返信十番勝負


毎日、ゲームをやったり、浜辺を走り回ったり(犬さんみたいでんな)、カウチでごろごろして本ばかり読み耽ったりしているあいだに、コメントのご返信がたまってしまった。
返信を書くのを義務と感じているわけではないし、掲載しないコメントも多いので、コメントが載っているということは要するに自分が返信したいから載っているわけですが、しかしニュージーランドの家にいると、どうも怠け癖がついてしまう。
とゆーか、居心地がいいので遊んでばかりいて、それに時間をとられてものを考えたりしなくなってしまうよーだ。

顔(wiredgallileo)ガリレオさま、(「愉快な友達」)

>日本の愚かさが現在の原発をめぐる状況を起こしたのは全くそのとおり。ただ、前から書いてきたように、今回の事故は、これまで世界全体で隠蔽されてきた原発の問題点が表に出たもので、これまでも原発は、ウラン採掘場やセラフィールドやラアーグの再処理工場等も含め、周辺住民や労働者に被害を与えながら、それらは無いことにされてきた。

わしの実感でいうと、「隠蔽されてきた」というよりも、大学の自主講座やなんかで知っていたことなのに、なんとなく「忘れてた」というほうが近い。
いま盛んに日本でもいわれている放射能性物質の「リーク」とか、もんじゅの構造上の欠陥とかはもとから、知っていたわけで、相当知的に怠慢な学生でも、そのくらいの知識はあったと思います。
冷戦構造というものが存在して、核が「絶対暴力」の魔王として知識人や芸術家の上に君臨し、「おれがあばれりゃ、お前らの知性なんてゴミよ」をやっていた頃には、たとえば欧州でも知識人たちは、ずっと緊張して核と対峙していた。

それにつられて、というのはヘンだが、情緒的には、つられて、でもよさそうな気がする、原子力発電への目も厳しかったわけで、それが冷戦後国内国外ともに苛烈さをましてきた経済競争のなかで、なんとなく、いいことになってしまった。

わしなども、なかなか安い遊びとして重宝していたフランスをクルマで旅行したりするときには、風景が美しい地方に行けば決まって湯気をたてている巨大徳利みたいなヘンなあの建造物を遠望しながら、そうゆえばあの技術はあぶねーんだよな、とちらと考えて終わりでした。
だいたい意識のなかでは、技術としてのダサさ、古さ、エネルギーとしての原油よりも短命なアホっぷり、というような点から、早晩なくなるだろう、と漠然と考えていて、まさか、そこに土木族顔負けのおっさんたちがしがみついているとは、(漠然と知ってはいても)考える事ができなかった。

だからフクシマダイイチのニュースは、「しまった。ぬかってしまった」であったと思います。

>中国インド中東等、原発は引き続き世界全体に拡散しているわけだけど、福島が起こっても原発が止まらないなら、たぶん人間はもうダメだろう。

わしは、フクシマダイイチ以降、友人達と話して、西欧世界においては、フランスも含めて、早晩、とゆっても30年くらいの単位の時間でですが、原子力発電は退場して石炭に道を譲るだろう、と思っています。目下は血迷って風力を推進しているが、あれも「風力族」(日本にもいるそうで、一基一億「抜ける」と堂々と公開の席で言い放っているおっさんがいました)がいるので、なかなかやめられないようですが、ダメなものはダメなので、風力をあの勢いで消費すると環境破壊が顕在化するのは明らかなので、原子力と風力が一緒に退場して、クリーンな形で使える石炭エネルギーに切り替わってゆくと思います。
コンピュータ制御でON/OFFする技術そのものはすでにIT技術がちゃんとしている国には存在するので、ボイラーのようにマヌケな銭湯屋のように一日24時間沸かしっぱなしの原始的な発電に較べると燃料効率も格段によい発電になるはずです。

目下の日本政府の問題と見えるものは、自分で見える範囲で書くと、日本の教育制度が妙にくっきりと「文系」「理系」に分れていて、文系人には、知識はいうに及ばず、 まるで科学への勘がなく、どこか頂上からは遠くにいるらしい理系人があれこれ言うなかの都合がよい部分だけをとりだして、耳にいれる官僚の言葉を鵜呑みにするしかない人間たちが
原子力事故の指揮をとっていることにあるように見える。

ご存じと思いますが、日本の行政府では信じがたいことに未だに同じ1種公務員でも理系出身者は「技官」扱いであることが多く、理系の知識があることは事実上ハンディキャップになっている。

