Monthly Archives: July 2011

La Carte s’il vous plaît

1  モニと結婚する前は、フランスを旅行する、というと昼食はトラックの運転手さんたちが集まるところで摂る、と決まっていた。 街道のあちこちにあるこういう定食屋は、おいしいし、安いからです。 日本でゆえばでっかいポテトサラダみたいなのとかサラミが10枚くらい載っていてマヨネーズさんがかかっているみたいな前菜、本家なのだから当たり前だが、これはこんなうまい食べ物だったけかと思うほどおいしいフレンチフライがごしゃまんと脇に積まれたビーフステーキ、何種類でも自分で勝手に切り取って食べればよいチーズ、赤ワイン500ml、それにクランブルレと珈琲がついて10€、というのが相場であった。 そういう謂わばフランス式定食屋神田食堂が至る所にあるのがフランスという国のもうひとつの良い所でクルマでどこからどこへ移動しても、お腹がすいたところでテキトーに昼飯を食べて、夜はまたテキトーによさそうな食堂にはいって、部屋が食堂についていれば、そこで泊まればよい。 気楽なもんです。 モニというひとは、しかし、そういう場所に一緒に行くとはなはだしく場違いなひとで、 食堂に一歩はいるなり、食堂のおばちゃんたちは、し、しまった非現実的なものを見てしまった、という顔になり、トラックの運転手さんたちは、怯えた表情を浮かべて顔をひきつらせている。 別にモニさんが目を燐のように輝かせて口から紅蓮の炎をはきだしているわけではありません。 やや現実味を欠いているほどの美人であるモニが店にはいってきてしまったので、店のなかが皆「どーしよー」という空気になっているだけである。 その後ろから、義理叔父にゆわせると「極楽のトンボでも怒り出すくらい気楽そうな」わしがはいってゆくと、冗談ではなくて、いっせいに安堵の空気がもれる。 よ、よかった、人間のお供が一緒ではないか、おまけになんだかへらへらしていてちょっとバカそーだし、と思うもののようである。 パリの郊外で週末を過ごすことに成ったので、モニとわしはモニかーちゃんご一行さまよりひと足はやく移動することにした。 途中、お腹がすいてきたので、「お昼ご飯、どーしよー」とモニに訊くと、 トラック食堂に行こう、という。 えええええー、と思ったが、ひさしぶりでもあるし、ま、いいか、ということにした。 最後にこの手の定食屋に来てからだいぶん時間が経ってはいるが、いまでも全然おんなじです。 狭い店内にはトラックの運転手さんたちがひしめいていて、テーブルはみな相席で満員である。 メニューは相変わらずほぼ上記のごとき内容で、しかも2年は経っているのにまだ10€である。 おばちゃんたちは初めモニに話しかけるときには「おっかなびっくり」という表現がぴったりの様子だったが、モニというひとは平明なひとなので、ひと言ふた言言葉を交わしただけで、安心するばかりか嬉しくなってしまったようでした。 おばちゃんたちが忙しいのに、なにくれとなく気をつかってくれるので昼食は楽しいものだった。 前菜を食べ終わったくらいのところで、ふたりの大学生がはいってきて、モニとわしのテーブルの隣でトラックおじちゃんと相席をすることになった。 なにしろ狭い店内なのでモニが椅子を動かして道をあけてやると、大学生ふたりは、大恐縮して、盛んにお礼をいっておる。 ふたりとも身なりのよい、気持のよい青年である。 向かいで炭酸水ボドアをちびちび飲んでいたおっちゃんが、ふたりの青年に向かって、話かけ始める。 自分はクルマを運搬する途中でここに寄ったのだが、今日は天気もいいし、道も空いているし、いい日でした。 ふたりの青年は、返事をしません。 失礼にしている、というのでは全然ない。 ごく自然に返事をしない。 片方の大学生はおじちゃんの顔を見ているが、もう片方に至ってはおじちゃんの座っている「方角」を見ているだけで、まるで横から見ていると、あたかもトラックおじちゃんは亡霊であって、青年には見えていないもののごとくである。 おじちゃんは、相変わらず機嫌よく話しかけているが、とうとう勘定をすませて立ってゆくまで、このふたりの青年は、メニューに載っている食べ物の相談やこれから出かける先の森についてお互いのあいだだけで会話するだけで、トラックおじちゃんにはひと言も話しかけるとか返答する、というようなことはなくて終わってしまった。 あまつさえ、おじちゃんは「では、ご機嫌よう、気をつけて旅をしてくださいね」と挨拶をしていったが、別にこのふたりは挨拶を返すというのでもない。 わしは、フランスだのお、と見ていて思います。 フランス人の習慣では、別にこのふたりはおっちゃんに対してケーベツ的な態度をとっていたわけではない。 「話をする場面ではない」から話さなかっただけです。 日本では「身分ちがい」というような事を聞くと、幸せにも、みながその時代錯誤な語彙にふきだしてしまうが、フランスではいまでも「身分違い」という事が厳然とある。 身分が下のものは、身分が上のものに話しかけたりしないことになっておる。 おっちゃんが盛んに話しかける失礼はとがめないとして、このふたりがおっちゃんに返事をする理由はなにもないので、ふたりは、まるで自分達に見えていない幽霊と相席しているかのような態度にみえたのでした。 だから何よ、とゆわれても困る。 ずっとずっと大陸欧州にすんでいる日本のひとから来たメールのなかに、フランス社会の「身分」について触れているところがあって、それは殊更にフランス社会に厳しい身分の区別があることを嘆いている、ということでは無論なくて、話の一環として、単純に身分について触れていて、こんなに長いあいだ住んでいるのに、どうもいまだによーわからん、と書いてあったのでしたが、読んでいたわしは、そーか、このひとも欧州に長く住みすぎて、到頭、そんなところまで見ちゃったのか、と考えたので、自分で考えてみるヒントとして定食屋で見たことを日本語で書いてみよう、と思っただけである。 … Continue reading

