Monthly Archives: October 2011

「死の世界」へのドアを閉ざす

1 子供のときは、いろいろなことを考える。 わしは、15歳の頃は、神様というのは数学的な存在だと思っていた。 確率空間を歪ませたり、あるひとつの属性のあるもの、という言い方であまりに判りにくければたとえば素数は分布の仕方が均等ではなくて存在に偏りがあるが、そういう素数なら素数というような特徴をもったものを、恣意的に偏差をもたせて存在させているように見えたからです。 特に「確率空間を歪ませる」というのは、どこの国の、どのような神について書かれた本にも出てくるので、「絶対そうだな」と思っていた。 いまは思っていないか、というとそーでもない。 PCやXBOXやPS3のゲームとか、ギターの練習とか、最近こりまくっているシルクスクリーンプリントを作ることとか、なにしろ遊ぶのにいつも忙しいので、神様のほうはどうでもよくなってうっちゃっているだけです。 でも神様自体をどーでもいいや、と思っているわけではないので、神様、誤解しないでね。 おもいがけず死んで仕舞った場合には、そこのところ、ひとつ、どーぞよろしく 2 災害について、天罰、なんちて人間がむかしは戦いたりしたような頃は、地球の変動期にあたっていることが多かった。 たとえば日本の歴史をぼつぼつと勉強しはじめた頃、誰でもすぐに気がつくことにわしも気がついたのであって、義経が走り込んで、最後には、死ぬまで童貞であった弁慶をおったたせたまま果ててしまったという藤原王国は金だけでなく米も豊富に取れたというが、地図を見ると、すげー北にある「王国」であって、寒さの夏におろおろ歩いていた農業技師宮沢賢治が住んでいたところよりもずっと寒い土地にある。 600年の長きにわたって自分達の主要な食物の品種をだんだん改悪するマヌケな民族はいないから、これはいったいどうなってるんだ、と思って本やウエブをうろうろしてみると、太陽の活動が弱まるにしたがって、戦国期からだんだん日本は寒くなっていって、江戸時代にも、無茶苦茶寒かった。 太陽は日本に所属しているわけではないので、当然、世界中が寒くて、山容がかっこいいので日本にいるときには、わしが大好きな山であった(わしはいまでも浅間山のほうが富士山よか百倍くらいかっこいいと思っておる)浅間山がぶっとんだ天明の頃は、欧州でも滅茶さむだったので、穀物がとれず、パンが暴騰したので頭に来たパリの女達は激高して、男達をしたがえてバスティーユを襲い、終いには鋤やなんかに衛兵どもの生首をさして、ヴェルサイユ宮殿に行進することになります。 太陽の気まぐれで首をちょん切られてしまった衛兵は哀れである。 いま日本やニュージーランドで起きている地震は、どうも太平洋プレートが西北に向かって動いているのではないか、と話によく出てくる。 ひっぱられている側で小さな地震が起きて、押されている側で巨大な地震が起きる。 クライストチャーチは2つの地震の、特に二度目の2月の地震でCBDが壊滅してしまったが、あれは地震としては意外なくらい小さな地震で、それなのに震央が丁度クライストチャーチの真下で浅かったのと、この2度目の地震よりも大きかった初めの地震で大半の建物が大きなダメージを受けていたところに、いわばダメ押しのひと突きだったので、ひとたまりもなく壊れてしまった。 地震のエネルギーとしては、たいへん小さいものです。 地球全体で見れば、一箇月のあいだに何回も起きている程度のものである。 しかし、本来地震がないはずのブリスベンで起きた地震とあわせて考えてみると、わしのような地震のどしろーとにも、プレートが移動することによって側面がひきつれて起きているように見える。 