Monthly Archives: August 2011

「幸福」

1 ヒ。 ヒヒ。 ヒヒヒ。 ヒヒヒヒヒヒヒヒ。 よいことがあったので、わしはたいへん機嫌がよい。 なにがあったかは、まだ教えてあげません。 でも、わしは立っていても、歩いていても、座っていても、ひっひっひ、と笑いが止まらないのであります。 もしかすると、眠っているときも笑っているかもしれないが、モニはわしが眠るときにはたいていもうすやすやと眠っていて、わしが起きるときも、まだ、すやすややすやすと眠っておるので、わしが眠りながら、ひひひのひ、と笑っているかどうかは判らぬ。 今度、タイマー付きのビデオで撮影してみようよ思ってます。 オークランドという所は、遊ぶことがたくさんあるので、忙しい。 クラブ、というようなことを言っているのではありません。 クラブカルチャーは、最近はまたマンハッタンがダメで、ロンドンに中心が移動しているようだが、いずれにしろ、そーゆー不純で楽しい遊びは、28歳というようなジジイの妻帯者になると、億劫である。 オークランド、良いクラブないしな。 カヤックやサイクリング、パラシューティングにボーティング、テニスに乗馬、っちゅうようなことをゆっているのです。 夏になれば、クリケットもあるでよ。 庭の一角に野菜畑をつくる偉大な開発計画や、クルマが増えたので、(おまえのところのクルマは夜中に車庫で交尾しているのではないか、という、古色蒼然として、言われ尽くしていて、おもしろくもおかしくもなんともない、のみならず品位に甚だしくかける冗談をゆって父親が電話の向こうで喜んでいたが、どーして、あのオッサンは、ああ冗談の教養がないのであろう)、来客用のカーポートをぶち壊して新しい車庫を増築する計画をつくったり、カーペットを張り替えたり、壁紙も飽きたので張り替えをしたり、わしが最近ヲタクの面目にかけて凝りまくっているホームオートメーション(^^)、2.4GHzのマイクロ・コントロールの腕輪をして歩くと、自分の設定にあわせて照明やオーディオが変化し、選曲(ライブリごとだけどな)するのを手始めに、ニュージーランドでは一般的なウエザーステーションと連動したクライメイトコントロールをインストールしたりで、「家」というオモチャを使った遊びもたくさんやることがあるのです。 一日も一週間も、あっというまに経ってしまう。 寒さがゆるんで、春の気候になった庭に、やっとシブイ色になってきたチークのテーブルを出して、モニとふたりで、シャンパンを飲みます。 移民社会というものは強力であって、フランス人の肉屋のにーちゃんがつくったハムに、ルーマニア人たちがつくったソーセージ、スロバキア人たちのパン、チキンはハラル肉屋がスパイスにつけこんでおいてくれたタンドリです。 なはは。 なんという幸福な午後だろう。 おまけに、「あれ」。 むふふ。 ヒ。 ヒヒ。 ヒヒヒ。 ヒヒヒヒヒヒヒヒ。 2 幸福、なんちゅうもんは、単純なものなのではなかろうか。 空気が清浄であって、空が抜けるように青くて、夕方には目を開けていられないような強烈な濃いオレンジ色の夕日が芝生を染める町で、のんびり出来れば、それでたいていの人間は幸福であると思う。 オカネが人間を幸福にしない、というのは、どうやらほんとうであって、オカネの欠乏は人間を不幸にするが、オカネの過剰は、幸福の過剰をもたらすわけではないよーだ。 オカネというものは、不思議というよりは、嫌味なもので、人間の生活の最も重大な部分はオカネで買えないが、重大でない部分はなんでもオカネで解決がついてしまう。 ところで、人間の一生の大半の能力は重大でないことで出来ているので、オカネがないというと、重大でないことに鼻面をひきまわされて人生が終わってしまうのです。 したがって、オカネが豊富にある場合にもっともよいことは、オカネのことを考えないですむことである、というバカな結論になる。 価格札、というものを、他人に騙されて不快な思いをしないためだけにチェックするようになるためにのみ、ひとは富裕になるもののよーである。 富と幸福は、そーゆー意味合いにおいて、カンケーがないもののようでした。 イギリス人やニュージーランド人は、新しい人が近所に、たとえ、ドライブウエイを共有する家に越してきても、挨拶にいったり、挨拶にくることを期待したりしません。 放っておく。 しばらくして、ダイジョーブそうなひとたちだということになると、稀にお互いに手をあげて軽く挨拶したりするようにある。 … Continue reading

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休題点

自分が日本人なら、案外、日本に居残ってしぶとく生きようと思うだろう、と考える事がある。 3月11日のニュースのあとでは、その場ですっくと立ち上がって「なるべく遠く」に逃げたとは思う。 日本人に生まれて日本文化のなかで育った結果、どの程度、自分の考えが現実の自分と異なるか計りにくいが、どうせ科学に興味をもったはずで、科学の「勘」もあるとすれば、問答無用、理由は後付け、職場の和も同僚の思惑も、KYもYKKもあるもんか、というので自転車にまたがり、あるいはクルマのハンドルを握りしめて、怒濤のように逃げたと思う。 東京にいたとして、多分、まっすぐに関空まで逃げて、そこからどこでもいいから遠い国の切符をくれ、とゆって、シンガポールあたりのホテルの一室でテレビを観ている、というようなことではないだろうか。 ほとぼりが冷めた頃、職場の同僚の失笑を浴びながら、「きみたちは西園寺公の故事を知らんのか」とゆってえばっていた、と思います。 でも日本のような勤勉社会に生まれればわしのようなナマケモノはビンボに決まっているので、やがてカネがつきて日本に戻るだろう。 雨が降れば放射性物質をおそれて脱兎のごとく軒下に飛び込み、それ以前は乗らなかった地下鉄を愛用し(駅ごと屋根があるからな)、食料品に至っては「安全な中国食品をおすすめしまあーす」とアホな冗談をゆいながら、コスコのような輸入食料品ばかりを扱っているスーパーマーケットに出かけて、漢字が間違っておる韓国製ソーメンや出鱈目なひらがなで訳のわからないことが書いてある「カンダ食品」の乾そばやなんかを買い込んでいるに違いない。 ペリエ(コスコはナショナルスーパーマーケットに較べてたしか一本百円くらいも安かった)を大量に買い込み、外食は産地表示を細かく行うかっぱ寿司に限定して、しみじみまずいのお、と悪態をつきながら新幹線から注文したヅケを取りだしているに違いない。 しかし、それも、6ヶ月近くも経ってしまえば、だんだん面倒くさくなって、寝る前には、もっと気を付けないとやばいんだよねえ、と考えても、たとえば友達と会って酔っ払ってしまえば、もうどうでもいいや、になって、鮨屋にでかけて「今夜はセシウムナイト」のどんちゃん騒ぎをしているに違いない。 …そう。 わしは、日本にいて現実を直視し続けて生きるなんて無理だ、と思っているのです。 人間が、そこまで強靱な持続力を保って、まったく目に見えないうえに、即座に被害が現れるわけでもない、しかも「環境的」な敵と戦えるとは信じられない。 人間の精神は、そういう事に耐えられるように出来ていない。 少なくとも、わしには無理である。 福島の原発事故の話をするときに、ゆいいつの類似例としてチェルノブイリがよく持ち出されるが、ある程度は似ていても、漏出した放射性物質が「環境」をなすほどの量である、という点でふたつの事例は決定的に異なっている。 簡単に言えばチェルノブイリにおいては放射性物質の拡散から「逃げる」ことが出来たが、日本の場合は、それが出来ないのです。 どう隠そうとしても、おいおい明らかになると思うが、日本は北の北海道から沖縄に至るまで、汚染されてゆくことになると思う。 岡山県産の箱に詰められた福島県産の大根という経口被曝はもちろん、たとえば、海に流出したすさまじい量の放射性物質は風で飛散するヨウ素同位体とは異なって、ほぼ海岸線に沿って日本を周回するような動きを見せると思います。 ニュージーランド人はひまさえあればカヤックばかりやっている人間が多いが、そのひとりとして、海流の動きは、おおざっぱな海図に描かれたいわばマクロ的な動きと異なって、陸伝いに動いて行く海流があるのは、みな知っていることである。 だいたい陸から50キロくらいまでの水が、そういう動きをすることを考えると、 水がもたらす汚染は深刻であると思う。 日本の政府は、地下にもぐってしまった大量の核物質について何も言わなくなってしまったが、たとえば地下水脈、ということひとつとっても、どこにどうつながって、どんなふうになっているか、誰にもわからないはずで、「判らない」ことを逆手にとって、研究者達に対して「危ないと言えるなら、証拠をだしてみろ」とすごんでいるが、くだらないにもほどがある、というか、あの態度で「政府は誰のためにあるのか?」と誰もいいださないのは、日本に民主主義が到頭最後まで根付かなかったことを、政府のひとびとは挙げて感謝していることでしょう。 違う文化のなかに出ていって幸福になる、ということの難しさを、わしは義理叔父の知り合いの日本の人たちを観察することによってある程度知っている。 ある人の娘さんは、ニュージーランドの家には庭があって虫がいる、ということが耐えられなかった。借家の持ち主(この人は、わしもあったことがある。「気の良いニュージーランド人」の典型のような人だが)が、「土足」で玄関からラウンジを抜けてテラスへ歩いていったことにも、どうにも我慢がならないようでした。 ある30代の男の人は、すでに(ビジネスクラスでやってきた)ニュージーランド航空の機内で、「ニュージーランド人客室乗務員たちが、やたらとエラソーな口の利き方をする」ことに耐えられなかった。 レストランでウエイトレスをしている高校生くらいの女の子でも、全然、客としてへりくだってくれないので自尊心を大いに傷つけられたようでした。 ご多分に漏れず、というか、このひとも日本に戻って「ニュージーランド人の日本人に対する人種差別」を熱心に説いて歩いているよーだ。 合衆国でも、よく、そういう例を見聞きする。 英語圏全体が、いまは、国外からの移民を大量に受け入れて、その結果、あらゆる面で激しい競争がある。 それまでの、のんびり社会とはまったく違ってしまっています。 合衆国は日本とは比べものにならない学歴社会であって、アイビーリーグの大学+スタンフォードに、あといくつか、ま、そーゆー選択もあるわな、の大学を出ているのでないと、まず絶対に社会の上層に浮かび上がれない(同窓生社会だから、という理由もある)が、もうそこで、いったいどうなってんねん、というくらい優秀な、中国人やインド人との競争にさらされる。 そういうと、また怒る人がいるだろうが、いくら怒っても、日本人が(多分、教育制度の失敗のせいで)全体に桁違いに知的競争力が低いことは、合衆国では周知の事実であると思います。 日本社会に生まれることには、知的な世界ではおおきなハンディキャップになっている。 日本の人が得意な分野は、したがって学問やテクノクラートとしての訓練よりも「手先の器用さ」や「美的感覚」が重要な分野で、そういう分野では、日本人であることは大きな有利さとして働く。 「ニホンジン」である、というのは、スタイリストや盛りつけが重要な料理、ヘアドレッサーというような職業ではかなり強烈な「ブランド」なんです。 だから、若い日本の人は、そういう美的感覚を必要とする仕事についてアメリカという巨大な競争社会に飛び込んでゆくことが多いが、仕事においても、「なぜ自分は他人より仕事が出来るのに評価されないのだろうか」というフラストレーションがだんだん大きくなって耐えられなくなってゆくように見える。 こういう人がもつ「性差別なのではないか」「人種差別なのではないか」という猜疑は、他のたかだか留学生くらいで、日本でのように甘やかせてもらえなかったひとびとがぎゃあぎゃあとガキじみて騒ぐのに較べて遙かに妥当性があるが、あれは、絶対に不可視に出来ていて、その構造は日本の文系上級役人の社会にとても良く似ている。 自分がほんとうには受け入れられないのだ、と考えて、頭のよいひとたちほど失望してしまうように見えます。 英語でmentorというが、研究室内や社内で、あるいは人生そのものにおいて有力な後見人が出来ない場合には、まず、この状態から脱せられることはない。 アメリカの「フェア」さは、実際には「同窓生的紐帯」よりも、一見公平と相反しているように感じられる、これによって保障されているところがあるかもしれません。 … Continue reading

