Daily Archives: July 15, 2011

日本を忘れるための努力_第一歩

砂埃が立つ田舎道の道ばたで会社の昼間の休憩を利用してイッパツやってきたおっちゃんが相手の売春婦を商談をまとめた場所にまでプジョー307を運転して戻ってきて下ろしている。 売春婦のねーちゃんはくるまから降りてキャミソールとストッキングを直している。 太陽が照りつけて、乾いた風がおっちゃんとねーちんを等しくねめつけて通り過ぎてゆきます。 猫たちはわびしげで犬たちはエラソーである。 午後1時のショッピングセンターのサンドイッチ屋でエメンタールとハムのサンドイッチを買っていると、身なりのよいおばちゃんが横から、わたしにはハイネケンを一杯とゆってビールを買ってのんでゆく。 近くのテーブルでは土建屋風のおっちゃんたちがふたり、所在なげに赤ワインを飲んでおる。 レオンに行く途中の赤土のホテルで、外に出したプラスティックのテーブルの赤い土のほこりをぬぐって白ワインでタコとイカとイモを食べる。 うめっす。 濃いコーヒーに砂糖をいっぱいいれてかきまぜて、飲み干すと底にこびりついた砂糖がゆっくりカップの底から喉に移動して流れおちてゆく。 コモの湖の西側の丘を、月明かりを頼りに歩いて、石畳の道をたどって、かーちゃんととーちゃんの夏の家からモニとふたりで買い求めた新しい家へ歩いて行く。 コモのどんな小さな村落にもある鐘楼が、広場に影を落としている。 流れ星が湖の上空をいくつも横切って、空の低いところを人工衛星が、なんだか間の抜けた等速で移動してゆきます。 欧州に帰ってきた。 モニもわしも新世界住民を僭称しているが、はっはっは、ほんとうはインチキだからな。 ときどき欧州人にもどってしまうよーだ。 人間は結局生まれて育ったところしか好きになれないのだ、という、あの悪意に満ちた確信が、もしほんとうだったらどうしよう。 もう戻れなくなってしまったが、わしは日本が好きだった。 このブログに何度も書いた定食屋のおばちゃんが好きだったし、このブログには殆ど出てこない、若い科学者たちや法律家、大学の人文系教師たち、あるいはちょっとだけ書いたことがある官僚や研究者である元トーダイおやじたちが好きであった。 一緒にネット上でいろいろな実験もやって、びっくりしたり、感心したりもした。 フクシマが起こって、海外に住むことにしたひともいたし、日本に残ることに決めたひともいた。 フランスで原発がぶっとんでも、結局、自分の故郷に帰る人は帰るだろう、とゆったら元トーダイおやじのひとりが驚いていたが、人間とはそーゆーものではなかろーか。 日本の内閣構成ジジイたちが根拠もなにもなく闇雲に安全だ安全だと言い募るのは、自分なら安全でなければ逃げるに決まっている、命あっての次回選挙議席、と下品な考え以外の考えをもっていないからで、この世界は、ああいうくだらない人間ばかりとは言えないだろう。 孫娘に、どうしてこの事態が安全でないかじっくり言い含めてから、自分だけは死を覚悟して住み慣れた鎌倉の大町に戻る、というのは文明的態度であるというものである。 死ぬまでに、描きかけたツツジの安養院の絵を終わることが出来るだろうか、というのは人間にとって正当な自問でありうると思います。 安全であるわけがないものを安全と言い募る政府は、そういう個人の尊厳さえひとりひとりの人間から奪い取ってしまう。 それがぼくには耐えられないのだ、とYさんは(嫌味にも英語で)書いてきたのでした。 いまの日本と来たら「何が得になるか」という話ばかりで、ぼくが静かに死にたいだけだとゆっても騒音にかきけされて誰も聞いてくれやしない。 ガメは、外国人で、おまけにバカだから、ぼくの声があるいは聞こえるのではないだろうか。 ぼくはハウツーものや、貯金通帳や、土地権利台帳みたいなものと関係がないところで静かに落ち着いて死にたいだけなんだよ。 いままでもあまり良い父親ではなかったし、良い夫でもなかったのは判っているが、死ぬときくらいはもっとうんと生まれてからいちばんわがままでもいいだろう。 ぼくは無害な放射能を「賢くおそれる」町なんかではなくて、有害なのが判りきっている放射能が降り積もる町にもどって死にたいのさ。 ああ、おれが信じてきたこの国はここで終わりなんだな。 でも頑張ったじゃないか。 (ガメが好きな言い回しばかりまねるようだが)悪意に満ちた西洋に押しまくられ、ないものねだりばかりのアジアの諸国には要求を突きつけられて、民主主義を実現しようとして、あの貪欲な田舎者どもや、無関心な都会のバカガキの言いたい放題のラビッシイアイデアにも耐えて、おれたちは、「日本」という世界にひとつだけしかない場所をつくろうと頑張ってきた。 でも、無理に無理を重ねた、そういう努力も、とうとうここで終わりなのだ。 そう納得して死んでゆきたいのです。 ぼくが生まれた新潟の町はとんでもない田舎でね。 自動車がくると、おれたち子供は「それっ」と道路に飛び出していって、思い切り排気ガスを吸い込むんだよ。 そうして、お互いの顔を見合わせて、「おおっ、これこそ都会の香りだな」と言い合ったものでした。 ガメには信じられるわけもないが。 … Continue reading