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食物図鑑 その8 グラシア篇

バルセロナという町は、スペインの一部であることを全身で嫌がっているような町です。 わしのアパートがあるグラシアという、元は独立した町であっていまはバルセロナの一部ということになっている町は、特にそういう気分が強いよーだ。 路地の奥に分け入ってゆくようなレストランに行くと、スペイン語すら書いてなくてカタロニア語だけだったりする。 わしはカタロニア語はパーリンプッだが、メニューだけは読めるのはそういう理由によっている。 むかしは、イノシシを頼んだつもりであったのに、なんだかわけがわからねえ内臓のホルモン焼きがでてきて、ははは、おもしれえー、これだから他国での食事はやめられん、と呟いて泣きながら食べたものだったが、最近は、ちゃんと何を自分で注文しているのか判っているのだから偉人であるとゆえる。 カタロニアと言えば、むろん、パン・アム・トマカ、スペイン語に翻訳すればパン・コン・トマテです。 生活の基本であるとゆってもよい。 何をオーバーなと思ったきみ、そーではないのよ。 食べ物を軽視するすべての思想はケーハクな思想である、なんちて。 いやいや「思想」とかゆっておると食べ物がまずくなるからやめておくべ。 知らない人のために述べておくと、パン・コン・トマテとゆーのは、上の写真のごとくパンに、 1 まず生ニンニクのクローブをすりすりする。 2 その後にトマトを切った断面をすりすりする。 という厳粛な手順を経て出来る食べ物で、同じスペインでも、異なる地方へ行くと、 輪切りのトマトをのっけてみたり、もっと言語道断なことには全くニンニクをすりすりしていない「パン・コン・トマテ」まであるが、マンハッタンの人気「バルセロナ・タパス・バー」で出している、オリーブをすったのや、ドライトマトをオリーブオイルにつけたのや、いろいろな「ソース」がついてくる「パン・コン・トマテ」と同じくらい大邪道である。 (因みに、あの9th Aveのタパスバーのシェフは、あろうことか、バルセロナのおっちゃんなので、「こんなん出していーとおもっとるのか」とゆったら、「おれが決めたんじゃなくて、あそこにいるカリフォルニア出身のクソ女が決めたんだもん」と言い逃れしておった。いまは悔いて、わしの姿を見る度に作る料理の量を二倍するので、ついに神の許しを得たよーだが) バルセロナに行って不平たらたら、「あんな酷いところは初めてだ」というのは、だいたい世界的なイナカモノであるアメリカ人であって、日本のオーサカやトーキョーから来たひとは概ね「バルセロナ大好き」になって帰るもののよーである。 それは何故かとゆーと、簡単で、バルセロナ自体、小さいとゆえど都会だからです。 「食べ物の写真が出ているレストランは不味いに決まっておる」 「外国語が4カ国語も並んだメニューの店で、おいしいかもしれない、と思うのは頭がどうかしている」 という常識にオーサカ人やトーキョー人は馴染んでいるが、テキサス人は、 「まあー、この写真、綺麗でおいしそう。おまけに英語も通じるんだわ」とかっちゅうんで、いきなりはまりまくる。 スペインちゆえば、どこでも「ハモン」に決まっておる。 ハモンは、いちばん高いハモン・イベリコを奮発することに決めてしまえば、相当ええ加減なところにはいっても、おいしいす。 たとえば「Mas」のようなチェーン店でもよいと思われる。 (しかし、マスの数ある支店のなかでもディアグノルのモールの地下にあるやつがいちばんおいしいけどな) 切り方がおおざっぱにゆって、うすううううく、うすううううく切る切り方と、小判状に切る切り方がある。 わしはうすうううういオカモト式のほうが好きです。 装着感がない。 (嘘。ほんとうはデュプレックスですけど) わしは、人間が質実剛健簡素剛勇に出来ているので、普段たべるものは、ウエボス・コン・パタタス(イモの卵焼きのせ)とかです。 わし、この食べ物、好きなんだよ。 1€のテーブルワインと、これがあれば、手もなく幸せになってしまうので、いつもモニに「なんという安上がりのダンちゃんだろう」と笑われておる。 あるいはクロケタス。 イタリアのは日本と同じでイモだが、スペインではコロッケは中身はクリームとチキンやハムです。 わしはむかしはクロケタスがほぼ病的に好きであって、朝ご飯の蜂蜜を表面に塗ったクロワサンと一緒に必ずクロケタスを3つつけてもらったりしていたが、最近は、モニと一緒にいるときには「臭いから注文してはいけません」と厳命されている、アトゥン(ツナ)のパイに変えるときもある。 ガイドブックを見ると、バルセロナは、タパスがおいしい、なんちておるが、カタロニア人にゆわせれば、そーゆー表現はただしくない。 タパスて、ただ「小さい皿」て意味だからな、と力説します。 そんなの意味ないよ。 … Continue reading

