Monthly Archives: September 2011

詩のない生活

モニが結婚してもっとも呆れたのは、わしが本ばかり読んでいることだそーである。 「本を読む」などというのは、もっとも人間の精神を不健康にする習慣なので、わしは人前では本を読んだりしません。 「人前」では何をしているかというと、人間を眺めている。 チャドルを身につけた女の人を見て、中東人は目の化粧に凝るなあー、と思っていたり、 背をすらりと伸ばして立っているおばちゃんを見て、あっ、このひとはだいぶん長いあいだバレーをやっていたひとだなあ、と考えたり、中国の人かなああー、日本の人かなああー、お洒落なのに髪を染めてないから中国の人だよな、きっと、あっ、歩き出したら日本のひとだな。日本の人でも髪を染めるのが嫌いなひとがいるのだな、とか、 そーゆーことを考えている。 ひとりでいるときは、隙さえあれば本を読んでいる、と言ってもよい。 ラミュエラの家から、いったんミッションベイというところに出て、CBDまで行くと、10キロくらいだと思うが、わしは、そのくらいの距離は走って往復する。 運動が好きだからです。 何か買う物があって、それがCBDであったりすると、走って買いに行ってしまうので、モニにはいつも監視されておる。 どーゆーことかというと、「ガメ、27インチのiMacをディスプレイとして使うには、どーするんだ?」とモニが訊く。 あっ、それはねminiDVI-miniDVIケーブルちゅうのがありまんねん、わしが買ってきて進ぜよう。 この「買ってきて進ぜよう」というところで、もう走って行こうとしているのがばれるよーだ。 クルマなら必ず「一緒に行こう」というからだそーで、なんだ、そんなことでばれていたのか。 走って行くと、途中で寄り道をしたりコーヒーも飲むので2時間くらいかかります。 あるいは、また、最近は「Steam」という凶悪なゲームダウンロードサイトがあるので、ついつい出来心でゲームをダウンロードしてしまう。 なにかの弾みで面白かったりすると、2時間くらいはまりまくっておる。 屋根裏部屋にはいりこんでLANの配線に熱中していることもあれば、当然、モニとテニスで激闘する午後や、ふたりでのんびりゴルフをしていることもある。 そーゆー忙しい毎日だが、子供のときからの習慣で一日に4冊は必ず本を読んでしまう。 習慣、と書いたが、日本語では、中毒、のほうが近いでしょう。 自分で自分を観察していると、読書というようなものは質が大事なはずだが、最近は退廃的で、一定の量を読まないと煩悶するものだから、とりあえず量を読むまでは、落ち着けないよーだ。 運動したり、CSIのエピソードを立て続けに5つ観てしまったり、いちゃいちゃもんもんしていたりして、時間が大量に消費されると、自然と「軽い」本を手にとっている。 Colin Dexterとか、地球上に残っている水の話の本だとか、そーゆーやつです。 中世やなんかの歴史の本と犯罪小説が多いよーだ。 英語という言語は読書人口が巨大なので、恐竜を探しに行ってコンゴで翼竜に襲撃された気の毒な博士の本だとか、乞食として知られていて、その実、株で儲けて大金持ちだったおばちゃんについての伝記だとか、アホな本がたくさんあります。 読むのに事欠かない。 尾籠であるが、雑誌はトイレで読む事が多い。普段はNational Geographicを読んでいる。 したがって、あの黄色い表紙をマガジンスタンドに発見すると、なんとなくトイレ臭いような気がする習慣が出来てしまったが、そういう下品な話は割愛します。 時間が潤沢に余っている場合は、算数の本を読むことが多い。 これはときどき鉛筆を探して、こちょこちょと紙に書いたりもするので矢鱈と時間がかかる。 考え込んでしまう時間が長いので、あるいは、ああいうものは「読書」とはいわないかもしれません。 退屈すると、スプレッドシートを眺めて遊んでいることもあって、読んでいるうちに、 「あっ、ここで誤魔化しておるな」とか、「あんまり仕事してへんのだな」と、表計算を送りつけてきたほうには思いもよらないところを「読んで」いて、楽しい思いをすることがある。 モニがよく不思議がっている、わしの「表計算を眺めながらくすくす笑う癖」というのは、要するにそういうことです。 一方で、このブログを太古のむかしから読んでくれているひとたちが、よく知っているように、わしは年がら年中、うろうろしている。 うろうろしている、とゆっても、落ち着いて観察すれば地球の上をブラウン運動しているわけではなくて、もともとの歴史性、「ロンドンとニュージーランドを毎年往復していた」ということから派生した移動をしているのに過ぎない。 これは実はある種類の連合王国人には、かなり普通なことなので、日本の人には珍しいかもしれないが、連合王国人にとっては、そーでもない。 ロンドンからニュージーランドに至るには、わしガキの頃は、シンガポールか日本で乗り換えるのが便利であった。 … Continue reading