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「落ちこぼれ」の弁

「ガメ、きみは騙されているんだよ」と言ったときのTさんの真っ青な顔色を忘れられない。 わしは、その頃、大きな開発をまるごと買い取る話をすすめていて、仕方のない成り行きでほぼ自分の人生がかかっているような具合になってしまっていた。 去年の二月頃の話です。 ブログを昔から読んでくれているひとたちのために言うと、あの最初から最後までバカバカしい(というほどの価値もない)なりゆきの「ごぼう」の頃ね。 みなが憶えているように、いつのまにか英語の達人になった500人ばかりの「はてな市民」たちによって、わしは「ニセガイジン」ということになったが、だから、そういうことはどうでもよかった。 どうでもよかった、というのが不適切ならば、それどころではなかった、のでした。 詳しい経緯を書くわけにはいかないし、そういう気持ちも起こらないが、Tさんが自分の会社の金庫から盗んできた一枚の紙は、わしを騙して何○億円という金額をまきあげようとする、そういうことを計画することを得意とする人達特有の巧妙さでつくりあげた、およそ現実味に欠けるといいたくなるほど、精妙な計画が記されていたのでした。 わしは、混乱して、ぶっくらこいて、あわあわしていただけだったが、BKやPCをはじめとする、わしのスタッフは素早く活動して、わしを救い出すのみならず、相手を破滅に追い込んでいった。 ずっと後になって、わしは、わしを陥れようとしたあの香港人の「右腕」だったTさんとモナコに近いフランスの町であったが、そのときも「なぜ助けてくれたのか」を訊いたのに、Tさんは、なんだか不思議な、悔しそうな表情を浮かべて、わしを見つめるだけだった。 別れるときに、ふと、思いついたように「ガメ、きみは自分というものに感謝したほうがよい」とゆった。 たった一瞬しか時間を共有しなくても、強い友情を感じるということが人間にはある。 旅行しているときにもあります。 28年も生きていれば、だいたいどういう人が自分の友達なのかもわかってしまう。 でも誰が自分を救ってくれるのかは判らない。 わしは、どこまでもアホなので、むかし、まるで理屈というものを無視して、わしと一緒にいようとするモニに、なぜ、そうまでして、わしという不良と一緒にいようと思うのか訊いたことがあった。 いま振り返ってみるといかにも幼かったモニは「あなたを愛しているから」というだけだった。 泥酔したわしがからかうように、なぜわしを愛していると判るのか訊くと、「あなたには判らない言葉でわたしには判るのです」という。 わしは、モニの子供っぽさに笑ったものだったが、ここまで読んで気がついているひともいるに違いない。 賢しらなわしの魂よりも一途なモニの魂は、遙かにたくさんのことを知っていたのであって、わしは、ほんとうにくだらない人間だった。 モニがわしに向かって差しのばしてくれた腕にすがって、わしは、ここまでやってきたのに過ぎない。 日本人の友達から来たメールによると、件の作家のひとは、あの後も、わしには見えないところでこそこそわしの悪口を言いつのっていて、そのなかのひとつで、わしのことを「白豚の落ちこぼれ」とゆっているそうだが(^^)、わしは太っていないので「豚」はあたっていないが、落ちこぼれは当たっているであろう。 学歴という意味ならば、わしの出た学校は「世界大学ランキング」みたいな進研ゼミの企画なのかこれは、ちゅうようなランキングではよくわからん評価が高い大学なので作家の出た大学がどこか知らないが、あんまり、そういう譏りを受ける必然性はないようだ。 とゆーかあの作家がトーダイなのかキョーダイなのか知らないが、そーゆーのって、「イジメ」ちゅんちゃうのか(^^) でもさ。 わしの学歴やなんかは作家がわしのバカっぽい文章から想像したよりも高いようだが、「天才作家」にゆわれなくても、「おちこぼれ」だよねえー。 あまりに当たっているので笑ってしまいました。 あの自他ともに認めるエリート作家のように、他人を絶対者として裁判するほどの大才に恵まれた人とは違って、わしは、わしの友人達と同じで、神様の世界が信じられなかった「おちこぼれ」なんです。 お互いの知性に相談しながらちまちまと暮らす、謂わば、零細知性者の群れなのである。 おちこぼれ同士手をとりあって、なんとかやってゆくべ、と呟いている心象風景というようなものは、作家やインターネットでもっともらしいこと(放射性物質は危険でない、私は言葉など信用していない云々)を盛んに発言して言いつのる作家のネット相伴のような「天才集団」には判らないもののようだが、 いいも悪いも、 それしかやりようがないからな。 「人間の真実」みたいなものは、落ちこぼれと罵られる、わしらの側にしかないと盲信してやってゆくしかないと思うのです。

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なんてったってアイドル

むかしからこのブログを読んでいてくれる人々は熟知しておるように、わしにとっては「アイドル」とゆえば、なんとゆってもAlizéeでごんす。 そ。このブログに何でも出てきた、あのひと。 「ロリータ」 で大ヒットをとばして、登場したアリゼに青春を捧げて自爆した高校生は多かったと思う。 わし自身もアリゼの曲なら殆どフリ付きで歌って踊れるのだとゆわれている。 のみならず、わしのお友達になろうと思えば、モンティパイソンのすべてにエピソードに通暁していることと、アリゼの歌がすべて歌えることが一次試験であった。 モニのほうがずっと綺麗なひとだが、アリゼはいかにもアイドル顔であって、バカタレな高校生たちにとっては、尊崇しやすかったのであります。 男ガキどもには、みな青春の日々にきゃあきゃあゆったアイドルがいるのであって、義理叔父に訊いてみると、このひとの頃は「キャンディーズ」ちゅうグループだったようである。もっとも、Uさん(このひとは日本人・30代前半です)のように十代のときのアイドルが「京マチ子」だったひともいるので、必ずしも同時代のひとが好きであるとは限らない。 この「アイドル」というのは、要するにバカガキのバカさにつけこんだマーケティングだが、そもそもその淵源はどこにあるのだ、と考えて歴史を遡って尋ねてゆくと、日本では フランス・ギャル が、嚆矢であるようだ。 輸入モノなのね。 このFrance Gallという人が演じさせられた役割は、多分、アリゼのマネージャーがマーケティングを模倣した役割で、子供の雰囲気を保つように言い渡しながら、一方では性的な暗喩を豊富に身にまとわせた。 ずっと後になって、Gallは、妙ななめかたでアイスクリームをなめさせられたり、キャンディをしゃぶらされたり、バナナを口にふくまされたりしたことの意味を、何年かそういうことをさせられてから知って、怒りと恥ずかしさで身が震えた、とゆっている。 いまとは異なる60年代前半の社会において、まだ18歳になるかならないかだったGallは自分が性的な譬喩を演じていたことにまったく気がついていなかった。 しばらくは鬱病のようになって家の外に出るのも嫌だった本人がインタビューで述べている。 アイドルというものの特徴は、男の側から一方的に押しつけられた殆ど妄想の領域だけで存在が可能な性的役割を公衆の面前で演じてみせねばならないことだが、これがいかに男のアイドルにも女のアイドルにも負担が大きい仕事かは、日本でも、所属事務所の前の舗道に立って、自分と同じくらいの年齢だと見れば、喧嘩をふっかけていたという郷ひろみであるとか、ビブロスというクラブで、ちょっと見栄えの良い男の子と見れば手当たり次第に押し倒していたというSなどの、東京人に伝わる話を聞いているだけでも判るような気がする。 本質が性的な商品なので、スポンサーと性的関係を強要される、というようなことも実際にあるようだが、日本の芸能ビジネスのひとに聞くと完全に強要される、ということはないそーで、どちらかというと、本人がチャンスを求めて性的な関係と引き換えに仕事を手にしようとすることが多いという。 そういうことでまで「わたし、がんばります」な世界なんだよねえ、と、このまた違う機会にブログの記事にしたい、とても興味深い複雑な人間性の人は、自分の業界の事であるのに、半ばうんざりしたような投げやりな調子で笑って話したりしていたものだった。 こういう裏側の体液の臭いがするような話のありかたは、実は、合衆国の「子役」の世界、14歳から16歳くらいの、アメリカという国では需要が多い年齢層のガキどもが役をとろうとして、あるいは自分で手を挙げ、あるいは母親に説得されて、スポンサーのデブおやじたちのホテルの部屋に向かう世界と瓜二つ、というくらい類似していて、日本のアイドルが担っている社会のなかでの性的な役割が合衆国ではどういう形で機能しているかが判る。 それはそれで悉に検討してみると、オモロイもんであるな、という気がします。 忘れないうちに述べておくと、フランス・ギャルが日本にもってきた「アイドル」というマーケティングは、コメットさんの九重佑三子にひきつがれ、麻丘めぐみや天知真理、キャンディーズという頃に大興隆を見て、ピンクレディで年齢層の低下が極限まで進んで(わしが買った本には、最後期にはファンの中心の年齢が10歳だった(^^)と書いてある)、多分、いまは、同じマーケットは日本では部分的にアダルトビデオへいってしまったのではないかと思う事があるが、それはともかく、日本での「モーニング娘。」のような男の側からの一方的な性の押しつけマーケティングを観て、そういう手があったか、と考えたのが、フランスではアリゼ、ロシアではt.A.T.uだったのではないかと思います。 丁度、大陸欧州から東のはてまで行った「アイドル」というマーケティングが40年という時間を経て一周して戻ってきたようにも見えて、わしは、そういうことをオモロイと 感じる。 ついでに下らないことを言うと、ニュージーランドでは、「アイドル」が流行るということがない。女の社会的立場が強い社会では、男たちに「さっさと成熟しろ、ばかもん」という強大な圧力が絶えずかかっているからであって、アイドルのコンサートにおしかける男なんちゅうのは、トングでつままれてゴミ箱に捨てられるのがおちである。 「アイドル」マーケティングにはもっとも向かないタイプの「女が強い社会」なのです。 連合王国においてアリゼが一部バカ男子校のバカクラブで流行っただけで終わったのも同様の理由であるに違いない。 オモロイのは、スペイン語世界では、アイドルが流行りそうなものなのに、同じマーケットセグメントがPaulina Rubio のような人に支配されてしまうことで、他にもたくさんある 「スペイン語世界の謎」のひとつであると思います。 (記事のタイトルは、小泉今日子という人の歌だそーだ。歌も聴いたことがないし、小泉今日子という人も名前は聞いたことがあるが、どのひとだかよくわかんね でもタイトルの「音」から80年代バブルの浮かれた空気が伝わってくるようで面白いとおもう ) (画像は軍靴の響きも高らかに、韓流優遇に抗議してフジテレビに向かう日本一般市民の方々。嘘です。ごめん。浅草でなくてもセンソー寺、ですのい)

