Monthly Archives: September 2011

「フクシマ」を希釈する

フクシマダイイチの原子力発電所の事故のあとで、日本の政府が採用することにした収拾方針は、少なくとも事情を注視していた外国人たちにとっては、びっくりするようなものだった。 「正しい」とか「正しくない」という以前に、そういう考えもあるのか、という驚きが先に立つようなものでした。 日本政府のフクシマダイイチ事故に対する基本的な収拾の方針は、要するに、 「福島一帯の事態を日本中に薄く広く拡大して日本全体を低濃度の福島にする」ということだった。がれきを運び出して、他県にまんべんなく再利用させる。 食品の安全基準を放射能に関しては緩めて、東北産品をなるべく買いやすいようにして、被災県の復興を図る。 こういう奇想天外な、といって言葉が悪ければ西洋頭ではどう逆さにしてふってみても、床にばんばんたたきつけても、ぶんぶん振り回しても出てくるわけがない知恵、というのは如何にも日本的だが、それにしても低放射能被曝が健康に(数年あるいは数十年後)被害を与える、という前提があれば出来ないことなので、官民をあげて「放射能よりも心的ストレスのほうがよろしくない」といいまくっていたのは、同じ文化的ベクトル上に、阿吽の呼吸で現れた、もうひとつの「超日本的」な反応だと考えれば、背景にある少し縮尺がおおきな「日本的な図柄」というものが見えてきそうです。 わしの初めの感想は、「ひゃああー、日本のひとは放射性物質が有害だ、と正面から考えるのが嫌だから、ヘンな理屈をこねてるだけかとおもったら、本気でダイジョブだとおもってたのか」という驚きでした。 ま、たしかに、何度も述べたように「放射性物質の蔓延が環境化する」なんちゅうことは、いままでに人間が経験したことのない事態なので、理屈は「危ない」ほうにも「ダイジョブ」なほうにも、どーとでも立つので、ダイジョブだ、と考える事は出来るが、少なくとも英語人は、そういう場合、「わかんねーんだったら危ないっちゅうことにして、あんまり寄らんようにせんとな、くばらくわばら」と考えるが、日本のひとは決然と「ダイジョブ」のほうに民族の興廃を賭けてZ旗を挙げてしまった。 びっくりした、というのが感想です。 こんなこと、あるのか。 こういう危急のさいに「歴史」みたいなのんびりした事をいうのは、それだけで顰蹙であるが、しかし、将来の歴史において、日本人の賭けがうまくいくにしろ、外れるにしろ、この決断だけで、歴史の教科書のおおきな項目になるのは確実であると思う。 賭がうまくいってもいかなくても、「フクシマ希釈計画」によって、初めの数年に起きる事の第一は復興のための土木工事に手をつけられることで、いまの「結局、日本のような巨大な経済を上向かせるには公共事業しかありえない」という日本の行政府の考えからすれば、「福島復興事業」は、そのまま巨大な経済のインセンティブになる、という読みだろう。 官民ともに一石二鳥で、ここでやっと震災にはつきものの「復興景気」を望める、という期待をしているのだと思われる。 日本の経済は金融技術を欠いている上に区々としたハードウエア開発技術以外はITが完全に欠落しているので、実際に有効に稼働できる産業というのは、公共事業の、土木、建設、というような旧産業の割合がバカみたいに大きいのです。 東北復興事業の本格的開始を阻んでいた「放射能」の問題がなかったことに出来れば、いよいよ冷や飯食いの旧産業にお鉢がまわって、景気の回復を起こすことができそーだ、と武者震いをしているに違いない。 賭がうまくいった、すなわち、これから政府が日本中にまんべんなくばらまこうとしている放射性物質の害がたいしたことのない場合、どんなふうになるだろう。 1 日本は放射能が危険でない、ということを生体によって実証した初めの国になる。 これは意外におおきなインパクトを世界の将来にもたらすに違いなくて、たとえば劣化ウラン弾、というような戦場の健康被害が云々されているものにおいても謂わば「使用をためらう気持ち」の閾値が低下して、核兵器が戦争で使用される確率が高まるだろうと思われる。そういう傾向に弾みがついてしまえば「核兵器の通常兵器化」に近いことが起こるかもしれない。 核兵器の使用が長くためらわれたのは、その核エネルギーの破壊力の大きさ自体よりも、その「汚さ」が問題であったので、大規模な使用は、その「汚い」放射性物質が結局は人類の滅亡をもたらす、という共通した認識があったからでした。 それが、放射性物質は低被曝を長期にもたらす程度の量であれば広汎にばらまかれても害がない、という認識になれば、軍人にとって、あるいは軍に対して使用を命令する権利をもつ「個人」であるアメリカ合衆国大統領にとって使用をためらう理由はあまりなくなる。 