韓国料理屋で


日本では最近、放射能が有害であるとうっかり口走ると、風評の流布ということで逮捕されて市中を裸で引き回しにされ、罵詈雑言を浴びせられた上で掲示板にくくりつけられて晒され、「通りすがり」ひとりひとりに竹鋸でクビを一寸刻みに切られるそうである。
痛そうなので、わしも喜んで放射能は無害であるという合唱に口パクで唱和するのにやぶさかではないが、しかし、ガイジンはバカなので、放射性物質は有害であるという迷信にかぶれておる。
だから放射能は健康に良いのだ、という日本人が発見した放射能の効果についてのコペルニクス的転回については、そーですか、と重々しくうなづいて友好を保つとしても、自分で日本に行くのはやはり嫌です。
そのくらいは許してくれないと困る。
絶対、やだ。

この先、日本の政府がなにかの弾みで、国民に向かって「いやあー、わりい、わりい、あれからよく調べてみたら、やっぱり放射性物質て身体に悪いわ。これから急いでマジメに除染するけんね。因果関係とかは、オカネないからパスだけど、ま、そこのところひとつよろしく」と放射能物質の危険性を正面から認めるようなことが起きたら、その場合は、賢い日本の人々のことである、シュタッと方法を開発して、あっというまに少なくとも放射能がどういう分布をしていて、どうすれば安全かというくらいのことはたちまちのうちに、競争のようにして明らかにして問題の最悪の部分を解決してしまうであろうから、欧州に行く途中で一週間くらい寄ってみるかもしれんが、いまは、やっぱし嫌です。
いまの「みんなウソなんだよん」状態では、たとえばレストランにはいっても、妙に柔らかくて脂肪の味が肉からしみだしてくるような、日本的に高級な味の、まるで福島牛みたいな味わいの豪州産ビーフステーキをかみしめながら、一週間滞在した場合の推定セシウム摂取量を暗算することになりそうで落ち着かない。

しかし現実..あっ、いや、合法的な言論の方法にしたがえば、迷信、を正面から直視する確率は、南京虐殺がなかったことになって世界中の中国系人にひきつけを起こさせた日本国のことであるから、「フクシマ? 原発、そんなところにあったことないよ。女川と勘違いしてんじゃねーの? ばかみてー。韓国人の竹島欲しさの陰謀のデッチアゲを鵜呑みにしてんじゃねーよ」ということになる可能性のほうが放射性物質の危険を認めて除染に動くよりも遙かに高いと思われるので、多分、わしが日本を再訪するというイベントは起きないのだと予測される。
これを「アボンカレの予測」といいます。

証明するのはたいへんだが、便宜的に直感的に正しいことにして扱ってもよいことになっておる。

そーするとさ。
そーするとだね。
もう世田谷の巨大なけやきを見上げる夕暮れのひとときや、渋谷の神社の社屋に寄りそう栗の木、逗子曼荼羅堂の紫陽花や、やはり逗子ハイランドの空を覆ってトンネルをつくる桜花、輝く緑色の海洋のような佐久穂の稲田、小諸の蕎麦の畑、というようなものを一生みる機会がなくなってしまったわけです。

学問もやれず絵も描けず、とがっかりした様子で石を蹴飛ばしながら歩く西脇先生の残映が射す釈迦堂の切り通しを歩くこともかなわなければ、汚いゴム草履をはいてわたしの珈琲屋に来ないでください、と怒られたジョン・レノンが、駅前で買った靴をはいてニコニコしながら戻ってきた塩沢の、あの木洩れ日の射す道を散歩することも出来ない。
割烹着のおばちゃんが、ガイジンのくせに、ひろうすをお代わりするなんてヘンな子だねえ、と得意そうな顔でふたつめのひろうすを「いそいそ」と表現したくなる様子でもってくる割烹屋のおばちゃん、筒井筒、井筒にかけし、わがおもひ…とトーダイおやじたちと謡っていたら目をまるくして、身じろぎもせずに聞いていてくれた仲居のおばちゃんとももう会えない。

なんだか先週までは使えた遊び部屋に突然誰かが鍵をかけて誰にもはいれなくなってしまったようで、まことにつまらん。

一方では、しかし、それが成立した社会の現実にまったく触れることなしに、自分のなかの言語がどのくらい生き延びられるだろうか?という興味がある。
現実から切り離された言語を使っているうちには、ラーメンが実体的にはうどんを指すようになったりしないかしら。
ラーメンがうどんに化けるほど深刻なことは起こらなくても、悲哀と意識されていた感情がおかしみと意識される、という程度の軽症の症状なら起きそうな気がします。

六文蕎麦でへなへなのうどんといなり寿司を食べる楽しみも、新橋の「K」のでっかい的矢牡蠣のフライも、香妃園のとりそばも、電気ビルの上の鮨屋の滅法うまい鮨も、これでお別れである。

まだガリシアのうまい食べ物屋が残っている。
なんだったら、マンハッタンのバーベキュー屋もある。
バルセロナも、ポーのレストラン街もある。
フィレンゼのレオーネ広場もある。
シンガポールの元はバラックだったレストラン街もある。
そう自分に言い聞かせて慰めるが、しかし、食べ物ひとつとってみても、こうして考えてみると扉が完全に閉じてしまったというとやはり東京という遊び場は自分にとって大事な砂場だったのが判ります。

多少は運がよかったと思えるのは、ブログを読んできてくれたひとたちは知っているとおり、十全遠征計画の最終年であった去年にコンテナに詰めて送った日本語の書籍はロンドンにあり、日本の友人達にもお別れの挨拶を述べて歩いたあとであって、あとで「まるで大震災がくるのを知っていたようだ」と言われることになったように、十分な時間をかけて日本を引き払うことが出来たことで、そういう面では慌ただしく中途半端に日本と別れる、というふうにはならなかった。
なら、いいじゃん、とゆわれそうであるが、遠征が計画通り終了としたとはゆっても、「いつでも行けるし」と思っているのと「もう行けないし」と思っているのでは、なんだか本質的な違いがあるもののよーである。

オークランドにはたくさんある韓国料理屋で、勘定をすませて、
チャルモゴッソヨ。
大きな声で「アンニョンハセヨ!」とゆって、笑い転げられ、
ガメちゃん、アンニョンヒカセヨ、アンニョンヒカセヨ。
おー、また間違えちった。
アンニョンヒカセヨ!
と顔を真っ赤にして立ち去りながら、韓国のひとたちといろいろな点でそっくりな、日本のひとたちのことを思い出します。

チュルゴウォッソヨ。
コマウォヨ。

また、いつか、きっと会えるよね。

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