英国岬から帰ってきた

空からふってくるはずだった恐怖の大魔王も革命もやってこなかったので、きみは今日も横須賀線に乗って東京駅で降りる。
地獄の底のように地下の奥深くにあるプラットホームからエスカレータに乗って丸の内口に出るだろう。
きみの肩にはホームローンやカーローンや教育ローンが、ろーんろーんと囁きながら乗っていて、びっくりするほど安い所得税とびっくりするほど高い年金と保険料をひかれると20万円しかない、きみの長い労働時間から考えれば冗談じみた金額の給料のことを考えてためいきをつく。

駅のトイレに駆け込んで、ちょっと嘔いた。
昨日、新橋で飲み過ぎたからじゃない。
なんだか、この頃、ときどき嘔いてしまうのだ。
つわりじゃないんだぜ、ときみは鏡を見つめながらつぶやいてみる。
なんてくだらない冗談だろう。
ぼくは、昔から冗談が下手なんだよ。
可笑しいかどうか考えているうちに、みんなの話題が変わってチャンスを逃してしまう。
ぼくの人生の他のいろいろなことに似ている。
せめて、ダイレンアイ、なんてあればなあー。
でも、このデコじゃ。
ああ、この耳たぼでは、
小恋愛もできやしない。
また、にやにや笑いを浮かべながら見合いの席にでも座るか。

税金に年金に料金に積立金で、ピンをはねられ、さやをとられ、
はてしなく働いて、日野暮らしの頃、いつか予算編成の頃に二日間の徹夜のあとにタクシーに乗ったら、
日野までですか?
そりゃあ、ありがたい。
あんた達役人は、若いのにいいご身分でうらやましい、と言いやがった。

つかれはてて、おんぼろの、風で道路を横切る布きれみたいにぼろぼろになって、
3月の町を歩き回った。
急に泣きたくなって、寒い部屋に帰ってテレビをつけたら、
ちょうど原発事故のニュースをやっていた。

それから、あのヘンなニュージーランド人から一週間毎日メールが来た。
いろいろな大使館の非常時用のいっせいメール。
隠すように東電が発表したデータのPDF。
返事をださないでいたら、そのうちに何も言ってこなくなった。

ちゃんと税金払ってるのに、電気代だって払ってるのに、今度は放射能なのか、
なんだって、この国の政府は、ぼくの足をひっぱることしかしないのだろう。
役人たちは、いったい何を考えているんだ。
…あ、役人て、ぼくのことか。
ぼくは、何も考えてやしないのさ。
もう、考えられなくなったんだ。
ただ、ときどき吐き気がするだけなんだよ。
そうして、夜、寝床にはいるときには、とてもとても泣きたくなる。

医科研前の銀杏並木を、きみはぶらぶらと歩いてのぼってゆく。
歴史の本には、みな違う話が載っているが、地元のばーちゃんたちは、この通りは爆撃で出来たと言い張るのだ。
木の枝という枝には、人間の手や、足がひっかかっていて、焼け焦げた死体が転がる三光町の坂をのぼっていったら、向こうに海が見えた、という。

伝研と言った、ロックフェラーが寄贈した建物だけは綺麗に残って無傷だった。
焼け野原になった白金のがれきを片付けながら、みながその堂々たる石造りの建物を見上げた。
なんで、こんな戦争を始めたのだろう。
いったい息子はいつ帰ってくるのだろう。

戦争のことばかり考えるのは、フクシマダイイチのあとの日本が、段々、戦争の頃の日本に似てきたからだ。
サイパンが陥落したあと、日本は「負けない国」になった。
空中から現れた架空な帝国の陸軍と海軍は、架空な上陸軍や架空な敵機動艦隊と、架空な決戦をして、どんな場合でも「赫赫たる戦果」を挙げることになった。
日本はどんどん現実を失っていって、感情だけが残っていった。
「戦地の兵隊さんの気持ちを考えなさい」
「死んだ英霊に対して恥じよ」
「いったい、どうしたら、負けるなどと非国民じみたことがいえるのか」
だから8月15日が感情までもっていってしまったあとでは、日本人には何もなくなってしまったのさ。
昨日まで神国だった日本はただの瓦礫がはてしなく続く貧しい国にもどってしまい、
天皇ですら神様を廃業して人間にもどってしまった。
まるで芝居がはねてドーランを落とした田舎芝居の俳優たちのように、観念がはがれてしまえば、疲れ果てた、しなびた顔がそこここに並んでいるだけだった。

ガメ、聞いてくれ。
福島を救えるわけは、ないんだ。
きみは、むかし、青山の裏通りの広い階段の上にあるバーで、福島の美しい水田と、
空と足下の水田とを流れる、「二枚の空に流れてゆく積雲の軍勢」の話をしていたが、
あの美しい福島の自然を思い出せば、「除染」なんて、ただの言葉遊びにしかすぎないのがきみにも判るはずです。
一度でも福島の山野を歩いたことがある人には、殆ど自明だと思う。

福島は、福島に住む、福島を愛するひとびとが、どんなに希っても、もう死んでしまった。おれたち福島の人間は、ただ「自分達の土地」が死んでしまった、
決して起きてはいけないことが起きてしまったという事実を受け入れられないでいるだけです。
ちょうど、子供が母親の亡骸にすがって、泣きわめくように、おれたちは福島にとりすがって、生き返ってくれ、またおれたちを膝の上で遊ばせてくれと地面を叩いて願うが、死んだものは生き返りはしない。
わかっているんだ。
でも、このおれたちの悔しさだけは、誰にも理解しているとは言わせない。
おれは、「福島は、もうダメだ」という人間も絶対に許さない。
理屈なんて知らない。
絶対に許さない。

このあいだは、会津の人間たちがやってきて、ごく遠回しに「同じ県だというだけで会津も浜通りも同じなようなことを言われて困っている」というようなことを言っていった。
人間の冷淡さには底がない。
人間には、ほんとうには「恥」なんて気持ちはないに違いない。

昨日は「村上さん」というひとがツイッタのなかで話しかけてきて、面白かったので、ワインを開けてコンピュータで遊んでいたら、飲み過ぎてしまった。
起き上がったら宿酔いで、世界が傾いているので、海岸を走ってきた。
今日の朝、9時頃、セントヘリオスからパーネルにかけて、顔を真っ赤にして、全速力で走っていたばかでかいヒゲ男を見て呆れたきみ、あれは、わしである。
いつもはジョギングだが、今日は飲み過ぎたので懲罰のために、全力疾走にしたのね。

だ、だめだ、くるしい、心臓が止まる、明日はプレースメーカーに替えの心臓を買いにいかなくては、と考えながらクルマに乗り込んで、私書箱に手紙の束を取りに行ったら、
日本の友達から、手紙が来ていた。
便せんを展げてみて、なぜ友達たちがeメールでなくて紙の手紙を選んだかわかるような気がしました。

読んで、おまえには感想はないのかって?
ねっす。
解答はある。
解答は、わしはやはり諦めないで日本の事をもっと知ろうと思っています。
そうして、まだしつこく日本語を書くだろう。
いくら「下手だ」とゆわれても、もうどうでもいい気がする。
ニセガイジンでも70歳おやじでもウソツキでもおちこぼれでも、なんだっていいよ、もう。
勝手に悪口をあちこちで、ぶちまいてくれればよい。
好きにしてくれ。

誰も日本のことを書かなくなってしまうのは、わしにとっては自明のことだから、わしがこのサーバの隅っこのところに、書き残しておこう、というだけのことです。
かつては垂直に屹立する書き方で書かれていた、きみの言葉で。

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