ただし、この「見える」というのは科学の世界では有名な陥穽で、ノーベル平和賞を受けるきっかけになった「不都合な真実」のなかでアル・ゴアが大気中の二酸化炭素の増減を描いたグラフを地球の気温の変化のグラフと重ね合わせて、「ほーらね」をすると、観ているほうは「おおおおー」なんちゃっておるが、そんなもん、なんの気休めにもならない、というか、グラフがぴったり重なることは「ではもしかすると二酸化炭素と地球の気温の上昇に関係があるのではないか」と考えることの出発点にはなっても、傍証になるわけはないのは、高校の科学同好会のガキでも知っている理屈であると思う。 あんなんで満場の人間をうならせようとするなんて、ひどい奴だ。 というわけで、なにしろ地震学者などは予算がもらえない科学の筆頭のひとつなので、いろいろゆって騒ぎたいのはやまやま、実際、日本とかはすごくやばいに違いないと確信してもいるので、もっと言いたいが言えないのです。 でもそれにしても、プレートが西北に動いている、という考えは、たくさんのことを説明しているようには見える。 仮にそうだとすると、普通の感覚をしていれば、あといくつ地震があるところに原発があるか勘定してみたくなるのは理がおもむくところで、浜岡原発とかは、とめるだけでなくて是が非でもたたまないとやっぱしやばいのではなかろーか。 3 「母なる地球」というが、地球は「神のご意志」でも「確率分布の歪み」でも、もっとくだらない偶然でもかまわないが、表面で有機体が形成され、あるいは宇宙のどこかかからふってきて、やがて自律的な系をもち、GADV仮説があっていてもちがくても、生命が生じて、やがて意識をもつに至った生命の体系を育んだがその一方で、あたりまえだが、歴然と宇宙の一部です。 たとえばシドニーからシンガポールに飛ぶと、初めは延々と続く、火星の表面じみた赤い荒れ地の無限におもえる広がりがあり、やがてインドネシアの上空に至ると、水蒸気が液滴化して出来た壮大な積乱雲の列柱が見えてくる。 それは地球というようなやさしげな名前よりも「太陽系第三惑星」という名前のほうがふさわしい光景であって、あらためて地球上に働く力は、大気層オゾン層を超えて、バンアレン帯の向こうの宇宙と直接つながっているのだと実感する。 人間の感覚の勝手で、そう思うだけで、宇宙というのは「夢がある」というような言葉がふさわしい場所ではなくて、人間が地表での生活に用いている語彙を適用すれば、極めて暴力的な、一瞬で生命を奪う破滅の力に満ちた、死の世界である。 強烈な宇宙線に満たされ、太陽の光があたれば焼き尽くされ、光のない部分では何者の生存も許さない低温がある。 地球のイメージというのは、おおはばに端折ってイメージ化すると、要するに外側の宇宙の理屈に直接つながっている惑星体としての地球と、それが位置する巨大な宇宙という死の世界のあいだに、わずかな大気の層があって、それをとりまく薄いバンアレン帯があって、その二重なかぼそい環境のなかで人間はかろうじて生存の空間をみいだしている。 母なる地球、どころか、地球そのものは、宇宙の力に属しているので、ひとふるい、ぶるっと身体を震わすと、人間などはあっというまに絶滅してしまう。 しかも、人類が死滅するには、ハリウッド映画のように劇的な隕石の衝突や、はっはっは、オゾン層がなくなっちったぜ、な、電子レンジ的な死を迎える破滅の必要すらなくて、たとえば地球を覆っている雲の雲量の総和はどの時点をとっても多分一定だが、これが1%増えれば寒冷化が極端にすすんで人間の生存は許されなくなり、1%低下すれば干ばつが続発して住めなくなる。 ほーんのちっと地球の気が変わっただけで、われわれはあえない最後を遂げることになるものだと思われる。 4 「核の力」が直感的にスパイキーでイガイガした観じがするのは、それがバンアレン帯の向こうの「宇宙」に直接つらなる力だからでしょう。 死の世界に属した力を、人間は取り出せるようになってしまった。 取り出せるようにはなったが、(内緒だけど)、消す方法は知らないのです。 … Continue reading

