ノーマッド日記11


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相変わらず Ne-Yo のビデオばかりよく観る。
http://www.youtube.com/watch?v=6tpl9LtkRRw&ob=av2e

Ne-Yo の、マイケル・ジャクソンや他の、自分が好きだったダンス・ミュージシャンへのトリビュートに満ちたダンスは観ていて飽きるということがないが、何回も繰り返してみるのは、むろん自分でも踊れるようにするためです(^^)
他に理由があるだろーか。

振り付けのセンスが抜群によいのが、このひとのダンスの特徴だが、やってみれば判る、この軽くてシャープなステップは意外と高等技術でもあります。
「軽い」ステップは、どんなダンスでも難しいと決まっているが、 Ne-Yoの鴻毛のごとき(^^)ステップは、特に足の小技の組み合わせでできているので難易度が高い。
でも、これもマイケルジャクソンへのトリビュートであるチ○チン押さえて踊るところなんかぐっときちゃうのお、と考える。

モニの前で踊ってみせると、眼を輝かせて喜んでくれる。
もう少し具体的に言うと爆笑してます。
わしがやると、とても上手だが、なんとなく可笑しいのだそーである。
なぜだかは、何度きいても教えてくれません。

「となりのトトロ」は「むかしの多摩」が舞台だそうだったが、わしは、映画そっくり、というよりも、そのものの風景をみたことがある。
東京の稲城市というところにあって「稲城リクリエーションエリア」 という。
http://wikimapia.org/2088664/Recreation-Area

米軍の施設で、日本の人が入れるんだか入れないんだか、よく判らないが旧日本陸軍の弾薬庫です。
鬱蒼とした森で、しかも、そのかさなりあった樹枝の向こうから、きっとあったはずの「むかしの日本」の匂いと音がする。

あの非現実的な美しさをもった濃縮された日本とでも呼びたいようなトトロの森が、空想でも美化でもなんでもなくて、単なる「過去の現実の描写」であったのが眼前に理解されてボーゼンとしてしまう。

では、なぜそれほど美しかった自然、といってもここでいう自然は「大自然」などではなくて、もっと価値の高い、欧州と日本にしかないのではないかと言いたくなる、人間の手が入ったやさしい自然、木のあいだを歩いていると、下生えや木がささやきかけてくるような、人間に親しい自然を、このアメリカ人が支配する空間の一歩外で当の日本人たちが破壊しつくしてしまったのだろう、と考えると、この質問に答えるのは意外と難しいよーです。
日本人の友達に訊くと「日本はもともと自然に恵まれすぎていたから」というが、なんとなくもっともらしいだけで、ほんとうに聞こえない。
観念で遊んでしまっている感じがする答えだと思う。

福島第一発電所の原子炉事故が起きたとき、とっさにわしが思い浮かべたのは、長野の山の家からあちこちへ出かける途中で散見した、砂をかぶったまま放置された「砂防ダム」や、正体もよく判らないコンクリートの骸、まったくクルマが通らない道に忽然とあらわれる現代的なコンクリート橋、というようなものだった。

役人の強弁は読んだが、基本的な技術知識のアップデートが出来ていれば簡単に不要なものだと判る鎌倉の由比ヶ浜から稲村ヶ崎にかけてのチョー醜いテトラポッドのことも思い浮かんだ。

亡者の群れがさしだす手のひらの群にも似て、俺にもおまえがせしめたカネの分け前を寄越せと呻く声は、とうとう国土のおおきな部分をひとりの人間の生活時間の尺度からすれば「永久」と以外、呼びようがない長い時間、放射性物質で汚染させることになった。
それを「安全」だと唱えてみたところで、日本の人が、ここから先、その汚染された国土を愛して、不安に怯えながら歯をくいしばって生きてゆかねばならなくなった現実を変えることは出来はしない。
おかみとオチョーシモノたちが踊る「安全踊り」の輪に、手もなく加わるほど日本の人が愚かであるとも思われない。
ここから先、仕組まれた通り「正しく」放射能を恐れながら生きてゆかねばならないが、健康な国土を失ったということは、いま日本人に意識されているよりも、ずっとたいへんなことなのかもしれません。

