ばらばらな頭が考えたこと

夜中の北イタリアの田舎道(というよりもスイスとイタリアの国境地帯)を歩くと、まるで現実も夢も古代も中世も現代も区別がなくなってゆくようである。
両親の友人のアイルランド人のジョンさんが、コモ湖の夏の別荘に到着してモニとわしに会いたがっているというので、めんどくせー、なんでとーちゃんとかーちゃんの友達にわしが敬意を表さねばならんのだ、自分で行け自分で、とぶつくさ悪態をつきながら出かけました。
(いつものことだが)さんざん文句をゆっておきながら最も楽しむのはわしであって、ジョンさんとモニとわしはジョンさんの中世の穀物倉を改造した母屋を中心とした別荘での楽しい夜を過ごした。
アイルランド特有の、あの無茶苦茶カッチョイイ「顔ガーゴイル」を、気味が悪いから、という理由で取り外したらひと夏のあいだに家族6人が皆死んでしまった気の毒なアメリカ人たちの話や、「黒い豹」、デッドパン。
わしらがもっていったロゼ、わし同様モニに教えてもらうまでは知らなかったケーベツしていたロゼがいつのまにか新しいワインメーカー達によって改良されて、おいしい飲み物に生まれ変わったことにぶっくらこいちまったジョンさん(妹とわしは、むかしジョンさんを顔が教科書の聖王ジョンに似ているので、よくふざけて「聖王ジョン」と呼んだものだった)が、すっかり舞い上がって次から次に開けるおいしいワインに酔っ払って、アイルランドの歌を歌い狂って遊び終わる頃には、とっくに午前2時になっていた。
わしが目の前で広げて見せた両手の指が20本に見えているくせに、クルマで送って行くという聖王ジョンの申し出を遮ってモニとわしはボート着き場でゆってふたつ先のわしらの家まで歩いて帰りました。

シンと静まりかえった径。わしがあの懐かしい深夜の野辺山を思い出して涙ぐんでしまったり、ふたりとも空一面の星に見とれて動けなくなってしまったり、中世からそこにある蛇口の水をかぶってフラッシュダンスのマネをしたらモニが笑い死にしそうになって笑いがとまらない病気の人のようになってしまったり、開いている訳のない教会の扉が開いていて、なかをふたりで覘きこんだら、例の十字架に釘止めされたマヌケな格好でキリストが磔になった姿が蠟燭(?)の光に浮き出すように照らし出されていて、ふたりで慌てて跪いて祈ったりしながら帰ってきた。
石を敷き詰めた(両側を壁に挟まれた)細い径を、そんな時間に帰ってくると、まるで異次元を通って帰ってきたひとのように気持になります。

まるで、モニとわしも(もののけ)になったようだ。
こんなことばかり毎日続けていれば、モニもわしもマジで精霊に変化(へんげ)して、暗闇坂やアッシジ坂の妖怪たちと呼応して、人間達に「不完全な知性」というものの儚さを伝えることができるだろうか。

湖畔のレストランで、南イタリア人の家族が夕食を食べている。
子供がボロネーゼを食べているのを見て、わしはぶっくらこいてしまいます。
アングロサクソンの家族ではありえない、とゆったらモニがびっくりしていたから、フランス人もあるいは、子供に甘いのかも知れないが、子供が、スパゲティボロネーズなんてテーブルを汚しそうな食べ物を食べさせてもらえるなんて、ありえねーよ。

それはともかく、しばらくしたら、綺麗な姿のひとであって、子供が物心ついたら誇りに思いそうな若いおかーさんが、子供の耳に口をつけて何事かささやいている。
子供がおかーさんに、耳元に口をつけて囁き返しておる。
ところが、今度はおかーさんが浅黒い肌の眉の濃いハンサムとーちゃんの耳に唇を寄せて何事か囁いてる。
3人で、いつまでたっても、囁きを伝達してます。

なんだか、見ていて、うっとりしてしまった。
他人が見ているだけでも楽しくなってしまう。
イタリアガキは幸せだのお、と思いました。

いや、もちろん、ガキわしの頃はわしらもわしらのやり方で幸せだったが、
イタリアガキは、かーちゃんとの結びつきがダントツで強いようである。
まるで存在がかーちゃんの部分であるかのよーである。
アメリカ心理学のスタンダードに照らせば完全に強度のマザコンである。

だから、良いとか悪い、とかゆっているのではないのです。
アメリカ科学の基準ではフランス人とスペイン人は大半アル中である。
同じ基準に照らしてイタリア人が大半マザコンであっても、それはただアメリカ人のつくった文明がキチガイの文明であることを証明しているのに過ぎないかもしれないでしょう?

