Monthly Archives: November 2011

わがままながまわま

メルボルンの夏。金曜日。 起きてみると、抜け渡るように美しい青空であって、窓を開けると乾いたそよ風が部屋をふきぬけてゆく。 この天国(銀座の「てんくに」ではありません)(生前善人だったひとが集団でヒマこいてる国のほうね)のような天気はオーストラリアとニュージーランドの特徴なんでごんす。 じっと空を見つめて、わしは「来ないな」とつぶやく。 「来るわけがない」 ひさしぶりにメルボルンの家にやってきてみると、ガス台はぶち壊れていて点火が出来ず、壁のスイッチが3カ所崩壊していて明かりがつかないのでガス屋と電気屋を予約してあった。 でも、夏の天気が良い天国日より。 金曜日。 こんな遊びにいくのにもってこいの日に、電気屋とかガス屋とかくるわけねーよな。 しかし、約束してもうたものはやむをえない、と考えて家でごろごろ、というか「ディアブロ2」をやりながら待っていたが、やっぱり夜まで来なかった。 ….と、ゆーよーなことがオーストラリアでは年がら年中あります。 テキトーである。 そんでもって、火曜日とかに突然やってきて、わしが「金曜日に来るって、ゆーたやん」とゆっても「あっ、あの日はビョーキだし、なはは。今日、万障くりあわせて来てやったんだから、感謝しろよ」などという。 「電話すればえーやん」 「それが、友達とみんなでブランディを密造して飲んだら、これが強すぎて。気絶しちゃったもんだから…あっ…」なんちゃっておる。 オーストラリアほどサービスの質が悪くはないが、ニュージーランドも似たようなものです。 すごおおくテキトーである。 そーゆーことがダメなひとは、オーストラリアやニュージーランドに住む、とかいうのは無理であろう。 アメリカも無理です。 スペインは無理無理。 メキシコは無理無理無理。 わしは、こーゆー無理国民のひとびとよりも更に輪を掛けてえーかげんなので、住む場所がたくさんあって幸福なのだとゆわれている。 むかし、わしがスペインのパン屋のおばちゃんに「あんたみたいに、いい加減でちょーテキトーなひとは初めてみた」とゆわれているのを見て妹がカンドーしておったが、妹には内緒だが、わしはメキシコのバーのねーちゃんにも「そんなにいいかげんで生きていけるのか?」と心配してもらったことがある。 ましてオーストラリアにおいておや。 連合王国や日本のような国では「他人のことを考えて行動しなさい」 「そんなことをしたら、他のひとが困るでしょう」 「足手まといになるようなことをしてはいけません」 とゆーよーな、辛気くさい教育をうける。 そーでないと社会が回転してゆかない、と教わる。 ところがスペインのような所に行くと、カタロニアのようにマジメな国でも、 週末の夕暮れ、クルマが、ゆっくりと坂をおりてきて、「あれは駐車する場所を探しておるのだな」と思って見ていると、ふらふらふらと地下駐車場の出口にクルマを突っ込んで駐めてしまう。 交差点の、ちょうど、どまんなかにクルマを駐めていくひともいます。 それで、どうなるかというと、なにしろ地下駐車場なのでクルマが、ぶうううっと出口に向かってあがってきて、そこで知らないひとのクルマが出口をふさいでこっちを向いて駐まっているので運転しているおっちゃんはショックを受けてしまう。 そーゆーときの、スペインの人のなさけなさそーな顔は、なかなか味わいがある。 あーゆー顔というのは、文明が三千年がとこはリニアに続いていないと生まれないものだと思われる。 連合王国くらいの歴史の浅さでは、到底ああいう顔はうまれない。 降りてきて、そこいらじゅうの店を一軒一軒まわって、「駐車場の出口にクルマを駐めたひといませんかあ」とゆって歩く。 クルマの持ち主の若いおねーさまは、食べていたパエリアをテーブルにおいたまま、なにがなしイライラした様子で、クルマを動かしに来てくれる。 「あんたが駐車場を出ようとするから、わたしが食事の途中なのに、また新しい駐車場所を探してうろうろしなきゃならないじゃないの」とぶりぶり怒っておる。 おっちゃんは肩をすくめておるな。 … Continue reading

