Monthly Archives: August 2011

日本語を読みながら

日本語ブログなのだから、日本のことについて何事か書くべきなのは判っているが、最近はサボり癖がついて、日本語の新聞も読まず、日本語で出来たサイトにでかけるのも億劫なので日本語の世界で何が起きているのか、よく判らない。 いま(8月16日)朝日新聞のニュースサイトを広げてみると、まず第一に考えるのは、 相変わらず「ヘッドライン」がつくれない古色ソーゼンとした二世代くらい前のサイトであって、多分、新聞記者のひとびとが素人仕事で夜なべをしてサイトを書いているのかもしれないが、何が重要なニュースだと思っているのか、ちっとも判らないデザインのサイトで、なーんだか、相変わらず遅れておるのおー、と思います。 言葉を読むのがメンドクサイ、ということよりも、この古くさいデザインでやる気がなくなるもののよーである。 眞鍋かをりさん、の事務所に「薬莢のかけららしきもの」が送られたことが国家を挙げての重大事であるように見えるが、まさか、そんなことはないであろう。 朝日新聞社の側でタレントへの恐喝事件と「東京、一時77円台」のどちらが社会にとって重要か、判断がつきかねているだけである。 「累卵の危」というが、ここまで経済がまとめてどひゃっになる要素がええ加減な処理で積み重なって、毎日の市場のそよ風に「るいら〜ん、 るいら〜ん」とぐらぐら揺れる世の中になると、他人のことなどかまっておれないので、外国のニュースでひとびとの心のなかにはいってゆけるのは、オカネがらみの下品なお話だけである。 あと、シリア。 ソマリアへの寄付箱にはみな足を向けて幾ばくかの寄付をしてゆくが、それも、頭で考えてみて、寄付をしないというわけにはいかないからするだけで、心のほうは、意地悪をいうと多少お留守であるように見えます。 ニュージーランド人で言えば日本のだいたい三重県くらいの規模しかないGDPの4割に迫る国債発行高や、クライストチャーチの当初復興費がGDPの1割を越えそうであること、金融の不調、歴史的なNZドル高、そういうもので頭はいっぱいである。 他国人のことを考える余裕がなくなってしまっている。 わしの経済的な根拠地は相変わらずマンハッタンとロンドンだが、これら大西洋ブラザース都市も轟沈寸前なので、お友達はみな、目下はオカネの話以外なにもしません(^^) 昨日も、男の下着のヘンなデザインの製品の話を延々としていたら、「ガメは、いったい何かんがえてるのか、ちっともわからん」ため息をつかれてしまった。 ヘンな前の開き方をする下着の話をしているのだから、ヘンテコな下着のことを考えているのに決まっているのに、このお友達は秋に予測される波乱を前に目の前のことをありのままに受け止める、という正気を気の毒に失ってしまっているのです。 経済危機になると、アンダーパンツのことすら判らなくなってしまう。 世界の経済は風前の灯火だが、ちょっと煌めいては消え、あっ、もう煙だけになっちゃいそう、と見えてしばらく炎が踏みとどまり、で、終いには、ええーい煮え切らないやつめ、ダメになるならはよはっきりとくたばらんかい、という乱暴なひとも出てくる。 もっとアホなひとになると、「これなら案外だいじょうぶだったりして」というひとも出てきます。 なんとなくフクシマの経緯と似ておる。 ニュージーランドは、史上、空前の寒さで、オークランドで摂氏1度、なんちゅうのは無論初めて見る気温であるし、クライストチャーチで雪が積もる、というのも、わしが知っているかぎりでは二度目でしかないと思う。 おかげで、わしがむかし「日本人は冬になるとサケを熱くして飲むのね」とゆっていたのを思い出して、「あのね、ぼくは久保田っちゅう酒をジャパンマートで買ってきたのだがね、これをジャグにいれて沸かしていいの?」