Posted in Uncategorized | Leave a comment

普通の生活

モニとわしはニュージーランドにいるときには、オークランドのラミュエラという町にいます。ラミュエラロードを頂点に南北に広がる広大な住宅地の北側、海の向こうにランギトト http://www.arc.govt.nz/environment/volcanoes-of-auckland/rangitoto.cfm という700-600年前に火山の大爆発によって出来たなだらかな稜線の島が見える側に、わしらの家はある。 ドライブウエイがあって、そこをクルマでゆっくりゆううっくりとあがってゆくと、ちびラウンドアバウトのような車寄せがある。車寄せにクルマを駐めておりると、目の前に、建物がないとテントを張って暮らさねばならないので、モニとわしが雨露をしのぐ建物があります。 必ずしもクルマ寄せにクルマを駐める必要はなくてニュージーランドではどこの家も同じだが、コントロールを、ぶっ、と押すとぐわらぐわらと音を立ててガレージのシャッターが開く。 カリフォルニア人たちにとってはガレージとはクルマを駐めるところでなくて、日曜大工をしたり、趣味の工作をしたりする場所だが、ニュージーランドでは、ちゃんと「車庫」です。普通の家は二台クルマを持っているので、二台分のガラージである。 うんと古い家では一台しかないところもある。 新しい家のなかには、わしらの家の近所の夫婦のように6台分、というようなガラージをもっているアホな家もあります。 家の敷地は4分の1エーカー(1000㎡)を基本にしている、はずなのだが、どういうわけかラミュエラでは1200㎡が基本になってしまっているようである。 この頃は土地の値段が上昇したので600㎡をフルセクション、と呼ぶ、とんでもない不動産屋さんがいるそーだが、もともとはフルセクションというのはあくまで1200㎡、(日本の坪でいえば360坪)です。 わしは狭い家は嫌いなので、ダブルセクションの家に住んでいるが、これはあんましカシコクない人のすることであって、フルセクション、床面積240㎡くらいの家が自分達で面倒を見られる家の限界なので、ダブルセクションとそれに見合う建物の家になると、誰かに頼んで掃除をしてもらわなければならなくなってしまう。 芝を刈るにも、ローバーやホンダの手押し式の芝刈り機ではメンドクサイ広さであるのに、ライドオンムア http://www.consumer.org.nz/reports/ride-on-mowers を使うには小さすぎる、というので中途半端である。 夏になったら、テラコッタに敷きなおそうとモニとふたりで相談している、テラスの上にはブーゲンビリアが、びっくりするような凶暴な蔓で棚にからみついている。 その棚の下に8人掛けのチークのテーブルがおいてあって、暖かくなるとモニとわしはそこで朝ご飯を食べる。 これもニュージーランドではわりかし普通の習慣ですが、夕食は夕食用の部屋ちゅうもんがあって、そこでロウソクをテーブルや壁から腕がでた燭台に灯して、そこで摂ります。 (josicoはんのリクエストにしたがって、ニュージーランドの普通の生活を書いてきたが、ちょっと飽きてきた) およそ、わしの生活というようなものは世界中にちらかっていて、ほとんどいかないが、自分の会社がニュージーランドにもあるとゆっても、日本語でいう「本社」のようなものは双子で、マンハッタンとロンドンにある。 「ある」というが、じゃあ、いつも中心スタッフがそこに詰めているのかというと、そんなことはなくて、バルセロナに集結していたり、ニュージーランドのクライストチャーチに集っていることもある。 そのときどきの都合が良いところにいるだけのことで、これも、いまの社会では珍しいことではないと思います。 第一、伝統的な「会社」なんか運営しても面白いことは何もない。 わしは、なんでもスポーツカーみたく、CD値が少ないデザインが好きなのです。 ダサイことは、やりたくない。 税金みたいなものは、会計掛と相談して払いたいところで払う。 必ずしも、「税金が安いところ」とゆっているのではありません。 自分が「くだらない」と見なしている国には(無論、順法的に)税金を払ってやらないということで、たとえ、ニュージーランドとゆえど、アンポンタンな政権が出来上がって拙劣な国家運営に陥れば、そんな無駄使いされるに決まってる税金をくれてやるバカはいない。 21世紀という世紀は、あくまで住んでいる方が国を選ぶ世紀であって、その逆ではない。国の方もちゃんとそれを納得しているから、かろうじて社会がよくなっていっているわけで、税金を払うほうが、そこを投げやりにしてしまえば、もともとが絶対権力で甘やかされている「国」なんちゅうものは、暴走に暴走を重ねて、そのヘンの金持ちバカガキのように無駄遣いをするだけに決まっているので、せっかく「国家間の国民獲得の競争」という傾向が元にもどってしまう。 世界の経済は見た目よりもずっと危なくて、わやくちゃになる一歩手前で停滞している、という不思議な事態だが、ほんとうは特に日本のような国にとっては、20世紀末までの、大暴落がある旧来の自由主義経済のほうが、いまの高度情報化自由主義経済よりもよかったに決まっている。 (日本が経済について、トンチンカンなバカな手ばかり打っているのでは、どうやら一見は似ていなくもないふたつの経済の違いが全然わかっていなくて、いまだに世界が旧来の自由主義経済で動いていると錯覚しているせいなのかもしれませんが) 西洋世界は西洋世界で、破滅を避けるために工夫を重ねてすぎて、なんだかわやくちゃになって、なにがどこにつながっていて、どこにどんな脱出口を掘っておいたのかも判らなくなってしまった。 おかげで、日々、見たこともない新しい事態が起きるようになって、「せんせーい、教科書に答えが書いてありませーん」になってしまっておる。 こういう事態を、おっさんたちが禿頭を寄せ集めて、どの程度乗り切れるのか判らないが、なんだか無茶苦茶になって、世の中に阿鼻叫喚が渦巻くようになったら、いいやいいや、庵の戸を閉ざして、静かに紅茶を飲みながら、ゲームでもやるべ、と思っています。 もう何年かすれば「普通の生活」を送ること自体が贅沢になってしまうかもしれないし。

