建前に死す


1941年に日本が連合王国とアメリカ合衆国に宣戦を布告するに至るまでの経過を読んでいて、いちばん訳がわからないのは、昭和天皇そのひとを含めて、当事者の誰ひとりとして開戦を望んでおらず、しかも戦争をすればほぼ必ず敗けるとしっていたことである。
陸軍と海軍がにらみあって、どちらも「先に言い出すのはカッコワルイ」という理由でチキンレースを繰り広げたあげく、戦争をすることになってしまう。

建前として「大日本帝国陸海軍は世界一」ということになっているので、現実主義の立場から「ほんとは両方3番ですから」とはゆえなかったものであると思われる。

日本側では「開戦百日の栄光」ということになっていて、連合王国やアメリカ合衆国にとっては「ヒットラーが暴れているのに乗じて日本が始めた火事場泥棒」と意識されている日本の軍隊の3ヶ月の大暴れは、主にヒットラーの欧州ばかりに気をとられて太平洋にまで集中力がもてなかった連合国側のマヌケぶりがもたらしたものでした。

日本にとって大変に不幸だったことは、この「開戦百日の栄光」が日本人式官僚思考のツボにはまってしまったことで、「建前のほうがほんとうで現実はチョロい」という信念に燃えることになってしまった。
それまで同じ軍事官僚が黙々と計算して、「あと十倍国力がないと負けまんねん」とゆっていたのが、「一回戦がこれなら、まあ、なんとかなるだろう。よくわかんねーけど」と舞い上がってしまった。
欣喜雀躍、というが、どのひとの日記を読んでも、軍国主義者はもちろん社会主義者たちさえ、真珠湾攻撃成功の一報に文字通り欣喜雀躍してしまう。
それまでの重苦しい不景気と中国における(ルールが異なるせいで)「両方が勝っている」奇妙な戦争が長引いていたことから来る陰々滅々としたフラストレーションの日々の反動でしょう。
あっというまに集団発狂してしまう。

シンガポールでは事務処理能力の高さを買われて(^^)軍司令官になっていたパーシヴァルは軍事能力ゼロの前評判どおり、あっさり手を挙げてしまい、極右イケイケおじさんであった救国の英雄ウインストン・チャーチルに「死ねばいいのに」と2chみたいなことを書かれてしまう。
ほんとうの理由は、James Neidpathが述べているとおり、「a single-handed war on three or more fronts was beyond Britain’s powers, so she had to be weak somewhere」ということに過ぎなかったが、時にトージョー並の粗悪な精神論を述べることがあったチャーチルらしい怒りと言えなくもない。

ここではなはだしくバカタレな日本側反応は、日本軍は実は勝つと思っていなかったので、次段階の作戦の構想がなかった。

やることがなくてヒマなので、じゃあポートモレスビーをとっちまうべ、とかゆっているうちにB25を空母から発進させて東京を爆撃するという本来軍事的価値などかけらもない、やけのやんぱち作戦に驚いて、じゃ、ミッドウエイ島をとっちまうべ、ということになります。

そうすれば、それをかぎつけて空母が出てくるだろう。
その空母群をやっつければ、しばらく太平洋では楽勝状態がつづくだろう。
で、そのあとは?
そんな先のこと、知りませんよ。
わたしは来年で恩給もらえるんですから。
そこまでが仕事で、その先はきみの仕事であると思う。

ミッドウエイ海戦のことは、ずっとむかしもむかし、おおむかしにこのブログ記事に書いたことがある
https://gamayauber1001.wordpress.com/2008/09/08/ミッドウェイ海戦__官僚主義の敗北/
ので割愛する。