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選挙だぴょん

昨日はなんだか選挙だけで終わってしまった。 昼食を食べたあと午後に投票へ出かけてモニとふたりで買い物をした。 午後七時からはずっと、とゆっても(集中力緩慢なわし)(いろんなことをいっぺんに同時にやるのが大好きなわしの事であるから)いろいろな言葉のツイッタやフォーラムで遊んだり、8時半からは「Cold Case」 http://en.wikipedia.org/wiki/Cold_Case_(TV_series) を観たりしながらだが、 11時半に、大敗したフィル・ゴフが「辞任はしないのか?」と口々に質問するジャーナリストたちに辛抱強く答えてゆくゴフらしい抑制の利いた表情や、わしが住む家の選挙区候補者バカタレのジョン・バンクスが自己の保身のために引き起こした「一杯の紅茶」事件 http://tvnz.co.nz/election-2011/cup-tea-meeting-fails-sway-voters-act-poll-4549135 のせいで、(バンクス自身は読み通り議席を保持したが)アクトから大量に流れたパーティボート票で議席ゼロから議席9へと恢復した 「反アジア人のチャンピオン」ウインストン・ピータースのニュージーランド・ファーストの勝ち誇った記者会見まで、結局、一日、選挙の日のようなものでした。 ニュージーランドでは、普通のひとでも「戦略的投票」ということをよく口にする。 選挙前のポールなどの情報をじっと観ていて、「政党間のバランスが悪いな」と感じると、自分が支持している政党でない政党に1票を投じる。 いま、1票と表現上書いたが、ニュージーランドでは「政党」へ1票、地元の候補者へ1票の計2票投票するので、ほんとうは投じるのは2票。 そのうちの政党へ投じるほうの「パーティボート」を「戦略的投票」に使うのが普通です。 その上にMMP制度 http://www.elections.org.nz/voting/mmp/ があるので、ひとつの党が過半数をとるのは不可能ではないが、ものすごく難しい。 いまちょっと思いついて日本語サイトを見ると時事通信が 「国民党、単独では過半数に届かず」 読売が「与党陣営が過半数で政権維持」と書いてあるが、 両方とも事実を間違えてはいないが、ピントは大幅にずれていて、 ニュージーランド人の実感は、「ナショナル(国民党)の歴史的大勝」だと思います。 もうひとつ、あとで述べるがグリーン党も大勝した。 「グリーン」の名の付く政党は国際的に連帯しているので知られているが、党首ラッセル・ノーマンの勝利宣言スピーチによれば、10%以上のサポートを「グリーン」政党が受けたのはニュージーランドが初めて、だそーでした。 聴いていて、モニもわしも、「えええー、そうだっけ?ドイツとか、もっとえらいんちゃうの?」と思ったが、調べてない。(ごめん) 日本との関連で言えば、ナショナル政権なので、あんまり関係がない。 ニュージーランドに住んでいる日本人のことを考えると、 何かというとアジア人移民が悪いとゆって受け狙いをするアホのウインストン・ピータースが9議席と共に復活したので、日本人の移民の人は嫌な思いをすることが増えるだろう。 ウインストンは、実は、ニュージーランド人の社会ではアホのおっちゃん扱いの政治家に過ぎないが、アジア人移民のひとと話してみると、影響が大きいようです。 言われてみて理由として思い当たるのは、まずウインストンは演説が非常に上手である。 わしは、ポピュリスト政治家が大嫌いなので、とーぜんウインストンも嫌いだが、演説を聴いていても、機会があるときに話してみても、話の巧さ、ひとの魅きつけ方という点でも群を抜いている。 1996年には、わずか2%だった支持率を激しいアジア系移民バッシング演説によって46%まで伸ばしたことがあった。 その頃、ロンドンから半年ぶりにやってきたクライストチャーチで、まるで違う国のようにアジア人への憎悪が渦巻いていたのを昨日のようにおぼえています。 田舎では、アジア人の家のドアに鶏の死骸が打ち付けられたり、夜中に騒ぎで眼をさましてみると逆さまの十字架が庭で燃やされていたりした。 「自分と違うもの」への憎悪を養う、というのは自分の社会では敗北者であるひとびとのお家芸だが、ウインストンは、どうすれば、それに根拠を与え、くすぶった火を燃え上がらせ、人びとが自分の失敗した人生に対してもっている暗い怒りを、社会のなかの弱い者の集団に向けさせるかをよく知っている。 ウインストンは、ニュージーランド人特にパケハ(欧州系ニュージーランド人のことでごんす)社会では、アホのピータースというただの笑い話でも、たとえば華人社会では悪魔のように怖れられている政治家なので、ニュージーランドでは中国人に準じる立場の日本人も、日常の生活に不快なことが起きるのは、免れないように思います。 ただ1996年のような「反アジア人の嵐」というようなことにはなりそうもない。 それは、まず第一に他の英語圏同様、若い層にとっては「人種差別」というのが、すでにダサイ考えで、 ビンボクサイジジイやひまをこいているババアの考えることであって、そーゆーカッコワルイ考えについていこうと思う者がすでにいなくなってしまっている。 人種差別団体は政党であるニュージーランド・ファーストを含めて、だいたい5つあると思うが、構成員の平均は、1996年に30代だったひとびとそのままで、40代後半です。 … Continue reading

