La Carte s’il vous plaît

1 

モニと結婚する前は、フランスを旅行する、というと昼食はトラックの運転手さんたちが集まるところで摂る、と決まっていた。
街道のあちこちにあるこういう定食屋は、おいしいし、安いからです。
日本でゆえばでっかいポテトサラダみたいなのとかサラミが10枚くらい載っていてマヨネーズさんがかかっているみたいな前菜、本家なのだから当たり前だが、これはこんなうまい食べ物だったけかと思うほどおいしいフレンチフライがごしゃまんと脇に積まれたビーフステーキ、何種類でも自分で勝手に切り取って食べればよいチーズ、赤ワイン500ml、それにクランブルレと珈琲がついて10€、というのが相場であった。
そういう謂わばフランス式定食屋神田食堂が至る所にあるのがフランスという国のもうひとつの良い所でクルマでどこからどこへ移動しても、お腹がすいたところでテキトーに昼飯を食べて、夜はまたテキトーによさそうな食堂にはいって、部屋が食堂についていれば、そこで泊まればよい。
気楽なもんです。

モニというひとは、しかし、そういう場所に一緒に行くとはなはだしく場違いなひとで、
食堂に一歩はいるなり、食堂のおばちゃんたちは、し、しまった非現実的なものを見てしまった、という顔になり、トラックの運転手さんたちは、怯えた表情を浮かべて顔をひきつらせている。
別にモニさんが目を燐のように輝かせて口から紅蓮の炎をはきだしているわけではありません。
やや現実味を欠いているほどの美人であるモニが店にはいってきてしまったので、店のなかが皆「どーしよー」という空気になっているだけである。

その後ろから、義理叔父にゆわせると「極楽のトンボでも怒り出すくらい気楽そうな」わしがはいってゆくと、冗談ではなくて、いっせいに安堵の空気がもれる。
よ、よかった、人間のお供が一緒ではないか、おまけになんだかへらへらしていてちょっとバカそーだし、と思うもののようである。

パリの郊外で週末を過ごすことに成ったので、モニとわしはモニかーちゃんご一行さまよりひと足はやく移動することにした。
途中、お腹がすいてきたので、「お昼ご飯、どーしよー」とモニに訊くと、
トラック食堂に行こう、という。
えええええー、と思ったが、ひさしぶりでもあるし、ま、いいか、ということにした。

最後にこの手の定食屋に来てからだいぶん時間が経ってはいるが、いまでも全然おんなじです。

狭い店内にはトラックの運転手さんたちがひしめいていて、テーブルはみな相席で満員である。

メニューは相変わらずほぼ上記のごとき内容で、しかも2年は経っているのにまだ10€である。
おばちゃんたちは初めモニに話しかけるときには「おっかなびっくり」という表現がぴったりの様子だったが、モニというひとは平明なひとなので、ひと言ふた言言葉を交わしただけで、安心するばかりか嬉しくなってしまったようでした。

おばちゃんたちが忙しいのに、なにくれとなく気をつかってくれるので昼食は楽しいものだった。

前菜を食べ終わったくらいのところで、ふたりの大学生がはいってきて、モニとわしのテーブルの隣でトラックおじちゃんと相席をすることになった。

なにしろ狭い店内なのでモニが椅子を動かして道をあけてやると、大学生ふたりは、大恐縮して、盛んにお礼をいっておる。
ふたりとも身なりのよい、気持のよい青年である。
向かいで炭酸水ボドアをちびちび飲んでいたおっちゃんが、ふたりの青年に向かって、話かけ始める。
自分はクルマを運搬する途中でここに寄ったのだが、今日は天気もいいし、道も空いているし、いい日でした。

ふたりの青年は、返事をしません。
失礼にしている、というのでは全然ない。
ごく自然に返事をしない。
片方の大学生はおじちゃんの顔を見ているが、もう片方に至ってはおじちゃんの座っている「方角」を見ているだけで、まるで横から見ていると、あたかもトラックおじちゃんは亡霊であって、青年には見えていないもののごとくである。