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カストロなケルト人集落で考えた事

Castro de Barona http://www.galiciaguide.com/Barona.html に行った。 サンティアゴからは60キロくらい。 新しい道路が出来たのですぐに着いてしまう。 2000年前のケルト人達の夢が海辺に射している姿は、奇妙な形をしていて、鄙びて、ケルト人らしく歪んでいて、わしはすっかり気に入ってしまいました。 岩の上に座って大西洋を眺めてしばらくのんびりした。 アルプスの山を越えてコモ湖にあらわれたり、ガリシアにたどりついてタコを食べて顔をしかめてみたり、ケルト人たちというのはオモロイひとびとであって、とにかくあちこちに旅行して、自分の気に入った土地に定住してみるべ、と考えるタイプの生活をしていた、という点でいまの欧州人の生活様式を初めに実践したひとびとだと思われる。 「えー、だって同じひとじゃない」ときみはいうであろうが、 そんなこと何も判ってないのよ。 ブリテン島と大陸とのケルトが総称として文化的な総称なのか多少でも民族的な総称かも判っていないはずである。 わしが日本にいていちばんうんざりしたのは、自分の無礼な態度や非常識なふるまいが引き起こしたとおぼしき相手の反応から、戦争中の日本の集団強姦や大量虐殺まで「日本人に対する人種差別」ですませてしまうひとびとであったが、人種についての話が偏執的に大好きなわりに日本のひとは人種問題の根本的な勘にすでにかけている。 なんでこんなヘンな考えが常識化しているのだろう、と思って考えても判らないことが多かったが、あるときこのブログを読んでくれているひとのメールを読んで、へえと思って調べてみると、80年代に日本が盛んに行った、たとえばロー○リークラブというような組織が後援していた受け入れ側の 大学にとっては迷惑極まりなかったらしい(わしらの側で言う)「観光留学」で欧州にやってきたひとびとが、欧州の閉鎖的な大学世界でまともに相手にされず、フラストレーションを募らせて、「欧州人の人種差別」を唱えだしたという面もあるようでした。 「あの頃はカネがなかったから仕方がない」というが、これはもともと相手にする気もない、本来留学生としての資質に欠けた日本の若い人を受け入れたほうが悪いので日本人のほうが悪いわけではない。 事情は、丁度、いまの英語圏諸国の「語学留学生」と似ているようでした。 あの金持ちの息子や娘達も自分達をそれまでの恵まれた環境であったように遇さない失敬極まる英語諸国の「人種差別」に対して中国語世界で憤懣をぶちまけている。 このひとたちが書いたものをあらためて読むと、フランスに留学してもフランス語が身につかなかったのはもちろん、欧州というものをまるで誤解していて、そうやって誤解された欧州が大量生産されて日本の「誤訳された欧州社会」が出来ていったようにも見える。 人種、という問題を考えるのが苦手なもうひとつの理由は、日本のひとたちが他文化から孤立して生活するのを好むからであって、1億3千万という凄まじい数の国民が太平洋プレートがぎゅうぎゅうと押してくる地震の多い小さな島に住んでいて、資金の面からも、社会の自由度の面からも、あるいはビザの優遇の度合いからも、まるで外国に移住するのを奨励しているような社会制度であるにも関わらず、「外にいけば人種差別が待っている」「外国に行けば女はみんな強姦されて男は性器を切り取られるそーだ」と言い合って、女は顔に墨をぬってガングロになり、男は襲われても襲撃者が慌てて鼻をつまんで逃げる悪臭のポマード(!)を髪に護身用に塗って、小さな島に逼塞して暮らしている。 