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宇宙に触れる、ということ

もうすぐ29歳になる。 なんだか、ほんとうのことではないように思えます。 現実にも、いまぱっと思い出してみただけで、デタラメな行状のせいで5回死にかけているが、 いまでも妹やかーちゃんやとーちゃんがあの頃は心配しくるっていた、というたびに、 うるせーんだよ、おおきなお世話じゃ、と思う当時のことは、いまのジジクサイ頭で振り返ってみると、たしかに危なくはある。 やることが無茶苦茶です。 具体的に書いても退屈なだけなので書きはしないが、あんなことをやっていても生きていられるということは、結局、人間の一生なんて運だけなんだんべ、と思う。 他には、なにもない。 努力、なんちゅうもんも、たいして役にたつとは思えない。 人間の一生など、自分の意志でつけたせるものは殆どないもののよーである。 この日本語ブログの過去記事でも判るダンスやバレーへの異常な執着にも現れているとおり、わしには「肉体」というものへの偏愛がある。 わしが「バク転」と呼ぶのだと信じきっていた、「後ろ後方宙返り」はほんとうは「バク宙」と呼ぶのだそーだが、芝生のうえで初めはいつもおっかなびっくり、二回目からは連続で何回も繰り返す「バク宙」をモニが午後の陽射しのなかで手をかざして楽しそうに眺めている。 モニに言ったことはないが、モニが大好きになったことの理由のひとつは、わしがカッチョヨク、バク宙や外連ステップを決めると、モニはもう3歳くらいの子供のように眼をまるくして、天使が目の前にあらわれて南京玉すだれをやっているのを見つめる子供のように夢中になって喜んでくれることであって、そーゆーことは、わしをとても幸せにする。 いまでも、いいとしこいて、Ne-Yo「One in a million」 http://www.youtube.com/watch?v=6tpl9LtkRRw のようなクールを極めるステップは、すべてそのまま踊れる。 猛練習の結果だんねん(^^;) むかしは、これを応用して夜中のクラブでうけるのが目的だったが、いまはモニひとりを喜ばせるのが目的です。 「やっぱり、わしらのお嬢さまがだまされて結婚した、この旦ちゃんははずれだし」と露骨に顔に書いてある、特殊な事情によってモニの実家からやってきている手伝いの人びとのまんなかでモニだけが、ひとり椅子に腰掛けて「ガメ、かっこいいぞ。大好き」とゆってくれる。 しみじみ結婚してえがっただなあー、と思います。 わしは人間が生まれてくるのは、魂が感覚器を装備した肉体を通して世界を「感じ」にくるためだと思っている。 ときどき、大好きな人の滑らかな肌の感触や、身体のあちこちの柔らかい場所からたちあがってくるよい匂いや、性のあの激しい興奮がなければ、魂はこの広大な宇宙のなかで迷子になる以外に行き場所がなくなってしまう。 キリストの物語をあるいは現実の一生をつくった神は、そのことを伝える象徴的な方法を知っていた。キリストに打ち込まれた釘は魂に打ち込まれるのではなく、手のひらと足に打ち込まれる。 釘を打ち込むのが魂ならば、贖罪にはならないのだ、という洗練された理屈を、誰かが知っていたことになります。 そこには魂の苦しみではなく肉体の痛みがあるのでなければならなかった。 甘い煙がある、でも、そのなかに画然と性的な匂いがたちこめている知らない部屋で眼をさます朝の冷淡さは、十代後半から二十代前半の人間が殆どだれでも週末毎に繰り返す愚行の味とでもいうべき感覚だが、そうやって漂流することには、危険であっても、人間の一生を定義する重要な意味がある。 頭脳などは魂の機能を不完全に代行する器官だべ、そんなもんの機能ばかり追究していてはどうなるものでもなかるべし、と思う。 手足が機能している場合の脳が考えるとこと、手足の機能なしに脳が考えることではおおきく異なることはほとんど自明である。 肉体の機能から切り離された思考は次第に夢に似てくる。 だから。