おじちゃんは、相変わらず機嫌よく話しかけているが、とうとう勘定をすませて立ってゆくまで、このふたりの青年は、メニューに載っている食べ物の相談やこれから出かける先の森についてお互いのあいだだけで会話するだけで、トラックおじちゃんにはひと言も話しかけるとか返答する、というようなことはなくて終わってしまった。

あまつさえ、おじちゃんは「では、ご機嫌よう、気をつけて旅をしてくださいね」と挨拶をしていったが、別にこのふたりは挨拶を返すというのでもない。

わしは、フランスだのお、と見ていて思います。
フランス人の習慣では、別にこのふたりはおっちゃんに対してケーベツ的な態度をとっていたわけではない。
「話をする場面ではない」から話さなかっただけです。
日本では「身分ちがい」というような事を聞くと、幸せにも、みながその時代錯誤な語彙にふきだしてしまうが、フランスではいまでも「身分違い」という事が厳然とある。
身分が下のものは、身分が上のものに話しかけたりしないことになっておる。
おっちゃんが盛んに話しかける失礼はとがめないとして、このふたりがおっちゃんに返事をする理由はなにもないので、ふたりは、まるで自分達に見えていない幽霊と相席しているかのような態度にみえたのでした。

だから何よ、とゆわれても困る。
ずっとずっと大陸欧州にすんでいる日本のひとから来たメールのなかに、フランス社会の「身分」について触れているところがあって、それは殊更にフランス社会に厳しい身分の区別があることを嘆いている、ということでは無論なくて、話の一環として、単純に身分について触れていて、こんなに長いあいだ住んでいるのに、どうもいまだによーわからん、と書いてあったのでしたが、読んでいたわしは、そーか、このひとも欧州に長く住みすぎて、到頭、そんなところまで見ちゃったのか、と考えたので、自分で考えてみるヒントとして定食屋で見たことを日本語で書いてみよう、と思っただけである。

連合王国では、他の「西洋」と同じ、人間の社会でもっとも大事なのは「礼儀」である。
失礼な人間にはまともにものを答える必要はなくて、適当にからかえばいい、どころか、下手をすると礼を失すると、社会全体から「いない」ことにされます。
日本のひとは、なんとゆってもアジアの国で、タイのひとと同じ、どちらかというと「失礼」を親愛の情をみせる手段と思っていたりする。
こういうと怒るであろうが、日本のひとの「失礼さ」というのは世界に鳴り響いている、とゆってもよい。
日本に来ると、みなで「われわれは礼儀の国ですから」というので、国内と国外とでこんなに認識が違う国民ているかしら、とわしはぶっとんだものでした。
そのうちに、「卑怯」や「失礼」というものに対する認識が異なるだけであって、たとえば日本の社会では「ほんとうのことをいう」というようなことはたいへん失礼なことで、
日本人でも、あるひとは江ノ島から鎌倉に戻るタクシーのなかで「いやあー、カマクラ、カマクラっていうから、どんな良いところだろうと思ってましたが、来てみると、なんだか、きったねえ、小さな町ですねえ」と同乗の鎌倉人にゆって、前で聞いていて激怒したタクシーの地元出身運転手に「あんた、降りてくれ」とゆわれたそーだが、
そーゆーことをゆってしまうと、日本という社会では社会から降りてくれ、とゆわれるもののよーである。
わしが日本語ネット上で見聞きしたことでも、いきなり大無礼な調子でおしえてくんをしたり、自分が人類の教師であるかのような態度で突然他人を怒鳴りつける、というようなことは、逆に、日本では失礼ということにならないようだ。

失礼な態度をとると、いきなり殴られるかもしれないが、礼儀に叶った態度をとっていれば、連合王国はフランス共和国と異なって身分が上の人間も必ず返事をすることになっている。
フランスでは不可視の「身分」が連合王国では「階級」として誰にも判るようになっているが、そういうところは正反対で、いくら、アクセントを聞けばたちまち判る、身分が明瞭に下の相手でも話しかけられて無視すれば連合王国では大変失礼な行為です。
礼儀がわからん奴、とみなされる。
なんだか、どこからどこまでも反対、といいたくなるところがあります。