少なくともわしら西洋世界の住人のすべての文明の母親であって父親であるイタリア人たちは、わしら北海の野蛮な太陽の母上の光の下で育った文明の受容者とは違う、もっと、なんちゆえば良いか、「実質的」な文明の継承者たちである。
わしは、正直に告白すると、わしらの同類であるとかアメリカ人たちや、あるいはドイツ人や日本人が、イタリア人について軽口を利いているのをみると、カッとすることがある。
何をエラソーに、と思ってしまう。
わしの頭の中ではイタリア人がつくった文明こそが真の文明であって、それに匹敵するものがあるとすれば、チグリスとユーフラテスにはぐくまれて、いまだに世界の中心の原子炉の火のように燃えさかっている中東人たちの文明と、ナイルに生じて滅び去った文明、あるいはもっと暖かだった頃の黄河流域に発生した文明だけであって、それ以外の地域の「自称文明」など小賢しいだけで一顧だに価しないのではないか、あるいは、そう思って緊張していなければいけないに決まっているのに、まるで、自分達が、たかだかケーハクな「生産性」のアホ理屈を盲信して、イタリア人を冷笑するような意見を述べるなどは笑止としかいいようがない。
いまはイタリア人についておもいあがりもはなはだしい冗談を述べているあなた方自身の文明は、この先どこまでもつだろうかと、つい嫌味のひとつも述べたくなります。

コモ湖の周りなどは、「イタリア」と呼んでいいかどうか判らないほど「汎欧州的」な土地柄であって、あのデザインの洪水のようなインテリアも過剰の極に平衡点があるのだとバイロン卿に教えた狂気に最も近い美の感覚もない。
いわばイタリアのなかで最もイタリアから遠い土地柄だが、それでもここもやはりイタリアの文明圏の内なのだと思う事がたくさんある。
英語では書いたが、そのうち日本語でも書くかも知れまへん。

ボートが行き来する湖面が遠くに見えるこの新しく手に入れた「山の家」は多分、去年までの軽井沢の「山の家」の役割を引き継ぐことになると思うが、明日は出立しなければならない。
ここからスイスをつっきって、ドイツ、オランダ、スウェーデンという「ど退屈3兄弟国」に向かうつもりだったが、ドイツは食中毒スウェーデンはフル、オランダは二重人格病というそれぞれ恐ろしい流行病が流行っているので、リヨンに方角を変えて、モニかーちゃんゆかりの荘園を訊ねながら、バスクにでもいくべ、と考えました。
「腐った文明の息」のようなインターネット接続が最速になるようにもともと出来ているモニわしやかーちゃんとーちゃんのコモ湖の「山の家」と異なって、インターネット速度よりも、バゲットの焼け具合やチーズの風味が最も大事なフランス人たちの土地で、どのくらいまともなインターネットにありつけるか判らないので、明日からは、いつブログの新しい記事を書くものやら、よくわかんねーが、
わし自体は相も変わらず元気であると思われる。

NZにいるころに、ほとんど懸命に、わしへの嫌がらせでシーズキャンディの画像をアップロードしていたNASUが懐かしい。
いまみたいにふたりの小さな娘の生命を心配しくるって集団発狂してしまった社会全体とひとりぼっちの抗争を続けているNASUなど見たくなかった。
友だちだと信じていたひとびとに裏切られて、唇をかみしめて窓の外を見つめている、おかーさんNASUはどうなるんだ。
NASUがあの頃のように笑える日は、いったいいつに来るのだろう。

わしは、もうあんまりフクシマについて述べる気はしない。
今日もここからは結構遠いコモの町に、これからの遠征の準備をするために買い出しに行ったが、バールで会ったローマ人の女の人と話していたら、「フクシマ? あー、日本の? そーゆえばそんなこと有ったよねえ。あのひとたちはいっぱい死んでしまったのかしら。でも、ほらアジアのひとたちはタフだってゆーから、案外、ダイジョーブなんじゃないの?」とゆわれて、日本にいた話なんかしなければよかったと考えました。
よく考えてみればここからあんまり遠くないところに住んでいる「すべりひゆ」が、あんなに日本のフクシマにこだわるのは、ほんとうはイタリア人なのに自分が過去には日本人であったと妄想しているからに過ぎないのだとよく判った。
そうでもなければ、もう誰にとっては、あれはあったかなかったか定かでないことになってしまった。
フクシマの話をして「なんで、あなたは日本のフクシマになんか興味があるの?」とゆわれたのは、これで5回目だものなあ。

