ツイッタだぴょん

ずっとむかし、インフルエンザで死にかけているわしを置き去りにしてモニと妹がふたりで遊びにでかけてしまったので、場所にことをかいて、春のバルセロナのガウディ大聖堂「サグラダファミリア」が見えるアパートのテーブルにノートを広げて、ひとり寂しく東京大学入試問題を解いていたことがあった。
「東京大学入試問題を解いて考えたこと」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/03/09/東京大学入試問題を解いて考えたこと/

というブログ記事に書いてあります。
どーして、わしはバルセロナくんだりまで来て、ひとりぽっちで日本の大学入試問題を解いているのだろう、と考えてしくしく泣きたくなったりしたが、一方では「結構問題がおもろいやん」と思ったりもした。

トーダイおじさんたちに訊くと、国語の第二問は最近まで受験生に短い文章を読ませて「感じたこと考えたことを誌せ」というものと決まっていたという。
何文字で書くの?と訊くと160字以上200字まで、だったそうだ。
これはかなり厳しい制約であるはずで、なにしろ読んだ文章に即して「感じたこと」と「考えたこと」の両方を書かかねばならないのだから、受験生はみな大きな消しゴムが必要だったのではなかろーか。
多分、感じたことしか書かなかったり、一生懸命考えたことを書いたら190字になって、感じたことは「えがった」だけしか書けなかった受験生もたくさんいたものだと思われる。

しかし、この何年続いたかは知らないが、ずいぶん長いあいだ続いたという「第二問」は、その200字という制約がよかったのだと思量される。
おおむかしの本を読むと、「ペラ一枚」という表現がよくでてくる。
なんだか紙がおしゃべりになったみたいな言葉だが、200字詰め原稿用紙一枚のことです。

わしは、日本語を書くのを練習したときに、「ペラ一枚」でいろいろ書く練習をした。
漢字を手書きで書くのは、必要もあるようにおもえなかったし、ややこしいので、ワープロの2バイト1文字を20字設定にして10行。

だから、すごおく頑張れば200字あればだいたいのことは表現できるのを知っている。

わしは日本語は、意図して十代の文体からもうとっくに死んだ明治人の文体までふつーに書けると思います。
十全外人だかんね。
瀬戸内寂聴、というひとが十代の人間のふりをしてケータイ小説懸賞に応募して、
見事最優秀作に選ばれた、というニュースがあったが、こーゆー悪戯は、ある程度言語感覚に恵まれた人には誰にも出来る。

フランスでも、過去には同じようなことがあったのをおぼえています。
自分がもうジジイだとゆわれてキレた有名オヤジ作家が若い新人のふりをして応募して、自分を苔むしたボロボロジジイと罵った批評家たちが「新しい風だ!すげっ」なんちゃって受賞したところで、ばーたれが、わしじゃい、をする。

英語でもMMOで会う「十代後半の女の子」の6割は40代を過ぎたおっちゃんたちである、という統計がある。
WOWやなんかに出かけてみると、なるほど、ガキのみが知るはずの隠語まで、よく研究しておる。

わしの文体は実は意図的にやや古い文体を選択してあります。
若い頃のイーブリン・ウォーが酔っ払うと自分の「加速度的にどんどんジジっぽくなってゆく文体」を礼賛して述べまくっていたのと理由は同じで、わしがずっと読んできて、美しい日本語がふつーに安定して書かれていたのは、この時代くらいまでだった。
日本文学の中心をなしていた、極めて質の高い「現代詩」が生き延びていたのが、ここまでだったからでしょう。

ツイッタは140字である。
前にもツイッタで実際に書いて、観てもらった事があるが、世論そのものがユナニマスに誤ってしまう、なあーんとなく、いまの日本に似ていなくもない社会の恐怖を述べた「狂泉」という有名な故事
http://huameizi.com/text04/kyousen.htm
は、
「昔有一国,国中一水,号曰“狂泉”。国人饮此水,无不狂;唯国君穿井而汲,独得无恙。国人既并狂,反谓国
王之不狂为狂。于是聚谋,共执国主,疗其狂疾,火艾针药,莫不毕具。国主不任其苦,于是到泉所,酌水饮之,饮毕
便狂。君臣大小,其狂若一,众乃欢然。」
の120字で、物語全体が、よゆーでツイッタで書けてしまう。

ツイッタが中国において最も深刻な、時には武器を上回る破壊力のある使い方をされるのは、漢文以来の伝統を受け継いで、いまでも100文字もあれば精細で強烈な弾劾文を書けてしまう中国語にとっては140文字などは大海である、という理由もあると思う。

英語では、たとえば、
「The problem with the world is that the intelligent people are full of doubts while the stupid ones are full of confidence. ~Charles Bukowski」で、ぴったり200字。

アリッサ・ミラノ( https://twitter.com/#!/Alyssa_Milano )などはマジメな話題をツイッタで述べるので有名だが、殆ど引用になるのは無理ないっちゅうか、英語にとってはツイッタという容れものは、もともとまとまった考えを述べるだけの長さがない。
「機知をひとつ示す」というものが殆どです。

日本語では、少し圧縮すると、140文字でさまざまな独立して一個にまとまった考えをのべることが出来る。
もともと140文字という制約は物理的な都合から生じた制約に過ぎないが、ここまでずっと観察していると、日本語にとっては「物をきちんと述べるのに都合がよい」長さに、ほんのちょっとだけ欠ける、という程度の面白い長さであるように見える。

