Monthly Archives: September 2011

「フクシマ」を希釈する

フクシマダイイチの原子力発電所の事故のあとで、日本の政府が採用することにした収拾方針は、少なくとも事情を注視していた外国人たちにとっては、びっくりするようなものだった。 「正しい」とか「正しくない」という以前に、そういう考えもあるのか、という驚きが先に立つようなものでした。 日本政府のフクシマダイイチ事故に対する基本的な収拾の方針は、要するに、 「福島一帯の事態を日本中に薄く広く拡大して日本全体を低濃度の福島にする」ということだった。がれきを運び出して、他県にまんべんなく再利用させる。 食品の安全基準を放射能に関しては緩めて、東北産品をなるべく買いやすいようにして、被災県の復興を図る。 こういう奇想天外な、といって言葉が悪ければ西洋頭ではどう逆さにしてふってみても、床にばんばんたたきつけても、ぶんぶん振り回しても出てくるわけがない知恵、というのは如何にも日本的だが、それにしても低放射能被曝が健康に(数年あるいは数十年後)被害を与える、という前提があれば出来ないことなので、官民をあげて「放射能よりも心的ストレスのほうがよろしくない」といいまくっていたのは、同じ文化的ベクトル上に、阿吽の呼吸で現れた、もうひとつの「超日本的」な反応だと考えれば、背景にある少し縮尺がおおきな「日本的な図柄」というものが見えてきそうです。 わしの初めの感想は、「ひゃああー、日本のひとは放射性物質が有害だ、と正面から考えるのが嫌だから、ヘンな理屈をこねてるだけかとおもったら、本気でダイジョブだとおもってたのか」という驚きでした。 ま、たしかに、何度も述べたように「放射性物質の蔓延が環境化する」なんちゅうことは、いままでに人間が経験したことのない事態なので、理屈は「危ない」ほうにも「ダイジョブ」なほうにも、どーとでも立つので、ダイジョブだ、と考える事は出来るが、少なくとも英語人は、そういう場合、「わかんねーんだったら危ないっちゅうことにして、あんまり寄らんようにせんとな、くばらくわばら」と考えるが、日本のひとは決然と「ダイジョブ」のほうに民族の興廃を賭けてZ旗を挙げてしまった。 びっくりした、というのが感想です。 こんなこと、あるのか。 こういう危急のさいに「歴史」みたいなのんびりした事をいうのは、それだけで顰蹙であるが、しかし、将来の歴史において、日本人の賭けがうまくいくにしろ、外れるにしろ、この決断だけで、歴史の教科書のおおきな項目になるのは確実であると思う。 賭がうまくいってもいかなくても、「フクシマ希釈計画」によって、初めの数年に起きる事の第一は復興のための土木工事に手をつけられることで、いまの「結局、日本のような巨大な経済を上向かせるには公共事業しかありえない」という日本の行政府の考えからすれば、「福島復興事業」は、そのまま巨大な経済のインセンティブになる、という読みだろう。 官民ともに一石二鳥で、ここでやっと震災にはつきものの「復興景気」を望める、という期待をしているのだと思われる。 日本の経済は金融技術を欠いている上に区々としたハードウエア開発技術以外はITが完全に欠落しているので、実際に有効に稼働できる産業というのは、公共事業の、土木、建設、というような旧産業の割合がバカみたいに大きいのです。 東北復興事業の本格的開始を阻んでいた「放射能」の問題がなかったことに出来れば、いよいよ冷や飯食いの旧産業にお鉢がまわって、景気の回復を起こすことができそーだ、と武者震いをしているに違いない。 賭がうまくいった、すなわち、これから政府が日本中にまんべんなくばらまこうとしている放射性物質の害がたいしたことのない場合、どんなふうになるだろう。 1 日本は放射能が危険でない、ということを生体によって実証した初めの国になる。 これは意外におおきなインパクトを世界の将来にもたらすに違いなくて、たとえば劣化ウラン弾、というような戦場の健康被害が云々されているものにおいても謂わば「使用をためらう気持ち」の閾値が低下して、核兵器が戦争で使用される確率が高まるだろうと思われる。そういう傾向に弾みがついてしまえば「核兵器の通常兵器化」に近いことが起こるかもしれない。 核兵器の使用が長くためらわれたのは、その核エネルギーの破壊力の大きさ自体よりも、その「汚さ」が問題であったので、大規模な使用は、その「汚い」放射性物質が結局は人類の滅亡をもたらす、という共通した認識があったからでした。 それが、放射性物質は低被曝を長期にもたらす程度の量であれば広汎にばらまかれても害がない、という認識になれば、軍人にとって、あるいは軍に対して使用を命令する権利をもつ「個人」であるアメリカ合衆国大統領にとって使用をためらう理由はあまりなくなる。 良心の呵責なしに核兵器が使用しやすくなる、ということになるでしょう。 2 グリーン系の党の内部で「二酸化炭素による温暖化のほうが原子力利用よりも遙かにリスクが高い」という声がたかまって、主流派になる 現在でも たとえばGeorge Monbiotのような環境活動家はほとんど熱狂的というべき態度で原子力発電を推進しようとしている。 http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2011/mar/21/pro-nuclear-japan-fukushima 各国の環境保護団体や緑の党、グリーン○○を標榜する政治団体は、ニュージーランドとオーストラリアを除いて、それぞれの党派のなかに「火力発電全廃・風力発電反対・原子力発電を100%に」というグループを抱えていて、特に理論派と目されるグループには、原子力を支持する論客が多くいる。 向こう5年、という時間が経過したあとで日本政府が目立った放射能による健康被害を認めない、という場合には、彼らがグリーン党派の主流になる可能性はかなりあるはずです。 賭に負けた場合は、どうなるか、というと言うまでもない感じがするが、一応、対比の公正を期すために、二三のことは書いておきます。 1 放射能の環境化から一歩すすんで身体の「内部化」した放射能がほとんど全国民に影響するだろう 日本に5年間11回にわたる遠征をしていた頃、それでも東京のような「ものすごく日本的な環境」というのは一ヶ月いるだけでも、ものすごく疲れるので、軽井沢というところに「山の家」をもっていたのは、このブログを読んでくれているひとたちは知っているはずです。 その「山の家」を起点に、モニとふたりで日本の田舎のあちこちに出かけるのが、わしらの楽しみだったが、そうしているうちに農家の人の誰彼と仲良くなったりしていた。 そういう「庄屋さん」筋の農家のひとたちがよく笑って述べていたのは、たとえばある土地に、その土地のものが大層うまい、ということになっている名産品のりんごならりんごがあると、そのりんごの箱があちこちの県の農協に売れる、というようなことで、農家のひとたちは、「うちの農協なんか、『箱』が売り上げの一番なんだからさ」とゆって、よく朗らかに笑っていたものでした。 農家のひとびとにとっては、たいして味がかわるわけでもないのに、ひとつの土地の名前がはいっていれば有り難がって二倍三倍とオカネを払う都会の消費者を前にして、「箱」を融通して名前がない、あるいは人気がない県の産物を「応援」するのは、ごく当然な、普通の助け合い行為であることを、わしは学んで感心したことがある。 そこから、農家のひとたちの親切心によって、福島の農業のひとびとを救援するために自分の農協がある産地の名前を貸す、という行為を想像することは、どちらかといえば自然なことで、都会のひとびとが想像するような「腹黒い農家」というような姿とはだいぶん違っているようです。 農業に従事しているひとたちにとっては、ただでさえ、日頃から自分達が社会的に風下におかれている、という気持ちがあって、農業従事者同士の連帯感のようなものがあるようだ。 まして、棄農せざるを得ない立場に追い込まれた東北農家に頼み込まれて「いやだ」と言える、というのは日本のひとの心のもちようから考えて、たいへんに考えにくい事だと思います。 そういうことを考えると、人間の身体の外側で環境化した放射性物質が日本人全員の身体の内部にはいりこんで、だんだん濃度をあげながら内部被曝をつづけてゆく、というのは日本政府と民間が必死の努力を払って防ごうとしてもなお、防げない事態だという感じがする。 まして、政府が「国民全体が痛みを分かち合う」という表現で、東北産品が全国に拡散する心理的壁を取り払って、それどころか、ほとんど音頭取りを始める決心をした、という状況では、放射性物質が様々な形で、北海道から沖縄まで、全国に、薄く、まんべんなく行き渡るのはほぼ確実であると思われる。 その場合、日本ではほぼ公式に、といいたいくらいきっぱりと否定されている考えであるのを承知の上で言うと、英語人の普通の「常識」に順って述べれば、というか英語人の迷信を述べさせてもらうと、(まあ、そう目を三角にして怒らないで、鷹揚な気持ちで日本人とは異なって迷信深い未開な西洋人の信じていることを聞いてもらいたいと思うが) わしらは放射性物質、とりわけセシウム同位体のようなものは、内部被曝によって肺上皮のような感受性の高い組織に癌がひきおこされるということに加えて、ファインマン博士が低放射能被曝をした30年後にそれが原因で死んだlymphoplasmacytic … Continue reading