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チップっぷ

昨日の芸能ニュースで、Jay-zが5万ドルのチップをはずんだことがニュースになっておった。 http://nz.entertainment.yahoo.com/celebrity/news/article/-/10068997/jay-z-leaves-50k-tip/ ウエイターのひとびとは、決してオカネという意味だけではなくて大喜びだっただろうと思います。   合衆国にいるときは、わしは、だいたい支払いの額面の2割から3割くらいをチップとして払うことが多いようだ。 ときどきプロフェッショナルであったり、独創的なサービスに出会ってカンドーすると8割くらい挙げてしまったり、ピアノを弾いているひとの腕前にぶっくらこいて、ピアノの上に100ドルおいてしまったり https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/05/11/ するが、ふつーは、20%から30%しかチップを使わない。 ここの店のサービスはひでーなあー、と思ったときは、しかし、あげない、というわけにはいかないので10%くらいにしてしまうこともあります。 それより低い、ということはない。 アメリカ人のサービス業人は、チップで食べているので、いかにコンジョの悪いウエイタであろうとも、ゼロ、というわけにはいかないからです。 テキサス人の友人たちなどは、「ガメはチップが多すぎる」という。 わしの仲の良い年長の友人、テキサスおやじなどは、ダラスのバーで、頼んだものの金額の20%のチップをあげたら、ウエイターに向かって歩いていって、半分、手からもぎとって、わしのところにもってきた。 「あんなにチップを払っては、社会のためによくない」とマジメな顔でいう。 もっと、気をつけてくれなくては困る。 この頃は、アメリカでは、客が計算しやすいように勘定書の下に15%と20%に分けて金額が自動的に印刷されているものがある。 アメリカ人でも、(考えるのがめんどくさいので)チップといえば15%と決めて、うんと弾むか、というときには20%、というふうにチップの習慣が機械的な手続き化しているからでしょう。 わしは、アメリカのこのチップを渡す習慣が嫌いではない。 オカネ、というところが嫌は嫌だが、特に人柄が良いひとにサービスを受けたときやなんかには、手軽に感謝をあらわせるので便利であると思う。 いまちょっと、そう言えば、と思って日本語サイトを見てみると、案の定「連合王国でのチップは10%から15%」と書いてあるが、もともとは、連合王国人はチップなんか、全然渡しません。 外国人観光客が(UKでは厳密に言えば違法な)チップの習慣をもちこもうとするので、サービス業の人間がさもしくなって迷惑している、とゆってもよい。 連合王国では、チップというのは、あくまで(いまでは恐竜並みの絶滅種である)上流階級人の習慣にしかすぎません。 「心付け」というものはあるが、要するに日本と同じことで、相手が愉快なやつであったり、人柄がよくて楽しかったりした場合は、ふつーに、「にーちゃん、釣りはいらねーぜ」という。 あるいは、いきなり近所の店に走っていって感謝の気持ちをあらわすためのプレゼントを買ってきたりするとヘンなひとだと思われるので、咄嗟に現金を渡して感謝を表現することもある。 それをチップと言えばチップだが、あれがチップならば、日本もチップ社会だということになります。 わしは東京では、よく「おつりはいりません」をやっておった。 この頃は、さもしくも「勘定書にはサービス料は含まれていません」というくだらない能書きをいれているバカ店もあるが、わしなどは、そういうのを見ると、金輪際チップもどきはくれてやらん、勘定そのものも払わないで逃げちゃおうかしら、とむかっ腹を立てる。 我が国は、どうなってしまったのだ、と憤慨する気が勃然と起きてくる。 逆に、サービス料が含まれている勘定書も多いので、「こんなサービスでサービス料とるなんて、はっは、ジョーダンは佳子さん」とゆって、そのぶんを支払金額から引かせることはあります。 ついでに他の日本語旅行サイトを眺めてみると、バルセロナみたいなところに出かける人にも同じことが書いてあるが、はっはっは、カタロニア人がチップなんかそんなに出すもんけ。 チップなんか15%も払った日には、「金持ちにみせようと思って、バッカなんちゃう?」と後ろ指をさされるくらいが関の山である。 カタロニア人の「チップ」は、せいぜいがとこ、ポケットのなかで重たくなったバラ銭を1セント硬貨から何から勘定書のトレイに山盛りにして置いていくくらいのものです。 誰でも知っていることではあると思うが、ついでのついでに述べておくと、合衆国では硬貨をチップに渡すのは大変失礼です。 そーゆーことをすると、次に行ったときには珈琲に塩がはいっているかもしれむ。 彼の地では1ドル札がいまだに威張っているのは、チップの習慣が大きな理由であると思います。 ニュージーランドでは、相手がとてもよくしてくれている、と思えば、心をこめて「ありがとう」という。 チップを渡す、というのは、よほど異常なことです。 オカネで感謝をあらわす、というのは成金のやることなので、下品、なのね。 ニュージーランドでは、他の英語国に較べてもなおさら、客とウエイターや店員は対等の関係なので、自分が親切にしてやったからといって、オカネをもらうのはヘンだ、という常識なのです。 アメリカ人の観光客にチップを渡されて怒り出したウエイトレスのおばちゃんを、わしは見たことがある。 … Continue reading

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Hotel Ambio

かーちゃんに連れられて歩き回っていたガキわしの頃は、ホテルというのは部屋がふたつ以上はあるものだと思っていた。 後年、自分ひとりで旅行するようになって初めて、たとえばマンハッタンの5番街にあるヒルトンのように、「部屋が狭すぎてスーツケースをふたつ置けない」というようなホテルに宿泊して世の中の厳しい現実というものを学習したのだった。 いまは、そのヒルトングループの合理化が裏目に出て名前だけのくだらないホテルに成り下がってしまったがウォルドフアストリア http://www.waldorfnewyork.com/photo-gallery/waldorfastoria.cfm?LinkToGo=waldorfastoria1 はむかしは子供心にも良いホテルであって、機転の利く下町訛りのボーイさんや、愉快な部屋係のねーちんたちがいたのは、20世紀の終わりくらいまでだったろうか。 その頃は、ニューヨークにアパートを持っている人達も、部屋の支度が終わるまで、とか欧州との行き帰りには随分このホテルを利用していたように思います。 いま振り返ってみると、かーちゃんの旅行は万事欧州式で、ヴェニスのようなせまこしい町でも、狭い水路をはいって、玄関につくと、その先に案内される部屋は広大なもので、 万事が合理的快適であることをめざすアメリカ式の宿泊施設とはだいぶん違っていた。 わしなどは、ケチなのと甲斐性がないのとで、たとえばカリフォルニアに行くと 「 Embassy Suites」というようなところに泊まる。 Embassy Suites http://en.wikipedia.org/wiki/Embassy_Suites_Hotels というのは、アメリカ中、特に西海岸にたくさん転がっている家族向けのホテルで、気楽で快適な、いかにもアメリカ式のホテルです。 名前通り、全室がスイートになっていて、安い。 往々にしてレインフォレストカフェ風のコートヤードにレストランがあって、朝食がただである。 メキシコ人のにーちゃん、とかが卵を焼いて、ベーコンやハムを添えて出してくれます。 あとはブフェになっていて、自分でテキトーに盆にとって食べる。 あんまり安いホテルに泊まらないかーちゃんが、大昔、わしをディズニーランドに連れてきたときにアナハイムの Embassy Suitesに一週間泊まって以来、わしはこのホテルが大好きであった。 欧州人にとっては、アメリカのチップの習慣はビミョーによく判らん。 ルームサービスには初めからチップが含まれているが、食事をもってきたおっちゃんと面と向かえば、やはりなにがしかあげないと悪いよねえ、と感じたりして、一時が万事ビミョーだが、 Embassy Suitesの場合は、簡易的な台所もあったり、荷物のワゴンも自分でおしていこうと思えば、そう言って押して行けばよい、チップを払う機会が少ない。 全体にリラックスした雰囲気が好きなので、いまでもよく泊まります。 こういう庶民的なホテルにまったく泊まったことがなかったモニも、すっかり喜んで、わしらは夫婦で愛好しておる。 団体が来て週末にバカ騒ぎがあるとコートヤードにバーがあるせいでうるさいそーだが、予約するときにレセプションに訊けば、うるせー団体がくるかどうか教えてくれるので、そのときは、もうちっと良いホテルに泊まればよい。 一般に欧州の良いものは、普通の人間、というか外国人には見えないようになっていてアクセスを拒絶しているが、アメリカという国は、そこがよいところで、誰にでもアクセスできる快適なものがたくさんある。 大学生のビンボーわしが俄然気に入ったのは、日本のひとも当然しっているひとはたくさんいるが、「All-inclusive」という、たとえばカンクーンのようなアメリカ資本の巨大開発で出来たリゾートの習慣で、いったんチェックインすると、「オカネ」ということを考えなくて良いようにした工夫である。 プラスチックの腕輪を腕につけて、ピッと外れないように留める。 腕輪に色が付いていて、その宿泊客が何日まで滞在するか判るようになっている。 わしがよく泊まったホテルは、ホテルのなかに軽食からフォーマルな食事まで5つのレストランとプールのまんなかにあるのを含めると6つのバーがあるが、そのどれで何を食べて飲んでも、タダである。 オカネを払わなくてもいいのね。 初めに支払った宿泊代にすべてが含まれているのです。 これは考えてみると、アメリカ人の、豊かな国の国民らしい考え方に立脚してもいて、たとえば、どうせ同じ金額を払うのだから、3食全部いちばん高いレストランで食べよう、という客が多いと、もうすでに崩壊するしかないサービスである。 払う金額が同じでも、ホットドッグが食べたいときには、「得」だからといって無理をしてステーキを食べない国民性だから成り立つ。 むかし欧州から旅行でブロンクスにやってきた人が、ビールを一杯たのめばローストビーフサンドイッチから何から食べ物が全部タダ、という肉体労働者のおっちゃんたち向けのパブに紛れ込んで、すっかり仰天してしまい、アメリカにだけは勝てない、という愉快な文章を書いていたが、アメリカという国は、もともとそういう「ランド・オブ・プレンティ」な、おおらかな豊かさに良いところがあるのだと思う。 … Continue reading

