日本の古典_その2 岩田宏

1 神田神保町

日本語世界を一見してぶっくらこいてしまうのは、詩の世界の豊穣さで、わしが通常「日本の詩」というときには、堀田善衛の「若き日の詩人達の肖像」という、ちょっと身体のあちこちがむずむずするような題名の本に活き活きと描かれた「荒地」の詩人達、牧野虚太郎、田村隆一、鮎川信夫、北村太郎、三好豊一郎、後年のメンバーでは吉本隆明、というようなひとたちや、西脇順三郎、瀧口修造に始まって、「ドラムカン」の詩人達、吉増剛造や岡田隆彦、あるいはここでこれから少しだけ書いてみようと思う岩田宏、というようなひとたちを指している。

そのうえに言うまでもなく戦争前には中原中也がいて石川啄木がいて萩原朔太郎がいて三好達治がいて、しかもそのうえに戦後になってもなお寺山修司のような天才歌人を生んだ短歌の広大な世界があり、俳句というおそろしいものまであって、日本はつくづくヘンな国であると思う。

岩田宏は小笠原豊樹という名前でロシア語と英語の膨大な翻訳をこなした。
翻訳、というようなことは、本来できるはずがないひとつの言語からもうひとつの言語へ人間の精神活動を投影してみせることで、岩田宏はさぞかし疲れたことだろうが、白紙のほうがまだ中身が濃さそうな小説と、どうかすると1ページに宇宙そのものが書かれている原稿用紙一枚の詩とが同じ原稿料であるという途方もなくマヌケな原稿料システムを採用していた当時の日本の出版社では、(他の国でもやや異なる事情から同じようなものだが)「詩だけで食べる」というわけにはもちろんいかなかった。

岩田宏の翻訳の特徴は、ときどき原作よりも翻訳のほうが良い文章になってしまう、という訳のわからない仕事があったりして面白いが、しかし、岩田宏は第一義的に詩人で、しかも本人は全力で否定するが全身で詩人であった。

他に、この人を、どんな呼び方で呼べるというのだろう。

「神保町の 交差点の北五百メートル
五十二段の階段を
二十五才の失業者が
思い出の重みにひかれて
ゆるゆる降りて行く
風はタバコの火の粉をとばし
いちどきにオーバーの襟を焼く
風や恋の思い出に目がくらみ
手をひろげて失業者はつぶやく
ここ 九段まで見えるこの石段で
魔法を待ちわび 魔法はこわれた
あのひとはこなごなにころげおち
街いっぱいに散らばったかけらを調べに
おれは降りて行く」

という出だしで「神田神保町」は始まるが、自分で記録したとおり、そのとおりの姿勢で
岩田宏は
「街いっぱいに散らばったかけらを調べに」
出ていった。
60年代の政治の季節のなかに。
巨大な鉄鋼の歯車に挟まれるようにして、たくさんの若い女や男が血を流している街のなかに。

「とんびも知らない雲だらけの空から
ボーナスみたいにすくない陽の光が
ぼろぼろこぼれてふりかかる」

「神保町の
交差点のたそがれに
頸までおぼれて
二十五才の若い失業者の
目がおもむろに見えなくなる
やさしい人はおしなべてうつむき
信じる人は魔法使いのさびしい目つき」

「おれはこの街をこわしたいと思い
こわれたのはあのひとの心だった
あのひとのからだを抱きしめて
この街を抱きしめたつもりだった」

岩田宏は、詩が必ずもっていなければならない魂の定型のうち、もっとも壊れやすい「定型」を選んでしまう。
最も、詩にとどきにくい感情を選択してしまう。
しかし、岩田宏の猛烈な言語能力は、演歌をアリアに変えてしまうような奇跡を起こすことが出来たようだ。
生活のために足をつけた地面から、積乱雲の金床まで垂直に屹立した巨大な精神をもっていた岩田宏ならではの芸当だと思います。

