コメントのご返信でがんす:あきらめることは、とてもかっこわるい


敬愛するジュラどん、

>ブログが公開すぐに読めたからいいことにします。

舞い上がりました。喜びのビクトリー・バク転をしたいところであるが、このアパートでやるとクビが折れるのでやめておきます。

>「subtle」という言葉にゆき当たり、ガメさんのいる英語の世界ではこれって一体どういう意味なんだろう
意味どころか、これとunderstatementの習慣が英語文化へのドアの鍵ですねん。(えらそー、だが)
たとえば、
You are welcome.
というひとことを
「どういたしまして」
「あなたが大好きなんです」
「二度とくるな、バカ」
「あなたのような人間を軽蔑します」
「いいってことよ」
「あなたがこの世界にいなければ、わたしはどうすればいいでしょう」
めんどくさいから、もうやめるが、何百という意味に分けて、しかもそれが正確に違わず相手に伝わるところが subtleを尊ぶ文化のよいところです。
氷のように冷たい
You are welcome.
を聞いたことがあるひとなら、それがいかに恐ろしい文化であるかも知っているはずである。

恋人に別れを告げられて、スペインの人は抱き合って泣くが、連合王国人の女のひとは、
「All right」とひとことつぶやいて、恋人を見送った夜、自分の部屋で毒を仰いで死んでしまったりする。
ちゃんとした教育を受けたひとなら、受け入れられない別れに直面しても、涙ひとつこぼさないでしょう。

そのひとことをつぶやくときのほんの少し陰る目の光も「 subtle」の文化にいれてもよい。

もっとチョーくだらない例でいうと、皮のコートなら皮のコートでブランドマークがついていたりするヘンタイなコートを着たりするのはもちろん論外で、まったく同じようなコートを着たひとと並んで、あっ、あのひとコノリーのコートを着てるんだな、と比較の結果によって、ようやく了解されるのでなければ見栄っ張りなのではなくて、バカなのだと思われる。

会話でも「Wasn’t very subtle, was it?」なんちて、よく使います。

>大事なことって、特に派手でも劇的でもない、日常のすき間や言葉の間のようなところに、ふっと落ちている

まことにそのとおりであって、ジュラさんはやはり賢すぎてくろうするタイプなのが忍ばれるのい。対あつかいするわけではないが優さんと似ておる。

たとえば履き物を脱いで一段高いところにあがってから家にはいってゆく手順を見落として日本の文化を考えるのは危険ですらある。
同じようにヒップホップガキどもが金曜日の広場でヒップホップに倦んでフラメンコのあの精妙な手拍子と一緒に歌って遊ぶ事を知らないでスペインのことを考えても仕方がないところがある。
文字や勉強で伝わるのは、どんなに精巧でも梗概なのよね。
おっしゃるとおりでごんす。

>人込みの中にこっそり交じっていて、視界の端を通り過ぎる、人間ではない者たちのように。…会ったことはないんですけど。

夕方の鎌倉の道を歩いていると、「ありゃ、いますれちがった人、人間じゃなかったな」と思う事がある。
振り返ると、向こうも振り返って、にっこり微笑う、その様子がいかにも、「おや、あなたにはわかるの?」という具合で、親愛がこもっておる。おもろい町だったと思います。

>地震後ときどき東北の日本酒を買うようになりました。お米と水が原料であることを考え、これがもう最後かもしれない、

ちくそー、ばかやろー、と思うよね。
たかがクソ電気のために日本はかけがえのない東北文化まで失ってしまった。
TEPCOや政府のお話を総合してこの秋以降日本が無事に住める国だと思う人間は、当の日本人以外にはいないでしょう。

わしも、地下水脈のことを考えると、もう浦霞はおろか、八海山も、久保田も少なくとも自分の判断では飲めひんやん、と思うと、ぶ、ぶわっかやろーと思う。

>あれー、楽しい話がしたかったんだけどなぁ。

ジュラさんの神様とガメ神が談合して、今日はマジメな話をするべ、ということになったのでしょう。
今度、楽しい話、しようね。

Chiroさん、

>同じように好きで時々口ずさんでしまうのが 国歌ではないけれど The Internationale ですわ

そりゃ、チロさんの世代のひとにとっての「戦友」、ここはお国の何百里だから、そーだろー。
シノハラというひとだったか、日本の建築家のひとの研究室では製図の徹夜が三日目くらいになると、誰かが自然と「インターナショナル」を歌い始めて、それが研究室中の広がって、最後は大合唱になったものだった、という話を聞いて、おもしれー、60年代の日本の大学の雰囲気がわかるのおー、と思ったことがあります。