ヒッタイトから始まった中東人の鉄器文化は、中東自体を砂漠に変えてしまったが、日本では鋳鉄の製造に必要な薪をつくるために禿げ山が出来ても、すぐに恢復したという。
それだけの強靱な回復力をもつ日本の自然も、人間の貪欲には勝てなかった。

稲城リクリエーションエリア、のゲートをはいると、そこには宿泊施設の他、一区画が300㎡くらいはある、互いの区画を茂みで見えなくしてある、いかにもアメリカ式に大きなキャンピングサイト
(最近はニュージーランドも影響を受け出したが、アメリカ人達はもともと「ラウンジのテント」「食料品とフリッジのテント」「寝室のテント」と、いっぱいテントを張って遊ぶ習慣なので、他国のサイトに較べて、ややマヌケなくらい一区画が広い)
や、ペイントボール
http://www.paintball.com/
のフィールド、シャワー室、乗馬、アーチェリー、野球場..というような施設が「トトロの森」のなかに点点とあるが、ちょっとはずれた森の向こうに歩いてゆくと、誰もいないバスの停留所があって猫バスが走ってきそうである。

わしは、あの場所にいくたびに、ところどころにある旧弾薬庫の無惨な感じのするコンクリートの弾薬貯蔵所を眺めて、「悲惨」という言葉を思い出した。
これほどのものをもっていたのに、日本のひとは、もたざるものを求めて星に手をのばすことに夢中になったあまり、手にもっていた何もかもを失ってしまった。

自然とともにいられなくなった人間は、要するに、この広大な宇宙でゆいいつのシェルターである生態系の自然の家から自分を切り離してしまった存在になることで、自分を自意識の孤独のなかに追い込んでしまう。
自意識が鏡に映った自意識を苛む凄惨な孤独のなかで幸福に生きていける民族がいるだろうかと考えて、暗澹とした気持ちになったものでした。

芝の色をよみがえらせる陽光が射して、乾いた風が流れてきて、オークランドはようやく夏らしさを取り戻した。
特殊寿年を迎えた今年は、モニを、あんまり荒っぽい遊びに連れ出すわけにはいかないので、ヘリコプターで近くの島にでもでかけるかなあー、と考える。
モニが勧めるとおり、ひとりでカヤックやパドルサーフィン遊びに行ってもよいが、そのくらいなら、モニとふたりでラウンジでごろごろしているほうが、やはり楽しい。

結局は、庭のガゼボにふたりのばーちゃんのように座って、モニは水を、わしはシャンパンを飲みながら、家の壁を塗り替えるペイントの話や、シルクスクリーンのエモーションの出来具合、日本の学校でイジメにあった息子をめぐっての喧嘩で離婚してマンハッタンに戻ることになったアメリカ人友達の消息や、秋のリンカーンセンターのスケジュール、
コモ湖にいつでかけるか、それとも全然欧州に戻らないで、旅行は、どこか大きなプールのあるリゾートだけにする? 
Driving Miss Daisy
http://www.youtube.com/watch?v=BR0oZ2pnhyg

は、子供の時に観たときには気が付かなかったが、南部白人とお抱え運転手のふれあいの話などでは全然なくて実はふたりのマイノリティの交流の話だった。いままで気が付かなかったことに、びっくりしました。
でも、面白い映画だよね、という。
モーガンフリーマン、大好き。
あのひとは「人種差別をなくすには、その話をしないことだ」と言った。
人種差別の話をしたがるひとは、ほんとうは自分が人種差別主義者なのではないか。
生け垣が高くなりすぎて、来年は少し刈らないとだめだが、隣のひとにもことわっておくべきかどうか。
隣からすると、テニスコートの端っこだから、言わなくてもいいだろうか。

そうやって、よもやま話をして午後を過ごす事になります。
トレイの上にサンドライトマト、チック・ピーのハマス、色とりどりのチーズ。
生け垣の下で、じっと鳥の様子をうかがっている生姜色の毛並みの猫。
ブラックバード、スラッシュ、テゥイ。

モニと結婚したとき、一日でもおおく、あー今日は良い日だったなあー、と思える一日をすごすべし、ただそれだけを念願に、他のことは考えるのも悪かるべし、と考えていまの生活をつくったが、それはわれながらなかなか良い考えであったと思う。
バカの考えも、やすんでいれば、ときには天使に祝福してもらえるもののよーです。

(Touch wood!)

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