欧州、というと「自由・平等」と木霊がかえってくるような日本のひとの視線を思いかえしてみると、もっと日本のひとが頑張ってくれていれば、よいことがあったのに、と日本語を「なんじゃ、こりゃ、悪魔の言葉か。むずかしー」と思ってベンキョーしだした頃には、まだもっていた日本のひとたちへの期待のことを思い出します。

2 

クルマに乗って少し先の湖に行く途中で、ふと気が付いて、モニかーちゃんの友達がゆっていた「おもしろい寿司屋があるから行ってみろ、ちゅう寿司屋て、このへんじゃなかったっけ」と訊いたら、そーゆえばアウトレットの近くだから、このヘンだな、とモニも言う。
探してみたら、すぐに見つかったので、モニかーちゃん友達に敬意を表して、寄ってみることにした。
フクシマの事故が起きる前は、鮨といえば日本に寄ったときに銀座か築地で食べるもの、と決めていたので、日本の外では日本食はまったく興味がなかったが、最近は、あまりこだわらなくなった、という背景もあります。

クルマを駐めてメニューを見ると、いたってまともでおいしそーだ。
モニかーちゃん友達が、是非たべてみろ、と熱心に勧めてくれた「天ぷらうどん」に至っては、感じのよい丼に上品なエビ天ぷらさんが透明な黄金のごときうどんつゆに2匹静かに身をよこたえておられる。

入ってみると、髪の毛を部分的に紫に染めたいかにも日本人然とした上品なおばちゃんがテーブルに案内してくれる。

日本にいたときには、わしの容貌ちゅうか外見と日本語というのはよほどかけ離れた関係にみえるらしく、ときどき、ぬははおどかしちゃれ、と思って、わしの天上(天井ではないのよ)の音楽のごとき、流麗な日本語で話しかけると日本のひとはぶっくらこいて腰をぬかすのが常であった。
パリ郊外でも同じ光景を現出しちゃれ、と考えたわしは、
「失礼ですが、日本のかたですか?」という。
おばちゃん、びっくりして、一歩とびのいてから
「はっ?はっはっはっ? ふおーい、なんでごじゃりませう」という用法的に崩壊したフランス語がかえってくる。
日本のひとだと100%確信していたのに。
きっと完全にフランス化した日本のひとなのだろー、と考えました。

うどんが着いた途端に、モニとわしは「おおおおー、すごい!」とふたりで期せずして叫んでしまいました。
だって、うどんが寿司桶にはいってんだもん。

ははは、すごい。
エビさんもいつのまにか天ぷらからフライに着替えておるではないか。

… あのクソババア、またわしをからかいやがった。

そーゆえば、この辺りにはAAAAAソーセージちゅうのがあります。
地元のプライド、信濃の蕎麦、讃岐のうどん、太地のいるかというか。
かるいいるか、ほあんいんぜんいんあほ、というか。
わしは、これも食べたいと念願しておった。
「ほんとうに食べたいなら、この地方のものだから、あのソーセージで有名なレストランに連れていってあげるけど」というモニさんが言うので、連れて行ってもらった。
モニさんは機嫌がよくて、なんだか楽しそうに運転して、あっといまに着いてしまう。

かっこよくモレルソースのを頼んで待つこと約5分。
来た、見た、(ついでに写真も撮った)、食べた。

ぎゃあああああああー、と思いました。
わし、生まれてからこのかたこんな不味いもの、ちゅうか、食べた瞬間に嘔吐するか即死するかみたいな食べ物は、二度目である。
(一回目は納豆でごんす)

ぶっといソーセージをデザインがかっちょいい特別なナイフで切ると、ぷんっ、と下水が腐ってゾンビの肉汁が溶け込んだような臭いがして、豚の腸から、プリッと蛔虫の煮込みみたいんが飛び出してきますねん。

あー、すげー、すげ杉。

ほんまに死ぬかと思いました。

うれしそーに満面に笑みを浮かべたモニを急かして、勘定をすますと、レストランのひとには、どーもお腹の具合がよくなかったようだ、と申し述べながら、そそくさレストランを出てきました。