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わたしゃ十六香港娘

日本で初めてフィールズ賞をもらった小平邦彦がグランドキャニオンに行ったときのことを書いている。朝永振一郎と湯川秀樹と、3人でクルマに乗ってでかけた。 小平邦彦の運転するクルマで展望台に着くと湯川秀樹博士が「小平くん、きみ、ちょっと見てこいよ」という。朝永博士も同調して「そうだよ、きみ、見に行ってきたまえ。ぼくらはここにいるから」とゆった。 別に、ふたりのノーベル賞学者のどちらも、以前にグランドキャニオンに来たことがある、というわけではありません。 小平先生は偉い先生ふたりが言うことなので、ひとりでクルマを出て、駐車場を歩いて横切ると、目の前に、雄大というのも愚かしい文字通り「息ができなくなる」ような巨大な渓谷がひろがっていた。 「それは私の人生観を根底から変えてしまうような景色だった」と小平先生は書いてます。 小平邦彦は、急いでクルマに戻ると湯川朝永両博士に「すごい景観ですよ。聞きしにまさるものです」と告げる。 「それは実によかった。」と湯川博士が言います。 「では、帰ろう。小平君、また運転を頼むよ」と朝永振一郎。 「うん。帰ろう」と湯川博士もいう。 えっ、ごらんにならないんですか? めんどーくさいんだよ。 小平先生は、偉い学者ともなると、普通の人間とは違うものだなあとおもった、と自分もとんでもない大学者なのに、このひとらしく簡単に述べている。 森繁久弥という最近になって死んだ俳優の作品のなかでは、わしは「社長シリーズ」がいちばん好きです。 日本にいるとき「ツタヤ」で借りて病みつきになった。 ここに出てくるひとびとは徹底的にテキトーで、見方によっては虚無的なくらい「本質」に興味をもっていない。 世の中の真実なんて、どーでもいいのさ。一円でも多く給料ください、という態度です。 今日が楽しければ、それが全部だし、という享楽に終始しています。 ゴマをすり、上司の歓心を買うために「女の世話」をすることもためらわず、半分裸になって、「あら、えっさっさー!」と踊り狂う。 あるいは、植木等の「無責任男」シリーズでは、主人公の素性怪しいサラリーマンは、「歩く」ということすら出来ません。 歩くかわりに、踊っている。 空に向かって哄笑し、「今度、大金はいることになってるからさ、こないだの借金返すのもうちょっと待ってね」という。 相手の肩をばんばんと叩いて、「そのうちなんとかなるだろおー」と叫んでます。 大庭亀夫みたいなひとである。 日本人が「マジメ」を売り物にするようになったのは、いつ頃からのことだろう。 まるで現代日本人に何事かを告げたかったのでもあるように、奇跡のように、発見された江戸時代の経理サラリーマンの日記に出てくる江戸時代の勤め人生活は、朝、呑みすぎた酒を上司に悟られないために下を向いて仕事をしている「ふり」をし、まわりのテキトーに調子をあわせて、自分のやりたい生活をやってくらせればいいや、という態度であったことを伝えている。 軍人ですら、自分達の数倍のロシア軍の猛攻を受けながら国を救った将軍は、酒でも飲まんとこんな戦闘やっとれるかと従卒に申し渡して、泥酔に近い状態で指揮をとった。 あとでは原宿で神様になった東郷平八郎という人は、博奕とさぼりの名人で有名なひとでした。 士官学校の席次も悪く、第一、当時舞鶴鎮守府に左遷されていたこの提督が日本の「興廃を賭けた」海戦の指揮をまかされたのは「抜群に運が強かったから」だった。 勤務成績や明晰さとは異なる理由を聞いて明治天皇もやや安堵したという。 そうやって、歴史を指でたどりながら、眺めて行くと初めに「マジメが絶対」になるのは、超マジメハゲの東条英機が大好きであった昭和天皇のあたりからなよーだ。 多分、当時、腐敗乱脈を極めていた陸軍高級将校への日頃の反発からだろうが、昭和天皇は戦争が進んでゆくにつれて絶対の「マジメ」を希求するようになっていきます。 本田宗一郎はホンダ英国工場で、自分達だけの豪華なメニューで、しかもわざわざ一段高くしつらえたステージのような場所で、貧しい食べ物で空腹をみたすだけの食事をとる工員たちに見せつけるように昼食を摂る習慣だった連合王国人の役員たちの姿を見て情けなさのあまり泣いて怒ったというが、昭和天皇が後ろから殴りかかるようにして戦争を挑んだ国の首相だったウインストン・チャーチルは、マジメニンゲンの昭和天皇とは対照的にUボートによる食料供給遮断から飢餓におちいりかける国民を尻目に、シャンパンと葉巻と美食のなかから、言葉によってヒットラーとルフトバッフェに強烈な打撃を与え続ける。 人種差別主義者らしい気楽な信念から、結局のところ自分達の友人であると思い込んでいたチャーチルから、ラジオを通して 「We shall go on to the end, … Continue reading