まるで儒教世界のようなもので、繁文縟礼に長けた「文系」人が取り仕切っているのが、いまの日本の行政府です。
どうも、そこに、あの不思議な対応の原因があるよーだ。

>全体的にいえば東日本はチェルノのときのヨーロッパ的な汚染で、ときどきホットスポットがまずいという感じ

主観的に「おもってない」というだけのことですが、わしは、そう思ってない(^^)
チェルノブイリは事故のありかたがフクシマダイイチとはまるで違って、前者は爆発を伴って、噴き上げられた放射性物質が広範囲に飛散して比較的高濃度の放射性物質をばらまいて短期間に収束したが、後者は、爆発は小規模な通常爆発であったものの、チェルノブイリに較べれば大量と推測される放射性物質が海と地下とへ出ていった。
しかも政府が長期間「封じ込め対策」をとらないまま、いまに至っているので、放射性物質が次第に拡散して環境化しつつある、と思います。
この謂わば「薄い広汎に環境化した放射性物質」というようなもののなかで人間は生活してみたことがないので、この先どうなるか、全然わからない。
いいもわるいも判るわけはなくて、その点でチェルノブルは参考にならないと思います。

>原発をやめたら経済はどうなる、とか言ってる人

その手の議論は英語世界でもむかし出つくした感がありますが、要するに科学音痴のひとびとが、いまきみの机を照らしてる電気スタンドは、このコンセント(っちゅうんだっけ、日本語では?)をひっこぬくと、消えるんだぞ、と怒鳴りまくっているだけのことで、アホらしい、っちゅうか、時間的な整合性をちゃんともたせてやめればいいだけのことで、そういう意味においては原発をやめても経済なんかどーもなんねーよ、というのが答えだとしかいいようがない。
そういう人達は石炭エネルギーというと彼らが小学生の頃は日本の小学校の教室に必ず有ったはずの達磨ストーブでボイラーを運転するところを思い浮かべていそうなので、あんまり話をする気にもなりません。

顔(wiredgallileo)ガリレオさま、(「幽霊だぴょん」)

>シュタイナーは、人間は4つのレベルからなると言っている。

シュタイナーというひとは、わしには、どうも仮説の建て方がへたくそであるように思えます。
装飾的で、本質の解明にいかにも役に立たなさそうな仮説の建て方をする。
わしは、またスウェーデンボルグについて2つ目のブログ記事を書こうと思っていますが、彼のほうにずっと興味がある。
「宇宙と霊界はすべからく人間の形をしている」というのは、一見ほどバカバカしくはなくて意外と説得力のある仮説だと思います。
彼の意見によれば、霊界が現実で、われわれが現実と思っているほうはいわば出張所に過ぎない。
人間が人間の形をしているのは、人間のほうで宇宙の形を借りているからで、脳という器官は霊界でわれわれがもっている機能をこの現実世界で代償的に機能させるための機械だという。

ねっ? これだと、仮に彼の仮説が正しければ、(多分ウソだが)幽霊が口を利く原理も説明できるわけです。

>死後も自分の意識を統一できるだけのエネルギーはなく、「意識の海」に溶けてしまうけど、強い「残念」があると、ある程度現世に影響できるんではと。

というわけでスウェーデンボルグに依れば、「残念」も霊界側から来ているわけなので、幽霊がだいたい向こう側に帰る傾向にあるのも、そうやって説明している。

どひゃあー、おもろい、と考えました。

じゅん爺(「魂」)

>ようやく判ったのは、「魂」という姿をしているものは、言葉の正しい意味での「批評」というもので、事のなりゆきは意外でも、たとえば衝動的に行われたことに対して、「伝統」や「歴史」が批評的判断をくだすと、それが「魂」になってゆくのであった。<
60歳になってやっとそう思うようになった爺に比べりゃ、ガメはアタマ良いわい。

じゅん爺にほめてもらうと、心底、嬉しいっす。

じゅん爺(「友達を捨てる50の方法」}
>女はツマ一人だけ。ホモダチ(笑)も一人だけ。そいつも10年前に死んでしまった。変わりばえのせぬ毎日だが、歳をとるってことは、マァこんなものかと思う

この文章はいいなあ、じゅん爺に墨でかいてもらって額にいれて毎朝おがみたいくらいいい。カッコイイゾ! ジジイ! あっ….