で、結局、モニとモニかーちゃん、及びモニかーちゃん御一統様とこの某郊外にやってきてからは、毎日みなでゴルフばかりやっていた。
わしは運動神経運動性能ともに抜群であると自他ともに認めておるが、スポーツをマジメにやらないほうであって、モニのかーちゃんにも、モニを相手に両手にラケットをもってテニスの試合をやっていてシャンパンの瓶で張り倒されそうになったことがある。
でも、モニが恥をかくといかむので、ゴルフはマジメにやっておる。
ときどきドライバをわざと空振りして手のひらをデコにかざしてボールの行方を見守る、という芸をみせるくらいにとどめておる。

夕方になると湖畔のレストランへ、道を横切ってゆく鹿さんたちに気をつけながら、クルマをつらねて出かける。

あとはクソコンピュータが32度に保っている温水プールで泳いだり、このあたりの気が遠くなるような美しい景色のなかを散歩したり、10キロくらい離れたところにある、むやみやたらと古いのが売り物の「世界一美しい通り」とかいう能書きのクソ町にでかけて狭い小路を抜けてシャンパンがうまい店にたどりつくと、そこでみなでシャンパンを次から次に開けて遊ぶ。

フランスという国は、何度来ても、俄には信じがたいくらい美しい田園と、そうとは知れないように剪定された姿の美しい木がある優美な森林が、そこここにある、「美しい国」です。
田舎の典雅な姿は、あちこちに原子力発電所をぶったてたフランス人が文明の底ではまだ正気を保っていることの証拠であると思う。

フランスという国を、むかしは大嫌いだったが、いまはもうあんまり嫌いではなくなったようだ。
モニの祖国であるということがやはり大きいだろうが、そればかりでもないのかもしれないと思ってます。
子供のときには、フランス人が揃いも揃ってこんなに親切だとは思ってもみなかった。

来週になれば、わしはカリフォルニアに移動しようと思うが、嫌いなものが減る、というのはなんというよいことだろう。

嫌いなものが減る度に呼吸が少し深くなってゆくようだ。
はは。りり。

(画像が、わしのいる大森林のなかの家から5分くらいドライブすると到着する湖でごんす。日が沈む頃になると、綺麗どす)

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8 Responses to La Carte s’il vous plaît

  1. wiredgalileo says:

    フランスではそんなに厳然たる身分制があるんだ!それは驚いた。
    で、それって、トラック運転手層は「大学生」にはなれないってことんだよねきっと?
    日本が総中間層的な社会になったのは、教育によるシャッフルは大きいんだろうな。
    (「下層民」でも「良い学校」に入れば中・上層に上がれる仕組みだったと。)
    ただそれは、故郷を捨てて都会に出る人たちが莫大に生まれ
    自然が破壊され共同体が破壊されたプロセスと同時並行だったものであり
    高度成長や、がめさんが好きだったらしい「60年代までの日本」(だっけ)というのは、
    共同体と「近代的個人」のバランスがちょうど良かったときにのみ可能だった
    ある種のユートピアのようなもので(今から思えば)、
    その後は、共同体というベースが崩壊しきってしまったのかもな。
    で、今の日本の「近代的個人」やエリート層?というのは、
    非人間的でプライドだけは高く
    「知性」は自分を守るためだけに使う
    Twitterで紹介していたbit.ly/oEu0wLのブログ運営者みたいなのが
    大量に生産されるようになってしまった。
    (コメント欄で執拗に運営者を追求している「ごん」という人がいるけど
    これはがめさんなのかな?違うような気もするけど。
    しかし、こういう「はてな人」たちとつきあっていたら
    日本に絶望する気持ちはわかるなー。気持ち悪いよねえ。)

    • 顔ガリレオ(wiredgalileo)さま、

      >フランスではそんなに厳然たる身分制があるんだ!それは驚いた

      きっと知らないからおどろいてもらえるんちゃうかなあああーと思って選んだので、驚いてくれると嬉しいのお(^^)

      フランスという国は、目に見えない「ルール」が網の目のように張りめぐらされていて、たとえば、「こういう場所でこういう事をするときには、こういう服でいるものだ」という細かいところまで(暗黙のうちに)規定されている。
      すげえー鬱陶しい社会なんです。
      そういう決まりをつくるのが好きなんだと思う。
      いわば社会集団としての趣味ですのい。