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ガメ・オベールからの手紙_2

わしは金持ちの家に生まれて、何不自由なく育った。 徹底的に甘やかされていたうえに、長じては起きては遊ぶ毎日で、今夜もはめはめな、とんでもない下品な週末を含めて、ろくでもない高校生活を送りながら、しかしスカでない大学に行って、なあーんとなくむかしからオベンキョーのひとだったような顔をして、知性が人間の肉体を借りて歩いているようなカシコイ友人もたくさんできた。 わしのブログがだいたいにおいて面白くないのは、そーゆー実生活のせいであると思われる。 なにもかもうまくいってるやつのブログなんて、読むやついねーよ。 ほんまをいうと、両親の家を例にとれば、家というよりは会社みたいなものであって、家を宰領するおじちゃんがいて、家の面倒をみるために働いているひとびとがいて、「家」とゆってもなんだか人間がいっぱいいるのです。 かーちゃんがイングランドのクソ冬には、ニュージーランドにいるのがよい、と思いついたのは、溺愛する長男(わしのことね)が、可愛かったからだと思われる。 わしと同じ環境のバカ息子によくいるモンスターになると、かわいくなくなって困る、と思ったのかもしれません(^^) 夏でも、まだ太陽さんが大空で楽しげにルンルンしている、8時には絶対にベッドにはいってなくてはならず、どうかすると6時にベッドに行けといわれる。 ちゃんとお行儀良く座りなさい。 あなたは、挨拶の仕方がなってないではありませんか。 そんな物腰では大叔母さんが悲しみますよ。 わしの社会特有の躾は、厳しいのを通り越して、かーちゃんととーちゃんはサディストカップルかしら、児童福祉所に手紙を書いていーつけてやる、と考えたが、 しかし、両親がわしを溺愛しているのはよく知っていた。 おとなしい、もの静かな子だったからだと思います。 (笑うな、ばかもの) こんなことで、いーわけがない、と思い立ったのは、いまを去ること9年前、19歳の夏の日であった。 前の日の晩の夢で、乱れた不純異性交遊(なんという美しい日本語だろう)のあまりちんちんが腐って、壊疽っぽく黒くなって、ぼとっと取れて落ちてしまう、えそっぷ物語(註1)な光景を視たからではありません。 こんな切実味に根本から欠けたぱちもんのハーレクイン小説みたいな生活を送っていると、将来の就職先がブティックのマネキン人形しかなくなってしまう、と思ったからでもない。 「なんだか、これじゃ、ダメだな」と思ったからです。 どーも、ダメだ。 なにが? それがわからないから、ダメなのよ。 いったい、おれは何を考えてるんだ。 そーゆーわけで、わしはミニホーローをしようと思いついたようだ。 放浪という言葉が嫌いだし、チョイワルおやじ、という、吐き気がしそうな、惨めったらしい、というか、そんな卑怯な姿勢で人生をわたっていいとおもっとるのか小心ハゲ、というか、だいたいてめーはこそこそ大学卒業したりしておいて、生活が安定しちゃったわ、とかいう薄汚い満足が浮かんだ顔をさらしているだけでもくだらないのに不良のふりだけするなんて、ぶち殺したろーか、このクソデブ、というか、 そーゆー感じのする言葉も日本語には存在するよーだが、 それとあまり変わりませんね。 恥ずかしいことだ。 でも、自覚はあったのよ。 ビンボななりをして、「家畜クラス」と異名をとるエコノミ席にのって旅行をする。 だから、なんだよ。 尾羽打ち枯らしても、家までたどりつけばカネモチの暮らしやん。 インチキでしょう。 そんなプラスティキィな発想で、いったい何が学べるというのだろう。 しかし、わしは、やってみたかった。 なんで、という理由はありません。 別に「違う自分」なんか探していたわけでもない。 ただ、なんでもかんでも完備されているクソ生活に飽きただけです。 子供の時からニュージーランドにいるあいだは、お手伝いのひとはひとりいるだけだったので、皿洗いや芝刈りはわしの仕事だった。 馬の世話やでかいものはヘリコプターの羽根をぶんぶんまわして一挙に蔓を破壊する「雑草とり」のおっちゃんに頼むが、細々した雑草とりもわしの仕事なら、いま思い出しても、かーちゃんが先生になって、妹と3人で並んでする壁のペンキ塗りも大好きな「仕事」のひとつだった。 … Continue reading

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英国岬から帰ってきた

1 空からふってくるはずだった恐怖の大魔王も革命もやってこなかったので、きみは今日も横須賀線に乗って東京駅で降りる。 地獄の底のように地下の奥深くにあるプラットホームからエスカレータに乗って丸の内口に出るだろう。 きみの肩にはホームローンやカーローンや教育ローンが、ろーんろーんと囁きながら乗っていて、びっくりするほど安い所得税とびっくりするほど高い年金と保険料をひかれると20万円しかない、きみの長い労働時間から考えれば冗談じみた金額の給料のことを考えてためいきをつく。 駅のトイレに駆け込んで、ちょっと嘔いた。 昨日、新橋で飲み過ぎたからじゃない。 なんだか、この頃、ときどき嘔いてしまうのだ。 つわりじゃないんだぜ、ときみは鏡を見つめながらつぶやいてみる。 なんてくだらない冗談だろう。 ぼくは、昔から冗談が下手なんだよ。 可笑しいかどうか考えているうちに、みんなの話題が変わってチャンスを逃してしまう。 ぼくの人生の他のいろいろなことに似ている。 せめて、ダイレンアイ、なんてあればなあー。 でも、このデコじゃ。 ああ、この耳たぼでは、 小恋愛もできやしない。 また、にやにや笑いを浮かべながら見合いの席にでも座るか。 税金に年金に料金に積立金で、ピンをはねられ、さやをとられ、 はてしなく働いて、日野暮らしの頃、いつか予算編成の頃に二日間の徹夜のあとにタクシーに乗ったら、 日野までですか? そりゃあ、ありがたい。 あんた達役人は、若いのにいいご身分でうらやましい、と言いやがった。 つかれはてて、おんぼろの、風で道路を横切る布きれみたいにぼろぼろになって、 3月の町を歩き回った。 急に泣きたくなって、寒い部屋に帰ってテレビをつけたら、 ちょうど原発事故のニュースをやっていた。 それから、あのヘンなニュージーランド人から一週間毎日メールが来た。 いろいろな大使館の非常時用のいっせいメール。 隠すように東電が発表したデータのPDF。 返事をださないでいたら、そのうちに何も言ってこなくなった。 ちゃんと税金払ってるのに、電気代だって払ってるのに、今度は放射能なのか、 なんだって、この国の政府は、ぼくの足をひっぱることしかしないのだろう。 役人たちは、いったい何を考えているんだ。 …あ、役人て、ぼくのことか。 ぼくは、何も考えてやしないのさ。 もう、考えられなくなったんだ。 ただ、ときどき吐き気がするだけなんだよ。 そうして、夜、寝床にはいるときには、とてもとても泣きたくなる。 2 医科研前の銀杏並木を、きみはぶらぶらと歩いてのぼってゆく。 … Continue reading

