日本語を読みながら

日本語ブログなのだから、日本のことについて何事か書くべきなのは判っているが、最近はサボり癖がついて、日本語の新聞も読まず、日本語で出来たサイトにでかけるのも億劫なので日本語の世界で何が起きているのか、よく判らない。

いま(8月16日)朝日新聞のニュースサイトを広げてみると、まず第一に考えるのは、
相変わらず「ヘッドライン」がつくれない古色ソーゼンとした二世代くらい前のサイトであって、多分、新聞記者のひとびとが素人仕事で夜なべをしてサイトを書いているのかもしれないが、何が重要なニュースだと思っているのか、ちっとも判らないデザインのサイトで、なーんだか、相変わらず遅れておるのおー、と思います。

言葉を読むのがメンドクサイ、ということよりも、この古くさいデザインでやる気がなくなるもののよーである。
眞鍋かをりさん、の事務所に「薬莢のかけららしきもの」が送られたことが国家を挙げての重大事であるように見えるが、まさか、そんなことはないであろう。
朝日新聞社の側でタレントへの恐喝事件と「東京、一時77円台」のどちらが社会にとって重要か、判断がつきかねているだけである。

「累卵の危」というが、ここまで経済がまとめてどひゃっになる要素がええ加減な処理で積み重なって、毎日の市場のそよ風に「るいら〜ん、 るいら〜ん」とぐらぐら揺れる世の中になると、他人のことなどかまっておれないので、外国のニュースでひとびとの心のなかにはいってゆけるのは、オカネがらみの下品なお話だけである。
あと、シリア。

ソマリアへの寄付箱にはみな足を向けて幾ばくかの寄付をしてゆくが、それも、頭で考えてみて、寄付をしないというわけにはいかないからするだけで、心のほうは、意地悪をいうと多少お留守であるように見えます。
ニュージーランド人で言えば日本のだいたい三重県くらいの規模しかないGDPの4割に迫る国債発行高や、クライストチャーチの当初復興費がGDPの1割を越えそうであること、金融の不調、歴史的なNZドル高、そういうもので頭はいっぱいである。
他国人のことを考える余裕がなくなってしまっている。

わしの経済的な根拠地は相変わらずマンハッタンとロンドンだが、これら大西洋ブラザース都市も轟沈寸前なので、お友達はみな、目下はオカネの話以外なにもしません(^^)
昨日も、男の下着のヘンなデザインの製品の話を延々としていたら、「ガメは、いったい何かんがえてるのか、ちっともわからん」ため息をつかれてしまった。
ヘンな前の開き方をする下着の話をしているのだから、ヘンテコな下着のことを考えているのに決まっているのに、このお友達は秋に予測される波乱を前に目の前のことをありのままに受け止める、という正気を気の毒に失ってしまっているのです。
経済危機になると、アンダーパンツのことすら判らなくなってしまう。

世界の経済は風前の灯火だが、ちょっと煌めいては消え、あっ、もう煙だけになっちゃいそう、と見えてしばらく炎が踏みとどまり、で、終いには、ええーい煮え切らないやつめ、ダメになるならはよはっきりとくたばらんかい、という乱暴なひとも出てくる。
もっとアホなひとになると、「これなら案外だいじょうぶだったりして」というひとも出てきます。
なんとなくフクシマの経緯と似ておる。

ニュージーランドは、史上、空前の寒さで、オークランドで摂氏1度、なんちゅうのは無論初めて見る気温であるし、クライストチャーチで雪が積もる、というのも、わしが知っているかぎりでは二度目でしかないと思う。
おかげで、わしがむかし「日本人は冬になるとサケを熱くして飲むのね」とゆっていたのを思い出して、「あのね、ぼくは久保田っちゅう酒をジャパンマートで買ってきたのだがね、これをジャグにいれて沸かしていいの?」ちゅうような電話がかかってくる。
「お燗」のやりかたを教えてあげます。
しばらくすると、カンドーしてお礼の電話がかかってくる。
醸造酒をホットドリンクにして飲む方法を発明するなんて、なんて賢い国民であろう、とゆってコーフンしている。
聞いているこちらは生返事をしながら、そーゆえば、アイスコーヒーも日本人の発明だったな、と考える。

荷車をひき、鋸をひき、ドアは向こう側に開いて、オトナがマンガを読む、あの国の不思議さを、どんなふうに説明すればいいだろう、とぼんやりおもってみる。

思って見ても、その「思い」には謂わばとっかりも手触りもなくなって、のっぺらぼうな、凹凸の少ないものになってゆくところが、なんとなく、ずっと前に別れた友達のことを思い出そうとしているような気持ちで、はっきりせず、曖昧で、せつないような気がする。

そうやって日本のことを考えながら、カウチに横になって内田百閒の本を開くと、このひとは途方もなく日本語が上手なひとなので、その詩を知らないのに不思議なほど感覚のよい言語のつながりが、また日本というマイクロ文明への敬意を呼び起こす。