      >日本が総中間層的な社会になったのは、教育によるシャッフルは大きいんだろうな

      そう思います。明治時代にはたくさんの「平民」が教授になり上級役人になり、田んぼの土がついた足を洗って、「おらが村の秀才」として中央で権勢をふるった。
      戦後の「アルファ会」が次第に「塾・予備校」という形でカネで受験合格ノウハウを買うようになるまで日本は世界一風通しのよい社会だったように見える。
      わしは日本という社会は軍隊に似ている、と思っていますが、この日本という軍隊国家には兵隊が将校になる大道があった。
      日本人が誇りにしていいことだと思います。

      >「60年代までの日本」(だっけ)というのは、 共同体と「近代的個人」のバランスがちょうど良かったときにのみ可能だった ある種のユートピアのようなもので(今から思えば)、 その後は、共同体というベースが崩壊しきってしまったのかもな。

      1945年8月15日、戦争で完全に破壊された「更地」の東京に立って灼熱の青空を見上げたひとびとの気持は「なんとも言いようがない、踊り出したくなるような、明るい気持」だったと言う。
      ひとびとは日本人としての「一体感」を感じ、階級社会だった戦前とはまったく異なる、人民戦線主義、とでも呼びたくなるような性質の共同体をつくってゆく。
      それが、「駅前シリーズ」や「無責任男」の画面いっぱいにみなぎっている、「ユートピアの空気」につながっているのではないだろうか。
      わしは映画のなかの、小津的世界や、ああいう世界が、とてもとても好きですし、その背景に仰るような共同体と個人のバランスがなければ、ああいうものが出来るわけはない。
      多分、いまの日本人は、当時の「幸福の記憶」を失って、ずっと無能無責任でありつづけた知識人たちが書き残した社会を日本の記録だと思い込んでいるのではないでしょうか。
      たとえば、むかしの会社員の日記を読むと、信じられないくらいいい加減で、読むと「あっ、これだからやれたんだな」とすぐに判る。
      いまの会社員みたいに「マジメ」じゃないんです。

      >今の日本の「近代的個人」やエリート層?というのは、 非人間的でプライドだけは高く

      だから生産性が低い。
      「葉隠れ」の「武士道」が侍として使いものにならない小役人によって書かれたのと同じように、彼らが実社会ではたせなかった自己像として夢みる「エリート」、あるいは受験秀才が彼らをコントロールするために社会へ投影する「正しい日本人像」というのは、どうしようもないくらい生産性が低い人間像でしかない。
      それにふりまわされると、社会は消滅します。

      >「ごん」という人がいるけど これはがめさんなのかな?

      違いますよお。わしは、そんな親切心ない。
      逆に何か誰かが言ってきても、もう黙殺です。
      懲りてるからな。
      また、前みたいに「はてな」とかは大挙して「ガメはバカ」と言うだろうが、
      千人まとまってもバカはバカなので、どうでもいいっす。

      >こういう「はてな人」たちとつきあっていたら 日本に絶望する気持ちはわかるなー。気持ち悪いよねえ。

      2chのほうが、常識人ヅラを装わないだけ百倍まともよね(^^)

      「はてな」は極めて日本的なブログシステムなので応援しようと思っていたが、おもわぬ方向に「日本的」になってもうた。
      技術的にはブックマークが、はてなを滅ぼしてしまったように見えます。

      • wiredgalileo says:

        >むかしの会社員の日記を読むと、
        よくまあ、そんなものまで読んでるねえ。すごいよ。
        無責任男は「カネのないやつぁ 俺んとこへ来い 俺もないけど 心配すんな」と歌ったんだよね。
        「旧約聖書イザヤ書」の「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい」と、無責任男を比較して論じているブログを見かけたことがあったよw

        (ごめん、2のコメは違う記事に付けるべきコメだったんで、そちらに投稿し直してしまった。削除できるようだったらお願いします。)

  2. wiredgalileo says:

    添い寝や母子文化というのは、一般民衆、日本文化の基層の話だね。
    儒教文化の影響を受けているところは父性文化で、
    たとえば士族は、少なくとも上流は、添い寝の習慣はなかったんじゃないかな。

    「7歳までは神」の書き方については失礼しました。
    以前、「倫理的な神」というか「絶対的な神」みたいな西欧の神概念がわからない
    と私が書いたことの裏返しとして、
    たんに「欧米の人にはこちらの神概念はわからないのかな」と思ったのでした。
    あと、以前欧米圏の人と話したときに
    「日本では、たとえば木それ自体が神であると感じる感覚がある」と言ったら
    「われわれはそれはわからない。せいぜい、神の表れである、くらいだろう」
    というようなことを言われたことがあった。
    そのときはそれほど深く話せなかったんだけどね。

    「7歳までの子供は神」「木それ自体、山それ自体が神」
    という神感覚は、アバウトなものだし
    人間の善悪は関係してこない。
    自然は時に猛威をふるって畏怖はされるが、
    人間の善悪という価値観を超えたもの、として認識されていると思うんだよね。
    それに対して、西欧の神概念は、人間の行為における善悪という価値観と強く結びついていると感じる。
    (で、それは、子供や犬を「厳しく」しつける西欧文化とも関係しており)
    それにはいい面と悪い面がある。
    もちろん、日本を含むアニミズム的な神感覚のアバウトさにも、いい面と悪い面がある。
    (で、今の日本の「非倫理的な」状況は
    神感覚のアバウトさの悪い面が出ているのだとも思う。)

  3. 妖怪目玉 says:

    妖怪目玉どす。
    今、朝食に茄子を焼いており、
    爆発するのを待っている最中なので感想を書きますぞ。

    まず、
    冒頭の写真、いいなぁ。これガメ様が撮ったんですか?
    こういう田園風景は世界中何処にでもあるには違いありませんが
    写真には見られる風景と共に見る人の視点が反映されます。
    その点でこの写真は好きです。

    次に面白い和食の写真ですが、
    鮨桶入りのうどんが、うどん寿司だったらそれもありかもです。
    私の地元には当地にしかない蕎麦寿司という、
    蕎麦を甘酢でしめて細巻きにした蕎麦寿司というのがありますので、
    蕎麦寿司があるならうどん寿司があってもいいのかなと。

    隣の写真のエビフライは、何でエビフライなんだろう???
    他の野菜は天ぷらなのに。
    これ、天ぷらうどんなのかな。
    エビフライを卵でとじたエビ重だったらいいけど、
    卵が見えないのでやっぱり天ぷらうどんだよね。
    天ぷらうどんにエビフライが乗っていても、日本じゃないから
    客がテーブル引っ繰り返して暴れたりしないんですね。
    ガメ様暴れればよかったのに。

    その下の写真の妖怪は、、、これ食べ物なんですか?

    >フランスではいまでも「身分違い」という事が厳然とある。

    トラックのおっちゃんとご身分の高そうなおにっちゃん達についてですが、
    1970年代に流行ったマンガ「ベルばら」の中に、
    アントワネットとデュ・バリー夫人とのエピソードで同じようなのがありましたね。(笑)
    身分の低い者から身分の高い者にはなしかけてはならないんでしょ。
    ブルボン王朝時代の宮廷ではね。
    でもマンガの話ではなくて今でもその風習はあるという事ですね。
    驚かないし、そうなのだろうなと思いますよ。

    ただ、見ず知らずのトラックのおっちゃんから話しかけられて
    返事せず相手をいない者のようにふるまうのは、
    日本のそこいらの若い衆の中にだってよくいて珍しくないし、
    フランスの身分制の名残ばかりとは言えないかも知れません。
    私は日本にいて日常的に同じような光景をよく見かけるので。
    そこそこ教育受けて何かの知識も多少は持っているかも知れませんが、
    生活力はどうかわかりません。
    身分違いにしろ何にしろ、自分とは異なる立場の人間と対話しない出来ないのは、
    他に何か秀でた才能があっても無に過ぎないと私は思います。
    それは例えば、
    トップレベルの教育を受けて優秀な技能を持つ医師が
    気位高過ぎて周囲のスタッフと意思疎通出来ず連携がまずくて
    医療ミスやトラブルばかり引き起こしてどうしょうもないのと
    同じくらいの「無」だと思います。