Posted in Uncategorized | Leave a comment

幽霊だぴょん

1 ガキわしの頃、北半球の冬、南半球の夏を過ごした「牧場の家」はだいたい築100年で、連合王国の家に較べれば新築同様(^^)というべきだったが、それでも百年も家をやっていれば、そのなかで死ぬ人もいて、家に泊まった客のあいだでは「幽霊がでる」という噂が専らでした。 正面玄関をはいった両側とホールを突き当たって左に曲がる廻廊ぞいの4つ、合計6つの部屋が客用の部屋になっていたが、そのうち玄関をはいってすぐ右側の部屋に幽霊が出るという。 初めに「幽霊がでる」と言い出したのは連合王国から遊びに来ていたテスだかテレサだか、なんだかそういうバカげた名前のやたらおとなびた12歳くらいの娘で、ときどき開けておいたドアの陰に子供が立っている、という。 そのうちに、夜中にアメリカ人の夫婦が廻廊を背をまっすぐに伸ばして歩く老婦人が歩いている、と申告してきたり、やはり玄関の横の部屋に今度は「背の高い男」が夜更けに立っている、という。 この夫婦は廻廊をずっといった奥の左側のデカイ部屋に泊まっていて、この部屋からいちばん近いトイレは廻廊の反対側だったから、バスルームにすううっと消えた老婦人の背中を見送ったあとではトイレにいかれず、気の毒に奥さんは朝まで漏らしそうになりながら懸命にこらえていたそーである。 わしは、所もあろうに、自分が住んでいる家にお化けが出る、と聞いて、すっかり嬉しくなってしまったので、かーちゃんに頼んで、先刻のアメリカ人夫婦が滞在した部屋の向かいの部屋に自分の部屋を移して、夜中に努めて起きていることにした。 当時のガキわしの疑問は、幽霊は目撃談によると、思考しているように見えるが、大脳を器官として欠いているものが意識をもつ、というのは、どうなってるんだ、という事が最大でした。 大脳がなくても、意識がもちえて、思考ができれば、魂魄さえ宿ればポサムでも哲学書が書けてしまう。 それはそのまま、あの複雑でええ加減なニューロネットワークをこさえなければ人間に意識をもたせてやれなかった、神様の限界を示しているのであって、幽霊の存在を認めれば、神様が関与している自然の体系とは別の、しかも、もっとクールな自然体系がこの世にはあることになって、それではなんだか神様が気の毒である、と考えた。 だから、夜中に頑張って起きていて、幽霊ばーちゃんと話してみたかったが、そういう心がけだと幽霊と会えないとかで、到頭、いまに至るまで会えずに仕舞っている。 残念、というしかありません。 ランガムヒルトン、というロンドンのホテルは、成金お上りさんがよく泊まるホテルだが、このホテルは、ロンドンっ子なら皆しっている、元はBBCの宿舎であって、3XX号室は当時から誰も泊まってはいけないことになっていた。 夜中に、どーも息苦しいな、と思って目をさますと、壁から若い男が現れて、…ここから後が独創的だとわしは考えるが…まっすぐに宿泊者めがけて歩いてきてクビを絞めまくる、という。 この直截的に凶暴な幽霊の魅力には、とーちゃんがすっかり参ってしまって、自分の地位にものをいわせて、是非泊めさせろ、と交渉したがホテルに断られたよーだ、と、とーちゃん友達が述べていた。 とーちゃん自身にインタビューしてみると、「わしは、そんなことはやっておらんぞ」というが、建前として幽霊を信じていないことになっているだけで、旅行しても幽霊がでそうなホテルばかり選んで泊まる、という噂のひとであるから、そんな猟奇的父親が自分の息子にオオマジメな顔で語りかけることなど信じるに足りない。 第一、あんなマジメな顔でいうところが、そもそも怪しい、と思う。 そーゆーわけで、なぜかいつも絞めているボータイを外すと、そこには赤紫の手のひらのあとがくっきりとついている、というような非日常の味があるカッチョイイ父親を、わしはもちそこなったのでした。 