普通の生活


モニとわしはニュージーランドにいるときには、オークランドのラミュエラという町にいます。ラミュエラロードを頂点に南北に広がる広大な住宅地の北側、海の向こうにランギトト
http://www.arc.govt.nz/environment/volcanoes-of-auckland/rangitoto.cfm
という700-600年前に火山の大爆発によって出来たなだらかな稜線の島が見える側に、わしらの家はある。

ドライブウエイがあって、そこをクルマでゆっくりゆううっくりとあがってゆくと、ちびラウンドアバウトのような車寄せがある。車寄せにクルマを駐めておりると、目の前に、建物がないとテントを張って暮らさねばならないので、モニとわしが雨露をしのぐ建物があります。
必ずしもクルマ寄せにクルマを駐める必要はなくてニュージーランドではどこの家も同じだが、コントロールを、ぶっ、と押すとぐわらぐわらと音を立ててガレージのシャッターが開く。
カリフォルニア人たちにとってはガレージとはクルマを駐めるところでなくて、日曜大工をしたり、趣味の工作をしたりする場所だが、ニュージーランドでは、ちゃんと「車庫」です。普通の家は二台クルマを持っているので、二台分のガラージである。
うんと古い家では一台しかないところもある。
新しい家のなかには、わしらの家の近所の夫婦のように6台分、というようなガラージをもっているアホな家もあります。

家の敷地は4分の1エーカー(1000㎡)を基本にしている、はずなのだが、どういうわけかラミュエラでは1200㎡が基本になってしまっているようである。

この頃は土地の値段が上昇したので600㎡をフルセクション、と呼ぶ、とんでもない不動産屋さんがいるそーだが、もともとはフルセクションというのはあくまで1200㎡、(日本の坪でいえば360坪)です。
わしは狭い家は嫌いなので、ダブルセクションの家に住んでいるが、これはあんましカシコクない人のすることであって、フルセクション、床面積240㎡くらいの家が自分達で面倒を見られる家の限界なので、ダブルセクションとそれに見合う建物の家になると、誰かに頼んで掃除をしてもらわなければならなくなってしまう。

芝を刈るにも、ローバーやホンダの手押し式の芝刈り機ではメンドクサイ広さであるのに、ライドオンムア
http://www.consumer.org.nz/reports/ride-on-mowers
を使うには小さすぎる、というので中途半端である。

夏になったら、テラコッタに敷きなおそうとモニとふたりで相談している、テラスの上にはブーゲンビリアが、びっくりするような凶暴な蔓で棚にからみついている。
その棚の下に8人掛けのチークのテーブルがおいてあって、暖かくなるとモニとわしはそこで朝ご飯を食べる。
これもニュージーランドではわりかし普通の習慣ですが、夕食は夕食用の部屋ちゅうもんがあって、そこでロウソクをテーブルや壁から腕がでた燭台に灯して、そこで摂ります。

(josicoはんのリクエストにしたがって、ニュージーランドの普通の生活を書いてきたが、ちょっと飽きてきた)

およそ、わしの生活というようなものは世界中にちらかっていて、ほとんどいかないが、自分の会社がニュージーランドにもあるとゆっても、日本語でいう「本社」のようなものは双子で、マンハッタンとロンドンにある。
「ある」というが、じゃあ、いつも中心スタッフがそこに詰めているのかというと、そんなことはなくて、バルセロナに集結していたり、ニュージーランドのクライストチャーチに集っていることもある。
そのときどきの都合が良いところにいるだけのことで、これも、いまの社会では珍しいことではないと思います。
第一、伝統的な「会社」なんか運営しても面白いことは何もない。
わしは、なんでもスポーツカーみたく、CD値が少ないデザインが好きなのです。
ダサイことは、やりたくない。

税金みたいなものは、会計掛と相談して払いたいところで払う。
必ずしも、「税金が安いところ」とゆっているのではありません。
自分が「くだらない」と見なしている国には(無論、順法的に)税金を払ってやらないということで、たとえ、ニュージーランドとゆえど、アンポンタンな政権が出来上がって拙劣な国家運営に陥れば、そんな無駄使いされるに決まってる税金をくれてやるバカはいない。
21世紀という世紀は、あくまで住んでいる方が国を選ぶ世紀であって、その逆ではない。国の方もちゃんとそれを納得しているから、かろうじて社会がよくなっていっているわけで、税金を払うほうが、そこを投げやりにしてしまえば、もともとが絶対権力で甘やかされている「国」なんちゅうものは、暴走に暴走を重ねて、そのヘンの金持ちバカガキのように無駄遣いをするだけに決まっているので、せっかく「国家間の国民獲得の競争」という傾向が元にもどってしまう。

世界の経済は見た目よりもずっと危なくて、わやくちゃになる一歩手前で停滞している、という不思議な事態だが、ほんとうは特に日本のような国にとっては、20世紀末までの、大暴落がある旧来の自由主義経済のほうが、いまの高度情報化自由主義経済よりもよかったに決まっている。
(日本が経済について、トンチンカンなバカな手ばかり打っているのでは、どうやら一見は似ていなくもないふたつの経済の違いが全然わかっていなくて、いまだに世界が旧来の自由主義経済で動いていると錯覚しているせいなのかもしれませんが)
西洋世界は西洋世界で、破滅を避けるために工夫を重ねてすぎて、なんだかわやくちゃになって、なにがどこにつながっていて、どこにどんな脱出口を掘っておいたのかも判らなくなってしまった。
おかげで、日々、見たこともない新しい事態が起きるようになって、「せんせーい、教科書に答えが書いてありませーん」になってしまっておる。
こういう事態を、おっさんたちが禿頭を寄せ集めて、どの程度乗り切れるのか判らないが、なんだか無茶苦茶になって、世の中に阿鼻叫喚が渦巻くようになったら、いいやいいや、庵の戸を閉ざして、静かに紅茶を飲みながら、ゲームでもやるべ、と思っています。

もう何年かすれば「普通の生活」を送ること自体が贅沢になってしまうかもしれないし。

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