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スーパーマーケット

オークランドは、人間がニュージーランドの生活を記録するようになってから初めて雪が降った。 山沿いにちらちらと降っただけで、大半の人は気がつかなかった、という程度だが、それでもニュージーランドでは大ニュースです。 今日から、暖かくなってゆくそうだが、先週は「摂氏2度」という日まであって、ぶっくらこいてしまった。 オークランドの本来の気候は、夏の気温の上限が26度冬の下限が5度、という気候で、「2度」なんて聞くと、ほんとうにぶっくらりんのぷいぷいである。 原因は「ポーラーブラスト」であるそーだ。 南極の寒波がおもいもかけず強烈な強さになって極からふきだすように寒波をまわりにぶちまけることがあるが、それが今年は有史上はじめてニュージーランドにまで届いた。 わしは、もともとが(ニュージーランドでは)クライストチャーチ人なので、なんとなく懐かしくて楽しい気候だが、オークランドの友人たちは、家そのものが寒さに向いて出来ていない上に、ちゃんとしたコートももっていない人が多いので、なにがなし不愉快そうな様子である。 街をゆく高校生たちの制服も、普段は短いスカートが多いが、今年の冬は、くるぶしまでのスカートが多い。 オークランドでは見慣れない光景です。 長い厳しい冬(とゆっても日本で言えば岡山の冬程度だが)があるクライストチャーチと違って、簡単に言えば南カリフォルニアが南半球に越してきたような気候であるオークランドの人間は、冬の過ごし方が下手である。 暖炉のそばに座って紅茶を飲みながら談笑する午後や、リークのスープのカップを手にもって、暖かい部屋のなかでぬくぬくしながら寒いパドックを眺める楽しみをオークランド人はもたない。 ただ寒がっているだけであって、いかにも芸がない気がします。 「New World」という、わしが子供の時はダッサイ品揃えで有名であって、この頃はオーストラリア資本のスーパーマーケットに対抗して、やや高級目な品揃えを売り物にしているスーパーマーケットチェーンの、マウントウエリントンに出来た新しい支店にでかけて食料品の買い出しに行った。 家がラミュエラなのであるからラミュエラの支店に行けばよさそうなものだが、わしは、ことスーパーマーケットだの料理屋だのということになると好奇心が強いのです。 真新しい、通りすがりに通常のサイズの2倍はある支店を見てしまっては、行かないわけにはいかむ。 ニュージーランドとオーストラリアのスーパーマーケットは、まず外側の壁沿いに一周して、それからまんなかの棚をぬってゆくようにデザインされている。 そんなの、ぼくの勝手だし、ときみは言うであろうし、実際、なにしろニュージーランド人のことであるから、あっちへ行き、こっちへ戻り、またふらふらと元のところに歩いて、実際の客の動線はぐじゃぐじゃです。 しかし、一応設計上は、そうなっているのね。 入り口を入ると、リークとパースニップとCapsicum http://cutejill.blogspot.com/2010/06/2-red-capsicum.html という日本で言えばピーマンの親玉みたいなんを買う。 マッシュルームも、わしガキの頃は、白い、日本語で「マッシュルーム」というあれと、 黒くて扁平なマヌケなきのこくらいしかなかったが、移民社会のありがたさ、いまは十何種類の、キクラゲや椎茸を含んださまざまなきのこがある。 キクラゲや椎茸を買っちゃおーかなあー、と思うが、どうせ食べるわけはないので、実際に買うのは「退屈な白いマッシュルーム」だけど(^^) 魚売り場は通過。 知識もなければ、あんまり好きなものもないので、たまにタイレッドカレースープにいれて食べるマッスル(ミュール貝)を買うことはあるが、それも滅多には買いません。 フィレステーキの肉を2キロくらい買う。 パックされたものが棚にも並んでいるが、だいたい裏で働いているおっちゃんに頼んで別に切ってもらう。 ベーカリーで、スペイン風に焼いたパンを買う。 ミルク、パーミジャーノ、マチュアチェダー、カマンベール、ブルーチーズ、と買っていって、ワインの棚に至れば、シラズとピノを買い足して、外側の棚の周遊は終わりである。 日本のスーパーマーケットとニュージーランドのスーパーマーケットのいちばんの違いは、「甘い物」の棚の大きさの違いで、ニュージーランドでは、チョコレートやドライフルーツサンド、日本やアメリカではクッキーと呼ぶビスケット、ハリボ、ミンティ、…甘くて人生を破滅に導きそうな菓子が延々と延々と続いておる。 わしのスーパーマーケットにおける最高、至福のときである。 あーでもないこーでもない、でも、あれもこれも、と矛盾と煩悶に満ちた選択の結果、十個くらいの甘い物をトローリーに放り込みます。 最後にペリエやなんかを買い込んで、新聞をほうりこむとレジに並ぶ。 バイトのねーちんと「今日も寒いのおー」とゆいながら話して、じゃーね、とゆってクルマに向かってトローリーを押してゆく。 フランスならば、Auchan, Intermarché ,たしか昔は日本にもあったCarrefourで、日本で言えばイオンみたいっちゅうか、ふつうは洋服みたいなもんや生活用品と食料品を半々で売っていて、わしは潔く食料品だけを売っているニュージーランドのスーパーマーケットのほうが好きです。 ただしちょっと田舎に行くとカルフールなどは、時折侮りがたいカフェが横にくっついておって、無茶苦茶にうまい珈琲とサンドイッチを出すので、そういうところはスーパーマーケットにおいてすら誇示されるフランスの文明的実力、というものがある。 … Continue reading

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日本語を読みながら

日本語ブログなのだから、日本のことについて何事か書くべきなのは判っているが、最近はサボり癖がついて、日本語の新聞も読まず、日本語で出来たサイトにでかけるのも億劫なので日本語の世界で何が起きているのか、よく判らない。 いま(8月16日)朝日新聞のニュースサイトを広げてみると、まず第一に考えるのは、 相変わらず「ヘッドライン」がつくれない古色ソーゼンとした二世代くらい前のサイトであって、多分、新聞記者のひとびとが素人仕事で夜なべをしてサイトを書いているのかもしれないが、何が重要なニュースだと思っているのか、ちっとも判らないデザインのサイトで、なーんだか、相変わらず遅れておるのおー、と思います。 言葉を読むのがメンドクサイ、ということよりも、この古くさいデザインでやる気がなくなるもののよーである。 眞鍋かをりさん、の事務所に「薬莢のかけららしきもの」が送られたことが国家を挙げての重大事であるように見えるが、まさか、そんなことはないであろう。 朝日新聞社の側でタレントへの恐喝事件と「東京、一時77円台」のどちらが社会にとって重要か、判断がつきかねているだけである。 「累卵の危」というが、ここまで経済がまとめてどひゃっになる要素がええ加減な処理で積み重なって、毎日の市場のそよ風に「るいら〜ん、 るいら〜ん」とぐらぐら揺れる世の中になると、他人のことなどかまっておれないので、外国のニュースでひとびとの心のなかにはいってゆけるのは、オカネがらみの下品なお話だけである。 あと、シリア。 ソマリアへの寄付箱にはみな足を向けて幾ばくかの寄付をしてゆくが、それも、頭で考えてみて、寄付をしないというわけにはいかないからするだけで、心のほうは、意地悪をいうと多少お留守であるように見えます。 ニュージーランド人で言えば日本のだいたい三重県くらいの規模しかないGDPの4割に迫る国債発行高や、クライストチャーチの当初復興費がGDPの1割を越えそうであること、金融の不調、歴史的なNZドル高、そういうもので頭はいっぱいである。 他国人のことを考える余裕がなくなってしまっている。 わしの経済的な根拠地は相変わらずマンハッタンとロンドンだが、これら大西洋ブラザース都市も轟沈寸前なので、お友達はみな、目下はオカネの話以外なにもしません(^^) 昨日も、男の下着のヘンなデザインの製品の話を延々としていたら、「ガメは、いったい何かんがえてるのか、ちっともわからん」ため息をつかれてしまった。 ヘンな前の開き方をする下着の話をしているのだから、ヘンテコな下着のことを考えているのに決まっているのに、このお友達は秋に予測される波乱を前に目の前のことをありのままに受け止める、という正気を気の毒に失ってしまっているのです。 経済危機になると、アンダーパンツのことすら判らなくなってしまう。 世界の経済は風前の灯火だが、ちょっと煌めいては消え、あっ、もう煙だけになっちゃいそう、と見えてしばらく炎が踏みとどまり、で、終いには、ええーい煮え切らないやつめ、ダメになるならはよはっきりとくたばらんかい、という乱暴なひとも出てくる。 もっとアホなひとになると、「これなら案外だいじょうぶだったりして」というひとも出てきます。 なんとなくフクシマの経緯と似ておる。 ニュージーランドは、史上、空前の寒さで、オークランドで摂氏1度、なんちゅうのは無論初めて見る気温であるし、クライストチャーチで雪が積もる、というのも、わしが知っているかぎりでは二度目でしかないと思う。 おかげで、わしがむかし「日本人は冬になるとサケを熱くして飲むのね」とゆっていたのを思い出して、「あのね、ぼくは久保田っちゅう酒をジャパンマートで買ってきたのだがね、これをジャグにいれて沸かしていいの?」ちゅうような電話がかかってくる。 「お燗」のやりかたを教えてあげます。 しばらくすると、カンドーしてお礼の電話がかかってくる。 醸造酒をホットドリンクにして飲む方法を発明するなんて、なんて賢い国民であろう、とゆってコーフンしている。 聞いているこちらは生返事をしながら、そーゆえば、アイスコーヒーも日本人の発明だったな、と考える。 荷車をひき、鋸をひき、ドアは向こう側に開いて、オトナがマンガを読む、あの国の不思議さを、どんなふうに説明すればいいだろう、とぼんやりおもってみる。 思って見ても、その「思い」には謂わばとっかりも手触りもなくなって、のっぺらぼうな、凹凸の少ないものになってゆくところが、なんとなく、ずっと前に別れた友達のことを思い出そうとしているような気持ちで、はっきりせず、曖昧で、せつないような気がする。 そうやって日本のことを考えながら、カウチに横になって内田百閒の本を開くと、このひとは途方もなく日本語が上手なひとなので、その詩を知らないのに不思議なほど感覚のよい言語のつながりが、また日本というマイクロ文明への敬意を呼び起こす。 まっすぐに続いている長い廻廊の、ドアをひとつひとつ開けながら奥へ奥へと歩いて行けば、ローマ時代にたどり着いてしまいそうなスペイン語やイタリア語とは異なって、非線形な歴史のなかで、断ち切られ、跳躍し、それでもほとんど単語のなかに体液のようにして日本人の歴史的感情や情緒を保存してきた、この不思議な、いまは才能のない作家たちによって虐殺されつつある、日本語という数奇な言語の運命を思います。 わしという一外国人にとっては、豊穣な古典と、透谷と、漱石と、三島があって、これだけは世界一流を極める現代詩人たちの残した作品とがあれば、まあ、それでもいいか、という気もする。 日本語世界と連絡がないのをいいことに、たくさん自分で書き換えてしまった脚註(だいぶん間違っているように思えます。学者のひとびとよ、ごめん)のある岩波古典体系の3週目にはいったり、モニが眠ったあとの寝室を出て、なつかしや、われながらなつかしや、あの悲しい井筒の恋をつぶやきながら廻廊をまわって自分のオタク部屋にたどりつき、ワインを開けて、のんびりと日本にいたときのことを思い出したり、最大に尊敬する俊頼の口調をまねて、義理叔父に日本語の手紙を書いたり、 案外、日本語との関わりは、そういうところに落ち着いていくのかもしれません。 人間の感情や思考の形式は、異なる言語の異なる意識を通して、偶然か必然か、同じ定型、同じ情緒にたどり着くことがある。 フラメンコのうち、あいかたと掛け合いのある古いものは、どこからどう見てもあらすじも掛け合いの呼吸も狂言であるし、中央アジアの農作業の歌は、日本の船頭達がうたったというくだんの「エンヤートット」とうり二つです。 違う方角から言えば、幽霊の話は、意識の主体ということを考えれば、特に真実とは思われないのに、さまざまな文化圏で、事実と仮定すればあいいれない形で、しかし、全体の情緒、ありかたとしては同じような印象の話をあちこちに残している。 それがなぜ似ているのかということをよく考えてみると、それは言語というものそのものの単語に内在する意味と発音される音が規定する広義の塑型可能な定型に依拠しているはずで、人間の博愛というようなものは、それを究明するのでなければ、ほんとうには現実にならないであろうと思われる。 そして、そういうことを考えて行くためには日本語という膠着語に馴染むことがいかに有効であるかを、日本では、相手を見いだせなかったので、西洋語のがわで見いださなければならない。 唯一神を指示しない言語は、音を失うことによって簡単にばらけてしまうが、日本語はそうならなかった、ということひとつとっても、もっと考えなければならないことがたくさんあるよーだ、と思うのです。