もう、やめよう。

なんだかブログの記事になってないけど。
もうすぐ出発する、湖の穏やかな水面を眺めていたら、日本語の友達に話しかけてみたくなってしまった。

また、会うべな。
NASU、また、元気になんねえかなあ。

画像は、記事に書いた径の途中にある町でごんす。
野原の野原のあいだに、こーゆー町があんのね。

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5 Responses to ばらばらな頭が考えたこと

  1. kochasaeng says:

    二週間くらいまえ、腰が痛かったんで、ひさしぶりにタイ式マッサージに行ったんだ。
    そしたら、マッサージのおばさん(といっても、おれより若いわけだが)に「半年くらい来なかったけど、そのあいだ何かあったのか。あなたは、そんなに身体の凝るひとではなかったのに、今日のあなたはここ3年間に揉んだ客のなかで飛び抜けていちばん背中がガチガチだよ。それに呼吸もひどく浅いけれども、どうしたのか」というような意味のことを、否定形の「マイ」を「ボー」で表現するラオス語混じりのイサーン弁で訊かれたんで、「うん。いろいろあったんだよ」と答えて帰ってきたんだけどね。
    まあ運動不足どころか、まったく運動してなかったわけです。背中がガチガチなのは自覚がなかったけど、無理もない。しかし、呼吸が浅いっていうのは、なんていうか、驚いた。ふつうのひとは、そんなことを言われないままに生涯を終えると思うんだ。

    で、それから2~3日経って、ヨメがアップルパイを買ってきて「これ、おいしいんだよ」と勧めてくれた。ありがとう。うちのヨメは世界でいちばん、おれに優しいんです。
    ひとくち食べて、よみがえったんだよ。シナモンの香り。
    シナモンはね、とつぜん記憶を連れてきちゃう。おれの場合は、そうです。

    すっげえ揺れたの。どうすべきか判断停止状態でPCのワイヤレスキーボード握りしめてた。サバイバル能力が低すぎだ。地震と一目惚れは突然だからな。ほんとに死ぬかと思ったんだ。縦揺れと同時に地鳴りがすごかったよね。それから横揺れ。ベランダの窓なんか施錠してあったのに、バーンって勝手に開いちゃうし。食器棚は造り付けで、揺れの方向と直角の南を向いていたから、あまり被害はなかったものの、他の物はずいぶん壊れました。いろんな物の破片が飛んできたんだが、それがスローモーション再生みたいに見えちゃうのね。
    大きな冷蔵庫が左右に60センチぐらい床を滑りながら踊っちゃって、氷や食品を撒き散らしながら倒れたのが印象に残ってます。氷がキラキラ光りながら、おれに向かって飛んできたりするのは3D映画みたいだった。「もうだめだ」って思うときは、いつだってスロー再生だ。
    けっこう長い間揺れていたんだけどね。揺れが治まったら、シナモンの匂いが部屋に立ちこめたわけです。地殻変動に伴って地中の炭素と水素が芳香族のベンゼン環を形成したわけじゃなくて、シナモンの瓶が床に落ちて割れたからですね。他にもスパイスの瓶はいくつも壊れたけど、シナモンの香りは突出してます。たいしたもんだ。

    そんなわけで、シナモンには少しだけやる気を喚起する効能があるのかどうか知らないが、先週くらいから身体を動かすようにしました。なにしろ背中(東北では<へなが>と発音するのが優雅ですね)ガチガチで呼吸が浅いわけですから。腹筋と背筋と腕立て伏せとスクワットなんかをやってる。初日は10回ずつでイヤになったけど、翌日は20回。それから少しずつ増やして今は30回。今後は年齢よりも一回少ない50回まで増やすのが当面の目標だ。
    あとはストレッチやって終わり。たったの一週間でも毎日続けてると身体が痛くなることはなくなりました。そろそろ走ろうかなって気分になってきた。

