スーパーマーケット


オークランドは、人間がニュージーランドの生活を記録するようになってから初めて雪が降った。
山沿いにちらちらと降っただけで、大半の人は気がつかなかった、という程度だが、それでもニュージーランドでは大ニュースです。
今日から、暖かくなってゆくそうだが、先週は「摂氏2度」という日まであって、ぶっくらこいてしまった。
オークランドの本来の気候は、夏の気温の上限が26度冬の下限が5度、という気候で、「2度」なんて聞くと、ほんとうにぶっくらりんのぷいぷいである。

原因は「ポーラーブラスト」であるそーだ。
南極の寒波がおもいもかけず強烈な強さになって極からふきだすように寒波をまわりにぶちまけることがあるが、それが今年は有史上はじめてニュージーランドにまで届いた。
わしは、もともとが(ニュージーランドでは)クライストチャーチ人なので、なんとなく懐かしくて楽しい気候だが、オークランドの友人たちは、家そのものが寒さに向いて出来ていない上に、ちゃんとしたコートももっていない人が多いので、なにがなし不愉快そうな様子である。
街をゆく高校生たちの制服も、普段は短いスカートが多いが、今年の冬は、くるぶしまでのスカートが多い。
オークランドでは見慣れない光景です。

長い厳しい冬(とゆっても日本で言えば岡山の冬程度だが)があるクライストチャーチと違って、簡単に言えば南カリフォルニアが南半球に越してきたような気候であるオークランドの人間は、冬の過ごし方が下手である。
暖炉のそばに座って紅茶を飲みながら談笑する午後や、リークのスープのカップを手にもって、暖かい部屋のなかでぬくぬくしながら寒いパドックを眺める楽しみをオークランド人はもたない。
ただ寒がっているだけであって、いかにも芸がない気がします。

「New World」という、わしが子供の時はダッサイ品揃えで有名であって、この頃はオーストラリア資本のスーパーマーケットに対抗して、やや高級目な品揃えを売り物にしているスーパーマーケットチェーンの、マウントウエリントンに出来た新しい支店にでかけて食料品の買い出しに行った。
家がラミュエラなのであるからラミュエラの支店に行けばよさそうなものだが、わしは、ことスーパーマーケットだの料理屋だのということになると好奇心が強いのです。
真新しい、通りすがりに通常のサイズの2倍はある支店を見てしまっては、行かないわけにはいかむ。

ニュージーランドとオーストラリアのスーパーマーケットは、まず外側の壁沿いに一周して、それからまんなかの棚をぬってゆくようにデザインされている。
そんなの、ぼくの勝手だし、ときみは言うであろうし、実際、なにしろニュージーランド人のことであるから、あっちへ行き、こっちへ戻り、またふらふらと元のところに歩いて、実際の客の動線はぐじゃぐじゃです。
しかし、一応設計上は、そうなっているのね。

入り口を入ると、リークとパースニップとCapsicum
http://cutejill.blogspot.com/2010/06/2-red-capsicum.html
という日本で言えばピーマンの親玉みたいなんを買う。
マッシュルームも、わしガキの頃は、白い、日本語で「マッシュルーム」というあれと、
黒くて扁平なマヌケなきのこくらいしかなかったが、移民社会のありがたさ、いまは十何種類の、キクラゲや椎茸を含んださまざまなきのこがある。
キクラゲや椎茸を買っちゃおーかなあー、と思うが、どうせ食べるわけはないので、実際に買うのは「退屈な白いマッシュルーム」だけど(^^)

魚売り場は通過。
知識もなければ、あんまり好きなものもないので、たまにタイレッドカレースープにいれて食べるマッスル(ミュール貝)を買うことはあるが、それも滅多には買いません。
フィレステーキの肉を2キロくらい買う。
パックされたものが棚にも並んでいるが、だいたい裏で働いているおっちゃんに頼んで別に切ってもらう。

ベーカリーで、スペイン風に焼いたパンを買う。
ミルク、パーミジャーノ、マチュアチェダー、カマンベール、ブルーチーズ、と買っていって、ワインの棚に至れば、シラズとピノを買い足して、外側の棚の周遊は終わりである。

日本のスーパーマーケットとニュージーランドのスーパーマーケットのいちばんの違いは、「甘い物」の棚の大きさの違いで、ニュージーランドでは、チョコレートやドライフルーツサンド、日本やアメリカではクッキーと呼ぶビスケット、ハリボ、ミンティ、…甘くて人生を破滅に導きそうな菓子が延々と延々と続いておる。
わしのスーパーマーケットにおける最高、至福のときである。
あーでもないこーでもない、でも、あれもこれも、と矛盾と煩悶に満ちた選択の結果、十個くらいの甘い物をトローリーに放り込みます。

最後にペリエやなんかを買い込んで、新聞をほうりこむとレジに並ぶ。
バイトのねーちんと「今日も寒いのおー」とゆいながら話して、じゃーね、とゆってクルマに向かってトローリーを押してゆく。