良心の呵責なしに核兵器が使用しやすくなる、ということになるでしょう。 2 グリーン系の党の内部で「二酸化炭素による温暖化のほうが原子力利用よりも遙かにリスクが高い」という声がたかまって、主流派になる 現在でも たとえばGeorge Monbiotのような環境活動家はほとんど熱狂的というべき態度で原子力発電を推進しようとしている。 http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2011/mar/21/pro-nuclear-japan-fukushima 各国の環境保護団体や緑の党、グリーン○○を標榜する政治団体は、ニュージーランドとオーストラリアを除いて、それぞれの党派のなかに「火力発電全廃・風力発電反対・原子力発電を100%に」というグループを抱えていて、特に理論派と目されるグループには、原子力を支持する論客が多くいる。 向こう5年、という時間が経過したあとで日本政府が目立った放射能による健康被害を認めない、という場合には、彼らがグリーン党派の主流になる可能性はかなりあるはずです。 賭に負けた場合は、どうなるか、というと言うまでもない感じがするが、一応、対比の公正を期すために、二三のことは書いておきます。 1 放射能の環境化から一歩すすんで身体の「内部化」した放射能がほとんど全国民に影響するだろう 日本に5年間11回にわたる遠征をしていた頃、それでも東京のような「ものすごく日本的な環境」というのは一ヶ月いるだけでも、ものすごく疲れるので、軽井沢というところに「山の家」をもっていたのは、このブログを読んでくれているひとたちは知っているはずです。 その「山の家」を起点に、モニとふたりで日本の田舎のあちこちに出かけるのが、わしらの楽しみだったが、そうしているうちに農家の人の誰彼と仲良くなったりしていた。 そういう「庄屋さん」筋の農家のひとたちがよく笑って述べていたのは、たとえばある土地に、その土地のものが大層うまい、ということになっている名産品のりんごならりんごがあると、そのりんごの箱があちこちの県の農協に売れる、というようなことで、農家のひとたちは、「うちの農協なんか、『箱』が売り上げの一番なんだからさ」とゆって、よく朗らかに笑っていたものでした。 農家のひとびとにとっては、たいして味がかわるわけでもないのに、ひとつの土地の名前がはいっていれば有り難がって二倍三倍とオカネを払う都会の消費者を前にして、「箱」を融通して名前がない、あるいは人気がない県の産物を「応援」するのは、ごく当然な、普通の助け合い行為であることを、わしは学んで感心したことがある。 そこから、農家のひとたちの親切心によって、福島の農業のひとびとを救援するために自分の農協がある産地の名前を貸す、という行為を想像することは、どちらかといえば自然なことで、都会のひとびとが想像するような「腹黒い農家」というような姿とはだいぶん違っているようです。 農業に従事しているひとたちにとっては、ただでさえ、日頃から自分達が社会的に風下におかれている、という気持ちがあって、農業従事者同士の連帯感のようなものがあるようだ。 まして、棄農せざるを得ない立場に追い込まれた東北農家に頼み込まれて「いやだ」と言える、というのは日本のひとの心のもちようから考えて、たいへんに考えにくい事だと思います。 そういうことを考えると、人間の身体の外側で環境化した放射性物質が日本人全員の身体の内部にはいりこんで、だんだん濃度をあげながら内部被曝をつづけてゆく、というのは日本政府と民間が必死の努力を払って防ごうとしてもなお、防げない事態だという感じがする。 まして、政府が「国民全体が痛みを分かち合う」という表現で、東北産品が全国に拡散する心理的壁を取り払って、それどころか、ほとんど音頭取りを始める決心をした、という状況では、放射性物質が様々な形で、北海道から沖縄まで、全国に、薄く、まんべんなく行き渡るのはほぼ確実であると思われる。 その場合、日本ではほぼ公式に、といいたいくらいきっぱりと否定されている考えであるのを承知の上で言うと、英語人の普通の「常識」に順って述べれば、というか英語人の迷信を述べさせてもらうと、(まあ、そう目を三角にして怒らないで、鷹揚な気持ちで日本人とは異なって迷信深い未開な西洋人の信じていることを聞いてもらいたいと思うが) わしらは放射性物質、とりわけセシウム同位体のようなものは、内部被曝によって肺上皮のような感受性の高い組織に癌がひきおこされるということに加えて、ファインマン博士が低放射能被曝をした30年後にそれが原因で死んだlymphoplasmacytic … Continue reading

