Monthly Archives: August 2011

「幸福」

1 ヒ。 ヒヒ。 ヒヒヒ。 ヒヒヒヒヒヒヒヒ。 よいことがあったので、わしはたいへん機嫌がよい。 なにがあったかは、まだ教えてあげません。 でも、わしは立っていても、歩いていても、座っていても、ひっひっひ、と笑いが止まらないのであります。 もしかすると、眠っているときも笑っているかもしれないが、モニはわしが眠るときにはたいていもうすやすやと眠っていて、わしが起きるときも、まだ、すやすややすやすと眠っておるので、わしが眠りながら、ひひひのひ、と笑っているかどうかは判らぬ。 今度、タイマー付きのビデオで撮影してみようよ思ってます。 オークランドという所は、遊ぶことがたくさんあるので、忙しい。 クラブ、というようなことを言っているのではありません。 クラブカルチャーは、最近はまたマンハッタンがダメで、ロンドンに中心が移動しているようだが、いずれにしろ、そーゆー不純で楽しい遊びは、28歳というようなジジイの妻帯者になると、億劫である。 オークランド、良いクラブないしな。 カヤックやサイクリング、パラシューティングにボーティング、テニスに乗馬、っちゅうようなことをゆっているのです。 夏になれば、クリケットもあるでよ。 庭の一角に野菜畑をつくる偉大な開発計画や、クルマが増えたので、(おまえのところのクルマは夜中に車庫で交尾しているのではないか、という、古色蒼然として、言われ尽くしていて、おもしろくもおかしくもなんともない、のみならず品位に甚だしくかける冗談をゆって父親が電話の向こうで喜んでいたが、どーして、あのオッサンは、ああ冗談の教養がないのであろう)、来客用のカーポートをぶち壊して新しい車庫を増築する計画をつくったり、カーペットを張り替えたり、壁紙も飽きたので張り替えをしたり、わしが最近ヲタクの面目にかけて凝りまくっているホームオートメーション(^^)、2.4GHzのマイクロ・コントロールの腕輪をして歩くと、自分の設定にあわせて照明やオーディオが変化し、選曲(ライブリごとだけどな)するのを手始めに、ニュージーランドでは一般的なウエザーステーションと連動したクライメイトコントロールをインストールしたりで、「家」というオモチャを使った遊びもたくさんやることがあるのです。 一日も一週間も、あっというまに経ってしまう。 寒さがゆるんで、春の気候になった庭に、やっとシブイ色になってきたチークのテーブルを出して、モニとふたりで、シャンパンを飲みます。 移民社会というものは強力であって、フランス人の肉屋のにーちゃんがつくったハムに、ルーマニア人たちがつくったソーセージ、スロバキア人たちのパン、チキンはハラル肉屋がスパイスにつけこんでおいてくれたタンドリです。 なはは。 なんという幸福な午後だろう。 おまけに、「あれ」。 むふふ。 ヒ。 ヒヒ。 ヒヒヒ。 ヒヒヒヒヒヒヒヒ。 2 幸福、なんちゅうもんは、単純なものなのではなかろうか。 空気が清浄であって、空が抜けるように青くて、夕方には目を開けていられないような強烈な濃いオレンジ色の夕日が芝生を染める町で、のんびり出来れば、それでたいていの人間は幸福であると思う。 オカネが人間を幸福にしない、というのは、どうやらほんとうであって、オカネの欠乏は人間を不幸にするが、オカネの過剰は、幸福の過剰をもたらすわけではないよーだ。 オカネというものは、不思議というよりは、嫌味なもので、人間の生活の最も重大な部分はオカネで買えないが、重大でない部分はなんでもオカネで解決がついてしまう。 ところで、人間の一生の大半の能力は重大でないことで出来ているので、オカネがないというと、重大でないことに鼻面をひきまわされて人生が終わってしまうのです。 したがって、オカネが豊富にある場合にもっともよいことは、オカネのことを考えないですむことである、というバカな結論になる。 価格札、というものを、他人に騙されて不快な思いをしないためだけにチェックするようになるためにのみ、ひとは富裕になるもののよーである。 富と幸福は、そーゆー意味合いにおいて、カンケーがないもののようでした。 イギリス人やニュージーランド人は、新しい人が近所に、たとえ、ドライブウエイを共有する家に越してきても、挨拶にいったり、挨拶にくることを期待したりしません。 放っておく。 しばらくして、ダイジョーブそうなひとたちだということになると、稀にお互いに手をあげて軽く挨拶したりするようにある。 … Continue reading

