Daily Archives: December 10, 2011

肩越しに見た2011年_バックグラウンドミュージック篇

今年の始まり頃は何を聞いていたかというと、去年の続きでAna torroja (^^) http://www.youtube.com/watch?v=DPf0uOMIulE とか、Aventura http://www.youtube.com/watch?v=WivMb-s_UHI のよーなラブソングばっかし聴いていたよーな気がする。 そんなケーハクな、とゆってはいけません。 ほんとうのことを言うと閻魔さまに舌をぬかれてしまう、と仏教説話にも述べられている。 ついでに川の畔で訳のわかんねーバーチャンに服をむしりとられてストリップ・ティーズをさせられると言うではないか。 Concha Buika http://www.youtube.com/watch?v=xYHvkZnMIMM&feature=related のごとき、シブイ歌手も聴いていたが、頭は、どっちかとゆーと、風がふくと、ひらひらと踊り出してしまいかねないくらいケーハクだったのだとゆわれている。 わしは、クラブ中が痺れるくらいステップが軽いのでユーメイだからな。 音楽は、本来は、「歌詞」がついてはダメである。 人声を楽器がわりに使うオペラも、ゆっておる言葉が頭にはいり始めると、邪魔なので、 ほんとうは「オペラ語」をつくって、なんだか訳がわかんねー言葉で歌ったほうが遙かによい。 わしは、オペラはイタリア人達が作ったものが最も好きだが、歌詞のほうに頭がいきはじめると、「トスカ」みたいに普段気がふれてでもいるかのように大好きなオペラでもギャグでやってんのか、おめーは、と思ってしまうことがあります。 性格が悪いんだよ、おれは。 ほうっておいてくれたまえ。 音楽は音楽の「定型」だけで完成していなくてはいけないだろーが、流行り歌、というのは、そーもゆかない。 音楽の基本的訓練が出来ていない場合には、チューンをつくる天才でも、それを一曲に渡って持続させる、ということが出来ない。 息切れ、しちゃうのね。 「4小節の天才」とゆわれたビートルズが、これの典型だと思います。 「A Day in the Life」などは、歌い出しのあまりのかっこよさに、ぞぞぞぞっとしてしまう。 「You Never Give Me Your Money」の、音楽を正面から教わった人間なら、金輪際おもいつくはずがない単純で気絶しそうなほど美しい旋律も、そー。 この分野が20世紀に異常な発達を遂げたのは、まず初めに「ドーナツ盤」の3分何十秒だかの制約があったからで、その次にはこのEPのクソ商業主義に嫌気がさした、ビートルズやピンクフロイドたちの25分X2を目一杯使った「音楽」への試みがあった。 一方では、どこの国でも「詩」が廃れまくっていった。 詩があちこちで廃れてしまった理由は、簡単で、詩を読むにはかなり高度な訓練が必要なのに、それを組織的に教える学校が少ないからです。 「詩の解釈はひとそれぞれですから」なんて、「8X8+5は、ひとによって69とも104とも言えます」とまったく等価な恐ろしいことを言うひとがいるが、それは「自分にはまったく詩が読めません」と告白しているのと同じでごんす。 詩の主要な目的は言語を使って「精神の定型」(五七五のような形式上の定型ではありません)を探り当てることであって、この定型に届かない詩は、読めない。 … Continue reading

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