ミッドウエイに負ける頃から、だんだん本気がでてきたアメリカはやっぱし強いやん、ということになって、負けてトンズラこいちまうことを「他方面に転進」といい、サイパンに至っては天皇に「不落の要塞」「国防の絶対的要の永久要塞」と奏上しておきながら、たった9日間で放棄を決定して「想定外の米軍の猛攻」に負けたから、しょーがなかっぺ、ということにして天皇を言いくるめ、フィリピンからあとはいちばん発言力がない若い人間を犠牲にすることにして爆弾と一緒に飛行機に積み込んで艦船に体当たりさせて時間を稼ぎ、「必ず諸君のあとにつづく」と毎日のように訓示しながら、
たとえば富永恭次中将は、いよいよ現実がごまかしきれないボロ負けの戦況が顕れると、さっさと逃げて、1960年に安らかな死を迎える。

こういうひとが福島第一事故の視察に行くと、自分だけばっちしな放射線防護服に身を固めて、平服もいいところの地元のひとびとと握手したのであるに違いない。
夜、寝る前には、どうすれば「先行きには死んじゃうかもしんないかんね」というのを、どういいまわしを工夫すれば責任を問われずに誤魔化せるか鉛筆をなめなめ考えたりしたものと思われる。
「直ちに健康への影響はない」で、どーだろう。
なんとか、これでしのげるだろうか。
今日は、ちょっと寝不足の顔をつくってテレビに映ったほうが良いかもしんねーな。

「建前」には、むかしから西洋側からも日本側からも、さまざまな説明がある。
主に社会学的な説明です。
わしはずっと「建前」というのはただの嘘のことだと思っていたので驚きました。

いま試しに日本語wikiで「建前」をひいてみると、
「いわゆる「アルカイク・スマイル」(元はアルカイク美術にみられる微笑みの表情のこと)と呼ばれる日本人に特有の「曖昧な微笑」は、表情における建前である。」
なんちて書いてあるが、わしはこのカッコヨサゲな説明を読んでもまだ、そーか、日本人は表情でも嘘をつけるのか、すげー、と思ってしまうだけである。
嘘、神(しん)に入る。

「建前」が論理的に成り立つためには、たとえば「フクシマは絶対安全だと日本の将来再建のために口では言わねばならないが、胸の奥のほんとうの自分は、その危険を知っている。だがここは経済のため、この国の将来のために心を鬼にして、安全だといいきってみせなければ」というふうでなければならない。
ただの恥知らずな嘘に堕さないためには、そういう「言われない胸に秘めた真実」がなければダメでしょう。

でもね、わしが思うにはフクシマが安全だと言っているひとは、やはりフクシマが安全だと信じているのです。
建前が出来ると本音は生きていられない。
建前だけがひとり歩きして本音がほんとうにあったかどうかは、本人の言い訳染みた、しかも無意味な内心の現象にしかすぎない。

戦争になれば自分の国の国力からして敗北すると決まっていると知っていながら、「断固、勝利を手にします」という建前を口にする将軍は、本人にとって建前であるだけで、要するにただの愚かなウソつきであると思う。
内心の声、というのは便利なもので、都合がいいことがいくらでも聞こえてくるように出来ている。
「言わなかっただけで、わたしもほんとうはそう考えていた」
「口では、涙をのんでこう言っているが、ほんとうのわたしは、もっと人間的なことをかんがえている」と、きみは言うであろう。
でも、それ、全部、嘘なのよ。
言われなかったことは、いちども考えられていないし、涙をのんでみせているのは、きみの心のなかの鬼であると思う。
鬼は、きみには涙をのむ悲壮な姿をみせながら、きみが「内心」から眼を離して、口を開いて「心を鬼にして」なにかいう頃には、もう舌をだして、けっけっけ、と笑い転げている。

わしは、福島の子供がオトナの行動を促すために書いた作文を引用した、ある尊敬する友達に
「きみたちが行動しないからフクシマのガキどもにとってはきみも「黙々と国家に従うオトナ」で国家の部分だから敵なのね。あたりまえのことです」

