チップっぷ


昨日の芸能ニュースで、Jay-zが5万ドルのチップをはずんだことがニュースになっておった。
http://nz.entertainment.yahoo.com/celebrity/news/article/-/10068997/jay-z-leaves-50k-tip/

ウエイターのひとびとは、決してオカネという意味だけではなくて大喜びだっただろうと思います。

 

合衆国にいるときは、わしは、だいたい支払いの額面の2割から3割くらいをチップとして払うことが多いようだ。
ときどきプロフェッショナルであったり、独創的なサービスに出会ってカンドーすると8割くらい挙げてしまったり、ピアノを弾いているひとの腕前にぶっくらこいて、ピアノの上に100ドルおいてしまったり

https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/05/11/

するが、ふつーは、20%から30%しかチップを使わない。
ここの店のサービスはひでーなあー、と思ったときは、しかし、あげない、というわけにはいかないので10%くらいにしてしまうこともあります。
それより低い、ということはない。
アメリカ人のサービス業人は、チップで食べているので、いかにコンジョの悪いウエイタであろうとも、ゼロ、というわけにはいかないからです。

テキサス人の友人たちなどは、「ガメはチップが多すぎる」という。
わしの仲の良い年長の友人、テキサスおやじなどは、ダラスのバーで、頼んだものの金額の20%のチップをあげたら、ウエイターに向かって歩いていって、半分、手からもぎとって、わしのところにもってきた。
「あんなにチップを払っては、社会のためによくない」とマジメな顔でいう。
もっと、気をつけてくれなくては困る。

この頃は、アメリカでは、客が計算しやすいように勘定書の下に15%と20%に分けて金額が自動的に印刷されているものがある。
アメリカ人でも、(考えるのがめんどくさいので)チップといえば15%と決めて、うんと弾むか、というときには20%、というふうにチップの習慣が機械的な手続き化しているからでしょう。

わしは、アメリカのこのチップを渡す習慣が嫌いではない。
オカネ、というところが嫌は嫌だが、特に人柄が良いひとにサービスを受けたときやなんかには、手軽に感謝をあらわせるので便利であると思う。

いまちょっと、そう言えば、と思って日本語サイトを見てみると、案の定「連合王国でのチップは10%から15%」と書いてあるが、もともとは、連合王国人はチップなんか、全然渡しません。
外国人観光客が(UKでは厳密に言えば違法な)チップの習慣をもちこもうとするので、サービス業の人間がさもしくなって迷惑している、とゆってもよい。
連合王国では、チップというのは、あくまで(いまでは恐竜並みの絶滅種である)上流階級人の習慣にしかすぎません。

「心付け」というものはあるが、要するに日本と同じことで、相手が愉快なやつであったり、人柄がよくて楽しかったりした場合は、ふつーに、「にーちゃん、釣りはいらねーぜ」という。
あるいは、いきなり近所の店に走っていって感謝の気持ちをあらわすためのプレゼントを買ってきたりするとヘンなひとだと思われるので、咄嗟に現金を渡して感謝を表現することもある。
それをチップと言えばチップだが、あれがチップならば、日本もチップ社会だということになります。
わしは東京では、よく「おつりはいりません」をやっておった。
この頃は、さもしくも「勘定書にはサービス料は含まれていません」というくだらない能書きをいれているバカ店もあるが、わしなどは、そういうのを見ると、金輪際チップもどきはくれてやらん、勘定そのものも払わないで逃げちゃおうかしら、とむかっ腹を立てる。
我が国は、どうなってしまったのだ、と憤慨する気が勃然と起きてくる。
逆に、サービス料が含まれている勘定書も多いので、「こんなサービスでサービス料とるなんて、はっは、ジョーダンは佳子さん」とゆって、そのぶんを支払金額から引かせることはあります。

ついでに他の日本語旅行サイトを眺めてみると、バルセロナみたいなところに出かける人にも同じことが書いてあるが、はっはっは、カタロニア人がチップなんかそんなに出すもんけ。
チップなんか15%も払った日には、「金持ちにみせようと思って、バッカなんちゃう?」と後ろ指をさされるくらいが関の山である。
カタロニア人の「チップ」は、せいぜいがとこ、ポケットのなかで重たくなったバラ銭を1セント硬貨から何から勘定書のトレイに山盛りにして置いていくくらいのものです。
誰でも知っていることではあると思うが、ついでのついでに述べておくと、合衆国では硬貨をチップに渡すのは大変失礼です。
そーゆーことをすると、次に行ったときには珈琲に塩がはいっているかもしれむ。
彼の地では1ドル札がいまだに威張っているのは、チップの習慣が大きな理由であると思います。