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返信十番勝負

毎日、ゲームをやったり、浜辺を走り回ったり(犬さんみたいでんな)、カウチでごろごろして本ばかり読み耽ったりしているあいだに、コメントのご返信がたまってしまった。 返信を書くのを義務と感じているわけではないし、掲載しないコメントも多いので、コメントが載っているということは要するに自分が返信したいから載っているわけですが、しかしニュージーランドの家にいると、どうも怠け癖がついてしまう。 とゆーか、居心地がいいので遊んでばかりいて、それに時間をとられてものを考えたりしなくなってしまうよーだ。 顔(wiredgallileo)ガリレオさま、(「愉快な友達」) >日本の愚かさが現在の原発をめぐる状況を起こしたのは全くそのとおり。ただ、前から書いてきたように、今回の事故は、これまで世界全体で隠蔽されてきた原発の問題点が表に出たもので、これまでも原発は、ウラン採掘場やセラフィールドやラアーグの再処理工場等も含め、周辺住民や労働者に被害を与えながら、それらは無いことにされてきた。 わしの実感でいうと、「隠蔽されてきた」というよりも、大学の自主講座やなんかで知っていたことなのに、なんとなく「忘れてた」というほうが近い。 いま盛んに日本でもいわれている放射能性物質の「リーク」とか、もんじゅの構造上の欠陥とかはもとから、知っていたわけで、相当知的に怠慢な学生でも、そのくらいの知識はあったと思います。 冷戦構造というものが存在して、核が「絶対暴力」の魔王として知識人や芸術家の上に君臨し、「おれがあばれりゃ、お前らの知性なんてゴミよ」をやっていた頃には、たとえば欧州でも知識人たちは、ずっと緊張して核と対峙していた。 それにつられて、というのはヘンだが、情緒的には、つられて、でもよさそうな気がする、原子力発電への目も厳しかったわけで、それが冷戦後国内国外ともに苛烈さをましてきた経済競争のなかで、なんとなく、いいことになってしまった。 わしなども、なかなか安い遊びとして重宝していたフランスをクルマで旅行したりするときには、風景が美しい地方に行けば決まって湯気をたてている巨大徳利みたいなヘンなあの建造物を遠望しながら、そうゆえばあの技術はあぶねーんだよな、とちらと考えて終わりでした。 だいたい意識のなかでは、技術としてのダサさ、古さ、エネルギーとしての原油よりも短命なアホっぷり、というような点から、早晩なくなるだろう、と漠然と考えていて、まさか、そこに土木族顔負けのおっさんたちがしがみついているとは、(漠然と知ってはいても)考える事ができなかった。 だからフクシマダイイチのニュースは、「しまった。ぬかってしまった」であったと思います。 >中国インド中東等、原発は引き続き世界全体に拡散しているわけだけど、福島が起こっても原発が止まらないなら、たぶん人間はもうダメだろう。 わしは、フクシマダイイチ以降、友人達と話して、西欧世界においては、フランスも含めて、早晩、とゆっても30年くらいの単位の時間でですが、原子力発電は退場して石炭に道を譲るだろう、と思っています。目下は血迷って風力を推進しているが、あれも「風力族」(日本にもいるそうで、一基一億「抜ける」と堂々と公開の席で言い放っているおっさんがいました)がいるので、なかなかやめられないようですが、ダメなものはダメなので、風力をあの勢いで消費すると環境破壊が顕在化するのは明らかなので、原子力と風力が一緒に退場して、クリーンな形で使える石炭エネルギーに切り替わってゆくと思います。 コンピュータ制御でON/OFFする技術そのものはすでにIT技術がちゃんとしている国には存在するので、ボイラーのようにマヌケな銭湯屋のように一日24時間沸かしっぱなしの原始的な発電に較べると燃料効率も格段によい発電になるはずです。 目下の日本政府の問題と見えるものは、自分で見える範囲で書くと、日本の教育制度が妙にくっきりと「文系」「理系」に分れていて、文系人には、知識はいうに及ばず、 まるで科学への勘がなく、どこか頂上からは遠くにいるらしい理系人があれこれ言うなかの都合がよい部分だけをとりだして、耳にいれる官僚の言葉を鵜呑みにするしかない人間たちが 原子力事故の指揮をとっていることにあるように見える。 ご存じと思いますが、日本の行政府では信じがたいことに未だに同じ1種公務員でも理系出身者は「技官」扱いであることが多く、理系の知識があることは事実上ハンディキャップになっている。 まるで儒教世界のようなもので、繁文縟礼に長けた「文系」人が取り仕切っているのが、いまの日本の行政府です。 どうも、そこに、あの不思議な対応の原因があるよーだ。 >全体的にいえば東日本はチェルノのときのヨーロッパ的な汚染で、ときどきホットスポットがまずいという感じ 主観的に「おもってない」というだけのことですが、わしは、そう思ってない(^^) チェルノブイリは事故のありかたがフクシマダイイチとはまるで違って、前者は爆発を伴って、噴き上げられた放射性物質が広範囲に飛散して比較的高濃度の放射性物質をばらまいて短期間に収束したが、後者は、爆発は小規模な通常爆発であったものの、チェルノブイリに較べれば大量と推測される放射性物質が海と地下とへ出ていった。 しかも政府が長期間「封じ込め対策」をとらないまま、いまに至っているので、放射性物質が次第に拡散して環境化しつつある、と思います。 この謂わば「薄い広汎に環境化した放射性物質」というようなもののなかで人間は生活してみたことがないので、この先どうなるか、全然わからない。 いいもわるいも判るわけはなくて、その点でチェルノブルは参考にならないと思います。 >原発をやめたら経済はどうなる、とか言ってる人 その手の議論は英語世界でもむかし出つくした感がありますが、要するに科学音痴のひとびとが、いまきみの机を照らしてる電気スタンドは、このコンセント(っちゅうんだっけ、日本語では?)をひっこぬくと、消えるんだぞ、と怒鳴りまくっているだけのことで、アホらしい、っちゅうか、時間的な整合性をちゃんともたせてやめればいいだけのことで、そういう意味においては原発をやめても経済なんかどーもなんねーよ、というのが答えだとしかいいようがない。 そういう人達は石炭エネルギーというと彼らが小学生の頃は日本の小学校の教室に必ず有ったはずの達磨ストーブでボイラーを運転するところを思い浮かべていそうなので、あんまり話をする気にもなりません。 顔(wiredgallileo)ガリレオさま、(「幽霊だぴょん」) >シュタイナーは、人間は4つのレベルからなると言っている。 シュタイナーというひとは、わしには、どうも仮説の建て方がへたくそであるように思えます。 装飾的で、本質の解明にいかにも役に立たなさそうな仮説の建て方をする。 わしは、またスウェーデンボルグについて2つ目のブログ記事を書こうと思っていますが、彼のほうにずっと興味がある。 「宇宙と霊界はすべからく人間の形をしている」というのは、一見ほどバカバカしくはなくて意外と説得力のある仮説だと思います。 彼の意見によれば、霊界が現実で、われわれが現実と思っているほうはいわば出張所に過ぎない。 人間が人間の形をしているのは、人間のほうで宇宙の形を借りているからで、脳という器官は霊界でわれわれがもっている機能をこの現実世界で代償的に機能させるための機械だという。 ねっ? これだと、仮に彼の仮説が正しければ、(多分ウソだが)幽霊が口を利く原理も説明できるわけです。 >死後も自分の意識を統一できるだけのエネルギーはなく、「意識の海」に溶けてしまうけど、強い「残念」があると、ある程度現世に影響できるんではと。 … Continue reading

