選挙だぴょん

昨日はなんだか選挙だけで終わってしまった。
昼食を食べたあと午後に投票へ出かけてモニとふたりで買い物をした。
午後七時からはずっと、とゆっても(集中力緩慢なわし)(いろんなことをいっぺんに同時にやるのが大好きなわしの事であるから)いろいろな言葉のツイッタやフォーラムで遊んだり、8時半からは「Cold Case」
http://en.wikipedia.org/wiki/Cold_Case_(TV_series)
を観たりしながらだが、
11時半に、大敗したフィル・ゴフが「辞任はしないのか?」と口々に質問するジャーナリストたちに辛抱強く答えてゆくゴフらしい抑制の利いた表情や、わしが住む家の選挙区候補者バカタレのジョン・バンクスが自己の保身のために引き起こした「一杯の紅茶」事件
http://tvnz.co.nz/election-2011/cup-tea-meeting-fails-sway-voters-act-poll-4549135
のせいで、(バンクス自身は読み通り議席を保持したが)アクトから大量に流れたパーティボート票で議席ゼロから議席9へと恢復した
「反アジア人のチャンピオン」ウインストン・ピータースのニュージーランド・ファーストの勝ち誇った記者会見まで、結局、一日、選挙の日のようなものでした。

ニュージーランドでは、普通のひとでも「戦略的投票」ということをよく口にする。
選挙前のポールなどの情報をじっと観ていて、「政党間のバランスが悪いな」と感じると、自分が支持している政党でない政党に1票を投じる。
いま、1票と表現上書いたが、ニュージーランドでは「政党」へ1票、地元の候補者へ1票の計2票投票するので、ほんとうは投じるのは2票。
そのうちの政党へ投じるほうの「パーティボート」を「戦略的投票」に使うのが普通です。
その上にMMP制度
http://www.elections.org.nz/voting/mmp/
があるので、ひとつの党が過半数をとるのは不可能ではないが、ものすごく難しい。
いまちょっと思いついて日本語サイトを見ると時事通信が
「国民党、単独では過半数に届かず」
読売が「与党陣営が過半数で政権維持」と書いてあるが、
両方とも事実を間違えてはいないが、ピントは大幅にずれていて、
ニュージーランド人の実感は、「ナショナル(国民党)の歴史的大勝」だと思います。
もうひとつ、あとで述べるがグリーン党も大勝した。
「グリーン」の名の付く政党は国際的に連帯しているので知られているが、党首ラッセル・ノーマンの勝利宣言スピーチによれば、10%以上のサポートを「グリーン」政党が受けたのはニュージーランドが初めて、だそーでした。
聴いていて、モニもわしも、「えええー、そうだっけ?ドイツとか、もっとえらいんちゃうの?」と思ったが、調べてない。(ごめん)

日本との関連で言えば、ナショナル政権なので、あんまり関係がない。
ニュージーランドに住んでいる日本人のことを考えると、
何かというとアジア人移民が悪いとゆって受け狙いをするアホのウインストン・ピータースが9議席と共に復活したので、日本人の移民の人は嫌な思いをすることが増えるだろう。
ウインストンは、実は、ニュージーランド人の社会ではアホのおっちゃん扱いの政治家に過ぎないが、アジア人移民のひとと話してみると、影響が大きいようです。
言われてみて理由として思い当たるのは、まずウインストンは演説が非常に上手である。
わしは、ポピュリスト政治家が大嫌いなので、とーぜんウインストンも嫌いだが、演説を聴いていても、機会があるときに話してみても、話の巧さ、ひとの魅きつけ方という点でも群を抜いている。
1996年には、わずか2%だった支持率を激しいアジア系移民バッシング演説によって46%まで伸ばしたことがあった。
その頃、ロンドンから半年ぶりにやってきたクライストチャーチで、まるで違う国のようにアジア人への憎悪が渦巻いていたのを昨日のようにおぼえています。
田舎では、アジア人の家のドアに鶏の死骸が打ち付けられたり、夜中に騒ぎで眼をさましてみると逆さまの十字架が庭で燃やされていたりした。
「自分と違うもの」への憎悪を養う、というのは自分の社会では敗北者であるひとびとのお家芸だが、ウインストンは、どうすれば、それに根拠を与え、くすぶった火を燃え上がらせ、人びとが自分の失敗した人生に対してもっている暗い怒りを、社会のなかの弱い者の集団に向けさせるかをよく知っている。

ウインストンは、ニュージーランド人特にパケハ(欧州系ニュージーランド人のことでごんす)社会では、アホのピータースというただの笑い話でも、たとえば華人社会では悪魔のように怖れられている政治家なので、ニュージーランドでは中国人に準じる立場の日本人も、日常の生活に不快なことが起きるのは、免れないように思います。

ただ1996年のような「反アジア人の嵐」というようなことにはなりそうもない。
それは、まず第一に他の英語圏同様、若い層にとっては「人種差別」というのが、すでにダサイ考えで、
ビンボクサイジジイやひまをこいているババアの考えることであって、そーゆーカッコワルイ考えについていこうと思う者がすでにいなくなってしまっている。
人種差別団体は政党であるニュージーランド・ファーストを含めて、だいたい5つあると思うが、構成員の平均は、1996年に30代だったひとびとそのままで、40代後半です。
メンタリティのみならず、いきさつまでもが、はてなや2chに似ておる(^^)
ウインストンを大嫌いなので有名な Matthew Hootonが、

「the main reason his support rose was because he had targeted “venal elderly who are prepared to vote for him because he hands them out indulgences” and “deranged 50-year-old male losers who live with their mothers”.」
とゆっているが、最後の「50歳になっても母親と住んでいる頭のいかれた負け犬」は、そんなにはっきりほんとうのことをゆってはいけないではないか、と言う感じがしなくもないが、
“It says there is something very sick about 5 per cent of our population, that they would support a person like that who… targets vulnerable groups, whether they are Asian immigrants, Maori.”