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ニッポンカケタカ

人間がとってもケーハクなので、わしはとっくのむかしにガイガーカウンタを買ってもっておる。RD1706っちゅう奴です。 そ、ガイガーミューラ計数管が2本あるやつね。 買うときに日本の「放射能サイト」を眺めていたら、「あんな安物で測っても仕方がない」という憎まれ口を利いているひとびとがいたが、その「ダメ」というひとびとの言葉が薄汚くて唇の形の下品さまで思い浮かぶようなクソ日本語だったので、かえって製品が良く見えて、これでいーや、ということになった。 シンチレータも買っちゃったもんね。 こっちは日本製です。 ところが、このブログを読んでくれていたり、不明な理由で年中発言が消されているツイッタ(とゆっても犯人だけははっきりしていてスラッシュやスペクターの工作員などではなくてわしだが)を読んで、「あ、あのバカ、また消しよった」とぶつぶつゆっているひとびとは良く知っているハナマルな理由で、今年及び来年はニュージーランドから出ないことになったので、測るものが何もない。 もう行けないと決まったのに置いておくともったいないというケチぶりを発揮して日本から送ってもらったクルマは、着いた途端に、呆れかえっている検査おじさんたちを尻目に、ワイパーの根元やドアの角、窓のゴム部分、と欣喜雀躍、あっ、いや厳粛に測りまくったが、全然ダメどした。 多分、ずっと車庫にいれっぱなしだったせいで2台とも健全だった。 シンチレータも、海苔やなんかを使う食べ物のテイクアウェイを買ったときに使おうと思うが、ここのところアジア系の食べ物はカレーとタンドリ料理くらいしか食べてないので、まだ使い途がない。 前にオーストラリア人友達が香港製「出前一丁」を箱で買ったら、スープの袋に日本語が書いてあって、いきなりひと箱ぶち捨ててしまったことがあったが、あのときシンチレータがあれば、うまくすればラーメンが1箱ただだったのに、と思います。 それとも、豪州ラーメン男の過剰な恐怖心が過剰ではなくて、真実であったりすることがあるだろうか。 日本語サイトを見ていたら世田谷で高放射線騒ぎがあったというが、記事を読んだだけで、「こりゃフクシマとカンケーがねーな」と直ぐ判る手のもので、実際、日本の放射性物質について警告を出し続けているひとびとも「これはフクシマと関係なさそうだ」と述べていたが、随分、奇妙な報道で、ゲンパツ反対のひとのなかには、「仕組まれた報道ではないか」と疑ったひとまでいたよーです。 「仕組まれた報道だ」とは思わないが、日本の「一般紙」新聞の超人的ケーハクさには、感銘をうけてしまった。 フクシマのせいでないと判り切っている「路地で発見された高放射能」を仰々しく報道することに、どんな意味があるのだろう? 東京にいる頃にも自分に興味がある事件や当事者の「プレスランチ」には、(あのクラブは食べ物がおいしいせいもあって)ときどき出かけたので、日本の新聞記者たちの不勉強と厚顔をつくしたバカっぷりは熟知しているつもりだったが、日本のNHKや読売というような新聞に較べればテレグラフ紙など初めから「真実を報道しない」という報道姿勢を明瞭にしているだけ知的である。 人間の生活の場では「賢げにふるまいたがるバカ」というのは、それよりももっと頭の悪い賢げな口ぶりをまねる能力すらないバカが崇拝してぞろぞろついて歩くだけで、普通の人間にとっては最も軽蔑されるべき対象だが、日本の新聞やテレビ報道は、口調だけがまともで中身は「いかれている」としかいいようのないそれら「張り子賢者」にとても似ている。 日本にいるとき、「どーして、あんなヘンな報道するんすか?」と訊くと、 「だって観ている人達は質が悪くて、程度をちょっとでもあげると、うけないんだよ」と答えるマスメディア人がいたが、相手の程度にあわせてバカ番組をつくっているうちに、自分がバカたれになってしまったのではなかろーか。 計測してみた砂場の砂がなんとかシーベルトであって、それが危ないとか危なくない、とか甚だしきに至っては、危ないというのは風評を広める準犯罪行為だとか、額に汗して農作業をしたことがない人間が、自分でやっていることの意味が判らない程度にものを考えることになれていないだけで純粋無垢で天使みたいなお百姓さんたちの、綺麗な心を踏みにじるのか、とか喧喧諤諤学研で福武書店な論議が繰り広げられているが、落ち着いて考えてみれば、これだけ拡散して放射性物質が環境化してしまった社会で、柏の砂場や三郷の校庭で「高い放射線」が検出された話をすることにどのくらいの意味があるだろう。 リチャード・ファインマンを殺したのではないかと疑われているデーモン・コアのようなものが対象で、実験室や教室の閉ざされた空間で放射線の高い低いを述べるのにシーベルトやグレイ、という単位は有効だが、見渡す限り放射性物質がうっすらと積もっている東京のような場所でシーベルトのような単位をもちだして、それが「基準以下」か「基準以上」かというようなクソ議論に誘導するのは、それ自体一種の詐術である。 放射能が「論理的な帰結としての予想」としてそれほど危険でない、と述べている物理学者たちは、それ以前で、その空想的なほどの軽薄さを、ただ「学者」だからという理由で野放しにしている日本という社会の正気が疑われるほどのことだが、それよりは程度がマシだとしても、やはり、間違っているものは間違っている。 つい、コーフンしてほんとうのことをゆってしまった。 最近の日本の様子を遠くから眺めていると、怒り、というような感情は起きなくて、失望というか失笑というか、日本のひとにはとても見せたり述べたりできない感情が起きてきてしまう。 一瞬だけだけど、ね。 東電幹部が福島県に「お詫び行脚」に現れて、そのクソ会社のクソ幹部に対して、 福島県のひとびとが「土下座しろ」とゆって土下座させている。 日本のひとびとが大好きな「美人すぎる」20代の東電社長だったら、会場の男たちみんなで「おわびにイッパツやらせろ」と迫るのではなかろーか。 原子力発電のようなイモ技術を見込みがなくなったあとでも、続けようとすることは社会の「卑しさ」だが、このゲンパツに反対のひとびとは、自分達がゲンパツを推進しているひとびととまったく質的に同じ卑しさを共有していることを全身で表現している。 やりきれない、という言葉以外に、こういう事象を表現できる日本語があるのだろうか。 自分がいかに日本文明というものに過大な期待をもっていたかを、これでもかこれでもかと毎日思い知らされて、げんなりしてしまいます。 日本て、ほんとうに、こんな国だったのだろうか、と日本語サイトを見る度に思う。 わしの友達のすべりひゆの訳では、 Non m’importa più. だが、 英語では、 No longer I … Continue reading