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パンと水と長距離走者の孤独

自分でもやらないことなので、実際にやってはいけないが、このブログを遡ってゆくと、初期の頃のブログには「生きてゆくのに必要なものほど高い」東京の生活にぶっくらこいている文章がたくさんあります。 日本にやってきたばかりのときは、そもそも物価全体がダントツで世界一だったが、わしがどひゃあああ、と思ったのは、それよりもその高い物価の構成のなかでも「必要なもの」ほど高い事だった。 いまでは日本の20年に及ぶド低迷のせいで、欧州のほうが物価が高くなってしまった、どころか、公表される数字に目をつぶった実感としてはたとえばシドニーでの生活は東京よりもオカネがかかるようになってしまったが、それでも、「ああーカネがねー。 今日の昼飯はパンとワインで過ごすべ」と考えたビルバオのスパニッシュ・バージョン大庭亀夫2号は、パン屋にふらっとはいって「おばちゃん、そこにある丸パン一個ね」というであろう。 「この怠け者が、あんたモニさんのすねばかりかじってないで、たまには仕事しなさいよ」とお説教をたれながらパン屋おばちゃんは人間の頭と同じくらいのパンを剥きだしのまま、ドンッとカウンタの上に置くだろう。 紙袋なんて上等なものはありませぬ。 なんで? なんでって、スペインちゅうのは、そーゆー国なんです。 そういう所で狂人の集まりであるアメリカ人みたいに「衛生」とかゆいださないから、かっこええんやん。 でも、1€(117円)だぜ。 ついでに書くと、ビルバオのこういうパン屋さんは、なんも書いてなくても、店の奥にある石窯で薪です。 あたりまえだからな。 わしは鎌倉の義理叔父かーちゃんに頼まれて、寺の境内に出来た「石窯パン」を買いに行ったら、そもそもパン屋に行くのに拝観料を払わなければいけないのだとゆわれて、ぶちきれたことがあったが、ビルバオでは石窯などはあたりまえなので能書きにならん。 ワインは棚の隅っこにある、地元のひとがつくったラベルのない瓶のワインから店のおじちゃんにおいしいのを選んでもらう。 75clで1€です。 これで一日食える。 1994年、わしが子供の頃のニュージーランドでは、牛肉の挽肉が2キロで150円だった。 義理叔父が、あんまり安いので買い込んで、10キロ200円のたまねぎと一緒に毎日毎日ハンバーグをつくって、かーちゃんシスターに馬鹿にされていたのをいまでも如実におぼえておる。 牛乳は、その頃は2リットル瓶しか売っておらなくて、100円ちょっとだったと思います。 いまはバブルで、物価はその頃の丁度二倍になったが、いまでも2か月に一回その辺りの家に、こそ泥にはいって、2万円くらいちょろまかしてくれば食えそうである。 欧州人が、いま、もうすぐおとーさん(倒産)、という状態になりながら、悠々と暮らしているのは、要するにそういう社会の「必要なものほど安い」という仕組みに依っている。 ええええー、ぼくのおねーさん、ロンドンに住んでいるけど、全然それと反対の事言っていたよ、ときみは言うであろう。 ところが、それこそが、日本の人が欧州の経済というものをなかなか理解できない大きな理由であって、お話が田舎に行くと、全然ちがうのだよ。 そうして欧州という存在の豊穣な肉体はその「田舎」なのね。 都会なんて、いくらいても欧州なんてちょっともわかりまひん。 たとえばポーという町がある。 そ、このひとつの前の記事の写真になっているフニキュラが駅から町の高台までフニクリフニクリと静かにあがってゆく、あの町です。 この町は、実はイギリス人が保養地としてつくった町であって、美しくて、食べ物が滅法うまい町である。 フランス空挺部隊の本拠地、とかでも有名だけどね。 そっちは軍事オタク板とかで話すべし。 ともかく、この町の不動産屋の前に立って、アパートの値段を眺めると1000万円くらいから「結構ええんちゃうの」という部屋があります。 手にべたべたする、ものすげえーうまいマカロン2個と合衆国では金輪際飲めないおいしいコーヒーに熱いミルクをいれて飲んでも、500円である。 なんだか書いていてめんどくさくなってしまったので、端折るが、欧州人の大半にとっては、国家的「おとーさん」は、クレジットカードが停止されて、ホームローンが払えなくなる、という意味です。 でもね。 ボルドーのホテルで、4家族が連れ立っての旅行の途中でホテルをチェックアウトするところ。 ところが、3家族の都合5枚のクレジットカードがどれも認証されないのでごんす。 やべえー、と言い合いながら、もめにもめておる。 モニとわしは、後ろで、観察している。 さんざん、なんでダメなんだ、なんだかこのクレジットカード支払いが遅れて停止になってるってクレジット会社のひとが言っているので、もうしわけありませんが電話口に出て直截はなしてもらえなませんか。 あーだこーだ。 … Continue reading