    4月末の連休くらいから郡山の知人が3人自殺してるんだが、ぐうぜんみんな遺書がなくて「なんか疲れちゃったな」って軽くぼやく程度で、誰も自殺するなんて思いもよらなかったと。思い詰めた末の自殺ってかんじではないのね。それを伝えてくる人も淡々と「あいつ疲れちゃってたんだよ」って。無関心っていうんでもなくて、でも、すさんでる。これ、ちょっとわかるような気がする。いや、わかってないかな。
    郡山の知人たちはメールだと「被爆者ですから」みたいなことを書いてくるのね。でも電話では「郡山はぜーんぜんだいじょうぶ。遠いもん」とか「地震も郡山では大したことなかったよね。ひとがそんなに死んでないもん」なんて言っていて、「いや。あぶないだろ」って言えないです。そうかと思うと「福島はもうダメなのか」なんてメールが来たりするから、そんなの自分で判断しろって答えると、「いいよな。きみはもう関係ないんだから」って言われちゃう。まあ、でもそのとおりで、おれは逃げちゃった人だ。逃げちゃったひとは、カンケーないんだろうか。
    いわきの知人はひとりが行方不明。ひとりは避難所に居るっていうんで連絡したら、「いや。連絡してこなくていいよ。何も要らないし、来なくていいっての」と不機嫌でした。うーん。まあ、そうか。

    あと、こないだ(5月の初め)にタイの査証取得に日本に帰ったとき、東京で会った年長の友達が「孤茶くんに会うのも、これが最後なんだろうな」って涙ぐんでて。これはつらかった。

    で、タイに戻って何してるのかというと、な~んもしてない。呼吸はしてるよ。ちゃんと深めを心がけて。
    ひとりで居るときは、ずっと音楽を聴いてます。もう、震災からずっとそう。
    音楽はいいな。とてもいい。もうね、ラフマニノフのピアノ協奏曲の2番と3番。あとボロディンの弦楽四重奏曲2番は、スコア見ずに、かなりの完成度でアタマの中で再生できるようになった。そんなの、ベルリンに行って指揮者にでもならない限り役に立たないけどさ。
    あとはヨメや息子に手伝ってもらって料理作ったり、洗濯物取り込んで畳んだり、食器洗ったり。いつも通りだ。
    あいかわらず声を大にして言いたいことなんかないけど、言いたくないことは、たくさん増えた。すっごく言いたくないこと。そのうち言えるようになるのかね。べつに言いたくないことは言わないままでいいと思うんだ。
    まあ、そのぶん息子に教えることはたくさんある。まだ7歳だから包丁の研ぎ方は教えないが、正拳の打ち方とかね。凧の作り方でしょ。あとTシャツで忍者になる方法は、とても気に入ってたね。って、しょうもないことばっかり教えてるな。もっと、なんかこう、じんせいのやくにたつほうほう、とか、そんなのがあった筈なんだが、思い出せない。

    シナモンのおかげで、だらだらとした平常心を取り戻せたような気もします。
    ひどく長くなりましたね。
    では、また。

    • JOSICO says:

      孤茶さんのこの文章が読めて、とても良かったです。胸が詰まりました。

      私は今さらこの状況に混乱してしまっています。震災からしばらくの間は神経が高ぶって、平静ではなかったのだと思います。迂闊なことを言ってしまうのではないか、誰かを傷つけてしまうのではないかと、発言するのが怖くなり、そんな自分は臆病で卑怯なんじゃないかと悩んでしまいます。
      孤茶さんの文章を読んで、少し楽になりました。
      また、象たちの写真なども見せてください。

      ガメさん、いつもブログの記事をありがとう。
      軽い感想しか書かないでいたけれど、ガメさんの言葉は私に深く刺さって、たくさん考えるきっかけになっています。(ああ、考え過ぎちゃダメなんだけど…わかってるんだけど…それは、さておき)

    • 狐茶に手紙を書くのは何年ぶりだろう。
      わしからみると、狐茶は「古参兵」のようなもので、ほうっておいても、自分で員数つけて、上官や神様の無茶な命令もうまくやり過ごして、何重にも張り巡らされた敵の機関銃ネットのなかにバカ新米少尉が「突撃!」と叫べば、「あっ、いてててて、腹が痛え。少尉殿、狐茶上等兵は腹が痛くて動けません。古参兵のおれが動けないのに、二等兵ども、おまえら突撃して勝手に死にやがったら、おれがただじゃおかねーぞ」といいそうなひとでした。
      一方で、夜の兵舎の闇のなかで行われる陰惨な「リンチ」から新兵を守る知恵にも長けている、狐茶はいつもそういうひとで、「人生を生きてゆく技術にすぐれたひと」だと思う。