ちゅうような電話がかかってくる。 「お燗」のやりかたを教えてあげます。 しばらくすると、カンドーしてお礼の電話がかかってくる。 醸造酒をホットドリンクにして飲む方法を発明するなんて、なんて賢い国民であろう、とゆってコーフンしている。 聞いているこちらは生返事をしながら、そーゆえば、アイスコーヒーも日本人の発明だったな、と考える。 荷車をひき、鋸をひき、ドアは向こう側に開いて、オトナがマンガを読む、あの国の不思議さを、どんなふうに説明すればいいだろう、とぼんやりおもってみる。 思って見ても、その「思い」には謂わばとっかりも手触りもなくなって、のっぺらぼうな、凹凸の少ないものになってゆくところが、なんとなく、ずっと前に別れた友達のことを思い出そうとしているような気持ちで、はっきりせず、曖昧で、せつないような気がする。 そうやって日本のことを考えながら、カウチに横になって内田百閒の本を開くと、このひとは途方もなく日本語が上手なひとなので、その詩を知らないのに不思議なほど感覚のよい言語のつながりが、また日本というマイクロ文明への敬意を呼び起こす。 まっすぐに続いている長い廻廊の、ドアをひとつひとつ開けながら奥へ奥へと歩いて行けば、ローマ時代にたどり着いてしまいそうなスペイン語やイタリア語とは異なって、非線形な歴史のなかで、断ち切られ、跳躍し、それでもほとんど単語のなかに体液のようにして日本人の歴史的感情や情緒を保存してきた、この不思議な、いまは才能のない作家たちによって虐殺されつつある、日本語という数奇な言語の運命を思います。 わしという一外国人にとっては、豊穣な古典と、透谷と、漱石と、三島があって、これだけは世界一流を極める現代詩人たちの残した作品とがあれば、まあ、それでもいいか、という気もする。 日本語世界と連絡がないのをいいことに、たくさん自分で書き換えてしまった脚註(だいぶん間違っているように思えます。学者のひとびとよ、ごめん)のある岩波古典体系の3週目にはいったり、モニが眠ったあとの寝室を出て、なつかしや、われながらなつかしや、あの悲しい井筒の恋をつぶやきながら廻廊をまわって自分のオタク部屋にたどりつき、ワインを開けて、のんびりと日本にいたときのことを思い出したり、最大に尊敬する俊頼の口調をまねて、義理叔父に日本語の手紙を書いたり、 案外、日本語との関わりは、そういうところに落ち着いていくのかもしれません。 人間の感情や思考の形式は、異なる言語の異なる意識を通して、偶然か必然か、同じ定型、同じ情緒にたどり着くことがある。 フラメンコのうち、あいかたと掛け合いのある古いものは、どこからどう見てもあらすじも掛け合いの呼吸も狂言であるし、中央アジアの農作業の歌は、日本の船頭達がうたったというくだんの「エンヤートット」とうり二つです。 違う方角から言えば、幽霊の話は、意識の主体ということを考えれば、特に真実とは思われないのに、さまざまな文化圏で、事実と仮定すればあいいれない形で、しかし、全体の情緒、ありかたとしては同じような印象の話をあちこちに残している。 それがなぜ似ているのかということをよく考えてみると、それは言語というものそのものの単語に内在する意味と発音される音が規定する広義の塑型可能な定型に依拠しているはずで、人間の博愛というようなものは、それを究明するのでなければ、ほんとうには現実にならないであろうと思われる。 そして、そういうことを考えて行くためには日本語という膠着語に馴染むことがいかに有効であるかを、日本では、相手を見いだせなかったので、西洋語のがわで見いださなければならない。 唯一神を指示しない言語は、音を失うことによって簡単にばらけてしまうが、日本語はそうならなかった、ということひとつとっても、もっと考えなければならないことがたくさんあるよーだ、と思うのです。