2 合衆国で最も有名な幽霊の出没地といえば、なんとゆってもゲチスバーグ http://www.angelfire.com/journal/wordsareair/gettysburgghostphotos.html だが、あっちにも、こっちにも、北軍も南軍も一般人も、昼夜を問わず亡霊が出まくるので、幽霊見物に行くのに、最も外れがない、という。 外れがない、ということでいうと、むかしむかしは、鎌倉の消防署の辺りは松林で、夜にあの辺りを通ると、必ず馬のいななきや武者が敵を求めて呼ばわる声がしたそーである。 義理叔父は、ひところ、何回か死んだ戯作家の井上ひさしと横須賀線に隣同士で帰ってきたようだったが、鎌倉佐助に越してきたばかりの作家は、「原稿の締め切りが近いのに夜中に裏山から武者たちが叫ぶ声や馬のいななきが聞こえてうるさくて原稿が書けない」と、こぼしていたそうである(^^) わしは日本の墓地や「心霊スポット」や日本式幽霊が怖くなくて困った。 夜中に妙法寺の丘を散歩しても、全然ぐっと来ないので、一緒に歩いた義理叔父を落胆させたりした。 もっとも、わしは、墓地は西洋墓地であっても怖いと思ったことはなくて、怖がるよりも石の表に刻まれた、たとえば 女の名前で1890ー1907と生きていた年が書かれていて、その隣の小さな墓には 1907ー1909と刻まれていたりすると、このひとびとの人生には何が起きたのだろうか、と考えて、しんみりしてしまったりする。 たとえばギリシャ人たちの墓には生前の写真もはめ込まれているので、墓のあいだを散歩しながら、人間の一生というようなことを考えるのは、わしの散歩の楽しみの重要な部分をなしておるよーだ。 「呪怨」のようなよく出来た恐怖映画でも、ハリウッド版が怖いのでぎゃあああ、ぐわあああ、といいながらクッションを握りつぶして見ていたが、もっと出来が良いはずの日本版は、ちっとも怖いと思わなかったので、なんだか、そういう文化的な意匠に恐怖心が反応する、という面があるような気がする。 足のない日本の幽霊に較べて、どたどたと靴音を響かせて追いかけてくる中国の幽霊であったり、壁をぬけてあらわれる西洋や日本の幽霊に比較するに、ドアをどんどんと叩いて乱入しようとするニュージーランドの幽霊や、美しい若い女を見れば寝台に忍び乗って陵辱するインドネシアの幽霊、 幽霊が文化上の違いによって形態も振る舞いも異なるのは不思議である気がする。 どこか天上で談合したわけでもないのに、「死んだ人間の魂が実像をなして、現世に現れる」というコンセプトは同じだから、具体的な顕現に差異があるのは不思議なのです。 文化的差異、とゆえば、幽霊談義への反応が最もオモロイのは若いウクライナ人やロシア人で、スペイン人たちが酔っ払って幽霊談義を始めると、「ぶっ」と失礼にもみなで吹き出して、「幽霊なんて、信じてるの? いったい何時代の迷信家かね、きみらは」なんちゃってスペイン人たちを腐らせておる。 共産主義の置き土産で、彼らは、まったく、はなから、幽霊なんちゅうものがいるわけねー、と思っている。 唯物主義が「霊」などというものを押し流してしまった津波のあとに生まれた彼らにとっては、魂魄などというものは「遅れた資本主義社会の因循な迷信」なのです。 3 では本当に幽霊がいるのか、と問われれば、旧ソ連領人たちではないが、「そんなもん、いねーでしょ」としか、わしには答えようがない。 自然の世界っちゅうのは、訳が判らない、ほぼ無茶苦茶な世界なので、幽霊みたいな何の役にも立たないものがいても特に不思議ではないともいえるが、 「いない」と仮定したほうが世界を説明しやすい。 幽霊みたいなものにマジで存在されると、物理学も医学も、その他さまざまな科学の分野で書き直したり初めから考えそのものをやり直さなければならない事がいっぱいあるので、真理の神様としてもメンドクサイ、というのが本音であると思われる。 … Continue reading