まっすぐに続いている長い廻廊の、ドアをひとつひとつ開けながら奥へ奥へと歩いて行けば、ローマ時代にたどり着いてしまいそうなスペイン語やイタリア語とは異なって、非線形な歴史のなかで、断ち切られ、跳躍し、それでもほとんど単語のなかに体液のようにして日本人の歴史的感情や情緒を保存してきた、この不思議な、いまは才能のない作家たちによって虐殺されつつある、日本語という数奇な言語の運命を思います。

わしという一外国人にとっては、豊穣な古典と、透谷と、漱石と、三島があって、これだけは世界一流を極める現代詩人たちの残した作品とがあれば、まあ、それでもいいか、という気もする。
日本語世界と連絡がないのをいいことに、たくさん自分で書き換えてしまった脚註(だいぶん間違っているように思えます。学者のひとびとよ、ごめん)のある岩波古典体系の3週目にはいったり、モニが眠ったあとの寝室を出て、なつかしや、われながらなつかしや、あの悲しい井筒の恋をつぶやきながら廻廊をまわって自分のオタク部屋にたどりつき、ワインを開けて、のんびりと日本にいたときのことを思い出したり、最大に尊敬する俊頼の口調をまねて、義理叔父に日本語の手紙を書いたり、
案外、日本語との関わりは、そういうところに落ち着いていくのかもしれません。

人間の感情や思考の形式は、異なる言語の異なる意識を通して、偶然か必然か、同じ定型、同じ情緒にたどり着くことがある。
フラメンコのうち、あいかたと掛け合いのある古いものは、どこからどう見てもあらすじも掛け合いの呼吸も狂言であるし、中央アジアの農作業の歌は、日本の船頭達がうたったというくだんの「エンヤートット」とうり二つです。
違う方角から言えば、幽霊の話は、意識の主体ということを考えれば、特に真実とは思われないのに、さまざまな文化圏で、事実と仮定すればあいいれない形で、しかし、全体の情緒、ありかたとしては同じような印象の話をあちこちに残している。

それがなぜ似ているのかということをよく考えてみると、それは言語というものそのものの単語に内在する意味と発音される音が規定する広義の塑型可能な定型に依拠しているはずで、人間の博愛というようなものは、それを究明するのでなければ、ほんとうには現実にならないであろうと思われる。

そして、そういうことを考えて行くためには日本語という膠着語に馴染むことがいかに有効であるかを、日本では、相手を見いだせなかったので、西洋語のがわで見いださなければならない。

唯一神を指示しない言語は、音を失うことによって簡単にばらけてしまうが、日本語はそうならなかった、ということひとつとっても、もっと考えなければならないことがたくさんあるよーだ、と思うのです。

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6 Responses to 日本語を読みながら

  1. 妖怪目玉 says:

    写真が変です。
    妖気を感じます。

    日本語は、確かに難しい。
    我々日本人にとっても難易度の高い言語だと思います。

    >「累卵の危」

    ???
    れっきとした日本人ですが、読み方も意味もわかりません。

  2. 妖怪目玉さま、

    >写真が変です。

    へんですのい。こわい

    >読み方も意味もわかりません。

    るいらんのあやうき、と読みます。
    「卵をいくつも積み重ねたように不安定で危ない様子」のことでごんす。

  3. 妖怪目玉 says:

    へぇ~そうだったのかでござります。
    初めて聞きました。

    ところで、
    日本語にも英語にも通じておられるガメ様に質問。

    日本の大河ドラマなどの時代劇で登場する初対面の挨拶、
    「御尊顔を拝し、恐悦至極に存知奉ります。」を英語に訳すと
    どうなりますか?
    「ないすつーみーちゅー」でいいんだろうか・・・?

    • 妖怪目玉殿、

      >「御尊顔を拝し、恐悦至極に存知奉ります。」を英語に訳すとどうなりますか?

      知りません。

      >「ないすつーみーちゅー」でいいんだろうか・・・?

      オラッ!のほうが、かっけえーすな。

  4. とら says:

    よくヒトからもらうんですが、千寿も万寿もうちでは料理酒です。

    って、一族郎党是皆須く下戸だからもらっても誰も飲めないからなんですが。

    ヘンテコぱんつ、形が出来てて中に収めるようになってるのとか?
    あれって前が「開く」んですか?

  5. とらさん、

    >千寿も万寿もうちでは料理酒です。

    す、すげえ。
    「千寿も万寿も」っちゅうところで、もういろいろと人生が大胆になりすぎているのではないでしょうか。

    >ヘンテコぱんつ、形が出来てて中に収めるようになってるのとか?

    とぐろまいちゃったりする、コーフンが死因になりそうなのもあります。

    そーゆえばビルバオのトイレでズボンとアンダーパンツを膝まで下ろしておしっこをしているおっちゃんがいました。
    おっちゃんのシブイけつ(ごめん)を見ながら、バスク人って、やっぱり異星人なんちゃうか、としみじみ考えたのであります。

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