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韓国料理屋で

日本では最近、放射能が有害であるとうっかり口走ると、風評の流布ということで逮捕されて市中を裸で引き回しにされ、罵詈雑言を浴びせられた上で掲示板にくくりつけられて晒され、「通りすがり」ひとりひとりに竹鋸でクビを一寸刻みに切られるそうである。 痛そうなので、わしも喜んで放射能は無害であるという合唱に口パクで唱和するのにやぶさかではないが、しかし、ガイジンはバカなので、放射性物質は有害であるという迷信にかぶれておる。 だから放射能は健康に良いのだ、という日本人が発見した放射能の効果についてのコペルニクス的転回については、そーですか、と重々しくうなづいて友好を保つとしても、自分で日本に行くのはやはり嫌です。 そのくらいは許してくれないと困る。 絶対、やだ。 この先、日本の政府がなにかの弾みで、国民に向かって「いやあー、わりい、わりい、あれからよく調べてみたら、やっぱり放射性物質て身体に悪いわ。これから急いでマジメに除染するけんね。因果関係とかは、オカネないからパスだけど、ま、そこのところひとつよろしく」と放射能物質の危険性を正面から認めるようなことが起きたら、その場合は、賢い日本の人々のことである、シュタッと方法を開発して、あっというまに少なくとも放射能がどういう分布をしていて、どうすれば安全かというくらいのことはたちまちのうちに、競争のようにして明らかにして問題の最悪の部分を解決してしまうであろうから、欧州に行く途中で一週間くらい寄ってみるかもしれんが、いまは、やっぱし嫌です。 いまの「みんなウソなんだよん」状態では、たとえばレストランにはいっても、妙に柔らかくて脂肪の味が肉からしみだしてくるような、日本的に高級な味の、まるで福島牛みたいな味わいの豪州産ビーフステーキをかみしめながら、一週間滞在した場合の推定セシウム摂取量を暗算することになりそうで落ち着かない。 しかし現実..あっ、いや、合法的な言論の方法にしたがえば、迷信、を正面から直視する確率は、南京虐殺がなかったことになって世界中の中国系人にひきつけを起こさせた日本国のことであるから、「フクシマ? 原発、そんなところにあったことないよ。女川と勘違いしてんじゃねーの? ばかみてー。韓国人の竹島欲しさの陰謀のデッチアゲを鵜呑みにしてんじゃねーよ」ということになる可能性のほうが放射性物質の危険を認めて除染に動くよりも遙かに高いと思われるので、多分、わしが日本を再訪するというイベントは起きないのだと予測される。 これを「アボンカレの予測」といいます。 証明するのはたいへんだが、便宜的に直感的に正しいことにして扱ってもよいことになっておる。 そーするとさ。 そーするとだね。 もう世田谷の巨大なけやきを見上げる夕暮れのひとときや、渋谷の神社の社屋に寄りそう栗の木、逗子曼荼羅堂の紫陽花や、やはり逗子ハイランドの空を覆ってトンネルをつくる桜花、輝く緑色の海洋のような佐久穂の稲田、小諸の蕎麦の畑、というようなものを一生みる機会がなくなってしまったわけです。 学問もやれず絵も描けず、とがっかりした様子で石を蹴飛ばしながら歩く西脇先生の残映が射す釈迦堂の切り通しを歩くこともかなわなければ、汚いゴム草履をはいてわたしの珈琲屋に来ないでください、と怒られたジョン・レノンが、駅前で買った靴をはいてニコニコしながら戻ってきた塩沢の、あの木洩れ日の射す道を散歩することも出来ない。 割烹着のおばちゃんが、ガイジンのくせに、ひろうすをお代わりするなんてヘンな子だねえ、と得意そうな顔でふたつめのひろうすを「いそいそ」と表現したくなる様子でもってくる割烹屋のおばちゃん、筒井筒、井筒にかけし、わがおもひ…とトーダイおやじたちと謡っていたら目をまるくして、身じろぎもせずに聞いていてくれた仲居のおばちゃんとももう会えない。 なんだか先週までは使えた遊び部屋に突然誰かが鍵をかけて誰にもはいれなくなってしまったようで、まことにつまらん。 一方では、しかし、それが成立した社会の現実にまったく触れることなしに、自分のなかの言語がどのくらい生き延びられるだろうか?という興味がある。 現実から切り離された言語を使っているうちには、ラーメンが実体的にはうどんを指すようになったりしないかしら。 ラーメンがうどんに化けるほど深刻なことは起こらなくても、悲哀と意識されていた感情がおかしみと意識される、という程度の軽症の症状なら起きそうな気がします。 六文蕎麦でへなへなのうどんといなり寿司を食べる楽しみも、新橋の「K」のでっかい的矢牡蠣のフライも、香妃園のとりそばも、電気ビルの上の鮨屋の滅法うまい鮨も、これでお別れである。 まだガリシアのうまい食べ物屋が残っている。 なんだったら、マンハッタンのバーベキュー屋もある。 バルセロナも、ポーのレストラン街もある。 フィレンゼのレオーネ広場もある。 シンガポールの元はバラックだったレストラン街もある。 そう自分に言い聞かせて慰めるが、しかし、食べ物ひとつとってみても、こうして考えてみると扉が完全に閉じてしまったというとやはり東京という遊び場は自分にとって大事な砂場だったのが判ります。 多少は運がよかったと思えるのは、ブログを読んできてくれたひとたちは知っているとおり、十全遠征計画の最終年であった去年にコンテナに詰めて送った日本語の書籍はロンドンにあり、日本の友人達にもお別れの挨拶を述べて歩いたあとであって、あとで「まるで大震災がくるのを知っていたようだ」と言われることになったように、十分な時間をかけて日本を引き払うことが出来たことで、そういう面では慌ただしく中途半端に日本と別れる、というふうにはならなかった。 なら、いいじゃん、とゆわれそうであるが、遠征が計画通り終了としたとはゆっても、「いつでも行けるし」と思っているのと「もう行けないし」と思っているのでは、なんだか本質的な違いがあるもののよーである。 オークランドにはたくさんある韓国料理屋で、勘定をすませて、 チャルモゴッソヨ。 大きな声で「アンニョンハセヨ!」とゆって、笑い転げられ、 ガメちゃん、アンニョンヒカセヨ、アンニョンヒカセヨ。 おー、また間違えちった。 アンニョンヒカセヨ! と顔を真っ赤にして立ち去りながら、韓国のひとたちといろいろな点でそっくりな、日本のひとたちのことを思い出します。 チュルゴウォッソヨ。 コマウォヨ。 また、いつか、きっと会えるよね。

