静かな街

サンジェルマンデュプレにあるJの店に昼食を食べに行った。
8月1日なので、まともなレストランはみな閉まっているが、Jの店は開いている。
むかしから、そうです。
電話すると、「あー、じゃ、息子も呼んでおくから4人で一緒に昼ご飯を食べよう」という。「どうせ、こんな時期に客なんか来やしないから」

Jの店は、小さいが、なんでもおいしい魔法料理の店のような料理屋です。
フレンチバスクの料理が得意なシェフのDが厨房を仕切っている。

店にはいってゆくと、女の子の先客がいて、何事か必死に頼んでいる。
大学生だと思うが、小さく飛び跳ねてなんだかチビちゃんがわがままを言っているようでかわゆい。
Jは、女の子の肩越しにモニとわしをちらと見てから、女の子に奥を指し示している、と思ったら、Jが奥を指さすのと同時に女の子はくるりとこちらに身体の向きを変えて店を出て行った。
「おいおい、待ちなよ、いい、と言っているじゃないか」というJの声は聞こえなかったもののよーである。

トイレを貸してくれって、いうんだよ。
だから、もちろんうちのトイレを貸してあげるのは良いけれど、そこの公衆トイレはとても綺麗だから、ほんとうはそっちに行ったほうがよいと思う。
そうでなければ、そのヘンの珈琲屋にはいって一杯の珈琲を頼んでからトイレに行きなさい。もうオトナなんだから、社会のルールを憶えなければ、といったんだが。
Jは肩をすくめると、気を取り直して、モニとフランス式に抱擁をかわして挨拶する。
わしとは、わしが奥義を教授してしんぜたニュージーランドのマオリ人の挨拶をします。
鼻と鼻をくっつける。

バーのカウンタの下からこの店の自慢のロゼをとりだすと、モニとわしに一杯づつ注いでくれます。

息子のPがやってきて、モニとわしに挨拶してから、カウンタにはいってなにごとか準備している。
Pは17歳になったばかりで、いかにもまだ少年の初々しい顔です。
はにかむと、少女のようだ。

Jとわしらは、パリの変化の話をした。
途中からPもくわわって、みなのワインが切れるたびに細かく気を配ってワインを足してくれる。

あいかわらずサンジェルマンデュプレの「ビーチ」は人気がある。
だから夏も開けておくんだけど、ちっとも客はこないのさ。
みんな、そのへんでサンドイッチを買ってコーラを買って、おれの店にはトイレを借りに来る。
そんな客ばっかりなんで嫌になるよ。
シャンゼリゼのヴァージンメガストアは、まだあるんだぜ。
なぜ、パリだけが生き残るのかみんなで不思議がっているのさ。

外は29度で、ものすごい暑さ。
静かな太陽の光がじりじりおいあげてくるような暑さである。
熱さ、と書いた方がいいかもしれない。
モニとわしは「ビーチ」を歩いてきたが、ビーチパラソルを抱えた上半身裸の男や女たちがたくさん歩いていた。
浮浪者が酔いつぶれて寝ているすぐ横でアフリカ人のカップルがいつまでもいつまでもキスをしている。
橋の下を通るときに、ホームレスのねぐらから、嫌な臭いがぷうんとする。
遊覧船に難民みたいに詰め込まれた世界中からやってきた観光客が、どこを見ればいいのかよく判らないような顔をして川沿いの風景を眺めている。
荷船のキャビンの上にサマーベッドを出した運送屋の奥さんが水着で日光浴をしている。
操舵輪を握った旦那がそれをぼんやり眺めている。
いつものパリの夏の光景。

料理は相変わらず超一流で、英語ではキャセロールという名前になるはずのおおきめのココットに平たくつくったポーチドエッグを敷いて、その上にクリームソースとサーモンを載せて焼いた前菜もうまかったが、豆を裏ごしした緑色とマスタードベースの黄色と、この店の売り物のひとつであるブラウンソースの3色のソースの海につかったシャロットと豚のヒレ肉、なすびと豚の挽肉をつかってつくったステーキにベーコンを添えた肉料理も、スズキのグリルもおいしかった。

最後は、縦にふたつに切った巨大なババにラムをたっぷりかけて食べました。

うまかった。
ロゼがうまかったのでひとりでリヨネ瓶(46cl)2本(要するに一リットル弱)飲んでしまった。
アルコール中毒の研究がむかしからフランスにおいて最もすすんでいるわけである(^^)

帰りは、たまにはシャンゼリゼにでも行ってみるべ、と考えて広場を横切って延々と延々と行列がつづくノートルダム寺院の前をとおって、季節通り遊園地がやってきたチュルリー宮をぬけて、シャンゼリゼを途中まであがっていったが、暑いのと観光客の数のものすごさに負けてタクシーに乗って帰ってきてしまった。

タクシーに乗ったところでモニが、「さっきのJさんの息子さんて、ほんとうに息子さんなの?」という。
やはりモニには判ってしまう。
「ボーイフレンド、です。一緒に住んでいるんだよ。モニにも会ってほしかったから呼んだのだと思うね」
Jはね、あのひとをとても愛しているんだよ、とゆった途端に自分でもなぜだかは絶対に判りそうもない涙が出てきてしまった。
モニが人差し指でぬぐってくれる。
Jがレストランを開く前の激しく過酷な報道ジャーナリストとしてのキャリアをいまここに書く気はしないが、わしはパリにやってくるたびにJに必ず会いにいくだろう、と考えました。

パリという街は表面は静かだが、その滑らかな表面のしたに、途方もない葛藤が隠れている街です。
英語人ならば正面から正直に述べて鋼鉄のような表情をつくって身構えるところでフランス人は真実よりも切ない嘘をついて、肩をすくめてみせる。
あの、都会にしては薄気味が悪いほどの「静かさ」は、きっとそこから来るのでしょう。
パリ人の魂の、激しい、荒々しい息づかいは、夜のあいだじゅうベッドに横たわる人間を凶暴に蹂躙して、罪におののかせ、疲れ果てて眠りにつき、石畳と川面に反射する太陽がのぼるころには、取り澄ました顔を取りもどして、なにごともなかったかのように朝の鎧戸をあける。
神様もうっかり見逃してしまうような自然さで口にされる嘘が真実よりも重い文明というものの上に、この静けさは出来ている。

ノートルダムの屋根の上に蹲るガーゴイルがもの思いに沈んでみえるのは、そういうJやPのような人間たちを、ずっと眺めつづけてきたからなのかもしれません。

(画像はシャンゼリゼ名物お乞食さんの夕方の出勤風景。左側の女の子がお乞食さん、右の黒頭巾のおっちゃんがお乞食団の団長です。ダブルクリックすると判るが、お乞食稼業も、おパリでは、なかなか楽しそうである(^^) (皮肉じゃないのよ)

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