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返信十番勝負

毎日、ゲームをやったり、浜辺を走り回ったり(犬さんみたいでんな)、カウチでごろごろして本ばかり読み耽ったりしているあいだに、コメントのご返信がたまってしまった。 返信を書くのを義務と感じているわけではないし、掲載しないコメントも多いので、コメントが載っているということは要するに自分が返信したいから載っているわけですが、しかしニュージーランドの家にいると、どうも怠け癖がついてしまう。 とゆーか、居心地がいいので遊んでばかりいて、それに時間をとられてものを考えたりしなくなってしまうよーだ。 顔(wiredgallileo)ガリレオさま、(「愉快な友達」) >日本の愚かさが現在の原発をめぐる状況を起こしたのは全くそのとおり。ただ、前から書いてきたように、今回の事故は、これまで世界全体で隠蔽されてきた原発の問題点が表に出たもので、これまでも原発は、ウラン採掘場やセラフィールドやラアーグの再処理工場等も含め、周辺住民や労働者に被害を与えながら、それらは無いことにされてきた。 わしの実感でいうと、「隠蔽されてきた」というよりも、大学の自主講座やなんかで知っていたことなのに、なんとなく「忘れてた」というほうが近い。 いま盛んに日本でもいわれている放射能性物質の「リーク」とか、もんじゅの構造上の欠陥とかはもとから、知っていたわけで、相当知的に怠慢な学生でも、そのくらいの知識はあったと思います。 冷戦構造というものが存在して、核が「絶対暴力」の魔王として知識人や芸術家の上に君臨し、「おれがあばれりゃ、お前らの知性なんてゴミよ」をやっていた頃には、たとえば欧州でも知識人たちは、ずっと緊張して核と対峙していた。 それにつられて、というのはヘンだが、情緒的には、つられて、でもよさそうな気がする、原子力発電への目も厳しかったわけで、それが冷戦後国内国外ともに苛烈さをましてきた経済競争のなかで、なんとなく、いいことになってしまった。 わしなども、なかなか安い遊びとして重宝していたフランスをクルマで旅行したりするときには、風景が美しい地方に行けば決まって湯気をたてている巨大徳利みたいなヘンなあの建造物を遠望しながら、そうゆえばあの技術はあぶねーんだよな、とちらと考えて終わりでした。 だいたい意識のなかでは、技術としてのダサさ、古さ、エネルギーとしての原油よりも短命なアホっぷり、というような点から、早晩なくなるだろう、と漠然と考えていて、まさか、そこに土木族顔負けのおっさんたちがしがみついているとは、(漠然と知ってはいても)考える事ができなかった。 だからフクシマダイイチのニュースは、「しまった。ぬかってしまった」であったと思います。 >中国インド中東等、原発は引き続き世界全体に拡散しているわけだけど、福島が起こっても原発が止まらないなら、たぶん人間はもうダメだろう。 わしは、フクシマダイイチ以降、友人達と話して、西欧世界においては、フランスも含めて、早晩、とゆっても30年くらいの単位の時間でですが、原子力発電は退場して石炭に道を譲るだろう、と思っています。目下は血迷って風力を推進しているが、あれも「風力族」(日本にもいるそうで、一基一億「抜ける」と堂々と公開の席で言い放っているおっさんがいました)がいるので、なかなかやめられないようですが、ダメなものはダメなので、風力をあの勢いで消費すると環境破壊が顕在化するのは明らかなので、原子力と風力が一緒に退場して、クリーンな形で使える石炭エネルギーに切り替わってゆくと思います。 コンピュータ制御でON/OFFする技術そのものはすでにIT技術がちゃんとしている国には存在するので、ボイラーのようにマヌケな銭湯屋のように一日24時間沸かしっぱなしの原始的な発電に較べると燃料効率も格段によい発電になるはずです。 目下の日本政府の問題と見えるものは、自分で見える範囲で書くと、日本の教育制度が妙にくっきりと「文系」「理系」に分れていて、文系人には、知識はいうに及ばず、 まるで科学への勘がなく、どこか頂上からは遠くにいるらしい理系人があれこれ言うなかの都合がよい部分だけをとりだして、耳にいれる官僚の言葉を鵜呑みにするしかない人間たちが 原子力事故の指揮をとっていることにあるように見える。 ご存じと思いますが、日本の行政府では信じがたいことに未だに同じ1種公務員でも理系出身者は「技官」扱いであることが多く、理系の知識があることは事実上ハンディキャップになっている。 まるで儒教世界のようなもので、繁文縟礼に長けた「文系」人が取り仕切っているのが、いまの日本の行政府です。 どうも、そこに、あの不思議な対応の原因があるよーだ。 >全体的にいえば東日本はチェルノのときのヨーロッパ的な汚染で、ときどきホットスポットがまずいという感じ 主観的に「おもってない」というだけのことですが、わしは、そう思ってない(^^) チェルノブイリは事故のありかたがフクシマダイイチとはまるで違って、前者は爆発を伴って、噴き上げられた放射性物質が広範囲に飛散して比較的高濃度の放射性物質をばらまいて短期間に収束したが、後者は、爆発は小規模な通常爆発であったものの、チェルノブイリに較べれば大量と推測される放射性物質が海と地下とへ出ていった。 しかも政府が長期間「封じ込め対策」をとらないまま、いまに至っているので、放射性物質が次第に拡散して環境化しつつある、と思います。 この謂わば「薄い広汎に環境化した放射性物質」というようなもののなかで人間は生活してみたことがないので、この先どうなるか、全然わからない。 いいもわるいも判るわけはなくて、その点でチェルノブルは参考にならないと思います。 >原発をやめたら経済はどうなる、とか言ってる人 その手の議論は英語世界でもむかし出つくした感がありますが、要するに科学音痴のひとびとが、いまきみの机を照らしてる電気スタンドは、このコンセント(っちゅうんだっけ、日本語では?)をひっこぬくと、消えるんだぞ、と怒鳴りまくっているだけのことで、アホらしい、っちゅうか、時間的な整合性をちゃんともたせてやめればいいだけのことで、そういう意味においては原発をやめても経済なんかどーもなんねーよ、というのが答えだとしかいいようがない。 そういう人達は石炭エネルギーというと彼らが小学生の頃は日本の小学校の教室に必ず有ったはずの達磨ストーブでボイラーを運転するところを思い浮かべていそうなので、あんまり話をする気にもなりません。 顔(wiredgallileo)ガリレオさま、(「幽霊だぴょん」) >シュタイナーは、人間は4つのレベルからなると言っている。 シュタイナーというひとは、わしには、どうも仮説の建て方がへたくそであるように思えます。 装飾的で、本質の解明にいかにも役に立たなさそうな仮説の建て方をする。 わしは、またスウェーデンボルグについて2つ目のブログ記事を書こうと思っていますが、彼のほうにずっと興味がある。 「宇宙と霊界はすべからく人間の形をしている」というのは、一見ほどバカバカしくはなくて意外と説得力のある仮説だと思います。 彼の意見によれば、霊界が現実で、われわれが現実と思っているほうはいわば出張所に過ぎない。 人間が人間の形をしているのは、人間のほうで宇宙の形を借りているからで、脳という器官は霊界でわれわれがもっている機能をこの現実世界で代償的に機能させるための機械だという。 ねっ? これだと、仮に彼の仮説が正しければ、(多分ウソだが)幽霊が口を利く原理も説明できるわけです。 >死後も自分の意識を統一できるだけのエネルギーはなく、「意識の海」に溶けてしまうけど、強い「残念」があると、ある程度現世に影響できるんではと。 … Continue reading

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散歩ni

1 ポプラの長い影が射しているカンタベリーの道を歩くと、人間が小さな存在であるというしょーもない事実が実感される。 自然と人間の物理的な縮尺比って、こんなんだったんだなあー、とマヌケなことを考えます。 間尺に合わない、と日本語でいうが、こんなだだっぴろい、歩いても歩いてもすすまないようなところにおっぽりだされてしまうと、人間の文明というものの心細さが実感されてしまう。 人間は、長い歴史のあいだ、ずっとたいへんだったんだ、と妙なことを考えます。 カンタベリーの田舎道を歩く、というのは(あたりまえだが)町を歩くというのとは随分勝手が違う。 ちょっと油断していると曲がる角を間違える。 間違えても、もうよく判っている近所であるはずなのに、しばらく気がつかないのは、簡単に言って右も左も後ろも前もパドックで、何の変哲もなくて、区別がつかないからです。 そのうちに、ありー、黒と白の斑でなくて、茶色い牛さんなんていたっけ? と牛の種類の相違で、いつもと様子が違うことに気がつく。 気がつくと、ですね、そこから10キロくらい余計に歩かないと家に戻れないのですね。 「行き倒れ」という言葉が頭を掠めます。 龍馬は死んでも仰向けのままだった。 木口小平は死んでもラッパを話しませんでした。 三河の侍は、ことごとく敵のほうに頭を向けて討たれていたぞよ。 どれも、ほんとうではないそーだが。 大きな、まったいらな草原に、たったひとりで立っていると、世界がおおきいことよりも自分の存在の小ささが胸に迫ってきて、神がいなかったりすると、ひとりでやってけるわけがねーだろ、という気持ちになります。 2 カンタベリーというのは、変わった気象で有名な土地柄で、連合王国もところどころ、たとえば丘の上に立つと、立っているところはよく晴れた夏なのに、少し向こうでは雪が降っていて、そのまたもうちょっとむこうかしでは、土砂降りになっている、というようなヘンタイみたいな天気が散見されるが、カンタベリーは、もっとヘンテコな天気がある。 パドックで馬の世話をしていて、ふと上を見ると積雲が手がとどきそうなほど近くまで、というのは低いところに降りてきている。 「積雲が低かったら、層雲でしょーがね。きみは定義というものを知らないのか」ときみは言うであろうし、まことにもっともなご発言でありますが、でも積雲なんです。 あの、夏の空高く、白く輝きながら巡航する、ほれぼれするような美しい雲。 それが、なんだかはしごで届きそうなところに、ぼおおおーんと浮いている。 お手、もめんどうくさいとやらないバカ犬のJが、ぶっくらこいて吠えまくっておる。 馬さんのEも、悲しげに雲をみつめている。 馬は草食動物で顔の両側面に目がついているので「見つめる」ということは出来ないが、 表現上、みつめているのね。 あるいはむかしどっかのなまけものの技師が定規でまっすぐの線をひいてつくったに違いない、どこまでもどこまでもまっすぐでスピードを出しすぎて死んだバカガキどもを記念して立てた白い十字架がいっぱい並んでいるオープンロードをクルマで走っていると、突然、雲につつまれてしまう。 そうすると、きみはまた、地上にあるなら、それは雲でなくて霧というのだぞ、というだろうが、そんなことはわしも判っておる。 しかし、「雲」という質感と量感を備えた霧なので、目撃すれば、みな「雲」と証言したくなる霧なのです。 しかもそれが丁度腰までの高さしかない。 ところがそれが薔薇色の、光に包まれた、どう言えば少しは表現できるのか、この世界にはあるはずがない、と言いたくなるほど美しい色彩の光に満ちた雲であって、そのときは、霧のなかの運転に慣れているワイマカリリ・ドライバーたちも、みな路肩にクルマを駐めて、あるひとは肩をだきあって、うっとり、というよりは呆然と、その、この世界のものとは思われない輝きをみつめていた、というか、もう少し精確にいうと、輝きのなかに包まれてたちつくしていた。 ああいうところに住んでいると、神を信じる、なんて、へっへ、旦那、ぞうさもねえことでごぜーやすよ、という気がします。 十字をきって、思わず、祈っているひともいたが、特にカスタードプリンに祈っているとも思われなかったので、多分、神を感じたのであると思われる。 3 都会を歩く、というのは、同じうろうろするのでも、田舎道を歩くのとは、形態は似ているが本質的に異なる行為です。 チェルシーのアパートを出て、階段を、どどどどどと、ブローニングM2のような勢いで降りる。 ホールのおばちゃんに、おおおーし、と挨拶して、通りにでます。 チェルシー、といってもわしのアパートはヴィレッジとの境界にあるので、ストランド書店 http://en.wikipedia.org/wiki/Strand_BookstoreContinue reading

