Hotel Ambio


かーちゃんに連れられて歩き回っていたガキわしの頃は、ホテルというのは部屋がふたつ以上はあるものだと思っていた。
後年、自分ひとりで旅行するようになって初めて、たとえばマンハッタンの5番街にあるヒルトンのように、「部屋が狭すぎてスーツケースをふたつ置けない」というようなホテルに宿泊して世の中の厳しい現実というものを学習したのだった。
いまは、そのヒルトングループの合理化が裏目に出て名前だけのくだらないホテルに成り下がってしまったがウォルドフアストリア
http://www.waldorfnewyork.com/photo-gallery/waldorfastoria.cfm?LinkToGo=waldorfastoria1
はむかしは子供心にも良いホテルであって、機転の利く下町訛りのボーイさんや、愉快な部屋係のねーちんたちがいたのは、20世紀の終わりくらいまでだったろうか。
その頃は、ニューヨークにアパートを持っている人達も、部屋の支度が終わるまで、とか欧州との行き帰りには随分このホテルを利用していたように思います。

いま振り返ってみると、かーちゃんの旅行は万事欧州式で、ヴェニスのようなせまこしい町でも、狭い水路をはいって、玄関につくと、その先に案内される部屋は広大なもので、
万事が合理的快適であることをめざすアメリカ式の宿泊施設とはだいぶん違っていた。

わしなどは、ケチなのと甲斐性がないのとで、たとえばカリフォルニアに行くと
「 Embassy Suites」というようなところに泊まる。
Embassy Suites
http://en.wikipedia.org/wiki/Embassy_Suites_Hotels
というのは、アメリカ中、特に西海岸にたくさん転がっている家族向けのホテルで、気楽で快適な、いかにもアメリカ式のホテルです。
名前通り、全室がスイートになっていて、安い。
往々にしてレインフォレストカフェ風のコートヤードにレストランがあって、朝食がただである。
メキシコ人のにーちゃん、とかが卵を焼いて、ベーコンやハムを添えて出してくれます。
あとはブフェになっていて、自分でテキトーに盆にとって食べる。
あんまり安いホテルに泊まらないかーちゃんが、大昔、わしをディズニーランドに連れてきたときにアナハイムの Embassy Suitesに一週間泊まって以来、わしはこのホテルが大好きであった。
欧州人にとっては、アメリカのチップの習慣はビミョーによく判らん。
ルームサービスには初めからチップが含まれているが、食事をもってきたおっちゃんと面と向かえば、やはりなにがしかあげないと悪いよねえ、と感じたりして、一時が万事ビミョーだが、 Embassy Suitesの場合は、簡易的な台所もあったり、荷物のワゴンも自分でおしていこうと思えば、そう言って押して行けばよい、チップを払う機会が少ない。
全体にリラックスした雰囲気が好きなので、いまでもよく泊まります。
こういう庶民的なホテルにまったく泊まったことがなかったモニも、すっかり喜んで、わしらは夫婦で愛好しておる。
団体が来て週末にバカ騒ぎがあるとコートヤードにバーがあるせいでうるさいそーだが、予約するときにレセプションに訊けば、うるせー団体がくるかどうか教えてくれるので、そのときは、もうちっと良いホテルに泊まればよい。

一般に欧州の良いものは、普通の人間、というか外国人には見えないようになっていてアクセスを拒絶しているが、アメリカという国は、そこがよいところで、誰にでもアクセスできる快適なものがたくさんある。

大学生のビンボーわしが俄然気に入ったのは、日本のひとも当然しっているひとはたくさんいるが、「All-inclusive」という、たとえばカンクーンのようなアメリカ資本の巨大開発で出来たリゾートの習慣で、いったんチェックインすると、「オカネ」ということを考えなくて良いようにした工夫である。
プラスチックの腕輪を腕につけて、ピッと外れないように留める。
腕輪に色が付いていて、その宿泊客が何日まで滞在するか判るようになっている。
わしがよく泊まったホテルは、ホテルのなかに軽食からフォーマルな食事まで5つのレストランとプールのまんなかにあるのを含めると6つのバーがあるが、そのどれで何を食べて飲んでも、タダである。
オカネを払わなくてもいいのね。
初めに支払った宿泊代にすべてが含まれているのです。