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休題点

自分が日本人なら、案外、日本に居残ってしぶとく生きようと思うだろう、と考える事がある。 3月11日のニュースのあとでは、その場ですっくと立ち上がって「なるべく遠く」に逃げたとは思う。 日本人に生まれて日本文化のなかで育った結果、どの程度、自分の考えが現実の自分と異なるか計りにくいが、どうせ科学に興味をもったはずで、科学の「勘」もあるとすれば、問答無用、理由は後付け、職場の和も同僚の思惑も、KYもYKKもあるもんか、というので自転車にまたがり、あるいはクルマのハンドルを握りしめて、怒濤のように逃げたと思う。 東京にいたとして、多分、まっすぐに関空まで逃げて、そこからどこでもいいから遠い国の切符をくれ、とゆって、シンガポールあたりのホテルの一室でテレビを観ている、というようなことではないだろうか。 ほとぼりが冷めた頃、職場の同僚の失笑を浴びながら、「きみたちは西園寺公の故事を知らんのか」とゆってえばっていた、と思います。 でも日本のような勤勉社会に生まれればわしのようなナマケモノはビンボに決まっているので、やがてカネがつきて日本に戻るだろう。 雨が降れば放射性物質をおそれて脱兎のごとく軒下に飛び込み、それ以前は乗らなかった地下鉄を愛用し(駅ごと屋根があるからな)、食料品に至っては「安全な中国食品をおすすめしまあーす」とアホな冗談をゆいながら、コスコのような輸入食料品ばかりを扱っているスーパーマーケットに出かけて、漢字が間違っておる韓国製ソーメンや出鱈目なひらがなで訳のわからないことが書いてある「カンダ食品」の乾そばやなんかを買い込んでいるに違いない。 ペリエ(コスコはナショナルスーパーマーケットに較べてたしか一本百円くらいも安かった)を大量に買い込み、外食は産地表示を細かく行うかっぱ寿司に限定して、しみじみまずいのお、と悪態をつきながら新幹線から注文したヅケを取りだしているに違いない。 しかし、それも、6ヶ月近くも経ってしまえば、だんだん面倒くさくなって、寝る前には、もっと気を付けないとやばいんだよねえ、と考えても、たとえば友達と会って酔っ払ってしまえば、もうどうでもいいや、になって、鮨屋にでかけて「今夜はセシウムナイト」のどんちゃん騒ぎをしているに違いない。 …そう。 わしは、日本にいて現実を直視し続けて生きるなんて無理だ、と思っているのです。 人間が、そこまで強靱な持続力を保って、まったく目に見えないうえに、即座に被害が現れるわけでもない、しかも「環境的」な敵と戦えるとは信じられない。 人間の精神は、そういう事に耐えられるように出来ていない。 少なくとも、わしには無理である。 福島の原発事故の話をするときに、ゆいいつの類似例としてチェルノブイリがよく持ち出されるが、ある程度は似ていても、漏出した放射性物質が「環境」をなすほどの量である、という点でふたつの事例は決定的に異なっている。 簡単に言えばチェルノブイリにおいては放射性物質の拡散から「逃げる」ことが出来たが、日本の場合は、それが出来ないのです。 どう隠そうとしても、おいおい明らかになると思うが、日本は北の北海道から沖縄に至るまで、汚染されてゆくことになると思う。 岡山県産の箱に詰められた福島県産の大根という経口被曝はもちろん、たとえば、海に流出したすさまじい量の放射性物質は風で飛散するヨウ素同位体とは異なって、ほぼ海岸線に沿って日本を周回するような動きを見せると思います。 ニュージーランド人はひまさえあればカヤックばかりやっている人間が多いが、そのひとりとして、海流の動きは、おおざっぱな海図に描かれたいわばマクロ的な動きと異なって、陸伝いに動いて行く海流があるのは、みな知っていることである。 だいたい陸から50キロくらいまでの水が、そういう動きをすることを考えると、 水がもたらす汚染は深刻であると思う。 