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ヌエボゼランダ

ランギトト http://en.wikipedia.org/wiki/Rangitoto_Island が見える家に帰ってきた。 インド料理屋「甘木」の世界一うまいラムブリヤニを食べながら、 やさしい稜線を見ていると、家にもどってきたのおー、と思います。 凪いだ海と静かな影の広がりを見せるランギトトの姿を眺めていると、こちらの魂まで静かになってくるもののようである。 どこかのクソ国に生まれついてしまえば、その国で成長してくたばるのが通常だった20世紀の人間とは異なって、現代では「自分の国」などは自分で選ぶことになっている。 まわりを見渡しても、だいたい18歳から24歳くらいの期間に、「どーも、わし、自分が育った国と相性が悪いし」と思って生まれたのとは違う国の国民になるひとが多いよーだ。 いまの世の中で「どのパスポートで旅行するか」と「どの国で税金を払うか」というふたつのこと以外に「国籍」というものの意味を考えるのは難しい。 連合王国人が自分の国の社会のバカッぷりに呆れると、オーストラリア人かニュージーランド人に化けることが多い。こういう場合、メンドクサイので連合王国のパスポートはぶちすててしまうことが多いようだが、わしは、パスポートをとってあります。 だからときどき連合王国人になる。 欧州に滞在するときは、連合王国人であるほうがいろいろと便利なので、なあーんとなく、イギリス人のような顔をしてうろうろしている。 オーストラリアには、日本語ブログに書かれている印象よりも頻々と出かけるが、いまはパスポートコントロールが「自動改札」になったので、ニュージーランドパスポートで出かける。 もうひとつ、ニュージーランドのパスポートは最近デザインを変えて、シルバーファーンが表紙についているが、これがカッチョイイというので、あちこちの航空会社職員であるとかパスポートコントロールで人気があって得意である、という理由でニュージーランドパスポートをもってゆく、ということもある。 わしは、他人にうける、ということが大好きだからな。 たしかプジョーの創業者一家はスイス人だが、ちょっと前まではたしかモナコ人だった。 もともとはもちろんフランス人だったが、フランスの税金が高いのでさっさと変えてしまった。 税金が安い国の国民をやっているのです。 自分の周りでは、この例がいちばん多いようだ。 オカネモチのひとびとに最も人気がないのは、先進国中ではアメリカ合衆国の国籍だと思うが、これは合衆国の税法が最近になって改正されて、「国籍を変えても、十年遡って課税できる」という無茶苦茶な条項がついてしまったからで、いろいろなプログラムがあって比較的取得しやすいアメリカ市民権も最近は金持ちには人気がなくなってしまった。 好きこのんで欧州(連合王国ふくむ)に住みたいと思う人間がいるとは思われないが、移住しようと思えば結構簡単です。 しかし、なかなか国籍はくれないという。 わしなどは、そういう話を聞くと、「わしのパスポートを50万円で売ってあげよう」と咄嗟に考えるが、訊くところによると、路地裏の中国人やマレーシア人に頼んだほうが安いようだ。 商売とはなかなか難しいものである。 ニュージーランド人に化けたフランス人の友達に理由を尋ねると、このひとはワイン醸造家の娘なので、「フランスでは好きなワインが作れん」という。 村ごと、斜面ごとに、ここはピノ、ここはガメと決まっているので、ちょっと暖かくなってきたからシラーをつくるべ、と思っても、ダメ、とゆわれるのだそーである。 そこへいくとニュージーランドは他の一事及び万事と同じでテキトーなので、何を育てても文句をゆわれない。 イギリス人たちは、「だっていろいろなことが自分達で作れて楽しいじゃん」というのが最大公約数の意見であると思われる。 残念ながら東アジアから来るひとびとは、すでに出来上がったものを自分で受容したいという理由が多いと聞く。 「医療制度がこっちのほうがいいから」「教育制度がこの国のほうがよくて安い」 「就職がしやすくて賃金が高い」 いわば、移住のくれくれ君組であって、こういうひとは、何を考えているのか、よーわからん。 想像するに、こういうくれくれ君的立場から「国家」や「社会」を見ているひとびとは、多分、社会や国などというものは自分達がトンテンカントンテンカンと手作りするものだ、ということを知らないのだと思われる。 「与えられた国」なんて、くだらねー、とわしは思うが、日本にいるあいだも、(誤解かもしれぬが)、国というのは初めから何だか動かしがたい姿で在って、いわば封建社会のとーちゃんの親玉みたいなものだと感じているひとが多かったような気がします。 日本人は世界中の人種差別主義者や鎖国主義者、民族浄化信奉者から彼らの理想の国として変わらぬ熱狂的な尊敬を受けつづけているが、外にでてゆく日本人の数の少なさは、あるいは、そういう日本の文化の極端に閉鎖的な特徴よりも、この「国は自分でつくるものだ」という考えの欠落からきているのかもしれません。 印象としては、ここでいう「日本のひと」には20代や30代のひとははいってない。 憑き物がとれたよう、というか、人種差別マニアとでもいいたくなるような異常性を見せる特殊な「日本人」と違って、若い日本のひとびとは、(当たり前だが)いかにも、ふつーのひとたちです。 肌の色が違うひととも、言語が違うひととも、ふつーに同じ人間として話ができるので、安心してつきあえる。 話題も共通であって、音楽でも絵画でもアニメでも、文学とテレビ番組以外は、わしらと見聞きして育っているものも同じなので話しやすい、ということもある。 はやい話が、この世代のひとは世界のどこにいってもたとえば食べ物屋を開くときに「日本料理屋」を開くのではなくて、普通のカフェを開いて、気張ったことをしているとは思わない。 … Continue reading