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韓国料理屋で

日本では最近、放射能が有害であるとうっかり口走ると、風評の流布ということで逮捕されて市中を裸で引き回しにされ、罵詈雑言を浴びせられた上で掲示板にくくりつけられて晒され、「通りすがり」ひとりひとりに竹鋸でクビを一寸刻みに切られるそうである。 痛そうなので、わしも喜んで放射能は無害であるという合唱に口パクで唱和するのにやぶさかではないが、しかし、ガイジンはバカなので、放射性物質は有害であるという迷信にかぶれておる。 だから放射能は健康に良いのだ、という日本人が発見した放射能の効果についてのコペルニクス的転回については、そーですか、と重々しくうなづいて友好を保つとしても、自分で日本に行くのはやはり嫌です。 そのくらいは許してくれないと困る。 絶対、やだ。 この先、日本の政府がなにかの弾みで、国民に向かって「いやあー、わりい、わりい、あれからよく調べてみたら、やっぱり放射性物質て身体に悪いわ。これから急いでマジメに除染するけんね。因果関係とかは、オカネないからパスだけど、ま、そこのところひとつよろしく」と放射能物質の危険性を正面から認めるようなことが起きたら、その場合は、賢い日本の人々のことである、シュタッと方法を開発して、あっというまに少なくとも放射能がどういう分布をしていて、どうすれば安全かというくらいのことはたちまちのうちに、競争のようにして明らかにして問題の最悪の部分を解決してしまうであろうから、欧州に行く途中で一週間くらい寄ってみるかもしれんが、いまは、やっぱし嫌です。 いまの「みんなウソなんだよん」状態では、たとえばレストランにはいっても、妙に柔らかくて脂肪の味が肉からしみだしてくるような、日本的に高級な味の、まるで福島牛みたいな味わいの豪州産ビーフステーキをかみしめながら、一週間滞在した場合の推定セシウム摂取量を暗算することになりそうで落ち着かない。 しかし現実..あっ、いや、合法的な言論の方法にしたがえば、迷信、を正面から直視する確率は、南京虐殺がなかったことになって世界中の中国系人にひきつけを起こさせた日本国のことであるから、「フクシマ? 原発、そんなところにあったことないよ。女川と勘違いしてんじゃねーの? ばかみてー。韓国人の竹島欲しさの陰謀のデッチアゲを鵜呑みにしてんじゃねーよ」ということになる可能性のほうが放射性物質の危険を認めて除染に動くよりも遙かに高いと思われるので、多分、わしが日本を再訪するというイベントは起きないのだと予測される。 これを「アボンカレの予測」といいます。 証明するのはたいへんだが、便宜的に直感的に正しいことにして扱ってもよいことになっておる。 そーするとさ。 そーするとだね。 もう世田谷の巨大なけやきを見上げる夕暮れのひとときや、渋谷の神社の社屋に寄りそう栗の木、逗子曼荼羅堂の紫陽花や、やはり逗子ハイランドの空を覆ってトンネルをつくる桜花、輝く緑色の海洋のような佐久穂の稲田、小諸の蕎麦の畑、というようなものを一生みる機会がなくなってしまったわけです。 学問もやれず絵も描けず、とがっかりした様子で石を蹴飛ばしながら歩く西脇先生の残映が射す釈迦堂の切り通しを歩くこともかなわなければ、汚いゴム草履をはいてわたしの珈琲屋に来ないでください、と怒られたジョン・レノンが、駅前で買った靴をはいてニコニコしながら戻ってきた塩沢の、あの木洩れ日の射す道を散歩することも出来ない。 割烹着のおばちゃんが、ガイジンのくせに、ひろうすをお代わりするなんてヘンな子だねえ、と得意そうな顔でふたつめのひろうすを「いそいそ」と表現したくなる様子でもってくる割烹屋のおばちゃん、筒井筒、井筒にかけし、わがおもひ…とトーダイおやじたちと謡っていたら目をまるくして、身じろぎもせずに聞いていてくれた仲居のおばちゃんとももう会えない。 なんだか先週までは使えた遊び部屋に突然誰かが鍵をかけて誰にもはいれなくなってしまったようで、まことにつまらん。 一方では、しかし、それが成立した社会の現実にまったく触れることなしに、自分のなかの言語がどのくらい生き延びられるだろうか?という興味がある。 現実から切り離された言語を使っているうちには、ラーメンが実体的にはうどんを指すようになったりしないかしら。 ラーメンがうどんに化けるほど深刻なことは起こらなくても、悲哀と意識されていた感情がおかしみと意識される、という程度の軽症の症状なら起きそうな気がします。 六文蕎麦でへなへなのうどんといなり寿司を食べる楽しみも、新橋の「K」のでっかい的矢牡蠣のフライも、香妃園のとりそばも、電気ビルの上の鮨屋の滅法うまい鮨も、これでお別れである。 まだガリシアのうまい食べ物屋が残っている。 なんだったら、マンハッタンのバーベキュー屋もある。 バルセロナも、ポーのレストラン街もある。 フィレンゼのレオーネ広場もある。 シンガポールの元はバラックだったレストラン街もある。 そう自分に言い聞かせて慰めるが、しかし、食べ物ひとつとってみても、こうして考えてみると扉が完全に閉じてしまったというとやはり東京という遊び場は自分にとって大事な砂場だったのが判ります。 多少は運がよかったと思えるのは、ブログを読んできてくれたひとたちは知っているとおり、十全遠征計画の最終年であった去年にコンテナに詰めて送った日本語の書籍はロンドンにあり、日本の友人達にもお別れの挨拶を述べて歩いたあとであって、あとで「まるで大震災がくるのを知っていたようだ」と言われることになったように、十分な時間をかけて日本を引き払うことが出来たことで、そういう面では慌ただしく中途半端に日本と別れる、というふうにはならなかった。 なら、いいじゃん、とゆわれそうであるが、遠征が計画通り終了としたとはゆっても、「いつでも行けるし」と思っているのと「もう行けないし」と思っているのでは、なんだか本質的な違いがあるもののよーである。 オークランドにはたくさんある韓国料理屋で、勘定をすませて、 チャルモゴッソヨ。 大きな声で「アンニョンハセヨ!」とゆって、笑い転げられ、 ガメちゃん、アンニョンヒカセヨ、アンニョンヒカセヨ。 おー、また間違えちった。 アンニョンヒカセヨ! と顔を真っ赤にして立ち去りながら、韓国のひとたちといろいろな点でそっくりな、日本のひとたちのことを思い出します。 チュルゴウォッソヨ。 コマウォヨ。 また、いつか、きっと会えるよね。

