日本を忘れるための努力_第一歩


砂埃が立つ田舎道の道ばたで会社の昼間の休憩を利用してイッパツやってきたおっちゃんが相手の売春婦を商談をまとめた場所にまでプジョー307を運転して戻ってきて下ろしている。
売春婦のねーちゃんはくるまから降りてキャミソールとストッキングを直している。
太陽が照りつけて、乾いた風がおっちゃんとねーちんを等しくねめつけて通り過ぎてゆきます。

猫たちはわびしげで犬たちはエラソーである。
午後1時のショッピングセンターのサンドイッチ屋でエメンタールとハムのサンドイッチを買っていると、身なりのよいおばちゃんが横から、わたしにはハイネケンを一杯とゆってビールを買ってのんでゆく。
近くのテーブルでは土建屋風のおっちゃんたちがふたり、所在なげに赤ワインを飲んでおる。

レオンに行く途中の赤土のホテルで、外に出したプラスティックのテーブルの赤い土のほこりをぬぐって白ワインでタコとイカとイモを食べる。
うめっす。
濃いコーヒーに砂糖をいっぱいいれてかきまぜて、飲み干すと底にこびりついた砂糖がゆっくりカップの底から喉に移動して流れおちてゆく。

コモの湖の西側の丘を、月明かりを頼りに歩いて、石畳の道をたどって、かーちゃんととーちゃんの夏の家からモニとふたりで買い求めた新しい家へ歩いて行く。
コモのどんな小さな村落にもある鐘楼が、広場に影を落としている。
流れ星が湖の上空をいくつも横切って、空の低いところを人工衛星が、なんだか間の抜けた等速で移動してゆきます。

欧州に帰ってきた。
モニもわしも新世界住民を僭称しているが、はっはっは、ほんとうはインチキだからな。
ときどき欧州人にもどってしまうよーだ。

人間は結局生まれて育ったところしか好きになれないのだ、という、あの悪意に満ちた確信が、もしほんとうだったらどうしよう。

もう戻れなくなってしまったが、わしは日本が好きだった。
このブログに何度も書いた定食屋のおばちゃんが好きだったし、このブログには殆ど出てこない、若い科学者たちや法律家、大学の人文系教師たち、あるいはちょっとだけ書いたことがある官僚や研究者である元トーダイおやじたちが好きであった。
一緒にネット上でいろいろな実験もやって、びっくりしたり、感心したりもした。
フクシマが起こって、海外に住むことにしたひともいたし、日本に残ることに決めたひともいた。
フランスで原発がぶっとんでも、結局、自分の故郷に帰る人は帰るだろう、とゆったら元トーダイおやじのひとりが驚いていたが、人間とはそーゆーものではなかろーか。
日本の内閣構成ジジイたちが根拠もなにもなく闇雲に安全だ安全だと言い募るのは、自分なら安全でなければ逃げるに決まっている、命あっての次回選挙議席、と下品な考え以外の考えをもっていないからで、この世界は、ああいうくだらない人間ばかりとは言えないだろう。

孫娘に、どうしてこの事態が安全でないかじっくり言い含めてから、自分だけは死を覚悟して住み慣れた鎌倉の大町に戻る、というのは文明的態度であるというものである。
死ぬまでに、描きかけたツツジの安養院の絵を終わることが出来るだろうか、というのは人間にとって正当な自問でありうると思います。
安全であるわけがないものを安全と言い募る政府は、そういう個人の尊厳さえひとりひとりの人間から奪い取ってしまう。

それがぼくには耐えられないのだ、とYさんは(嫌味にも英語で)書いてきたのでした。
いまの日本と来たら「何が得になるか」という話ばかりで、ぼくが静かに死にたいだけだとゆっても騒音にかきけされて誰も聞いてくれやしない。
ガメは、外国人で、おまけにバカだから、ぼくの声があるいは聞こえるのではないだろうか。
ぼくはハウツーものや、貯金通帳や、土地権利台帳みたいなものと関係がないところで静かに落ち着いて死にたいだけなんだよ。
いままでもあまり良い父親ではなかったし、良い夫でもなかったのは判っているが、死ぬときくらいはもっとうんと生まれてからいちばんわがままでもいいだろう。
ぼくは無害な放射能を「賢くおそれる」町なんかではなくて、有害なのが判りきっている放射能が降り積もる町にもどって死にたいのさ。
ああ、おれが信じてきたこの国はここで終わりなんだな。
でも頑張ったじゃないか。
(ガメが好きな言い回しばかりまねるようだが)悪意に満ちた西洋に押しまくられ、ないものねだりばかりのアジアの諸国には要求を突きつけられて、民主主義を実現しようとして、あの貪欲な田舎者どもや、無関心な都会のバカガキの言いたい放題のラビッシイアイデアにも耐えて、おれたちは、「日本」という世界にひとつだけしかない場所をつくろうと頑張ってきた。
でも、無理に無理を重ねた、そういう努力も、とうとうここで終わりなのだ。
そう納得して死んでゆきたいのです。

ぼくが生まれた新潟の町はとんでもない田舎でね。
自動車がくると、おれたち子供は「それっ」と道路に飛び出していって、思い切り排気ガスを吸い込むんだよ。
そうして、お互いの顔を見合わせて、「おおっ、これこそ都会の香りだな」と言い合ったものでした。
ガメには信じられるわけもないが。

ぼくは懸命に勉強して、銀行員の嫁と結婚して、大学の教員として生計をたててきた。
生まれてから、いままでずっと恵まれてきたきみは笑うだろうが、ぼくは学部にいるときには窓ふきや居酒屋や学年が進んでからは塾の講師をしたりして、きみの言い方を借りれば「歯をくいしばって」、自分の人生をつくってきた。
息子が生まれて、娘が生まれて、他人さまには決して誇ったことはないが、「静かな」家庭をこの国でつくってきた。
そうとも、いままでただのいちども他人に言ったことはないが、この自分の家族こそがぼくの誇りであり、王国だったのです。

そうしたら「この程度の放射線は安全」だってさ。安全だから、おまえの町にいろって。
バカにしてやがる。
こんなところにまで、あいつらの薄汚い商人の功利性をもちこんで、計算機をたたけば、あなたにとってはここにとどまったほうがお得ですよ、っていいやがる。
バカにしてやがる。
ぼくは、あいつらがたたく計算機の音がしないところで死にたい。

そこから先は、Yさんはきっと大好きな日本酒で酔っ払ってしまったに違いない、なんだかよくわからないことばかり書いてあったが、わしは他の日本人友達たちからのメールと同じように、このメールも「歯をくいしばって」読んだ。

この記事の少し上に「わしは日本が好きだった」と(多分)書いてあると思うが、わしはもともと言うこともよお言われないで、なんだか全然わからんタイプの人間が好きなのでもある。
日本人は、言っていることは滅茶苦茶で、しかも肝腎の部分をなしているひとびとはその「滅茶苦茶」さえようゆわれない。
ただ唇をかみしめて、じっと、なぜわかってくれないのだと足下の地面を見つめているだけのマヌケが大半だと、わしは知っている。

しかし、Yさんがその典型だが、「聞き取りにくい声」をこそ聞かねばならないのだ、と思います。

…あかん、ここまで書いてきたらなんだか腰が抜けたように書きつづける気力がのうなってもうた。

日本人って、つくづく、頭がわるいのお。
たまらん。

Yさん!

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