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田園

アリストテレスというひとは、科学者としては自然科学について書き残した膨大な見解がすべて間違っている、という前人未踏、空前絶後の偉業をなしとげたので有名である。 赤ん坊は月経の血が固まって出来るのだと述べ、惑星はエーテルが満ちている宇宙空間を「太陽、月、水星、金星が地球を中心として完全な円運動」をしているのであって、その完全運動を完全たらしめている現場監督が「第一動者」という人格であると決定した。 この「第一動者」がカソリック教会の神の素でごんす。 書いたことがすべて出鱈目であって、まともな人間を数多火で焚いて虐殺してみたり監獄にぶちこんだりして科学を完全に破壊しつくして二千年のあいだカソリック教会と手に手をとって人類をオバカ状態におくことに成功したという点で最も業績があったひとです。 あんまり変わらない時代に酔っぱらったローマ兵に刺し殺されなければ微分学の基礎を完成していたとおもわれるアルキメデスのような危険なキラキラした知性とは正反対である。 アリストテレスは、要するに、いまでも科学の世界にもたくさんいる「権威バカおやじ」だったが、その膨大浩瀚な書き物のなかでたったひと言だけ良いこともいっていて、それは「良い人間は田園からしか生まれない」という言葉であった。 これはほんとうは、政治上、都市への集住を批判した言葉だろーけどね。 でも、まあ、いいじゃん。 字義通りとることになってるんだからさ。 田園、という意味は「人間の手がはいった優しい自然」というほどの意味です。 大陸欧州を移動していると、「田園の分布」と「文明圏」は一致しているのだと実感される。 スペインは内陸に向かってたとえばサンチョパンサがロバの背に揺られて歩いてきそうなラマンチャやレオンのような土地では赤土の荒野に「文明」「田園」がオアシスのように点在していて。そのオアシスの中心に街がある。 それがピレネーを越えてフランスに入ると、国土の殆どが人間の手がはいった自然に覆われていて巨大な田園をなしている。 1エーカーの土地、一本の木、草花に至るまで人間の理性が選択して育てている自然です。 連合王国のように比較的野蛮な習慣がある国でも事情は同じで、早い話が、ロビンフッドが活躍する「太古の鬱蒼とした森」シャーウッドの森は太古は沼沢であったはずで、あれも一本一本人間が植えたのだと、ガキわしが尊敬するハゲが述べていた。 フランス人は「イギリス式庭園」の項の説明に「野原のこと」という大失礼な説明をつけた園芸事典をつくったことがあるが、野原にしてはやさしい緑の輝きや、なだらかなスロープに随って小川に落ちてゆく美しい芝は、やはり人間の選択によって出来たものです。 ここまで書くと、この世界には、もうひとつ西洋でいう「田園」で国土を埋め尽くして、それを歴史を通じて誇りにしてきた島国があることにきみは気がつくであろう。 そ。 日本です。 「里山」という余計なうすぺらい情緒がはりついている言葉は好きではないが、信仰に似た米への執着から来ていると思われる稲田を中心に、大量の水を配した耕作地、点在する整備された丘、流れる水、という構成要素で出来た日本の「田園」がいかに美しかったかは、いまのすさまじいまでに破壊されて醜い傷跡だらけの地方の風景のなかにも、破片となって残っている。 日本にいたときはよく長野県にでかけたが、望月や佐久穂というような山のひだにはいりこんだような耕作地に行くと、秋には一面が黄金色で、息をのむほど美しかった。 そこが、わしにとっては面白いところで、これが米以外の作物を育てている畑であると、雑草の取り方もいかにもぞんざいで、なんだかちらかった子供部屋のような印象の畑だが、米になると、まるで耕作地そのものが礼拝堂であるかのような、「敬虔」と呼びたくなるほどの手の入れ方です。 あるいは、松之山、というようなところに出かけたときには、畳にして二畳ほどしかない水田を丁寧に丁寧に手入れされていて、カンドーしたりした。 日本人が収入のためならばこの精緻な人工自然を破壊してもよい、と思い立ったのは多分60年代の中盤以降のことで、いったん、自然なんか壊れたっていいや、と気分を定めてしまえば「イナカモノめ」という表現に代表される、平安貴族が発明した田舎蔑視の思想という便利なものが日本の思想史にはころがっていた。 平安のむかしには、たとえば父親が栄進して東北の荘園の役人として任官してしまえば、一緒に田舎にゆく年頃の娘は「化外の地の空気に馴染んだ」キズモノであって、もう一流人士との婚姻は望めなかった。 日本のものの考え方の、さまざまな思潮のなかには、この平安貴族の「都会人だけが人間なのさ」という考え方が、姿を変え、音色を変えて、基底の旋律のように響いていて、 それがいかにぬけない棘として日本人の考え方に突き刺さっているかは先刻の「田舎者」という語彙ひとつを考えても十分だと思います。 その思潮を背景にして、ちょうど被差別者が同権を求めるような色合いで自然の破壊を主張したのが田中角栄というひとだったように見える。 「太陽が昇る方角に山が聳えているなら、その山を削ってしまえばよい」という日本海側の多くのひとびろに説得力をもったに違いない夢を看板に政治家になったこのひとは、簡単にいうと「土地を投機の対象にする」道をひらいた。 その遠因は、どちらかというと、農産物輸入自由化問題の当時に奇策として採用した農業補償のつじつまをあわせるための苦肉策にあるようにみえるが、ともかく、このひとは自然を徹底的に破壊することを国是にしてしまったようなものでした。 長野県を歩いていると、誰も、歩行する人すら通らない立派な橋や、廃棄された「砂防ダム」、イノシシがレースをするためにつくったようなクルマがまったく通らない、立派な、しかも整備が行き届いた稜線ぞいの舗装道路、というようなものがいっぱいある。 モニとわしは、よく晴れた初夏の日などには、望月の奥の、誰も来ない舗装道路のまんなか(^^)で、ピクニックをしたりしたものであった。 日本の社会は、オカネを儲けるかわりに、稼いだオカネで楽しむべき時間の大本の基盤となる国土を破壊してしまった。 家と田畑を売った金で、キャバレーで札束をばらまいて遊ぶ威勢を誇るようになった農家のどら息子のようなものです。 そういう悲劇的な本末転倒が、結局はフクシマの悲劇を招くことになったと思うが、 バケツで核廃棄物をタンクにぶちまけ続けて、その結果再臨界を起こしてしまう、という、ちょっと途方もない、気分が悪くなるような無知と粗暴の事件を忘れて、フクシマが「想定外」に人知を越えた、不可抗力の「天災」であったという電力会社の陳述を頷いてきく日本のひとの、愛らしいほどの権力側へ寄り添った思考と情緒を観察していると、 なまなかなことでは説得力があることを言えそうもないので、今日はこのへんでよして、またもっと時間があるときに続きを書きたいと思います。