Posted in 異文化異人種 | 2 Comments

1 「例えば、この白ワインは」 と死んだフランス人の天才ワイン醸造家がBBCの特集番組で述べている。 「ニュージーランド人たちが作ったSauvignon blancだが」 「このワインは完璧だ。素晴らしい。フランス人には、こんな完璧なワインは作れなかった」 そうして、彼は、世界中の時間がすべて止まってしまったかのような様子で、 ニュージーランド人たちが丹精込めて作ったワインを光にかざして眺めている。 口に含んで、凝っと遠い一点を見つめている。 しばらくの沈黙のあとで、彼はこう言ったのでした。 「だが、魂がない。彼らのワインには魂がない。 そうして、欧州人たるわたしは、魂がないものを受け付けるわけにはいかないのだ」 この放送のしばらくあとで、彼は天罰がくだった人のように交通事故で死んでしまったが、わしは、彼によって発音された「魂」という言葉に戦いていた。 彼の「感覚」は、ほんとうの事を言い当てていたに違いない、と考えました。 わしには、彼の言うことが手にとるように判ったのだ、と言い直してもよい。 われわれは、どれほどたくさんの魂のないものに囲まれて暮らしていることだろう。 2 さっき、ツイッタで引用した、「Fool For You」 を歌っている Cee lo Greenは、しょうもないラッパーだが、やる気が起これば、このくらいのR&Bは軽くやれる、という点で紛いようもなく(当たり前だが)アフリカン・アメリカンの歌手です。 わしはアフリカン・アメリカンの友達に囲まれるようにして一時期を過ごしたので、彼らの「やる気を出したときの魂の実力」というものを良く知っている。 歌うことにおいて、踊ることにおいて、あるいはセックスにおいても(下品ですまん)、やる気を出したときの彼らは全身が「魂」であって、到底ほかの文化圏からやってきた人間が太刀打ちできる手合いではないのです。 いったい、あの魂ごと迫ってくるような目には見えないものの「実体」はどこから来るのだろう? 3 わしは夜更けの街の刺青にーちゃんやジャンキーねーちゃんが屯する広場にいることがあった。 言葉にするとカッコワルイが、わしは、要するに「タマシイ」を探していたのに違いない。 モニと結婚したので、モニはタマシイ以上の存在で、魂などはなくても良い事になってしまったが、それまでは、わしにとっては魂に触れられるか否かは、里見八犬伝の剣士たちにとっての仁義礼智信の玉よりも大事だったのです。 同じ事が同じように述べられても魂のあるなしによって、まったく違ったものになってしまう。 魂というものほど恐ろしいものはなかりけり、とよく考えたものだった。 だから、どっかで落っことしてしまった魂を探して、夜中のマンハッタンを、ロンドンを、あるいはパリをすら、わしは、ほっつき歩いたものだった。 4 魂についての知識は肉体に訊かねばならない。 肉体が十全に機能して、バク転はもちろん、十キロ泳いで20キロ走ってもヘーキという人でなくては「魂」と会話できないのだ。 人間が歳をとって最も恐ろしいのは、肉体が衰弱することではなくて魂と最早会話できなくなることであるらしい。 24歳くらいまでに、そう考えたわしは、精神よりも肉体を発達させることに専念したが、しかし、くまなく「言葉」で出来ているように見えて、そうでない「魂」はわしの知覚をすりぬけて、また迷宮に戻ってしまった。 5 … Continue reading