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太陽を待つ

1 嵐が来そうなので、わしは船をみな艇庫にいれるように言いにいった。 案外、明日も低い空が垂れ込めるだけで嵐は来ないかもしれないが、文句をいう奴はいません。 素人バンドのようにして始めたのに、いつのまにか、お互いに言葉が通じるようになってしまった。 いまでは、あんまり説明しなくても、考えていることを共有できるようになった。 世界中の経済が破綻の危機に瀕しているのは誰の目にももう明らかになった。 余剰の金を持つひとびとから欲望を募集して、それを「運営」して幾許かの利益を常に出し続けなければならないファンドマネージャーたちや金融家たちは別だが、わしのような零細な投資家は、(自前なので)手綱をひいて、郎党どもと家に帰るだけである。 モニさんは、まるで神が宿ったような集中力で、自分の身体のなかで育ってゆく未来を見つめている。 風が冷たいからやめておく、といって暖かい家のなかにいます。 ばかたれなわしは、相変わらずTシャツ一枚で、うろうろしているが、ゆるやかな芝生の傾斜を降りて、ガゼボのテーブルに紅茶をおいて、午後の雲のむこうの小さな太陽を眺めている。 自分は、ほんとうに、あの日本という国に行ったことがあるのかしら、と考える。 前にブログに書いた頃、あのときには場所の名前を書かなかったが、ニューオータニ・ホテルのてっぺんのバーでモニとふたりで、頬杖をつきながら、東京の夜景を観ていた。 「ガメが、この国を好きなのはなぜだろう?」 とモニが言う。 モニの目の前には、鮮やかな緑色のグラスホッパー。 「別に、好きじゃないよ」というと、 モニが、あの5歳児みたいな、無垢のなかできらきらと輝いているような笑顔を浮かべて、おもしろそうに笑っている。 前に「純粋」ということについて書いたことがあった https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/10/01/%E3%80%8C%E7%B4%94%E7%B2%8B%E3%81%95%E3%80%8D%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/ が、モニのようなひとの純粋さは、そういうものとは、また違うもののよーである。 いや、やっぱりおんなじものかしら、と思っていると、 モニの国の言葉から英語に切り替わって、「頑固だな」という。 You’re so stubborn. そーですか。 自分では、そう思ったことはないけどね。 チビガキのときから、そーゆわれる。 一度、心を閉ざしてしまうと、ガチガチに頑固で、中央銀行の地下の金庫の扉のよーだ。 神様の言う事だって聞きやしない。 もちろん、そーです。 この世のなかで、わしに声が聞こえているのは、モニだけである。 そのモニにまで、頑固、とゆわれる。 そーゆえば、東京のどこかで頑固寿司、っちゅう看板を見たことがあったな。 2 中国のひとには、自分達を遠くから見つめる能力がある。 「中国人は」とゆって、一般化する能力ももっている。 日本のひとが、「日本人」と言って批判されると、「わたしは日本人だが、わたしは違う。同じ日本人だからと言って、『日本人』と言って一緒くたにされるのは不愉快だ」と必ずいうのと、好対照をなしている。 前に住んでいたパーネルの近所に、一日中、電動鋸で自分の家の庭の木を切り倒している中国人の夫婦がいた。 この夫婦は、パジャマで、ドライブウエイを歩いておりてきて新聞をとってゆくのでも近所中で有名だった。 … Continue reading