ニュージーランドでは、相手がとてもよくしてくれている、と思えば、心をこめて「ありがとう」という。
チップを渡す、というのは、よほど異常なことです。
オカネで感謝をあらわす、というのは成金のやることなので、下品、なのね。
ニュージーランドでは、他の英語国に較べてもなおさら、客とウエイターや店員は対等の関係なので、自分が親切にしてやったからといって、オカネをもらうのはヘンだ、という常識なのです。
アメリカ人の観光客にチップを渡されて怒り出したウエイトレスのおばちゃんを、わしは見たことがある。

その代わり、たとえばレストランで横柄な態度を取った日には、往々にしてテーブルに戻ってもきません。
ふざけんじゃねーよ、おめーの相手なんかやってられるか、ということであって、そういう場合には、自分の態度を悔いてすごすごとレストランを退散するのが最もよい。
ニュージーランド人は、「お客様は神様」というような考えが大嫌いなのです。
自分が客のときに、「お客様は神様ですから」とでも言われた日には、「ジョーダンじゃねえーよ。おれは人間だぜ。神様よっか、数倍まともな存在である」というであろう。

アメリカ合衆国という国の都会においては、「この世は金さ」が主張ではなくて、樹木や地面の存在と同じく淡々として現実なので、ああいう風土においてはチップという習慣が嫌みなく成り立ちうる。

ジョージ・ブッシュはスシバーで100ドル食べたあとに100ドルのチップをおいて、
「気の良い金持ち」のイメージが広まって大統領の椅子に近付いた。
逆にタイガー・ウッズは、チップが吝いので有名なひとで、まったくチップを払わないこともたびたびなので、あの不世出の大選手にして、あの程度の人気しかないのは、そのせいであると思われる。
「なんだか、ケチで暗いひと」というイメージにいつも苦しんでいる。

グランドセントラルステーションのバーで、ちょっと疲れたからカクテルでも飲むべ、と思ってバーテンダーにジン・ソーダを頼むと、顎髭に入れ墨もんもんのバイキーなバーテンダーおっちゃんが、注文を聞くなり、わしをにらみつけてます。
話しかけても聞こえないふりをする。
心のなかで「このイギリス野郎め」と呟いているのが聞こえてくるようである。
出されたジン・ソーダと引き替えにお札を渡して、釣りをもらうのが面倒なので「おつり、いらねっす」というと、ちょっと、ぎょっとしたような顔になって、
それから水はいるか?とか、しまいにはもう一杯ただで飲んでいかないか、と言い出す始末。
仕事の手があくと、わしの前に立って、駅でみかけるひとびとのさまざまなオモロイ話を聞かせてくれます。

なぜ、この話をしているのかというと、このおっちゃんの態度を卑屈、とみる社会に育った人間にはチップという習慣はのみこめないはずだからで、おっちゃんは、チップを通じて、「ケチで気取り屋のイギリス人」という一般像を放棄したのだと理解されるべきである。
感謝、という感情がグリーンバックにはいつも裏側にひっついている。
オカネと人間性がいつも渾然一体となっているアメリカという社会では、感謝を金額であらわすことが、重要なコミュニケーションの役割を担っている。

チップという習慣は、そういうものだと思います。

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One Response to チップっぷ

  1. kochasaeng says:

    ジンソーダうまいよなあ。タイではライムに似たマナーオってのを、きゅっと絞って出来上がり。ジンをソーダで割るだけなのに、薄くても濃くてもダメだよね。ちょうど良い濃さってのが、けっこう難しいんだが、タイで旨いジンソーダを作るバーテンダーに会ったのは、当時ソフィテル ホテルのバーで、いち度だけだ。
    あんまり旨いんでビックリして、もう一杯頼んだら、二敗目は無茶苦茶に濃くて、ああ偶然だったのか、と納得しました。メジャーカップぐらい使ったらいいのに。