これは考えてみると、アメリカ人の、豊かな国の国民らしい考え方に立脚してもいて、たとえば、どうせ同じ金額を払うのだから、3食全部いちばん高いレストランで食べよう、という客が多いと、もうすでに崩壊するしかないサービスである。
払う金額が同じでも、ホットドッグが食べたいときには、「得」だからといって無理をしてステーキを食べない国民性だから成り立つ。

むかし欧州から旅行でブロンクスにやってきた人が、ビールを一杯たのめばローストビーフサンドイッチから何から食べ物が全部タダ、という肉体労働者のおっちゃんたち向けのパブに紛れ込んで、すっかり仰天してしまい、アメリカにだけは勝てない、という愉快な文章を書いていたが、アメリカという国は、もともとそういう「ランド・オブ・プレンティ」な、おおらかな豊かさに良いところがあるのだと思う。
「All-inclusive」は、リゾートにおける、アメリカの自己表現の一種なのかもしれません。

シンガポールは「ホテルの街」といいたくなるくらいたくさんのホテルが林立している。
政府が全面的に支援している「外国人旅行客のストップオーバーで稼ぐ」商売がむかしから繁盛しているからです。
連合王国からオーストラリアやニュージーランドに行くルートはいくつかあるが、評判の良い航空会社であるシンガポール航空を選択すると自動的にシンガポールの乗り換えになる。
成田なら、なにもかもが旅行客の自前なので、ふつうはヒルトンかどこかに一泊して、せいぜい、イオンモールにバスででかけるくらいで乗り換えて出かける。
シンガポール政府のアイデアは、この「乗り換え客」に、2、3泊させてオカネをおとしていってもらう、というもので、これはとてもうまくいった。

空港に着くと、ストップオーバー旅行客専用の市内循環シャトルが待っていて、タダです。もっと(客のほうから見て)大事なのは、5つ星を含むホテルが半額以下で泊まれることで、わしもむかしは、これでよくシンガポールに泊まって、それが癖になった。
たしか、5泊まで特別料金で泊まれたと思います。
パン・パシフィック
http://www.panpacific.com/jp/singapore/Overview.html
や、シャングリラ
http://www.shangri-la.com/jp/property/singapore/shangrila
は、なかでも頻く泊まったものだった。
パン・パシフィックのなかには、ランマハールというシンガポールでも比較的有名なインド料理屋があって、二泊、ちゅうようなしょぼい滞在のときには、要するにここで食事をするだけのために泊まったりした。
欠点は、コートヤードにステージ付きのバーがあって、そこで毎晩バンドが演奏するので、なんだか日本の映画によく出てくるカラオケバーが向かいにある場末のビジネスホテルみたいな音がすることで、結局は、このせいで泊まらなくなってしまった。
シャングリラは、オーチャードロードのくだらない店がいっぱいあるはじっこに位置するので、どこかに行くには、あのクソ暑い気候を通りを上っていかなくてはならないのが不便だが、広々としている点で良いホテルであると思う。
なかの中華料理屋のディムサムがうまいのも良い。
オーチャードロードの、このホテルの側に新しい大きなモールが出来たので、それもプラスかもしれません。

モニと結婚してからは、モニの趣味にしたがってコンラッドになったが、それまでは、エリザベスや、ルネッサンスや、あちこち泊まり歩いて遊んだ。
なかには随分へんてこなホテルもあったが、だいたいにおいてプールで泳いでタクシーで食事にでかけるぶんには、「ストップオーバー料金」であるかぎり、安い遊びで、日本でも「観光立国」を目指すなら、あれを学習すればよかったのに、とときどき考えます。