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パリ

1 まだ、おパリにいる。 おパリ、はヘンだというひともいるだろうが「おフランス」があるのだから、おパリでも日本語として成立しているものと思われる。 おパリにいる、とゆっても、アイフルタワーをクルマからちらと見て、おーすげー、相変わらずおったってるのおー、と感心した一瞬だけがパリであって、あとはモニのおかーさまのお供をしたり、おかーさまの巨大な城塞に似た住居のなかをうろうろして、トイレがどこにあるか判らなくなって迷子になってケーベツされたりしているだけで、やはりヒルトンに泊まって「パリス・ヒルトン」をしたほうがずっと良かったものと思料されておる。 社交界の最も肝腎な部分から、例のビデオの一件でしめだされてしまった(気の毒に泣き狂っておったそーだ)あのひとの名前は日本語の表記習慣にのっとれば「パリ・ヒルトン」であるはずだが、なぜ「パリス・ヒルトン」なのだろう。 ロンパリという言葉は「ロンドンとパリ」をいっぺんに見るほどふたつの目が向いている方向が正反対である、という意味だそーだが、日本から見ればロンドンとパリは誤差の範囲で同じ向きにあるのではないか。 夜になればモニとクラブにでかけるが、パリのクラブははなはだしく性的で下品な場所なので、わしの荘重な日本語のせいで高年齢層も多いと思われる日本語ブログには刺激が強すぎて書けやしない。 きみが16歳なら強刺激に遭遇しても、乾坤一擲修行して、環境にまけないくらい下品に磨きをかけて、綺麗なねーちんと見れば(ちゃんと相和した合意でなければダメよ)押し倒して、下品でパリのクラブを制圧するということも可能だが、60歳の場合、第4コーナーを回っても一向に減退しない性欲をもてあまして、さびしく自瀆する以外なくなってしまうやも知れぬ。 えー、そんなジジイいねーよ、と思ったきみ、あまい。 自瀆ジジイも自慰ババアもいっぱいいるではないか。 医学的事実です。 息子の大岡越前に「女人はいくつくらいまで性欲があるものですか?」と訊かれた越前かーちゃんババは、黙って火鉢の灰を火箸でかきまわせてみせたという。 「灰になるまで」という意味です。 フロリダあたりの老人ホームは、乱交クラブ化しているところもたくさんあって、じーちゃんとばーちゃんたちが、やりまくっている。 わしの友達は奇妙な経緯からマイアミの老人ホームの一室に一晩泊まることになったが、夜のあいだじゅう、隣の部屋から、ヒキガエルが踏みつぶされるような、しかし明らかに女びとが性交のときに挙げる声が聞こえ続けて眠れなかった。 本人たちは楽しい時間を過ごしているのだろうが人間の人生の悲惨や辛さ、というようなことがしきりに頭のなかに去来して、それから「人生」というものへの考えが更新されて、もう一段人生に対する殺伐とした気持ちがました、と述べていた。 人間でいるのが、いてもたってもいられないくらい不安になった、という。 以上のような現実に鑑みて、パリの夜のことを書くのは、日本という制限の多い社会ではためらわれるべきだと考える。 おパリは、あんまり人間に夢を見させてくれない街である。 マンハッタンに似ている。 そういう意味では、ずいぶん田舎じみてきたとゆっても、いまでも都会なのかもしれません。 2 ここからカリフォルニアにいって、用事をすませたら、ニュージーランドにいちど帰る。 ブラフ・オイスターの季節だからね。 マールボローの白ワインとオイスターの天ぷら、うめーんだよ。 白酢で食べる。 郎党のひとびとも待っているはずである。 日本のたとえば的矢の牡蠣に較べるとずっとずっと小さいブラフオイスター(モニはニュージーランドはフランスとは牡蠣とマッスルの大きさが逆だな、と笑う)2ダースくらい食べるととても幸福になります。 二週間くらいいたら、マレーシアかカタールに行くであろう。 ええええええええええー、イスラムの国になんか行ったら、うまい酒がねーじゃん、トルコ除く、と口を尖らせたら、モニにきっぱりと 「だから行くんです」とゆわれてしまった。 ええええええー、やだあああああー、となおも抵抗したが、 「それならサウディアラビアに行こう」とマジメにゆわれたので、イチジクのお菓子はおいしくても通りにおいしい酒もまずい酒もないあんなアル中更正施設みたいな国につれてゆかれると困るので、あっ、ぼく、それでいーです。 ラクサ、たのしみだのお、ということにした。 モニはマジメなひとなので、ときどき酒を飲まない月やなんかをつくるのは良いことだ、と思っているよーだ。 先祖代々、朝から晩まで飲んだくれていて、酔っ払って夜中に馬を乗り回して、湖におっこっておっちんだりしていた我が家(いえ)のひとびととはえらい違いです。 そんなんマジメで退屈だのい、と思うが、モニさんのほうが偉いので、従わないわけにはいかないであろう。 そのあとはオーストラリアに行かなければならないはずだが、まだ決めておらん。 メルボルンに行けば、いつかブログに書いたむちゃむちゃうまいギリシャ人家族のハンバーガーがまた食べられる。 ドックランズの、バーベキュー型ステーキでは世界でいちばんうまいと思われるステーキレストランにも通える。 … Continue reading