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われらの力

18歳のきみは、午前3時の台所の冷たい床の上に素足で立っている。 ひとがもう皆、寝静まっている、こんな時間に起きているのは、特に理由があるわけではない。 眠れないので、ただ起きていただけのことです。 ただ、ぼおおーと起きていると、いったいこんなことやっていてガッコーを出たらどーするんだ、とか、博士号とると就職なんてねーぞ、という噂だが、なんだっておれは、そんな途方もない先のことを考えているんだ、とか思考だか妄想だかもよく判らなくなった自分の頭のなかにうんざりしながら、冷蔵庫のドアを開けて覗き込んでいるところです。 チェダーチーズの切れ端、一個しかない、いつ買ったのか思い出せない卵、ベーコンがふた切れ、それしかない。 なんだか壮絶な、何もない冷蔵庫だなあー、と考えたところで、きみは、ふと、きっと、この同じ時間、たったいま、自分と同じように貧弱な内容の冷蔵庫のドアを開けて、腹が減った、と考えている、もうひとりのきみ、3人のきみ、何十人、何百人という「きみ」が、世界中にいるのだという絶対の確信に襲われる。 きみが、妹が偶然台所にいあわせれば、実の兄ながら見るからに身の毛がよだつ、ヘンタイみたいなものすごい笑みを浮かべていたのは、そのせいです。 それなのに、110番するなんて、ひどいやん。 ニュージーランドの南島というところは、やたらと人間が少ない島で、坪で言えば60万坪、なんちゅう牧場はザラにあります。 羊は特に、あの、なんとなくばかばかしい前歯で草の根っこごと掘り起こして食べてしまうので広い土地がいる。 最近、羊を飼う農場がどんどん減っているのは、おおもとはジーンズの普及のせいで、ダメ押しは中国の羊毛の値段に逆立ちしても牧草の上でブレークダンスを踊ってもかなわなくなったからだが、手間がやたらとかかる羊が、現代の農場主たちの好みにあわなくなったからでもある。 牧草地を売って、ひとつ40エーカーくらいの小さな牧場に分けて土地を売るようになり、それをまた小さくわけて、8000坪くらいの「ホビー・ファーム」を売るようになった。 60万坪や百万坪の農場は、だいたい山に囲まれた谷間のようなところにあって、冬には四駆でも道が通れなくなって、パドックの滑走路から飛行機で買い物に行ったりします。 そういう農場の家はさすがに孤立して立っていることがあるが、通常の10万坪、というような農場の家は、お互いに見えるところに建っている。 カンタベリーの最も典型的な家のつくりかたは、交差点の四隅に面して家が建っていて、そこから放射状に牧場地が広がっている、という家の建て方をする。 農場に電話線や電線をひくときには、引き込み線のぶんだけ自前で払う、という理由もあるが、「他人が見えないところに住むな」という。 遠くから、顔があった同士が、手をふって挨拶できるくらいがいい、という。 人間は「社会的動物」だ、というが、なにもそんなに肩をいからせなくても、人間は他のひとが見える生活をしていないと不安に陥りやすい生き物だ、ということなのでしょう。 わしのむかしからの友人ナスどんが、息子と娘の健康を心配しているとき、 「放射性物質なんて、健康の被害はないんだよ」という人に出会って、「この人は姿が見えない人だ」と考えて意気消沈してしまうのは、だからであると思われる。 この目の前に立っているひとは、人間で「個人」の姿をしているが、ほんとうは「国家」というものの部品にしかすぎなくて、人間だけど機関の部分にしか過ぎないのではなかろうか。 ううっ、寒い、寒いぞ! と震えながら、きみは、夜明けまではまだ全然遠い、まっくらな外が映っている窓のそばのテーブルで、一個だけの、フライパンにいれたら黄身が広がってぺしゃんこになったところがやや不審な目玉焼きと、甲状腺癌のことを考えていたら、バセドー氏病に考えが行ってしまい、あれはなぜ眼球が突出するか順を追って説明できるのかおれは、と考えていたせいでちりちりになって干物のような情けない姿になったふたすじのベーコンをわびしく眺めながら、スタウトを開ける。 すると、また、その侘びしさの奥の方から、「おれはたくさんいるのだ」という、あの「聞き取りにくい声」が聞こえてくるようです。 寒い夜に、十分な準備もなく、ひとりぼっちで、膨大な未来の影に怯えている、何百、何千という「自分」が、外の闇の向こうにいるのを感じる。 とりあえず、あの訳のわからない熱力学の本が理解できるようになる頃には、おれは「誰か」に会えるだろうか、その「誰か」とおれは、決してつるむことなく、おれはオレジルシのニコちゃんブランドを保ちながら、「誰か」とも分かり合い、時間をともにしあって、あるいは感情を交換し、理解すらしてしまいながら、とうとう最後にはお互いに「ほんとうのこと」を打ち明けてしまい会える、あのパラダイスにたどりつくだろうか。 午前4時の爆走する妄想みたいな頭のなかで、きみは世界中の「きみ」と連帯し、ふざけんなおれは放射性物質にひたって暮らしたくなんかないのだ、と明瞭にいいきり、 おれはどのような意味においても社会の部分なんかではなく、このかっこわるい耳たぶも、奇妙に長い、足の二番目の指も、不細工に突き出た膝小僧も、全部おれのもので、おれだけの所有物で、日本という国はまったく判っていないようだから念のためにゆっておくと、おれの魂だっておれのものだ、と再確認する。 そう、ものくるおしけれ、とまでに考えて、冷たい窓をおもいきって開けて街をよくみると、午前4時もまわったクソ時間に、あちこちのビルの窓が点点と明かりを灯していて、 全体の部分になれなかった、たくさんの「きみ」が、あるいは無理矢理にゲームに夢中になり、あるいは頭から毛布をかぶって声を殺して泣き、または枕をうなじの上においてうつぶせに伏せるという複雑な姿勢で絶望し、アマゾンで買った2000円のベンキョー椅子に腰掛けて壁の一点をドリルで穴をうがつように見つめ続けている、たくさんの「きみ」がいるだろう。 日本にいたとき、日本人は「集団で力を発揮する国民だ」と聞いていたのに、わしはそう感じなかった。 悪く言うと、「どのひとも言うことは同じなのに、てんでんばらばら」と感じたものでした。 集団が集団の利益を追求して集団行動をとるためには、個人がてんでんばらばらでないと統制するのに都合が悪いのは論理的にいってあたりまえで、わしの観察では、日本という国では、社会全体が個々人を分断するために周到につくられていた。 国家の「部分」として個人の力が最大限に利用できるように文化としてうまく準備されていたと思います。 社会の都合と異なる意見のもちぬしがあらわれると、以心伝心で、彼もしくは彼女が「価値のないもの」であることを既定事実であるかのように見せかける腕前は、芸術的、というか、まるで訓練の行き届いたサッカーチームの試合を観ているようで、自分が対象になっているときでも、結構たのしめるくらいのものであった。 それがフクシマダイイチの事故が起きてから、変わった、と思っています。 どうも「部品」たちが人間として目をさましてきて、(日本の政府や支配層にとってはたいへん都合が悪いことには)、「個人」になってしまいそうである。 60年代を通じて団塊世代はヘルメットをかぶって、自分達を「共産主義の兵士」とみなして、ヒロイズムに酔ったようになって街頭で戦ったが、彼らが一様にタオルで顔を隠していたのは、「闘争」を「卒業」したら一流企業に就職するためでした。 件のトーダイおやじたちに訊くと、「一流」と目される就職先で、自分が全共闘にいてクソあばれにあばれていたことを隠さなくても就職採用に影響しなかったのは、日本では「通産省上級職」だけだったという。 他のたとえば東芝や三菱や日立、政府ならば大蔵省、というような大組織にはいるためには、髪の毛をさっさと短くして(「リクルートカット」という言葉があったようだ)、「造反有理」の口をぬぐって、「もう、この世は根性っすから!」と面接の席で愛嬌をふりまいていたもののようである。 … Continue reading

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過剰な光量の午後

1 メンチカツ、というものを食べたことがなかったので、モニと妹がふたりで出かけて留守になったのを幸い、つくってみることにした。 タマネギをフードプロセッサでかなり細かいみじん切りにして、オリーブオイルで気長に炒める。 湯気が出なくなって、「きつね色」に色が変わったところで、アンガスビーフを挽いた牛挽肉のなかにぶちこみます。 さまさないのか?と訊かれそーだが、挽肉がちべたいので、たまねぎは熱いままでもダイジョーブだ。 卵と2斤1ドル60セントのスーパーマーケットブランドの食パンを、やはりフードプロセッサで「パン粉」にしてあったものを混ぜながら、ナツメグと塩と胡椒で、要するに「ハンバーグ」をつくって カノーラの入っているフライヤを使って、ふつーにレシピ通りつくった。 結構、うまいやん、と考えました。 平たくならなくて、なんちゅうかピロシキみたいな形になっちゃったけどね。 ふくふくとした食べ心地で、肉料理というよりはお菓子のようである。 何をかけて食べるのか、よく判らなかったので、ジャンクフードなんだからトマト・ソースだべ、と考えて、トマト・ソース(アメリカ語でいうケチャップ)をかけて食べた。 食べてから、日本の人の頭の良さにボーゼンとしてしまいました。 こんなに不味そうなレシピで、こんなにうまいものをつくるなんて、頭がどうかしているのではなかろうか。 2 まだこうして日本語ブログを書いているが、日本の事は相当判らなくなってしまった。 わしにとって重要な「日本の素」である義理叔父がニューヨークに居っぱなしになってしまって、ニューヨークとオークランドでは時間差があわないので、あんまり話をしなくなってしまった、ということがあります。 義理叔父は、自分の会社を隠居してからは、わしの仕事を請け負ってくれているので、仕事の話はするが、仕事の話をしているときは、お互いに別頭で日本の事なんか考えていないし、言語も英語なので、全然わしが頭のなかに蒐集した「日本」の足しにならない。 日本語のニュースサイトを読んでみるものの、なんだかひとつの出来事に対する社会の反応がぜんぜん訳わからん、というか、全体に絵空事を見ているような感じがします。 社会的な事象では、簡単に言ってフクシマダイイチ以外は関心がないが、この事故がどう収拾されつつあるかが、もう判らなくなってしまった。 原子力発電というものがいかにダッサイ技術であって、増殖炉が「自爆型」とゆわれるくらい構造的に危ないので(エネルギー政策としての)論理的にも破綻していることについては何回も書いて自分でもうんざりしてきたので、もう書かないが、日本の人の「議論」は延々と続いて「トリウム溶融塩炉ならダイジョーブだ」という意見まであるのを発見して爆笑(ごめん)してしまった。 中国のニュースかなにかを見たのだろうが、まるで、新しい言葉をおぼえて浮かれて使いまくる子供のようで、かわゆいとゆえなくもない。 子供なら、かわゆいが、あんな弱火にした核爆弾で巨大ヤカンの水をわかしてます、な原子力発電のような後進的クソ技術が、原料をトリウム溶融塩に変えたくらいで、まともな技術に変貌するわけがない。 爆発しねーんだぞ、というだけのことです。 中国が最近になってトリウム溶融塩炉に興味をもっているのは、要するにこの先原子炉を輸出するときに、トリウム溶融塩炉じゃないと、核兵器開発輸出と同じになってやばいやん、という長期戦略だろうが、どうも中国のひとは相変わらず技術的センス悪いよねえ、と思うだけです。 ああいうダッサイ技術というのは、クールさをもって旨とする日本の技術伝統にまったく合致しない。 そして、文化と技術の整合性というのは、非常に大事なことなのでごんす。 早川由起夫、という火山灰のビヘビアに詳しいらしい火山学者や細胞医学(老化遺伝子)の研究者であるらしい児玉龍彦というような人が出てきて、特に火山灰のふるまいの専門家ならば放射性物質の拡散状況を調べるにはうってつけで、よかったよかった、と思っていたら、しばらく見ないうちに、すっかり「エセ研究者」「放射能は判らない門外漢のくせにエラソーなことを言うトンデモ学者」ということにされてしまっていて、いったい何故そんな悪罵を浴びることになったのかが、判らない。 なぜだろう? と考えて、途中、攻撃者たちの、あの日本人のそういう事が得意なひとたち特有の巧妙を極めるが薄汚い口吻を我慢しながら読んでいくと。 「被災者の気持ちを考えない」 「ものには言い方がある」 というようなことが悪罵の中心にあるよーだ。 日本にいたときなら、「本当の事を言ってはいけない」ことになっている日本の文化や、 事実を正面から見る、ということを困難にしている、 自分が認めたくない事実や、存在は、論理の全力をつくして「ウソ」であったことにし、 「なかった」ことにする日本の文化と連結して、日本語で文章を書いて考えてみるところだが、いまやそーゆー気が起こらなくなってしまった。 義理叔父とひさしぶりに話しているときに「あの児玉っちゅう人が悪罵を浴びせかけられないのは、要するにトーダイのケンイだからだな。日本人のケンイ大好きブランド主義が思わぬところで良い方に働いて居るではないか。理3だからな。李さん一家、なんちて」とゆって義理叔父に窘められた、という程度です。 いったい、放射能を浴びてもたいした害にならないということになってしまえば、それ以上議論するべきことがあるのだろうか? 前にも書いたが、あとは淡々と「無害な放射性物質」に充填された食べ物を食べ、だんだん汚染(無害なんだから汚染とはゆわないか)がひどくなってゆくと思われる水を飲んで、日々の生活を過ごせばよいだけのことである。 その結果、日本ではまた原発の新設が再開されて、いまの東海村JCO臨界事故 … Continue reading

