気色の悪い言葉でわしが書いたものをほめないでね。ゲイかとおもったやん」とかゆわれて、がっくりすることになります。

そんなことばかりやっていてもものを書く遊びに使うのは一日に平均すれば2時間もいかないでしょう。わしは昔からなにしろ何も考えなしにえらい勢いでキーボードを叩きまくる(とゆってもやけを起こしてキーボードを殴りつけているわけではないのよ)ので、CPUの処理速度がものを書くという行動の限定要因になっているのではないかとよくからかわれる。

たったいまはモンゴルと中国の文化からやってきた大才Sa Dingdingが大音響でかかっているが、The Motelsのこともあれば、マリア・カラスのこともあります。
音楽をかけないで何かを書くということはない。
往々にして自分でも歌いながら書いているのでモニがいつも呆れはてた、という顔をしてみてます。
旅先であっても、4台はコンピュータをもっているので、テーブルの上に他のコンピュータも広げて、ツイッタに答えたり、フォーラムで話したり、スカイプで「ぎゃはは」と笑いながら、この日本語ブログを書いていたりするので、モニさんは、どうやら狂人と結婚したと思って人生を儚んでいるようだ。

そんなことばかりやっているうちに、ブログを始めたばかりのときはわしひとりで野良犬のようにやっていた冷菜凍死業もいまは5つの街に「カイシャ」があって、一緒に働いているねーちんやおいちゃんたちも○十人という単位になっている。
自分と共に働く人間の数など少ないほうがいいに決まっているので、絞りに絞るが、どうしても増えてしまう。
まるで出来の悪い政府の役所のようです。
ショーバイのような下品な話をここでしても仕方がないが、わしは不景気下でショーバイをすすめてゆくのが好きなようだ。
ブログを読んでいるひとは知っているわけだが、わしの冷菜凍死は不動産の購入というコンサーバティブがちがちの投資から零細技術系会社という冒険の極みとのあいだにグラディエーションになったポートフォリオが年がら年中変化することともうひとつ読んで判るひとは気が付いたはずの無茶苦茶先進的(じぶんでゆっていれば世話はないが)かつサンスー的な投資の二本立てで出来ている。
あんまり書いても退屈なだけだろうから書かないが、駐車場のビルひとつつくるのでも、ただ作って貸しました、というような事業をやるとわしの会社ではクビになります。
なぜ、それをローン貸与化してカウンシルに話をしなかった、とゆってわしに顔を真っ赤にして怒られることになる。
アホか、あんたは。
そんなくだらないことがやりたいのなら駅前で不動産会社でもやればいいではないか、わしは退屈な人間が嫌いなのだ。

ははは、エラソー。

ブログを書き始めてからいままでの最大の変化は、言うまでもなく、モニと結婚したことだった。
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/01/07/モニと一緒にいるということ/
「あのおおお、結婚していたただけないでしょうか、あの、いや、つまり、Will you marry me?」というチョーマヌケな求婚によって結婚したわしは、しかし、この結婚によって現実とは思えないくらい幸福な生活を送ることになった。
これも、ちゃんと気が付く人は気が付いていて他人の目というものの機能に驚いたが、モニとわしが相変わらずノーマッドのように暮らしているのは、モニとわしが大好きな家をもっと見つけて、ふたりで、あるいは(どちらでも良いとわしは思っているが)ちびモニやちびガメがこの世に出現するならば、ちびモニやちびガメも、遙かな彼方まで続くmeadowやたおやかな波が打ち寄せる浜辺、あるいは超高層のビルが空を覆っている喧噪の街の空中に、オモロイ、リラックス出来る家をみつけて、回遊魚のように回遊して暮らすためである。

この日本語ブログにも書いたが、わしはモニをモニがチビのときから思いも掛けないことで知っていた。
あの冬のサンフランシスコの午後に、オレンジ色のコートに身を包んだ、目が覚めるような金髪と緑色の瞳の生意気な(しかし、いくら否定してもこの世のものでないほど美しい)ガキは、その後も、里見八犬伝なのかね、これは、と思いたくなるような誰にも到底現実とは信じられない偶然によってわしのガキ一生に断続的に現れたが、ふりかえると、よおーし、言ってしまえ、初めから結婚することが決まっていたような気もしてしまうのです。

聞いて怒り出されると困るが、わしはモニの横に座っているだけで嬉しい。
なんとなく、幸せである。
そういうことを言う人はアホだと決まっているが、でも、ほんとうなものは仕方がない。
日本語インターネット上の行動においても夙に指摘されておるとおり、わしは極めて短気であって、人間関係というものをどう思っておるのだ、とむかしから指弾されておる。