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イタリア・フランス・スペイン

1 高速道路 一日400キロ、というような移動距離になると、高速道路が大嫌いなわしでも高速を使います。田舎道は景色はいいが危ないからな、景色がいいと前をあんまり見ないモニが運転しているときはもっと危ない。 うっかり、あっ、牛さんだ、とかゆってしまうと、モニは前を見るのをきっぱりやめて、「ガメ、どこに牛がいるの?あっ、ほんとうだ、かわいい」とジッと見ている。 とっても、怖いです。 だって、クルマ、狭い対向車線の道を100キロとかで走ってるんだからな。 そこへいくと高速道路は安全である。 大陸欧州人は、方向指示器なんてめんどくさいものは使いません。 無論法律では車線を変更するときにはインディケーターを点滅させることになっているが、誰も使わん。 方向指示器を使うのは、自分が移動したい先に相手がいる場合、「どいてどいてどいて」という意味で使う。 イタリアからスペインまで似たようなものだが、微妙に違うところもある。 フランス人は歴史を通じて凝りすぎて破滅する、というオモロイ特徴をもった民族だが、高速道路でも凝っていて交通量が多い区間になると下り坂の制限時速が90キロで上りの制限時速が100キロ、というようなところがたくさんある。 上り坂のはじまりで渋滞が始まることが多いからです。 芸が細かい。 それがイタリアにはいると、トンネルの入り口も登坂のはじまりもおかまいなしに110キロ、とかであって、イタリアだのおー、と感心する。 むかしは大陸の高速道路をクルマで移動するたびに、車線をまたいだまま、ずううううっと走っておるやつや、車線と車線のあいだを、ゆーらゆら、ゆらゆーら、渡り歩きながら運転しているやつがいるのはなんでだ、と思っていたが、モニさんが運転する順番のときに、追い抜きざまにどういうひとが運転しているのか観察することにしたことがあった。 フィアットのちっこいのが、3車線のあいだを右から左、左から右に、大胆にふらふらしながら走行している。左から右に移動しだしたタイミングをみはからって、モニさんが、ぶおおおおおーんと加速して、びゅんと追い抜きます。 追い抜きざま、わしはこのフィアットを運転している若いねーちんが、何をしているのか見てしまった。 何をしていたか、というとだね、聞いて驚いてはいかむ。 スパゲッティ食べてんだよ。 時速130キロでクルマを運転しながら、スパゲッティ。 わしは、スパゲッティを食べながらクルマを運転するひと、というのを初めて見ました。 それですっかりオモロクなってしまって、次から次に「ふらふら運転」をしているひとを観察してみると、携帯でテキスティングをしているひとが最も多い。 次は携帯で話しているひと。 なんか食べてる人、というのもその次くらい。 要するに大陸欧州人たちは高速が退屈なので、いろんなことをやりながら高速道路を運転する。 だから、ふらふらしておるやつが多いのだ、というフィールドリサーチどした。 フランスはやたらカネを取りたがるが、スペインはただの高速道路が多い、とか他にもいろいろ違いはあるが、最も異なるのは運転者気質で、印象としては、 イタリア人:スピード狂 フランス人:運転が悪辣 スペイン人:なんも考えてない ついでにコモ湖のような一定の観光地域に行くと、いっぱいうろうろしているアメリカ人観光客についても述べておくと アメリカ人:運転がドヘタ というところであろーか。 アメリカ人はすれちがうのがやっとの道でセンターラインからはみだしたまま、へーきで走ってくるような、 免許、もってるのか、ボケ、と思う人が多かった。 多分、マニュアル車の運転に慣れていないからではなかろーか。 モニとわしのクルマはフランスナンバーなので、スペインの高速道路では、なああーんとなく恐れて側に寄ってこない。 町の悪党って、こんな感じかしら、と思ったりして、ちょっとしたやくざ気分を味わうのであります。 2 ハウス・ワイン 日本にいるときに、料理屋でもっとも嫌であったのは、「ハウスワインが不味くて飲めない」ことでした。 … Continue reading