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友達を捨てる50の方法

ラグビーのワールドカップなので、あの見るからにくさそー(実際にやると、ほんとに臭いです)なスポーツが好きな妹がニュージーランドに来ておる。 ワールドカップ期間中は宿泊代が3倍だというので、ひっひっひ、ざまーみろ、正義とおにーさまは勝つ、とほくそ笑んでいたら、わしのパーネルの家(いまの家のひとつ前に住んでいた家です)に滞在してしまいました。 鍵を変えておけばよかった。 ぬかみそのようにぬかってしまったではないか。 あの「糠よろこび」という叔父の好きなインスタントぬか漬けは、いまでも売っているのかしら。 ラミュエラのモニとわしの家からクルマで5分という立地に陣取って、わしが大事にしているクルマを勝手に運転してギアを入れ間違えて「ギュワン」とゆわしたりしながら、ラグビーを観に行くあいまにわしの家にくる。 (正式試合は昨日からだが、エクスヒビション試合とかは、前からやっておる) 多分、偉大なおにーさま(わしのことね)にコンプレックスがあるせいだと思いますが、テーブルの向こうに座っては、わしの悪口をゆって、きゃっきゃっと喜んでおる。 今度結婚して妹の足に踏みつけにされたまま一生をだいなしにしようとしている気の毒な「婚約者」のにーちゃんが、横でばつのわるそーな青い顔をして、かたまっています。 凍れる微笑、であるな。 気の毒に。 「おにーちゃんの友達ってさ、むかしから、全然、顔ぶれが変わらないじゃない? おにーちゃんの人間としての進歩のなさの日常的な表現よね」 と、妹がゆーのであった。 わしは、マンダリン・オレンジ、すなわち、みかんの皮をむきながら、眉をひくひくさせるが、しかし、妹の主張自体は正しいのであって、友達というのは本来、成長するにつれて変わってゆくべきものです。 自分の精神が成長するにつれて、かつてはあれほどお互いに理解しあって共生の感覚を分かち合っていた友達と話があわなくなってゆく。 ふいに相手が退屈な人間になったように思われ、どうしてこのひとはいつまでも同じようなことばかり繰り返すようになったのだろう、と考える。 ふつうの友人関係というものは、そーゆー展開になるべきものだが、わしの友達は甚だしきに至っては3歳くらいのときから付き合っているのまでいる。 動かぬ証拠じゃねえか、シンミョーにしやがれ、という銭形平次の声が聞こえてきそうであります。 天網恢々疎にして漏らさず、なあーに、お天道様は知らないふりをして、ちゃああーんと見ていなさるんだ。 悪い事をするなら、お天道様が出ない北欧の冬でやってね。 わしは何よりも孤独を尊ぶので、はっきりゆって、友達などは邪魔である。 そんなもん、いらねー、と思う。 ひとと話をしたり、一緒に歩いたり、共に肩を並べて戦ったりすると、思いもかけず、「友達」が生じてしまうが、自分から友達をつくろうと思った事はありません。 例のなんでもかんでもメールで知らせてくれる日本語インターネットを通じて知り合ったひとが、前にコメント欄かなんかで会ったことがあるような気がするodakinという人が「底意地が悪い」と、どっかのなんかで、わしのことを表現していたというが、あたっておる(^^) のみならず、わしは人間が冷淡なのでもあるよーだ。 人間関係にエネルギーを使う必要というものがよく判っておらないので、誰かと団欒を楽しんだり、そのときどきの愉快な会話の場を共につくりあげたり、というようなことは大好きでも、それ以上のつながりを他人と持とうと思ったことはありません。 それなのに、3歳のときから一緒であって、いまでもロンドンのセント・ジェームスというような干からびて時代遅れな通りのビルの二階で会えば、会ったばかりの瞬間から、もうそこで何時間も話し込んでいたひとのように、ふたりでひとつの沈黙を共有し、お互いの顔を肴に、ブランディを手のひらのなかで暖めながら、外の雪、というような話題について、何度もつかえながら、吃音をはさめて、まるで言語に障害があるひとびとのようにただ巨大な沈黙をふたりでつくろうとでもしているかのような会話を、とつおいつ、お互いに、こいつはやっぱり仕方のないやつだなあ、というやさしい気持ちで胸をいっぱいにしながら、際限なく酔っ払ってゆく、あの「友達」というものにいまでも会いにゆくのです。 友達というものが生じてしまうのは、人間の言語の成立事情に由来する「個」としての人間からすれば人間性というものの一種の弱点、欠陥、なのかもしれません。 そうではあっても、友達というものはもたないですめば、そっちのほうが良いに決まっている、という人間の法則は変わらない。 1 くだらない人間と付き合う人間とは付き合わない 2 他人の人間としての生活を脅かすものを許容した人間とは付き合わない というような、いくつかはある「こういう人間を友達に持ってはいけない」という自分に守らせることにした決まりに順って、友達でいられたかも知れない人間との関係をぶちすてねばならないこともあります。 人間は、弱い。 人間は、自分と異なるものも受け入れよう、というような一見、寛容と見える物にひかれたとき、最も堕落しやすい精神の状況に陥る。 目安は簡単で、「自分の価値観と異なるものを受け入れる」寛容というものは、それを受け入れることによって、引き換えに、自分にとってかけがえのないものの幾分かが失われる痛みを伴うのでなければならない。 異なるものを受け入れるときに、そういう存在を賭けた痛みが伴わない場合には、それこそ、賭けてもよい、それはきみの精神が言葉の深い意味での「気取り」から堕落してしまっているだけのことです。 決定的な喪失の痛みを伴わない寛容は、あたりまえだが、自分にとって寛容と見えるものも、神から眺めれば、ただの薄汚い頷きあいにすぎなくて、昔から、自分を神と仮装した悪魔が信奉者をつくるのに使う常套の手段である。 世の中に「寛容」ほど、その本質が腐敗して変質しやすいものはないのです。 心の柔らかい教師が最も陥りやすい罠は、学生の(学問的)興味をかきたてつづける教師であろうとして、場末のスタンダップコメディアンでもあるような、一場の余興を提供する芸人に堕してしまうことだが、そういう心根のありかたが、「出来は悪いが、よいところもある」人間に胸襟をひらいてやろう、というようなときにも、たいていの場合、もう本人の魂は泥にまみれていて、寛容とは名ばかりの、垂直に聳え立つ物はすべてひきたおそうとする、あの暗黒に満ちたものの重力に身をまかせる、怠惰をむさぼっているにすぎない。 … Continue reading