これは余程根が深いビョーキであって、たとえばフクシマの原発がぶっとんじったときにも、あるひとたちは「ドイツの空港で強制的に放射線チェックをさせられているようだ」とツイッタで大量にRTしていた。 「これでいったん日本に帰ると移住先の国に帰れなくなるかもしれなくて在外日本人は気の毒だ」といいだすひとまでいた。 わしは、それはいかんだろう、と考えて、名指しされていた航空会社の友人に電話して、そんなことをやったらいかんだろーが、ボケ、というと、 「日本から乗り継ぎの乗客のための乗客サービスとして希望者に放射線チェックをやっただけと思う」という。 話していて電話の向こうとこっちでふきだしてしまった。 その日本人のお客さんは、ドイツ語も英語もわからなかったのではないか、悪い事をした、というのでした。 これも、そんなドイツ人らしいマヌケなサービスを思いつくのが悪いとゆえるだろうが。 いまの欧州では現実にアジア人に対する人種差別があるのは誰でも知っていることだが、それは西洋社会に日常の基礎をおいてはじめて判る体のものであって、日本で盛んに「人種差別」と喚き立てるひとびとは、全然そこまでいっていなくて、「お客さん」の段階のひとが殆どであるのが日本人の「人種差別論」の特徴だと思いました。 なんだか根本的にずれている。 たとえばアングロサクソンからの激しい差別意識によって長年苦しみぬいてきたオランダ人などとは根本から話が異なるもののようでした。 ケルト人たちは、もう3000年も他人種と共存したり混交したりしながらこの欧州大陸で暮らしてきた。 そのケルト人たちがもっている「人種」というアイデアは日本のひとが考えるよりも遙かに個々の具体的な事柄に基づいた複雑なものです。 わしがいるこの町でも冗談のつもりで「あんたたちはムーア人に支配されたひとたちだから」とゆって、病院に救急車で送られることになった「欧州通」の日本人がいたそうだが、文字通り世界のあちこちで聞く、その手の話を聞く度に、どうして「判らないことはだまっている」ということが出来ないのだろう、と考える。 日本の人が頭のなかにもっている「人種論」のありかたは、初めから問答無用の喧嘩を売っている形でしかないのを、なぜ気が付かないのだろう。 マンハッタンのユダヤ菓子屋でお茶を飲みながら、「日本では、いまの経済危機はユダヤ人の陰謀だというひとがいるんだぞ」とわしがゆったら、一瞬眼をみはって、怒るより先にお茶をふきこぼして笑い出してしまったユダヤ人の友達のことを思い出す。 自分達ユダヤ人と日本人というものの距離の遠さを思って、自分の宿題ができなかったのは火星人のせいだとゆっている小学生でもあるかのような日本人の「議論」に気が遠くなるようなおかしみを感じたのであるからに違いない。 もっとも20代30代の日本人が、所謂「日本人」とは別の生き物である、というのもほぼ常識になっていて、ミチやケイ、やヤッシは日本人であるよりも先に頼りになるスタイリストで、センスがよくて冗談もうまいヘアドレッサーで、ピンチになればやってきて助けてくれるプログラマーである。 日本人としての強い誇りももっていて、日本人だって誰もが放射能が安全だ、と言っているわけではない、食品だって危険な食品を海外に出すまいとして頑張っているひとたちもいるのだ、と力説する。 そこが日本人らしい、というか、そう言いながらマンハッタンのバーで感極まって泣き出してしまったりするが、泣き出してしまって何も言えなくなってしまった彼の肩をたたいているひとびとのほうは、ただヤッシが人間だと思っているだけで、日本のひとだな、と思うのは、ただ彼の繊細な心がどこから来たかを考えるときだけです。 … Continue reading

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