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散歩やねん

1 ポプラの長い影が射しているカンタベリーの道を歩くと、人間が小さな存在であるというしょーもない事実が実感される。 自然と人間の物理的な縮尺比って、こんなんだったんだなあー、とマヌケなことを考えます。 間尺に合わない、と日本語でいうが、こんなだだっぴろい、歩いても歩いてもすすまないようなところにおっぽりだされてしまうと、人間の文明というものの心細さが実感されてしまう。 人間は、長い歴史のあいだ、ずっとたいへんだったんだ、と妙なことを考えます。 カンタベリーの田舎道を歩く、というのは(あたりまえだが)町を歩くというのとは随分勝手が違う。 ちょっと油断していると曲がる角を間違える。 間違えても、もうよく判っている近所であるはずなのに、しばらく気がつかないのは、簡単に言って右も左も後ろも前もパドックで、何の変哲もなくて、区別がつかないからです。 そのうちに、ありー、黒と白の斑でなくて、茶色い牛さんなんていたっけ? と牛の種類の相違で、いつもと様子が違うことに気がつく。 気がつくと、ですね、そこから10キロくらい余計に歩かないと家に戻れないのですね。 「行き倒れ」という言葉が頭を掠めます。 龍馬は死んでも仰向けのままだった。 木口小平は死んでもラッパを話しませんでした。 三河の侍は、ことごとく敵のほうに頭を向けて討たれていたぞよ。 どれも、ほんとうではないそーだが。 大きな、まったいらな草原に、たったひとりで立っていると、世界がおおきいことよりも自分の存在の小ささが胸に迫ってきて、神がいなかったりすると、ひとりでやってけるわけがねーだろ、という気持ちになります。 2 カンタベリーというのは、変わった気象で有名な土地柄で、連合王国もところどころ、たとえば丘の上に立つと、立っているところはよく晴れた夏なのに、少し向こうでは雪が降っていて、そのまたもうちょっとむこうかしでは、土砂降りになっている、というようなヘンタイみたいな天気が散見されるが、カンタベリーは、もっとヘンテコな天気がある。 パドックで馬の世話をしていて、ふと上を見ると積雲が手がとどきそうなほど近くまで、というのは低いところに降りてきている。 「積雲が低かったら、層雲でしょーがね。きみは定義というものを知らないのか」ときみは言うであろうし、まことにもっともなご発言でありますが、でも積雲なんです。 あの、夏の空高く、白く輝きながら巡航する、ほれぼれするような美しい雲。 それが、なんだかはしごで届きそうなところに、ぼおおおーんと浮いている。 お手、もめんどうくさいとやらないバカ犬のJが、ぶっくらこいて吠えまくっておる。 馬さんのEも、悲しげに雲をみつめている。 馬は草食動物で顔の両側面に目がついているので「見つめる」ということは出来ないが、 表現上、みつめているのね。 あるいはむかしどっかのなまけものの技師が定規でまっすぐの線をひいてつくったに違いない、どこまでもどこまでもまっすぐでスピードを出しすぎて死んだバカガキどもを記念して立てた白い十字架がいっぱい並んでいるオープンロードをクルマで走っていると、突然、雲につつまれてしまう。 そうすると、きみはまた、地上にあるなら、それは雲でなくて霧というのだぞ、というだろうが、そんなことはわしも判っておる。 しかし、「雲」という質感と量感を備えた霧なので、目撃すれば、みな「雲」と証言したくなる霧なのです。 しかもそれが丁度腰までの高さしかない。 ところがそれが薔薇色の、光に包まれた、どう言えば少しは表現できるのか、この世界にはあるはずがない、と言いたくなるほど美しい色彩の光に満ちた雲であって、そのときは、霧のなかの運転に慣れているワイマカリリ・ドライバーたちも、みな路肩にクルマを駐めて、あるひとは肩をだきあって、うっとり、というよりは呆然と、その、この世界のものとは思われない輝きをみつめていた、というか、もう少し精確にいうと、輝きのなかに包まれてたちつくしていた。 ああいうところに住んでいると、神を信じる、なんて、へっへ、旦那、ぞうさもねえことでごぜーやすよ、という気がします。 十字をきって、思わず、祈っているひともいたが、特にカスタードプリンに祈っているとも思われなかったので、多分、神を感じたのであると思われる。 3 都会を歩く、というのは、同じうろうろするのでも、田舎道を歩くのとは、形態は似ているが本質的に異なる行為です。 チェルシーのアパートを出て、階段を、どどどどどと、ブローニングM2のような勢いで降りる。 ホールのおばちゃんに、おおおーし、と挨拶して、通りにでます。 チェルシー、といってもわしのアパートはヴィレッジとの境界にあるので、ストランド書店 http://en.wikipedia.org/wiki/Strand_BookstoreContinue reading