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ヌエボゼランダ

ランギトト http://en.wikipedia.org/wiki/Rangitoto_Island が見える家に帰ってきた。 インド料理屋「甘木」の世界一うまいラムブリヤニを食べながら、 やさしい稜線を見ていると、家にもどってきたのおー、と思います。 凪いだ海と静かな影の広がりを見せるランギトトの姿を眺めていると、こちらの魂まで静かになってくるもののようである。 どこかのクソ国に生まれついてしまえば、その国で成長してくたばるのが通常だった20世紀の人間とは異なって、現代では「自分の国」などは自分で選ぶことになっている。 まわりを見渡しても、だいたい18歳から24歳くらいの期間に、「どーも、わし、自分が育った国と相性が悪いし」と思って生まれたのとは違う国の国民になるひとが多いよーだ。 いまの世の中で「どのパスポートで旅行するか」と「どの国で税金を払うか」というふたつのこと以外に「国籍」というものの意味を考えるのは難しい。 連合王国人が自分の国の社会のバカッぷりに呆れると、オーストラリア人かニュージーランド人に化けることが多い。こういう場合、メンドクサイので連合王国のパスポートはぶちすててしまうことが多いようだが、わしは、パスポートをとってあります。 だからときどき連合王国人になる。 欧州に滞在するときは、連合王国人であるほうがいろいろと便利なので、なあーんとなく、イギリス人のような顔をしてうろうろしている。 オーストラリアには、日本語ブログに書かれている印象よりも頻々と出かけるが、いまはパスポートコントロールが「自動改札」になったので、ニュージーランドパスポートで出かける。 もうひとつ、ニュージーランドのパスポートは最近デザインを変えて、シルバーファーンが表紙についているが、これがカッチョイイというので、あちこちの航空会社職員であるとかパスポートコントロールで人気があって得意である、という理由でニュージーランドパスポートをもってゆく、ということもある。 わしは、他人にうける、ということが大好きだからな。 たしかプジョーの創業者一家はスイス人だが、ちょっと前まではたしかモナコ人だった。 もともとはもちろんフランス人だったが、フランスの税金が高いのでさっさと変えてしまった。 税金が安い国の国民をやっているのです。 自分の周りでは、この例がいちばん多いようだ。 オカネモチのひとびとに最も人気がないのは、先進国中ではアメリカ合衆国の国籍だと思うが、これは合衆国の税法が最近になって改正されて、「国籍を変えても、十年遡って課税できる」という無茶苦茶な条項がついてしまったからで、いろいろなプログラムがあって比較的取得しやすいアメリカ市民権も最近は金持ちには人気がなくなってしまった。 好きこのんで欧州(連合王国ふくむ)に住みたいと思う人間がいるとは思われないが、移住しようと思えば結構簡単です。 しかし、なかなか国籍はくれないという。 わしなどは、そういう話を聞くと、「わしのパスポートを50万円で売ってあげよう」と咄嗟に考えるが、訊くところによると、路地裏の中国人やマレーシア人に頼んだほうが安いようだ。 商売とはなかなか難しいものである。 ニュージーランド人に化けたフランス人の友達に理由を尋ねると、このひとはワイン醸造家の娘なので、「フランスでは好きなワインが作れん」という。 村ごと、斜面ごとに、ここはピノ、ここはガメと決まっているので、ちょっと暖かくなってきたからシラーをつくるべ、と思っても、ダメ、とゆわれるのだそーである。 そこへいくとニュージーランドは他の一事及び万事と同じでテキトーなので、何を育てても文句をゆわれない。 イギリス人たちは、「だっていろいろなことが自分達で作れて楽しいじゃん」というのが最大公約数の意見であると思われる。 残念ながら東アジアから来るひとびとは、すでに出来上がったものを自分で受容したいという理由が多いと聞く。 「医療制度がこっちのほうがいいから」「教育制度がこの国のほうがよくて安い」 「就職がしやすくて賃金が高い」 いわば、移住のくれくれ君組であって、こういうひとは、何を考えているのか、よーわからん。 想像するに、こういうくれくれ君的立場から「国家」や「社会」を見ているひとびとは、多分、社会や国などというものは自分達がトンテンカントンテンカンと手作りするものだ、ということを知らないのだと思われる。 「与えられた国」なんて、くだらねー、とわしは思うが、日本にいるあいだも、(誤解かもしれぬが)、国というのは初めから何だか動かしがたい姿で在って、いわば封建社会のとーちゃんの親玉みたいなものだと感じているひとが多かったような気がします。 日本人は世界中の人種差別主義者や鎖国主義者、民族浄化信奉者から彼らの理想の国として変わらぬ熱狂的な尊敬を受けつづけているが、外にでてゆく日本人の数の少なさは、あるいは、そういう日本の文化の極端に閉鎖的な特徴よりも、この「国は自分でつくるものだ」という考えの欠落からきているのかもしれません。 印象としては、ここでいう「日本のひと」には20代や30代のひとははいってない。 憑き物がとれたよう、というか、人種差別マニアとでもいいたくなるような異常性を見せる特殊な「日本人」と違って、若い日本のひとびとは、(当たり前だが)いかにも、ふつーのひとたちです。 肌の色が違うひととも、言語が違うひととも、ふつーに同じ人間として話ができるので、安心してつきあえる。 話題も共通であって、音楽でも絵画でもアニメでも、文学とテレビ番組以外は、わしらと見聞きして育っているものも同じなので話しやすい、ということもある。 はやい話が、この世代のひとは世界のどこにいってもたとえば食べ物屋を開くときに「日本料理屋」を開くのではなくて、普通のカフェを開いて、気張ったことをしているとは思わない。 … Continue reading

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田園

アリストテレスというひとは、科学者としては自然科学について書き残した膨大な見解がすべて間違っている、という前人未踏、空前絶後の偉業をなしとげたので有名である。 赤ん坊は月経の血が固まって出来るのだと述べ、惑星はエーテルが満ちている宇宙空間を「太陽、月、水星、金星が地球を中心として完全な円運動」をしているのであって、その完全運動を完全たらしめている現場監督が「第一動者」という人格であると決定した。 この「第一動者」がカソリック教会の神の素でごんす。 書いたことがすべて出鱈目であって、まともな人間を数多火で焚いて虐殺してみたり監獄にぶちこんだりして科学を完全に破壊しつくして二千年のあいだカソリック教会と手に手をとって人類をオバカ状態におくことに成功したという点で最も業績があったひとです。 あんまり変わらない時代に酔っぱらったローマ兵に刺し殺されなければ微分学の基礎を完成していたとおもわれるアルキメデスのような危険なキラキラした知性とは正反対である。 アリストテレスは、要するに、いまでも科学の世界にもたくさんいる「権威バカおやじ」だったが、その膨大浩瀚な書き物のなかでたったひと言だけ良いこともいっていて、それは「良い人間は田園からしか生まれない」という言葉であった。 これはほんとうは、政治上、都市への集住を批判した言葉だろーけどね。 でも、まあ、いいじゃん。 字義通りとることになってるんだからさ。 田園、という意味は「人間の手がはいった優しい自然」というほどの意味です。 大陸欧州を移動していると、「田園の分布」と「文明圏」は一致しているのだと実感される。 スペインは内陸に向かってたとえばサンチョパンサがロバの背に揺られて歩いてきそうなラマンチャやレオンのような土地では赤土の荒野に「文明」「田園」がオアシスのように点在していて。そのオアシスの中心に街がある。 それがピレネーを越えてフランスに入ると、国土の殆どが人間の手がはいった自然に覆われていて巨大な田園をなしている。 1エーカーの土地、一本の木、草花に至るまで人間の理性が選択して育てている自然です。 連合王国のように比較的野蛮な習慣がある国でも事情は同じで、早い話が、ロビンフッドが活躍する「太古の鬱蒼とした森」シャーウッドの森は太古は沼沢であったはずで、あれも一本一本人間が植えたのだと、ガキわしが尊敬するハゲが述べていた。 フランス人は「イギリス式庭園」の項の説明に「野原のこと」という大失礼な説明をつけた園芸事典をつくったことがあるが、野原にしてはやさしい緑の輝きや、なだらかなスロープに随って小川に落ちてゆく美しい芝は、やはり人間の選択によって出来たものです。 ここまで書くと、この世界には、もうひとつ西洋でいう「田園」で国土を埋め尽くして、それを歴史を通じて誇りにしてきた島国があることにきみは気がつくであろう。 そ。 日本です。 「里山」という余計なうすぺらい情緒がはりついている言葉は好きではないが、信仰に似た米への執着から来ていると思われる稲田を中心に、大量の水を配した耕作地、点在する整備された丘、流れる水、という構成要素で出来た日本の「田園」がいかに美しかったかは、いまのすさまじいまでに破壊されて醜い傷跡だらけの地方の風景のなかにも、破片となって残っている。 日本にいたときはよく長野県にでかけたが、望月や佐久穂というような山のひだにはいりこんだような耕作地に行くと、秋には一面が黄金色で、息をのむほど美しかった。 そこが、わしにとっては面白いところで、これが米以外の作物を育てている畑であると、雑草の取り方もいかにもぞんざいで、なんだかちらかった子供部屋のような印象の畑だが、米になると、まるで耕作地そのものが礼拝堂であるかのような、「敬虔」と呼びたくなるほどの手の入れ方です。 あるいは、松之山、というようなところに出かけたときには、畳にして二畳ほどしかない水田を丁寧に丁寧に手入れされていて、カンドーしたりした。 日本人が収入のためならばこの精緻な人工自然を破壊してもよい、と思い立ったのは多分60年代の中盤以降のことで、いったん、自然なんか壊れたっていいや、と気分を定めてしまえば「イナカモノめ」という表現に代表される、平安貴族が発明した田舎蔑視の思想という便利なものが日本の思想史にはころがっていた。 平安のむかしには、たとえば父親が栄進して東北の荘園の役人として任官してしまえば、一緒に田舎にゆく年頃の娘は「化外の地の空気に馴染んだ」キズモノであって、もう一流人士との婚姻は望めなかった。 日本のものの考え方の、さまざまな思潮のなかには、この平安貴族の「都会人だけが人間なのさ」という考え方が、姿を変え、音色を変えて、基底の旋律のように響いていて、 それがいかにぬけない棘として日本人の考え方に突き刺さっているかは先刻の「田舎者」という語彙ひとつを考えても十分だと思います。 その思潮を背景にして、ちょうど被差別者が同権を求めるような色合いで自然の破壊を主張したのが田中角栄というひとだったように見える。 「太陽が昇る方角に山が聳えているなら、その山を削ってしまえばよい」という日本海側の多くのひとびろに説得力をもったに違いない夢を看板に政治家になったこのひとは、簡単にいうと「土地を投機の対象にする」道をひらいた。 その遠因は、どちらかというと、農産物輸入自由化問題の当時に奇策として採用した農業補償のつじつまをあわせるための苦肉策にあるようにみえるが、ともかく、このひとは自然を徹底的に破壊することを国是にしてしまったようなものでした。 長野県を歩いていると、誰も、歩行する人すら通らない立派な橋や、廃棄された「砂防ダム」、イノシシがレースをするためにつくったようなクルマがまったく通らない、立派な、しかも整備が行き届いた稜線ぞいの舗装道路、というようなものがいっぱいある。 モニとわしは、よく晴れた初夏の日などには、望月の奥の、誰も来ない舗装道路のまんなか(^^)で、ピクニックをしたりしたものであった。 日本の社会は、オカネを儲けるかわりに、稼いだオカネで楽しむべき時間の大本の基盤となる国土を破壊してしまった。 家と田畑を売った金で、キャバレーで札束をばらまいて遊ぶ威勢を誇るようになった農家のどら息子のようなものです。 そういう悲劇的な本末転倒が、結局はフクシマの悲劇を招くことになったと思うが、 バケツで核廃棄物をタンクにぶちまけ続けて、その結果再臨界を起こしてしまう、という、ちょっと途方もない、気分が悪くなるような無知と粗暴の事件を忘れて、フクシマが「想定外」に人知を越えた、不可抗力の「天災」であったという電力会社の陳述を頷いてきく日本のひとの、愛らしいほどの権力側へ寄り添った思考と情緒を観察していると、 なまなかなことでは説得力があることを言えそうもないので、今日はこのへんでよして、またもっと時間があるときに続きを書きたいと思います。

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Lasciate ogne speranza, voi ch’intrate’ その4

