Ooh La La!

わしはビルバオにいる。
ビルバオのホテルの部屋で日本人の友達からきたe-mailを読んでいる。
結局、日本語では正しく何事かを考えるということはできないのではないだろうか?
ガメ、どう思う?
われわれの言語はこの世界にたったひとつの神様が関与しない言語で、ぼくもぼくの友人達も、それをたいそう誇りにしていたものだった。
きみが、日本語に興味をもったのも、そういう理由だった。
長野の山のなかの、あのレストランで、闇のなかに聳え立つ木々の影をながめながら、神と人間の言語の関わりを、われわれが声帯をけいれんさせ舌をふるわせてわずかな語彙で神を考える事の意味を、議論したときの興奮をおぼえている。
だが、結局、神が関与しない言語など悪魔の言語にしか過ぎないのではないだろうか?
われわれは、ほんとうのところ悪魔的な民族で、いわば世界のなかで悪魔的な文明を繁殖させているだけなのではなかろうか。

Kさんのメールを何度も読み返してみるが、そうしてわしは、なぜKさんがそう考え出したかも知っているが、
答えなんて判らねーよ。
判りたくないのかも知れない。
それとも、もう人間の言葉で考えるのがめんどくさくなったのかもしれません。

Ooh La La! Ooh La La!
人間の文法で出来たこの息がつまりそうなシンタクスと語彙で考えるくらいなら、意味のない声を挙げて、踊り狂ったほうがいいのではないだろうか。
Ooh La La! Ooh La La!
この知能には、この知恵には、この羨望や、この洞察には、
なんの意味もない。

どんな建設性もありやしない。

わしはチェルノブイリの結果だという、一つ目の胎児や双頭の幼児、手足が四方八方に生えた不思議な形の人体の標本を見ている。
日本人の若い医学者たちの意見に反駁するアメリカ人やUK人の友人達のメールを読んでいる。
標本の扱い方について初歩的な知識に欠ける、ある種類の日本人たちの統計の取り方を冷笑するドイツ人たちの手紙を読んでいる。
なぜ日本人は、こういうバカどもを訴えないのか?
それとも国民ごとバカなのか?
ガメは、なぜ日本人たちのために意見を述べてやらないのか?
それともきみが日本語が出来るという噂は嘘なのか?

Ooh La La! 
Ooh La La La!

あんたの知ったこっちゃねーよ。
わしの舌はわしのもので、あんたの脳にくっついているわけじゃない。
わしの良心はわしのもので、あんたの「良識」に付属しているわけじゃない。

一つ目の胎児がホルマリンの瓶のなかから、わしを凝っと見つめているからといって、彼(ちんちんがちゃんとついているからな)は、わしを非難しているわけではないだろう。
日本人を非難しているわけでもなければ、ましてケーサンショーやトーデンを非難しているわけでもない。
ただ自分の形質を悲しんでいるのさ。
なぜ自分の染色体だけを神様が「修復」してくれなかったか、ホルマリンのなかで漂いながら訝っている。

それだけのことです。

わしはビルバオの、世界中からやってくる(はず)の観光客めあてに大金を掛けて開発した川沿いのウォーターフロントを、両手をジーンズのポケットに突っ込んで歩いている。
モニが、その恰好が、不良のチビガキのようだとゆって笑っている。

日本語にスイッチさえ入らなければ、結構ノーテンキなんだけど。
モニが「ガメ、また日本のことを考えているのだろう?」と
わしの広すぎる肩に手を回して、背伸びして囁いている。

モニ、わしは、このごろ、ときどき山も海も川も、森林ですら、もう見たくない、と思う事がある。
空も、雲も、地平線も、神様がつくったものは、どれも見るのはうんざりだ。
あいつは、なんて嫌なやつだろう、と思う。
広がりもなければ終わりもない。
細部もなければ全体もない。
神の言葉で見渡すこの宇宙はなんと殺伐としていることだろう。

どうして、わしはここにいるのだろう?

Ooh La La! 
Ooh La La! 

Ooh La La La!

 

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2 Responses to Ooh La La!

  1. wiredgalileo says:

    がめさんとかが書いている神や悪魔という言葉は私にはよくわからない。
    「自分」の外に「神」とか「悪魔」とか超越的な存在があって
    それを好きだの嫌いだの言っているように聞こえる。

    私にとって共感できる世界の見方は、たとえば以下のような
    ネイティブの言葉だな。

    いちばん重要な、最初の平和は、人の魂のなかに生まれる。
    人間が宇宙やそのすべての力とのあいだに、
    つながりや一体感を見いだせたとき、その平和が生まれるのだ。
    ――ブラック・エルク 『それでも あなたの道を行け』より

    たしかに人は、特に現代の人は、魂の平和を持つことは難しいだろう
    けれども、それは人の目指すべき道なんだと思う。
    がめさんはおそらく、モニさんを通して魂の平和を感じることができるのだろうから
    それは幸福なことだ。子供たちが生まれればさらにそうなっていくだろう。
    人はたぶんそういうふうに出来ていて
    男は女に助けてもらい、大人は子供に助けてもらい
    ときには犬や猫や植物とかにも助けてもらいながら
    つながりや一体感を教えてもらいながら
    生きる道を探していくのではないだろうか。

    核事故は、世界にミクロレベルで「反・生命」「虚」を拡散させるところが怖いね。
    しかしわれわれが拠って立つところは、「生命」「実」しかないだろう。
    世界に拡散された「反・生命」「虚」に引きずられて、
    世界に言葉の毒を吐いていても仕方がない。
    悲惨な運命のなかでも静かに人々を勇気づけられるような
    偉大な人々はこれまでもたくさんいた(聖者とかそういうものでなくても、
    村の普通のおばさんとか、世の中に知られていない人たちも含めて)。
    そういう人のようになっていきたいと思う。

    • wiredgalileoどん、

      >がめさんとかが書いている神や悪魔という言葉は私にはよくわからない。

      (皮肉ではなくて)日本語で考えている限りは絶対に判らなくて、また、そうでなくてはおかしいと思う。それが日本語でものを考えることの良いところであって、おおげさに言うと日本語でものを考えられる人間の役割なのではなかろうか。
      世界中の言語は「神様」で汚染されている、と思う。

      >いちばん重要な、最初の平和は、人の魂のなかに生まれる。

      そりゃ、論理的にいっても当たり前でんがな(すまん)

      >つながりや一体感を見いだせたとき、その平和が生まれるのだ。

      これは「一体感を見いだす」というところに虚偽があるとおもうが、このあと顔ガリレイどんに返事を書くときにでも話したい。

      >魂の平和を感じることができる

      信じてもらえないかも知れないが、わしの魂はいつも平和ですぞい。
      ときどき「怒り」で魂が上昇するが、すぐおさまります。
      タフ、なんです。
      鈍感なわしの特徴ですのい。

      >人はたぶんそういうふうに出来ていて

      それは物事を見る角度によって同じことがいろいろに見えるんです。

      >世界に言葉の毒を吐いていても仕方がない

      言葉の毒、であるにしても、それは「世界」に向けられているわけではないのです。

      >勇気づけられるような
偉大な人々はこれまでもたくさんいた

      わしは、多分、ひとを「勇気づける」ようなことを言う人がいまのところ嫌いなのかも知れません。
      (すまん)

      コメントへのご返信はまた別に考えをまとめてから書きます。

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