「国家が狂い始めたときに国家の暴走路の前に立ちはだかろうとしないオトナは要するに国家の部品なんです。だから未来においては国家ごと一緒くたに非難されるとおもう」

と書いた。
読み返してみると、ほんまにとんでもない奴である。
このひとと友達でいるのがいかにたいへんか、実人生における数多のガメ友人のみなさんの苦労が忍ばれます。
しかし、内心で「福島の子供を救わなければ」と思う事は現実に福島の子供を救うために行動することとは何の関係もない。
福島ガキを福島の放射性物質で汚染された校庭に放し飼いにして、死ぬかどうか観察しているオトナと、どこにも変わるところがない。

もうひとつ、建前というのは検証されないので、リアリティをもたない、という特徴があります。絵空事、観念的遊戯、他人事、である。

建前だけを巧妙に述べ続けて「絶対に嘘と証明できない嘘」を積み重ねながら、最後は「戦争だけは絶対に避けねばならない」という「本音」を隠して日本全体を地獄の戦争に蹴りやった軍令部総長永野修身は、開戦の是非で緊迫していた頃の会議でも年中居眠りをこいていた。

建前が競い合う世界では、自分という「人間」の意見など本音の世界で逼塞するだけの無力なつぶやきにすぎない、と熟知していたからでしょう。

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4 Responses to 建前に死す

  1. wiredgalileo (galileinagano) says:

    どうもお久しぶりです。
    前回のコメに質問されてたので
    何か書かなければと思いつつ、日々がすぎてたんだけど
    別件でちょっと反応しておきたいと思ったことがあるのでちょこちょこと。

    *ノーマッド日記11
    稲城にそんな場所があったとは知らなかった。
    日本はコンクリを使った公共事業の額がすごいんだけど
    狭い国土をコンクリ工事しまくって経済を回してきたんだよね。

    で、稲城のトトロの森が米国基地と関係しているのは象徴的なんだけど
    米国の公共事業というのは戦争だよね。
    稲城レクリエーションセンターに見られるような
    「豊かな米国的生活」を守るために、彼らは戦争で経済を回してきた。
    GNP1位と2位の国がタッグを組んで実現していた「富」は
    自然を破壊し人を殺すことで得られていた。のだろうね。
    その体制が崩壊しつつあるいま
    元に戻ろうとするのではなく、違う形の豊かさを目指さないとね…

    *日本のアニメとマンガ
    についてはがめさんの指摘でなるほどと思うことが多かったんだけど
    日本独自の特性と立ち位置から生まれた
    普遍的なファンタジエン国みたいなものなんだね。
    あの世界は(キャラたちの顔からして)日本ではないし西欧でもない、
    独自の普遍的世界なんだなと。
    それは「幼い理想」が生き残る世界でもあるけど
    さらにそれは、米国の属国的立場や非武装で繁栄を享受できてきた状況、等から来る幼さでもあるんだろう。

    日本文化がもともと、「現実的」な性格が薄く
    形而上系というか観念的というか二次元系みたいな性格が強い
    という指摘もなるほどと思った。
    (数学も、和算のころからの伝統があるみたいだね)
    それは現代ではアニメやマンガになって開花しているけど
    同じ特性が、「言葉で言い繕う」「建前に死す」的な
    社会的欠陥としても表れているんだろうね。

    *建前に死す
    このごろ『夢幻の軍艦大和』っていうマンガを途中まで斜め読みしたんだけど
    http://ja.wikipedia.org/wiki/夢幻の軍艦大和
    現代の高校生が太平洋戦争時にときどきタイムスリップして
    歴史ゲーム感覚で日本海軍を勝たせることに成功、
    日本は米国と和平条約を結ぶんだけど
    実はそのことによってかえってソ連の侵攻を招いて
    北海道がソ連領になるし日本は軍部が牛耳っている「現代」が生じる
    みたいな話なんだよね。
    曖昧に勝つ、より、徹底的に負けるほうが日本にとっては良かった
    という話が説得力あった。

    今回の原発事故は、
    「神が手心を加えまくった一撃」だと言っている人がいたけど
    ほんとに、僥倖が連続した今回の事故のうちに
    学ぶべきことを学べればよいのだけれども、
    いまは、ただ隠蔽して偽りの繁栄を続けようとしているだけだよねえ…