マウイ島のウエスティンや、プーケのシェラトンのような大型のリゾートホテルにもよいところはあるが、リゾートホテルでも、ほんとうに快適なホテルはやはり小さなホテルで、チェンマイのラチャマンカホテル
http://www.rachamankha.com/
なんちゅうのは、かなり良い、と思いました。
わしは、ここに一ヶ月いた。

いついっても誰もいないプールで、のおおおおんびり、泳ぎながら、「わしのようなナマケモノに人生がのりきれるだろーか」とマヌケなことを考えていたのを昨日のことのように思い出します。
このホテルは従業員がみな親切なのと洋風とタイ・中華が混淆した朝食が無茶苦茶おいしいのがよいところで、赤シャツ以来タイには行かなくなってしまったが、またタイランドに行くようになれば、同じところでええなあ、と思う。

小さなホテル、というのは、一般に良いもので、だんだんめんどくさくなってくると大きなホテルには泊まるのがめんどーだ、と思うようになります。
上に書いたのは、「誰でも泊まれるホテル」を念頭に書いたからで、本人は、最近は、小さなホテルに泊まることが多くなった。
欧州では、昔から、「誰にも内緒」とでもいうような田舎にぽつんとあるようなホテルに泊まるのがむかしから好きであって、そういうところにしか泊まらない。
だいたいとんでもなくおいしい料理を出す料理屋に付属していて、2つか3つ、というような部屋数のホテルです。
ニュージーランドにも、一室しかない有名なホテルがあって、有名、といっても、大々的に知られているわけではなくて、これは一軒屋である。
一軒屋にひとりで泊まって、身の回りの世話を6人だかの人がしてくれる。
わしは泊まったことはありませんが、泊まった友人によると、一泊6000ドル(^^)だそーでした。
変わったところではカシノに付属しているホテル、というのもあります。
どういうことかというと、たとえばロンドンのカシノはホテルのなかにあるわけではないので、賭博にくるって疲れ果てると、上客であれば泊めてもらえる部屋がある。
たいてい二室、とかです。
部屋は豪華だが、泊まる客はたいていブラックジャックですりくるって人生がなくなりかけているひとなので、どうも部屋じゅうに悲嘆がこもっているような気がして落ち着かないのが難である(^^)

日本では、部屋付きの露天風呂が付いている旅館に泊まったりするのが楽しかった。
モニとふたりで、「ぎゃあああ、あぢいいいー」と言いながら、湯船につかって、どんどん冷水をいれて、ふたりで寒い日にお酒をのんだりするのが楽しかった。
裸できゃあきゃあとゆって遊びながら、こんなに楽しいものがなんで西洋にはないのか、とふたりで悩みました。
ふたりとも背丈にあう浴衣が全然ないので、それが残念だったが、いちど、モニが日本の某町からもらった浴衣を持参してでかけたときには、すっかり上気したモニが現実のひとではないように綺麗で、日本のひとの楽しみを少し理解したような気になったのをおぼえている。

義理叔父は冬の金沢が好きで、ひと部屋づつ独立した建物になっているその旅館の、窓を開け放して熱燗の杯を傾けながら雪景色の町を眺めるのが好きだったそうだが、それももう出来なくなってしまったようだ、と顔をくもらせていた。
いつか、日本の政府が正面から放射性物質汚染を認めて、誰にもわかる対策を講じるときがきたら、わしも日本にいって義理叔父のまねをして、モニとふたりでのんびり雪景色をみながら日本酒を飲みたい、とおもう。
放射能の影が去った、晴れ晴れとした町を見ながら、ゆっくり盃を傾けて飲む酒は、どれほどおいしいだろう、といまから楽しみにしています。

This entry was posted in 異文化異人種. Bookmark the permalink.

