われらの力

18歳のきみは、午前3時の台所の冷たい床の上に素足で立っている。
ひとがもう皆、寝静まっている、こんな時間に起きているのは、特に理由があるわけではない。
眠れないので、ただ起きていただけのことです。
ただ、ぼおおーと起きていると、いったいこんなことやっていてガッコーを出たらどーするんだ、とか、博士号とると就職なんてねーぞ、という噂だが、なんだっておれは、そんな途方もない先のことを考えているんだ、とか思考だか妄想だかもよく判らなくなった自分の頭のなかにうんざりしながら、冷蔵庫のドアを開けて覗き込んでいるところです。

チェダーチーズの切れ端、一個しかない、いつ買ったのか思い出せない卵、ベーコンがふた切れ、それしかない。
なんだか壮絶な、何もない冷蔵庫だなあー、と考えたところで、きみは、ふと、きっと、この同じ時間、たったいま、自分と同じように貧弱な内容の冷蔵庫のドアを開けて、腹が減った、と考えている、もうひとりのきみ、3人のきみ、何十人、何百人という「きみ」が、世界中にいるのだという絶対の確信に襲われる。
きみが、妹が偶然台所にいあわせれば、実の兄ながら見るからに身の毛がよだつ、ヘンタイみたいなものすごい笑みを浮かべていたのは、そのせいです。

それなのに、110番するなんて、ひどいやん。

ニュージーランドの南島というところは、やたらと人間が少ない島で、坪で言えば60万坪、なんちゅう牧場はザラにあります。
羊は特に、あの、なんとなくばかばかしい前歯で草の根っこごと掘り起こして食べてしまうので広い土地がいる。
最近、羊を飼う農場がどんどん減っているのは、おおもとはジーンズの普及のせいで、ダメ押しは中国の羊毛の値段に逆立ちしても牧草の上でブレークダンスを踊ってもかなわなくなったからだが、手間がやたらとかかる羊が、現代の農場主たちの好みにあわなくなったからでもある。

牧草地を売って、ひとつ40エーカーくらいの小さな牧場に分けて土地を売るようになり、それをまた小さくわけて、8000坪くらいの「ホビー・ファーム」を売るようになった。
60万坪や百万坪の農場は、だいたい山に囲まれた谷間のようなところにあって、冬には四駆でも道が通れなくなって、パドックの滑走路から飛行機で買い物に行ったりします。
そういう農場の家はさすがに孤立して立っていることがあるが、通常の10万坪、というような農場の家は、お互いに見えるところに建っている。

カンタベリーの最も典型的な家のつくりかたは、交差点の四隅に面して家が建っていて、そこから放射状に牧場地が広がっている、という家の建て方をする。
農場に電話線や電線をひくときには、引き込み線のぶんだけ自前で払う、という理由もあるが、「他人が見えないところに住むな」という。
遠くから、顔があった同士が、手をふって挨拶できるくらいがいい、という。

人間は「社会的動物」だ、というが、なにもそんなに肩をいからせなくても、人間は他のひとが見える生活をしていないと不安に陥りやすい生き物だ、ということなのでしょう。
わしのむかしからの友人ナスどんが、息子と娘の健康を心配しているとき、
「放射性物質なんて、健康の被害はないんだよ」という人に出会って、「この人は姿が見えない人だ」と考えて意気消沈してしまうのは、だからであると思われる。
この目の前に立っているひとは、人間で「個人」の姿をしているが、ほんとうは「国家」というものの部品にしかすぎなくて、人間だけど機関の部分にしか過ぎないのではなかろうか。

ううっ、寒い、寒いぞ!
と震えながら、きみは、夜明けまではまだ全然遠い、まっくらな外が映っている窓のそばのテーブルで、一個だけの、フライパンにいれたら黄身が広がってぺしゃんこになったところがやや不審な目玉焼きと、甲状腺癌のことを考えていたら、バセドー氏病に考えが行ってしまい、あれはなぜ眼球が突出するか順を追って説明できるのかおれは、と考えていたせいでちりちりになって干物のような情けない姿になったふたすじのベーコンをわびしく眺めながら、スタウトを開ける。

すると、また、その侘びしさの奥の方から、「おれはたくさんいるのだ」という、あの「聞き取りにくい声」が聞こえてくるようです。
寒い夜に、十分な準備もなく、ひとりぼっちで、膨大な未来の影に怯えている、何百、何千という「自分」が、外の闇の向こうにいるのを感じる。

とりあえず、あの訳のわからない熱力学の本が理解できるようになる頃には、おれは「誰か」に会えるだろうか、その「誰か」とおれは、決してつるむことなく、おれはオレジルシのニコちゃんブランドを保ちながら、「誰か」とも分かり合い、時間をともにしあって、あるいは感情を交換し、理解すらしてしまいながら、とうとう最後にはお互いに「ほんとうのこと」を打ち明けてしまい会える、あのパラダイスにたどりつくだろうか。

午前4時の爆走する妄想みたいな頭のなかで、きみは世界中の「きみ」と連帯し、ふざけんなおれは放射性物質にひたって暮らしたくなんかないのだ、と明瞭にいいきり、
おれはどのような意味においても社会の部分なんかではなく、このかっこわるい耳たぶも、奇妙に長い、足の二番目の指も、不細工に突き出た膝小僧も、全部おれのもので、おれだけの所有物で、日本という国はまったく判っていないようだから念のためにゆっておくと、おれの魂だっておれのものだ、と再確認する。