    *Twitterで
    ブッダが絶望を語った、と書いてたけど、ちょっと違う感じがある。
    というか、ふつうの意味での「絶望を語る」だと
    もうだめだ、ていう意味になるけど
    ブッダの言っていることを絶望という言葉で語るなら
    もっと主体的能動的に「望みを絶つ」、
    絶つことによってもっと広く明るい世界に立つ、
    というような意味に近いように思う。

    望みという人間の基本的な思いまでを「欲」と見て、
    それを超える感じというのかな。
    諦めるという言葉は仏教的にいえば「明らかに見る」という意味
    と読んだことがあるんだけど、
    人間は老いや病や死を避けられないという根本的な限界を「明らかに見ること」
    がブッダの教えだったように思うんだよね。
    その見方は単なる認識ではなく
    強力な意志でもあり、他の生物たちが慕うやさしさでもある。
    (私はそうは生きられないけど、ブッダはそういう人だったのだろうと思う)

    • wiredgalileo (galileinagano) どの、

      あっ、顔ガリレオだ。
      元気でしたか。
      最近日本では「放射能を浴びると危険だ」というひとびとが次々に集団イジメにあっているよーなので、どーなってんだ、そーゆえば顔ガリレオはどーしてるかなー、と思っていました。

      >米国の公共事業というのは戦争だよね。

      とゆえるほど事業として成り立っているのかわかんねーから調べてみんべ、と丁度昨日、
      ブッシュについての映画を観ながら考えていたのでした。

      >違う形の豊かさを目指さないとね…

      その「違う形」というのが判りにくくて困っている、という面もあるかしんね。

      >あの世界は(キャラたちの顔からして)日本ではないし西欧でもない、
独自の普遍的世界なんだなと。

      そー。

      >それは「幼い理想」が生き残る世界でもあるけど
さらにそれは、米国の属国的立場や非武装で繁栄を享受できてきた状況、等から来る幼さでもあるんだろう。

      そー。そー。

      >同じ特性が、「言葉で言い繕う」「建前に死す」的な
社会的欠陥としても表れているんだろうね。

      そーX3

      >北海道がソ連領になるし日本は軍部が牛耳っている「現代」が生じる
みたいな話なんだよね。

      おもしろそーだな。

      >ほんとに、僥倖が連続した今回の事故

      そーゆー認識がないんちゃう?
      わしも、神様というものがあるなら、フクシマなどは単なる「警告」と思う。
      もんじゅったり、はまおかったら、どーするんだ、と思うけど、あんまりそう思う人少なくて、
      「もう一個ぶっとんじったら放射線基準量もいっかいあげればええだけなんちゃうの?」と思ってるみたい。
      死ぬかどうか放し飼いにしてやってみてる福島の子供もなかなか死なんし、たいしたことねーんじゃねーの、と考えているよーだ。

      >ブッダの言っていることを絶望という言葉で語るなら
もっと主体的能動的に「望みを絶つ」、
絶つことによってもっと広く明るい世界に立つ、
というような意味に近いように思う。

      ほーほー。

      >人間は老いや病や死を避けられないという根本的な限界を「明らかに見ること」
がブッダの教えだったように思うんだよね。

      ほーほーほー。
      最近、内省の世界に沈潜しておるのだな。

      仏陀は難しい。
      何がほんとうに仏陀が言ったことかわかりにくいという点でも難しい。

      でも、そのうち、ひと夏がんばってベンキョーすべ、とおもてるねん。

      顔ガリレオが住む町は、今年は無茶苦茶寒いようだが、フルにならんように気をつけて暮らしてね。

      またね

  2. wasi says:

    3番も何も英米一手に相手にするのだから国民だって気づいても良かったもの。でも最近まで半藤一利などの低俗な小説家たちの論評にだまされマインドコントロールされ気づかなかった。

コメントをここに書いてね書いてね

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