15 Responses to Hotel Ambio

  1. 妖怪目玉 says:

    >放射能の影が去った、晴れ晴れとした町を見ながら、ゆっくり盃を傾けて飲む酒

    残念ながら、
    現時点ではその逆路線をまっしぐらに進んでおります。
    ガメ様もご存知の事と存じます。
    東日本大震災の後では初めて、全国に先駆けて
    北海道の原発が営業運転再開しました。
    しかもそのニュースをネットで見た当日の夕方、
    空に皺の寄ったみたいな地震雲が頭上一面を覆っているのを見ました。
    多分、そのうちまた揺れます。
    ガメ様、もし私のいる北海道が第二第三の福島になったら
    そん時は指差して笑って下さい。
    そら、見た事かと。

  2. コマツナ says:

    松之山、フジワラ・トシヨリ、轟沈、
    食べ物でそのときのことを思い出す、などなどが頭に残って、
    コメント、コメント、と思っているうち、いつものように、
    時は流れ・・・どこにその言葉があったのか、わからなく
    なっちやいました。

    轟沈、などという言葉をなぜ知ってるのだろう、と
    びっくりしました。よく父が使ってましたけど・・・・
    お酒に弱い父は、学生時代、仲間と飲んでいつも「轟沈」して
    「轟沈くん」と呼ばれていたそうです。(使い方がやや違いますが。)

    父は学徒出陣で土浦にいましたが、戦地に飛ばされる前に
    終戦になったそうです。それで、私も今ここに存在しております。

    松之山、は、私の訪ねたい場所リストに載っていますが、
    いまだに実行できていません。十日町も訪ねたいので、
    そのときに、と思っています。

    ガメさんは、瀬戸内海の直島にある地中美術館や
    直島の民家のアートプロジェクトに行ったことがありますか?
    もし、万が一、日本をまた訪れる機会があれば、
    お薦めしたい場所です。
    私は、舟の時間の関係で、
    アートプロジェクトは見る時間がありませんでしたが。

    さて、フジワラ・トシヨリとは誰なのだろう、と思い、検索すると
    藤原俊成のことらしいのですが、そうなのですか?
    日本では、高校の古典の時間に、俊成のことは習いますが、
    私は授業中に居眠りしていたのか、
    トシヨリの名前を覚えていません・・・。

    先日、電車の中で、3人の高校生たちが期末試験に備えてなのか、
    百人一首をそらんじながら、勉強していました。
    百人一首って、濃い恋愛歌がずいぶん多いのに、
    朝から高校生が声をそろえて、それらをそらんじているのは
    微笑ましいやらなんなのやら。

    ちなみに、百人一首の俊成の歌は、調べてみましたが、

    世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる

    でした。

    複数の現在の上司(日本人、アメリカ人)との話題に、
    Hotel Ambioに書いてくださったホテル情報を保存しておこう
    と思いました。あっと驚かせるために。 最近、秘書的仕事は
    PCに元々の仕事をとられ、サバイバルできなくなってきていますから。

    日本の放射能汚染問題は、土壌汚染や廃棄物に混ざっている
    放射性物質の処理問題、等々、次から次へと対処の必要な問題がでてきています。
    とても残念なことですが、ガメさんとモニさんがほんとうに安心して
    来日出来る日が来るのは、まだまだ遠いように思えます。

    • コマツナどの、

      >轟沈、などという言葉をなぜ知ってるのだろう、と

      わしは戦争の歴史が好きなんです。

      >父は学徒出陣で土浦にいましたが、戦地に飛ばされる前に
      終戦になったそうです。

      それでは詩人の田村隆一を知っていたはずです。

      >松之山、は、私の訪ねたい場所リストに載っています

      有名な「美人林」より、鎮守の森がええっす。
      地元のひとに訊いたら、あまりに田舎なので破壊を命ずる明治政府の威令が及ばずにそのまま残ったのではないか、ということでした。

      >瀬戸内海の直島にある地中美術館や
      直島の民家のアートプロジェクトに行ったことがありますか?

