わたしゃ十六香港娘

日本で初めてフィールズ賞をもらった小平邦彦がグランドキャニオンに行ったときのことを書いている。朝永振一郎と湯川秀樹と、3人でクルマに乗ってでかけた。
小平邦彦の運転するクルマで展望台に着くと湯川秀樹博士が「小平くん、きみ、ちょっと見てこいよ」という。朝永博士も同調して「そうだよ、きみ、見に行ってきたまえ。ぼくらはここにいるから」とゆった。
別に、ふたりのノーベル賞学者のどちらも、以前にグランドキャニオンに来たことがある、というわけではありません。
小平先生は偉い先生ふたりが言うことなので、ひとりでクルマを出て、駐車場を歩いて横切ると、目の前に、雄大というのも愚かしい文字通り「息ができなくなる」ような巨大な渓谷がひろがっていた。
「それは私の人生観を根底から変えてしまうような景色だった」と小平先生は書いてます。
小平邦彦は、急いでクルマに戻ると湯川朝永両博士に「すごい景観ですよ。聞きしにまさるものです」と告げる。
「それは実によかった。」と湯川博士が言います。
「では、帰ろう。小平君、また運転を頼むよ」と朝永振一郎。
「うん。帰ろう」と湯川博士もいう。
えっ、ごらんにならないんですか?
めんどーくさいんだよ。

小平先生は、偉い学者ともなると、普通の人間とは違うものだなあとおもった、と自分もとんでもない大学者なのに、このひとらしく簡単に述べている。

森繁久弥という最近になって死んだ俳優の作品のなかでは、わしは「社長シリーズ」がいちばん好きです。
日本にいるとき「ツタヤ」で借りて病みつきになった。
ここに出てくるひとびとは徹底的にテキトーで、見方によっては虚無的なくらい「本質」に興味をもっていない。
世の中の真実なんて、どーでもいいのさ。一円でも多く給料ください、という態度です。
今日が楽しければ、それが全部だし、という享楽に終始しています。
ゴマをすり、上司の歓心を買うために「女の世話」をすることもためらわず、半分裸になって、「あら、えっさっさー!」と踊り狂う。

あるいは、植木等の「無責任男」シリーズでは、主人公の素性怪しいサラリーマンは、「歩く」ということすら出来ません。
歩くかわりに、踊っている。
空に向かって哄笑し、「今度、大金はいることになってるからさ、こないだの借金返すのもうちょっと待ってね」という。
相手の肩をばんばんと叩いて、「そのうちなんとかなるだろおー」と叫んでます。
大庭亀夫みたいなひとである。

日本人が「マジメ」を売り物にするようになったのは、いつ頃からのことだろう。
まるで現代日本人に何事かを告げたかったのでもあるように、奇跡のように、発見された江戸時代の経理サラリーマンの日記に出てくる江戸時代の勤め人生活は、朝、呑みすぎた酒を上司に悟られないために下を向いて仕事をしている「ふり」をし、まわりのテキトーに調子をあわせて、自分のやりたい生活をやってくらせればいいや、という態度であったことを伝えている。

軍人ですら、自分達の数倍のロシア軍の猛攻を受けながら国を救った将軍は、酒でも飲まんとこんな戦闘やっとれるかと従卒に申し渡して、泥酔に近い状態で指揮をとった。

あとでは原宿で神様になった東郷平八郎という人は、博奕とさぼりの名人で有名なひとでした。
士官学校の席次も悪く、第一、当時舞鶴鎮守府に左遷されていたこの提督が日本の「興廃を賭けた」海戦の指揮をまかされたのは「抜群に運が強かったから」だった。
勤務成績や明晰さとは異なる理由を聞いて明治天皇もやや安堵したという。

そうやって、歴史を指でたどりながら、眺めて行くと初めに「マジメが絶対」になるのは、超マジメハゲの東条英機が大好きであった昭和天皇のあたりからなよーだ。
多分、当時、腐敗乱脈を極めていた陸軍高級将校への日頃の反発からだろうが、昭和天皇は戦争が進んでゆくにつれて絶対の「マジメ」を希求するようになっていきます。

本田宗一郎はホンダ英国工場で、自分達だけの豪華なメニューで、しかもわざわざ一段高くしつらえたステージのような場所で、貧しい食べ物で空腹をみたすだけの食事をとる工員たちに見せつけるように昼食を摂る習慣だった連合王国人の役員たちの姿を見て情けなさのあまり泣いて怒ったというが、昭和天皇が後ろから殴りかかるようにして戦争を挑んだ国の首相だったウインストン・チャーチルは、マジメニンゲンの昭和天皇とは対照的にUボートによる食料供給遮断から飢餓におちいりかける国民を尻目に、シャンパンと葉巻と美食のなかから、言葉によってヒットラーとルフトバッフェに強烈な打撃を与え続ける。