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われらの力

18歳のきみは、午前3時の台所の冷たい床の上に素足で立っている。 ひとがもう皆、寝静まっている、こんな時間に起きているのは、特に理由があるわけではない。 眠れないので、ただ起きていただけのことです。 ただ、ぼおおーと起きていると、いったいこんなことやっていてガッコーを出たらどーするんだ、とか、博士号とると就職なんてねーぞ、という噂だが、なんだっておれは、そんな途方もない先のことを考えているんだ、とか思考だか妄想だかもよく判らなくなった自分の頭のなかにうんざりしながら、冷蔵庫のドアを開けて覗き込んでいるところです。 チェダーチーズの切れ端、一個しかない、いつ買ったのか思い出せない卵、ベーコンがふた切れ、それしかない。 なんだか壮絶な、何もない冷蔵庫だなあー、と考えたところで、きみは、ふと、きっと、この同じ時間、たったいま、自分と同じように貧弱な内容の冷蔵庫のドアを開けて、腹が減った、と考えている、もうひとりのきみ、3人のきみ、何十人、何百人という「きみ」が、世界中にいるのだという絶対の確信に襲われる。 きみが、妹が偶然台所にいあわせれば、実の兄ながら見るからに身の毛がよだつ、ヘンタイみたいなものすごい笑みを浮かべていたのは、そのせいです。 それなのに、110番するなんて、ひどいやん。 ニュージーランドの南島というところは、やたらと人間が少ない島で、坪で言えば60万坪、なんちゅう牧場はザラにあります。 羊は特に、あの、なんとなくばかばかしい前歯で草の根っこごと掘り起こして食べてしまうので広い土地がいる。 最近、羊を飼う農場がどんどん減っているのは、おおもとはジーンズの普及のせいで、ダメ押しは中国の羊毛の値段に逆立ちしても牧草の上でブレークダンスを踊ってもかなわなくなったからだが、手間がやたらとかかる羊が、現代の農場主たちの好みにあわなくなったからでもある。 牧草地を売って、ひとつ40エーカーくらいの小さな牧場に分けて土地を売るようになり、それをまた小さくわけて、8000坪くらいの「ホビー・ファーム」を売るようになった。 60万坪や百万坪の農場は、だいたい山に囲まれた谷間のようなところにあって、冬には四駆でも道が通れなくなって、パドックの滑走路から飛行機で買い物に行ったりします。 そういう農場の家はさすがに孤立して立っていることがあるが、通常の10万坪、というような農場の家は、お互いに見えるところに建っている。 カンタベリーの最も典型的な家のつくりかたは、交差点の四隅に面して家が建っていて、そこから放射状に牧場地が広がっている、という家の建て方をする。 農場に電話線や電線をひくときには、引き込み線のぶんだけ自前で払う、という理由もあるが、「他人が見えないところに住むな」という。 遠くから、顔があった同士が、手をふって挨拶できるくらいがいい、という。 人間は「社会的動物」だ、というが、なにもそんなに肩をいからせなくても、人間は他のひとが見える生活をしていないと不安に陥りやすい生き物だ、ということなのでしょう。 わしのむかしからの友人ナスどんが、息子と娘の健康を心配しているとき、 「放射性物質なんて、健康の被害はないんだよ」という人に出会って、「この人は姿が見えない人だ」と考えて意気消沈してしまうのは、だからであると思われる。 この目の前に立っているひとは、人間で「個人」の姿をしているが、ほんとうは「国家」というものの部品にしかすぎなくて、人間だけど機関の部分にしか過ぎないのではなかろうか。 ううっ、寒い、寒いぞ! と震えながら、きみは、夜明けまではまだ全然遠い、まっくらな外が映っている窓のそばのテーブルで、一個だけの、フライパンにいれたら黄身が広がってぺしゃんこになったところがやや不審な目玉焼きと、甲状腺癌のことを考えていたら、バセドー氏病に考えが行ってしまい、あれはなぜ眼球が突出するか順を追って説明できるのかおれは、と考えていたせいでちりちりになって干物のような情けない姿になったふたすじのベーコンをわびしく眺めながら、スタウトを開ける。 すると、また、その侘びしさの奥の方から、「おれはたくさんいるのだ」という、あの「聞き取りにくい声」が聞こえてくるようです。 寒い夜に、十分な準備もなく、ひとりぼっちで、膨大な未来の影に怯えている、何百、何千という「自分」が、外の闇の向こうにいるのを感じる。 とりあえず、あの訳のわからない熱力学の本が理解できるようになる頃には、おれは「誰か」に会えるだろうか、その「誰か」とおれは、決してつるむことなく、おれはオレジルシのニコちゃんブランドを保ちながら、「誰か」とも分かり合い、時間をともにしあって、あるいは感情を交換し、理解すらしてしまいながら、とうとう最後にはお互いに「ほんとうのこと」を打ち明けてしまい会える、あのパラダイスにたどりつくだろうか。 午前4時の爆走する妄想みたいな頭のなかで、きみは世界中の「きみ」と連帯し、ふざけんなおれは放射性物質にひたって暮らしたくなんかないのだ、と明瞭にいいきり、 おれはどのような意味においても社会の部分なんかではなく、このかっこわるい耳たぶも、奇妙に長い、足の二番目の指も、不細工に突き出た膝小僧も、全部おれのもので、おれだけの所有物で、日本という国はまったく判っていないようだから念のためにゆっておくと、おれの魂だっておれのものだ、と再確認する。 そう、ものくるおしけれ、とまでに考えて、冷たい窓をおもいきって開けて街をよくみると、午前4時もまわったクソ時間に、あちこちのビルの窓が点点と明かりを灯していて、 全体の部分になれなかった、たくさんの「きみ」が、あるいは無理矢理にゲームに夢中になり、あるいは頭から毛布をかぶって声を殺して泣き、または枕をうなじの上においてうつぶせに伏せるという複雑な姿勢で絶望し、アマゾンで買った2000円のベンキョー椅子に腰掛けて壁の一点をドリルで穴をうがつように見つめ続けている、たくさんの「きみ」がいるだろう。 日本にいたとき、日本人は「集団で力を発揮する国民だ」と聞いていたのに、わしはそう感じなかった。 悪く言うと、「どのひとも言うことは同じなのに、てんでんばらばら」と感じたものでした。 集団が集団の利益を追求して集団行動をとるためには、個人がてんでんばらばらでないと統制するのに都合が悪いのは論理的にいってあたりまえで、わしの観察では、日本という国では、社会全体が個々人を分断するために周到につくられていた。 国家の「部分」として個人の力が最大限に利用できるように文化としてうまく準備されていたと思います。 社会の都合と異なる意見のもちぬしがあらわれると、以心伝心で、彼もしくは彼女が「価値のないもの」であることを既定事実であるかのように見せかける腕前は、芸術的、というか、まるで訓練の行き届いたサッカーチームの試合を観ているようで、自分が対象になっているときでも、結構たのしめるくらいのものであった。 それがフクシマダイイチの事故が起きてから、変わった、と思っています。 どうも「部品」たちが人間として目をさましてきて、(日本の政府や支配層にとってはたいへん都合が悪いことには)、「個人」になってしまいそうである。 60年代を通じて団塊世代はヘルメットをかぶって、自分達を「共産主義の兵士」とみなして、ヒロイズムに酔ったようになって街頭で戦ったが、彼らが一様にタオルで顔を隠していたのは、「闘争」を「卒業」したら一流企業に就職するためでした。 件のトーダイおやじたちに訊くと、「一流」と目される就職先で、自分が全共闘にいてクソあばれにあばれていたことを隠さなくても就職採用に影響しなかったのは、日本では「通産省上級職」だけだったという。 他のたとえば東芝や三菱や日立、政府ならば大蔵省、というような大組織にはいるためには、髪の毛をさっさと短くして(「リクルートカット」という言葉があったようだ)、「造反有理」の口をぬぐって、「もう、この世は根性っすから!」と面接の席で愛嬌をふりまいていたもののようである。 … Continue reading