午前10時。眠いよお、と思いながら車庫のリモコンを押してがああああぐわあああとシャッターを開けるとクルマに乗り込むわし。 スーパーマーケットに行って、かぼちゃや牛フィレ肉やチーズやパンやビスケットやチョコレートを買い込んで帰ってくる。 ニュージーランドに冬に帰ってくるのはひさしぶりなので、モニさんにかぼちゃのスープを食べさせてあげるべ、という夫心です。 使いなれたる我が家のチュボー(厨房)、なんちて。 「幸福な生活」の重要な要素は「快適な生活」だが、「快適な生活」を送るには「快適な細部」が必要です。 日本の「山の家」の代わりに購入した北イタリアの「山の家」は外はボロイが中は現代的に改変されている。 わしのようなコンジョナシが中世の村で暮らせるように、見た目は築1000年でもなかみはモダン錦なのである。 でも皿洗い機が安物で皿の汚れがちゃんととれねーんだよ、とか、Wifi (突然ですが、スペイン人は、これをウィーフィーと呼ぶ。かわゆいので、わしも英語においてもウィーフィーを採用しておる。WifiのMifiは、ウィーフィーのミーフィーだからな。だからスペイン語はやめられないのだとゆわれている)がちゃんと家をカバーしてなくて階段に座ってでないとインターネットがちゃんと接続できないとか、アホなことがいっぱいあります。 その上にクルマの駐車スペースが狭くて、駐めるのが重労働なクソ・カーパークである。 ニュージーランドの生活からは、そういうものが排除されておるのでたいへんよろしい、と戻ってきて改めて考えました。 生活を送るのに家事においても遊びにでかけることにおいても、たとえば大陸欧州のごとくこの世の終わりのように窮屈な駐車場に何回も切り返しをして駐車しなければならなかったり、不合理故に吾信ず、な運転習慣がない。 楽なもんです。 アホでも何も考えずに暮らせる。 まして賢い亀夫においておや。 オークランドにもどってきてみると、そこは真冬であって、空港にはでっかいオーバーにくるまったトンガやサモアのおっちゃんが吐く息を白くしながらたたずんでおる。 でもさ。 でもね。 真冬とゆっても下が5度、とかなので、わしは全然寒くありません。 同じニュージーランドでも凶悪なクライストチャーチの冬に較べればちょっとボロクなった春のようなもんである。 クライストチャーチの冬は、ぶおおおおお、と南風(というと北半球諸君は暖かいのか?と思うだろうが、サザリーちゆえばニュージーランドではちべたい風のことです)が吹いて、その台風なみの突風に巻き上げられた地面の水が顔にぶっしゃあああーと当たる。 すげっす。 したがって、かーちゃんも妹も常にはニュージーランドの冬には必ず欧州にいたものであった。 わしはクライストチャーチのクソ冬が好きなので、長じては、ひとりで、途中の成田で買い込んだPCパーツや電子部品をたずさえてニュージーランドにやってきたものだった。 全部の暖炉に薪を放り込んで、パネルヒーターやフロアヒーティングにスイッチをいれて、ひとりでちびちびと酒を飲みながらパンフライやフライにしたブラフオイスターを食べる愉しみ。 第一、おっかない家族は誰もいないので、ひとりで悪い事やりほうだい…あっ、いや、ベンキョーしほうだいで、なかなか楽しいものであったのをおぼえています。 わしはしばらく南半球暮らしをしようと考えている。 オーストラリア、ニュージーランド、ずううううっととんでシンガポールというホームグラウンドに赤道の向こうのマレーシアやインドネシアくらいを加えてもよい。 ダッサイ連合王国パスポートを金庫にしまって、シルバーファーンが表紙についた、カッチョイイ、ニュージーランドパスポートで暮らそうと思ってます。 ずっとブログを読んでくれているひとは知っているが、わしが備えてきた「最悪の事態」、それが予想されるから、いまここにある地獄の魔王が地上に現れるような経済事態はどうやら起こってしまいそうである。 まだ起こらないですむ可能性はかすかに残っているが、中国以外は経済音痴の首脳が轡をならべるいまの各国政府の顔ぶれでは、難しいように思える。 中央銀行のテクノクラートたちも考えられる方策はすべて試みたように見えます。 しかしながら、高度に情報化され、かなり細部にいたるまで確率論化された現代経済市場においても、ときどきぶっとばないと経済に飛躍がもたらされないので、地獄の釜 https://gamayauber1001.wordpress.com/1970/01/01/lasciate-ogne-speranza-voi-ch’intrate’%E3%80%80その3%E3%80%80%E3%80%80フッチーを待ちながら/ がまた開いてしまうくらいで驚いていては冷菜凍死家はやれん。 今回は、膿まみれになってどろどろのゾンビ化しているのは欧州であって、健全なIT産業その他の新世代産業(グーグルやアップルはいうまでもなくアメリカ企業です)をもつ合衆国は、実はそれほどひどくない。 そのうち日本語で書いてみんべ、と思うが、オバマ大統領の、緊急であった経済政策よりも先に保険制度に手をつけてしまう、という大失策から来た経済対策の遅れが取り戻せないで苦しんでいるうちに欧州から北斗の拳がとんできてしまっただけである。 だけである、とゆっても史上最強のパンチをもっていたタイソンのフックのように強烈なパンチなのでダウンしないとは限らない。 焦眉の急の大陸欧州は、大陸でおっちゃんやおばちゃんたちにインタビューしてまわった限りでは、もう全然ダメ、だったので、もてばラッキー、ふつうにいけば例年通り「9月プレッシャー」がかかったところでオトーサンになりそーである。 欧州がオトーサンになってしまうと、わしも冷菜の幾分かは生ゴミになってしまうので、起こらないことを祈っているが、今回は、どうもそうそううまくいかないよーです。 … Continue reading

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食物図鑑その10バスク篇

むかしの日本のマンガに出てくる「おフランスの画家」はベレー帽をかぶっているものと相場が決まっていたように見えるが、このベレー帽というオモロイ形の帽子はバスクのものである。 バスクの町に行くと、いまでも通りの至る所にある不思議なくらい座り心地の良いベンチに腰掛けているじーちゃんたちは、みなこの帽子をかぶっている。 フランス人は他にもいろいろなものをバスク人の生活をチラ見して盗んでまねっこしてきたが、その影響は食べ物において最も顕著です。 自分達の伝統料理がどの国からヒントを得てきたか当のフランス人たちはよく知っているので、フランス人はよくバスクにでかける。 バスクの町々がスペインのなかでは比較的にフランス語がよく通じるというのも、そのことの原因であり結果でしょう。 実際バスクは安くておいしい食べ物を食べて安くておいしいワインを飲んでのんびりしたい人にとっては天国のような場所である。 通りごと夢見ているようなバスクの通り をぶらぶら歩いて行って、そこここにあるピンチョスバーにはいると、カウンターの向こうのにーちゃんたちが「オラッ!」とゆって迎えてくれる。 きみはまずおもむろにアンチョビを注文するであろう。赤みのあるほうが味がきつくて白いほうはやさしい味がする。わしは白いほうのが好きです。 ピンチョスが並ぶカウンタから、いくつか見繕って皿に載せる。 それからワインを選ぶなんてこういう場合仰々しくてメンドクサイので、カウンタのなかのにーちゃんに、ハウスワイン一杯ね、とゆいます。 こういう場合、フランスの町やバルセロナでは、こんな田舎の小さなバーでは小さなワイングラスか、あれはあれで良いものだが、グラシアの町ならコップで出てくるかもしれません。 ところが、バスクでは、大きな、立派なテイスティング・グラスで出てくるのさ。 それがバスク人、というものなのです。 なんでも格好良くないと、つまらん、という気持が町中に漲っておる。 薄汚いものがいっぱいある国のあとだったりすると、スカッとします。 赤ワインを二、三杯飲んで機嫌がよくなったきみは、大通りに足を向ける。 ピンチョスバーは5時くらいから店を開けて客を待っているが、大通りの店がぼつぼつと開き出すのはバスクでは午後8時くらいである。 9時くらいになれば、人が大勢あらわれる。 一見観光客向けのように見えるレストランでもバスクの町では、ちゃんと食べ物をつくり、きちんと選んだ飲み物を出すので、地元の人のほうが多い。 平日は11時をまわると、ほとんど地元の人だけになります。 いまはまだ8時なので、きみは、もう一軒ピンチョスバーに寄っていこうかなあー、と考える。 さっきのバーは威勢の良いにーちゃんたちがやっているモダン・ピンチョスだったので、今度は伝統的なピンチョスがうまい店がいいかしんない、ときみは考える。 そういうときに行くのは、中年の夫婦者がやっている、こういう店よね。 さっきのピンチョスバーでは、にーちゃんたちが話しかけてくるのは、 「ねえ、きみは昨日の晩のイギリス人の女の子たち3人がやっているバンド見に行ったかい? かっこよくて、足から股間まで熱くなっちまうよ。 おれたち、今日も、見に行くのさ」 なんちゅう話だったのが、ここでは、おばちゃんがカウンタから身を乗り出して、 「どうして、銀行はあんなに汚いんだろう。 わたしとあのひとが苦労して手に入れた家を、手放せなんていう。 あんた、信じられるかい? あんたの国でも、そうかい?」 とシブイしわがれ声で話しかけてくる。 ピンチョス自体もシブイっす。 赤ワインをもう3杯も飲んで、おばちゃんの声につられて奥から出てきたおっちゃんもくわわって、金持ちどもは、つるみやがって、おれたちからカネをむしりやがる、許せないよ、という話を聞き終わった頃には、きみはすっかりお腹が空いて、マジなものを食べなければもたんのお、と考えます。 だから、レストランの通りへと移動する。 そういうときに、豪勢なレストランに行く必要はなくて、ひとりなら20€もだせばワインと水を含めてもおつりがくるようなレストランで十分である。 食前酒は、もう、少し飲んだあとだからとばしてもいいだろう。 バスクの名物、マルミタコ(鰹とじゃがいもとトマトの煮込み)(すげー、うめっす) をまず頼む。腹がすきまくっているので、 … Continue reading

