Hondarribia

昨日は築1130年のホテルのてっぺんの部屋で夜中にモニと「ふたりパーティ」をやっているあいだじゅうSa Dingding
http://t.co/7nhqrMv
を聴いていたので今日は頭のなかでチベット僧たちがマントラを唱える声が消えない。
ついでに自分でもシャワーを浴びながらマントラを唱えていたらモニに怒られてもうた。

ひさしぶりにジョニー・ウインターの顔を見ようとおもって立ち寄った Hondarribiaがすっかり楽しくなってしまって結局週末をここで過ごすことになってしまった。

夜の12時に始まったジョニー・ウインターの野外コンサートは、どこでもここでも灼熱のクソ夏であるというのに、この町だけは気温が12度くらいに下がって、寒いのが苦手なバスク人やスペイン人には寒すぎたようであった。
北海体質のわしはショーツとフリップフロップでへらへらしてたんだけどね。
テキサン・ブルースなのに素面で聴くわけにはいかないので、ちゃんとバーボンをもっていった。
瓶からラッパ飲みしながら、踊り狂っていても、スペインですもん、全然、怒られません。

兄ウインターおやじは、長年の不健康な生活が祟ったのか、もっと深刻な理由があるのか、67歳なのに腰が抜けてしまっておって、座ったきりだったが、ギターの腕は衰えておらなかった。声は、むかしに較べても声量が落ちた。
大画面に顔のアップが写ると、焦点が全然あってない眼は相変わらずであって、その上に年よりになってしまったので、なんだかビートたけしがふざけてジョニー・ウインターを演じているように見えなくもなかったが、でも、わしはこのブログにも何回か書いたように「夜更けのキチガイ兄弟」ウインター・ブラザースが大好きなので、ジョニー・ウインターがくたばっちまう前にもう一回みられただけでダイシアワセでした。
昼間に仲良くなったピンチョスバーのにーちゃんたちカップルと4人で思い切り盛り上がって遊びました。
ははは。楽しい。

次の日、すなわち金曜日の夜は、バカラオさんのピルピルソース(bacalao al pil-pil)(塩だらのピルピルソース)、アサリの雑炊(arros con almejas)を食べに下町におりていった。
カバの選択を誤って、がまんしきれなくて途中でぶち捨てて、モニさんに白ワインをえらびなおしてもらってガメはわがままだとゆって怒られたが、バカラオさんにありつくのはひさしぶりだったので、途方もなく機嫌がよくなりました。

観光客が大半宿に引き揚げたあとの夜中の通りにはバスク人たちがあふれかえって、カボチャにもならずに舗道をスクーターでぶっとばして歩くチビガキどもや、樽を囲んで大声で笑っている男達が絵として非現実的である。
まるで長いあいだ戦場で有り続けたこの町の石畳の隙間から湧きだした亡霊達がいっせいに立ち現れてつかのまの休息を楽しんでいるようである。

大陸欧州の町は、ひしめきあうように人があふれて、皆が酔っ払う時間になっても、「音」が悪くならない。
マンハッタンのような金属的なような安っぽい嫌な声が聞こえてこない。
男も女も、太いが低い声で、まるで共同して週末の夜の広場のための音の建築に参加しているかのようで素晴らしい。

初めの夜、午前3時だかにホテルに帰ってきたらホテルの正面鉄扉が閉まっていたので、ノッカーを叩いてホテルのひとに開けてもらった。
そのときに女の受付のひとが怯えた顔をしているように見えたので、「ぬはは、ダイジョーブ。この城の主人の騎士が帰ってきたわけではない」と冗談をゆったら、微笑もうとしている顔がひきつっていて、あまつさえ、隣に控えおる、おっちゃんもヒキツケを起こしそうな顔をしているので、もしかしたら、客がくるはずのない時刻であるのをよいことに、
鉛筆でゆえば2Hなことをしていたのだろーか、と思ったが、
次の朝、モニがフランス人向けのガイドブックを読んで、この城ホテルには中世の騎士の亡霊が出るという根強い噂があるのを発見したのでした。
そーだったのか。
悪いことをしてしまった。