そう、ものくるおしけれ、とまでに考えて、冷たい窓をおもいきって開けて街をよくみると、午前4時もまわったクソ時間に、あちこちのビルの窓が点点と明かりを灯していて、
全体の部分になれなかった、たくさんの「きみ」が、あるいは無理矢理にゲームに夢中になり、あるいは頭から毛布をかぶって声を殺して泣き、または枕をうなじの上においてうつぶせに伏せるという複雑な姿勢で絶望し、アマゾンで買った2000円のベンキョー椅子に腰掛けて壁の一点をドリルで穴をうがつように見つめ続けている、たくさんの「きみ」がいるだろう。

日本にいたとき、日本人は「集団で力を発揮する国民だ」と聞いていたのに、わしはそう感じなかった。
悪く言うと、「どのひとも言うことは同じなのに、てんでんばらばら」と感じたものでした。
集団が集団の利益を追求して集団行動をとるためには、個人がてんでんばらばらでないと統制するのに都合が悪いのは論理的にいってあたりまえで、わしの観察では、日本という国では、社会全体が個々人を分断するために周到につくられていた。
国家の「部分」として個人の力が最大限に利用できるように文化としてうまく準備されていたと思います。

社会の都合と異なる意見のもちぬしがあらわれると、以心伝心で、彼もしくは彼女が「価値のないもの」であることを既定事実であるかのように見せかける腕前は、芸術的、というか、まるで訓練の行き届いたサッカーチームの試合を観ているようで、自分が対象になっているときでも、結構たのしめるくらいのものであった。

それがフクシマダイイチの事故が起きてから、変わった、と思っています。
どうも「部品」たちが人間として目をさましてきて、(日本の政府や支配層にとってはたいへん都合が悪いことには)、「個人」になってしまいそうである。

60年代を通じて団塊世代はヘルメットをかぶって、自分達を「共産主義の兵士」とみなして、ヒロイズムに酔ったようになって街頭で戦ったが、彼らが一様にタオルで顔を隠していたのは、「闘争」を「卒業」したら一流企業に就職するためでした。
件のトーダイおやじたちに訊くと、「一流」と目される就職先で、自分が全共闘にいてクソあばれにあばれていたことを隠さなくても就職採用に影響しなかったのは、日本では「通産省上級職」だけだったという。
他のたとえば東芝や三菱や日立、政府ならば大蔵省、というような大組織にはいるためには、髪の毛をさっさと短くして(「リクルートカット」という言葉があったようだ)、「造反有理」の口をぬぐって、「もう、この世は根性っすから!」と面接の席で愛嬌をふりまいていたもののようである。

勇ましい、とも、かっこいい、ともお世辞にも言えない新宿「素人の乱」の動画を眺めながら、殆どのひとが、恫喝的にビデオをまわす警察官の前に素顔をさらして、どうしても顔を見られては拙い事情があるらしいひとは顔を青や黒に塗って(あれは素晴らしいアイデアだと思う。タオル、からくらべれば長足の文明の進展です)、自分の内部の恐怖心や怯懦を打ち負かそうとでもするかのように、叫び、歌うのを観て、なにがなし、感心して、素晴らしいと感じた。
主題を離れてはいけないが、「反原発」という主題を仮に離れても、そこにあるのは
「個人の誕生」の風景で、明治時代の日本人があれほど恋い焦がれた「西洋」が、憧れの対象ではなく、自分の魂のなかの問題として「西洋」としてですらなく生まれてきた。
かつては集団がつくりあげた部分の集合としての「われら」しかなかった国に、誰ともわかりあえないはずの個人が生じて、個人と個人が絶望を通底してめぐりあって一緒に行動する言葉は同じでも実体はこれまでの歴史的な日本人集団とは正反対の「われら」が、
日本の歴史に初めて登場した瞬間だと考えました。

日本のひとたちの共生の力が、実際に日本を変えるかどうかは、判らないが、
あの統制のまるでない、警察のおもうつぼにだらだらと長い列をつらねた、興奮よりもしらけた時間の長いデモは、しかし、日本人という民族が到達した、とてもとても高い文明の到達点を示していると思います。

(遠くから聞こえているあのすすり泣く声は誰のものだろう?)

ベーコンと目玉焼きの夜食を食べ終えると、きみは、夜明けまではまだとんでもなく長い時間があるのを知っているので、どりゃ、もうちょっと勉強しておくか、と考える。
冷蔵庫のドアを開けたところまでは、ずいぶん、ひとりぼっちだったが、
それはそれでいいや、と思えるようになった。
どうして、そんなにかるがるしく他人とわかりあい、うなづきあうことができようか。
それは人間の姿をした国家部品どもの文化であって、人間はもっと複雑なのよ。
きみは、ひとりごちると、少し魂が軽くなるのを感じる。
きみにとって、宇宙でもっとも大切なのはきみ自身なので、世界との交渉は慎重におこなわれるべきである。
「自分を壊さないこと」。
きみは厳粛に呟いて、自分に言い聞かせる。

それから、明日からはもっと早くベッドに行こう。
自分にやさしくしてやらないと、世界のことなんて、わかるわけねーもんな。

きみは、眠い目をこすりながら、また机の前にもどるだろう。
背をまるめ、さえない欠伸をもらしながら。
小さな、線の細い、未来の英雄のように。
無力なものだけが世界を救えるのだと、あらかじめ知っている人のように。

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