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パジャマと公共

「その貧しさときたら、胸がわるくなるほどだった。まったく、いま思い出しただけでもいやだわ」とNさんは吐き捨てるように言う。 それから(見ていて驚いたことには)怖気をふるう、という言葉そのものに身体を、ぶるっと震わせまでする。 Nさんは、かーちゃんがクライストチャーチにいるときのスクォッシュの相手であって、酪農家のひとです。 スクォッシュコートの近くのカフェで、かーちゃんと会うことになっていたので出かけていったら、かーちゃんと一緒にコーヒーを飲んでおった。 Nさんは背の高い愛想の良いひとであって、なにごとによらず的確な意見を述べるのでわしが嫌いなひとではありません。 金髪を短く刈り込んでいて、毎朝10キロ走るアスリートでもある。 ものごとをはっきり言うひとではある。 わしが「東京に行ってたあいだは..」と何かの話題の拍子にいいかけると、遮るように自分が酪農の視察かなんかで北海道に行ったときの話をする。 「日本の話なんて聞きたくない」といわんばかりの様子ですねん。 いかに日本人が貧しくて、泥の中をはいまわるような悲惨な生活を送っているか、あれほど「第三世界的」な世界だと思わなかった。 ニュージーランドに移住してきた日本人たちは、西洋化していて、わたしたちと同じ生活をしているけど、本国では、悲惨を極めている。 (どひゃっ) Nさんの勢いがついた言い方にも、わしはぶっくらこいてしまって、Nさん、ほんまに日本に行ってきたんすか? 搭乗便まちがえて、中国の奥地とかに行ってきたんちゃう?とゆって大笑いしてしまったが、しかし、それでもNさんは、ガメがどうしてそう言うのかは判らないが、自分で見たものは見たものだから、とゆって譲りません。 オオマジメに日本人の「悲惨な貧困生活」について述べている。 わしが数字を挙げて、ニュージーランド人の平均収入と日本人の平均収入を較べるとむかしは日本の半分、いまでも3割方向こうのほうが高いことを述べても、数字は数字だろうけど、自分は自分の目のほうを信じる、と当然とゆえば当然の理屈で信じてもらえない。 それにしてもNさんの「日本人の生活がいかに貧しいか」という描写は詳細を究めていて、しかも一種の情熱が籠もったもので、日本のひとが聴いたら、よっぽど怒るだんべな、というていのものでした。 「見栄えがよい」ということは、西洋文明においては非常に大事なことである。 なんちゃってもっともらしくゆっておるが、わしがそのことを「発見」したのは日本滞在によってだった。 それまでは特に「西洋人は外見を大切にする」というようなことを考えたことはなかった。 田舎にでかけて、コーヒーを買いに立ち寄ったコンビニエンスストアでパジャマのまま買い物に来ているひとたちを見たりして、考えるようになった。 スコットランド(ハイランド)の田舎町にコンビニエンスストアがあったら、じいちゃんたちなどは、夜中でもパジャマをえっこらせと脱いでネクタイを締めて背広を着て「うまか棒」を買いに行くだろう。 バルセロナの主婦は、つい先の2ブロックもないところにある八百屋に行くのにも服を着替えてイヤリングをつけて化粧をして出かける。 家の中ではアザラシが岩の上で午寝をしているときに着ているようなええかげんな服を着ていても、一歩玄関から出るときは、まるでステージに出て行くオペラ歌手が胸を反らせて歩み出すような調子ででかける。 欧州では連合王国人がダッサイので有名であって、カタロニアやロンバルディアのようなところでは口をひらかなくても、なんとなくもっさりとした服を着て、まるこくてでぶでぶしていると自動的に連合王国人とみなされるよーだ。 実際、(カンクーンのようなアメリカ合衆国の飛び地のような町をのぞいて)メキシコのカリブ海側にある小さなリゾート地などに行くと、イタリア人やスペイン人、あるいはアルゼンチン人の若い金持ちが通りをうろうろしていて、それがどいつもこいつも細こくてかっこええのであって、わしは初めはマジで「イタリアのファッションモデル組合が団体旅行してきているのであろーか」と思ったりしたが、バーで知り合ったりして、だんだん仲良くなって話してみると、外見に全人生をかけたカッコヨサが通りを歩いていたのであって、ぬわるほど文明というものは極まると内面などはどうでもよくて外見だけに価値を見いだすもののよーだ、というなかなか深みのある真理にいきあたったりした。 大陸欧州と連合王国の服のあいだには大きな違いがあって、カットが大きく違う。 見栄え、という点では大陸欧州のカットの方が大差でかっこええんです。 ジーンズと長袖シャツという組み合わせでさえ、交差点に立つ同じ人は、大陸欧州カットの服において、連合王国カットの百倍くらいかっこよく見えるであろう。 なあーんか、こう、すっ、として見えるのね。 姿が、すっきりしているのです。 格段にカッチョイイひとにみえる。 しかし、大陸欧州カットのシャツを着て運動するのは難行である。 クルマの運転程度でも(仕立てたシャツでも)あちこちがひきつれて、Uターンをすると破れてしまうかもしれぬ。 わしはバルセロナの有名な仕立て屋さんで、キューバ革命軍の戦闘服みたいな、カッチョイイ軍服ぽいジャケットをつくってもらって愛着(この日本語は誤用です)しているが、 ジャングルでの戦闘どころか、行進しただけでひきつれて破れてしまいそうである(^^) 革命軍の服のデザインでも物腰は貴族のようでなくては着てられません。 服を初め、外見を構う構わないは、その国の富の歴史の長さによる、という考えもあるだろうが、わしが日本で考えたのは、もしかしたら、その文明の皮下に深く浸透した「公共」の定義にもよるのではないか、ということでした。 シンガポールでは、むかしは、日本人観光客がくると口うるさく「ホテルではドアの一歩外は通りとおなじですから」とゆわなくてはならなかったという。 そうしないと、当時の日本人観光客はパジャマ姿でホテルの廊下を歩いたりしたのだそーだ。 いまは、ドライブウエイをパジャマ姿で新聞をとりにゲートまで降りてくる中国人の隣人があちこちの都市、マンハッタンやシドニーやオークランド、で近所人同士の秘かなしかし熱情をこめて語られる問題になっている。 … Continue reading