日本の政府は、地下にもぐってしまった大量の核物質について何も言わなくなってしまったが、たとえば地下水脈、ということひとつとっても、どこにどうつながって、どんなふうになっているか、誰にもわからないはずで、「判らない」ことを逆手にとって、研究者達に対して「危ないと言えるなら、証拠をだしてみろ」とすごんでいるが、くだらないにもほどがある、というか、あの態度で「政府は誰のためにあるのか?」と誰もいいださないのは、日本に民主主義が到頭最後まで根付かなかったことを、政府のひとびとは挙げて感謝していることでしょう。 違う文化のなかに出ていって幸福になる、ということの難しさを、わしは義理叔父の知り合いの日本の人たちを観察することによってある程度知っている。 ある人の娘さんは、ニュージーランドの家には庭があって虫がいる、ということが耐えられなかった。借家の持ち主(この人は、わしもあったことがある。「気の良いニュージーランド人」の典型のような人だが)が、「土足」で玄関からラウンジを抜けてテラスへ歩いていったことにも、どうにも我慢がならないようでした。 ある30代の男の人は、すでに(ビジネスクラスでやってきた)ニュージーランド航空の機内で、「ニュージーランド人客室乗務員たちが、やたらとエラソーな口の利き方をする」ことに耐えられなかった。 レストランでウエイトレスをしている高校生くらいの女の子でも、全然、客としてへりくだってくれないので自尊心を大いに傷つけられたようでした。 ご多分に漏れず、というか、このひとも日本に戻って「ニュージーランド人の日本人に対する人種差別」を熱心に説いて歩いているよーだ。 合衆国でも、よく、そういう例を見聞きする。 英語圏全体が、いまは、国外からの移民を大量に受け入れて、その結果、あらゆる面で激しい競争がある。 それまでの、のんびり社会とはまったく違ってしまっています。 合衆国は日本とは比べものにならない学歴社会であって、アイビーリーグの大学+スタンフォードに、あといくつか、ま、そーゆー選択もあるわな、の大学を出ているのでないと、まず絶対に社会の上層に浮かび上がれない(同窓生社会だから、という理由もある)が、もうそこで、いったいどうなってんねん、というくらい優秀な、中国人やインド人との競争にさらされる。 そういうと、また怒る人がいるだろうが、いくら怒っても、日本人が(多分、教育制度の失敗のせいで)全体に桁違いに知的競争力が低いことは、合衆国では周知の事実であると思います。 日本社会に生まれることには、知的な世界ではおおきなハンディキャップになっている。 日本の人が得意な分野は、したがって学問やテクノクラートとしての訓練よりも「手先の器用さ」や「美的感覚」が重要な分野で、そういう分野では、日本人であることは大きな有利さとして働く。 「ニホンジン」である、というのは、スタイリストや盛りつけが重要な料理、ヘアドレッサーというような職業ではかなり強烈な「ブランド」なんです。 だから、若い日本の人は、そういう美的感覚を必要とする仕事についてアメリカという巨大な競争社会に飛び込んでゆくことが多いが、仕事においても、「なぜ自分は他人より仕事が出来るのに評価されないのだろうか」というフラストレーションがだんだん大きくなって耐えられなくなってゆくように見える。 こういう人がもつ「性差別なのではないか」「人種差別なのではないか」という猜疑は、他のたかだか留学生くらいで、日本でのように甘やかせてもらえなかったひとびとがぎゃあぎゃあとガキじみて騒ぐのに較べて遙かに妥当性があるが、あれは、絶対に不可視に出来ていて、その構造は日本の文系上級役人の社会にとても良く似ている。 自分がほんとうには受け入れられないのだ、と考えて、頭のよいひとたちほど失望してしまうように見えます。 英語でmentorというが、研究室内や社内で、あるいは人生そのものにおいて有力な後見人が出来ない場合には、まず、この状態から脱せられることはない。 アメリカの「フェア」さは、実際には「同窓生的紐帯」よりも、一見公平と相反しているように感じられる、これによって保障されているところがあるかもしれません。 … Continue reading