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過剰な光量の午後

1 メンチカツ、というものを食べたことがなかったので、モニと妹がふたりで出かけて留守になったのを幸い、つくってみることにした。 タマネギをフードプロセッサでかなり細かいみじん切りにして、オリーブオイルで気長に炒める。 湯気が出なくなって、「きつね色」に色が変わったところで、アンガスビーフを挽いた牛挽肉のなかにぶちこみます。 さまさないのか?と訊かれそーだが、挽肉がちべたいので、たまねぎは熱いままでもダイジョーブだ。 卵と2斤1ドル60セントのスーパーマーケットブランドの食パンを、やはりフードプロセッサで「パン粉」にしてあったものを混ぜながら、要するに「ハンバーグ」をつくって カノーラの入っているフライヤを使って、ふつーにレシピ通りつくった。 結構、うまいやん、と考えました。 平たくならなくて、なんちゅうかピロシキみたいな形になっちゃったけどね。 ふくふくとした食べ心地で、肉料理というよりはお菓子のようである。 何をかけて食べるのか、よく判らなかったので、ジャンクフードなんだからトマト・ソースだべ、と考えて、トマト・ソース(アメリカ語でいうケチャップ)をかけて食べた。 食べてから、日本の人の頭の良さにボーゼンとしてしまいました。 こんなに不味そうなレシピで、こんなにうまいものをつくるなんて、頭がどうかしているのではなかろうか。 2 まだこうして日本語ブログを書いているが、日本の事は相当判らなくなってしまった。 わしにとって重要な「日本の素」である義理叔父がニューヨークに居っぱなしになってしまって、ニューヨークとオークランドでは時間差があわないので、あんまり話をしなくなってしまった、ということがあります。 義理叔父は、自分の会社を隠居してからは、わしの仕事を請け負ってくれているので、仕事の話はするが、仕事の話をしているときは、お互いに別頭で日本の事なんか考えていないし、言語も英語なので、全然わしが頭のなかに蒐集した「日本」の足しにならない。 日本語のニュースサイトを読んでみるものの、なんだかひとつの出来事に対する社会の反応がぜんぜん訳わからん、というか、全体に絵空事を見ているような感じがします。 社会的な事象では、簡単に言ってフクシマダイイチ以外は関心がないが、この事故がどう収拾されつつあるかが、もう判らなくなってしまった。 原子力発電というものがいかにダッサイ技術であって、増殖炉が「自爆型」とゆわれるくらい構造的に危ないので(エネルギー政策としての)論理的にも破綻していることについては何回も書いて自分でもうんざりしてきたので、もう書かないが、日本の人の「議論」は延々と続いて「トリウム溶融塩炉ならダイジョーブだ」という意見まであるのを発見して爆笑(ごめん)してしまった。 中国のニュースかなにかを見たのだろうが、まるで、新しい言葉をおぼえて浮かれて使いまくる子供のようで、かわゆいとゆえなくもない。 子供なら、かわゆいが、あんな弱火にした核爆弾で巨大ヤカンの水をわかしてます、な原子力発電のような後進的クソ技術が、原料をトリウム溶融塩に変えたくらいで、まともな技術に変貌するわけがない。 爆発しねーんだぞ、というだけのことです。 中国が最近になってトリウム溶融塩炉に興味をもっているのは、要するにこの先原子炉を輸出するときに、トリウム溶融塩炉じゃないと、核兵器開発輸出と同じになってやばいやん、という長期戦略だろうが、どうも中国のひとは相変わらず技術的センス悪いよねえ、と思うだけです。 ああいうダッサイ技術というのは、クールさをもって旨とする日本の技術伝統にまったく合致しない。 そして、文化と技術の整合性というのは、非常に大事なことなのでごんす。 早川由起夫、という火山灰のビヘビアに詳しいらしい火山学者や細胞医学(老化遺伝子)の研究者であるらしい児玉龍彦というような人が出てきて、特に火山灰のふるまいの専門家ならば放射性物質の拡散状況を調べるにはうってつけで、よかったよかった、と思っていたら、しばらく見ないうちに、すっかり「エセ研究者」「放射能は判らない門外漢のくせにエラソーなことを言うトンデモ学者」ということにされてしまっていて、いったい何故そんな悪罵を浴びることになったのかが、判らない。 なぜだろう? と考えて、途中、攻撃者たちの、あの日本人のそういう事が得意なひとたち特有の巧妙を極めるが薄汚い口吻を我慢しながら読んでいくと。 「被災者の気持ちを考えない」 「ものには言い方がある」 というようなことが悪罵の中心にあるよーだ。 日本にいたときなら、「本当の事を言ってはいけない」ことになっている日本の文化や、 事実を正面から見る、ということを困難にしている、 自分が認めたくない事実や、存在は、論理の全力をつくして「ウソ」であったことにし、 「なかった」ことにする日本の文化と連結して、日本語で文章を書いて考えてみるところだが、いまやそーゆー気が起こらなくなってしまった。 義理叔父とひさしぶりに話しているときに「あの児玉っちゅう人が悪罵を浴びせかけられないのは、要するにトーダイのケンイだからだな。日本人のケンイ大好きブランド主義が思わぬところで良い方に働いて居るではないか。理3だからな。李さん一家、なんちて」とゆって義理叔父に窘められた、という程度です。 いったい、放射能を浴びてもたいした害にならないということになってしまえば、それ以上議論するべきことがあるのだろうか? 前にも書いたが、あとは淡々と「無害な放射性物質」に充填された食べ物を食べ、だんだん汚染(無害なんだから汚染とはゆわないか)がひどくなってゆくと思われる水を飲んで、日々の生活を過ごせばよいだけのことである。 その結果、日本ではまた原発の新設が再開されて、いまの東海村JCO臨界事故 … Continue reading