鎧戸を開けて、窓の桟に腰掛けて、城のてっぺんの部屋から湾の向こうに広がる大西洋を眺めると、おおきな波も色もうねり方も地中海とは全然別で、オークランドの家が懐かしくなってしまう。

この町は、もしかすると日本では何かで有名なのか、中国の人やインドの人、あるいは韓国の人もアジアの人はまったく見かけないのに、日本のひとだけは二日に渉ってみかけた。日本のひとはマジメなので、夜ふけの下町などではもちろん大通りにも出かけてはこないが、城ホテルにも≈ロビーに√グループがたむろしていたし、次ぎの日にも、坂道をかけおりてゆくふたり連れの若い女びとの話している言葉が日本語であった。

日本語をずっと聞いていないので、何をゆっているのか、もう瞬間的であると聞き取れなくなってしまったが、確かに日本語で、あんなに楽しそうにしているんだから、もう日本に帰らなくてもいいのに、と考えてもうた。

スペインらしい、というべきか、この町は実は町の後背にあたる高台に住宅地があって、そこに3つの連続したエスカレータで上がるようになっている。
モニとわしは、煙草を喫いくるっている5人組のバスクおやじを避けて、しばらく待ってやりすごしてから、エスカレータに乗って高台の公園に行った。

大西洋はモニにもわしにも見慣れた海なので、眺めていると、なんとなく寂しい気持がしてくる。
小さなときから、あんまり何回も見ているので、見慣れたものというのはそういうもので、なんとなくこれで見納めになってしまうような不思議な気持になってしまう。

ブルース・フェスティバルよりも、案外、大西洋が見える町だというただそれだけのことが素通りするはずだった Hondarribiaに三晩もいることになった理由かも知れません。

土地ガキが、湾口をまわって向こう側に歩いて行くのをめんどくさがって、サーフボードで岩場から飛び込んで向こう岸までパドリングしてゆく、という無謀なことをしている。
フラウンダーをつり上げた別の土地ガキが気の毒な魚を釣り竿からぶらさげたまま階段をあがって凱旋してきます。

モニとふたりで、どちらからともなく、「冬にくるのがよいな」と言い合いました。
Hondarribiaはそういう町である。
というよりも、大西洋に面して点在する「元漁師村」のご多分にもれないのだ、とゆったほうがいいのか、
夏のまんなかなのに、街角のあちこちに冬の匂いがこびりついている。
どんなに空気が暑くなっても、窓の桟に塗られたバスク式の原色や、特徴のある石柱のあちこちに冬が根強く潜んでいるような町である。

人気のなくなった早朝のバスク人の町には、一晩を一緒に過ごしてくれる女の子にあぶれた目付きの悪いガキがたむろしているくらいで、他には誰もいない。
相も変わらずへらへらしているわしと田舎にーちゃんたちの想像を遙かに越えた美人のねーちゃん(モニのことね)の二人連れが歩いているのを、うらやましさがもろに出た不良らしい顔を並べてじっとみておる。
わしはもともと、ああいう、救いがたい不良ガキが悪んでいる、すごみを利かしているつもりのマヌケな顔が大好きだが、バスク人たちは、どういう文化的影響なのか、特に絵になる顔をしているようである。

地元人たちが不景気に悩んでいるのは昼間のバールで観察しているだけでも明らかであって、男達はカウンターにやってくると、じっと考えてピンチョスをひとつだけ皿にとってゆく。一杯のビールで粘るだけ粘って、わしに、おれがいま食べているこれもうまいが、そこにあるアトゥンもうまいぞ、食べて見ろ、とゆったりする。
しばらく、モニとわしに話しかけてみたり、バーテンダーのにーちゃんと話したりして、いかにもヒマをもてあましたひとの様子で時間をつぶすと、なんだか耐えきれないような表情で溜息をついているような言葉で表現するのが難しい「バスク式表情」を浮かべて立ち去って行く。