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「落ちこぼれ」の弁

「ガメ、きみは騙されているんだよ」と言ったときのTさんの真っ青な顔色を忘れられない。 わしは、その頃、大きな開発をまるごと買い取る話をすすめていて、仕方のない成り行きでほぼ自分の人生がかかっているような具合になってしまっていた。 去年の二月頃の話です。 ブログを昔から読んでくれているひとたちのために言うと、あの最初から最後までバカバカしい(というほどの価値もない)なりゆきの「ごぼう」の頃ね。 みなが憶えているように、いつのまにか英語の達人になった500人ばかりの「はてな市民」たちによって、わしは「ニセガイジン」ということになったが、だから、そういうことはどうでもよかった。 どうでもよかった、というのが不適切ならば、それどころではなかった、のでした。 詳しい経緯を書くわけにはいかないし、そういう気持ちも起こらないが、Tさんが自分の会社の金庫から盗んできた一枚の紙は、わしを騙して何○億円という金額をまきあげようとする、そういうことを計画することを得意とする人達特有の巧妙さでつくりあげた、およそ現実味に欠けるといいたくなるほど、精妙な計画が記されていたのでした。 わしは、混乱して、ぶっくらこいて、あわあわしていただけだったが、BKやPCをはじめとする、わしのスタッフは素早く活動して、わしを救い出すのみならず、相手を破滅に追い込んでいった。 ずっと後になって、わしは、わしを陥れようとしたあの香港人の「右腕」だったTさんとモナコに近いフランスの町であったが、そのときも「なぜ助けてくれたのか」を訊いたのに、Tさんは、なんだか不思議な、悔しそうな表情を浮かべて、わしを見つめるだけだった。 別れるときに、ふと、思いついたように「ガメ、きみは自分というものに感謝したほうがよい」とゆった。 たった一瞬しか時間を共有しなくても、強い友情を感じるということが人間にはある。 旅行しているときにもあります。 28年も生きていれば、だいたいどういう人が自分の友達なのかもわかってしまう。 でも誰が自分を救ってくれるのかは判らない。 わしは、どこまでもアホなので、むかし、まるで理屈というものを無視して、わしと一緒にいようとするモニに、なぜ、そうまでして、わしという不良と一緒にいようと思うのか訊いたことがあった。 いま振り返ってみるといかにも幼かったモニは「あなたを愛しているから」というだけだった。 泥酔したわしがからかうように、なぜわしを愛していると判るのか訊くと、「あなたには判らない言葉でわたしには判るのです」という。 わしは、モニの子供っぽさに笑ったものだったが、ここまで読んで気がついているひともいるに違いない。 賢しらなわしの魂よりも一途なモニの魂は、遙かにたくさんのことを知っていたのであって、わしは、ほんとうにくだらない人間だった。 モニがわしに向かって差しのばしてくれた腕にすがって、わしは、ここまでやってきたのに過ぎない。 日本人の友達から来たメールによると、件の作家のひとは、あの後も、わしには見えないところでこそこそわしの悪口を言いつのっていて、そのなかのひとつで、わしのことを「白豚の落ちこぼれ」とゆっているそうだが(^^)、わしは太っていないので「豚」はあたっていないが、落ちこぼれは当たっているであろう。 学歴という意味ならば、わしの出た学校は「世界大学ランキング」みたいな進研ゼミの企画なのかこれは、ちゅうようなランキングではよくわからん評価が高い大学なので作家の出た大学がどこか知らないが、あんまり、そういう譏りを受ける必然性はないようだ。 とゆーかあの作家がトーダイなのかキョーダイなのか知らないが、そーゆーのって、「イジメ」ちゅんちゃうのか(^^) でもさ。 わしの学歴やなんかは作家がわしのバカっぽい文章から想像したよりも高いようだが、「天才作家」にゆわれなくても、「おちこぼれ」だよねえー。 あまりに当たっているので笑ってしまいました。 あの自他ともに認めるエリート作家のように、他人を絶対者として裁判するほどの大才に恵まれた人とは違って、わしは、わしの友人達と同じで、神様の世界が信じられなかった「おちこぼれ」なんです。 お互いの知性に相談しながらちまちまと暮らす、謂わば、零細知性者の群れなのである。 おちこぼれ同士手をとりあって、なんとかやってゆくべ、と呟いている心象風景というようなものは、作家やインターネットでもっともらしいこと(放射性物質は危険でない、私は言葉など信用していない云々)を盛んに発言して言いつのる作家のネット相伴のような「天才集団」には判らないもののようだが、 いいも悪いも、 それしかやりようがないからな。 「人間の真実」みたいなものは、落ちこぼれと罵られる、わしらの側にしかないと盲信してやってゆくしかないと思うのです。