Posted in gamayauber | 1 Comment

コマツナさんのコメントを読んで考えたこと

コメント欄で「コマツナ」というひとが、テンプターズを知っているなんて、いったいいくつなんでしょう、と訊いているので、一瞬、人間の年齢の数え方でいうとおよそ2015歳とちょっとになる我が実年齢がばれたのかと思ってパニクったが、よく考えてみるとテンプターズなどはたかだか50年弱むかしのバンドに過ぎないので、特に二千年に及ぶ悪行がばれたのではないことに気がついて安堵しました。 しかし、こういう驚かれかたは、考えてみると、このブログを始めてから多分8回目くらいであってチロさんとかマココトとか、そーゆーひとびとに、浅川マキやなんかの話をするたびに懐かしがられてしまう。 そうして、(予想がつくと思うが)、こういう「驚き」は日本でしか成り立たないもののよーな気がします。 たとえば、わしの歳どころか、18歳くらいのそのヘンのガキをつかまえて訊ねてもジム・モリソン http://en.wikipedia.org/wiki/Jim_Morrison を知らない、ということは考えられない。 仮にLight My Fire http://en.wikipedia.org/wiki/Light_My_Fire が歌えないガキがいるとすると、そのガキはよっぽどのマヌケだが、 ジム・モリソンが死んだのは1971年、「Light My Fire」が初めに流行ったのは、 1967年のことです。 日本人の音楽趣味を代表する、ぴんからトリオの「女のみち」が400万枚売れたのは1972年のことなので、宮史郎がこぶしをうならせていた頃には、もうジム・モリソンはとっくのむかしにくたばっていた。 なぜ、こーゆー古い音楽がいまコーコーセイをしている諸君にも馴染みのある音楽であるかというと、英語世界では、ロックのごときものは、アイヌのユーカラのごとく、口承伝承されるものであるからで、ロックでなくても、たとえば The Three Stooges (1930年代)、Tom and Jerry(1940年代)、そして就中、「Monty Python’s Flying Circus」(1970年代)のようなものは、いやしくも大学生であれば、「スパム」の歌はちゃんと歌えねばならず、「やりすぎだよ、おまえ」と止められる、スペインの宗教裁判におけるテリー・ギリアムの形態模写も「そら」で精確に再現できるのでなければならないことになっている。 わしは「異文化蒐集家」なので、むろんのこと、「てなもんや三度笠」初出演の16歳のジュディオングも知っていれば、悪魔君の口まね、ナショナルキッドが飛ぶシーンのピアノ線まで、ちゃんと知っている。 のみならず、浅川マキ、シモンサイ、丸山明宏、ジャックス、水原弘、弘田三枝子などは歌える歌がたくさんある。 奥村チヨの「恋の奴隷」だって、ちゃんと歌えれば、ぴんからのトリオの「女の操(みさお)」という恐ろしげな題名の歌だって聴いたことがある。 われながら碩学でごんす。 日本で、たとえば高校生のガキどもが、かまやつひろしと笠井紀美子がデュエットするなかなかカッチョイイ歌を歌えたりしないのは、日本では流行歌が「消費」されてしまうからだろう。 「コマツナ」さんが述べていた「グループサウンズ」のひとびとは、きゃあきゃあという歓声なような嬌声のような訳のわからん阿鼻叫喚のステージに立って演奏しながら、「こんなクソ音楽ははやくやめて、まともなロックをやりたい」とひとしく念願していたそーである。 テンプターズもタイガースもオックスも、みな同じ悩みを悩んでいたわけで、そういう悩みにファンが反応していれば、日本にも伝承に足る音楽の文化が育っただろうけれど、ぬわあーに、彼らの頼みの綱だった「ファン」のほうは、別に彼らの音楽性を支持していたわけではなくて、ただきゃあきゃあゆってみたかっただけだったのです。 鼻をかめば捨てる、ティッシュペーパーと本質的には変わらない存在だったようだ。 戦争を通してヒューマニズムを描きたかったのに「黒い零戦」に乗った坂井三郎やなんかを描かされてくさりきってしまった「紫電改のタカ」のちばてつやや、ネームを編集者が全部書き換えて自分でいれてしまった漫画を描かされて精神に変調をきたした吾妻ひでお、というような例をもちだすまでもなく、漫画でも、ドラマで、映画でも、日本人の大好きな「一流大学」を出て、なんの才能もなく、マーケティングさえ、単なる鈍感人間の「山勘」から出た思いつきなのに、なんだかエラソーに何事か新しいものをつくりだそうとしている人間にあれこれ意見して、ドタイクツなクソ作品に仕上げたあげく、文化的価値なんか隅っこをほじくりかえしてもでてこないヘンな「文化商品」をでっちあげる日本社会の官僚制至上主義の伝統は、いまに脈々と生きている。 そこでもてはやされるのは、糸井重里くらいから始まったつくられた消費主義に幼いときから飼い慣らされた感性をもつ「消費者」に受ける「消費物としての創作」であって、そのあたりから始まった悪循環は、日本の文化を80年代くらいから、すっかり皮相なものにかえて、言語的に最も深刻衝迫した前線であるべき文学などはかけらも残らないくらい粉砕されてしまった。 僅かに普遍的な切迫した表現手段をもっていた漫画も、江戸以来しぶとい伝統の戯作の道を歩くことも出来たのに、もうとっくのむかしにアカデミズムっぽいこけおどしの衣装をまとったバカ「文学」派と相変わらず部数と読者数のことしかゆわないコマーシャリズムに自分のボーナスの額がかかっている出版社の商業主義との挟み撃ちにあって、ぺしゃんこに押しつぶされてしまっているのかもしれない。 せめて義理叔父の世代がまだ保持している、漫画の歴史的理解力、彼らのあいだでは伝説であるらしい「お荷物小荷物」のような世代財産的なドラマの記憶、そういうものが若い世代ではあたりまえのことになって、毎日刻々と大量に生産されては大量消費されて忘却の闇に大量廃棄される日本語文化が、せっかく質は高いものがまだ残っているのだから、 百年後の東京の町で、「はどどぼいるどどだど」と眉をつりあげる、高校生の姿を見たい、と日本文化に興味があった、いちガイジンは念願するのであります。 (画像はイーストビレッジ名物の「壁画」。これを見ると条件反射でカクテルを飲みたくなるのが難である)

