Daily Archives: October 29, 2011

「死の世界」へのドアを閉ざす

1 子供のときは、いろいろなことを考える。 わしは、15歳の頃は、神様というのは数学的な存在だと思っていた。 確率空間を歪ませたり、あるひとつの属性のあるもの、という言い方であまりに判りにくければたとえば素数は分布の仕方が均等ではなくて存在に偏りがあるが、そういう素数なら素数というような特徴をもったものを、恣意的に偏差をもたせて存在させているように見えたからです。 特に「確率空間を歪ませる」というのは、どこの国の、どのような神について書かれた本にも出てくるので、「絶対そうだな」と思っていた。 いまは思っていないか、というとそーでもない。 PCやXBOXやPS3のゲームとか、ギターの練習とか、最近こりまくっているシルクスクリーンプリントを作ることとか、なにしろ遊ぶのにいつも忙しいので、神様のほうはどうでもよくなってうっちゃっているだけです。 でも神様自体をどーでもいいや、と思っているわけではないので、神様、誤解しないでね。 おもいがけず死んで仕舞った場合には、そこのところ、ひとつ、どーぞよろしく 2 災害について、天罰、なんちて人間がむかしは戦いたりしたような頃は、地球の変動期にあたっていることが多かった。 たとえば日本の歴史をぼつぼつと勉強しはじめた頃、誰でもすぐに気がつくことにわしも気がついたのであって、義経が走り込んで、最後には、死ぬまで童貞であった弁慶をおったたせたまま果ててしまったという藤原王国は金だけでなく米も豊富に取れたというが、地図を見ると、すげー北にある「王国」であって、寒さの夏におろおろ歩いていた農業技師宮沢賢治が住んでいたところよりもずっと寒い土地にある。 600年の長きにわたって自分達の主要な食物の品種をだんだん改悪するマヌケな民族はいないから、これはいったいどうなってるんだ、と思って本やウエブをうろうろしてみると、太陽の活動が弱まるにしたがって、戦国期からだんだん日本は寒くなっていって、江戸時代にも、無茶苦茶寒かった。 太陽は日本に所属しているわけではないので、当然、世界中が寒くて、山容がかっこいいので日本にいるときには、わしが大好きな山であった(わしはいまでも浅間山のほうが富士山よか百倍くらいかっこいいと思っておる)浅間山がぶっとんだ天明の頃は、欧州でも滅茶さむだったので、穀物がとれず、パンが暴騰したので頭に来たパリの女達は激高して、男達をしたがえてバスティーユを襲い、終いには鋤やなんかに衛兵どもの生首をさして、ヴェルサイユ宮殿に行進することになります。 太陽の気まぐれで首をちょん切られてしまった衛兵は哀れである。 いま日本やニュージーランドで起きている地震は、どうも太平洋プレートが西北に向かって動いているのではないか、と話によく出てくる。 ひっぱられている側で小さな地震が起きて、押されている側で巨大な地震が起きる。 クライストチャーチは2つの地震の、特に二度目の2月の地震でCBDが壊滅してしまったが、あれは地震としては意外なくらい小さな地震で、それなのに震央が丁度クライストチャーチの真下で浅かったのと、この2度目の地震よりも大きかった初めの地震で大半の建物が大きなダメージを受けていたところに、いわばダメ押しのひと突きだったので、ひとたまりもなく壊れてしまった。 地震のエネルギーとしては、たいへん小さいものです。 地球全体で見れば、一箇月のあいだに何回も起きている程度のものである。 しかし、本来地震がないはずのブリスベンで起きた地震とあわせて考えてみると、わしのような地震のどしろーとにも、プレートが移動することによって側面がひきつれて起きているように見える。 