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Lasciate ogne speranza, voi ch’intrate’ その4

午前10時。眠いよお、と思いながら車庫のリモコンを押してがああああぐわあああとシャッターを開けるとクルマに乗り込むわし。 スーパーマーケットに行って、かぼちゃや牛フィレ肉やチーズやパンやビスケットやチョコレートを買い込んで帰ってくる。 ニュージーランドに冬に帰ってくるのはひさしぶりなので、モニさんにかぼちゃのスープを食べさせてあげるべ、という夫心です。 使いなれたる我が家のチュボー(厨房)、なんちて。 「幸福な生活」の重要な要素は「快適な生活」だが、「快適な生活」を送るには「快適な細部」が必要です。 日本の「山の家」の代わりに購入した北イタリアの「山の家」は外はボロイが中は現代的に改変されている。 わしのようなコンジョナシが中世の村で暮らせるように、見た目は築1000年でもなかみはモダン錦なのである。 でも皿洗い機が安物で皿の汚れがちゃんととれねーんだよ、とか、Wifi (突然ですが、スペイン人は、これをウィーフィーと呼ぶ。かわゆいので、わしも英語においてもウィーフィーを採用しておる。WifiのMifiは、ウィーフィーのミーフィーだからな。だからスペイン語はやめられないのだとゆわれている)がちゃんと家をカバーしてなくて階段に座ってでないとインターネットがちゃんと接続できないとか、アホなことがいっぱいあります。 その上にクルマの駐車スペースが狭くて、駐めるのが重労働なクソ・カーパークである。 ニュージーランドの生活からは、そういうものが排除されておるのでたいへんよろしい、と戻ってきて改めて考えました。 生活を送るのに家事においても遊びにでかけることにおいても、たとえば大陸欧州のごとくこの世の終わりのように窮屈な駐車場に何回も切り返しをして駐車しなければならなかったり、不合理故に吾信ず、な運転習慣がない。 楽なもんです。 アホでも何も考えずに暮らせる。 まして賢い亀夫においておや。 オークランドにもどってきてみると、そこは真冬であって、空港にはでっかいオーバーにくるまったトンガやサモアのおっちゃんが吐く息を白くしながらたたずんでおる。 でもさ。 でもね。 真冬とゆっても下が5度、とかなので、わしは全然寒くありません。 同じニュージーランドでも凶悪なクライストチャーチの冬に較べればちょっとボロクなった春のようなもんである。 クライストチャーチの冬は、ぶおおおおお、と南風(というと北半球諸君は暖かいのか?と思うだろうが、サザリーちゆえばニュージーランドではちべたい風のことです)が吹いて、その台風なみの突風に巻き上げられた地面の水が顔にぶっしゃあああーと当たる。 すげっす。 したがって、かーちゃんも妹も常にはニュージーランドの冬には必ず欧州にいたものであった。 わしはクライストチャーチのクソ冬が好きなので、長じては、ひとりで、途中の成田で買い込んだPCパーツや電子部品をたずさえてニュージーランドにやってきたものだった。 全部の暖炉に薪を放り込んで、パネルヒーターやフロアヒーティングにスイッチをいれて、ひとりでちびちびと酒を飲みながらパンフライやフライにしたブラフオイスターを食べる愉しみ。 第一、おっかない家族は誰もいないので、ひとりで悪い事やりほうだい…あっ、いや、ベンキョーしほうだいで、なかなか楽しいものであったのをおぼえています。 わしはしばらく南半球暮らしをしようと考えている。 オーストラリア、ニュージーランド、ずううううっととんでシンガポールというホームグラウンドに赤道の向こうのマレーシアやインドネシアくらいを加えてもよい。 ダッサイ連合王国パスポートを金庫にしまって、シルバーファーンが表紙についた、カッチョイイ、ニュージーランドパスポートで暮らそうと思ってます。 ずっとブログを読んでくれているひとは知っているが、わしが備えてきた「最悪の事態」、それが予想されるから、いまここにある地獄の魔王が地上に現れるような経済事態はどうやら起こってしまいそうである。 まだ起こらないですむ可能性はかすかに残っているが、中国以外は経済音痴の首脳が轡をならべるいまの各国政府の顔ぶれでは、難しいように思える。 中央銀行のテクノクラートたちも考えられる方策はすべて試みたように見えます。 しかしながら、高度に情報化され、かなり細部にいたるまで確率論化された現代経済市場においても、ときどきぶっとばないと経済に飛躍がもたらされないので、地獄の釜 https://gamayauber1001.wordpress.com/1970/01/01/lasciate-ogne-speranza-voi-ch’intrate’%E3%80%80その3%E3%80%80%E3%80%80フッチーを待ちながら/ がまた開いてしまうくらいで驚いていては冷菜凍死家はやれん。 今回は、膿まみれになってどろどろのゾンビ化しているのは欧州であって、健全なIT産業その他の新世代産業(グーグルやアップルはいうまでもなくアメリカ企業です)をもつ合衆国は、実はそれほどひどくない。 そのうち日本語で書いてみんべ、と思うが、オバマ大統領の、緊急であった経済政策よりも先に保険制度に手をつけてしまう、という大失策から来た経済対策の遅れが取り戻せないで苦しんでいるうちに欧州から北斗の拳がとんできてしまっただけである。 だけである、とゆっても史上最強のパンチをもっていたタイソンのフックのように強烈なパンチなのでダウンしないとは限らない。 焦眉の急の大陸欧州は、大陸でおっちゃんやおばちゃんたちにインタビューしてまわった限りでは、もう全然ダメ、だったので、もてばラッキー、ふつうにいけば例年通り「9月プレッシャー」がかかったところでオトーサンになりそーである。 欧州がオトーサンになってしまうと、わしも冷菜の幾分かは生ゴミになってしまうので、起こらないことを祈っているが、今回は、どうもそうそううまくいかないよーです。 … Continue reading

