ちょっと窓の外にむけた視線の投げ方で、びっくりしてしまうことがある。
それどころか、そっと握りしめる手のひらの指の動かしかたでわかってしまうことすらある。
(自分が相手のことばかり考えて一日を過ごしているように)このひとも自分のことを好きなのだと気がつくよーなときです。
奇跡というものは、ほんとうに起こるのだとあきれてしまう。
なんだか息が苦しいような気がしてくる。
世界をまるごと投げ出して朝まで一緒にいたいと思う。
そんなふーにして、モニとわしは一緒になった。
誰かに恋をする、というのは人間の一生でいちばんバカタレな行為だが、あの、人間にとって最もvulnerableな瞬間をおぼえていることはなんという良いことだろう。
狂ったように抱き合って朝まですごしたことや、朝の5時の、紙屑が舞う通りをふたりで凍えながら歩いたときのことを思い出すのは、どれほど自分のなかの「人間」を蘇らせることだろう。
28歳であるというのは、ぼろくなった、ということの同義語です(^^)
わしは愛するひとと結婚して、いくつかの会社をもっていて、挑まれればチェスをさすひとの冷静さで、冷菜凍死家ライバルに経済的な死を宣告することが出来る。
この世に、わしを滅ぼせる人間などあるわけがない。
そう口に出していうことの救いがたい傲慢さを知っていても、なお、そう思う理由がわしにはある。
もう、気が狂いそうになりながら煉瓦の壁に拳をうちつけることもなければ、夜中の裏通りで力任せにガベージカンを蹴り上げることもない。
以前には計算のしようがなかったことを計算しおおせて、他人が出口だと信じた場所に前もって立って待っている事も出来る。
でも、なにもかもくだらないでしょう?
富を築き上げるために身につけたスキルや、「仕事の面白さ」を追求しつくすために上達した「スポーツカーのような組織」の作り方や運転のしかたなど人間にとっては、余計なことであるとしかいいようがない。
(Touch wood!)
わしは気の毒なMBAたちに同情するだけの親切心をもっていないようなのでもあるのです。
モニは光にきらめきながら、閉じる手のひらから逃げてゆく、流れ落ちる水のようだ。
どんなことにも初めて見る海をみつめる5歳の子供の真剣さでマジメなひとので、いつも懸命に一緒にいてくれることに疑いはないが、
でも魂を所有することは出来ないひとです。
向こうは、わしの魂を明らかに所有しているので不公平である。
ところが、いつも傍らにいるのに逃げ水のように少しづつ、求めれば求めるだけ遠くにゆくモニの魂が、ときどき突然向きを変えて、唐突にこちらにまっすぐ向かってきて裸のまま、ぶつかってくることがある。
モニは進路の予測がつかない嵐のようだ。
すべてを焼き尽くす太陽のようだ。
あるいは、荒涼とした冬の氷海のようです。
いったい、なにを言ってるんだろう。
28歳であるというのは、ぼろくなった、ということの同義語である。
でも、モニとあったばかりの頃を思い出すと、わしの退屈な一生にも冒険のときがあったように妄想できるのです。
バカタレな人間しか恋などしないが、愚かであることは時になんと善いことだろう。
それは、わしを正しくする。
それは、わしを邪な正しさから守ってくれる。
もしかしたら、それは、わしとモニを神様からさえ守ってくれるのかも知れません。
ガメさん、
再アップ、ありがとう。
コピーしておこうっと。(笑)
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コマツナどん、
>再アップ、ありがとう。
ときどき現れては消えるヒコーキ雲のようなものだと思って、
テキトーに読んでくだされ
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