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Cueva de El Castillo

モニがクロマニヨン人たちの洞窟の壁画を見に行こう、というのでカンタブリア州にでかけた。 アルタミラは人間の悪い息と湿気で絵が消えかかっているので非公開になっている。 特殊なルートを通じてお願いすれば見られるそうだったが、割と簡単に出来るたとえばルーヴル美術館の時間外絵をみながら散歩(わしは「鑑賞」ちゅうようなダッサイ言葉きらいでんねん)と異なって、えらいたいへんなので、やる気が起こらない。 いま見ると有名でないどころか日本語では何の記事もないみたいでぶっくらこいてしまったが、Cueva de  El Cstillo の洞窟画を観に行くことにした。 アルタミラやラスコーがレプリカの公開だけになってからは、クロマニヨン人たちが残した洞窟壁画が観られるのは、この洞窟だけのはずである。(他にもあったら教えてね。観に行くから) ラスコーやアルタミラの壁画と似たよーなのが、というのはつまり炭で描いたバイソンだとか牛さんだとか馬さんの顔だとか、鹿さんだとかの絵がいっぱいあります。 しかし、酸化鉄を吹き付けて印象した手のひらの陰影画が最も有名である。 欧州でもあんまり有名でないのは、多分、発掘が新しくて、まだどんどん発掘している最中だからでしょう。 カンタブリアの洞窟の発掘で(スペインでは)有名な Hermilio Alcalde Rio がこの洞窟をめっけたのは1903年だったが、それからなかなか発掘は進まず、というかやらず、いまのような一般の人間がアクセスできるようになったのは2008年です。 行ってみると判るが、1940年代、他の国が戦争をしているあいだじゅう戦争をしていないスペイン人はひまをこいていたので掘りまくっていたのにまだ半分も発掘が終わってない(^^;) わしは初めアルタミラのレプリカ博物館でごまかしちまうべ、と思ったが、モニさんが、そんなんじゃ嫌だ、というので、結局、これに出かけた。 ビルバオからクルマで二時間くらいです。 バスクとの国境(くにざかい)を越えてカンタブリアの美しい海岸線を見ながら、しばらく海辺をドライブして、80キロくらい行ったところから内陸に向かって田舎道を走ります。 正午を40分くらいまわってしまったので、 途中でド田舎の町の、牛さんのかぐわしい糞の臭いのする(冗談でゆってるのではなくて、わしもモニもほんとうに牧場のマニュアの少し酸味がかった匂いが好きなのです。あんなに良い匂いて、世の中にあんまりないと思う)コーヒー屋で、件の巨大源氏パイとカフェ・コン・レチェで遅い朝食を食べた。 えっ、午後一時前なら昼飯じゃん、ばっかみてえー、と呟いた、そこのきみ、甘い。 この近在のスペイン人が午後1時前なんて殊勝な時間に昼飯たべるかよ。 この辺りでは昼ご飯は午後3時くらいに食べるものなのね。 夕飯は10時でごんす。 スペイン人は並の文明人とは根性が違うのだとゆわれている。 ガイドのスペイン青年と待ち合わせたのは午後1時だったので、その時間にはまだコーヒー屋でわしはでかい源氏パイをぱくついておってモニはパン・オ・ショコラを食べていたのは内緒で待ち合わせの時間に遅れちった遅れちったと考えながら洞窟の前にやってきてみると、スペイン青年はかっこよく探検ルックで決めて洞窟の前で待っているのであった。 洞窟画は、素晴らしかった。 どうしてあんな何も考えていない線がひけるのだろう。 というようなこともさることながら、(ははは、「さることながら」使ったぞ) バイソンを描いては手のひらを(ガイドにーちゃんによれば)こちらに向けて酸化鉄を吹き付けて印象していったこのゲージツカたちは、何を意図していたのだろう? あちこちに描かれたバイソンや雄牛や鹿の絵には、すべて、それに被せるように手のひらのネガティブがある。 もっとよくわかんねーなのは、何十と描かれたディスクで、ガイドにーちゃんは、「洞窟の案内システム」ではないか、とゆっていたが、しかし、ここで重要なことは入り口の研究員にーちゃんに確かめてもやはりクロマニヨン人は「数を数える」ということをしなかったはずで、数を数えない人間が、「ディスク」というような抽象的で単一な図柄をたくさん壁に描き込んでゆく、というのは極めて異常なことであると思われる。 わしはずっとクロマニヨン人たちはラスコーやアルタミラやカンタブリアの洞窟のなかで遊びとして絵を描いていたのに違いなくて、なあーにが「呪術」だよ、と思っていたが、呪術はセンスがなさすぎるにしても、遊び、というような言葉が代表あるいは指示できるものではなくて、あのひとたちは、もっとものすごく真剣な作業として絵を描いているのが洞窟の謂わば環境ごと絵を見ていると、どんなアホにも判るのであって、そのことにいちばん驚きました。 人間の宗教を求める心や芸術を求める気持ちというのは、どうも、われわれが教わったようなものではないようだ。 いまは、まだもっと時間がないとうまく表現できないが、どうも人間がもっている宗教や芸術というものの姿は根本的に間違っているように思います。 そんなことではなかったのだ、と考えました。 「あんなにめんどくさがっていたくせに、ガメのほうがコーフンしているではないか」とモニにからかわれながら、わしはもと来た海岸線をまたクルマをとばしてビルバオに戻ったが、帰りは、モニとクロマニヨン人たちの魂の不思議について話し合ったり、普遍や抽象という世界に人間が踏み出した理由をわれわれが誤解していたに違いないことについて考えたりして、あっというまについてしまった。 … Continue reading

