写真を撮るということ


なにもないと寂しいので、このブログは記事の初めに必ず写真が付いている。
むかしの記事に遡ると写真がないのは、もともとはあったのに、バカなひとが大挙して押し寄せてきたり、日本語というものに嫌気がさしたり、あるいはただ単にやる気がなくなったりするたびにアカウントを削除するので、そのときにぶっとんじまったぶんです。

「妖怪目玉」さんのコメントへの返信にも書いたが、わしが最大に尊敬する リディア・ リトヴァク
http://en.wikipedia.org/wiki/Lydia_Litvyak

の写真以外は、どれもわしが自分で撮ったものです。

わしは、むかしは「写真を撮る」ということが嫌いだった。
なんとなく、カッコワルイ、感じがしたからです。
ところが、ある日、とーちゃんがわしの部屋にやってきて
「きみは、どうして写真を撮らないの?」という。
昼間、妹が写真を撮っているところをさんざんバカにして、もう少しでオイオイ泣かせる、という大勝利までいったのを妹が両親にいいつけたもののようであった。

とーちゃんがいうには、写真は頭がボケボケになってからでも、一瞥、あっというまに、その場所と時間に引き戻してくれる。
まあ、嘘だと思ってやってみたまえということであった。

わしは人間が素直を極めておるので、他人にゆわれてみたことはなんでも一応試してみることにしている。

撮ることから試すのでは迂遠なので、妹を恐喝して、むかし、ミラノのドゥオモの屋根の上で撮った写真をとってこさせた。
そしたら、ほんまにガキわしの記憶がよみがえって、ドゥオモの近くの珈琲屋でアイスクリームを載せたアイスコーヒーを飲んだらうまかったことや、ドゥオモの角をまわったところで、日本人とぶつかって、かーちゃんが「まあ、おまえがぶつかった、あのアジア人の男の人は小澤征爾という日本人の大層な指揮者ですよ」と教えてくれたことまでいっぺんに思い出した。

それから、わしはいつも小さなデジタルカメラをポケットにいれてもって歩くようになった。
エリザベス女王旦那のフィリップ殿下は、むかしからコンパクトカメラをポケットにいれてもって歩くのが好きなので有名なひとであって、よく見ていると、ときどき、さっとポケットからカメラを出して、パッと撮って眼にも止まらぬ早業で仕舞う。
嫁はんに怒られてやめた、という説を唱えておるタワケがいるが、ぬわあに、まだ年中やってます。
わしは極めて特殊な理由(とゆってもたいした理由ではないが)によって、それをよく知っておる。

マネをすることにした。
歩きながら、舗道に出してあるテーブルに腰掛けてワインを飲みながら、早撃ちマックのごとき素早さで写真を撮ります。

あるいは
https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/04/23/

の写真のようなのは、気が付かれないように写真を撮ってから、液晶をみせて、
いま内緒でお前様方のこーゆー写真を撮ったけど、いいかのい?と訊く。
嫌だから消してくれとゆわれたことはいままでは一度もない。

このNYCのお巡りさんの写真

みたいなのは、「Smiling」というこのお巡りさんの姓があまりにカッチョヨカッタので、仕事中のこのお巡りさんを、おーいおいおい、と呼んで、写真を撮らせてもらった。
右斜め上を見ているのは、モニと話しているからです。

いままでに何百枚と写真を撮っているに違いないがカメラを向けて嫌がられたのはただのいちどだけで、マンハッタンのトライベッカの警察署の前の公園(!)で、大勢の中国人やくざ(及び一般人)たちが大金を賭けてバクチにうつつをぬかしているところを写真に撮ったときだけだった(^^)
そのときは、写真を撮ったら「おーまえー、殺ひてやるよ」とうので、「まあああー、こわい」とゆってにっこり笑って手をふって
帰ってきた。

レストランで食べ物の写真を撮るのは難しくて、よく知っているレストランでもある種類の高級レストランで食べ物の写真を撮った日には、誰もなにもゆわないでにこにこしているが、次の日には「とうとうガメがほんもののバカになった」という噂が町を駆け巡るのは見えておるので、そういうことはできません。

「写真を撮ってもダイジョウブな雰囲気のレストラン」というものがこの世には存在するよーです。ただし、そういうときでも良い写真を撮ろうと思ってじっくり構える、というようなことは許されるわけもなくて、さっと取り出して、さっと撮るに限る。
一方では、写真なんか撮っていいわけねーだろ、なレストランでもウエイタに頼んでワインのラベルを写真に撮るのは普通の行為である。

合衆国の美術館や博物館は、普通、写真を撮ってもよいことになっている。
フラッシュライトを光らせてはいけないのは、絵なり作品が傷むからです。
連合王国も、たいてい写真を撮らせてもらえるが、たとえば
https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/02/05/seydou-ke〓ta-salif-ke〓ta/
に書いたごとくテートギャラリーはダメである。
でも連合王国は連合王国なので、事情を話せばたいてい撮らせてくれますけど(^^)

美術館で写真を撮ることはほとんどないが、撮ったものを見るとたいていは「細部」のアップを撮っておるよーだ。
なんでだかは、もっともらしい理屈を述べることも出来るが、ただ、ヘンな人なのだと思われる。

だいたいいつも、なああああーにも考えないでカメラを向けるが、この記事
https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/05/18/「フクシマ」のあと/

の初めにある写真を撮ったときは、この十二支彫刻の作者である艾未未の無事を祈っていた。
この写真を載せたしばらくあとに艾未未が釈放されたと聞いて、油断はできないぞ、と思ったものの、この才能のある偉大な美術家のために少し安堵したのを憶えています。

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One Response to 写真を撮るということ

  1. 妖怪目玉 says:

    冒頭の写真はガメ様の作品ですか?
    楽しいですね。
    ゲージツだぁ。

    >写真は頭がボケボケになってからでも、一瞥、
      あっというまに、その場所と時間に引き戻してくれる。

    お父上の仰るとおりですね。
    写真は文字で書ききれない物事を画像で無意識下に記録出来ますから
    ずっと後になって見た時に些細な事まで鮮明に記憶を甦らせる、
    誘発剤になります。
    音楽もそうですけどね。

    私の父は写真を長年やりました。
    北海道の山の中に籠もってマイナス20℃の朝の自然を撮っていました。
    今でも写真を見るといろいろ思い出して喋ります。
    カメラも大事にいつも見える場所に置いてありますが
    今はカメラの扱い方そのものを思い出せずに自分で手にとって考え込むので
    そういう姿を見ると少し切なくなりますが。

    私自身はカメラという物を持っておりませんが、
    日常的に携帯電話のカメラでなら目に付いたあれこれを撮っております。
    カメラつき携帯を初めて買った2007年から撮ってブログに貼っておりますが、
    写真はどんどん溜まって膨大な量に増え過ぎて、
    自分で自分のブログ記事を検索する事さえ困難になったので
    今は写真だけで文字による記事の無い、写真帳としてだけのブログを4つ作って
    撮ったものをどんどん投入しております。
    何年か前のものを見ると、その時の事をはっきりと細かい事まで思い出しますね。
    いい事も、嫌な事もね。

    ところでこりおまわりさん、素敵ですね。
    彼女の幸せを祈ります。

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