遠い国に住んでいるふたりの友達への手紙

日本はとても遠い国になってしまった、ということから書き出さないとこの手紙は書いてしまえないように思います。
わしにとって、日本との関わりはいまでは多分「日本語」という言語の機能に限られていて、しかもそれすら「荒地」の同人達から「ドラムカン」の同人達に至る、時間にしていえばたかだか40年に満たない時間に表現された日本語に集中されている、ということを先に述べておかないと、手紙そのものを書き始められないように思いました。

今日の午後は湖の木陰にボートを出して、モニとふたりで寝転んで過ごした。
モニが、あんまり穏やかな天気にうとうとしだして眠ってしまったので、そのあいだを利用して、こっそり、おふたりのメールを読みました。
むかしのひとならラベンダーの香水の匂いがする便せんをひらいて読むところだが、味気のない時代に生きているわしはマンハッタンで買った、iPad2 (^^;)

おふたりの手紙を読んで、「暗然」という日本語のクリシェを思い出してしまいました。
日本の社会は放射性物質が安全であると決めてしまったようにみえること、いまはもう「放射性物質は危険だ」というひとのほうが「ヒステリックな人」になっていて、あまつさえ、
「いまの日本で原発事故や放射能が怖いと声を上げることは、こういう「思慮深さ」や「冷静さ」「“前線”で頑張っている人々への気遣い」に対して、ヒステリックで利己的で愚かな行為と見なされる」というところに来ては、
なんだか非現実的な夢を見ているような気がする、という間の抜けた意見を言うのを許してもらわなければなりません。
「放射線の被害よりも放射線を恐れるストレスのほうが有害だ」ということを「証明」したひともいるのだ、そしてそれを信用するひとが実際にいるのだ、と書いてあって、リンクがあっても、まさかそんなバカバカしいものを読む気はしないし、そんな根本的に狂っているとしか思えない記事自体まさか現実に存在するとは思えないが、仮にそれがほんとうにあるのだとすれば、わしに言えることは「日本の社会は、とうとうそこまで来たのか」とうことだけです。
狂気、というものは現実にたくさんのひとびとを手の込んだ痴呆的状態に連れて行けるのだ、という蘇軾の言葉を思い出すしかない。
どんなにいまの日本人が現実でないことを「証明」する手の込んだ方法を思いついても、本当でないことは本当でないし、ちょうど北朝鮮のひとびとに、どんなにあなたがたの生活が悲惨であると言ってみても虚しいのと同じことで、彼らは北朝鮮のひとびとがそうであるように、彼らがいかに正しいか完全無欠な理論で次々に「証明」するに決まっている。
われわれに出来ることは時間の神様が気が遠くなるような彼女のタイミングで、気まぐれに、「本当のこと」を明示してくれる、そのときを待つことだけであると思います。
軽井沢に逼塞していたひとびとが1941年から1945年までをそうして過ごしたように。

反論、というようなことはこの場合意味をもちえないので、どうしても奇論の主を許せないのならば、せめて彼あるいは彼女の行った事を記録しておいて、やがて訪れる「常識が明らかになるとき」を待って彼らにあなたがたが望むやりかたで責任をとらせるしかないと思う。
(フクシマの事では、まず15年はかかるだろうが、わしの知見によれば、今度はチェルノブイリのときと違って因果関係を明らかにする科学的方法自体は確立されるので、そのときになって彼らに言い逃れの道があるとは思っていません)
実際、そのときになって、彼らの賢げな「思いつき」のせいで子供を殺された母親たちが黙っているとは、わしには考えにくいのではあります。

(そう言えば、いま現在の時点の日本でかろうじて正気を保っているのは母親たちだけなのだろうか?わしは「理性」の信奉者なので考えたくないことだが、イタリア人の友人達がいうように母親だけが非常の時には正気を保てるものなのかもしれません。このことはまた時をあらためて考えてみなければ判らない)

日本の政治家が「原発に反対のひとのヒステリックな気持もわかる」と言ったという。
日本語の「ヒステリック」が英語のひどい誤訳であるのを知っていてもなお、(日本語の意味においても)ヒステリック、というような単語が口をついて出るのでは、要するにそのひとは架空な「職業政治家」に人間を捨ててなりきってしまったひとであって、もっと言ってしまえば彼がもっていた人間性などは、観念的に政治家と自己を見なすことによって消しゴムで消すように消してしまえる程度の人間性しかもちあわせていなかったわけで、要するにただそれだけのことなのだと思います。

いま、わしに確実に判っていることは、日本人が「放射性物質は危険でない」と決めた以上、「無害な放射性物質」がディストリビューターが全国に流通させる汚泥や野菜や魚を通じて北海道から沖縄まで流通し、どこをどうつながっているかは何のデータもないので判らない地下水脈をたどって蔓延し、あるいは近海を無害に汚染し、あげくのはてには「無害な放射性物質」は完全に日本を無害に汚染して、日本人全体を無害に内部被曝して、無能で無知で迷信的なガイジンどもは、日本という国を放射性物質や低放射線被曝を世界で初めて無害であると「発見」した歴史的な民族として永遠に記憶するだろう、ということだけである。

むかしからのこのブログの読者であるひとは皆しっている「シャチョー」がこのあいだ電話をかけてきて、「日本人は放射能は危なくないということにしたんだって。ぼくには息子と娘がいるんだ」というなり、まるで獣が咆哮するような声で泣き出して、わしをびっくりさせたが、わしはあくまで迷信家なので、
シャチョーは、えーかげんなことばかりゆっているが、人間としては意外とまともではないか、と考えました。

