日本 _国家社会主義の夢の終わり(その1)

国家社会主義者の夢が最後まで生き延びていたのは日本だった。
民主主義が「みんなの声を聴いて、それをとりいれて政治を行うこと」であったり、
議論というものが全員が納得するために行われることであったりする日本に特有な民主主義への誤解、とゆって悪ければ、民主主義への特殊な理解は、どうやら、わしには国家社会主義に淵源があるもののよーに思われる。

日本には民衆の内的な力の爆発による集団抗議行動はない、といわれるが、遠く1905年には「日比谷焼打」という例外があります。
もちろん地元の人の口承によれば歴史の教科書の説明よりは遙かに暴力的であったらしい富山の米騒動のようなものもあるが、わしは日比谷焼打が極めて現代的な暴動であることに興味がある。

後ろに例えばコミンテルンのようなものがいて指揮を執っている歴史上の暴動ではなく、自然発生的に生じる暴動は、多く、普段の抑圧と漠然とした不公平に対する鬱屈が原動力であって、いわば現実に裏切られたと感じた若い男が壁をこぶしで自分の手指の骨を破壊するまでなぐりつけるのと同じ衝動によっている。
ウォールストリートの、私人が所有する小公園に座り込んで、排除にやってきた警官隊と衝突するアメリカ人たちも、地元ではロドニーキングやラターシャハーリンズよりも「ノーニガー」と書かれた韓国人店の貼り紙が引き金になったと語り継がれている
http://www.youtube.com/watch?v=3WIvDCgL-h4
ロサンゼルス暴動も、そういう点での本質は似通っている。

ポーツマス条約の内容に「国家に裏切られた」と感じた日本人たちは、集会呼びかけ人の思惑を遙かに越えて荒れ狂い、派出所、政府よりと見られた(ここで、新聞社が「体制の一部」とすでにみなされているところが実はたいへん興味深い点だが)国民新聞社、内務大臣の官邸を破壊し、その他の建物にも襲いかかった。
17名の死者、500名以上の負傷者を出します。

わしは、この暴動が日本政府のトラウマになって、いまに続く巧妙で工夫に満ちた日本における情報操作の原因になっていると思うが、そっちはまた違う機会に述べたほうがよい。

重要なのは、ここで政府が国民を恐れるようになった事で、それまで忠良一途と感じられていた自国の国民がにわかに、条件さえ整えば悪鬼の集まりのようになる、ということの不安は、当人たちもまだいわば「政治のアマチュア」であった日本国政府にとってはたいへんなものだったでしょう。

日本政府が「言論の自由」などというものは日本においては絶対に許容されないのだ、と正式に表明する「大逆事件」が起こるのは日比谷焼き打ちの5年後、1910年の事だが、この5年間で日本政府は西洋型民主主義というものへの失望を、どんどん具体化していきます。

日本のひとには、不思議な「平等意識」がある。
ここのところが、どうしてもまだうまく言えないが、その「平等意識」は明らかに西洋人の平等とは異なる意識で、おおげさに言えば、おまえもおれも同じ人間だから同じだ、とでも言い出しかねないていのものだと感じます。
もともと民主主義というものは、人間がひとりひとり能力も善悪の資質も広く言えば運の良し悪しもまったく異なる、という前提で出来た制度だが、日本の「平等意識」は、その現実の前提を完全に無視している。

日本にいるときに「右翼」「左翼」というフランス語に起源をもつほぼ死語化しつつある言葉が、ごく気楽にそこらじゅうのひとのレッテル貼りに用いられているのを見て、なんちゅう面白さだろう、と考えたが、年がら年中「右翼」「左翼」とゆっているわりには、火焔瓶闘争時代を挟んだ日本共産党のようないわば「洋モノ」の共産主義思想を除いては、もともと日本の右翼と左翼というのは民族主義を通じて通底しているものだ、というようなことは論者にあまり意識されていないもののようだった。

西洋人の目からみれば、日本においては、左翼と右翼とは、いわば着物の袖のなかで秘かに手をにぎりあうようにして手を携えて歴史のなかの弾火をくぐってきたのであって、乱暴なことをゆってしまえば「どっちもあんまり変わらん」といいたくなるほどのものでした。

そうして、そうした日本人の社会が、もっとも適応しうるものとして許容してきたものが日本型の「国家社会主義」であったように思います。

前にも書いたが、この考えに対する観察はリークアンユーを魅了し、鄧小平に中国が進む道を確信させた。

日本における政治議論が、いつも妙に絵空事めいているのは、こうした国家社会主義的人民主義とでもいうべきものでアイデンティティを形成してきた現実の歴史を正面から見つめることを忌避して、なんだか安ペンキで書き割りに描いたような「戦後民主主義の歴史」を眺めながら話をすすめているからではなかろーか、とわしはときどき日本にいるときには考えたものでした。

前に「シンガポール_流線形の独裁」という記事で、シンガポールから書き起こしていこうと思ったとき
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/09/1512/
には、なんだかよく判らないひとたちが集団でおしかけてきて「レーシストめ」とゆって大騒ぎされたのでめんどくさくなってやめてしまったことを、違う角度から、ちょっと続けてみたい、と思います。

(画像は「バッチ」という。ニュージーランド人が伝統的に好む休暇用のボロ屋。これはボロクなくてはいけないのであって、かっこよい家にしてはいけないのどす。バブル以来、良い場所に立っているものには一億円っちゅうようなボロ屋の世界チャンピオンとでもいうべきバカタレな値段がついているのもあります。安いのは無論500万円とゆーよーなまともな値段もある。写真のものはマオリ人のリザーブに立っているので、何億円だしても、誰にも買えません)

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2 Responses to 日本 _国家社会主義の夢の終わり(その1)

  1. たろさ says:

    ガメさんの日本人の「平等意識」に対する印象と同じものを自分も感じています。
    ただ、これは日本人というより自分のことかもしれませんが、「同じ人間だから同じだ」というよりもっとひどいことに「同じ日本人だから同じだ」に近いように思います。

    そしてこの「平等意識」は「同じだから尊重しあおう」ではなく「同じだから尊重しろ」という相手に要求するもので、これと良い意味での自尊心を持てない気質が結びついて日本人の一面である「外のひと」に対するすさまじい傲慢さが生まれているのではないでしょうか。

    行ったことも会ったことも話したこともない国や国のひとをその行為自体でなく属性からあれだけ上から目線で語れるというのは病気めいている。
    ちょっと想像すればどう考えても無理があるというのがわかるのに。

    そしてその「外」はちがう国だったり、異性であったり(というか男から見た女性)、違う会社であったり、違う学校だったりするのでしょう。
    「自分たちは同じく尊い」から「誰か」をこきおろすためにその範囲を自由に変えて「ちがう誰か」にしている。
    まるでいじめのようですが、その原因である日本人の平等意識を教えるのが学校である以上、いじめがなくならないのも当然なのかもしれないと書いていて思いました。
    なんだか暗澹たる気分になってしまいましたが…。

    友人たちに会いに行くのでひとまずここで、とガメさんのまね。

  2. たろさ、

    引用する気もしねーくらい、その通りなので、引用しない。
    いつも、こんなふうに読んでいてくれるのだな、と感謝してます。
    さんきゅ。

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