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映画な夜

1 いまちょうど遙々ロンドンからどんぶらこどんぶらこと航行しつつあるコンテナ船があって、このコンテナ船に乗っているフルコンテナのひとつは、わしの荷物です。 いったん日本からロンドンに送ったものを、また今度はニュージーランドに移送している。 モニさんに由来しためでたくも特殊な事情により、予定より長くオークランドにいることになったので、一部計画を変更することにした。 このコンテナのなかに、日本語の本やDVDも入っている。 最近はJB-Hifiやなんかにも、日本のアニメや小津や黒澤や、あるいは溝口までもドバッとあって、しかも価格も同じデジタルリマスター版ならデジタルリマスター版で日本の価格よりも安いので、本当は送らなくてすませられるのもたくさんあるが、船の移送は小さなコンテナか大きなコンテナの選択しかないので、めんどくさいから今回は日本語DVDをすべて送ってしまうことにした。 日本の文化に接近してよかったことのひとつに「むかしの映画」がある。 わしは、自分では小津がやはり好きです。 小津安二郎の映画が外国人に判りやすいのは、ひとつには、小津映画がほぼビリーワイルダーのコンテキストで出来ている、ということがある。 本質的にアメリカ映画なので、溝口健二の映画などに較べて判りやすい。 アメリカ映画の最良の部分のコンテキストのなかで、日本的な情緒をもって呼吸し会話し、悲しみ喜ぶひとびとを観ているのは、えもいわれぬ、という表現を用いたいくらいの快楽で、世の中にこんなオモロイ映画があっていーものだろーか、と外国人たちをうならせる。 絵柄としても、あのチョー有名な「ローアングル」からワイルダーの映画を撮っている。 真に天才だと思います。 小津映画に出てくる日本が当時の日本でなかったことは、多分、日本のひとが想像するよりもたくさんの外国人が知っている。 あの小津の「家庭」に出てくる和洋折衷の広いラウンジ、車両全体が個室になっている一等車にただひとり黙然と腰掛けている主婦の前のテーブルで揺れている一輪挿しの薔薇、というような情景が現実の、といって酷ければ、一般の日本人の生活でないことくらいは、知識がなくてもふつーの頭があれば想像がつくことでしょう。 小津安二郎の描いた「日本」はすべて作り物で現実には存在しなかったことは、本人がいちばんよく知っていたと思う。 しかし、ここで大事な事は、その「作り物の日本」が日本人である小津の頭から生まれたものであることで、太平洋戦争の後半をシンガポールで連合王国人たちが残していった倉庫のイギリスとアメリカの映画に耽溺することで過ごした小津は、当時のハリウッド映画のコンテキストとそこに描かれた生活を借りて、あるいは紅茶茶碗を緑茶の茶碗に、ホットドッグを(当時はまだ珍しかった)ラーメンに、歯をみせて笑う微笑みを僅かにゆるむ頬の筋肉に、ていねいにひとつづつ置き換えることで、長い中国戦線暮らしで目撃した、どうしても好きになれなかった現実の日本社会の向こう側に「こうでなければならなかった」はずの日本を描いてみせた。 