店の主人たちも、愛想をしようとしても、不景気におしつぶされそうだ、とでもいうような表情で、マドリッドとバルセロナだけがなんとかやれていて、後の町はすべて瀕死、というスペイン経済のことをどうしても思い出してしまう。

町に何軒もある、まるで趣味のよいインテリア店でもあるかのようなすぐれたデザインの道具が並んでいる釣具屋を訪問したり、平均的なイタリアのジェラート屋よりも遙かにうまい、たとえばピスタチオのアイスクリームを頼むと、その場で、ピスタチオを上からかけて混ぜてくれる、ジェラート屋で大盛りのアイスクリームを買ったり、店の奥からバスク語とスペイン語を往復する不思議な会話が聞こえてくる、洗濯物が一面にぶらさがっている、アフリカ人たちのアパートの一階にあるバールで一杯が1€のカバを飲んだり、どうもわしは、この町が好きになってしまったようだ。

この5年、日本に遠征して過ごすことにしていた、一年のうちの1ヶ月から5ヶ月という時間を過ごす新しい土地を探すのがこの旅の目的のひとつだが、コモ湖やアビニョンとの組み合わせにしても、 ここでもいいなあ、 と思いました。
避暑地として名前が売れて来た、とゆってもまだ家も安いようだ。

夜中の中庭を通りかかると、すすり泣いているひとがいる。
眼を凝らしてみると、朝食のときに言葉を交わしたドイツ人の夫婦の奥さんです。
旦那さんは車椅子のひとであって、車椅子の扱い方で、最近けがをして歩けなくなったのだと判ります。
スペインという国は日本のようにバリアフリー社会ではないので、町のあちこちにまるで車椅子のひとたちへの悪意であるかのように階段がある。不必要なくらいたくさんある。
ホテルの前の広場にも、そういう殆ど無意味な悪意のような階段があって、朝食で言葉を交わした日の午後それを越えかねているように見えたので、手を貸しましょうか?というと、いらいらした調子で、「自分でやれます」と旦那さんがゆったのだった。
傍らに立った奥さんが、きっと旦那さんが普段すら見せないそういう厳しい口調に驚いたのでしょう、びっくりしたような、非難するような眼差しで旦那さんを見ていた。
わしは、それは失礼、とゆって行きかけたが、二度ほど自分でやってみてもダメだった旦那さんが奥さんに助けてもらうのを無理なのを発見して、わしに、
「さっきはあんな口調で断って申し訳なかったが、やっぱりきみの助けを借りたほうが良いようだ」という。
わしはなにしろ科学の子で百万馬力なので、ホイと車椅子を持ち上げて、徹底的にそっと下ろします。
作男になったら介護も仕事に加えてもらうのがよさそうである。
旦那は照れくさそうにお礼を述べておったが、あれは、そのときの奥さんです。

声を殺して泣いている。
その幽かだが耳を澄ませれば明瞭に聞こえる泣き声は、まるで、われわれがよく知っている、あの「神が泣く声」のようです。

わしは息を殺して、声を押し殺して高い石壁のしたで泣き崩れるひとを見ていた。
それがわしの癖で、いつのまにか歯をくいしばって、すくんでしまった足をとめて、黙っていつまでも見ていた。

慟哭、というのは大声で泣くことだが、沈黙の慟哭というものも世の中にはあるのだ、と考えました。

明日は、またクルマに乗って、西へ向かわなくては。
ガリシアの友達に会っても、サラゴサに寄る暇があるだろうか。

画像はホテルの中庭カフェから見上げたホテルの壁。
クソ壁が厚すぎてWi-Fiが全然とどきひん。
一泊3万円(以上)もとりくさるくせに冷房もねっす。
真夏に来たひとが「暑くて一睡もできなかった」と感想を書いておった。

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