でも、わしはインターナショナル、ってわかんねーよ、ちゅうか、ええーと、あれのことか?というくらいの知識しかない、と言いながら、いまインターネットで見たら岩田宏の「立て万国の白痴ども」というのは実はインターナショナルの歌詞だったのだな、驚いた。

いま、カリフォルニアなの?

みりんどん、

>いやはや、MacBook Air買ってしまいました。

わしはずっと使っているのでセンパイであーる!
によって、MacBook Airの使い方を教えてしんぜよう。

1)料理のときに菜切り包丁として重宝である。
SSDにしたのは、このためだったのか、すごい、とAppleの設計思想に感動します。

2)節電日本の夏にはパッと開いて、扇子代わりに顔を仰いで使えまする。

3)公園に行ったときにフリスビー代わりにつかって遊べます

4)コンピュータとしても使用可能

>夜風にあたるのは気持ちがいいのは変わらない。

丁度、日本の友達から、「夜テラスに出て被曝して涼むにはちょうど良い季節になりました」というやけくそなような、いっそゲージツ的なようなメールが来てました。
なんちゆえばいいかわからん。

>初Mac Performaの時代に戻りたいと今だけ言ってみます。
義理叔父は、Performa互換機、っちゅうヘンなもんもってますねん。
韓国のひとがつくったんやて。
稀覯PCなんだぞ、とえばってました。

コマツナさま、

>ほんとうに、20代の若者なのですか?

ほんとうは、齢1600年に及ぶ教会の台座の亀の化身なのです。
テーレウーやアテネの門前で、琴を抱えて破滅を予言して処刑された盲人の生まれ変わりなのだともゆわれている。

>お年を召した粋な日本のおじいさまがガメさんという姿を
借りて書いていらっしゃるのかと思うほどでした。

光栄だっちゃ。ほんとうは藤原俊頼の怨霊だったりしないかのお。
そしたら無茶苦茶クールやのに。

>何かがきっかけで、ネット世界でつらい思いをなさったようで、
残念ですし、また悲しいです。

遊んでるだけなんちゃう?という指摘もあるよーだ。

>日本語とも縁を切ろうと決意しようとしておられるのでしょうか。

そりゃ、いつかはやめます。
モニが、早くやめなさい、といつもゆっておる。
なんだか、漢字とひらがなが混ざった見た目が嫌いなもののよーだ。

>どうぞ、お元気でお幸せに。

ある日、このブログを開いたら、わしの姿が画面から抜け出して、ぶおっと部屋にあらわれて、にっかり笑って手をふったら、「あっ、ガメが死んだのだな」と思ってくだされよ。

あめつちどん(夏になった、のほうね)

>始めての一人旅がスペイン

かっけえー。

>目的はセビリア

いきなり無茶苦茶なところに行きますな。

>ガウディさんとグエルさんの所に行き

グエル公園の南に広がっているのが、わしがいまいるグラシアの町です。

>楽しかったし、また行きたい。

二三ヶ月いるのに丁度良い街でんねん。
カタロニア人は日本のひとと似ているところがたくさんあるから楽しいと思う。

>私達は日々電気を垂れ流してる。

わし自身は電灯とか嫌いなので、あんまり電気使わないが、そんなふうに考える必要あるのかなああー、と思います。
ニュージーランドは水力発電しかないが、みんなで無茶苦茶な電気の使いかたをします。

節電、なんかするよりも、みなで考えなしにどんどん使って、供給量越えて停電になったら、
「げっ、とまっちゃったやん」とゆって、暗い部屋で出来ることをするのがよいと思う。
人口が増えてしまうかもしれないが。