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ガメ・オベールからの手紙_1

1 ぼくは、と書き出すと、きみはのけぞってしまうだろうが(^^)、今日はこの主語のほうがよいような気がします。 ぼくがこのブログを書き出したそもそもの初めには、ぼくは自分がもっている日本語を結集して「日本語の力」とでもいうべきものを作り出し、そうして出来た「日本語人格」できみに話しかけようと思っていた。 だから、このブログからは削除されてしまっている、もっとも初めのブログでは、「わし」は日本人だということになっていました。 ぼくの従兄弟は父親が日本人であり、ともに日本に住んでいたこともあったので、「日本人だ」ということにして世の中を欺しおおせる自信があったからです。 初めは、疑いもなく、それもまた自分の一部である、無軌道で世の中の約束をいっさい守らず、それへの当然の世界からのしっぺがえしとして、いまにも世界から存在を抹消されてしまいそうなgame_over寸前のガキわしの疾走を書こうと思っていたのです。 理由は簡単で、このブログは、もともと「ゲームブログ」だったから。 第一、成功していて、何不自由なく暮らしている人間のブログなど読みたいと思う人がいるわけはない。もともと実際にもっている自分のチョーデタラメな部分を誇張して、それだけで一人格にしてうけちまうべ、と考えたのでした。 それが、いまのようになしくずしに現実のぼくに近付いてきてしまったのは、簡単にいうと、予想もしなかった、すさまじい数の「おちこぼれガメ・オベール」への嘲りと集団攻撃だったと思います。 それは最近でも自分の頭の悪い読者をひきつれて誤読に基づく無意味な罵声を投げつけにきたあげく、「おちこぼれが」と嘲笑しにきた小説家がいたので、きみにも想像がつくと思う。 普段だったら、口を利かないですんでいるはずの、こういう人外の魔境に育ったような奇妙なものに臭い息を吹きかけられるようにして話しかけられるのは、あまりに鬱陶しかった。 現実の「わし」は、ぼくでもおれでもない「I」という要塞じみた主語をもつ英語の世界の住人で、日本語人であるきみが考えるよりも、もっと隔絶して異なる感情世界に住んでいる。 較べるもなにも、ふたつの世界は「まったく異なる」ので、表面に似たところはあっても、それは生物の世界でいう「相似」(analogy)にしかすぎなくて、明治時代に生きた軽薄才子であった福沢諭吉というひとが考えたような「日本人より優秀な先行者」というものでは全然なくて、優秀も劣等も、まるで違うので「較べる」ということが意味をなさない。 ぼくは日本は、やはり「洋化」など考えるべきではなかった、と思う。 仮に洋化が可能な方法が存在したとすれば、普段つかいの言葉を欧州語のどれかにするしかなかった、と思います。 伝統も思考の習慣も異なるのに、日本人は科学の世界ではまったく違和感を感じさせない。 数学や理論物理学の世界では、かなり早くから、たとえばスズキイッペイはスズキイッペイ個人でしかなくて、ときどき何かの弾みで、ああ、そう言えばあのひとには「日本人」という属性があるのだったな、と思う、というふうでした。 それは科学の世界にはかつての欧州のラテン語にあたる「数学」という言葉があるからで、実際にそれを用いて宇宙について考えをすすめていったり、お互いにコミュニケートできる、という点で正に「言語」である数学でできた人格同士、かなりはやくから、高木博士に至っては一生の前半は「日本人」であったのに後半は違う、というくらいの迅速さで、いわば「洋化」した。 「洋化」と書いたが、この場合の「洋化」は通りに立ち並ぶクラブが、みな洋服を着ているひとばかりなので、メンドクサイから、おれも洋服くらいは着て先行者に敬意をみせてやるか、という程度のことで、「脱亜入欧」などという、バカみたい、とゆって悪ければ、いかにも言語が思考人格のすべてである、ということへの理解を欠いた「決意」とは異なって、皮相的な妥協にしかすぎない。 相手のルールにあわせて行儀よくしてやるか、というだけのことです。 「わし」ガメ・オベールには、windwalkerという、いま思い出しても懐かしい、もういちど会いたくなる、激しい民族差別主義者でアニメオタクの友達がいて、あるときついにエセ科学をふりまわして半島人を攻撃しはじめたので、どんな意味でも友達ではいられなくなってしまったが、彼には「自分の頭で考える」という普通の人間にはない能力があった。自分で本で読んだことをいつのまにか自分が考えたことだと思い込んでしまう、このブログにやってきたひとたちでゆえば、あとであらわれた、上に述べたナマハゲじみたなんだかよく判らない集団イジメが趣味らしい作家や他の、ほぼ同列なメンタリティの奇妙でバカバカしすぎて最後まで相手にする気が起こらなかった歴史オタクとはwindwalkerは、その点で決定的に異なっていた。 彼は徹底的に孤独なひとだったが、それは、あの作家と友達たちのようにお気楽に「西洋」をわかったつもりでトンチンカンで噴飯ものの「西洋観」を振り回したりするには、思考的な勘にめぐまれすぎていた彼の「日本語人の孤独さ」だったと思います。 windwalkerは妙に羞(は)にかむ彼らしく、自分の孤独が自分の非社交性からきている、と信じ込んでいるようだったが、ぼくはずっと本当の理由を知っていた。 あのひとが全身で感じ取っていたのは「日本語で考える人間」というものが、この世界でいかに疎外されて孤独か、ということだったと思う。 アニメ、というものを日本人がアイデンティティを保つための神宝であるかのように述べていたのも、そういう理由からでしょう。 たとえば、きみがフランス文化を理解しようと思えば、最小の条件はフランス人とほぼ変わらないフランス語能力を身につけることで、それ以外に方法はありえない、という事情については、長くなるので、また別の機会に書くことにしますが、89歳で死に場所を求めて日本にやってきたドナルド・キーンが日本について何事か意味があることを述べられるのは、戦時通訳としてジャパノロジストとしてのキャリアを始めたキーン先生が、「人格」としてまとまった集合をなせるほど日本語を蝟集させているからであって、ちょうど太陽が自らの巨大な質量と重力によって核融合を起こすように、ひとつの言語体系がまとまった「体」(body)を成すと、その言語が自律的な運動を始めて「思考」というものが始まる。 言語が日本語であれば「日本語の思考」が始まり、フランス語であれば「フランス語およびロマンス語の思考」が始まる。 そのふたつの互いに連関のない自律運動には、架け橋というようなものはありえなくて、翻訳や通訳は、あくまでも生物でいう「相似」(analogy)にしか過ぎない、とぼくは思う。 ガメ・オベールは、そういう意味において、どんな場合にも日本人だった。 2 フクシマダイイチと1945年に終わった日本の戦争には共通しているところがある、と感じている人は多いと思います。 それは結局は身につかなかった派手な服、微妙に形が狭くて足の甲を圧迫する靴、歩き方にあわない靴の踵の形、長すぎる袖のシャツであって、1868年に「洋服でないとダメな乱暴な客がくるから、とにかく、ぐだぐだいってないで、とりあえずのいまは、この服を着ろ」とどやしつけられていやいやながら洋服に手足を通したら、今度は、客がいなくなっても、そのままでいろ、と理不尽に命じられたようなもので、その無理が屋上屋に重なって、とうとう破綻してしまう、という構図が同じである。 たとえば天皇は「絶対」ということになっていたが、あれが絶対だったのは「西洋には神聖な『絶対』権力ちゅうもんが、あるんだってえ」と誰かが言い出して、あたりを見渡して、ぱちもんでもいいから絶対というものに化けそうだったのが、あれしかなかったから「お上」は絶対というものになった。 天皇は、それまでは「生きて動いている神棚」みたいなものだったはずで、いちばん神聖だが西洋のように「絶対的な権力」をもってしまえば、その権力をもつものは相対化されてしまうという至極理屈に適った常識によって権力はもっていなかった。 案の定、絶対パワーだったはずの天皇が戦争にぶち負けてしまうと、説明のしようがなくなって、「あっ、わし、神様じゃなくて人間だし」といいだすという醜態をさらすことになった。 いまの皇室は、もうあまりこの先の将来はないように見えるが、それも無理な洋化のせいと言えなくもない。 「和魂洋才」は、できるわけがなかった、というが、急場はそれで凌いだのでした。 問題は、その後、「急場のでっちあげ」を恒久化させようとした部分にあるようです。 欧州を最下層人として放浪した金子光晴や日本が日露戦争という絶望的な祖国防衛戦争を戦った1904年、ワシントンDCで売春婦との生活に惑溺していた永井荷風のようなひとびとは、そういう事情をよく知っていた。 彼らの一生を通じて響いてくる「日本とは何か」「日本人とは何か」という基底音は、ぼくから見ると、むしろ当然の音調であると思える。 … Continue reading

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詩のない生活

モニが結婚してもっとも呆れたのは、わしが本ばかり読んでいることだそーである。 「本を読む」などというのは、もっとも人間の精神を不健康にする習慣なので、わしは人前では本を読んだりしません。 「人前」では何をしているかというと、人間を眺めている。 チャドルを身につけた女の人を見て、中東人は目の化粧に凝るなあー、と思っていたり、 背をすらりと伸ばして立っているおばちゃんを見て、あっ、このひとはだいぶん長いあいだバレーをやっていたひとだなあ、と考えたり、中国の人かなああー、日本の人かなああー、お洒落なのに髪を染めてないから中国の人だよな、きっと、あっ、歩き出したら日本のひとだな。日本の人でも髪を染めるのが嫌いなひとがいるのだな、とか、 そーゆーことを考えている。 ひとりでいるときは、隙さえあれば本を読んでいる、と言ってもよい。 ラミュエラの家から、いったんミッションベイというところに出て、CBDまで行くと、10キロくらいだと思うが、わしは、そのくらいの距離は走って往復する。 運動が好きだからです。 何か買う物があって、それがCBDであったりすると、走って買いに行ってしまうので、モニにはいつも監視されておる。 どーゆーことかというと、「ガメ、27インチのiMacをディスプレイとして使うには、どーするんだ?」とモニが訊く。 あっ、それはねminiDVI-miniDVIケーブルちゅうのがありまんねん、わしが買ってきて進ぜよう。 この「買ってきて進ぜよう」というところで、もう走って行こうとしているのがばれるよーだ。 クルマなら必ず「一緒に行こう」というからだそーで、なんだ、そんなことでばれていたのか。 走って行くと、途中で寄り道をしたりコーヒーも飲むので2時間くらいかかります。 あるいは、また、最近は「Steam」という凶悪なゲームダウンロードサイトがあるので、ついつい出来心でゲームをダウンロードしてしまう。 なにかの弾みで面白かったりすると、2時間くらいはまりまくっておる。 屋根裏部屋にはいりこんでLANの配線に熱中していることもあれば、当然、モニとテニスで激闘する午後や、ふたりでのんびりゴルフをしていることもある。 そーゆー忙しい毎日だが、子供のときからの習慣で一日に4冊は必ず本を読んでしまう。 習慣、と書いたが、日本語では、中毒、のほうが近いでしょう。 自分で自分を観察していると、読書というようなものは質が大事なはずだが、最近は退廃的で、一定の量を読まないと煩悶するものだから、とりあえず量を読むまでは、落ち着けないよーだ。 運動したり、CSIのエピソードを立て続けに5つ観てしまったり、いちゃいちゃもんもんしていたりして、時間が大量に消費されると、自然と「軽い」本を手にとっている。 Colin Dexterとか、地球上に残っている水の話の本だとか、そーゆーやつです。 中世やなんかの歴史の本と犯罪小説が多いよーだ。 英語という言語は読書人口が巨大なので、恐竜を探しに行ってコンゴで翼竜に襲撃された気の毒な博士の本だとか、乞食として知られていて、その実、株で儲けて大金持ちだったおばちゃんについての伝記だとか、アホな本がたくさんあります。 読むのに事欠かない。 尾籠であるが、雑誌はトイレで読む事が多い。普段はNational Geographicを読んでいる。 したがって、あの黄色い表紙をマガジンスタンドに発見すると、なんとなくトイレ臭いような気がする習慣が出来てしまったが、そういう下品な話は割愛します。 時間が潤沢に余っている場合は、算数の本を読むことが多い。 これはときどき鉛筆を探して、こちょこちょと紙に書いたりもするので矢鱈と時間がかかる。 考え込んでしまう時間が長いので、あるいは、ああいうものは「読書」とはいわないかもしれません。 退屈すると、スプレッドシートを眺めて遊んでいることもあって、読んでいるうちに、 「あっ、ここで誤魔化しておるな」とか、「あんまり仕事してへんのだな」と、表計算を送りつけてきたほうには思いもよらないところを「読んで」いて、楽しい思いをすることがある。 モニがよく不思議がっている、わしの「表計算を眺めながらくすくす笑う癖」というのは、要するにそういうことです。 一方で、このブログを太古のむかしから読んでくれているひとたちが、よく知っているように、わしは年がら年中、うろうろしている。 うろうろしている、とゆっても、落ち着いて観察すれば地球の上をブラウン運動しているわけではなくて、もともとの歴史性、「ロンドンとニュージーランドを毎年往復していた」ということから派生した移動をしているのに過ぎない。 これは実はある種類の連合王国人には、かなり普通なことなので、日本の人には珍しいかもしれないが、連合王国人にとっては、そーでもない。 ロンドンからニュージーランドに至るには、わしガキの頃は、シンガポールか日本で乗り換えるのが便利であった。 … Continue reading