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友達を捨てる50の方法

ラグビーのワールドカップなので、あの見るからにくさそー(実際にやると、ほんとに臭いです)なスポーツが好きな妹がニュージーランドに来ておる。 ワールドカップ期間中は宿泊代が3倍だというので、ひっひっひ、ざまーみろ、正義とおにーさまは勝つ、とほくそ笑んでいたら、わしのパーネルの家(いまの家のひとつ前に住んでいた家です)に滞在してしまいました。 鍵を変えておけばよかった。 ぬかみそのようにぬかってしまったではないか。 あの「糠よろこび」という叔父の好きなインスタントぬか漬けは、いまでも売っているのかしら。 ラミュエラのモニとわしの家からクルマで5分という立地に陣取って、わしが大事にしているクルマを勝手に運転してギアを入れ間違えて「ギュワン」とゆわしたりしながら、ラグビーを観に行くあいまにわしの家にくる。 (正式試合は昨日からだが、エクスヒビション試合とかは、前からやっておる) 多分、偉大なおにーさま(わしのことね)にコンプレックスがあるせいだと思いますが、テーブルの向こうに座っては、わしの悪口をゆって、きゃっきゃっと喜んでおる。 今度結婚して妹の足に踏みつけにされたまま一生をだいなしにしようとしている気の毒な「婚約者」のにーちゃんが、横でばつのわるそーな青い顔をして、かたまっています。 凍れる微笑、であるな。 気の毒に。 「おにーちゃんの友達ってさ、むかしから、全然、顔ぶれが変わらないじゃない? おにーちゃんの人間としての進歩のなさの日常的な表現よね」 と、妹がゆーのであった。 わしは、マンダリン・オレンジ、すなわち、みかんの皮をむきながら、眉をひくひくさせるが、しかし、妹の主張自体は正しいのであって、友達というのは本来、成長するにつれて変わってゆくべきものです。 自分の精神が成長するにつれて、かつてはあれほどお互いに理解しあって共生の感覚を分かち合っていた友達と話があわなくなってゆく。 ふいに相手が退屈な人間になったように思われ、どうしてこのひとはいつまでも同じようなことばかり繰り返すようになったのだろう、と考える。 ふつうの友人関係というものは、そーゆー展開になるべきものだが、わしの友達は甚だしきに至っては3歳くらいのときから付き合っているのまでいる。 動かぬ証拠じゃねえか、シンミョーにしやがれ、という銭形平次の声が聞こえてきそうであります。 天網恢々疎にして漏らさず、なあーに、お天道様は知らないふりをして、ちゃああーんと見ていなさるんだ。 悪い事をするなら、お天道様が出ない北欧の冬でやってね。 わしは何よりも孤独を尊ぶので、はっきりゆって、友達などは邪魔である。 そんなもん、いらねー、と思う。 ひとと話をしたり、一緒に歩いたり、共に肩を並べて戦ったりすると、思いもかけず、「友達」が生じてしまうが、自分から友達をつくろうと思った事はありません。 例のなんでもかんでもメールで知らせてくれる日本語インターネットを通じて知り合ったひとが、前にコメント欄かなんかで会ったことがあるような気がするodakinという人が「底意地が悪い」と、どっかのなんかで、わしのことを表現していたというが、あたっておる(^^) のみならず、わしは人間が冷淡なのでもあるよーだ。 人間関係にエネルギーを使う必要というものがよく判っておらないので、誰かと団欒を楽しんだり、そのときどきの愉快な会話の場を共につくりあげたり、というようなことは大好きでも、それ以上のつながりを他人と持とうと思ったことはありません。 それなのに、3歳のときから一緒であって、いまでもロンドンのセント・ジェームスというような干からびて時代遅れな通りのビルの二階で会えば、会ったばかりの瞬間から、もうそこで何時間も話し込んでいたひとのように、ふたりでひとつの沈黙を共有し、お互いの顔を肴に、ブランディを手のひらのなかで暖めながら、外の雪、というような話題について、何度もつかえながら、吃音をはさめて、まるで言語に障害があるひとびとのようにただ巨大な沈黙をふたりでつくろうとでもしているかのような会話を、とつおいつ、お互いに、こいつはやっぱり仕方のないやつだなあ、というやさしい気持ちで胸をいっぱいにしながら、際限なく酔っ払ってゆく、あの「友達」というものにいまでも会いにゆくのです。 友達というものが生じてしまうのは、人間の言語の成立事情に由来する「個」としての人間からすれば人間性というものの一種の弱点、欠陥、なのかもしれません。 そうではあっても、友達というものはもたないですめば、そっちのほうが良いに決まっている、という人間の法則は変わらない。 1 くだらない人間と付き合う人間とは付き合わない 2 他人の人間としての生活を脅かすものを許容した人間とは付き合わない というような、いくつかはある「こういう人間を友達に持ってはいけない」という自分に守らせることにした決まりに順って、友達でいられたかも知れない人間との関係をぶちすてねばならないこともあります。 人間は、弱い。 人間は、自分と異なるものも受け入れよう、というような一見、寛容と見える物にひかれたとき、最も堕落しやすい精神の状況に陥る。 目安は簡単で、「自分の価値観と異なるものを受け入れる」寛容というものは、それを受け入れることによって、引き換えに、自分にとってかけがえのないものの幾分かが失われる痛みを伴うのでなければならない。 異なるものを受け入れるときに、そういう存在を賭けた痛みが伴わない場合には、それこそ、賭けてもよい、それはきみの精神が言葉の深い意味での「気取り」から堕落してしまっているだけのことです。 決定的な喪失の痛みを伴わない寛容は、あたりまえだが、自分にとって寛容と見えるものも、神から眺めれば、ただの薄汚い頷きあいにすぎなくて、昔から、自分を神と仮装した悪魔が信奉者をつくるのに使う常套の手段である。 世の中に「寛容」ほど、その本質が腐敗して変質しやすいものはないのです。 心の柔らかい教師が最も陥りやすい罠は、学生の(学問的)興味をかきたてつづける教師であろうとして、場末のスタンダップコメディアンでもあるような、一場の余興を提供する芸人に堕してしまうことだが、そういう心根のありかたが、「出来は悪いが、よいところもある」人間に胸襟をひらいてやろう、というようなときにも、たいていの場合、もう本人の魂は泥にまみれていて、寛容とは名ばかりの、垂直に聳え立つ物はすべてひきたおそうとする、あの暗黒に満ちたものの重力に身をまかせる、怠惰をむさぼっているにすぎない。 … Continue reading