妖怪目玉どの (「ガメオベールからの手紙_1」)
>綺麗なお姉さんですなぁ。
そのうち(ブログにでてくるうちの)誰か教えます。


>ぼくは日本は、やはり「洋化」など考えるべきではなかった、と思う。
と言われても、既に洋式の生活が一般化してから日本に生まれ、
それも日本の中で最も日本らしさの少ない生活様式な
北の果てに育った私は困ってしまいます。

和服にあわてて着替える必要はないのです(^^)
トイレも洋式でダイジョーブだ。

しかし、わしは戦後の「アメリカ化」は、日本にとって有害だったと思う。
たとえば1940年代の社会保障政策や1960年代の教育改革は、日本という国のアイデンティティになっている「何か」にあまりにそぐわなかったので日本というものを破壊してしまった。具体的には華士農工商とあった、「華」「士」を文化的に徹底的に破壊してしまったので、日本の文化はいわば路頭に迷うことになったと思います。
むかし土百姓まるだしの卑しさを剥き出しにして「武士の情け」という漫画的な人物にネット上で有ったことがありましたが、ああいう日本人の出現には、無理な西洋化とそれに伴う日本のアイデンティティの破壊とが関係があると思います。

もっとも、そこはよくしたものとも言えて、流行ものをつくるのが商売のひとは
「ヨーモノはダメなのよ、ガメちゃん」と、よく口にしていた。
定着しないのだそーで、なーんとなく西洋風な日本物がもっともよい、のだそーだ。
ヘンな例をもちだすと、ド演歌としかわしには聞こえない浜崎あゆみ、という人の歌がそーです。
西洋を舞台にしたド日本物語も、よく読まれている。

いま上に挙げた例は、細部にしか過ぎなくて「西洋化をやめる」という言葉で、わしが考えているのは、もう少し違うことのよーですが、それはここでは無理なので、記事にすると思います。

妖怪目玉どの(「友達を捨てる50の方法」)

>写真はオーロラのように見えますが夕焼け雲ですかね。
左下の建造物の端っこに小さい十字架がくっついているのは、
これ、教会ですか?

マンハッタンの教会です。

>付かず離れずの距離が重要だと思うのです。
近くても遠くてもまずい。
どんな人間関係であってもね。

ところが、わしはどの友達とも至近距離でつきあっていて、ご想像どおりのバカな関係ですが、特にそれでどーとも思わないので、距離の近い友達といるためには鈍感でないとダメなのでしょうね。
モニに至っては、いつも一緒で、お互いに、よーもまあ、こう24時間のべつまくなしに一緒にいられるもんだべ、と思う。

わしは日本のひとは友達関係、夫婦、ともに随分距離が遠くて冷たい関係なんだなああー、と思ったものでしたが、これも文化のうちなのでしょう。

>べたべたつるんでも、どうせその徒党の中で序列や派閥作って
お互い足を引っ張り合うんですから。

徒党、で思い出したが、日本でも同じでしょうが、友達はそれぞれ独立した1対1の関係で出来ていて、それが「徒党」に発展することはないよーです。
だから「序列」「派閥」は、ちょっとわからん。

妖怪目玉どの(「過剰な光量の午後」)

>めんちかつとは、
ハンバーグをフライにしたものですな。

し、知らなかった。

>で、お味は如何に?

わしは天才シェフでごんす。
もちろん、おいしかった。

コマツナさま(「コマツナさんのコメントを読んで考えたこと」)

>疑い深い私は、もしかしたら義理叔父さまが
ガメさんに乗り移ってあれこれを代筆したのか

ずっと前にも、ブログに書いたが義理叔父が書いた記事が過去ブログのなかに3つ、だったかな、ありますが、
わしに較べると数段日本語が下手ですのい(^^)

>たとえばジュリーやショーケンなら、
そのころ生まれていなかった今の若い人でも、
ぜんぜんきいたことない、ということはなくて、
知っていると思います、

へえー。(若い)中国の人とか韓国の人とかは、そーゆーことが羨ましくて仕方がないそーだが、ほんとなんだな。

>タイガース「花の首飾り」「銀河のロマンス」、
遠足のバスのなかで、みんなでうたった!

「花の首飾り」は、知ってる。
変わった曲ですのい。

コマツナさま(「ガメ・オベールからの手紙_1」)

>「白い人・黄色い人」「留学」
そして「沈黙」を思い出しました。

わしは3つの小説のうち「沈黙」だけ手にとって読もうとしたことがあるが「感じ」がつかめなかった。書いているひとの感情が判らなかった。
苦い記憶がある本です。

>彼は自分のフランス留学経験から、ヨーロッパと日本の
間にある大きな断絶と、暗い留学生活を描いていました。

本を読んでいくと、あの世代くらいの人までが、そういうことと真剣に向き合って、クソ悩みに悩めた、日本人としての固いアイデンティティをもっていた最後かもしれません。
そのあとのひとは、ちょっといまの中国からの留学生と似ていて、「自分の国と違う」
「自分を欧州人として認めてくれない」とゆっているだけで、異質、というか、はっきりいってケーハクである感じがします。