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普通の生活

モニとわしはニュージーランドにいるときには、オークランドのラミュエラという町にいます。ラミュエラロードを頂点に南北に広がる広大な住宅地の北側、海の向こうにランギトト http://www.arc.govt.nz/environment/volcanoes-of-auckland/rangitoto.cfm という700-600年前に火山の大爆発によって出来たなだらかな稜線の島が見える側に、わしらの家はある。 ドライブウエイがあって、そこをクルマでゆっくりゆううっくりとあがってゆくと、ちびラウンドアバウトのような車寄せがある。車寄せにクルマを駐めておりると、目の前に、建物がないとテントを張って暮らさねばならないので、モニとわしが雨露をしのぐ建物があります。 必ずしもクルマ寄せにクルマを駐める必要はなくてニュージーランドではどこの家も同じだが、コントロールを、ぶっ、と押すとぐわらぐわらと音を立ててガレージのシャッターが開く。 カリフォルニア人たちにとってはガレージとはクルマを駐めるところでなくて、日曜大工をしたり、趣味の工作をしたりする場所だが、ニュージーランドでは、ちゃんと「車庫」です。普通の家は二台クルマを持っているので、二台分のガラージである。 うんと古い家では一台しかないところもある。 新しい家のなかには、わしらの家の近所の夫婦のように6台分、というようなガラージをもっているアホな家もあります。 家の敷地は4分の1エーカー(1000㎡)を基本にしている、はずなのだが、どういうわけかラミュエラでは1200㎡が基本になってしまっているようである。 この頃は土地の値段が上昇したので600㎡をフルセクション、と呼ぶ、とんでもない不動産屋さんがいるそーだが、もともとはフルセクションというのはあくまで1200㎡、(日本の坪でいえば360坪)です。 わしは狭い家は嫌いなので、ダブルセクションの家に住んでいるが、これはあんましカシコクない人のすることであって、フルセクション、床面積240㎡くらいの家が自分達で面倒を見られる家の限界なので、ダブルセクションとそれに見合う建物の家になると、誰かに頼んで掃除をしてもらわなければならなくなってしまう。 芝を刈るにも、ローバーやホンダの手押し式の芝刈り機ではメンドクサイ広さであるのに、ライドオンムア http://www.consumer.org.nz/reports/ride-on-mowers を使うには小さすぎる、というので中途半端である。 夏になったら、テラコッタに敷きなおそうとモニとふたりで相談している、テラスの上にはブーゲンビリアが、びっくりするような凶暴な蔓で棚にからみついている。 その棚の下に8人掛けのチークのテーブルがおいてあって、暖かくなるとモニとわしはそこで朝ご飯を食べる。 これもニュージーランドではわりかし普通の習慣ですが、夕食は夕食用の部屋ちゅうもんがあって、そこでロウソクをテーブルや壁から腕がでた燭台に灯して、そこで摂ります。 (josicoはんのリクエストにしたがって、ニュージーランドの普通の生活を書いてきたが、ちょっと飽きてきた) およそ、わしの生活というようなものは世界中にちらかっていて、ほとんどいかないが、自分の会社がニュージーランドにもあるとゆっても、日本語でいう「本社」のようなものは双子で、マンハッタンとロンドンにある。 「ある」というが、じゃあ、いつも中心スタッフがそこに詰めているのかというと、そんなことはなくて、バルセロナに集結していたり、ニュージーランドのクライストチャーチに集っていることもある。 そのときどきの都合が良いところにいるだけのことで、これも、いまの社会では珍しいことではないと思います。 第一、伝統的な「会社」なんか運営しても面白いことは何もない。 わしは、なんでもスポーツカーみたく、CD値が少ないデザインが好きなのです。 ダサイことは、やりたくない。 税金みたいなものは、会計掛と相談して払いたいところで払う。 必ずしも、「税金が安いところ」とゆっているのではありません。 自分が「くだらない」と見なしている国には(無論、順法的に)税金を払ってやらないということで、たとえ、ニュージーランドとゆえど、アンポンタンな政権が出来上がって拙劣な国家運営に陥れば、そんな無駄使いされるに決まってる税金をくれてやるバカはいない。 21世紀という世紀は、あくまで住んでいる方が国を選ぶ世紀であって、その逆ではない。国の方もちゃんとそれを納得しているから、かろうじて社会がよくなっていっているわけで、税金を払うほうが、そこを投げやりにしてしまえば、もともとが絶対権力で甘やかされている「国」なんちゅうものは、暴走に暴走を重ねて、そのヘンの金持ちバカガキのように無駄遣いをするだけに決まっているので、せっかく「国家間の国民獲得の競争」という傾向が元にもどってしまう。 世界の経済は見た目よりもずっと危なくて、わやくちゃになる一歩手前で停滞している、という不思議な事態だが、ほんとうは特に日本のような国にとっては、20世紀末までの、大暴落がある旧来の自由主義経済のほうが、いまの高度情報化自由主義経済よりもよかったに決まっている。 (日本が経済について、トンチンカンなバカな手ばかり打っているのでは、どうやら一見は似ていなくもないふたつの経済の違いが全然わかっていなくて、いまだに世界が旧来の自由主義経済で動いていると錯覚しているせいなのかもしれませんが) 西洋世界は西洋世界で、破滅を避けるために工夫を重ねてすぎて、なんだかわやくちゃになって、なにがどこにつながっていて、どこにどんな脱出口を掘っておいたのかも判らなくなってしまった。 おかげで、日々、見たこともない新しい事態が起きるようになって、「せんせーい、教科書に答えが書いてありませーん」になってしまっておる。 こういう事態を、おっさんたちが禿頭を寄せ集めて、どの程度乗り切れるのか判らないが、なんだか無茶苦茶になって、世の中に阿鼻叫喚が渦巻くようになったら、いいやいいや、庵の戸を閉ざして、静かに紅茶を飲みながら、ゲームでもやるべ、と思っています。 もう何年かすれば「普通の生活」を送ること自体が贅沢になってしまうかもしれないし。

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幽霊だぴょん

1 ガキわしの頃、北半球の冬、南半球の夏を過ごした「牧場の家」はだいたい築100年で、連合王国の家に較べれば新築同様(^^)というべきだったが、それでも百年も家をやっていれば、そのなかで死ぬ人もいて、家に泊まった客のあいだでは「幽霊がでる」という噂が専らでした。 正面玄関をはいった両側とホールを突き当たって左に曲がる廻廊ぞいの4つ、合計6つの部屋が客用の部屋になっていたが、そのうち玄関をはいってすぐ右側の部屋に幽霊が出るという。 初めに「幽霊がでる」と言い出したのは連合王国から遊びに来ていたテスだかテレサだか、なんだかそういうバカげた名前のやたらおとなびた12歳くらいの娘で、ときどき開けておいたドアの陰に子供が立っている、という。 そのうちに、夜中にアメリカ人の夫婦が廻廊を背をまっすぐに伸ばして歩く老婦人が歩いている、と申告してきたり、やはり玄関の横の部屋に今度は「背の高い男」が夜更けに立っている、という。 この夫婦は廻廊をずっといった奥の左側のデカイ部屋に泊まっていて、この部屋からいちばん近いトイレは廻廊の反対側だったから、バスルームにすううっと消えた老婦人の背中を見送ったあとではトイレにいかれず、気の毒に奥さんは朝まで漏らしそうになりながら懸命にこらえていたそーである。 わしは、所もあろうに、自分が住んでいる家にお化けが出る、と聞いて、すっかり嬉しくなってしまったので、かーちゃんに頼んで、先刻のアメリカ人夫婦が滞在した部屋の向かいの部屋に自分の部屋を移して、夜中に努めて起きていることにした。 当時のガキわしの疑問は、幽霊は目撃談によると、思考しているように見えるが、大脳を器官として欠いているものが意識をもつ、というのは、どうなってるんだ、という事が最大でした。 大脳がなくても、意識がもちえて、思考ができれば、魂魄さえ宿ればポサムでも哲学書が書けてしまう。 それはそのまま、あの複雑でええ加減なニューロネットワークをこさえなければ人間に意識をもたせてやれなかった、神様の限界を示しているのであって、幽霊の存在を認めれば、神様が関与している自然の体系とは別の、しかも、もっとクールな自然体系がこの世にはあることになって、それではなんだか神様が気の毒である、と考えた。 だから、夜中に頑張って起きていて、幽霊ばーちゃんと話してみたかったが、そういう心がけだと幽霊と会えないとかで、到頭、いまに至るまで会えずに仕舞っている。 残念、というしかありません。 ランガムヒルトン、というロンドンのホテルは、成金お上りさんがよく泊まるホテルだが、このホテルは、ロンドンっ子なら皆しっている、元はBBCの宿舎であって、3XX号室は当時から誰も泊まってはいけないことになっていた。 夜中に、どーも息苦しいな、と思って目をさますと、壁から若い男が現れて、…ここから後が独創的だとわしは考えるが…まっすぐに宿泊者めがけて歩いてきてクビを絞めまくる、という。 この直截的に凶暴な幽霊の魅力には、とーちゃんがすっかり参ってしまって、自分の地位にものをいわせて、是非泊めさせろ、と交渉したがホテルに断られたよーだ、と、とーちゃん友達が述べていた。 とーちゃん自身にインタビューしてみると、「わしは、そんなことはやっておらんぞ」というが、建前として幽霊を信じていないことになっているだけで、旅行しても幽霊がでそうなホテルばかり選んで泊まる、という噂のひとであるから、そんな猟奇的父親が自分の息子にオオマジメな顔で語りかけることなど信じるに足りない。 第一、あんなマジメな顔でいうところが、そもそも怪しい、と思う。 そーゆーわけで、なぜかいつも絞めているボータイを外すと、そこには赤紫の手のひらのあとがくっきりとついている、というような非日常の味があるカッチョイイ父親を、わしはもちそこなったのでした。 2 合衆国で最も有名な幽霊の出没地といえば、なんとゆってもゲチスバーグ http://www.angelfire.com/journal/wordsareair/gettysburgghostphotos.html だが、あっちにも、こっちにも、北軍も南軍も一般人も、昼夜を問わず亡霊が出まくるので、幽霊見物に行くのに、最も外れがない、という。 外れがない、ということでいうと、むかしむかしは、鎌倉の消防署の辺りは松林で、夜にあの辺りを通ると、必ず馬のいななきや武者が敵を求めて呼ばわる声がしたそーである。 義理叔父は、ひところ、何回か死んだ戯作家の井上ひさしと横須賀線に隣同士で帰ってきたようだったが、鎌倉佐助に越してきたばかりの作家は、「原稿の締め切りが近いのに夜中に裏山から武者たちが叫ぶ声や馬のいななきが聞こえてうるさくて原稿が書けない」と、こぼしていたそうである(^^) わしは日本の墓地や「心霊スポット」や日本式幽霊が怖くなくて困った。 夜中に妙法寺の丘を散歩しても、全然ぐっと来ないので、一緒に歩いた義理叔父を落胆させたりした。 もっとも、わしは、墓地は西洋墓地であっても怖いと思ったことはなくて、怖がるよりも石の表に刻まれた、たとえば 女の名前で1890ー1907と生きていた年が書かれていて、その隣の小さな墓には 1907ー1909と刻まれていたりすると、このひとびとの人生には何が起きたのだろうか、と考えて、しんみりしてしまったりする。 たとえばギリシャ人たちの墓には生前の写真もはめ込まれているので、墓のあいだを散歩しながら、人間の一生というようなことを考えるのは、わしの散歩の楽しみの重要な部分をなしておるよーだ。 「呪怨」のようなよく出来た恐怖映画でも、ハリウッド版が怖いのでぎゃあああ、ぐわあああ、といいながらクッションを握りつぶして見ていたが、もっと出来が良いはずの日本版は、ちっとも怖いと思わなかったので、なんだか、そういう文化的な意匠に恐怖心が反応する、という面があるような気がする。 足のない日本の幽霊に較べて、どたどたと靴音を響かせて追いかけてくる中国の幽霊であったり、壁をぬけてあらわれる西洋や日本の幽霊に比較するに、ドアをどんどんと叩いて乱入しようとするニュージーランドの幽霊や、美しい若い女を見れば寝台に忍び乗って陵辱するインドネシアの幽霊、 幽霊が文化上の違いによって形態も振る舞いも異なるのは不思議である気がする。 どこか天上で談合したわけでもないのに、「死んだ人間の魂が実像をなして、現世に現れる」というコンセプトは同じだから、具体的な顕現に差異があるのは不思議なのです。 文化的差異、とゆえば、幽霊談義への反応が最もオモロイのは若いウクライナ人やロシア人で、スペイン人たちが酔っ払って幽霊談義を始めると、「ぶっ」と失礼にもみなで吹き出して、「幽霊なんて、信じてるの? いったい何時代の迷信家かね、きみらは」なんちゃってスペイン人たちを腐らせておる。 共産主義の置き土産で、彼らは、まったく、はなから、幽霊なんちゅうものがいるわけねー、と思っている。 唯物主義が「霊」などというものを押し流してしまった津波のあとに生まれた彼らにとっては、魂魄などというものは「遅れた資本主義社会の因循な迷信」なのです。 3 では本当に幽霊がいるのか、と問われれば、旧ソ連領人たちではないが、「そんなもん、いねーでしょ」としか、わしには答えようがない。 自然の世界っちゅうのは、訳が判らない、ほぼ無茶苦茶な世界なので、幽霊みたいな何の役にも立たないものがいても特に不思議ではないともいえるが、 「いない」と仮定したほうが世界を説明しやすい。 幽霊みたいなものにマジで存在されると、物理学も医学も、その他さまざまな科学の分野で書き直したり初めから考えそのものをやり直さなければならない事がいっぱいあるので、真理の神様としてもメンドクサイ、というのが本音であると思われる。 … Continue reading