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まどろむ、エウクレイデス

ユークリッド幾何学のスタティックな、均整のとれた美しさに魅入られてしまった少年は、「微分」という動的な、始終ものごとがダイナミックに運動する体系を目にして、だいたいの場合、嫌悪感にとらわれる、という。 わしのサンスーの教育はたいへん特殊なもので、個人でサンスーを教えてくれていたおじちゃんが、ガキわしの頃にいまでは考古学に近い、あの5つの公理から始めて、定理に定理を重ねて世界全体を説明するに至る、古色蒼然とした学問を教えてくれたのでした。 わしはユークリッドの幾何学を殆ど溺愛していて、というよりも、それ以上で、おおげさに言えば「世界が確かに存在するのだ」ということを、あの静的な幾何の体系によって知ったのだとゆってもよい。 13歳のときに微分を、また違う先生が手書きで書いた自習書、というよりも手紙みたいなヘンテコな書き物、を頼りに学習しだしたときには、微分というものが、あまりに「美」を欠いているので失望してしまった。 ふりかえってみれば、要するに頭が悪かったのでものごとの動的な美ということが理解できなくて、ユークリッドの「わかりやすい」静かな美しさと時間にしがみついていただけのことだが、それでも、たいへんに失望したのを憶えています。 IT革命、というチョーカッコワルイ名前がついたパラダイムシフトが起きたあと、激しい勢いで変化しだした世界に直面している、いまの人間の気持ちを考えると、この、 ユークリッドの幾何学から微分に移行していったときの、自分の精神状態のことを思い出す。 嫌悪感に悩まされながらも、結局、ユークリッドの居心地のよい世界を捨てて、微分やベクトルの世界に移動していったのは、結局、そのほうが効率的であったからで、なんの理屈の後ろ盾もなく、勘に従って、すっ、とひいてみた補助線を使って証明するのはこの上ない快感ではあっても、同じくらいの問題なら、殆ど何の考えもなく、一定の手順に従って、すこっ、とあっけなく解決できてしまうベクトルや微分のほうが遙かに遙かに生産的だった。 人間は効率がよいものには、弱いものであって、当時の自分の気持ちに従っていえば自堕落な気持ちで、自分の数学的知性を現代化してしまったのでした。 前にもちょっと書いたが、義理叔父の祖父の頃は、日本の「サラリーマン」というのは、午後5時には下僚のために退庁あるいは退社すべきものであって、まだ陽の高いうちに風呂敷包みを抱えて家路に着く。 小腹がすくと、鰻屋に立ち寄って、ビールで白焼き、一杯機嫌で横須賀線に揺られながら岩波を読んで、家に着く頃でもまだ陽があったので、縁側に座って庭を眺めながら夕飯までのビールを飲む、という毎日の暮らしだったそーです。 年収は、30歳代の管理職で、話から受ける印象では、いまの貨幣価値でゆって3000万円くらいだったよーだ。 なんだか、とてものんびりしていて、戦前の日本人は、サラリーマンと云えども静かな様式美の世界を生きていたよーである。 その頃のサラリーマンが、いまの社会を見れば、自分が地獄に来てしまったのだ、と思うでしょう。 わしが日本にいるあいだに、人間にとっては、これはこっちのほうが英語国よりいいな、と考えたことのひとつに「競争の少なさ」があります。 日本という国は、観察していると、12歳のときと、18歳のときの二回、与えられた課題を、うまく定石を組み合わせて解決させる、というなかなか知的に出来ている問題を150分というような時間の枠組みのなかで解答してゆく、という競争に勝てば、それであとはだいたいテキトーに暮らしていればダイジョーブだ、ということになっていて、皮肉ではなくて、毎日、朝から晩まで、同じ「8時間労働」と言っても、どうやらほんとうに集中して生産性を発揮しているのは午後の二時間程度であるように見える日本のホワイトカラーと異なって、8時間びっちし集中して仕事をしなければ、あっというまに社会の敗北者にされてしまう英語世界人に較べれば、天国のようなものだとゆってもよい。 わしは、なんでかバルセロナの台所の椅子に座って東京大学の入試問題を解いてみたことがあるが、 https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/03/09/東京大学入試問題を解いて考えたこと/ (いま見ると問題のリンク先は、違う年度の問題に変わってしまっているので、ここの問題についての感想は話があわなくなってしまっておる) そういろいろなひとが言うようなほど「詰め込み」だとかというような印象ではなかった。 