Posted in ゲージツ, 異文化異人種, 言語と習慣, 日本の社会 | 2 Comments

酔っ払い

ガリシアの町の路地で、飲んだくれて、モニと友達に「ガメ、ダイジョーブか?」とゆわれている深夜を思い出す。 われながら、とても滅茶苦茶だとは思うが、そーゆーダンちゃんであって、そーゆー友達なのだと思ってくれなくては、どうにもならぬ。 自分で考えても、16歳からあとは、素面でいる時間のほうが短かったような気がする。 図書館のカウチに横になって、フラスコからウイスキをちびちび飲みながら、シェークスピアやモンテーニュを読んだ。 高校生だったからな。 まだ古典が好きだったのです。 酒を飲みながら本を読むのに飽きると、ボートをこぎにいった。 学校がひけると、厩舎へでかけて馬に乗った。 学校がひけて馬に乗ったのは連合王国での話だが、ニュージーランドでは、尾根の向こうまで馬に乗ってでかけた。 「J」という名前のその牝馬はとても賢い馬で、クルマで出かければ山をぐるっと回っていかなければならない隣の牧場の友達の家に、人間でも踏み外すような細い尾根をたどって連れて行ってくれる。 わしはすぐに足を妙なところにおいてしまうので腎臓を圧迫しないように注意しながら、 出かけるときには、もう酔っ払って、左右にふりわけた袋にワインを3本づついれて、わしはジョニーにいる牧場まで出かけたものだった。 ジョニー(仮称)というのはね。 とてもオモロイ年長の牧場主の友達で、納屋には戦争が終わったとき、アメリカ軍が置いていったジープがあるんです。 なにしろカンタベリの牧場主は牧場の広さに応じて、退治しなければいけない野ウサギやポサムの数が決まっている。 尾根をおりてくるわしの姿が見えると、わしよりももっと酔っ払ったジョニーが家から現れて、 「おい、ガメ、野ウサギを撃ちに行こうぜ」というのが常だった。 血をみるのがふたりとも嫌いなので、酒でも飲まないとやってられない。 ふたりで、アイリッシュウイスキーを一本づつ飲んで、ジープに乗って野ウサギ狩りに出かけたものだった。 ジョニーは、ときどき、サイドミラーに映っているうさぎをショットガンでぶっ放したりした。「映っているうさぎ」ならばいいが、サイドミラーそのものをショットガンでふっとばしてしまうので、わしはそのたびに笑い転げたものでした。 ふたりとも、酔っ払って、なああああーんにも判らない。 丘からとびだして、平衡を失って ひっくりかえったジープの横でしばらく気絶していて、 意識がもどって馬の「J」のところにもどると、なんだか怒ったような顔をしているのです。 馬のほうが人間よりも遙かにまともな知性の持ち主なのは農場主たちにとっては常識というものである。 えっこらせ、とまた背にまたがって、ジョニーどんに別れを告げると、わしはまた細い尾根をこえて家に帰ったものだった。 帰りは、なにしろ盛大に酔っ払っているので、イギリス式でもアメリカ式でも手綱ももてやしない。 でも「J」は、大バカ騎手をうんざりした様子で背に乗せて、暗闇のなかを、足を滑らせないように注意しながら、帰って行った。 あるいは、大酔して、ガムトゥリーの樹上のポサムの目が四つに見える。 