ガメ・オベールからの手紙_1

ぼくは、と書き出すと、きみはのけぞってしまうだろうが(^^)、今日はこの主語のほうがよいような気がします。
ぼくがこのブログを書き出したそもそもの初めには、ぼくは自分がもっている日本語を結集して「日本語の力」とでもいうべきものを作り出し、そうして出来た「日本語人格」できみに話しかけようと思っていた。
だから、このブログからは削除されてしまっている、もっとも初めのブログでは、「わし」は日本人だということになっていました。
ぼくの従兄弟は父親が日本人であり、ともに日本に住んでいたこともあったので、「日本人だ」ということにして世の中を欺しおおせる自信があったからです。

初めは、疑いもなく、それもまた自分の一部である、無軌道で世の中の約束をいっさい守らず、それへの当然の世界からのしっぺがえしとして、いまにも世界から存在を抹消されてしまいそうなgame_over寸前のガキわしの疾走を書こうと思っていたのです。
理由は簡単で、このブログは、もともと「ゲームブログ」だったから。

第一、成功していて、何不自由なく暮らしている人間のブログなど読みたいと思う人がいるわけはない。もともと実際にもっている自分のチョーデタラメな部分を誇張して、それだけで一人格にしてうけちまうべ、と考えたのでした。

それが、いまのようになしくずしに現実のぼくに近付いてきてしまったのは、簡単にいうと、予想もしなかった、すさまじい数の「おちこぼれガメ・オベール」への嘲りと集団攻撃だったと思います。
それは最近でも自分の頭の悪い読者をひきつれて誤読に基づく無意味な罵声を投げつけにきたあげく、「おちこぼれが」と嘲笑しにきた小説家がいたので、きみにも想像がつくと思う。
普段だったら、口を利かないですんでいるはずの、こういう人外の魔境に育ったような奇妙なものに臭い息を吹きかけられるようにして話しかけられるのは、あまりに鬱陶しかった。

現実の「わし」は、ぼくでもおれでもない「I」という要塞じみた主語をもつ英語の世界の住人で、日本語人であるきみが考えるよりも、もっと隔絶して異なる感情世界に住んでいる。
較べるもなにも、ふたつの世界は「まったく異なる」ので、表面に似たところはあっても、それは生物の世界でいう「相似」(analogy)にしかすぎなくて、明治時代に生きた軽薄才子であった福沢諭吉というひとが考えたような「日本人より優秀な先行者」というものでは全然なくて、優秀も劣等も、まるで違うので「較べる」ということが意味をなさない。

ぼくは日本は、やはり「洋化」など考えるべきではなかった、と思う。
仮に洋化が可能な方法が存在したとすれば、普段つかいの言葉を欧州語のどれかにするしかなかった、と思います。
伝統も思考の習慣も異なるのに、日本人は科学の世界ではまったく違和感を感じさせない。
数学や理論物理学の世界では、かなり早くから、たとえばスズキイッペイはスズキイッペイ個人でしかなくて、ときどき何かの弾みで、ああ、そう言えばあのひとには「日本人」という属性があるのだったな、と思う、というふうでした。

それは科学の世界にはかつての欧州のラテン語にあたる「数学」という言葉があるからで、実際にそれを用いて宇宙について考えをすすめていったり、お互いにコミュニケートできる、という点で正に「言語」である数学でできた人格同士、かなりはやくから、高木博士に至っては一生の前半は「日本人」であったのに後半は違う、というくらいの迅速さで、いわば「洋化」した。

「洋化」と書いたが、この場合の「洋化」は通りに立ち並ぶクラブが、みな洋服を着ているひとばかりなので、メンドクサイから、おれも洋服くらいは着て先行者に敬意をみせてやるか、という程度のことで、「脱亜入欧」などという、バカみたい、とゆって悪ければ、いかにも言語が思考人格のすべてである、ということへの理解を欠いた「決意」とは異なって、皮相的な妥協にしかすぎない。
相手のルールにあわせて行儀よくしてやるか、というだけのことです。

「わし」ガメ・オベールには、windwalkerという、いま思い出しても懐かしい、もういちど会いたくなる、激しい民族差別主義者でアニメオタクの友達がいて、あるときついにエセ科学をふりまわして半島人を攻撃しはじめたので、どんな意味でも友達ではいられなくなってしまったが、彼には「自分の頭で考える」という普通の人間にはない能力があった。自分で本で読んだことをいつのまにか自分が考えたことだと思い込んでしまう、このブログにやってきたひとたちでゆえば、あとであらわれた、上に述べたナマハゲじみたなんだかよく判らない集団イジメが趣味らしい作家や他の、ほぼ同列なメンタリティの奇妙でバカバカしすぎて最後まで相手にする気が起こらなかった歴史オタクとはwindwalkerは、その点で決定的に異なっていた。

