Daily Archives: October 8, 2011

怪獣王ゴジラ

机のうえにゴジラ映画のボックスセット「The Godzilla Collection」が載っておる。 「ゴジラ」(オリジナル第一作のやつね)「ゴジラの逆襲」「モスラ対ゴジラ」 「メカゴジラの逆襲」「オール怪獣大進撃」「キングギドラ対ゴジラ」「三大怪獣 地球最大の決戦」がそれぞれ日本版と英語版ではいっていて、合計14の映画が全部で 1694円(US$21.99)どした。 アメリカのアマゾンで買った。 英語版は編集も吹き替えも観ていてカッとなるくらいひどいのを過去の経験によって承知しているので日本語のほうしか観やしないが、それでも日本で同じ日本版を買うよりも圧倒的というもおろかしいくらい安いので、英語版のほうは死蔵になっても、いーんです。 (いま、ちょっと思いついて調べて見ると、 日本アマゾンでは古典「ゴジラ」一作だけで、3712円ですのい。たけー。なんじゃこりゃ) ゴジラは生物の歴史上、ゆいいつ放射線を大量に浴びても生存できた生き物だった。 (司馬遼太郎の小説を読んで幕末の志士を気取ってしまったり明治時代に憧れてしまうタイプのひとびとのために申し述べておくと、ほんまはゴジラは架空の生き物ですねん。 そういうタイプのひとにとっては信じられないことなのは判っているし、真実を知るというのは辛いことだが、ゴジラという生き物はほんとうに生きていたわけではないのです。 ビキニのヤモリが水爆に当たってゴジラになってヤンキースと契約した、という説は歴史的にゆって誤りである) ついでに言うと最初の襲来から30年後、昭和59年版のゴジラが襲う、あの原子力発電所は浜岡原発です。 ゴジラ考証学における基礎知識である。 生物がながいあいだ海水深くに潜んでいたのは、宇宙からの放射線を怖れてのことだった。 きっと、その頃にもシンカイアメーバモドキのダイガクキョージュがいて、「放射線っちゅうのはさ、怖がるからいけないんで、あたってみれば結構健康にいいのだぞ」なんちて、それを真に受けた気のいいシンカイアメーバモドキの若い衆が地球磁場もろくすぽ形成されてない陸上にあがって、あえない最期を遂げていたりしたに違いない。 そうこうしているうちに地球は、地球磁場を形成しオゾン層をつくりだして宇宙という放射線で埋め尽くされた死の世界から遮断されて生命が繁栄を謳歌する小世界として、広大で無慈悲で死がすべてを支配する宇宙という過酷な世界から独立した。 やがて人間の大脳という形で意識を獲得するに至る、この気が遠くなるほど美しい輝く青色の惑星は、自己を放射線から守り隔離することによって成立したのでした。 人間が直感的に放射能を危険なものとして怖れてきたのは、それが人間にコントロールできない死の世界である宇宙の象徴、言い換えれば非人間的なものの象徴だからだと思います。 かつて長い間、陸上にはいあがろうとする生物の進化を阻み続け、宇宙の法則に隷属を強いていたのは、いままさに人間の浅薄さによって穿たれたフクシマダイイチという宇宙と直結した穴から日本のひとびとを脅かし、いまはもう体内に少しづつ入り込んで、今度は内側から生命を破壊しようとしている放射線そのものだった。 波長の長さに由来して、もっとも死の力が弱い放射線である紫外線ですら人間にとっては強敵だった。 今度は、「わし、安全だかんね」と競馬の予想屋ふうな気楽さで科学印のお札を売りさばく学者たちのお墨付きをもらって、すましているだけのことで、その正体は、要するに生命の敵であったあの宇宙からの放射線、磁場が形成されるまでは生命を深海の牢獄に閉じ込めていた力そのものです。 アメリカiTunesストアにあがっているゴジラ映画とかは吹き替えがマヌケすぎて死ぬが、 ガメラ3は日本語音声英語字幕なので、モニとわしはラウンジのテレビで肩をならべたり、交互に寝転がっていちゃいちゃしたりしながら観ることにした。 すげー、おもろいんだよ、あれ。 最後のほうが、安物の学芸会脚本みたいでガックシだが、それまでは、なかなかの大迫力であって、特に2045年のリカちゃんハウスみたいな、けったいなデザインの京都駅がむちゃくちゃにぶちこわれる所なんかでは、おもわず立ち上がって、「いけ!ガメ!ち○ぽこ京都タワーもいてまえ、宮刑じゃ宮刑、チ○チンくらいなくなってもコンジョがあれば歴史家として大成するし、と司馬遷もゆっておるぞ。京阪電鉄がなんぼのもんじゃい! 陰陽道の聖地に品の悪いもんぶちたてよってからに」とゆってコーフンしてしまいます。 ところが、始まりからずっと浮かない顔で画面を眺めていたモニは映画なかばで、すっと立ち上がって「わたし、観たくない」といって自分のスタジオに行ってしまった。 ガメラが出現して、両親が死に、引き取られた奈良の町で学校中からイジメにあう子供の姿や、巨大な災厄のなかで必死に生き延びようとする日本人たちの姿が、どうしてもフクシマダイイチの事故と重なって見えて、映画が重すぎてみられないのだという。 イギリスじーちゃんの黄金おやつ、ソルトアンドビネガーのポテチをがりがり囓りながら、ガメラって、あんなにくるくるまわって飛んじって、目え回んないのかしらとか、しあわせなことを考えながら映画にコーフンしていた鈍感なわしと違って、モニはガメラ映画のなかで苦闘する日本社会を観てショックを受けてしまったもののようである。 そーゆえば、ゴジラも、マジにつくったやつは、ちょっと、そーゆー感じがすることあるよな。 バカなものをみせてしまった。 いや、映画はバカじゃないんだけどね。 これでは凄惨なドキュメンタリを観せてしまったのと同じやん。 60年代の日本の歌には、たとえば山之口漠の「鮪と鰯」を歌にした 鮪の刺身を食いたくなったと
 人間みたいなことを女房が言った
 言われてみるとついぼくも人間めいて … Continue reading

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