      でも名門出身の奥さんとのあいだに息子さんが出来て、「がんばる」みたいだったので、ちょっと心配した。
      人間、がんばると、ろくなことはないからな。

      郡山で事業を始めてしばらくしてフクシマが起きたときには、狼狽しました。
      狐茶はどーなるんだ、と思った。
      狐茶も日本人だからこうゆってはなんだか、わしはなんでもかんでも政府がほのめかすことならありとあらゆる理屈をつけて信仰しだすお目出度い日本人とは異なる「放射能迷信家のバカガイジン」なので、郡山にいてはダメではないか、と焦った。

      >シナモンはね、とつぜん記憶を連れてきちゃう。おれの場合は、そうです。

      「匂い」はそうだよね。
      わしは、このあいだまでいたマンハッタンで、ハーレムの横道にはいったら生ゴミの臭いがぷんとして、初めてマンハッタンに行った夏のことをまざまざと思い出しました。
      シナモンは、ダメだな。
      いろいろなところでかいでしまっているからダメなのだと思います。
      でも、ゆってることは、わかります。

      >縦揺れと同時に地鳴りがすごかったよね。それから横揺れ。ベランダの窓なんか施錠してあったのに、バーンって勝手に開いちゃうし。

      >大きな冷蔵庫が左右に60センチぐらい床を滑りながら踊っちゃって、氷や食品を撒き散らしながら倒れたのが印象に残ってます。氷がキラキラ光りながら、おれに向かって飛んできたりするのは3D映画みたいだった。

      怖いのお。

      >4月末の連休くらいから郡山の知人が3人自殺してるんだが、ぐうぜんみんな遺書がなくて「なんか疲れちゃったな」って軽くぼやく程度で、誰も自殺するなんて思いもよらなかったと。

      ほんとうに絶望しちゃうと、そーゆー感じになるのとちゃうやろか。

      >まあ、でもそのとおりで、おれは逃げちゃった人だ。逃げちゃったひとは、カンケーないんだろうか。

      わしは「逃げた」とかいう理屈は判りまひん。
      何が悪いのか判らない。
      「自分が逃げられたと思って、逃げられない人間の身になって考えろ」っちゅう、もっともらしく聞こえなくもないがバカみたいな意見がニホンではたくさんあるの知っているけどね。
      命からがら逃げて、悪いことないやん。
      それで仕事がなくなっても、まともな常識ではフクシマが起きてしまえば、食える見通しなんかなくても逃げるしかない。
      そこが日本の人は狂ってると思う。
      いちばん判らんところやの。

      >東京で会った年長の友達が「孤茶くんに会うのも、これが最後なんだろうな」って涙ぐんでて。

      いいとしこいてガキみたいなオセンチぶっこいてないで、あんたも逃げろよ、とかちゅうわけにはいかないの?
      ダメかのお?
      グダグダ理屈ばっかりゆってないで、いっぺん退却してから作戦練って戻ってくる、っちゅう考えがなぜでてこないのかしら。

      >で、タイに戻って何してるのかというと、な~んもしてない。呼吸はしてるよ。ちゃんと深めを心がけて。

      ここは狐茶らしくてええのお。
      しばらく何もしないで、「無為なおじちゃん」してればええやん。

      >ラフマニノフのピアノ協奏曲の2番と3番。

      いい趣味だのお。
      わしはまた「リゴレット」やなんかがよくきこえる世界に戻ってしまいましたが(ヘンな意味でなくて)
      ラフマニノフてアジアの国で聴くと別のよさがあんのよね。
      土地の霊と呼応してるっちゅうか。

      >声を大にして言いたいことなんかないけど、言いたくないことは、たくさん増えた。すっごく言いたくないこと。そのうち言えるようになるのかね。べつに言いたくないことは言わないままでいいと思うんだ。

      ならないよ。
      みんなならないのよね。
      まともな人間というのは、そーゆーもんだと思います。

      また、遊ぶべな。

      • kochasaeng says:

        東京の年長のお友達は、むかし自殺する予定だったのを、おれが屁理屈で説き伏せて「テキトーな世界」へ引きずり込んだ団塊ど真ん中のひとで、死ぬ理由も死ぬきっかけも喪失しちゃったもんで、とつぜん「お気楽に生きていく」という方位磁針だけを持たされてテキトーのジャングルに放たれたわけです。
        奥さんとコドモには財産を全部贈与したあとで、死ぬばかりの無一文だったんで、テキトーに一冊、それまでの作風とぜんぜん違う本を書いて小金を作って、バンコクにマンションを買って住んだんだけど、基本的にマジメなひとなんで、タイ人たちに振り回されて傷ついて、ほとほとイヤになったんだけど、もう自殺することもできないんで、東京に帰っていたんです。
        「もうね、逃げることからも逃げることにしました」って。だから東京で静かに余生を送って、そのうち誰からも忘れられて消えていくつもりだったのに、この地震でしょ。
        「なんかね。もう、みんなウソばっかりなんだよ」って煮詰まってきたカスタードクリームみたいに、プツプツと絶望してました。
        このひとは、放射能なんか怖くない、っていうか個人的には、むしろ歓迎なわけです。
        もう、イヤなものなんか見ないで、どこにも逃げずに静かに日々を送ろうと思っていたのに、国も知人も自分も含めて、どいつもこいつも全員ウソばっかりでダメダメだってことを「ほらね、ほらね」って思い知らされて、そりゃあもう元気もなくなると思うんだ。
        「もう最後なんだろな」って言われて、おれもそう思ったもん。このひとは、どこにも行かないし、おれももう、ここには来ないな、って。「そんなことないよ」ってセリフは、どこをどう屁理屈こねても出てこない。
        「孤茶くんは、さまよえる日本人でいいじゃない」
        さ、さまようの? おれ。
        「うん。たましいが」
        やだよ、そんなの。ジャック・スパロウみたいなのって、きっつい罰ゲームだ。

        ここに留まりたいってんだから、しょうがねえじゃん。
        ただ、そのひとが友達だってのが、つらかった。出会っちゃったんだもんなあ。あの日。

        あとね、郡山の大きなお友達。70歳超えたひとが多いんだが、やっぱり逃げるって発想はないですね。
        「きみはタイへ帰れ。俺はいいよ。もうじゅうぶん生きたから」って、みんな言う。「この歳になって知らない土地に行くってのはなあ。馴染むまえに死んじまうぞ」
        もう頑張りたくないそうです。地震の数日まえに亡くなった友人の話になって、「ほんと野郎は良いときに死んだよなあ」ってうらやましがってんのね。
        やっぱり静かに諦めてる。
        いちばん仲良しの爺様は「コドモの頃な。小学校の帰りにグラマンに遊ばれちゃってなあ。俺の近くにピシピシ小銃撃ってくンだ。もうアレだ。泣きながら走って逃げたぞな」って笑ってたけど、やっぱりもう逃げる気はないですね。「気が向いたら南方に遊びに行こうかな」って言ってたけど、あれはウソだ。

        ああ、それからやっぱり頑張るとロクなことがないね。ない。
        毎朝の体操は、回数が年齢に近づくどころか一昨日、背筋がガチガチで手摺の助けがないと階段を降りられなくなっちゃったんだ。やりすぎってことはないけどね。よっぽど身体がなまってたんだよ。
        気休めにヴォルタレン塗ってみたら、あれは効くねえ。ぜ~んぜん痛くなくなった。あんなものは単なる筋肉弛緩剤だと思ってましたが、劇的に効くのね。ビックリ。日本じゃ処方箋がないと買えないんだっけな。
        そんなわけで今朝も背筋は鍛えてないんだ。背筋休暇。他の腹筋や腕立て伏せなんかも30回でいいや、と。
        まあ、テキトーですね。
        うん。テキトーだけは毎日だなあ。欠かしたことない。継続は力なり。むかしのひとは良いこと言うよね。

  2. snowpomander says:

    いまここ、2016年3月15日火曜日、フクシマから300km地点長野エリアにてスイーツは伊予みかんのお八つ時。2011年の6月六日にして方丈記になっていたフクシマ。二本の外ではすでに見限られてていて歴史になっていたのだわーーーー!
    NASUさま、まだ間に合います。ここから出よう!

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