彼は徹底的に孤独なひとだったが、それは、あの作家と友達たちのようにお気楽に「西洋」をわかったつもりでトンチンカンで噴飯ものの「西洋観」を振り回したりするには、思考的な勘にめぐまれすぎていた彼の「日本語人の孤独さ」だったと思います。
windwalkerは妙に羞(は)にかむ彼らしく、自分の孤独が自分の非社交性からきている、と信じ込んでいるようだったが、ぼくはずっと本当の理由を知っていた。
あのひとが全身で感じ取っていたのは「日本語で考える人間」というものが、この世界でいかに疎外されて孤独か、ということだったと思う。
アニメ、というものを日本人がアイデンティティを保つための神宝であるかのように述べていたのも、そういう理由からでしょう。

たとえば、きみがフランス文化を理解しようと思えば、最小の条件はフランス人とほぼ変わらないフランス語能力を身につけることで、それ以外に方法はありえない、という事情については、長くなるので、また別の機会に書くことにしますが、89歳で死に場所を求めて日本にやってきたドナルド・キーンが日本について何事か意味があることを述べられるのは、戦時通訳としてジャパノロジストとしてのキャリアを始めたキーン先生が、「人格」としてまとまった集合をなせるほど日本語を蝟集させているからであって、ちょうど太陽が自らの巨大な質量と重力によって核融合を起こすように、ひとつの言語体系がまとまった「体」(body)を成すと、その言語が自律的な運動を始めて「思考」というものが始まる。
言語が日本語であれば「日本語の思考」が始まり、フランス語であれば「フランス語およびロマンス語の思考」が始まる。
そのふたつの互いに連関のない自律運動には、架け橋というようなものはありえなくて、翻訳や通訳は、あくまでも生物でいう「相似」(analogy)にしか過ぎない、とぼくは思う。

ガメ・オベールは、そういう意味において、どんな場合にも日本人だった。

フクシマダイイチと1945年に終わった日本の戦争には共通しているところがある、と感じている人は多いと思います。
それは結局は身につかなかった派手な服、微妙に形が狭くて足の甲を圧迫する靴、歩き方にあわない靴の踵の形、長すぎる袖のシャツであって、1868年に「洋服でないとダメな乱暴な客がくるから、とにかく、ぐだぐだいってないで、とりあえずのいまは、この服を着ろ」とどやしつけられていやいやながら洋服に手足を通したら、今度は、客がいなくなっても、そのままでいろ、と理不尽に命じられたようなもので、その無理が屋上屋に重なって、とうとう破綻してしまう、という構図が同じである。

たとえば天皇は「絶対」ということになっていたが、あれが絶対だったのは「西洋には神聖な『絶対』権力ちゅうもんが、あるんだってえ」と誰かが言い出して、あたりを見渡して、ぱちもんでもいいから絶対というものに化けそうだったのが、あれしかなかったから「お上」は絶対というものになった。
天皇は、それまでは「生きて動いている神棚」みたいなものだったはずで、いちばん神聖だが西洋のように「絶対的な権力」をもってしまえば、その権力をもつものは相対化されてしまうという至極理屈に適った常識によって権力はもっていなかった。
案の定、絶対パワーだったはずの天皇が戦争にぶち負けてしまうと、説明のしようがなくなって、「あっ、わし、神様じゃなくて人間だし」といいだすという醜態をさらすことになった。

いまの皇室は、もうあまりこの先の将来はないように見えるが、それも無理な洋化のせいと言えなくもない。

「和魂洋才」は、できるわけがなかった、というが、急場はそれで凌いだのでした。
問題は、その後、「急場のでっちあげ」を恒久化させようとした部分にあるようです。
欧州を最下層人として放浪した金子光晴や日本が日露戦争という絶望的な祖国防衛戦争を戦った1904年、ワシントンDCで売春婦との生活に惑溺していた永井荷風のようなひとびとは、そういう事情をよく知っていた。
彼らの一生を通じて響いてくる「日本とは何か」「日本人とは何か」という基底音は、ぼくから見ると、むしろ当然の音調であると思える。
そのずっと後、80年代くらいから現れる「西洋文化を日本化しましたあああー」な、お気楽で、問題意識が根本的に欠落したゲージツカたちは、自分達の世代においてはすでに意識しなくていいはずだ、と「なんとなく」思っていた「日本は西洋ではない」という問題の解決なるものが、単にハリウッドの会社をポンと買えるほどになっていた「円」と、「そう思ってみれば元のものに似ているかも」という程度の「翻訳文化」とで、弥縫された書き割り建築だったことをすっかり忘れていたように見えます。

たとえば、民主主義でいうと、欧州人はこれを捨ててしまうかもしれない、という可能性が日本の人にはピンとこないようだ。
自分でつくったもの、というのは、その機能も限界もよく知っているので、ダメなところもつくづくよく知っている、というのはフクシマが津波に襲われたとき、アメリカの技師たちが(遠巻きながら)大パニックに陥ったのに、日本の技師達は「現代原子力技術の完成度をなめとるのか」と胸を張ってしまったのと事情は、とてもよく似ている。

民主主義を生み出した当の欧州では、民主主義という社会モデルが、あくまでも「小人口大資源」の個々人の生産性が高い社会でしか成り立たないのを(あたりまえのこととして)熟知しているので、社会の生産性が低下し、移民の流入が止まらなくなって、社会が混雑してくると、厳しい危機意識をもつひとびとの一群があらわれる。
「個人を絶対に全体の部分とみなさない」個人主義に立脚した民主主義でないモデルを見いださないと将来がなくなるのではないか、と真剣に心配しているひとびとがいる。