最後にじゅん爺やむかしはインターネット上の友達だと思っていたこともある、あんとに庵やブブリキが放射性物質が安全だというのをどうおもうか、ということだったが、後者ふたりは、いまはあのふたりのひとに興味もなくて、ツイッタもブログも読まないので、どういう発言をしているのかも、わしには判りません。
何かのときに前にもゆったことがある記憶があるが、わしは、頭のなかのゴミ箱にいれてしまうと、それをひっくり返してみたりはしない。
なんだか日本の人には判りにくいようだが、わしにとっては興味がなくなったものには興味がないわけで、その心持をどんなふうに説明すればよいのかは、わしにはようわからん。
答えようがない。

じゅん爺については、これからじゅん爺の言葉の家に行ってみて、ほんとーだ、ということになれば、残念でも、あの「アミアブル」という言葉がいちばんぴったりくるじゅん爺とも付き合えなくなるでしょう。
そうなら寂しいが、一面、人間の一生というものは付き合ってはいけないものとは付き合ってはいけなくて、遠ざけて、近づけるべきでないのは当然のことであると思う。
邪なものを敵とすることをためらってはいけないのは、どちらかといえば人間の常識に属することなので、寂しくはあってもそれほど悲しむべきこととは思いません。
世の中に敵としなければならないものと「仲良く」することくらい悲惨なことはない。

今日は陽にあたりすぎて疲れてしまった。
顔がサンブロックを塗りたくったのに陽に焼けて酔っ払ってしまったひとのように盛大に真っ赤でカッコワルイ。
家の様子を見て友達に会うだけで北へ向かおうと思っていたが、やはりコモは居心地がいいところで、もう少しここにいることにしました。

この美しい湖を眺めていると、日本のこともやさしい気持で思い出せるのです。
「20年たてば女房とゆっても母親みたいなものだから」とゆって欠けた前歯を剥きだしにして笑うおっちゃんや、「わたしも赤ん坊が欲しいなああー」といいながらお客さんの子供といつまでも「バイバイ、バイバイ」とゆって遊んでいる店員、きゃあきゃあ言いながら桟橋から水に飛び込んでは慌てて、といいたくなるような様子で泳ぎ戻るイタリア人の女の子たち、コモではバスがわりのボートのなかで、「すげえええー、なんて綺麗なところなんだろー。すげー」とゆって窓から窓へ走り回って母親にたしなめられているアメリカ人の子供達。
湖畔にテラスを貼り出したピッツエリアで声を潜めてひそひそと自然の偉大さについて話し合うイギリス人の夫婦。
英語混じりのイタリア語で、いかに料理がおいしかったか伝えようとしているドイツ人のカップル。
イレズミだらけの腕をみせてアメリカ人の野球帽を少し斜めにかぶっているボーイフレンドとテーブルを囲む上流階級のアクセントの女の子。
あの小さなボートにどうやったらこんなにたくさん乗っていたのだろう、と思うくらいバラージオの桟橋に次から次に出てくる日本人グループツーリストのじーちゃんやばーちゃんたち。

遠くから聞こえてくる子供達の声。
犬さんたちが主人を迎えてコーフンして吠える声。

あたりまえだが、このコモにもたくさんの色々なひとがいる。
モニとわしは、でも(今日は用事があって降りてきたが)小さな村の山の上にいて、テラスから(山の低さが幸いしている)コモ湖の夕暮れを眺めたり、ひとがひとりやっと歩けるような幅の、両側に背の高い中世風なアパートが壁になって建ち並ぶ、長い石畳の道を歩いて夕食にでかけたり、あの白い径を歩いてばーちゃんのバールにワインを飲みに出かけたりして過ごしていると思います。
もう四日くらいで北に向かうつもりだが、もしかしたらその後も、もう少し「山の家」にいるかも知れません。

でわ。

This entry was posted in 日本の社会, 欧州. Bookmark the permalink.

One Response to 遠い国に住んでいるふたりの友達への手紙

  1. wiredgalileo says:

    https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/06/19/放射能鎖国/#comment-948
    のほうにもコメント書いておきましたが、こちらにも。

    「政府が安全と決めた」のは今回事故になってからではなく、チェルノブイリ事故以後から、すごいお金を費やしてマスコミや学者等を籠絡してきたんだよね。チェルノブイリのときはさすがに社会的反応が大きかったんだけど、それに危機感を持った推進勢力が猛攻撃をかけて、新聞とかに原発の宣伝や政府公報が大きく載るようになっていった。学校でも、「チェルノブイリの死者は数十人」という内容の副読本を作って原発を宣伝していた(これについては昨年くらいに知ったんだが)。

    私自身はテレビや新聞もほとんど見ないネット人間だし、その影響力を過小評価してきたんだけど、事故が起こって、彼らの戦略が完璧だったことがわかった。やっぱり、政府やマスコミや偉い学者や学校が束になって宣伝してくれば、しかもそれを20年続けていれば、その洗脳は十分効いていたんだなあ。現在の若者に至っては、チェルノブイリ自体を知らない人も多かったらしい。

    カネで籠絡するだけでなく、汚いやり方で反対派をつぶしてもきた。マスコミ等でのパージもそうだけど、市民の反対運動でも、私の知人は、そのころ小さかった自分の娘を撮影した写真を匿名で郵送してくるという嫌がらせを受けた。それから、その知人が出かけていたときに通った駅の切符を全部郵送してくるとか。ヤクザだかなんだか知らないが、かなり組織的にカネをかけた嫌がらせをしていたようなんだ。(米国映画でも、内部告発者にプルトニウムを飲まされるシーンがある映画があったね)
    いまの現状は、そういう20年の成果なんだよね。

コメントをここに書いてね書いてね

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s