なんだか古色蒼然として、飲み屋でクダをまくガイシュツオヤジのスクツのような2chや、一見まともそうに見せながら、底意地が悪く自分達と同じ泥田にいる人間以外は絶対に存在させない趣の極めて日本的なブログソフトウエアの仕組みで、ひどい停滞を極めていた日本語のインターネットが、本来、日本語とは全然あわないはずの「ツイッタ」で生き返ったように見えたのは見事なほどだった。

もうひとつ面白いのは、文章がうまいブログを書いているひとびとのブログ記事がツイッタとともに生き生きとしだしたように見えることで、案外、日本のような文化のなかでは(西洋語では考えられないことだが)ブログは活字の本の代わりをしだすのかもしれません。
ブログそのものが、日本語では内省的、分析的なものが多いからです。

ツイッタはもともとシステムとして「離合集散」を方針にしている。
パッと集まって、パッと散るように出来ている。
テキスティングと並んでフラッシュ・モブや、突然なデモを起こすのに最適な道具であって、英語世界ではますます「同時性」と「俊敏性」の道具になってゆくように見える。
現実の行動と密着した道具になってゆくと思います。
しかし、この特性が日本では独創的意見を述べる能力のある論者を、田んぼから自分達の薄汚い魂が集合した世界にひきずりこもうとして伸びてくる無数の泥だらけの手から逃れさせるほうへ働いている。
見事なくらいです。

日本では既存のブログシステムや掲示板のようなものは、ようやく支持を失いつつある。
20代の友達に訊くと形式よりも、そこに屯している人間たちの、やりきれない「日本臭」が耐えられない、という。
あーゆーのは、クソオヤジとクソババアのたまり場ですから、と冷たいことを言います。

底意地の悪い、終わりのない、しかも奇妙なほど巧妙な悪意。
表面だけは礼儀を重んじて、心の底の歪んだ舌打ちが聞こえてきそうな「礼儀正しい」態度。
そういうものが気色が悪い、というのは割とふつーな意見のように聞こえる。

ツイッタと、これも日本的な使われ方をしだして、同様にインターネット世界をよいほうに引っ張っていっているようにみえるタンブラとに日本語インターネット世界を肩代わりするとき、日本にはやっと洞窟でないインターネット世界が出来てゆくもののよーである。
タンブラの良い所は「嫌いなものは並べないのよ」という、あっさりとした率直さにある。
わざわざコメントをつけて、自分がタンブラに貼り付けたものをネガティブに述べたひとをひとりだけ見たことがある(^^) が、無理がきわだっていて、アイコンが2chに帰りたがっている風情に見えました。

「ものを切り取って、自分で裁断して貼り付ける」というのは、それ自体が本質的に批評行為で、あたりまえだが、ページを重ねてゆくと、自分そのものがあらわれる。
生半可な文章よりも遙かに自分が鏡に見た自分を、編集した形でみせることになる。
どういう理由でか、国民性として美意識が発達した人間が多い日本では、タンブラも、まったく独自の発展をしてゆくのが、もう見えているようです。

言葉は嫌な言葉に違いないが「生産性」というものをやっと日本語インターネットも獲得しかけているのでしょう。

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2 Responses to ツイッタだぴょん

  1. Rudinka says:

    ガメさま Happy 2012! Millions des baiser pour vous trois!

    ガメ様が日本語やめたら寂しい。。日本を嫌いになる気持ちは痛いほどわかる。でもこんなバカな日本のために泣いてくれたガメさんの文章が読めるなら、露語でも仏語でもヘブライ語でも絶対に読み倒す!
    日本をかばうつもりは毛頭ない。でも。地殻変動は3・11で終わったかもしれない。でも。日本の人間はまだ揺れ続けていて。津波の中でまだ今ももがいてる。地面が動くとそれまで地中に眠っていた便所虫とかも動き出すでしょ。そいつらが今地上に這い出してきていて。日本は今も地震の揺れの中にある。終わってないんです。地震後遺症。原発後遺症の中。だから、色んな判断や決断が国全体で鈍っている。葬式躁みたいの。
    ガメさんが日本の為に心を砕いてくれたこと、私は決して忘れない。ガメさん有難う!

  2. Rudinka 殿、

    >ガメ様が日本語やめたら寂しい

    そーゆー悲壮な話ではなくて「匿名やめる」=「日本語は友達と付き合うためだけに使う」という不思議な構図なんです。
    あと一年で決めないと家族・親族に磔にされて脇の下をこちょこちょされるとおもう。

    でも、ありがとう。

    >日本を嫌いになる気持ちは痛いほどわかる

    あっ、いやいや、あのひとは昔からしつこく中傷誹謗しているバカのひとりで、どーでもいいの、
    そのくらいで日本きらいになりません、ちゅうか、初めから「日本て、こーゆー国なんだぜ」と従兄弟(父親日本人)から聞いている。不愉快だけど、ゴキブリとか見たときのぞわぞわする気持ちになるだけなのね。
    遠い国のことだし。

    >ガメさんが日本の為に心を砕いてくれたこと、私は決して忘れない

    それも違うの「十全外人」とゆって茶化しているが自分でたてた計画に従っていろいろな文化で遊んでいるだけです。

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