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1 「例えば、この白ワインは」 と死んだフランス人の天才ワイン醸造家がBBCの特集番組で述べている。 「ニュージーランド人たちが作ったSauvignon blancだが」 「このワインは完璧だ。素晴らしい。フランス人には、こんな完璧なワインは作れなかった」 そうして、彼は、世界中の時間がすべて止まってしまったかのような様子で、 ニュージーランド人たちが丹精込めて作ったワインを光にかざして眺めている。 口に含んで、凝っと遠い一点を見つめている。 しばらくの沈黙のあとで、彼はこう言ったのでした。 「だが、魂がない。彼らのワインには魂がない。 そうして、欧州人たるわたしは、魂がないものを受け付けるわけにはいかないのだ」 この放送のしばらくあとで、彼は天罰がくだった人のように交通事故で死んでしまったが、わしは、彼によって発音された「魂」という言葉に戦いていた。 彼の「感覚」は、ほんとうの事を言い当てていたに違いない、と考えました。 わしには、彼の言うことが手にとるように判ったのだ、と言い直してもよい。 われわれは、どれほどたくさんの魂のないものに囲まれて暮らしていることだろう。 2 さっき、ツイッタで引用した、「Fool For You」 を歌っている Cee lo Greenは、しょうもないラッパーだが、やる気が起これば、このくらいのR&Bは軽くやれる、という点で紛いようもなく(当たり前だが)アフリカン・アメリカンの歌手です。 わしはアフリカン・アメリカンの友達に囲まれるようにして一時期を過ごしたので、彼らの「やる気を出したときの魂の実力」というものを良く知っている。 歌うことにおいて、踊ることにおいて、あるいはセックスにおいても(下品ですまん)、やる気を出したときの彼らは全身が「魂」であって、到底ほかの文化圏からやってきた人間が太刀打ちできる手合いではないのです。 いったい、あの魂ごと迫ってくるような目には見えないものの「実体」はどこから来るのだろう? 3 わしは夜更けの街の刺青にーちゃんやジャンキーねーちゃんが屯する広場にいることがあった。 言葉にするとカッコワルイが、わしは、要するに「タマシイ」を探していたのに違いない。 モニと結婚したので、モニはタマシイ以上の存在で、魂などはなくても良い事になってしまったが、それまでは、わしにとっては魂に触れられるか否かは、里見八犬伝の剣士たちにとっての仁義礼智信の玉よりも大事だったのです。 同じ事が同じように述べられても魂のあるなしによって、まったく違ったものになってしまう。 魂というものほど恐ろしいものはなかりけり、とよく考えたものだった。 だから、どっかで落っことしてしまった魂を探して、夜中のマンハッタンを、ロンドンを、あるいはパリをすら、わしは、ほっつき歩いたものだった。 4 魂についての知識は肉体に訊かねばならない。 肉体が十全に機能して、バク転はもちろん、十キロ泳いで20キロ走ってもヘーキという人でなくては「魂」と会話できないのだ。 人間が歳をとって最も恐ろしいのは、肉体が衰弱することではなくて魂と最早会話できなくなることであるらしい。 24歳くらいまでに、そう考えたわしは、精神よりも肉体を発達させることに専念したが、しかし、くまなく「言葉」で出来ているように見えて、そうでない「魂」はわしの知覚をすりぬけて、また迷宮に戻ってしまった。 5 … Continue reading

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コマツナさんのコメントを読んで考えたこと

コメント欄で「コマツナ」というひとが、テンプターズを知っているなんて、いったいいくつなんでしょう、と訊いているので、一瞬、人間の年齢の数え方でいうとおよそ2015歳とちょっとになる我が実年齢がばれたのかと思ってパニクったが、よく考えてみるとテンプターズなどはたかだか50年弱むかしのバンドに過ぎないので、特に二千年に及ぶ悪行がばれたのではないことに気がついて安堵しました。 しかし、こういう驚かれかたは、考えてみると、このブログを始めてから多分8回目くらいであってチロさんとかマココトとか、そーゆーひとびとに、浅川マキやなんかの話をするたびに懐かしがられてしまう。 そうして、(予想がつくと思うが)、こういう「驚き」は日本でしか成り立たないもののよーな気がします。 たとえば、わしの歳どころか、18歳くらいのそのヘンのガキをつかまえて訊ねてもジム・モリソン http://en.wikipedia.org/wiki/Jim_Morrison を知らない、ということは考えられない。 仮にLight My Fire http://en.wikipedia.org/wiki/Light_My_Fire が歌えないガキがいるとすると、そのガキはよっぽどのマヌケだが、 ジム・モリソンが死んだのは1971年、「Light My Fire」が初めに流行ったのは、 1967年のことです。 日本人の音楽趣味を代表する、ぴんからトリオの「女のみち」が400万枚売れたのは1972年のことなので、宮史郎がこぶしをうならせていた頃には、もうジム・モリソンはとっくのむかしにくたばっていた。 なぜ、こーゆー古い音楽がいまコーコーセイをしている諸君にも馴染みのある音楽であるかというと、英語世界では、ロックのごときものは、アイヌのユーカラのごとく、口承伝承されるものであるからで、ロックでなくても、たとえば The Three Stooges (1930年代)、Tom and Jerry(1940年代)、そして就中、「Monty Python’s Flying Circus」(1970年代)のようなものは、いやしくも大学生であれば、「スパム」の歌はちゃんと歌えねばならず、「やりすぎだよ、おまえ」と止められる、スペインの宗教裁判におけるテリー・ギリアムの形態模写も「そら」で精確に再現できるのでなければならないことになっている。 わしは「異文化蒐集家」なので、むろんのこと、「てなもんや三度笠」初出演の16歳のジュディオングも知っていれば、悪魔君の口まね、ナショナルキッドが飛ぶシーンのピアノ線まで、ちゃんと知っている。 のみならず、浅川マキ、シモンサイ、丸山明宏、ジャックス、水原弘、弘田三枝子などは歌える歌がたくさんある。 奥村チヨの「恋の奴隷」だって、ちゃんと歌えれば、ぴんからのトリオの「女の操(みさお)」という恐ろしげな題名の歌だって聴いたことがある。 われながら碩学でごんす。 日本で、たとえば高校生のガキどもが、かまやつひろしと笠井紀美子がデュエットするなかなかカッチョイイ歌を歌えたりしないのは、日本では流行歌が「消費」されてしまうからだろう。 「コマツナ」さんが述べていた「グループサウンズ」のひとびとは、きゃあきゃあという歓声なような嬌声のような訳のわからん阿鼻叫喚のステージに立って演奏しながら、「こんなクソ音楽ははやくやめて、まともなロックをやりたい」とひとしく念願していたそーである。 テンプターズもタイガースもオックスも、みな同じ悩みを悩んでいたわけで、そういう悩みにファンが反応していれば、日本にも伝承に足る音楽の文化が育っただろうけれど、ぬわあーに、彼らの頼みの綱だった「ファン」のほうは、別に彼らの音楽性を支持していたわけではなくて、ただきゃあきゃあゆってみたかっただけだったのです。 鼻をかめば捨てる、ティッシュペーパーと本質的には変わらない存在だったようだ。 戦争を通してヒューマニズムを描きたかったのに「黒い零戦」に乗った坂井三郎やなんかを描かされてくさりきってしまった「紫電改のタカ」のちばてつやや、ネームを編集者が全部書き換えて自分でいれてしまった漫画を描かされて精神に変調をきたした吾妻ひでお、というような例をもちだすまでもなく、漫画でも、ドラマで、映画でも、日本人の大好きな「一流大学」を出て、なんの才能もなく、マーケティングさえ、単なる鈍感人間の「山勘」から出た思いつきなのに、なんだかエラソーに何事か新しいものをつくりだそうとしている人間にあれこれ意見して、ドタイクツなクソ作品に仕上げたあげく、文化的価値なんか隅っこをほじくりかえしてもでてこないヘンな「文化商品」をでっちあげる日本社会の官僚制至上主義の伝統は、いまに脈々と生きている。 そこでもてはやされるのは、糸井重里くらいから始まったつくられた消費主義に幼いときから飼い慣らされた感性をもつ「消費者」に受ける「消費物としての創作」であって、そのあたりから始まった悪循環は、日本の文化を80年代くらいから、すっかり皮相なものにかえて、言語的に最も深刻衝迫した前線であるべき文学などはかけらも残らないくらい粉砕されてしまった。 僅かに普遍的な切迫した表現手段をもっていた漫画も、江戸以来しぶとい伝統の戯作の道を歩くことも出来たのに、もうとっくのむかしにアカデミズムっぽいこけおどしの衣装をまとったバカ「文学」派と相変わらず部数と読者数のことしかゆわないコマーシャリズムに自分のボーナスの額がかかっている出版社の商業主義との挟み撃ちにあって、ぺしゃんこに押しつぶされてしまっているのかもしれない。 せめて義理叔父の世代がまだ保持している、漫画の歴史的理解力、彼らのあいだでは伝説であるらしい「お荷物小荷物」のような世代財産的なドラマの記憶、そういうものが若い世代ではあたりまえのことになって、毎日刻々と大量に生産されては大量消費されて忘却の闇に大量廃棄される日本語文化が、せっかく質は高いものがまだ残っているのだから、 百年後の東京の町で、「はどどぼいるどどだど」と眉をつりあげる、高校生の姿を見たい、と日本文化に興味があった、いちガイジンは念願するのであります。 (画像はイーストビレッジ名物の「壁画」。これを見ると条件反射でカクテルを飲みたくなるのが難である)