というのは、いまではニュージーランドではガキに至るまでもっている共通認識なので、大事には至らないだろうと感じられる。

第二には、訪日した(そもそも反日本人演説で出発した)ウインストン・ピータースを「ニュージーランドの大物政治家」として大歓迎した日本政府を華人社会は失笑と失望で大きく報道したことがあったが、華人社会は、英語版メディアを通じて辛抱強くウインストン・ピータースの煽動と嘘を報じ続けた。
次第に事態が明らかになって、連合王国のメディアまでが「ニュージーランドの人種差別政党を許容する危険な兆候」を報じるに及んで、在外ニュージーランド人たちがウインストンのデタラメぶりに対して怒りだした。
ニュージーランドでは、政治家は、たとえばウインストンの好きなレストランで夕食を食べたあとに直截議論をふっかけられることがよくあります。
そういう空気を感得したウインストンは、ポピュリスト的な勘には優れた人なので、今回の選挙では前回、前々回とは一転、「反アジア人」をいっさい口にださなかった。

反アジア人、という御題目がすでに「流行らなくなった」のをウインストン自身が知っているように見えることです。
またチャンスがあれば、まったくためらわずにお得意の「アジア人が、この国にもってくるものは、嘘と不誠実と我々が汗を流して築き上げた制度を利用しようとする薄汚い功利心だけだ」を始めるだろーが、ウインストンの良いところはバカではないので効果が望めないムダなことはやらないところで、わし自身は、まあ、なにごとも大事はなかるべし、と思ってます。

日本国との関係は、さして変わらない。
日本のひとにはピンと来ないのが判っているが、「捕鯨」というのはオーストラリアとニュージーランドでは、日本人が想像もできないくらい深刻な問題で、ごくふつーの一般の人でも、オーストラリア人やニュージーランド人が信じている価値へのあからさまな攻撃だと感じている。
少し、おおげさに言うと、調査捕鯨という(英語人の常識からすると)まったくのウソを白々しく名乗った船が、自分達の目と鼻の先の海で鯨を虐殺しにくる、というのは自分の国の領土を爆撃されるのと似た感覚です。

グリーンが彼ら自身が「歴史的大勝」と呼ぶほど力をつけたことには、捕鯨をすすめる日本との対立が更に深刻になる可能性がある。
ずっとむかし、いつもと同じく、読んでくれるひとびとからは、なあああーんの反応もなかった、
「ヒラリー・クリントンの奇妙な提案」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/01/24/ヒラリー・クリントンの奇妙な提案/
という記事を書いたことがあったが、あの奇妙な挨拶から始まったニュージーランドとアメリカの国防上の関係改善は着々くちゃくちゃと進んで、デービッド・ロンギ以前に戻りつつある。
ニュージーランドというのは世界のはしっこに、地球から落っこちそうになりながら辛うじてつかまっている小国なので、こういうことは返ってみえやすい、という事があります。
アメリカは対中国外交については全力をつくしているのであって、しかも30年単位の戦略をもっている。
「反捕鯨」という一点でニュージーランド・オーストラリア・アメリカの3国を結びつけなおすことによって、どーにもこーにもならなくなったときの最終防衛線をつくろうとしているように見えます。

伝統的には第二次世界大戦中の「ブリスベン暴動」以来、国民感情としてアメリカとの近すぎる軍事同盟を嫌っているオーストラリアにもダーウィンを皮切りに対中基地の建設が進んでいる。一応、オーストラリアの日本帝国が崩壊後の仮想敵国インドネシアが気になってるんです、っちゅうような、そうでもないような、曖昧なふりをしているが、実際の対象が中国であることはみな知っている。
ジョン・キーが勝利したことで、ヒラリー・クリントンが描いた戦略はこの後急速に完結してゆくものだと思われるが、その副産物としての「反捕鯨」は日本の人を想像を超えて日本の利益を損なうことになるでしょう。
わしは、いまでも、クリケットのビッグマッチを観るために集まった友人の会社の同僚の集まりで、ビールを飲みながらみながテレビを囲んでわいわいゆっているとき、七時のニュースで映し出される血まみれの鯨の映像の前から、「居たたまれない」という言葉そのまま、そっと立ち上がってひとりだけ、庭にでていった日本人の若い男びとのなんとも言いようのない後ろ姿をおぼえているが、政治というようなわけのわからんものを越えて、そういう思いに打ちのめされる日本人はニュージーランドでもオーストラリアでも増えるものだと思われる。

たまには、日本語で書いてみたことがないニュージーランドの政治のことを書いてみよう、と思ってこうして書いてみると、ニュージーランドと日本というふたつの国は、何事にも正反対とゆってよいくらい考え方が違うが、それに加えて、あんまりお互いに関係がないので、へええー、と思ってしまう。
ガキわしの頃は、渋谷のニュージーランド大使館で、大使付きのシェフが腕をふるう無茶苦茶おいしい料理が出る日本ニュージーランド親善パーティの頃を狙って東京へ行くのをねだったりした(かーちゃんシスターの招待状に便乗するのね)ものだったが、あれも日本との関係が縁遠くなるにつれて、いつのまにか取りやめになってしまった。

選挙の日のことを書きながら、考えはどんどん、視界から消えてゆきそうな日本のほうにいってしまう。
月日がたつのはさびしいこっちゃ、と思います。

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