      ねっす。
      瀬戸内海は徳島県に行くのに橋を渡ったことがあるだけっす。
      「おー、ここが讃岐うどんの徳島だな」と納得して帰ってきて、皆に笑われました。

      >フジワラ・トシヨリとは誰なのだろう、と思い、検索すると
      藤原俊成のことらしいのですが、そうなのですか?

      えっ?と思って、いま検索したら源俊頼でがした。
      はっはっは。カッコワルイ。
      わしは、「俊頼髄脳」を書いた、このひとを尊敬しているのです。
      日本ではあんまり評判がよくないようだが、この本はすごい本で、日本人が何に足をつけて西洋近代を受容しえたか、それが、ほぼそのまま記述されている。
      かっけーす。

      なかでも、紫式部の弟、藤原惟規の逸話は素晴らしい。
      しかも今昔物語よりも遙かに止揚された文体で書かれていて、ただもう、かっけえー、としか言いようがないひとです。

      >日本の放射能汚染問題

      大量な放射性物質と実験室の少量の放射線の話を意図して混同していることや、「放射線は無害」と仄めかす、相変わらずな無責任なひとびとが大量にいることに驚きました。

      >ガメさんとモニさんがほんとうに安心して
      来日出来る日が来るのは、まだまだ遠いように思えます。

      現実を直視する日、っちゅうのは、来ないまま終わるのでしょうか。

  3. とら says:

    大昔シンガ航空に仙台発着のヨーロッパ便があってありがたく乗ったもんです。
    でもそのころのぶんげーすんずーに、
    「仙台と名古屋から出る便の乗客が一番たち悪い」みたいな記事があって、
    どうも田舎のおっちゃんたちがあのバティック見ると嬉しくなっちゃって触ったりしてたようで、
    そうこうしてるうちに国内にさきがけてさっさと撤退されちゃいました。

    >冬の金沢
    のどぐろ~かぶらずし~ふくうめ~

    • とらさん、

      >大昔シンガ航空に仙台発着のヨーロッパ便があってありがたく乗ったもんです。

      いまは、かつては毎日出ていた成田からNZへの直行便もなくなって、成田から関西空港へ行って人間を拾ってからニュージーランドに来るのだとゆっておった。

      >そうこうしてるうちに国内にさきがけてさっさと撤退されちゃいました。

      マナー、ちゅうようなことでなくて、単純に「儲からないから」でしょう。

      >のどぐろ~かぶらずし~ふくうめ~

      わしは「抹茶アイス」のほうです。

  4. kochasaeng says:

    はじめてチェンマイに行ったことを思い出したら、あれはもう25年もまえのことで、その頃はロクなガイドブックもなかったんで、ASEAN事務所からもらったアセアン旅行地図っていう薄い冊子だけを頼りに夜行列車に乗り込んだのね。乗ってみたかったんだ。
    夜行列車っていってもバンコク発が午後3時半とかそんなので、チェンマイ到着が翌朝5時頃。バスのほうが速い。でもそんなこと知らないから、お上りさんと人さらいでごった返すフアランポーン駅の窓口で「一等、ひとり」って英語で言って切符を買った。その頃まだタイ語なんか知らないもん。そしたら「ノー ファーストクラス」って、二等のを売ってくれたんだ。
    一等が満席なんじゃなくて、一等車両がない列車なんだってのは、乗ってみてわかった。出発したのは午後5時頃で、まあオンタイムです。今は日本のJRを定年で退職したおじさんたちが働いてるから、あんまり遅れることはなくなったそうです。