そういう動きに反対・対抗の立場のわれわれは、日本語でしかこんなことは書けないが、要するに「そんなことは、問題が起きてから心配すりゃいーだろ」といっているだけのことで、自分で考えても説得力がないこと夥しい。

ところが日本にいたときのことを考えてみると、日本ではなんだか民主主義はイシコリドメがこさえてアマテラスオオミカミがニニギノミコトの手を経て民にたまわったごときものであるらしくて、戦前でいう「天皇陛下」のごとき扱いに見えました。

しかも、それには民主主義的議論というものが「広く胸襟を開いて、みんなのそれぞれ異なる意見を聞いて、納得がいくまで話し合うことだ」という民主主義についてのかなり重要な「誤訳」がくっついていた。

かなり重要な、と言ったが、どちらかといえば、致命的な「誤訳」だったと思います。
それは遙かな昔、末期の古代ギリシャ人たちが自分達の国を滅ぼすに至った、有名な民主主義の頽廃した姿であって、どうも「ニューディール原理主義者」(は、ヘンだが他に呼び方も思いつかないので)、過激かつ非現実的な社会主義思想の信奉者たちであったGHQの青年改革者たちによって輸入された思想がもとになった「誤訳」であるように思えることがありますが、ほんとうはどうなんだか、まだよくわからない。
判っているのは、結局「ものを決めないこと」が民主主義の手続きになってしまったことで、自然のなりゆきで無責任をきわめる出来損ないの評論家みたいなひとがメディア上にもインターネット上にも増殖して国ごと麻痺することになった。

それがどうやって日本の最近の破滅を招来するに至ったかの具体的なメカニズムは、もう長くなったので次の機会に譲ることにします。

(つづく)

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5 Responses to ガメ・オベールからの手紙_1

  1. あめつち says:

    ガメさん、こんにちは。
    これを読んで流れてきた涙のワケが解らず困っている。落ち着いたらまた、足跡残します。
    (写真の美しい人の微笑みに、抱きしめられたようです。ありがとう)

  2. 妖怪目玉 says:

    ガメ様こんばんは。
    綺麗なお姉さんですなぁ。
    唇が厚くて情が深そうな優しい印象の人ですね。

    >ぼくは日本は、やはり「洋化」など考えるべきではなかった、と思う。

    と言われても、既に洋式の生活が一般化してから日本に生まれ、
    それも日本の中で最も日本らしさの少ない生活様式な
    北の果てに育った私は困ってしまいます。

  3. コマツナ says:

    >較べるもなにも、ふたつの世界は「まったく異なる」ので、
    表面に似たところはあっても、それは生物の世界でいう「相似」(analogy)にしかすぎなくて、明治時代に生きた軽薄才子であった
    福沢諭吉というひとが考えたような「日本人より優秀な先行者」
    というものでは全然なくて、優秀も劣等も、まるで違うので
    「較べる」ということが意味をなさない。
    ぼくは日本は、やはり「洋化」など考えるべきではなかった、と思う。

    ここを読んで、遠藤周作の「白い人・黄色い人」「留学」
    そして「沈黙」を思い出しました。

    小説は今もあまり読まないけれど、
    これらの本は、高校生の時読み(たぶん宿題か何かで)、
    作者のいいたいことはだいたい想像できました。
    彼は自分のフランス留学経験から、ヨーロッパと日本の
    間にある大きな断絶と、暗い留学生活を描いていました。

    「沈黙」は大人になってからまた読みましたが、
    高校の時とはかなり読後感が異なり、すごい作品なのだと
    わかりました。「沈黙」は、彼の信仰体験なのだと
    思いますが、キリスト教をたとえて、たしかエッセイかどこかで、
    母から押し付けられた体に合わない洋服をどうするか、
    というような表現をしていたように思います。

    長崎から少し離れた土地にある彼の文学館で、
    「沈黙」の原稿を見ました。
    小説の中で私が打たれた箇所を見てみると、
    その箇所の原稿は、他の箇所と違って、一文字の
    修正もありませんでした。

  4. oro_nine says:

    やっぱり泣きそうになるのはなぜなのか。少しワインが入っているせいか?
    そうではない。のはわかってます。
    ガメさんは、このブログを書くとき「自分に向き合っている」のですね。
    それを読む行為は、読んでる側が「自分と向きあわなくてはならな」くなるから泣けて来るんだといまわかった。
    私は、よくも悪くも随分と幼い頃に自我に目覚める環境にいて、小さな頃から「自分ってナンダ??」と思って独りの時間を過ごしてきた。
    はじめはそのつもりのなかったブログで自分と向き合っているガメ・オベールと、そのつもりがなかった読者が自分自身と向き合っている…そういうカルマみたいなものを、少し感じました。

    粘着質なことを言いたいわけではなく、「ちょっとそう思った」程度で受け止めてくださいね。

    言葉というのは不思議なモンです。

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