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食物図鑑その10バスク篇

むかしの日本のマンガに出てくる「おフランスの画家」はベレー帽をかぶっているものと相場が決まっていたように見えるが、このベレー帽というオモロイ形の帽子はバスクのものである。 バスクの町に行くと、いまでも通りの至る所にある不思議なくらい座り心地の良いベンチに腰掛けているじーちゃんたちは、みなこの帽子をかぶっている。 フランス人は他にもいろいろなものをバスク人の生活をチラ見して盗んでまねっこしてきたが、その影響は食べ物において最も顕著です。 自分達の伝統料理がどの国からヒントを得てきたか当のフランス人たちはよく知っているので、フランス人はよくバスクにでかける。 バスクの町々がスペインのなかでは比較的にフランス語がよく通じるというのも、そのことの原因であり結果でしょう。 実際バスクは安くておいしい食べ物を食べて安くておいしいワインを飲んでのんびりしたい人にとっては天国のような場所である。 通りごと夢見ているようなバスクの通り をぶらぶら歩いて行って、そこここにあるピンチョスバーにはいると、カウンターの向こうのにーちゃんたちが「オラッ!」とゆって迎えてくれる。 きみはまずおもむろにアンチョビを注文するであろう。赤みのあるほうが味がきつくて白いほうはやさしい味がする。わしは白いほうのが好きです。 ピンチョスが並ぶカウンタから、いくつか見繕って皿に載せる。 それからワインを選ぶなんてこういう場合仰々しくてメンドクサイので、カウンタのなかのにーちゃんに、ハウスワイン一杯ね、とゆいます。 こういう場合、フランスの町やバルセロナでは、こんな田舎の小さなバーでは小さなワイングラスか、あれはあれで良いものだが、グラシアの町ならコップで出てくるかもしれません。 ところが、バスクでは、大きな、立派なテイスティング・グラスで出てくるのさ。 それがバスク人、というものなのです。 なんでも格好良くないと、つまらん、という気持が町中に漲っておる。 薄汚いものがいっぱいある国のあとだったりすると、スカッとします。 赤ワインを二、三杯飲んで機嫌がよくなったきみは、大通りに足を向ける。 ピンチョスバーは5時くらいから店を開けて客を待っているが、大通りの店がぼつぼつと開き出すのはバスクでは午後8時くらいである。 9時くらいになれば、人が大勢あらわれる。 一見観光客向けのように見えるレストランでもバスクの町では、ちゃんと食べ物をつくり、きちんと選んだ飲み物を出すので、地元の人のほうが多い。 平日は11時をまわると、ほとんど地元の人だけになります。 いまはまだ8時なので、きみは、もう一軒ピンチョスバーに寄っていこうかなあー、と考える。 さっきのバーは威勢の良いにーちゃんたちがやっているモダン・ピンチョスだったので、今度は伝統的なピンチョスがうまい店がいいかしんない、ときみは考える。 そういうときに行くのは、中年の夫婦者がやっている、こういう店よね。 さっきのピンチョスバーでは、にーちゃんたちが話しかけてくるのは、 「ねえ、きみは昨日の晩のイギリス人の女の子たち3人がやっているバンド見に行ったかい? かっこよくて、足から股間まで熱くなっちまうよ。 おれたち、今日も、見に行くのさ」 なんちゅう話だったのが、ここでは、おばちゃんがカウンタから身を乗り出して、 「どうして、銀行はあんなに汚いんだろう。 わたしとあのひとが苦労して手に入れた家を、手放せなんていう。 あんた、信じられるかい? あんたの国でも、そうかい?」 とシブイしわがれ声で話しかけてくる。 ピンチョス自体もシブイっす。 赤ワインをもう3杯も飲んで、おばちゃんの声につられて奥から出てきたおっちゃんもくわわって、金持ちどもは、つるみやがって、おれたちからカネをむしりやがる、許せないよ、という話を聞き終わった頃には、きみはすっかりお腹が空いて、マジなものを食べなければもたんのお、と考えます。 だから、レストランの通りへと移動する。 そういうときに、豪勢なレストランに行く必要はなくて、ひとりなら20€もだせばワインと水を含めてもおつりがくるようなレストランで十分である。 食前酒は、もう、少し飲んだあとだからとばしてもいいだろう。 バスクの名物、マルミタコ(鰹とじゃがいもとトマトの煮込み)(すげー、うめっす) をまず頼む。腹がすきまくっているので、 … Continue reading