    私には世界中を行き来する時間と金はありませんが
    外国を旅してその国を知りたければ
    大学生のおにっちゃん達よりもトラックのおっちゃんに、
    こちらから話しかけますね。
    返事してくれたとしても若い学生はつまらない。
    若いからです。

    いろいろ聞いてみたいものです。
    うるせーんだよ飯食ってる時に話しかけんなバカヤロと言われたら
    また別の人探してこちらから話しかけますね。
    何人目かで、返事して語りだす人に当たるかもわかりません。

    あ、3個めの茄子が大破しました。
    それではこれにて。

    • 妖怪目玉さま、

      >冒頭の写真、いいなぁ。これガメ様が撮ったんですか?

      あったりまえです。
      むかあし、Fokker Dr.1というブログ記事

      https://gamayauber1001.wordpress.com/2008/08/19/fokker-dr-1/

      を書いたときに、どうしてもロシアの女撃墜王リトヴァクの、
      通称通りの「白百合」のような顔を載せたくてwikiの写真を使ったことがありますが、
      それ以外はブログ記事の写真は、みんなわしが撮る。
      ひとまえで写真を撮る、というのは、相当かっこわるい行為なので、ポケットからピャッと出して、ピャッと撮る。
      たまに、このパリ郊外の湖畔(いま、ここにいる)のようにのんびり写真を撮る機会もありますが、そうすると、ゲージツ的な写真になってしまう(^^)
      わしは全身これゲージツだからな。

      >鮨桶入りのうどんが、うどん寿司だったらそれもありかも

      そんな、あまい話、ちゃいます。
      天ぷらうどんが寿司桶にスープごろぶちまけてあるだけでんがな。

      >隣の写真のエビフライは、何でエビフライなんだろう???

      同じうどんを上から撮った。
      おばちゃんの娘に「これって、なんでフライなん?」と訊いたら、
      話がわかっておらなくて、
      「えっ?天ぷらって、煮物なんですか?」とゆわれました。

      >ガメ様暴れればよかったのに。

      実は、けっこうおいしかたのね。

      >身分の低い者から身分の高い者にはなしかけてはならないんでしょ。

      いや、本来のルールは逆です。

      >見ず知らずのトラックのおっちゃんから話しかけられて 返事せず相手をいない者のようにふるまうのは、 日本のそこいらの若い衆の中にだってよくいて珍しくない

      えええと、ですね。
      そーではなくて、「返事をしてはいけない」のです。
      だから、日本のバカ若者の例とは根本的に異なる。

      >フランスの身分制の名残

      「名残」でなくて、フランスはいまでも昔と変わらない身分制っす。

      フランスの選良には「バカと話すとバカが伝染る」という根強い信念もある。
      くたびれますのい。

  4. ま・ここっと says:

    きょうび、フランス国籍者は存在しても、フランス民族は存在しません。そして、共和国で教育を受けた欧州系ではない移民二世や三世であっても、ご本人が大学、グロンゼコールを出た管理職や四大自由業ならば、金髪碧眼のブルーカラーとは一言も口をきかない、ということまで書かないと大きな誤解を招いて騒がれかねませんぞ。

  5. おばーちゃんでなかった、ま・ここっと殿、

    >フランス国籍者は存在しても、フランス民族は存在しません

    あたりめーじゃん。

    >移民二世や三世であっても、ご本人が大学、グロンゼコールを出た管理職や四大自由業ならば、金髪碧眼のブルーカラーとは一言も口をきかない、ということまで書かないと大きな誤解を招いて騒がれかねませんぞ。

    えええええええええええー、いまどき「身分」と「人種」「民族」が関係あると思うやつなんて、ごくごく特殊なバカだけやん。
    そんな特殊白痴前提にものなんか言えしまへんがな。
    いくら何人かの日本の人がヘンなことばかり考えてるとゆっても、
    もうそろそろ、そういうバカは相手にしなくなってるんちゃうの?

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