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食物図鑑_その9_マンハッタン中華篇

何を飲むか、というのはほとんど「何を食べるか」によっている。 それはマナー、とかいうようなものではなくて、あるいはマナーの問題であっても、そんな決まりはクソくらえであって、濃厚でスパイシーなシラズはグラスフェッドのビーフステーキには欠かせないし、生牡蠣を食べるのに赤ワインを飲むバカはいない。 鮨を食べるのに白ワインを飲むひともいるが、「日本の白ワインは鮨とあうものがあるんだよ」なんちゅうひとは、味蕾が国粋主義に傾きすぎているのだとしかおもわれぬ。 逆に、ワインを飲まないガリシア料理とかバスク料理、あるいは北でも南でもフランス料理を想像すると、考えただけで索漠として、そんな食事をするくらいなら、マクドナルドのドライブスルーに並んでフィレオフィッシュをほおばりながら世を儚んだほうがマシである。 だからたとえばスペイン料理を食べれば、どうしてもワインを飲んでしまうであろう。 こういうことを日本語では「不可避」という。 モニさんは、とてもマジメなひとです。 わしのように日曜日の朝に嬉しいことがあったからとゆってチ○チンを振り回して喜んだりしないし、金曜日の夜中の広場で酔っ払って禿げ(スキンヘッド)をからかって、頭をペタペタしたりもしない。 マジメなひとの如実な弊害は、他人がフマジメによって不利益を被ろうとしていると、おまわずマジメにしなさいとゆってしまうことで、そーゆーわけで、わしはときどき酒を飲まない日なり期間なりをつくらされる。 わしの頭は、別に考えなくても、モニが「….しなさい」というと、自動的に聞いてしまうモニATSがついているので、飲むな、とゆわれると飲みません。 ヘーキである。 モニが、今日は飲むのやめよーね、とゆいながら、自分だけシャブリを楽しんでいても(たびたび、あります)別に我慢できなくなったりはしない。 しかしモニのほうでは、わしをかわいそうに思う気持ちがあるよーで、たいていは純粋にモニの思いつきだけで決まる、今日は飲むのやめようね、という日には、中華料理、インド料理、マレーシア料理、中東料理というようなものを食べたい、というようになった。 食べ物に飲み物が随伴していないからです。 わしは、もともと酔っ払いなので、こういう料理のカテゴリで好きなのは連合王国人の国民食であるインド料理だけだが、どーせロクな食べ物がないマンハッタンでは、たとえば中華料理みたいもんでも食べてみよう、ということになった。 四川で大地震が起きて以来、世界中には四川人が現れて、他の地方の中華料理の味からは想像もつかないくらいおいしい料理を饗しているという噂は、わしも聞いていた。 でも、マジメに食べてみるべ、と思ったのは今度が初めてです。 酸辣湯 に始まって、 担々麺 や涼拌麺 に続き、麻婆豆腐 で終わる四川料理を食べにでかけてみると、おもいのほかおいしいので、 酒を飲まない昼食には、結構よく食べにでかけたような気がする。 日本の人がたくさんいる「麻婆豆腐」というミッドタウンの料理屋や 大四川料理、というとぼけた名前の料理屋です。 四川料理に味をしめて、中華街にもでかけた。 「あーのさー、今度はじめて中華料理もおいしいんばあー、と思ったんですけど」と中国人の友人たちに話してみると、みな大喜びで中華街のおいしい店を教えてくれた。 わしが最も気に入ったのは、ラファイエットの料理屋で、ここは味が上品であると思った。おおげさではなくて味が「典雅」で、中華料理にも、こんな味がつくれるのかと驚きました。あくまで軽い、それでいて強い、繊細な味で、いまのシェフは限りなく天才に近い、と考えた。 このひとはサラダをつくるのも天才です。 ディムサムも、だから当然うめっす。 このディムサムソースを見よ 台北の鼎泰豊(ディンタイフォン)よりうまい小籠包をわしは初めて食べた。 うまいうまいばかりではバカみたいだが、このひとがつくるものは、ほんまにうまいのだからやむをえない。 アスパラガスの炒め インゲンマメと豚の炒め 野菜ときのこのポット 極めつけはチャーハンは、ぶっくらこいちまうくらい上品な味である。 うめっす。 夜、行ったのでいまみたら殆ど何も写ってない北京ダックも極楽どした。 … Continue reading

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静かな街

サンジェルマンデュプレにあるJの店に昼食を食べに行った。 8月1日なので、まともなレストランはみな閉まっているが、Jの店は開いている。 むかしから、そうです。 電話すると、「あー、じゃ、息子も呼んでおくから4人で一緒に昼ご飯を食べよう」という。「どうせ、こんな時期に客なんか来やしないから」 Jの店は、小さいが、なんでもおいしい魔法料理の店のような料理屋です。 フレンチバスクの料理が得意なシェフのDが厨房を仕切っている。 店にはいってゆくと、女の子の先客がいて、何事か必死に頼んでいる。 大学生だと思うが、小さく飛び跳ねてなんだかチビちゃんがわがままを言っているようでかわゆい。 Jは、女の子の肩越しにモニとわしをちらと見てから、女の子に奥を指し示している、と思ったら、Jが奥を指さすのと同時に女の子はくるりとこちらに身体の向きを変えて店を出て行った。 「おいおい、待ちなよ、いい、と言っているじゃないか」というJの声は聞こえなかったもののよーである。 トイレを貸してくれって、いうんだよ。 だから、もちろんうちのトイレを貸してあげるのは良いけれど、そこの公衆トイレはとても綺麗だから、ほんとうはそっちに行ったほうがよいと思う。 そうでなければ、そのヘンの珈琲屋にはいって一杯の珈琲を頼んでからトイレに行きなさい。もうオトナなんだから、社会のルールを憶えなければ、といったんだが。 Jは肩をすくめると、気を取り直して、モニとフランス式に抱擁をかわして挨拶する。 わしとは、わしが奥義を教授してしんぜたニュージーランドのマオリ人の挨拶をします。 鼻と鼻をくっつける。 バーのカウンタの下からこの店の自慢のロゼをとりだすと、モニとわしに一杯づつ注いでくれます。 息子のPがやってきて、モニとわしに挨拶してから、カウンタにはいってなにごとか準備している。 Pは17歳になったばかりで、いかにもまだ少年の初々しい顔です。 はにかむと、少女のようだ。 Jとわしらは、パリの変化の話をした。 途中からPもくわわって、みなのワインが切れるたびに細かく気を配ってワインを足してくれる。 あいかわらずサンジェルマンデュプレの「ビーチ」は人気がある。 だから夏も開けておくんだけど、ちっとも客はこないのさ。 みんな、そのへんでサンドイッチを買ってコーラを買って、おれの店にはトイレを借りに来る。 そんな客ばっかりなんで嫌になるよ。 シャンゼリゼのヴァージンメガストアは、まだあるんだぜ。 なぜ、パリだけが生き残るのかみんなで不思議がっているのさ。 外は29度で、ものすごい暑さ。 静かな太陽の光がじりじりおいあげてくるような暑さである。 熱さ、と書いた方がいいかもしれない。 モニとわしは「ビーチ」を歩いてきたが、ビーチパラソルを抱えた上半身裸の男や女たちがたくさん歩いていた。 浮浪者が酔いつぶれて寝ているすぐ横でアフリカ人のカップルがいつまでもいつまでもキスをしている。 橋の下を通るときに、ホームレスのねぐらから、嫌な臭いがぷうんとする。 遊覧船に難民みたいに詰め込まれた世界中からやってきた観光客が、どこを見ればいいのかよく判らないような顔をして川沿いの風景を眺めている。 荷船のキャビンの上にサマーベッドを出した運送屋の奥さんが水着で日光浴をしている。 操舵輪を握った旦那がそれをぼんやり眺めている。 いつものパリの夏の光景。 料理は相変わらず超一流で、英語ではキャセロールという名前になるはずのおおきめのココットに平たくつくったポーチドエッグを敷いて、その上にクリームソースとサーモンを載せて焼いた前菜もうまかったが、豆を裏ごしした緑色とマスタードベースの黄色と、この店の売り物のひとつであるブラウンソースの3色のソースの海につかったシャロットと豚のヒレ肉、なすびと豚の挽肉をつかってつくったステーキにベーコンを添えた肉料理も、スズキのグリルもおいしかった。 最後は、縦にふたつに切った巨大なババにラムをたっぷりかけて食べました。 … Continue reading

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写真を撮るということ

なにもないと寂しいので、このブログは記事の初めに必ず写真が付いている。 むかしの記事に遡ると写真がないのは、もともとはあったのに、バカなひとが大挙して押し寄せてきたり、日本語というものに嫌気がさしたり、あるいはただ単にやる気がなくなったりするたびにアカウントを削除するので、そのときにぶっとんじまったぶんです。 「妖怪目玉」さんのコメントへの返信にも書いたが、わしが最大に尊敬する リディア・ リトヴァク http://en.wikipedia.org/wiki/Lydia_Litvyak の写真以外は、どれもわしが自分で撮ったものです。 わしは、むかしは「写真を撮る」ということが嫌いだった。 なんとなく、カッコワルイ、感じがしたからです。 ところが、ある日、とーちゃんがわしの部屋にやってきて 「きみは、どうして写真を撮らないの?」という。 昼間、妹が写真を撮っているところをさんざんバカにして、もう少しでオイオイ泣かせる、という大勝利までいったのを妹が両親にいいつけたもののようであった。 とーちゃんがいうには、写真は頭がボケボケになってからでも、一瞥、あっというまに、その場所と時間に引き戻してくれる。 まあ、嘘だと思ってやってみたまえということであった。 わしは人間が素直を極めておるので、他人にゆわれてみたことはなんでも一応試してみることにしている。 撮ることから試すのでは迂遠なので、妹を恐喝して、むかし、ミラノのドゥオモの屋根の上で撮った写真をとってこさせた。 そしたら、ほんまにガキわしの記憶がよみがえって、ドゥオモの近くの珈琲屋でアイスクリームを載せたアイスコーヒーを飲んだらうまかったことや、ドゥオモの角をまわったところで、日本人とぶつかって、かーちゃんが「まあ、おまえがぶつかった、あのアジア人の男の人は小澤征爾という日本人の大層な指揮者ですよ」と教えてくれたことまでいっぺんに思い出した。 それから、わしはいつも小さなデジタルカメラをポケットにいれてもって歩くようになった。 エリザベス女王旦那のフィリップ殿下は、むかしからコンパクトカメラをポケットにいれてもって歩くのが好きなので有名なひとであって、よく見ていると、ときどき、さっとポケットからカメラを出して、パッと撮って眼にも止まらぬ早業で仕舞う。 嫁はんに怒られてやめた、という説を唱えておるタワケがいるが、ぬわあに、まだ年中やってます。 わしは極めて特殊な理由(とゆってもたいした理由ではないが)によって、それをよく知っておる。 マネをすることにした。 歩きながら、舗道に出してあるテーブルに腰掛けてワインを飲みながら、早撃ちマックのごとき素早さで写真を撮ります。 あるいは https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/04/23/ の写真のようなのは、気が付かれないように写真を撮ってから、液晶をみせて、 いま内緒でお前様方のこーゆー写真を撮ったけど、いいかのい?と訊く。 嫌だから消してくれとゆわれたことはいままでは一度もない。 このNYCのお巡りさんの写真 みたいなのは、「Smiling」というこのお巡りさんの姓があまりにカッチョヨカッタので、仕事中のこのお巡りさんを、おーいおいおい、と呼んで、写真を撮らせてもらった。 右斜め上を見ているのは、モニと話しているからです。 いままでに何百枚と写真を撮っているに違いないがカメラを向けて嫌がられたのはただのいちどだけで、マンハッタンのトライベッカの警察署の前の公園(!)で、大勢の中国人やくざ(及び一般人)たちが大金を賭けてバクチにうつつをぬかしているところを写真に撮ったときだけだった(^^) そのときは、写真を撮ったら「おーまえー、殺ひてやるよ」とうので、「まあああー、こわい」とゆってにっこり笑って手をふって 帰ってきた。 レストランで食べ物の写真を撮るのは難しくて、よく知っているレストランでもある種類の高級レストランで食べ物の写真を撮った日には、誰もなにもゆわないでにこにこしているが、次の日には「とうとうガメがほんもののバカになった」という噂が町を駆け巡るのは見えておるので、そういうことはできません。 「写真を撮ってもダイジョウブな雰囲気のレストラン」というものがこの世には存在するよーです。ただし、そういうときでも良い写真を撮ろうと思ってじっくり構える、というようなことは許されるわけもなくて、さっと取り出して、さっと撮るに限る。 一方では、写真なんか撮っていいわけねーだろ、なレストランでもウエイタに頼んでワインのラベルを写真に撮るのは普通の行為である。 合衆国の美術館や博物館は、普通、写真を撮ってもよいことになっている。 フラッシュライトを光らせてはいけないのは、絵なり作品が傷むからです。 連合王国も、たいてい写真を撮らせてもらえるが、たとえば … Continue reading

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