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なんてったってアイドル

むかしからこのブログを読んでいてくれる人々は熟知しておるように、わしにとっては「アイドル」とゆえば、なんとゆってもAlizéeでごんす。 そ。このブログに何でも出てきた、あのひと。 「ロリータ」 で大ヒットをとばして、登場したアリゼに青春を捧げて自爆した高校生は多かったと思う。 わし自身もアリゼの曲なら殆どフリ付きで歌って踊れるのだとゆわれている。 のみならず、わしのお友達になろうと思えば、モンティパイソンのすべてにエピソードに通暁していることと、アリゼの歌がすべて歌えることが一次試験であった。 モニのほうがずっと綺麗なひとだが、アリゼはいかにもアイドル顔であって、バカタレな高校生たちにとっては、尊崇しやすかったのであります。 男ガキどもには、みな青春の日々にきゃあきゃあゆったアイドルがいるのであって、義理叔父に訊いてみると、このひとの頃は「キャンディーズ」ちゅうグループだったようである。もっとも、Uさん(このひとは日本人・30代前半です)のように十代のときのアイドルが「京マチ子」だったひともいるので、必ずしも同時代のひとが好きであるとは限らない。 この「アイドル」というのは、要するにバカガキのバカさにつけこんだマーケティングだが、そもそもその淵源はどこにあるのだ、と考えて歴史を遡って尋ねてゆくと、日本では フランス・ギャル が、嚆矢であるようだ。 輸入モノなのね。 このFrance Gallという人が演じさせられた役割は、多分、アリゼのマネージャーがマーケティングを模倣した役割で、子供の雰囲気を保つように言い渡しながら、一方では性的な暗喩を豊富に身にまとわせた。 ずっと後になって、Gallは、妙ななめかたでアイスクリームをなめさせられたり、キャンディをしゃぶらされたり、バナナを口にふくまされたりしたことの意味を、何年かそういうことをさせられてから知って、怒りと恥ずかしさで身が震えた、とゆっている。 いまとは異なる60年代前半の社会において、まだ18歳になるかならないかだったGallは自分が性的な譬喩を演じていたことにまったく気がついていなかった。 しばらくは鬱病のようになって家の外に出るのも嫌だった本人がインタビューで述べている。 アイドルというものの特徴は、男の側から一方的に押しつけられた殆ど妄想の領域だけで存在が可能な性的役割を公衆の面前で演じてみせねばならないことだが、これがいかに男のアイドルにも女のアイドルにも負担が大きい仕事かは、日本でも、所属事務所の前の舗道に立って、自分と同じくらいの年齢だと見れば、喧嘩をふっかけていたという郷ひろみであるとか、ビブロスというクラブで、ちょっと見栄えの良い男の子と見れば手当たり次第に押し倒していたというSなどの、東京人に伝わる話を聞いているだけでも判るような気がする。 本質が性的な商品なので、スポンサーと性的関係を強要される、というようなことも実際にあるようだが、日本の芸能ビジネスのひとに聞くと完全に強要される、ということはないそーで、どちらかというと、本人がチャンスを求めて性的な関係と引き換えに仕事を手にしようとすることが多いという。 そういうことでまで「わたし、がんばります」な世界なんだよねえ、と、このまた違う機会にブログの記事にしたい、とても興味深い複雑な人間性の人は、自分の業界の事であるのに、半ばうんざりしたような投げやりな調子で笑って話したりしていたものだった。 こういう裏側の体液の臭いがするような話のありかたは、実は、合衆国の「子役」の世界、14歳から16歳くらいの、アメリカという国では需要が多い年齢層のガキどもが役をとろうとして、あるいは自分で手を挙げ、あるいは母親に説得されて、スポンサーのデブおやじたちのホテルの部屋に向かう世界と瓜二つ、というくらい類似していて、日本のアイドルが担っている社会のなかでの性的な役割が合衆国ではどういう形で機能しているかが判る。 それはそれで悉に検討してみると、オモロイもんであるな、という気がします。 忘れないうちに述べておくと、フランス・ギャルが日本にもってきた「アイドル」というマーケティングは、コメットさんの九重佑三子にひきつがれ、麻丘めぐみや天知真理、キャンディーズという頃に大興隆を見て、ピンクレディで年齢層の低下が極限まで進んで(わしが買った本には、最後期にはファンの中心の年齢が10歳だった(^^)と書いてある)、多分、いまは、同じマーケットは日本では部分的にアダルトビデオへいってしまったのではないかと思う事があるが、それはともかく、日本での「モーニング娘。」のような男の側からの一方的な性の押しつけマーケティングを観て、そういう手があったか、と考えたのが、フランスではアリゼ、ロシアではt.A.T.uだったのではないかと思います。 丁度、大陸欧州から東のはてまで行った「アイドル」というマーケティングが40年という時間を経て一周して戻ってきたようにも見えて、わしは、そういうことをオモロイと 感じる。 ついでに下らないことを言うと、ニュージーランドでは、「アイドル」が流行るということがない。女の社会的立場が強い社会では、男たちに「さっさと成熟しろ、ばかもん」という強大な圧力が絶えずかかっているからであって、アイドルのコンサートにおしかける男なんちゅうのは、トングでつままれてゴミ箱に捨てられるのがおちである。 「アイドル」マーケティングにはもっとも向かないタイプの「女が強い社会」なのです。 連合王国においてアリゼが一部バカ男子校のバカクラブで流行っただけで終わったのも同様の理由であるに違いない。 オモロイのは、スペイン語世界では、アイドルが流行りそうなものなのに、同じマーケットセグメントがPaulina Rubio のような人に支配されてしまうことで、他にもたくさんある 「スペイン語世界の謎」のひとつであると思います。 (記事のタイトルは、小泉今日子という人の歌だそーだ。歌も聴いたことがないし、小泉今日子という人も名前は聞いたことがあるが、どのひとだかよくわかんね でもタイトルの「音」から80年代バブルの浮かれた空気が伝わってくるようで面白いとおもう ) (画像は軍靴の響きも高らかに、韓流優遇に抗議してフジテレビに向かう日本一般市民の方々。嘘です。ごめん。浅草でなくてもセンソー寺、ですのい)