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食物図鑑_その9_マンハッタン中華篇

何を飲むか、というのはほとんど「何を食べるか」によっている。 それはマナー、とかいうようなものではなくて、あるいはマナーの問題であっても、そんな決まりはクソくらえであって、濃厚でスパイシーなシラズはグラスフェッドのビーフステーキには欠かせないし、生牡蠣を食べるのに赤ワインを飲むバカはいない。 鮨を食べるのに白ワインを飲むひともいるが、「日本の白ワインは鮨とあうものがあるんだよ」なんちゅうひとは、味蕾が国粋主義に傾きすぎているのだとしかおもわれぬ。 逆に、ワインを飲まないガリシア料理とかバスク料理、あるいは北でも南でもフランス料理を想像すると、考えただけで索漠として、そんな食事をするくらいなら、マクドナルドのドライブスルーに並んでフィレオフィッシュをほおばりながら世を儚んだほうがマシである。 だからたとえばスペイン料理を食べれば、どうしてもワインを飲んでしまうであろう。 こういうことを日本語では「不可避」という。 モニさんは、とてもマジメなひとです。 わしのように日曜日の朝に嬉しいことがあったからとゆってチ○チンを振り回して喜んだりしないし、金曜日の夜中の広場で酔っ払って禿げ(スキンヘッド)をからかって、頭をペタペタしたりもしない。 マジメなひとの如実な弊害は、他人がフマジメによって不利益を被ろうとしていると、おまわずマジメにしなさいとゆってしまうことで、そーゆーわけで、わしはときどき酒を飲まない日なり期間なりをつくらされる。 わしの頭は、別に考えなくても、モニが「….しなさい」というと、自動的に聞いてしまうモニATSがついているので、飲むな、とゆわれると飲みません。 ヘーキである。 モニが、今日は飲むのやめよーね、とゆいながら、自分だけシャブリを楽しんでいても(たびたび、あります)別に我慢できなくなったりはしない。 しかしモニのほうでは、わしをかわいそうに思う気持ちがあるよーで、たいていは純粋にモニの思いつきだけで決まる、今日は飲むのやめようね、という日には、中華料理、インド料理、マレーシア料理、中東料理というようなものを食べたい、というようになった。 食べ物に飲み物が随伴していないからです。 わしは、もともと酔っ払いなので、こういう料理のカテゴリで好きなのは連合王国人の国民食であるインド料理だけだが、どーせロクな食べ物がないマンハッタンでは、たとえば中華料理みたいもんでも食べてみよう、ということになった。 四川で大地震が起きて以来、世界中には四川人が現れて、他の地方の中華料理の味からは想像もつかないくらいおいしい料理を饗しているという噂は、わしも聞いていた。 でも、マジメに食べてみるべ、と思ったのは今度が初めてです。 酸辣湯 に始まって、 担々麺 や涼拌麺 に続き、麻婆豆腐 で終わる四川料理を食べにでかけてみると、おもいのほかおいしいので、 酒を飲まない昼食には、結構よく食べにでかけたような気がする。 日本の人がたくさんいる「麻婆豆腐」というミッドタウンの料理屋や 大四川料理、というとぼけた名前の料理屋です。 四川料理に味をしめて、中華街にもでかけた。 「あーのさー、今度はじめて中華料理もおいしいんばあー、と思ったんですけど」と中国人の友人たちに話してみると、みな大喜びで中華街のおいしい店を教えてくれた。 わしが最も気に入ったのは、ラファイエットの料理屋で、ここは味が上品であると思った。おおげさではなくて味が「典雅」で、中華料理にも、こんな味がつくれるのかと驚きました。あくまで軽い、それでいて強い、繊細な味で、いまのシェフは限りなく天才に近い、と考えた。 このひとはサラダをつくるのも天才です。 ディムサムも、だから当然うめっす。 このディムサムソースを見よ 台北の鼎泰豊(ディンタイフォン)よりうまい小籠包をわしは初めて食べた。 うまいうまいばかりではバカみたいだが、このひとがつくるものは、ほんまにうまいのだからやむをえない。 アスパラガスの炒め インゲンマメと豚の炒め 野菜ときのこのポット 極めつけはチャーハンは、ぶっくらこいちまうくらい上品な味である。 うめっす。 夜、行ったのでいまみたら殆ど何も写ってない北京ダックも極楽どした。 … Continue reading

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