>長崎から少し離れた土地にある彼の文学館で、
「沈黙」の原稿を見ました。
小説の中で私が打たれた箇所を見てみると、
その箇所の原稿は、他の箇所と違って、一文字の
修正もありませんでした。

すごい。

じゅらさん(「コマツナさんのコメントを読んで考えたこと」)

>ちょうどこの間、英語じゃないけど英語が相当通じる世界の人から、そんな話を聞いたばかりです。
日本にいるひとびとでしょーか?
日本にいるガイジンどもは寄ると触ると、よく、その話するんですのい(^^)

>なので下手すると、「俺は古い物にまでこんなに詳しいんだぜ凄いだろ偉いだろ」合戦になったりして。

そーそー。似ているけれど、まるで違うことなんです。おおあたり。
>私の母親は、家事のついでに必ずNHK第2ラジオをつける人で、日曜などはラジオ体操の時間からずっと流れっぱなしでした

わしが義理叔父は「アザブタイソー」とかいう、ぜーんぜん訳が判らない、肉体的合理性に著しくかけた、かっくんかっくんした「ジョーダンでやってんのか?」みたいなヘンな体操を、一部トーダイオヤジ同士でやっておる(^^)
好きみたい。

>マルキシズム全盛で、自分も友達もそういう経済学の勉強にどっぷり浸かっていたんだけど、それと同時に、卒業したら即大企業に就職して出世することを目指していて、誰もそれに疑問を持っていなかったと。そこまで綺麗にきっぱり割り切れてて、明らかな矛盾に疑問も持たないのって、ちょっとすごすぎて私には理解不能でした。

そーそーそーそー。
それを情緒的にしかも愛惜までこめて理解できたところに、いまの日本社会の成り立ちのおおきな秘密を解くヒントがありそーなんです。
わしは、ひでーじゃん、そんなん倫理はどこにあんねん、とゆったら、みな「ガメにはわからん」とゆって目を潤ませて懐かしんでんだよ。
なんなんだ、あれは。

>最近18禁でも何でもない少年~青年向けのマンガ雑誌を見て、端々で目をむいたり絶望したり打ちひしがれた話も書こうか

今度、書いてけろ。
わしも、あれ、日本にいるあいだじゅう、胸がむかついたわい。
ヘンタイやんね、国ごと。

古茶kochasaengさま(「酔っ払い」)

>北半球の四季のある国では、そろそろ夏も終わりで、北の街ではもう悲しみを暖炉で燃やし始め(© 岡本おさみ)ちゃったりする頃ですね

そーゆー、たった一行で、いっぱい調べ物をしなくてはいけなくなるよーな書き出しをしてはいけません。全部、しらべちったやん。

>6月ころからの雨期も、いよいよ大詰めで、このところスコールがデタラメに降るのね。さいしょのうちは夜だけ、こっそり降ってたのに、こうして遠慮がなくなってくると、そろそろ雨期も終盤戦

わしは、雨期にタイランド何回か行ったけど、雨ふらないんだよねええー。
「タイランドの雨期って、たいしたことないのね」というと、タイ人のみなさんはゲラゲラ笑って、「運がいいだけだよ」という。
いっぺん、どひゃっ、な雨にあってみたい気もします。

>日本からの輸入トヨタで、暖房装置が付いてるんです

おかしー。でもクルマって、あれ「暖房装置」なのか?
考えてみたことなかった。エンジンの暖気ちゃうの?

>暑期みたいに40℃超えると、飲んでるときはいいけど、そのあとがつらくて、飲みっぱなしになるでしょ。

オーストラリアでは40℃越えると白ワインに牡蠣(^^;)
すげー、ヘンでせう。
でも、きゅっきゅっきゅ、と冷えた白ワインで牡蠣はうめーだよ。
あー、夏、たのしみ。

>ジンのソーダ割

わしみてえ。

>ビーフイーターかゴードンのジンがあれば、いい。

タンカレーもうめーよ。

>常夏の国では、かなしみも思い出も暖炉で燃やす必要がないんです。灼熱とスコールで、何でも朽ち果てていくからね。ズブロッカなんかも必要ないんだ。

古茶の口から出ると感傷でなくて実感だからな。
じゅん爺と古茶には、やはりかなわぬ、と思います。

古茶kochasaengさま(「過剰な光量の午後」)