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チップっぷ

昨日の芸能ニュースで、Jay-zが5万ドルのチップをはずんだことがニュースになっておった。 http://nz.entertainment.yahoo.com/celebrity/news/article/-/10068997/jay-z-leaves-50k-tip/ ウエイターのひとびとは、決してオカネという意味だけではなくて大喜びだっただろうと思います。   合衆国にいるときは、わしは、だいたい支払いの額面の2割から3割くらいをチップとして払うことが多いようだ。 ときどきプロフェッショナルであったり、独創的なサービスに出会ってカンドーすると8割くらい挙げてしまったり、ピアノを弾いているひとの腕前にぶっくらこいて、ピアノの上に100ドルおいてしまったり https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/05/11/ するが、ふつーは、20%から30%しかチップを使わない。 ここの店のサービスはひでーなあー、と思ったときは、しかし、あげない、というわけにはいかないので10%くらいにしてしまうこともあります。 それより低い、ということはない。 アメリカ人のサービス業人は、チップで食べているので、いかにコンジョの悪いウエイタであろうとも、ゼロ、というわけにはいかないからです。 テキサス人の友人たちなどは、「ガメはチップが多すぎる」という。 わしの仲の良い年長の友人、テキサスおやじなどは、ダラスのバーで、頼んだものの金額の20%のチップをあげたら、ウエイターに向かって歩いていって、半分、手からもぎとって、わしのところにもってきた。 「あんなにチップを払っては、社会のためによくない」とマジメな顔でいう。 もっと、気をつけてくれなくては困る。 この頃は、アメリカでは、客が計算しやすいように勘定書の下に15%と20%に分けて金額が自動的に印刷されているものがある。 アメリカ人でも、(考えるのがめんどくさいので)チップといえば15%と決めて、うんと弾むか、というときには20%、というふうにチップの習慣が機械的な手続き化しているからでしょう。 わしは、アメリカのこのチップを渡す習慣が嫌いではない。 オカネ、というところが嫌は嫌だが、特に人柄が良いひとにサービスを受けたときやなんかには、手軽に感謝をあらわせるので便利であると思う。 いまちょっと、そう言えば、と思って日本語サイトを見てみると、案の定「連合王国でのチップは10%から15%」と書いてあるが、もともとは、連合王国人はチップなんか、全然渡しません。 外国人観光客が(UKでは厳密に言えば違法な)チップの習慣をもちこもうとするので、サービス業の人間がさもしくなって迷惑している、とゆってもよい。 連合王国では、チップというのは、あくまで(いまでは恐竜並みの絶滅種である)上流階級人の習慣にしかすぎません。 「心付け」というものはあるが、要するに日本と同じことで、相手が愉快なやつであったり、人柄がよくて楽しかったりした場合は、ふつーに、「にーちゃん、釣りはいらねーぜ」という。 あるいは、いきなり近所の店に走っていって感謝の気持ちをあらわすためのプレゼントを買ってきたりするとヘンなひとだと思われるので、咄嗟に現金を渡して感謝を表現することもある。 それをチップと言えばチップだが、あれがチップならば、日本もチップ社会だということになります。 わしは東京では、よく「おつりはいりません」をやっておった。 この頃は、さもしくも「勘定書にはサービス料は含まれていません」というくだらない能書きをいれているバカ店もあるが、わしなどは、そういうのを見ると、金輪際チップもどきはくれてやらん、勘定そのものも払わないで逃げちゃおうかしら、とむかっ腹を立てる。 我が国は、どうなってしまったのだ、と憤慨する気が勃然と起きてくる。 逆に、サービス料が含まれている勘定書も多いので、「こんなサービスでサービス料とるなんて、はっは、ジョーダンは佳子さん」とゆって、そのぶんを支払金額から引かせることはあります。 ついでに他の日本語旅行サイトを眺めてみると、バルセロナみたいなところに出かける人にも同じことが書いてあるが、はっはっは、カタロニア人がチップなんかそんなに出すもんけ。 チップなんか15%も払った日には、「金持ちにみせようと思って、バッカなんちゃう?」と後ろ指をさされるくらいが関の山である。 カタロニア人の「チップ」は、せいぜいがとこ、ポケットのなかで重たくなったバラ銭を1セント硬貨から何から勘定書のトレイに山盛りにして置いていくくらいのものです。 誰でも知っていることではあると思うが、ついでのついでに述べておくと、合衆国では硬貨をチップに渡すのは大変失礼です。 そーゆーことをすると、次に行ったときには珈琲に塩がはいっているかもしれむ。 彼の地では1ドル札がいまだに威張っているのは、チップの習慣が大きな理由であると思います。 ニュージーランドでは、相手がとてもよくしてくれている、と思えば、心をこめて「ありがとう」という。 チップを渡す、というのは、よほど異常なことです。 オカネで感謝をあらわす、というのは成金のやることなので、下品、なのね。 ニュージーランドでは、他の英語国に較べてもなおさら、客とウエイターや店員は対等の関係なので、自分が親切にしてやったからといって、オカネをもらうのはヘンだ、という常識なのです。 アメリカ人の観光客にチップを渡されて怒り出したウエイトレスのおばちゃんを、わしは見たことがある。 … Continue reading