>ヨーロッパでは次々と原発廃止が決まって行く中、
ここ日本にも両論あって対立してますが、

欧州人はもともとは原発でええやんのほうが実は多い。
フクシマみて、「げっ、原子力って、火を消す方法がないんやん。やべー」と思って大慌てで「反対!反対!ハンターイ!」になったひとのほうがおおいでしょう。
日本のおかげで命びろい、と思っているひと多い。

ponpokoさん、

>今ちょっと仕事の関係でポルトガル語を勉強している

日本中にあるブラジルカフェ(地方では週末だけやってるところもあるよーだ)に行って、遊んでいると自然に話せるんちゃうやろか。
名前忘れたけど、なかにチョコレートや挽肉やチーズやなんかをいれて揚げるパイ、おいしいねんで。
アサイのジュースもうめっす。

>ブラジルに行くのでポルトガル語なわけですが、スペイン語のほうが
世界的には有利だとは残念でした・・・。

わしなどは、テキトーなので、ポルトガル語とスペイン語とイタリア語って、同じ言葉みたいもんやん、とい思います。ひとによってはダメなひともいて、加減が広東語とマンダリンに似ているが、ポルトガル語とスペイン語でふつーに通じるひともたくさんいてはります。
イタリア語とスペイン語は、そのまんま会話できます。
片方がイタリア語で話してもう片方がスペイン語で返事している、なんちゅうのはふつーですねん。
ガリシア語というスペインの方言は、ポルトガル語です。

だから、どれでも同じこってすねん。
英語やフランス語は、偏狭な発展を遂げたので、そういう恩恵が得られなくてアホらしいのお、といつも思う。
スペイン語できたら、もうそれでええんちゃうやろか。
英語とかフランス語とか出来ても、あんまりオモロイやつおらんのだ、ともゆわれている。
カンガルーと結婚した場合とかは、あの国は英語しか通じねえ国なので、英語が必要ですが。

尊敬する、おとらさま、

やれやれ、やっととらさんのところまで辿り着いた。

>秋には日本に行ってみようか

ガメは目を離すと無茶苦茶をする、という誤解が蔓延しているので、わしはいまや自分自身について主権をもっておりませぬ。ワインを飲み過ぎたりして「日本に行ってみたいなあー」というと、
モニさんがまず「絶対ダメ」という。
妹もかーちゃんも実際の航空券の手配をする秘書ひしょも「絶対ダメ」というので、わしが真に決意した場合はだいたいシンガポールくらいから泳いでいくくらいしか方法が残されておらないよーだ。

このあいだも「関西空港で降りて、鯛飯食べてくるくらいだったら、いいかもしれないなあー」とゆってみたら、皆に完全に黙殺されて怖かった。

だから、どーせ未来永劫、行けねっす。
でも心配してくれて、ありがとがんした。

>もう、勇気とか責任なんてどうでもいいや。

おとらさんのいうことは、悲しすぎて困る。
とら、じゅら、ゆうの3人は、すげえー知性の持ち主だが、読んでいると、ティッシュペーパーの箱を探して部屋中を駆け回らなければならなくなるので、まことに困ります。

知能が高い、というのは一般に人間が生き残るには不利な条件だが、とらさんのように更に知能が高い生き物は自滅したがるので、困ったものです。
とらさんが口にしないまま抱えている絶望は誰にも共有できないものだが、あきらめる、のは頭の良い人間の悪癖だと自分に言い聞かせて、ここはちょと下品に生き延びる努力をしてみようと思うこともときには大切なようにおもいます。

あきらめることは、とてもかっこわるい。
あきらめなければ、せめて、あとではそのかっこわるさが判るだろうと盲信して、
起きてから寝るまでしつこく自分を防御して暮らしてくださることを希望します。

画像は、「INDIGNADES」と掲げたバルセロナの下町のアパートメント。(字がちっこく感じられる場合はダブルクリックすると大きくなります)INDIGNADESはカタロニア語で、英語のindignantと同じ。「激しい怒り」「不正義に対する怒り」という意味だのん。大陸欧州人は社会的に不正と感じられることがあるたびに、いつもこうやってあらゆる手をつくして自分の怒りを表明してきた。
彼らの文化的伝統と思います

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