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ガメ・オベールからの手紙_1

1 ぼくは、と書き出すと、きみはのけぞってしまうだろうが(^^)、今日はこの主語のほうがよいような気がします。 ぼくがこのブログを書き出したそもそもの初めには、ぼくは自分がもっている日本語を結集して「日本語の力」とでもいうべきものを作り出し、そうして出来た「日本語人格」できみに話しかけようと思っていた。 だから、このブログからは削除されてしまっている、もっとも初めのブログでは、「わし」は日本人だということになっていました。 ぼくの従兄弟は父親が日本人であり、ともに日本に住んでいたこともあったので、「日本人だ」ということにして世の中を欺しおおせる自信があったからです。 初めは、疑いもなく、それもまた自分の一部である、無軌道で世の中の約束をいっさい守らず、それへの当然の世界からのしっぺがえしとして、いまにも世界から存在を抹消されてしまいそうなgame_over寸前のガキわしの疾走を書こうと思っていたのです。 理由は簡単で、このブログは、もともと「ゲームブログ」だったから。 第一、成功していて、何不自由なく暮らしている人間のブログなど読みたいと思う人がいるわけはない。もともと実際にもっている自分のチョーデタラメな部分を誇張して、それだけで一人格にしてうけちまうべ、と考えたのでした。 それが、いまのようになしくずしに現実のぼくに近付いてきてしまったのは、簡単にいうと、予想もしなかった、すさまじい数の「おちこぼれガメ・オベール」への嘲りと集団攻撃だったと思います。 それは最近でも自分の頭の悪い読者をひきつれて誤読に基づく無意味な罵声を投げつけにきたあげく、「おちこぼれが」と嘲笑しにきた小説家がいたので、きみにも想像がつくと思う。 普段だったら、口を利かないですんでいるはずの、こういう人外の魔境に育ったような奇妙なものに臭い息を吹きかけられるようにして話しかけられるのは、あまりに鬱陶しかった。 現実の「わし」は、ぼくでもおれでもない「I」という要塞じみた主語をもつ英語の世界の住人で、日本語人であるきみが考えるよりも、もっと隔絶して異なる感情世界に住んでいる。 較べるもなにも、ふたつの世界は「まったく異なる」ので、表面に似たところはあっても、それは生物の世界でいう「相似」(analogy)にしかすぎなくて、明治時代に生きた軽薄才子であった福沢諭吉というひとが考えたような「日本人より優秀な先行者」というものでは全然なくて、優秀も劣等も、まるで違うので「較べる」ということが意味をなさない。 ぼくは日本は、やはり「洋化」など考えるべきではなかった、と思う。 仮に洋化が可能な方法が存在したとすれば、普段つかいの言葉を欧州語のどれかにするしかなかった、と思います。 伝統も思考の習慣も異なるのに、日本人は科学の世界ではまったく違和感を感じさせない。 数学や理論物理学の世界では、かなり早くから、たとえばスズキイッペイはスズキイッペイ個人でしかなくて、ときどき何かの弾みで、ああ、そう言えばあのひとには「日本人」という属性があるのだったな、と思う、というふうでした。 それは科学の世界にはかつての欧州のラテン語にあたる「数学」という言葉があるからで、実際にそれを用いて宇宙について考えをすすめていったり、お互いにコミュニケートできる、という点で正に「言語」である数学でできた人格同士、かなりはやくから、高木博士に至っては一生の前半は「日本人」であったのに後半は違う、というくらいの迅速さで、いわば「洋化」した。 「洋化」と書いたが、この場合の「洋化」は通りに立ち並ぶクラブが、みな洋服を着ているひとばかりなので、メンドクサイから、おれも洋服くらいは着て先行者に敬意をみせてやるか、という程度のことで、「脱亜入欧」などという、バカみたい、とゆって悪ければ、いかにも言語が思考人格のすべてである、ということへの理解を欠いた「決意」とは異なって、皮相的な妥協にしかすぎない。 相手のルールにあわせて行儀よくしてやるか、というだけのことです。 「わし」ガメ・オベールには、windwalkerという、いま思い出しても懐かしい、もういちど会いたくなる、激しい民族差別主義者でアニメオタクの友達がいて、あるときついにエセ科学をふりまわして半島人を攻撃しはじめたので、どんな意味でも友達ではいられなくなってしまったが、彼には「自分の頭で考える」という普通の人間にはない能力があった。自分で本で読んだことをいつのまにか自分が考えたことだと思い込んでしまう、このブログにやってきたひとたちでゆえば、あとであらわれた、上に述べたナマハゲじみたなんだかよく判らない集団イジメが趣味らしい作家や他の、ほぼ同列なメンタリティの奇妙でバカバカしすぎて最後まで相手にする気が起こらなかった歴史オタクとはwindwalkerは、その点で決定的に異なっていた。 彼は徹底的に孤独なひとだったが、それは、あの作家と友達たちのようにお気楽に「西洋」をわかったつもりでトンチンカンで噴飯ものの「西洋観」を振り回したりするには、思考的な勘にめぐまれすぎていた彼の「日本語人の孤独さ」だったと思います。 windwalkerは妙に羞(は)にかむ彼らしく、自分の孤独が自分の非社交性からきている、と信じ込んでいるようだったが、ぼくはずっと本当の理由を知っていた。 あのひとが全身で感じ取っていたのは「日本語で考える人間」というものが、この世界でいかに疎外されて孤独か、ということだったと思う。 アニメ、というものを日本人がアイデンティティを保つための神宝であるかのように述べていたのも、そういう理由からでしょう。 たとえば、きみがフランス文化を理解しようと思えば、最小の条件はフランス人とほぼ変わらないフランス語能力を身につけることで、それ以外に方法はありえない、という事情については、長くなるので、また別の機会に書くことにしますが、89歳で死に場所を求めて日本にやってきたドナルド・キーンが日本について何事か意味があることを述べられるのは、戦時通訳としてジャパノロジストとしてのキャリアを始めたキーン先生が、「人格」としてまとまった集合をなせるほど日本語を蝟集させているからであって、ちょうど太陽が自らの巨大な質量と重力によって核融合を起こすように、ひとつの言語体系がまとまった「体」(body)を成すと、その言語が自律的な運動を始めて「思考」というものが始まる。 言語が日本語であれば「日本語の思考」が始まり、フランス語であれば「フランス語およびロマンス語の思考」が始まる。 そのふたつの互いに連関のない自律運動には、架け橋というようなものはありえなくて、翻訳や通訳は、あくまでも生物でいう「相似」(analogy)にしか過ぎない、とぼくは思う。 ガメ・オベールは、そういう意味において、どんな場合にも日本人だった。 2 フクシマダイイチと1945年に終わった日本の戦争には共通しているところがある、と感じている人は多いと思います。 それは結局は身につかなかった派手な服、微妙に形が狭くて足の甲を圧迫する靴、歩き方にあわない靴の踵の形、長すぎる袖のシャツであって、1868年に「洋服でないとダメな乱暴な客がくるから、とにかく、ぐだぐだいってないで、とりあえずのいまは、この服を着ろ」とどやしつけられていやいやながら洋服に手足を通したら、今度は、客がいなくなっても、そのままでいろ、と理不尽に命じられたようなもので、その無理が屋上屋に重なって、とうとう破綻してしまう、という構図が同じである。 たとえば天皇は「絶対」ということになっていたが、あれが絶対だったのは「西洋には神聖な『絶対』権力ちゅうもんが、あるんだってえ」と誰かが言い出して、あたりを見渡して、ぱちもんでもいいから絶対というものに化けそうだったのが、あれしかなかったから「お上」は絶対というものになった。 天皇は、それまでは「生きて動いている神棚」みたいなものだったはずで、いちばん神聖だが西洋のように「絶対的な権力」をもってしまえば、その権力をもつものは相対化されてしまうという至極理屈に適った常識によって権力はもっていなかった。 案の定、絶対パワーだったはずの天皇が戦争にぶち負けてしまうと、説明のしようがなくなって、「あっ、わし、神様じゃなくて人間だし」といいだすという醜態をさらすことになった。 いまの皇室は、もうあまりこの先の将来はないように見えるが、それも無理な洋化のせいと言えなくもない。 「和魂洋才」は、できるわけがなかった、というが、急場はそれで凌いだのでした。 問題は、その後、「急場のでっちあげ」を恒久化させようとした部分にあるようです。 欧州を最下層人として放浪した金子光晴や日本が日露戦争という絶望的な祖国防衛戦争を戦った1904年、ワシントンDCで売春婦との生活に惑溺していた永井荷風のようなひとびとは、そういう事情をよく知っていた。 彼らの一生を通じて響いてくる「日本とは何か」「日本人とは何か」という基底音は、ぼくから見ると、むしろ当然の音調であると思える。 … Continue reading

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