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Hotel Ambio

かーちゃんに連れられて歩き回っていたガキわしの頃は、ホテルというのは部屋がふたつ以上はあるものだと思っていた。 後年、自分ひとりで旅行するようになって初めて、たとえばマンハッタンの5番街にあるヒルトンのように、「部屋が狭すぎてスーツケースをふたつ置けない」というようなホテルに宿泊して世の中の厳しい現実というものを学習したのだった。 いまは、そのヒルトングループの合理化が裏目に出て名前だけのくだらないホテルに成り下がってしまったがウォルドフアストリア http://www.waldorfnewyork.com/photo-gallery/waldorfastoria.cfm?LinkToGo=waldorfastoria1 はむかしは子供心にも良いホテルであって、機転の利く下町訛りのボーイさんや、愉快な部屋係のねーちんたちがいたのは、20世紀の終わりくらいまでだったろうか。 その頃は、ニューヨークにアパートを持っている人達も、部屋の支度が終わるまで、とか欧州との行き帰りには随分このホテルを利用していたように思います。 いま振り返ってみると、かーちゃんの旅行は万事欧州式で、ヴェニスのようなせまこしい町でも、狭い水路をはいって、玄関につくと、その先に案内される部屋は広大なもので、 万事が合理的快適であることをめざすアメリカ式の宿泊施設とはだいぶん違っていた。 わしなどは、ケチなのと甲斐性がないのとで、たとえばカリフォルニアに行くと 「 Embassy Suites」というようなところに泊まる。 Embassy Suites http://en.wikipedia.org/wiki/Embassy_Suites_Hotels というのは、アメリカ中、特に西海岸にたくさん転がっている家族向けのホテルで、気楽で快適な、いかにもアメリカ式のホテルです。 名前通り、全室がスイートになっていて、安い。 往々にしてレインフォレストカフェ風のコートヤードにレストランがあって、朝食がただである。 メキシコ人のにーちゃん、とかが卵を焼いて、ベーコンやハムを添えて出してくれます。 あとはブフェになっていて、自分でテキトーに盆にとって食べる。 あんまり安いホテルに泊まらないかーちゃんが、大昔、わしをディズニーランドに連れてきたときにアナハイムの Embassy Suitesに一週間泊まって以来、わしはこのホテルが大好きであった。 欧州人にとっては、アメリカのチップの習慣はビミョーによく判らん。 ルームサービスには初めからチップが含まれているが、食事をもってきたおっちゃんと面と向かえば、やはりなにがしかあげないと悪いよねえ、と感じたりして、一時が万事ビミョーだが、 Embassy Suitesの場合は、簡易的な台所もあったり、荷物のワゴンも自分でおしていこうと思えば、そう言って押して行けばよい、チップを払う機会が少ない。 全体にリラックスした雰囲気が好きなので、いまでもよく泊まります。 こういう庶民的なホテルにまったく泊まったことがなかったモニも、すっかり喜んで、わしらは夫婦で愛好しておる。 団体が来て週末にバカ騒ぎがあるとコートヤードにバーがあるせいでうるさいそーだが、予約するときにレセプションに訊けば、うるせー団体がくるかどうか教えてくれるので、そのときは、もうちっと良いホテルに泊まればよい。 一般に欧州の良いものは、普通の人間、というか外国人には見えないようになっていてアクセスを拒絶しているが、アメリカという国は、そこがよいところで、誰にでもアクセスできる快適なものがたくさんある。 大学生のビンボーわしが俄然気に入ったのは、日本のひとも当然しっているひとはたくさんいるが、「All-inclusive」という、たとえばカンクーンのようなアメリカ資本の巨大開発で出来たリゾートの習慣で、いったんチェックインすると、「オカネ」ということを考えなくて良いようにした工夫である。 プラスチックの腕輪を腕につけて、ピッと外れないように留める。 腕輪に色が付いていて、その宿泊客が何日まで滞在するか判るようになっている。 わしがよく泊まったホテルは、ホテルのなかに軽食からフォーマルな食事まで5つのレストランとプールのまんなかにあるのを含めると6つのバーがあるが、そのどれで何を食べて飲んでも、タダである。 オカネを払わなくてもいいのね。 初めに支払った宿泊代にすべてが含まれているのです。 これは考えてみると、アメリカ人の、豊かな国の国民らしい考え方に立脚してもいて、たとえば、どうせ同じ金額を払うのだから、3食全部いちばん高いレストランで食べよう、という客が多いと、もうすでに崩壊するしかないサービスである。 払う金額が同じでも、ホットドッグが食べたいときには、「得」だからといって無理をしてステーキを食べない国民性だから成り立つ。 むかし欧州から旅行でブロンクスにやってきた人が、ビールを一杯たのめばローストビーフサンドイッチから何から食べ物が全部タダ、という肉体労働者のおっちゃんたち向けのパブに紛れ込んで、すっかり仰天してしまい、アメリカにだけは勝てない、という愉快な文章を書いていたが、アメリカという国は、もともとそういう「ランド・オブ・プレンティ」な、おおらかな豊かさに良いところがあるのだと思う。 … Continue reading