構わずぶっ放すと、さっきまで四つだったポサムの目が八つになっておる(^^) 奥方も出てきてしまったようだ。 ライフルでは当たらないので、ショットガンに変えると、もっと当たらない。 酔っ払って下から上に向かって射撃をしても全然あたるわけがない、という事を学習する前の話です。 いまも酔っ払っているので、ここから次への節へのつなぎの話は全部はぶいてしまおう。 大好きなハドソン河沿いにある、あのバーや、ヴィレッジのディアブロ、バルセロナの「K」、東京の山の手の「N」、クエルナバカのハイビスカスが中庭を埋め尽くしたバー。 モニと結婚しようと決めるまでは、ひとりで、わしはふらふらとあちこちに飲みにいったものだった。 それはなぜだったかと思い出そうとすると、やはり、あの「聞き取りにくい声」を聞きたかったからだと思い当たる。 神様はほんとうのことは、ささやくような、聞こえるか聞こえないかのような声でしか言ってくれない。 それも、ガードの下の浮浪者や、午前4時の公園のベンチで酔いつぶれている若い男や、 バーテンダーが聞き返すような、カウンタの客の不意のつぶやきや、 そんなふうにしか言葉に翻訳されない。 … Continue reading

Posted in gamayauber | 2 Comments

余白に記された神について

1 神が意識をもっているとすれば、その意識を形成している語彙は人間の語彙が知覚する対象の集合よりも大きくてしかも稠密な集合でなければばらない。 しかも、神が絶対の存在である以上、その言語は相互の意思疎通を前提としない、純粋に思惟のために機能する言語のはずである。 そのことから導かれる結論は、人間にとっては真に恐るべきものであって、神は人間の意識から見れば、理解を拒絶した巨大な狂気でなければならないはずである。 宗教教団が狂信なしに成立しないことは、ほぼ自明だが、この「自明な事実」にいつも脚注のようについてくる「教団の初期においては」という説明は、ほんとうだろうか? どの教団も歴史的には経験している「狂信」は、実は教団に本質的なものではなくて「神」というものに本質的なものではないのか。 2 仏教は常に宗教の「例外」である。 そこには、どんな種類の狂気も存在しない。 あるのはただひととしてのシッダルータがもっていた狂気だけです。 シッダルータの言葉は、論理的な冴えに乏しいが、光に満ちていて、どんな人間にも自動的に「知性」というものを連想させる。 救いのまったくない絶望を語りながら、釈迦に依って説明される世界に安らぎが満ちて、やさしいのは、シッダルータが説いたものが宗教でなくて哲学だったからだろう。 インドの土地には、いまでも哲学を宗教として死んでゆけるひとびとがいるからである。 3 「遠くから無言で見つめるやさしい眼差し」をもった神などは、いいかげんな気持ちでそれまでの人生を過ごしてきたものの自らの甘えの反映が自分の感覚に引き起こした極めて通俗な幻覚にしかすぎない。 宗教が狂気であることを理解できない人間が、どうやって神に近づいてゆけるだろう。 4 例題1: すでに神は昏倒している。

Posted in 宗教と神 | 1 Comment