人種差別主義者らしい気楽な信念から、結局のところ自分達の友人であると思い込んでいたチャーチルから、ラジオを通して
「We shall go on to the end, we shall fight in France, we shall fight on the seas and oceans, we shall fight with growing confidence and growing strength in the air, we shall defend our Island, whatever the cost may be, we shall fight on the beaches, we shall fight on the landing grounds, we shall fight in the fields and in the streets, we shall fight in the hills; we shall never surrender,」
という言葉を伝えられたヒトラーは、そのとき初めて英国人たちの「聴き取りにくい声」を聞き取って、理解して、ひどく狼狽するが、それも潔癖な性格で、誰にも親切な菜食主義者であったヒトラーの「マジメさ」が彼を盲目にしていたのではないだろーか、とわしは皮肉な気持ちで考えることがある。
冗談として、聞いてもらうのがいちばんよいが、日独伊三国同盟というのは「マジメ人間同盟」と言い換えていいような体のもので、社会正義を思い詰める小学校教師として人生のスタートを切ったムッソリーニも含めて、偏執的なマジメさにこだわった3人の国家指導者によって、あの悪魔的な同盟は出来上がった。

日本では、そのマジメさは、特に1944年と1945年において大量に自国の国民を殺すことになるが、ふつーの反応、というべきか、戦争に負けたあとでは、戦争中のマジメ運動への反動で、アプレゲール、という流行語がある、光クラブ事件、逮捕されたときに「オー・ミステーク」と叫んだ、とかっちゅう日大ギャング事件、法廷で「ただナット・ギルティを主張するだけです」とノではなくてナであるところが、かっこよさの鍵であると信ぜられていたのだと思われる陳述をした、一連の「アプレゲール事件」の掉尾を飾る「バー・メッカ殺人事件」と続く、ケーハクの氷をスケートで滑るよーな、おもろい世の中になってゆく。

日本という国ではニューヨーク・ヤンキースでさえ「ヤ軍」なんちて軍隊にされてしまう。
超弩級、すなわち超ドレッドノート巡洋艦級の「パソコン」があったりする興味深い国です。
植木等演じるスチャラカ社員や「わたしゃ十六香港娘」と踊りまくる三木のり平が消えて、「われわれわああー、だんこおー、権力を勝ち取るぞおおおー」の全共闘のマジメな勇ましさがそれにとって代わるのに時間はかからなかった。世代的には、この最後の「われわれわあ」のひとたちが、いま権力の中枢にいるひとたちである。

いや、人間、マジメなほーがいいんだすけどね。
別に特別にいいたてるほどの文章の目的もない。
無責任な客席に腰掛ける外国人としては、セクハラでパワハラでチャンスさえあれば何のハラでもやっちゃるぞで、すさまじい内容だけれども、
ほお紅をつけて、シナをつくって踊り狂う三木のり平を観ていると、こーゆー日本は、いまどこにいったのかなあー、それとも、もうほんとうに棺のなかにはいってしまったのかしら。
日本はマジメがすべてさ、文書様式の美をなんとこころえる、の、マジメ万歳国家になりはててしまったのか、誰か教えてくれんかな、というただそれだけのことなんです。

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3 Responses to わたしゃ十六香港娘

  1. じゅん爺 says:

    「シャチョーになったらモリシゲみたいな毎日送れるかもよ」ってんで、戦後のニポンジン、一生懸命働いたんだがな。
    「現実はドーモ違うみたいよ」と気付いてからは、平社員志向となったらしい。
    後は(T・W・K)大学出た、税務署推奨まじめ人間が、社長になった。
    爺の中学同級生の某電力会社前社長は、絵に書いたようなまじめ人間だったから、それ見てそう思ったん。

    • じゅん爺どの、

      >後は(T・W・K)大学出た、税務署推奨まじめ人間が、社長になった。

      マジメ菌が頭にはいると、頭がわるくなるもののよーだ。
      税務署や会計士は、会社経営の側から見ると無責任不良経営をつよく推奨しますのい。万国共通です。

      アメリカ人ともだちでもキムノバクを秘書にするためにシャチョーになったんだぞ、というじーさんがおったな(^^)

      マジメはやだのい。

  2. 僕自身は不良ではなかったが、どこぞに書いてあった組織からのハグレモノが不良と親和性が高いのはまったくもってその通りだと思う。最近、職場にテキトーと評されている人物がイドーでやって来たので観察していたわけだが、巷間いわれているほどヒドくはないように見受けられる。彼のテキトーさの理由一は財産があること、つまり仕事に遮二無二に打ち込む必要性が無いこと。理由二には、おそらく組織の決まり事を外面的にも信じていないことが挙げられると思う。盲目と呼んで良いような真面目さが評価される中で個人の本音が透けて見える彼のような存在は浮いて見えるのだろうなと忍びの分際で考えた。
    (本文とかけ離れたレスのようだが、理念に忠実なロボットより不良のほうがどれだけマシかという話であると解釈した。)

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