「神田神保町」という詩は、こんなふうに終わっている。

「あんなにのろく
あんなに涙声
知ってる ありゃあ死んだ女の声だ
ふりむけば
誰も見えやしねえんだ。」

2 「夜半へ」

「いっせいに頭上をゆびさした
街灯を消した
ちいさな提灯をかざした
半鐘を叩きはじめた
なにごとですか
なにごとですか

知らないの?革命だよ
今晩
頭上を
通過する!」

という政治においては、笑いがどれほど苦い表情でありうるかということの見本のような冒頭をもつ詩は、わしの好きな詩のひとつです。

革命測候所で革命を待つ革命家たちは、あくまでリアルで、バカげていて無責任である。

「待っているあいだに一杯やりませんか
よかろう
熱くしてね
サカナは要らないよ」

「今夜もどうやら来ませんね
お疲れさまでした
おやすみ おやすみ
奥さんによろしく」

革命は結局やって来ず、革命測候所の所長は「ずらかっ」てしまう。
非常口から、こっそり抜けだし、お抱え運転手の車で逃げてゆく

走り出したクルマのなかでひと息つくと
「肘をポンと叩くと
肩の蝶番はすぐはずれる
左手で右肩を
右手で左肩をとりはずし」

「くたびれた古い頭を
新しい光る頭ととりかえた
できたての
ジス・マーク入りの
今年度型の頭」

思想の流行と時代時代の意匠で稼ぐ、こーゆーひとたちが、少なくとも岩田宏が若かったときにも、たくさんいたのがわかります(^^)

運転手は無事に革命測候所所長を家に送り届けると、
「道具箱をかついで
だあれもいない固い夜ふけの歩道を
ぶらぶら歩」いて家路につく。

「いっぺえ飲んで寝るか」

むこうから若い革命測候所員が走ってくる。
岩田宏は、こんなふうに書いている。

「擦れちがうだろうか

出逢った
四個の目玉が
互いに相手を確認した
右手を出した
右手を出した
吸いつくように握手した

おれたちは初対面だが
もし逢えなかったらどうしようかと
そればっかり考えていたよ」

ここに至って、読んでいる人は、岩田宏の「革命詩」が、なぜ群小革命詩人と異なってクソ退屈でないかを発見することになる。

岩田宏の極端なほどのやさしさ(というのは死語だが)が革命を見ているはずなのに人間を見てしまう。
政治の趨勢をみているはずなのに人間の運命を見てしまう。
そーだったのか、と考えます。

「夜半へ」は、こんなふうに終わる。

「うう
寒い
寒いぞ!

きこえるか

塀のなかで
壁のなかで
目ざましのネジを巻いている
その針を「革命」に合わせている
もだえている
鍋のなかでまるまっている
膏薬を貼っている
三助を雇っている
しゃっくりしている
おくびをこらえている

まよなかの時計が鳴りはじめた

ああ 一度でいいから
勇気を出して
革命なんか来やしないと言ってくれ

それがきみたちには
絶望の終りなんだ
おれたちには
革命の始まりなんだ

こうやって冷静に興奮して
すこしずつ温度を上げる
それしか手はない

まだ寒いか?
すこしはあったかいか?

ありがとう!」

いつも読んでくれているひとたちから、毎度毎度「おまえのブログは長すぎて読むと疲労する」と虐められるので、もう、ここでやめる。
岩田宏は、西脇順三郎と並んで、わしの日本語の先生です。
村上憲郎ふうにいうと「日借文」でごわす(^^)
引用した詩句を読んで気が付いたひとがいると思うが、わしの日本語はあちこちに岩田宏の詩の「音調」「抑揚」「リズム」のコピーがある。
口調がモノマネなんですのい。

わしが岩田宏の詩は、ほとんど暗誦(そら)でおぼえてますがな、というと、わしの記憶力がすごいのかと思ってびっくりするひとがいるが、ふつーの頭でおぼえられない詩など、くだらない詩に決まっている。
原理をいうと、カッチョイイ歌の歌詞など努力せんでも間違えないでおぼえるのと同じことです。

日本語が、小さな土地で極端に混み合った生活を送る1億2千万人限定の、いかにも地方語になりそーな言語であるのに、明治時代後半から80年代初頭まで、これほどながいあいだ「普遍語」としての地位を保っていたのは、無茶苦茶レベルが高い詩のおかげだった。
大江健三郎世代までは、小説家も現代詩を懸命に読んでいた。
夏目漱石の背骨が漢詩であったように、(田村隆一とその事で議論して殴り合いになるほどの岩田宏の大ファンだった)大江健三郎の背骨は、実は岩田宏を含めた現代詩だった。
同時代の詩を失ったとき、日本語の普遍性も、危殆くなったのだと思います。

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One Response to 日本の古典_その2 岩田宏

  1. 「ああ 一度でいいから
    勇気を出して
    革命なんか来やしないと言ってくれ

    それがきみたちには
    絶望の終りなんだ
    おれたちには
    革命の始まりなんだ」

    この言葉よくわかります。
    ぼく、左翼運動に参加したことあるけど
    岩田宏のこと知らなかった。

    この言葉、わかる人はわかると思う
    ガメさんにはふれずに、#紫陽花革命
    のタグつけてツイートしました

    おしえてくれてありがとう。

    ボウ鉢

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