安定した興行成績を誇る一方で映画評論家には「いつも同じ」「なまぬるい日本でだけ通用するマンネリ映画」と罵倒されながら、一向に倦むことなく「小津映画」を作り続けたのは、自分が描いている日本など、現実と架空の区別もつかない「進歩的」な映画評論家たちの言とは異なって、どこにもなく、自分が描くのをやめれば、たちまち砂上の美しい楼閣のように消えてなくなるのを知っていたからだと思われる。 わしは、もう何十回観たか判らない「東京物語」を別にすれば、因果にも駄作中の駄作とされる「お茶漬けの味」とやはり駄作と目される(「浮草物語」の自分自身によるリメイク)「浮草」(大映版)が大好きだが、「お茶漬けの味」は特に、「架空な日本」を通して「真実の日本」が胸に迫る体の、なんともゆわれない冷たさと暖かさが混淆した映画であって、最後にお茶漬けの作り方もよく判らない、料理など自分でやったこともない我が儘な主婦と夜中に南米への飛行機が飛ばなくなって羽田から戻ってきた亭主との、長年連れ添った夫婦のやりとりを装った、まるで昨日出会った恋人同士であるかのような情熱に満ちた会話は、実はそのまま40年代のハリウッド映画のものである。 しかし、それが日本という場所に置き換えられることによって、どれほど素晴らしい場面になったことだろう。 「麦秋」も「早春」も「秋日和」も、「秋刀魚の味」も、呆れかえるモニを尻目に、よく夜中まで見続けて過ごしたものだった。 あの傍若無人な楽しみがまたやれるのだと思うと、 いまごろは赤道祭をやりながら、どんぶらこどんぶらことニュージーランドに躙(にじ)り寄りつつあるコンテナ船の到着が、指折り数えて待ち遠しいような気もするのです。 2 「Criminal Minds」を第1シリーズから第7シリーズまでぶち通しで観たのが病みつきになって、「The Closer」果ては「CSI」とそのスピンオフまで、アメリカ人の生活上の「ナイトミア」につけこむような恐怖を描いた犯罪テレビシリーズのDVDを買ってきて、エピソードを何ダースも一気に観る、というのがすっかりモニとわしの習慣になってしまった。いまは観るものがなくなってきたので到頭「CSI:Miami」を観ているところです。 むかし、たとえばマンハッタンのテレビで観ていた頃はモニとふたりでDavid Caruso演じる主人公がいちいち「闇…だが、それはある者達にとってはやさしいものだ」なんちゃうのが、ディアブロの主人公みてーなどとゆって失礼にも笑い転げていたりしたものだったが、あらためて第1話から怒濤のように観てゆくと、 Speedの死のエピソード「Lost Son」 http://www.youtube.com/watch?v=t7Rcx4eX7Vw&feature=related などは涙なくして観られない。 このエピソードの遙か前に伏線があって、この英語人好みの性格をもったCSIは銃の手入れを怠る癖がある。 それが死を招いてしまう。 せっかくスピードルの人となりに馴染みだしたところなのに、撮影が忙しいからって、やめることなかったのに、とつい現実の事情を思い浮かべてしまうが、しかし、悲しいものは悲しい。 テレビというものはなかなか環境が大事であって、まず座り心地というか横たわり心地のよいカウチがなければならない。 モニとわしは縮尺的に日本の人よりもやや大きいので、日本で売っているカウチはダメであった。 輸入家具、いっぱいあるよ?というきみの声が聞こえてきそうだが、でも、あれ日本用にサイズを変えてありますのや。 小さい。 … Continue reading