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スーパーマーケット

オークランドは、人間がニュージーランドの生活を記録するようになってから初めて雪が降った。 山沿いにちらちらと降っただけで、大半の人は気がつかなかった、という程度だが、それでもニュージーランドでは大ニュースです。 今日から、暖かくなってゆくそうだが、先週は「摂氏2度」という日まであって、ぶっくらこいてしまった。 オークランドの本来の気候は、夏の気温の上限が26度冬の下限が5度、という気候で、「2度」なんて聞くと、ほんとうにぶっくらりんのぷいぷいである。 原因は「ポーラーブラスト」であるそーだ。 南極の寒波がおもいもかけず強烈な強さになって極からふきだすように寒波をまわりにぶちまけることがあるが、それが今年は有史上はじめてニュージーランドにまで届いた。 わしは、もともとが(ニュージーランドでは)クライストチャーチ人なので、なんとなく懐かしくて楽しい気候だが、オークランドの友人たちは、家そのものが寒さに向いて出来ていない上に、ちゃんとしたコートももっていない人が多いので、なにがなし不愉快そうな様子である。 街をゆく高校生たちの制服も、普段は短いスカートが多いが、今年の冬は、くるぶしまでのスカートが多い。 オークランドでは見慣れない光景です。 長い厳しい冬(とゆっても日本で言えば岡山の冬程度だが)があるクライストチャーチと違って、簡単に言えば南カリフォルニアが南半球に越してきたような気候であるオークランドの人間は、冬の過ごし方が下手である。 暖炉のそばに座って紅茶を飲みながら談笑する午後や、リークのスープのカップを手にもって、暖かい部屋のなかでぬくぬくしながら寒いパドックを眺める楽しみをオークランド人はもたない。 ただ寒がっているだけであって、いかにも芸がない気がします。 「New World」という、わしが子供の時はダッサイ品揃えで有名であって、この頃はオーストラリア資本のスーパーマーケットに対抗して、やや高級目な品揃えを売り物にしているスーパーマーケットチェーンの、マウントウエリントンに出来た新しい支店にでかけて食料品の買い出しに行った。 家がラミュエラなのであるからラミュエラの支店に行けばよさそうなものだが、わしは、ことスーパーマーケットだの料理屋だのということになると好奇心が強いのです。 真新しい、通りすがりに通常のサイズの2倍はある支店を見てしまっては、行かないわけにはいかむ。 ニュージーランドとオーストラリアのスーパーマーケットは、まず外側の壁沿いに一周して、それからまんなかの棚をぬってゆくようにデザインされている。 そんなの、ぼくの勝手だし、ときみは言うであろうし、実際、なにしろニュージーランド人のことであるから、あっちへ行き、こっちへ戻り、またふらふらと元のところに歩いて、実際の客の動線はぐじゃぐじゃです。 しかし、一応設計上は、そうなっているのね。 入り口を入ると、リークとパースニップとCapsicum http://cutejill.blogspot.com/2010/06/2-red-capsicum.html という日本で言えばピーマンの親玉みたいなんを買う。 マッシュルームも、わしガキの頃は、白い、日本語で「マッシュルーム」というあれと、 黒くて扁平なマヌケなきのこくらいしかなかったが、移民社会のありがたさ、いまは十何種類の、キクラゲや椎茸を含んださまざまなきのこがある。 キクラゲや椎茸を買っちゃおーかなあー、と思うが、どうせ食べるわけはないので、実際に買うのは「退屈な白いマッシュルーム」だけど(^^) 魚売り場は通過。 知識もなければ、あんまり好きなものもないので、たまにタイレッドカレースープにいれて食べるマッスル(ミュール貝)を買うことはあるが、それも滅多には買いません。 フィレステーキの肉を2キロくらい買う。 パックされたものが棚にも並んでいるが、だいたい裏で働いているおっちゃんに頼んで別に切ってもらう。 ベーカリーで、スペイン風に焼いたパンを買う。 ミルク、パーミジャーノ、マチュアチェダー、カマンベール、ブルーチーズ、と買っていって、ワインの棚に至れば、シラズとピノを買い足して、外側の棚の周遊は終わりである。 日本のスーパーマーケットとニュージーランドのスーパーマーケットのいちばんの違いは、「甘い物」の棚の大きさの違いで、ニュージーランドでは、チョコレートやドライフルーツサンド、日本やアメリカではクッキーと呼ぶビスケット、ハリボ、ミンティ、…甘くて人生を破滅に導きそうな菓子が延々と延々と続いておる。 わしのスーパーマーケットにおける最高、至福のときである。 あーでもないこーでもない、でも、あれもこれも、と矛盾と煩悶に満ちた選択の結果、十個くらいの甘い物をトローリーに放り込みます。 最後にペリエやなんかを買い込んで、新聞をほうりこむとレジに並ぶ。 バイトのねーちんと「今日も寒いのおー」とゆいながら話して、じゃーね、とゆってクルマに向かってトローリーを押してゆく。 フランスならば、Auchan, Intermarché ,たしか昔は日本にもあったCarrefourで、日本で言えばイオンみたいっちゅうか、ふつうは洋服みたいなもんや生活用品と食料品を半々で売っていて、わしは潔く食料品だけを売っているニュージーランドのスーパーマーケットのほうが好きです。 ただしちょっと田舎に行くとカルフールなどは、時折侮りがたいカフェが横にくっついておって、無茶苦茶にうまい珈琲とサンドイッチを出すので、そういうところはスーパーマーケットにおいてすら誇示されるフランスの文明的実力、というものがある。 … Continue reading

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