ただし、この「見える」というのは科学の世界では有名な陥穽で、ノーベル平和賞を受けるきっかけになった「不都合な真実」のなかでアル・ゴアが大気中の二酸化炭素の増減を描いたグラフを地球の気温の変化のグラフと重ね合わせて、「ほーらね」をすると、観ているほうは「おおおおー」なんちゃっておるが、そんなもん、なんの気休めにもならない、というか、グラフがぴったり重なることは「ではもしかすると二酸化炭素と地球の気温の上昇に関係があるのではないか」と考えることの出発点にはなっても、傍証になるわけはないのは、高校の科学同好会のガキでも知っている理屈であると思う。 あんなんで満場の人間をうならせようとするなんて、ひどい奴だ。 というわけで、なにしろ地震学者などは予算がもらえない科学の筆頭のひとつなので、いろいろゆって騒ぎたいのはやまやま、実際、日本とかはすごくやばいに違いないと確信してもいるので、もっと言いたいが言えないのです。 でもそれにしても、プレートが西北に動いている、という考えは、たくさんのことを説明しているようには見える。 仮にそうだとすると、普通の感覚をしていれば、あといくつ地震があるところに原発があるか勘定してみたくなるのは理がおもむくところで、浜岡原発とかは、とめるだけでなくて是が非でもたたまないとやっぱしやばいのではなかろーか。 3 「母なる地球」というが、地球は「神のご意志」でも「確率分布の歪み」でも、もっとくだらない偶然でもかまわないが、表面で有機体が形成され、あるいは宇宙のどこかかからふってきて、やがて自律的な系をもち、GADV仮説があっていてもちがくても、生命が生じて、やがて意識をもつに至った生命の体系を育んだがその一方で、あたりまえだが、歴然と宇宙の一部です。 たとえばシドニーからシンガポールに飛ぶと、初めは延々と続く、火星の表面じみた赤い荒れ地の無限におもえる広がりがあり、やがてインドネシアの上空に至ると、水蒸気が液滴化して出来た壮大な積乱雲の列柱が見えてくる。 それは地球というようなやさしげな名前よりも「太陽系第三惑星」という名前のほうがふさわしい光景であって、あらためて地球上に働く力は、大気層オゾン層を超えて、バンアレン帯の向こうの宇宙と直接つながっているのだと実感する。 人間の感覚の勝手で、そう思うだけで、宇宙というのは「夢がある」というような言葉がふさわしい場所ではなくて、人間が地表での生活に用いている語彙を適用すれば、極めて暴力的な、一瞬で生命を奪う破滅の力に満ちた、死の世界である。 強烈な宇宙線に満たされ、太陽の光があたれば焼き尽くされ、光のない部分では何者の生存も許さない低温がある。 地球のイメージというのは、おおはばに端折ってイメージ化すると、要するに外側の宇宙の理屈に直接つながっている惑星体としての地球と、それが位置する巨大な宇宙という死の世界のあいだに、わずかな大気の層があって、それをとりまく薄いバンアレン帯があって、その二重なかぼそい環境のなかで人間はかろうじて生存の空間をみいだしている。 母なる地球、どころか、地球そのものは、宇宙の力に属しているので、ひとふるい、ぶるっと身体を震わすと、人間などはあっというまに絶滅してしまう。 しかも、人類が死滅するには、ハリウッド映画のように劇的な隕石の衝突や、はっはっは、オゾン層がなくなっちったぜ、な、電子レンジ的な死を迎える破滅の必要すらなくて、たとえば地球を覆っている雲の雲量の総和はどの時点をとっても多分一定だが、これが1%増えれば寒冷化が極端にすすんで人間の生存は許されなくなり、1%低下すれば干ばつが続発して住めなくなる。 ほーんのちっと地球の気が変わっただけで、われわれはあえない最後を遂げることになるものだと思われる。 4 「核の力」が直感的にスパイキーでイガイガした観じがするのは、それがバンアレン帯の向こうの「宇宙」に直接つらなる力だからでしょう。 死の世界に属した力を、人間は取り出せるようになってしまった。 取り出せるようにはなったが、(内緒だけど)、消す方法は知らないのです。 … Continue reading

Posted in 科学とテクノロジー | 6 Comments