    定刻過ぎても人が乗り込んできて、二等車両は6割がた埋まっていたのかな。タイ人だから目が合うと微笑みながら話しかけてくるのね。
    「私は悲しい。わかりません。日本人です」って英語で答えると、なけなしの英単語を絞り出して「おお。ユー ジャパニーズ!」
    たちまち車両中に、おれが日本人だと知れ渡っちゃう。
    「日本人! 食べなさい」「日本人! これも食べなさい」って、なんかいろいろくれるんだ。なんだこれ。食べてみたら、胡麻がたっぷり入ってるけどキャラメルだな、これは。「キャラメルうまい」って言うと、みんな嬉しそうに親指立てて「キャラメー、キャラメー」って笑ってる。そうか、タイ語だとキャラメーって言うのか。オウム返しに真似すると大爆笑。「これも食べて」って、またいろんなものが車両じゅうからおれに差し入れされちゃう。そのとき茸のことをタイ語で「ヘッ」って言うんだってことも憶えた。なん度か発音を直されて。あれは「ヘッt」っていうふうに、tの子音で止めなくちゃダメなのね。こんなこと読んでも実用の機会はないだろうけど。
    そのうち、おれ英語ペラペラだかんね、っていうおじさんが、「ユー泊まるかマイホーム?」とか言ってくれたりして、タイの田舎に行くんだったら、タイ語ができないほうが親切にされますね。タイ語ができると、ヨタ話は成立するけど、「泊まってけ」って話にはならないです。
    いろんなものをもらったんで、食堂車に行く必要はなくなった。トイレに行くときなんかは、「荷物見ててやる。オーケーだ。フアランポーン駅と違って泥棒なんていない」って笑ってる。いいひとばっかりだった。

    「チェンマイまで? 遠いよ。バスのほうがいいぞ」なんて言われて、終点近くなったら二等の乗客はおれだけでした。三等車両を覗くと木の席で身体が痛いのか、みんな紙を敷いて床で寝ていました。バスのほうがいいってのは、朝方になって意味がわかった。ひどく揺れるのと粗末な座席で、身体がガチガチになっちゃうからなんだ。
    朝靄のホームに降りてストレッチ。よし、ホテルでも探すか、と旅行者案内所へ行くと、まだ誰もいない。あたりまえですね。朝6時まえだもん。どうしようかと思案してたら、背後から「ホテル?」って声をかけられた。「安い。20バーツな」って。当時のレートで100円くらいかな。
    いや。もっと良い部屋はないのか、って訊くと、「ある。50バーツだ」って胸張ってる。もうそれでいいよ。「オーケー、レッツゴー」って連れられて行ったんだけど、そのひとはホテルっていうかゲストハウスのひとだったんだね。ゲストハウスなんてこれが最初で最後だな。
    前金で50バーツ払って案内された部屋はツイン部屋でした。20バーツってのはシングルだったんだと思う。
    すげえ。人の形に凹んだベッドを初めて見た。枕のカバーは洗ってあるけど、その内側に収まってる物体が40㎝くらいの老いた野生動物みたいな匂いを放っている。
    でも疲れてたんで、比較的凹みのマシなベッドを30秒かけて選んで、静かに倒れ込んで液状化してるうちに昼になって、外の子供が遊ぶ声で目が覚めた。
    さて、シャワーだ。と、部屋を出て共同シャワーのツマミをひねったけど、いつまで待ってもお湯が出てこない。おお。わかったぞ。カランが一つってことは、お湯なんか出ないってことだ。ひゃあ、と叫ばないように我慢しながら水を浴びて、震えながら服を着替えてロビーに行くと、3歳だっていう女の子が遊んでた。タイ人の子供って、すっごく可愛いんだ。おれを案内してきたおじさんが「マイ ドーターな」ってニコニコしてんの。
    名前を訊いたら、「ピヨピヨ」だって。今になればそれは渾名だってわかる。意味は「酸っぱい」。そんなこと知らないから、いい名前だねえ、と言うと、「イエース」って威張ってた。
    部屋に戻ると、壁にぴったり黒いいきものが。胴体が握った拳くらいの大きさで、大人の指と同じサイズの足が左右に四対。びっしりと毛むくじゃらで。大蜘蛛ですがな。
    おれね、若い頃から、やくざと蜘蛛と静電気はダメなんだよね。それなのに、見たこともない大蜘蛛。
    もう、ビックリしてロビーに行って「蜘蛛が、大蜘蛛が」って言おうとしたけど、動転して「スパイダー」って単語が出てこない。ムリヤリおじさんの手を引いて部屋に連れてきて蜘蛛を指さしたら、それ見て「あー」って。
    おれの肩をポンポンと叩いて、「ユー アー ラッキー」だって。そんでロビーに戻っちゃった。のちに、ウチのヨメに「タイでは大蜘蛛は幸運の象徴なのか」って訊いたら、「そんなことはないです。きっと、その人も蜘蛛が嫌いだったんじゃないの」って笑ってました。
    すぐにチェックアウトだよ。「なぜだ。部屋が気に入らないのか? それとも蜘蛛か?」って訊かれたけど、その両方だ、と答えずに、「おれは行かなくちゃいけない。時間がないんだ」って答えておいた。まあウソではないです。ひとは自分のための場所を探さなくてはいけないし、すぐに歳を取ってしまうんだ。