    バンコクから東南にスクムウィット通りをカンボジアに向かってどんどこ行くと、200km足らずでラヨーンって、ふざけた名前のリゾートに着くんだけどね。そこのホテルでは、おれの顔を見ると朝だろうとジンソーダ持って走ってくる奴がいるんだって話は、そういえば3年くらいまえに、20バーツ渡せば海老でも何でも持ってくることなんかも併せて書いたのを思い出したから、もう書かない。

    チップだ。さいきんはタイでも勘定書に「サービス料10%なら、すでに含まれてっから」って小さく書いてあるような店が少しずつ出現してきたのね。どうせそのくらい払うけど、有無を言わさず取るなよなあ、ってのが、おおかたのタイ人の気持ちだと思う。渡すのも貰うのも大好きなひと達ですからね。「いいから、これ取っておきなさい」ができないのは、つまんないんだろう。
    まあ、そんなのは今のところチェーンで展開してるレストランだけで、ファストフードと混同してチップを払わないひとが増えたせいだ。

    独立系っていうか、個人経営の店は、そんなことしませんね。
    店にもよるけど、中国人やヴェトナム人が経営してるような食堂の、安寿と厨子王の次くらいに可哀想な顔したウエイトレスさんなんかは、たいてい無給で、食事と寝床だけをあてがわれてるようなひとですね。
    だからチップをあげなくちゃ赤い服も歯ブラシも買えない。
    毎日のチップをインスタントコーヒーの空き瓶に貯めて英語の辞書を買って、毎晩2ページずつ憶えて大学の奨学生になって、今では小さいながらも時計屋を経営してます、なんて話は聞いたことなくて、百バーツも貯まると、嬉しそうに札を握りしめて「♪KFC、ケー! エッフ! チー!」なんてデタラメな歌を歌いながらケンタッキーのフライドチキンを食べに行っちゃう。そこは冷房も効いてて天国なんだ。辞書なんか安いのだったら百バーツもしなくて、いつでも買えるけど、そんなものじゃ腹は膨れないし、英語なんかよりもバンコクの標準語を憶えるのが先なんだよ。
    だいたい田舎から出てきたばかりのひとはウエイトレスさんか床屋か警備員くらいしか職がないのね。あ。あと、お手伝いさんとか。
    まあ、そんな世間知らずの子が多いから、おれが外人だとわかると、狂犬病の犬と同じで目を合わせるとエライことになると思い込んでる。「タイ語できるだから、だいじょぶな」ってタイ語で伝えて、はじめて恐る恐る距離を縮めてくるわけです。
    日本食の食堂で住み込みの店員さんがいる店ってのは、まずないんだけど、むかしタニヤ地区にあった店がそうだった。美人ばっかり従業員が十数人いたんだけど、みんな上の階で一緒に暮らすレズビアンのひと達で、とても楽しそうに働いてたな。彼女たちは男に貢いで問題起こしたりすることもないし、突然辞める率が低いんだそうで、経営者は「いいよお。義理堅いし、裏切らない。女はレズビアンが一番だよ! ウチのカミさんもレズビアンだったら良かったのにな。ははは」って言ってた。なんかツラいことでもあったんだろう。

    チップを気前よくはずむのは、金持ちのタイ人のたしなみなので、馬鹿で下品でカッコ悪くて成金だと思われようが、これも修行のうちで、どんどん払う。食事代と同じくらい払う。タイ正月なんかはずらりと並んだ従業員全員に五百バーツとか千バーツずつ配っちゃったりして、生きてるうちから拝まれたりしてますね。
    日本人はやっぱりチップを払い慣れてないひとが多いね。なんでも20バーツって自己ルールを発動させちゃうひともいて、そういうのは嫌われます。ほどほどで良いんだけど、おれはと言えばヨメがテキトーにやってくれるんで、それを横でニコニコ見てるだけの、アホみたいなもんです。

    タイでは、チップにまつわる良い話なんてのは、ないね。
    むかしサラ・ベルナールみたいなひとがいて、チップに貰った紙幣の金額を感情込めて読み上げたら、みんな感動して泣いちゃったって、そんな馬鹿な話はない。
    まあ、お金だからな。タイ人って「お金は必要なものだけど、ぜーんぜん重要なものではないよね」って知ってるひとたちだ。ただ、なにが重要なのかは秘密みたいで、おれにもわかりません。

コメントをここに書いてね書いてね

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