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酔っ払い

ガリシアの町の路地で、飲んだくれて、モニと友達に「ガメ、ダイジョーブか?」とゆわれている深夜を思い出す。 われながら、とても滅茶苦茶だとは思うが、そーゆーダンちゃんであって、そーゆー友達なのだと思ってくれなくては、どうにもならぬ。 自分で考えても、16歳からあとは、素面でいる時間のほうが短かったような気がする。 図書館のカウチに横になって、フラスコからウイスキをちびちび飲みながら、シェークスピアやモンテーニュを読んだ。 高校生だったからな。 まだ古典が好きだったのです。 酒を飲みながら本を読むのに飽きると、ボートをこぎにいった。 学校がひけると、厩舎へでかけて馬に乗った。 学校がひけて馬に乗ったのは連合王国での話だが、ニュージーランドでは、尾根の向こうまで馬に乗ってでかけた。 「J」という名前のその牝馬はとても賢い馬で、クルマで出かければ山をぐるっと回っていかなければならない隣の牧場の友達の家に、人間でも踏み外すような細い尾根をたどって連れて行ってくれる。 わしはすぐに足を妙なところにおいてしまうので腎臓を圧迫しないように注意しながら、 出かけるときには、もう酔っ払って、左右にふりわけた袋にワインを3本づついれて、わしはジョニーにいる牧場まで出かけたものだった。 ジョニー(仮称)というのはね。 とてもオモロイ年長の牧場主の友達で、納屋には戦争が終わったとき、アメリカ軍が置いていったジープがあるんです。 なにしろカンタベリの牧場主は牧場の広さに応じて、退治しなければいけない野ウサギやポサムの数が決まっている。 尾根をおりてくるわしの姿が見えると、わしよりももっと酔っ払ったジョニーが家から現れて、 「おい、ガメ、野ウサギを撃ちに行こうぜ」というのが常だった。 血をみるのがふたりとも嫌いなので、酒でも飲まないとやってられない。 ふたりで、アイリッシュウイスキーを一本づつ飲んで、ジープに乗って野ウサギ狩りに出かけたものだった。 ジョニーは、ときどき、サイドミラーに映っているうさぎをショットガンでぶっ放したりした。「映っているうさぎ」ならばいいが、サイドミラーそのものをショットガンでふっとばしてしまうので、わしはそのたびに笑い転げたものでした。 ふたりとも、酔っ払って、なああああーんにも判らない。 丘からとびだして、平衡を失って ひっくりかえったジープの横でしばらく気絶していて、 意識がもどって馬の「J」のところにもどると、なんだか怒ったような顔をしているのです。 馬のほうが人間よりも遙かにまともな知性の持ち主なのは農場主たちにとっては常識というものである。 えっこらせ、とまた背にまたがって、ジョニーどんに別れを告げると、わしはまた細い尾根をこえて家に帰ったものだった。 帰りは、なにしろ盛大に酔っ払っているので、イギリス式でもアメリカ式でも手綱ももてやしない。 でも「J」は、大バカ騎手をうんざりした様子で背に乗せて、暗闇のなかを、足を滑らせないように注意しながら、帰って行った。 あるいは、大酔して、ガムトゥリーの樹上のポサムの目が四つに見える。 構わずぶっ放すと、さっきまで四つだったポサムの目が八つになっておる(^^) 奥方も出てきてしまったようだ。 ライフルでは当たらないので、ショットガンに変えると、もっと当たらない。 酔っ払って下から上に向かって射撃をしても全然あたるわけがない、という事を学習する前の話です。 いまも酔っ払っているので、ここから次への節へのつなぎの話は全部はぶいてしまおう。 大好きなハドソン河沿いにある、あのバーや、ヴィレッジのディアブロ、バルセロナの「K」、東京の山の手の「N」、クエルナバカのハイビスカスが中庭を埋め尽くしたバー。 モニと結婚しようと決めるまでは、ひとりで、わしはふらふらとあちこちに飲みにいったものだった。 それはなぜだったかと思い出そうとすると、やはり、あの「聞き取りにくい声」を聞きたかったからだと思い当たる。 神様はほんとうのことは、ささやくような、聞こえるか聞こえないかのような声でしか言ってくれない。 それも、ガードの下の浮浪者や、午前4時の公園のベンチで酔いつぶれている若い男や、 バーテンダーが聞き返すような、カウンタの客の不意のつぶやきや、 そんなふうにしか言葉に翻訳されない。 … Continue reading

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余白に記された神について

1 神が意識をもっているとすれば、その意識を形成している語彙は人間の語彙が知覚する対象の集合よりも大きくてしかも稠密な集合でなければばらない。 しかも、神が絶対の存在である以上、その言語は相互の意思疎通を前提としない、純粋に思惟のために機能する言語のはずである。 そのことから導かれる結論は、人間にとっては真に恐るべきものであって、神は人間の意識から見れば、理解を拒絶した巨大な狂気でなければならないはずである。 宗教教団が狂信なしに成立しないことは、ほぼ自明だが、この「自明な事実」にいつも脚注のようについてくる「教団の初期においては」という説明は、ほんとうだろうか? どの教団も歴史的には経験している「狂信」は、実は教団に本質的なものではなくて「神」というものに本質的なものではないのか。 2 仏教は常に宗教の「例外」である。 そこには、どんな種類の狂気も存在しない。 あるのはただひととしてのシッダルータがもっていた狂気だけです。 シッダルータの言葉は、論理的な冴えに乏しいが、光に満ちていて、どんな人間にも自動的に「知性」というものを連想させる。 救いのまったくない絶望を語りながら、釈迦に依って説明される世界に安らぎが満ちて、やさしいのは、シッダルータが説いたものが宗教でなくて哲学だったからだろう。 インドの土地には、いまでも哲学を宗教として死んでゆけるひとびとがいるからである。 3 「遠くから無言で見つめるやさしい眼差し」をもった神などは、いいかげんな気持ちでそれまでの人生を過ごしてきたものの自らの甘えの反映が自分の感覚に引き起こした極めて通俗な幻覚にしかすぎない。 宗教が狂気であることを理解できない人間が、どうやって神に近づいてゆけるだろう。 4 例題1: すでに神は昏倒している。

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愉快な友達

20代後半のふつーの外国人がもっている日本のイメージは「なんだかメチャクチャな国」だと思います。 特に悪い意味ではない。 デブのおっちゃんたちが丸いリングで力まかせに体当たりするオモロイ「スモーレスリング」が国民的に人気があるスポーツである。 この「スモー」は世界中だれでも知っていて、たとえばニュージーランドにも、 「スモー・スシ」「スモー・サンドイッチ」なんちゅう店があります。 Skyのスポーツチャンネルでも、「ノコッタノコッタ」は観られる。 バーガー・フューエル http://en.wikipedia.org/wiki/Burger_Fuel というニュージーランドでは矢鱈と人気があるハンバーガー屋のチェーンに行くと、店内の大スクリーンで営業時間のあいだじゅう、熱湯にとびこんだり、手足をしばってプールに突き落としたり、女の子の髪の毛を墨につけて人間習字をしたり、という日本の「オバカ番組」を流している。 だから日本では、どんなテレビ番組が人気があるか、ニュージーランド人は国民を挙げて知っている、とゆってもよい。 そのいかれっぷりのよさに爆笑してひきつけを起こしかけているバカガキどもがたくさんいます。 東京の街には、イカレ・カッコイイ、スーパー・クールなファッションの「ハラジュクガールズ」が超短いスカートで闊歩していて、渋谷の空の上にはサイヤ人たちの筋斗雲が飛び交っていて、ガキどもはポケモン図鑑を完成することを人生の重要な目標にしている。 政治は常に大混乱をきわめていて首相がころころ変わる。 首相に向かって国会で国会議員がオオマジメな顔をして漢字が正しく読めるかどうか試している。 女の高校生にはエンコーの「ダンナ」がついている。 夫婦は西洋に較べると、ずっと他人同士に近くて、夫婦間のセックス回数は世界でいちばん少ない。 都合が悪いことは、なんでも歴史から消しゴムでごしごし消して、南京虐殺などは、とっくのむかしに「なかった」ことになっている。 カッチョイイ極彩色の刺青を全身に彫り込んだマフィアが文化の一部として受け入れられていて、そのメンバーは、実質的に強姦も暴力行為も恫喝もやり放題で警察もあまり熱心に取り締まらない。 ….だいたい、そーゆーイメージだろうか。 日本という国では、みながオオマジメな顔で、むちゃくちゃの限りをつくしていて、抱腹絶倒というべきか、世界中の「ヘン」なことは、日本に行けばみんなある。 面白い、と思うのは、日本人が心に描いている「自画像」は、他人から観た日本人像とまるで違っていて、「マジメで、賢く、落ち着いていて、礼儀正しい」という優等生イメージであることです。 日本にいるあいだ、わしは、これをなかなか愉快なことである、と考えた。 道を歩いていると、顔にでっかいマスクをかけて、サンバイザーを、どうしたらそんなけったいなかぶり方を思いつくのか、おもいきりあごのほうに下げて覆面おばちゃんみたいなかぶりかたをした、しかも肘までの長手袋(!)をして、しゃなりしゃなりと歩いている。 なんとなく、ニッカーズ(アメリカ人がパンティというアホまるだしの言葉で呼ぶ女びと用の下着の事です)を頭にかぶって、ディルド型の煙管をくわえた貴婦人のようである。 でも、あれも、本人はオオマジメで優雅なファッションのつもりであるよーだ。 床屋政談、というが、男達は男達で、「おおきな政治の話」をするのが大好きなようでした。 よるとさわると、中国の尖閣諸島侵略の話や、「鳩山はいかん。鳩山は、人間的に信用できん!」なんちゃってコーフンしておる。 現実の世界を離れて、インターネットのほうへわけいってみると、もっとすごくて「革命演説会」のごとき様相を呈しておる。 ははは。 懐かしいな、日本。 三四年前は亀夫どんも若かったので、日本の人に、そーゆーことをやっているといまにえらいことになりまっせ、と「心配」したりしていたのだった。 驚いたことに、その頃、バカ心配をしたようなことは、みな現実に起きてしまって、 先延ばし繰り延べ延期の先延ばし先送りで、なんとかまだ社会が生きているように取り繕っているが、到頭、あの巨大な海外資産と釣り合うほどの借金をこさえ、放射性物質は国土の過半をおおい、知的水準は下がりに下がって、かつてのバランスを欠いてはいるものの突出した領域をもっていたマイクロ文明は、いまや消滅してしまった、とゆってもよい。 でも、日本は、世界を楽しませてくれた。 いま30代の欧州人で子供のときにドラゴンボールに熱中しなかった人はいないでしょう。 それを思えば、遙かなむかしから、日本のひとは、この世界に西洋人には思いも付かなかった娯楽を提供してきてくれた。 ひとつの国が出来る世界への貢献、なんちゅうものは、たかが知れている。 なあーんの貢献もなしに、勝手に栄えて勝手に滅びるのが、国の盛衰というもののふつーの姿であると思います。 本当は、どうなるのか判らないが、世界中のひとは、地震で原発がぶっとんじったのは仕方がなくても、その後の日本社会の事故への反応を見て、「あんまり見たくないものを見ちったなあ」と思っている。 これが、あのハラジュクガールズの国の姿なのか。 … Continue reading

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