>高木仁三郎というひとと知り合いで、かわいそうに高木さんは月にいち度くらいの按配で、おれとお話するハメになってて、おれは高木さんの貴重な時間を無駄にしてたわけです。

高木仁三郎って、武谷三男みたいなひとだよね、っちゅうよーなチョーずさんな理解しかできない人間に向かって話をすることになって申し訳なし。
フクシマゲンパツが危ないとゆっていた人、という程度の知識はあります。

>おれみたいな若造(当時)にも、きちんと、さん付けで呼ぶひとでした。

ちゃんとしたひとは、話し方の背筋がピンとしてるんだよね。いいよね、そーゆーの。

>馬鹿には馬鹿なりのユーウツとかケンタイみたいな、なんていうかアレだよ。うまく言えないし漢字も書けないけど、うまく言えないのは馬鹿だからで、ようするに馬鹿も大変なのよ

そんなにわしの気持ちをピタリいいあてられたら、古茶、バカちゃうやん。
日本風の謙遜か、それ?

>それを伝えたら、「え~……」って、落胆ぎみに言われちゃった。そんなのやめたら、とか、ばかだなー、なんて言わないひとだから、「え~……」で終わりだけど、なんか考えたあとに、「それじゃ、がんばって」って。

じゅん爺もそうだが、古茶の話には「男のひとがいる風景」がよく出てきてカッコイイ。
そーゆーことを古茶みたいなひとが語り伝えてくれるんだから、またブログきまぐれで化閉鎖してコメントをぶっとばして、どっかいってしまう、とゆーよーなことをしないように心してブログやります(ほんとよ)

(いま見たら高木仁三郎というひとは2000年に亡くなっておる。残念ですのい)

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One Response to 返信十番勝負

  1. wiredgalileo says:

    秋はまた稲刈りとかあっていろいろと忙しいのだが、
    きょうはけっこうたくさん書いたので、まとめていくつか投稿。

    がめ氏は、自分で食べ物を作った経験はあるだろうか?
    もしかすると狩猟とかはあるかもだが
    農耕や牧畜の経験はない…のではないだろうか?
    私もなかったのだが、
    10年ほど前に田舎に引っ越してからは、田んぼや畑で作業をするようになった。
    手伝い程度だが、作業してみると、
    搾取するヤツというのはひどいもんだということがよくわかった。
    大変なわけだよ。暑い中や寒い中、労苦しながら頑張ってやっと収穫して、
    それが領主やら貴族やらに取られてしまうわけだからね。
    武力があったり頭がよかったり生まれた家が「名家」だったり…ということで
    正当化?される社会になってるけど、シンプルに見れば
    実際の作業をしないやつが偉そうに搾取するのは非倫理的なんだ。

    もちろん私はたまに農作業するだけであり、実際には
    世界全体でいえば「貴族」にあたる。
    本物の貴族からすればびんぼったらしいが、
    まあ世界全体でいえば、一般の日本人は立派な(中間)搾取階級だろう。
    (Global Rich Listというサイトhttp://www.globalrichlist.com/
    では、年収を入れると世界で何番目にお金持ちかを見ることができる。
    例えば日本の「サラリーマン」平均年収とされる400万円の人は上位5%だそうだ。
    で、上位1%は世界の資産の40%を所有しているらしい。
    一方で、下位50%の人の資産を全て足しても、世界の資産の1%にしかならない。)

    で、原発というのは、こういう非倫理的な社会の象徴みたいなものだと思うんだね。
    電気を実際に生み出しているのは
    無茶苦茶な被曝をさせられるウラン鉱山の人々であり
    被曝労働している現場作業員だ。
    われわれは、たかが、カネを少々払えるだけで
    彼らが命を代償として生み出したエネルギーを湯水のように使っている。
    そういう社会は間違っていると思うんだ。

    原発は野蛮な技術で非合理的だから
    30年以内に脱原発は起こるだろう、という見通しは
    たぶん、人間性が変わらないかぎり無理だろう。
    この社会は合理性では動いていない。
    人の欲と愚かさ、つまり野蛮さと非合理性で動いているから。
    次世代以降の子供たちはもしかしたら進化した人類になり
    彼らが、公正で友愛に満ち、理性的な新しい社会を生み出すのかもしれないけれども。

    われわれとしてできることは
    まずは、より良い社会にしたいという願いを持ち
    嘘をつかない/地道な労働をいとわない/人を搾取しない
    というような「この原発社会を生み出した人間性」とは違う道を
    できるだけ実際に生きていくしかないだろうと思う。

    チェルノとの比較、および、霊界の話については別記事2つへ移動。

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