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Out of tune

Gotyeは、オーストラリアのシンガーだが、 たとえば、 「Somebody That I Used to Know」 は、こんな歌詞である。 Now and then I think of when we were together Like when you said you felt so happy you could die Told myself that you were right for me But felt … Continue reading

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Such a fool

ちょっと窓の外にむけた視線の投げ方で、びっくりしてしまうことがある。 それどころか、そっと握りしめる手のひらの指の動かしかたでわかってしまうことすらある。 (自分が相手のことばかり考えて一日を過ごしているように)このひとも自分のことを好きなのだと気がつくよーなときです。 奇跡というものは、ほんとうに起こるのだとあきれてしまう。 なんだか息が苦しいような気がしてくる。 世界をまるごと投げ出して朝まで一緒にいたいと思う。 そんなふーにして、モニとわしは一緒になった。 誰かに恋をする、というのは人間の一生でいちばんバカタレな行為だが、あの、人間にとって最もvulnerableな瞬間をおぼえていることはなんという良いことだろう。 狂ったように抱き合って朝まですごしたことや、朝の5時の、紙屑が舞う通りをふたりで凍えながら歩いたときのことを思い出すのは、どれほど自分のなかの「人間」を蘇らせることだろう。 28歳であるというのは、ぼろくなった、ということの同義語です(^^) わしは愛するひとと結婚して、いくつかの会社をもっていて、挑まれればチェスをさすひとの冷静さで、冷菜凍死家ライバルに経済的な死を宣告することが出来る。 この世に、わしを滅ぼせる人間などあるわけがない。 そう口に出していうことの救いがたい傲慢さを知っていても、なお、そう思う理由がわしにはある。 もう、気が狂いそうになりながら煉瓦の壁に拳をうちつけることもなければ、夜中の裏通りで力任せにガベージカンを蹴り上げることもない。 以前には計算のしようがなかったことを計算しおおせて、他人が出口だと信じた場所に前もって立って待っている事も出来る。 でも、なにもかもくだらないでしょう? 富を築き上げるために身につけたスキルや、「仕事の面白さ」を追求しつくすために上達した「スポーツカーのような組織」の作り方や運転のしかたなど人間にとっては、余計なことであるとしかいいようがない。 (Touch wood!) わしは気の毒なMBAたちに同情するだけの親切心をもっていないようなのでもあるのです。 モニは光にきらめきながら、閉じる手のひらから逃げてゆく、流れ落ちる水のようだ。 どんなことにも初めて見る海をみつめる5歳の子供の真剣さでマジメなひとので、いつも懸命に一緒にいてくれることに疑いはないが、 でも魂を所有することは出来ないひとです。 向こうは、わしの魂を明らかに所有しているので不公平である。 ところが、いつも傍らにいるのに逃げ水のように少しづつ、求めれば求めるだけ遠くにゆくモニの魂が、ときどき突然向きを変えて、唐突にこちらにまっすぐ向かってきて裸のまま、ぶつかってくることがある。 モニは進路の予測がつかない嵐のようだ。 すべてを焼き尽くす太陽のようだ。 あるいは、荒涼とした冬の氷海のようです。 いったい、なにを言ってるんだろう。 28歳であるというのは、ぼろくなった、ということの同義語である。 でも、モニとあったばかりの頃を思い出すと、わしの退屈な一生にも冒険のときがあったように妄想できるのです。 バカタレな人間しか恋などしないが、愚かであることは時になんと善いことだろう。 それは、わしを正しくする。 それは、わしを邪な正しさから守ってくれる。 もしかしたら、それは、わしとモニを神様からさえ守ってくれるのかも知れません。

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