フランスならば、Auchan, Intermarché ,たしか昔は日本にもあったCarrefourで、日本で言えばイオンみたいっちゅうか、ふつうは洋服みたいなもんや生活用品と食料品を半々で売っていて、わしは潔く食料品だけを売っているニュージーランドのスーパーマーケットのほうが好きです。
ただしちょっと田舎に行くとカルフールなどは、時折侮りがたいカフェが横にくっついておって、無茶苦茶にうまい珈琲とサンドイッチを出すので、そういうところはスーパーマーケットにおいてすら誇示されるフランスの文明的実力、というものがある。
大阪だったかどこだったかでスーパーマーケットの脇のたこ焼きがおいしくてカンドーしたことがあったが、それと似たようなものです。
ああいう実力をもつに至るには文明に年期が必要なので、オーストラリアやニュージーランドは、未だその段階に至らない。

スペインという国の社会は、本来、なんでも町内ですませるように出来ていて、バルセロナなどには、まだその原形が保存されているが、学校も日本の「塾」程度の大きさで、その代わり町中にまぶしたようにたくさんあります。
カタロニア人の本来の習慣は、ガキが3回も4回も家に帰ってくる、というもので、そのたびにおかーさんたちは、着飾ってガキの手をひいて学校にくる、というカッチョイイ習慣をもっている。
スーパーマーケットも、郊外に、東京ドームより大きいんちゃうか、というような、この世の終わりみたいな大きさのスーパーマーケットもあるにはあるが、普通は、日本で言えばコンビニくらいの大きさのスーパーマーケットがどの家から歩いても10分もいかないところにある。
ちまちまとしていて、その割には、なんでも揃って、たとえばスペインなので、ハモンは巨大な豚の足ごと天井からぶらさがっていて、ワインもひととおり、1ユーロの安いのから高級ワインまで並べてある。
コンビニとは趣が相当に異なった本格的なスーパーマーケットです。

大陸欧州のスーパーマーケットに較べると、ニュージーランドのスーパーマーケットは清潔で広々しているが、社会全体に「絶対、おいしいもの食べちゃるねん」という執念が欠落しているのを反映して、味覚の点で浅い、というか、魂に訴えてこない、というか、食べ物のクオリティにおいて根性に欠けているという感じがする。
野菜や肉は欧州や日本よりもマジメで味が濃いが、どーゆえばいいか思想的に真剣味に欠ける食品が多いようです。

日本では広尾の家から近い明治屋やナショナルスーパーは狭くて駐車場も小さい上に品揃えもぱっとしないので、あまり好きになれなかった。
青山の紀伊国屋もそうだが、クソ高い割にあんまりたいしたことのない食品が並んでいて、印象はよくありません。
山の家の近くにある「ツルヤ」と「マツヤ」は、しかし、なかなかカッチョイイスーパーマーケットで、あんまり回数は行かなかったが、モニとふたりで、のおーんびり買い物をするには良いスーパーマーケットだったのをおぼえています。
きのこの種類が豊富で、豆腐もおいしくて種類が多かった。
自分達で買って食べられるものは少なかったが、見ていて楽しかったのをおぼえている。
やきそばも、うどんスープも、ツルヤがなければつくりもせず、好きになることもなかったと思う。

日本という国は面白い国で、東京のような都会では極めて特殊な生活スタイルが普及しているのに、田舎に行くと、世界水準、というか、ライフスタイルが他の西洋国、特に英語国と同じであって、クルマでブッとでかけて、広い駐車場に斜めに駐車して、という食料の買い出し方まで同じです。
広尾山を下りて、食べ物の買い出しに行くのは困難につぐ困難、クルマが使えないので重い袋をぶらさげてクソ暑い熱帯のコンクリートを歩く、出来の悪いRPGのような試練を経なければ食べ物にありつけない難行であるのに、軽井沢では、ほいとクルマに乗って、すいすいと買い物に行って帰ってこられます。

野菜は農家の直販、肉類その他は料理屋から届けてもらっていたので、スーパーマーケットに行くことはあまりなかったが、それでも、日本でもスーパーマーケットに行くことが、散歩のような、楽しいことでありうるのを理解したのは山の家のおかげだった。

サンドリンガム、というインド人たちが多い町の見渡す限りスパイスが並んだスーパーマーケットで店員のおっちゃんにスパイスを解説してもらいながら量り売りのスパイスを買っていったり、中国人たちのスーパーマーケットでローストダックを焼いてもらったり、スーパーマーケットはニュージーランドのような新しい国では生活と切っても切れない場所だが、でかけるたびに、やはりまだモニとふたりで日本のスーパーマーケットの話もします。
モニにとっては、日本のスーパーマーケットの印象は「びっくりするほど新鮮な魚」だったようだ。
いまは良いことしか思い出さないが、むかし、ほおーんの少ししかないお菓子の棚の前に立ってもう何回もそればかり買って飽きているハリボを手に、買おうか買うまいか、5歳くらいの子供のように思い詰めた真剣な顔で考えていたモニの顔を思い出すと、自分のわがままで日本に何ヶ月かいたのは、モニにはたいへんなことだったろう、と考える。
たいした文句もいわないでつきあってくれたことを、ありがてえー、と思います。

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