    それから街なかの良さそうなホテルを見つけてチェックインしたんだけどね。「風呂の湯は出ますか?」って訊いてヘンな顔されちゃった。それは「枕は臭くないし、寝床は人の形に凹んでないよね」って訊かなくてもいいってことです。チェンマイでもホテルと名の付くところは、お湯も出るし、寝床もちゃんとしてます。どこもそうだ。
    でもチェンマイといって思い出すのは、そのゲストハウスだ。
    しかし、いい名前だよな、ピヨピヨって。いろんなタイ人の渾名を聞いたけど、そんなのは二人といない。もう28歳のご婦人なんだね。

    アセアン旅行地図は各国全土地図の他に主要都市のかんたんな市街地図があるきりで、ビルマの国境を目指したおれは、バスターミナルでタイ全土地図の北の国境を指さして、チェンライそしてメーサイまでの切符を買った。国境では日本人だから陸路入国を拒否されて(知ってたけど)、国境の川沿いをソンテウ(乗り合い自動車)で走って国境見物してた。渡し船のお爺さんがいたんで、日本語で「あっちに行きたいな」って川の向こうを指さして100バーツ握らせてたら、うん、って肯いてビルマまで渡してくれました。往復で。ダメじゃん。いや、いいのか。ダメだけど、いいんだ。
    国境を超えてみたわけですが、それはただの川で、どうってことなかった。お爺さんと一緒に塩辛いご飯食べて帰ってきた。ご飯のお釣りはビルマ通貨のチャットだったんで、お爺さんにあげました。
    もう、ぜーんぜん言葉がつうじなくてねえ。たのしかったなあ。
    ちょうどドンムアン空港が木造の二階建てから鉄筋コンクリート建てに建て替え中で、シーロム通りの小路(ソイ)なんかでも雨が降るとぬかるんでいた頃のお話だよ。

  5. コマツナ says:

    ガメ様、

    遅れぬうちに、取り急ぎコメント。

    >えっ?と思って、いま検索したら源俊頼でがした。
    はっはっは。カッコワルイ。

    いえいえ、私が検索した時、藤原俊頼もヒットしました。本当かどうか定かではないのですが、かの藤原俊成のことだと記されていました。
    ガメさんのおっしゃる俊頼は、源俊頼なのですね、了解いたしました。 

    >それでは詩人の田村隆一を知っていたはずです。

    父が田村隆一を当時知っていたかどうか、わかりませんが、
    現代詩には関心なさそうなので、たぶん知らないでしょう。
    軍艦の写真集などは関心があったようなのですが。

    >現実を直視する日、っちゅうのは、来ないまま終わるのでしょうか。

    もう間に合わないかもしれないけれど、やっと目が覚めた人は
    多くいると思います。目が覚めた人たちがまた眠り込まないように、
    私も眠り込まされないように、と思います。