たとえばアメリカ人の試験問題が「バカをふりおとす」ための試験であるのに較べて、 「賢い人間を選択」するための試験だという気がしました。 (エラソーを言うと、あの試験で入ってくるのならば日本の大学に新入してくるガキどもの程度はかなり高いはずで、どうも大学教育に相当な問題があるよーだ) ヘンなことをいうと、いわば日本のひとはいまだにユークリッド幾何学の世界で調和的な夢を見ながらまどろんでいるので、外の世界の動的で荒々しい競争の世界への嫌悪感にとらわれながら、しだいしだいに競争力を失ってきたのだと思います。 共産主義国は社会が無慈悲な競争に陥るのを嫌って人間的な環境を保とうとした結果、競争主義に官僚主義がとってかわって、その最後期には経済活動を函数にたとえると、函に入力したものの商品価値を100とすると函から出力される製品の価値が90や80に低下してしまうところまで落ちぶれていった。 しかし、ロシア人たちと話していると、共産主義時代をなつかしむ声はたくさんあります。 たとえば、きみが数学に秀でていたとする。 その場合、モスクワ大学のすぐそばに自分の住居を与えられたきみは、学費というようなものはもちろんタダで、家賃も生活費も国家が支給してくれるので、きみはただ数学に専念していればそれでいい、という夢の生活を送ることになる。 わしは台北で、自由化後のモスクワ大学で、(他に選択肢がまったくないので)売春をしながら 研究をつづけた、と、あっさりとした感じで教えてくれた、わしがいまでも尊敬している、聡明で美しいロシア人の女のひとと一緒に食事をしたことがあるが、あのひとの知性が「自分が共産主義の時代に生まれていれば」とは言わせなかったが、辛い夜のあとで、冷え切った部屋で机に向かいながら、きっと心のなかでは、何度もそれを考えたでしょう。 日常的に嵐が吹き荒んでいるような、西洋型の世界にやがては日本も移行していかざるをえないだろう、と思うのは、だから、生産性を回復するためには、動的で物事が始終変化しつづけている社会に変わってゆくしかないだろう、と思っているからです。 あらゆる「静的調和的な制度」、おもいつくままに挙げると、年金、固定給、著作権、年次制雇用、というようなものは、良い悪い、という問題とは別に、すべて消滅していくだろう。 年次制雇用、と書いたのは、終身雇用を極端な例として、たとえば30歳で入社して55歳まで会社にいる、ということが「たまたま同じ会社に25年もいることになった」という社会になるだろう、という意味です。 いまはプロジェクトチームのメンバーとしての社員、というようなイメージがわかりやすいと思うが、ひとつの事業の達成のためのチームの集合として会社がある。 自分の人生を組み立てる場所としてドッカリと存在する、旧来の「会社」というようなものは、すでに過去のものになりつつあると思います。 人間には魂の休息が必要なので、あまりに苛烈になった競争にさらされると、森のなかに週末をすごす小さな家が欲しいと考えたり、海辺で午後をすごせる家を買いたいと思ったりするようになる。 あるいは、もっと個々の成員が近しい、小さな共同体に基づいたイメージで言えばややアーミッシュ風の生活に近づけたい、と願うひとが出てくると思われるが、それが本質的な解決に至るとは到底おもえない。 人間の社会が先進国で言えば日本のような国を除いて、過酷な社会に変貌してしまったのは、「繁栄のための競争」に参加する競技者の数が増えてしまったせいで、これまでとは桁違いの生産性が求められるようになってしまった結果です。 特に中国のひとびとのような大集団が「おれも幸福になりたい」と言い出したのは将来に至るまで決定的な要素だが、これからあとも、インド、ブラジル、ロシア、南米諸国、アフリカと、いまは貧困のなかにあっても将来に繁栄を求める人間の集団は陸続とつづいて列をなしている。 むかし、アレクサンドリアの町の喧噪が遠くに聞こえる高窓の下で、横顔を夕日に照らされながら、円から少し離れたところに、そっとひいてみた補助線を使った、ため息が出るほど典雅で、神様の吐息が部屋のなかの、すぐそばで聞こえてきそうな証明に見入りながら、ユークリッドがついていた幸福のため息は、もう人間の唇からもれてくることはないに違いない。 … Continue reading

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