なんとも思ってねーんだよ。
わしは友達なんか欲しくねーもん。
味方、なんか、もっと要らん。

ひとりでいるのが好きなんです。
昨日までの友達がなんらかの理由で全部敵になっても、全部なぎ倒して、一瞬にして粛清して、恬淡としているタイプの人間なんです。
友情がなんぼのもんじゃい。

その割には現実の生活においては、5歳くらいから友達が増えてゆくだけで、いなくなってへんやん、という身の回りからの鋭い意見もあるが、そーゆーのは、きみね、人徳というの。
わしは人徳大師なので、友達が変わらないのです。
ほんとうは人間は成長するにつれて友達が自然にいれかわらないといけないんだけどね。
どうもわしが人生は停滞を極めておるようだ。
…話がヘンな方角に来て道に迷ってしまった。

人間の社会というものはオモロイものであって、ジッと眺めていると、悪い人間は悪い人間と次第につるんでゆき、くだらない人間はくだらない人間と善良な人間は善良な人間と、だんだんにくっついてゆく。
これは冷菜凍死のような通常「カットスロート」なショーバイということになっているギョーカイでも同じです。
良い人間同士は良い人間同士、無明な人間は無明な人間同士、面白いような自然の法則によって集団が形成されてゆく。

しかしながら、わしは例外であるよーだ。
むかしから無茶苦茶を絵に描いたようなクソガキであって、12歳のときにはすでにデブPというクソ友達とふたりでクルマを運転して小川に飛び込むわ、あまつさえブルーマックスを見てコーフンして、農家の格納庫にあった複葉機に乗って生涯初飛行に成功したものの、ふたりとも着陸の方法を知らないのを発見して、いまの世に写真に残って伝えられておる(撮影者とーちゃん)、詳しいことは教えてあげないがオモロすぎる着陸をしてみたり、ろくでもない、という言葉を絵に描いたようなガキであった。

長じてもいろいろにとんでもないガキだったが国民がなべて優等生で「通報しました」社会の日本語で、この先を書くバカはいない。

今年くらいになっておぼろげになって判ってきたが、そーゆー超人的なバカタレを、周りに魂の集団の壁をつくって、ひたすら守ってくれたのが、わしが友人どもだったよーだ。
あんまし認めたくはないが、どんなに粗悪な魂でもラッキーな場合には善良な魂が存在をかけて守ってくれる。
守られているうちに粗悪な魂が品質向上する、ということもなくはなし。

ここで書く気はしない大きなことではなくても、パリで迷子になっているときに、かーちゃんがいるホテルに送り届けてくれた「マリ」のおばちゃんや、カシノで一文なしになって、連合王国に帰る航空券すら買えなくなって、もうどうなったっていいのさ、と思って、カシノのクラブではただと決まっているワインをがぶ飲みしてカウチに寝転がってふてくされていたら、「ほら、お前のもの思いにペニー!」とゆって、1000ドルチップを何枚か乱暴に投げて寄越してくれた高級娼婦のP、いやそんな例よりも、わしが無軌道どころかデビッド・ボウイのスペースオディセイなみに軌道を完全に外れて、イーストビレッジやヘルズキッチンの裏通りのもののけのような暮らしをしていた頃に、
文字通り自分の全存在を賭けてわしを救い出したモニの魂、というようなものに、ようやっと助け出されて、わしはここにいる。

振り返ると、人間の一生などはただの運であって、他には何もないもののよーだ。
それは人間の一生における厳然たる事実なので、ある人が人生において幸福になるか不幸になるかは本人の努力による、などというのは主に最近の新教徒のあいだに流布されておる妄想です。
いくら努力したって無駄なのよ。

ではあるが、運にしかすぎないにしても、わしが友人の大半には読めない言葉で感謝の言葉をしるしておくことには、わし自身にとっては、あるいは、人間の世界とは別立ての価値の世界においては意味がないこととばかりは言えないであろう。
口にだしたことはないが、わしが、いつも知っていた、とゆえばわしが友人諸君は驚くだろうか。
あのひとたち語学的能力に欠けるから、どうせ読めないけどね。
サーバの隅っこに書いておくといたそう。

ありがとう。
わしが、ここにいるのはあなたがたのおかげである。

(ははは、ゆってもうた)

(だせー)

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