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語彙、ごいごい、ゲンゴー

日本の「ランチ定食」はスペインからの社会習慣の輸入であるはずだが、宗家スペインの「ランチ定食」は独裁者のフランコが低所得層国民に受けるために苦心してひねりだした「安い価格でおいしいお昼ご飯を腹一杯食べてもらう」ための制度だった。政府がレストランに直截働きかけて、このメニューを一種類か二種類に限定するかわりに、ものすごく安い価格でおいしいものをたくさん出すための仕組みを確立した。 独裁者というものはビンボニンがおいしいものを食べられない恨みというものの怖さを古今よく知っているものであって、シンガポールのリ・クアンユーもだからホーカーズの屋台に補助金を出しまくって、そのせいでシンガポールの有名な天天海南鶏飯は20年前と同じ3ドル80セント(250円)であることは前にも書いた。 サンタマリアの裏小路にある料理屋で、わしは、それだけで満腹になってしまいそうな、どひゃっな量のマルミタコ(バスク郷土料理で鰹とジャガイモの煮込みでがす)と、次に出てくるでっかいヴィールの牛かつ、それに500ミリリットルのワインと水がついて、最後にはデザートの滅法うまいチョコレートがどろどろなチョコレートケーキがついて11ユーロ(1300円)のランチを食べた。 モニはサラダとヴィール。 スペインという国は食べ物が特別においしい国なので、どうしても毎日たべすぎてしまう。 三食、合計9時間くらいかけて食べていて、食事が終われば、一杯150円くらいのビノ・ティント・デラ・カサを一杯か二杯ずつ飲みながら、あっちのバールからこっちのバールへとふらふらして、カウンタごしにおっちゃんと話したり、カウンタに頬杖をついている隣り合わせになった仕事帰りの女のひとや家事が終わって息抜きに来た主婦おばちゃんと話して遊ぶ。 今日はどこのバールの壁にもあるテレビのトップニュースはフクシマの汚染牛肉であって(これは世界中でひさしぶりに大きく報道されたフクシマのなりゆきだった)、テレビを見上げて日本にいたことがある、と話すのももう飽きてきたので、日本にいた、というようなことはしらばっくれて、日本を多少でも見た事がある、というようなことは「おくびにも」ださずに、日本はてーへんだなあー、とゆっていると、一緒にテレビをときどき見上げながらカウンタの向こうでハモンをせっせせっせと切っていたおっちゃんが、いったいどうなるんだろうな、スペインであんなことが起きたら、おれはどうしたらいいか判らないよ。 考えてみたことがあるんだが、やっぱりわからなかった、という。 わしも、わからん、と呟きながらテレビを見上げるわし。 隣のおばちゃんが、「あなたはイギリス人なの?」と、いきなり英語で話しかけてくる。 この頃は、英語ができやがるとつかいたくてしょーがない奴が大陸欧州にも繁殖しておるので、わしはときどきメーワクである、と思わなくもなし。 英語で話しかけられてちょっと気持ちが意地悪になったのかもしれません、いーや、わしはニュージーランド人だがもし、というと、全面笑顔になって、実はわたしは去年の11月にニュージーランドに行って、それはそれは楽しくて、…としばらく演説をこかれてしまった。 わしの心の動きなどいつもお見通しのモニが隣で必死に笑いをこらえておる。 ビルバオの用事は終わったので、いつフランスに戻ってもよいが、わしはまだバスクでのんびりしてます。 チャコリというバスクの白ワインや赤リオハで酔っ払って川沿いを散歩したり、全然ものにならないバスク語をケンキューしたり、どう考えてもこのキリストの像は大きすぎるだろうと考えながら、あの初代ヒッピーおっさんの姿を眺めたり、サンダとガイラなら「まここと」が好きであるらしい「グッゲンハイムのパピーちゃん」にお手をしてもらえるかしら、とスケールを訝ったり、ピンチョス屋の味較べをしてカンドーしたりしながらビルバオビルバオして暮らしておる。 バスク人はスーパー・モダンが好きなので、思い切ってものすごいものをいっぱい作るが、このひとたちは、もともと頭がいいので、たいていの場合、その(世界的には)うまくいくことが少ない冒険的な試みがうまくいっている。 偉いひとたちだなあ、と思います。 スペインにはわしが好きな場所がいっぱいある。 