    • コマツナさま、

      > 現代詩には関心なさそうなので、たぶん知らないでしょう。

      いえ。田村隆一は土浦で飛行教官をしていた。背がひょろ長くて、ヘンな人だったので、だいぶん有名だったようです。

      > もう間に合わないかもしれないけれど、やっと目が覚めた人は 多くいると思います。目が覚めた人たちがまた眠り込まないように、 私も眠り込まされないように、と思います。

      放射能性物質による汚染をたいして危険でない、と思いなすのは、コマツナさんの言うとおり、まさに、その通り「眠る」ことなのだなあ、と考えました。その通りだ。
      眠ったほうが楽だが、それではいけないのですよね。

      見えないし、臭いもないし、聞こえもしない。しかも決定的な被害が出るまでに最低8年では、眠らないでいるのは大変ですのい。
      でも、仰るとおり、眠気をこらえて、自分と自分の社会の歩哨を、ひとりひとりが勤め上げなければ日本という国はなくなってしまいそうに見えます。

  6. ぽんぴい says:

    相変わらず文章が長げーなガメ、

    産業にまとめろや

    • ぽんぴい、

      >相変わらず文章が長げーなガメ、 産業にまとめろや

      よおーし、そういうことをゆーなら、今度おなじ長さの文章を3行で書いてくれるわ。
      しっかり読むのだぞ。

  7. ぽんぴい says:

    承った。

    忍びて刃揺る人の胸。

    君の様に存在が遠い人は楽しい。

  8. コマツナ says:

    アイドルといえば、と書き出そうとして、
    2-3題、記事が消えているのに気づきました。
    だからここに書きます。

    多感な小学生の時だったと思います、
    シルビー・ヴァルタンの「アイドルを探せ」という歌が
    ありました。だから、アイドル、と聞くと、すぐ
    「アイドルを探せ」と連想が来ます。

    でもこれは日本側でつけた題で、原題は、
    ダンスするのに最高に美しい人、
    というような意味と知ったのは、ずっと後のことでした。

    小学生の女の子からみたシルビィ・ヴァルタン、
    不思議な、変な、すてきな声の人、でした。

    日本の女の子にとってのアイドル元祖はやはり、
    グループサウンズかなぁ、と今、振り返る。
    あまり詳しくないので、わからないですが。

  9. コマツナ殿、

    >シルビー・ヴァルタンの「アイドルを探せ」という歌が

    たしか、亡命ハンガリー人だったよなああー、と思っていま見たら国籍は元はブルガリアの人ですのい。
    日本でも人気があったのは、前に調べて知っている。

    >原題は、ダンスするのに最高に美しい人、

    La plus belle pour aller danser、ですのい。

    ちょっと日本的な感じのするチューンと思う。

    いま見てたら、この頃でもまだ日本でも人気があったよーだ。

    「東亜会館」って、どこだ?

    >日本の女の子にとってのアイドル元祖はやはり、
グループサウンズかなぁ

    わし、テンプターズ、大好きでんねん。
    「純愛」とか「エメラルドの湖」、歌えるぞ。
    「神様、お願い」もバッチシですじゃ。
    (普段のバカ生活がばれてしまうが)

  10. コマツナ says:

    >わし、テンプターズ、大好きでんねん。
    >「純愛」とか「エメラルドの湖」、歌えるぞ。
    >「神様、お願い」もバッチシですじゃ。
    >(普段のバカ生活がばれてしまうが)

    ほんとに若いですねぇ。あのころのショーケン知ってるなんて。
    いったいいくつなんでしょう。 あのころ君は若かった!?
    エメラルド・・・ は乙女チックな歌詞だなぁと当時思いました。

    「アイドルを探せ」を聴いたあとは、頭の中で、
    らぷるゅぷあれどんせ、タタタタンタラターン~♪ が
    しばらく鳴りやまず。きっと子供の時に聴いた曲だからでしょう。

コメントをここに書いてね書いてね

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s