カタロニアの陰影。 カステラの赤土の荒野やガリシアの深い色の緑。 細いガムトゥリーが並んだバスクの稜線。 スペイン人は地方色はあってもみなはにかみ屋で、それなのに相手にうけいれてもらったのだと判ると、パッと明るい顔になる、その表情の大きな変化の美しさや、たかがわしが微笑んだというくらいのことで、今度は身振り手振りもたくさんついた興奮で、たくさんたくさん話をする、その(わしが育った世界の基準からいうと)無防備なところがたまらん。 大好きである。 フランスのほうが、土地の質が高い、っちゅうか、楽しいものが密度が高くて、フランスはどんなド田舎に行っても必ず良いものがあって良い宿があって良い料理屋がある。 イタリアも、イタリア式な違いはあってもやっぱり文明が至るところに行き届いていて、次から次にあらわれる楽しみに息もつけないところがある。 スペインの魅力は、そういうロマンス語兄弟国とはずいぶん違っていて、フランス人たちはスペインのことをさして「アフリカ」だとゆって揶揄するが、それは必ずしも揶揄ではなくて、こんなふうな言い方をすると、またショーセツカとかに率いられたヘンなひとびとが集団であらわれて「人種差別だ!」と怒鳴り込みに来そうであるが、街と街のあいだが300キロがとこは離れていて、あいだには荒野みたいなヘンな土地が横たわっているスペインという国を旅していると、カタロニアやバスクくらいに戻ってきたところで「おー、文明の世界に戻ってきた」とごく自然な感情の反応として思ってしまう。 しかしスペイン人には、そういう「荒野」を抱えている国のひと特有の言葉にするのが難しいひとなつこさというか人間らしい暖かみというか、そういうものが溢れるようにあるのです。 だから、つい居心地がよくて居てしまう。 7月の終わりにはパリにいないといけないのに、こんなことでいーのか、と自分でも思うしモニにもダイジョーブか、とゆわれるが、なんだか、きっとダイジョーブだろー、くらいのええかげんな気持ちの心地よさに負けてしまう。 ラマチェンゴ、ラマチェンゴ。 ウエイ。ラマチェンゴ。 いまから振り返って考えてみると当たり前のことにしか過ぎないが、実は人間のアイデンティティというか人格そのもの、そのひとが何を考えて、世界をどう感じるか、というようなことは9割方はどの言語を母国語あるいは母語とするかで決まってしまう。 その言語を獲得したあとに、本人がその言語の思考集合のなかで組み立てられる独自性などは感覚的に数字でゆってみれば3%もなさそうです。 わしはずっと日本の人が考える欧州が、この宇宙のどこにもない欧州で、いわばそれは「誤訳された欧州」のようなものであって、教会も神も美術ですらも、すべて「欧州」というよりは、誤訳の結果立ち現れた何か見た事のない新しいもので、そうであることのほうがただの「欧州」なんかであるより、ずっと面白かったが、それが日本語で考えられた欧州であることに、去年くらいになって、このブログやツイッタに攻撃者として現れた奇妙なひとたちのせいで、気が付いた。 「すべりひゆ」という人が感じる神だけが不思議なほど通常の「神」に近いのも、だんだんわかってみれば、このひとのイタリア語能力の結果ということにすぎないもののようであった。 すると、人間は自分が属する言語の奴隷なのだろうか、と思う。 この疑問は、まだ答えのない疑問だが、たとえば数学というような言語を比較の対象にして検討してみると、いまのところは無限に正しく思える。 もっとくだらないことをいうと、では何語を母語にして育てば人間として最も思考するのに楽か、あるいは感情がもつれなくて楽か、というと、それはイタリア語かスペイン語であるようだ。 どこの国の社会にもいるスペイン語かぶれのバカにーちゃんやバカねーちゃんを見れば判るとおり、これが母語でない場合にはビミョーな罠になるが、(話をいつものごとく端折ると)、なぜ楽か、というと、このふたつの言語はローマ人の思考と直截つながっていて、しかもフランス語のように世界一激しく個人を抑圧する社会的な仕組み、というものも歴史上もたなかったからであると思われる。 ローマ人の健全そのものの多神的世界に言語を通じて直截ふれられるからです。 … Continue reading

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